《停念堂閑記》96

「日比憐休雑記」12

 

「いーかい ? そだねー いーんでないかい」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

なぜアホくさい、バカバカしい、クダラない話なのか、と問われますと、決まってるでは御座いませんか。そんなこと。

立派な、意義深い話は、甚だ残念では御座いますが、難しくて出来ないからですよ。

分かりました。ですって。

もー。分かっちゃったって。

お客様、幾らなんでも、ちょっと、早過ぎはしませんか。

たとえ、分かっちゃっても、ですねー。そんなことはないでしょー、とか。

ちょっと、間をおいてからとか。それくらいの気遣いがあっても、良いかなー、なんて思ったりもするのですよ。

三顧の礼とまではいかなくともさ。

ろくに説明もしていないのに、いきなり分かられてもねー。

一人でやってろ。ですって。

あねのー。一人でって、こんなこと二人で出来ますか、ちゅーの。

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。なんとか、ヒマと言うものをあの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。

そこでですね、たとえつまらなくとも、こんなことを言うハメと相成る次第なのですよ。

これで、ケッコウ手間隙かかるのですから。

 

私だってですね、たまには、気の利いた話をしたいものと、常日頃思わなくはないのですよ。少しは思うことも、たまには、ちょっとだけないこともないのですよ。強いていえば、あるにはあるような気もするのですよ。

しかしですね、これが中々上手く行かないのですよ。思うだけではねー。

言うまでもなく、この手のことは、能力に関ることなのですよ。

持って生まれた能力は、残念ながら、俄に、どうこうできる代物では御座いませんよ。

嘆いても仕方御座いませんので、精々、得手・不得手と言うあたりで、何とかならないものかと、もがいたりするのですよ。

その結果が、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話と言う辺りに落ち着くことになる、と言う訳なので、御座いますよ。

 

分かりました。ですって。

もー。分かっちゃったって。

また、お客様に、たちどころに、分かられちゃいましたなー。

たとえ、分かっちゃっても、ですよ。先ほども言ったでしょー。

そんなことはないでしょー、とか。

ちょっと、間をおいてからとか。

それくらいの気遣いがあっても、良いかなー、なんて思ったりね。

一人でやってろ、ってでしょー。

こっちだって、一度言われれば分かりますってーの。

 

ところで、マクラはこれっくれーで、「いーかい」。

 

「いーかい そだねー」は、カーリング北見の選手によって、一躍、有名になりましたが、実は、「いーかい」ダケでは、本場の北海道では、ちょっと物足りないのですよ。

本当は、「いーかい」ときたら、「そだねー」と、まー通常はいくわけですよ。しかし、これでは十分では御座いませんよ。

「いーかい」「そだねー」ときたら、迷わず「いーんでないかい」とこなくてはならないのですよ。これで、一応、完結です。

では、正しいところを、もう一度。

「いーかい」「そだねー」「いーんでないかい」。

これで、いーんでないかい。

と言う話題かあるところで、本日は、先に、「停念堂閑記」3と4で、北海道でよく使われる言葉に関することを取り上げましたが、多少重複するところがあるかと思いますが、復習ぎみに、道産子がよく遣う用語について、取り上げ、ヒマ潰しにしたいと思います。

 

駅弁。デパートの物産展で、人気のあるのが、弁当コーナーで御座います。

あちこちに名物弁当がありますが、中でも、特に、カニ・ウニ・イクラ・タラコにホッキなど、色とりどりの具がタップリのっかった弁当。

そうです “北海道弁”が、人気が御座います。

旨そうですね。

今日は、その《北海道弁》の話。

では御座いませんよ。残念でした。

ここでの《北海道弁》は、北海道でよく遣われる方言や言い回しの方です。

“あずましくない” “あっぺくさい” “いのく” “うるける” “おだる” “がおる” “がする”などなど、弁当のネタ数など問題にならないほど、こちらのネタは豊富で御座います。

それらを調理して、旨い、いや可笑しい話を作ろうと言うわけなんです。が、旨く行きますかね。何ら保障は御座いません。

さて、何から行きましょうか。やはり、基本は、

“・・・べ”

ですかね。

“へ”じゃありませんよ。濁点はあるが、ニオイの無い方です。

同意を求めたりする時、語尻に、“べ”をつけるんですよ。

たとえば、標準語で、

「そうではありませんか」

「そうでしょう」

因に、大阪弁で、

「そやおまへんか」

「そうでっしゃろう」

ななどと言うところを、《北海道弁》では、

「そうだべ」

「そうだべさ」

「そうだべや」

などとやるんです。

そうです。“べ”の三段活用というやつです ?

これが、ちゃんと出来ないと、直ぐにもぐりの道産子とばれてしまいますよ。

“・・・べ”は、日常、最も一般的につかわれています。

東北地方でも、同様に“べ”が使われます。

ところが、予想外に、驚いたことに“浜っ子”= 横浜の人がこれを使うのですよ。今となっては、使っていたと言うべき時期になっておりますかね。

まだ使っていますかね。昭和の末ごろには、まだ若い人も使っていましたが。今はどうでしょう。

昭和三十年代後半期に、北海道の田舎の高校を卒業して、東京の大学さやって来ました。彼方此方から色んな人が集まっていました。北海道や東北から来た人は、あまり“べ”を使わないように、気をつかっていたようですが、中によく「・・・べ」を使う人がいたのですよ。しかも、どうどうと。

彼は《浜っ子》でしたね。

札幌に長く住んでいた親戚が、横浜に越して来ていたので、挨拶かたがた遊びに行ったら、おばさんが横浜でも、“べ”を使うんだよ、と教えてくれたんですよ。以外でしたね。

余談ですが、上京して間もない時に“オイラ”に出会いましたよ。東京の〈下町育ち君(くん)〉でしたね。

私の育った北海道では、たしか三橋美智也さんのヒット曲でしたかね 

オイラーはなー 生まれながらの炭坑夫・・・」

と言うのが、ラジヲから流れていましたが、日常の会話の時の“オイラ”はおりませんでしたね。

たいていは、みんな“オレ” “オラ”でしたよ。

これが、“オイラ”とこられては、ちょっと構えてしまいましたね。

北野タケシさんは、“オイラ”をやりますね。東京下町では一般的だったのでしょうね。

続きの余談ですが、突然でありますが、大学1年生の時、英語の時間に、先生に和訳を当てられた〈名古屋君〉が、「畠鼠」と訳した時に起きた一悶着を思い出しました。先生は「野鼠」だろうと言う。いや「畠鼠」だと言って、頑として引かなかった〈名古屋君〉、どうしていますかね・・・。

今でも、名古屋では野鼠が畠鼠なのですかね。

余計なことでした。

北海道では、“・・・べ”は、とにかくよく使います。

“・・・べ”に似た使い方をするのに、

“・・・でないかい”

というのがありますよ。

北海道弁》の代表的なやつですね。

「そうだべさ」とやってもいいのだけれど、

「そうでないかい」とやるわけですよ。

若干 心持ち 柔らかく感じますかね。

大阪の人が、

「そーやろう」とやってもいいところを、

「そーとちゃいますか」とやるのと、ちよっと似ているのではないかい。

それから、

“・・・べ”

“・・・でないかい”

の他に

“・・・でしょ”

というのもよく使われます。

「そーだべさ」とやってもいいのだけれど、

「そーでないかい」とやってもいいのだけれど、

ちょっと、念押し気味になりますかね、

“そーでしょ”とよく言います。

標準語ですと、

“でしょう”

となるところを、“でしょ”と詰めるところがミソですね。

“・・・べ”

“・・・でないかい”

“・・・でしょ”

は、日常会話の基本中の基本ですね。

ちょっと、面白いのに、

“・・・でした”

と言う、過去形のように思われる使用例がありますよ。

夕方の挨拶で、“お晩です”とやります。

これは良く知られていますね。

東北でもよく使われます。

以前、漫才師コロンビア・トップ・ライトさんのトップさんが、「お晩でごぜやす」と言うのを、全国的に広めましたよね。

このごろは、テレビの影響でしょう、北海道でも“今晩は”と言うのが、一般的に使われるようになってきましたが、私の子供の頃は、“こん晩は”と聞くと、内地 = 本州から来た人だと思いましたね。

専ら“お晩です”でした。

丁寧には“お晩でございます”でしたね。

こっちの方が、“今晩は”より、幾分複雑にできてますね。

“今晩は”を丁寧にした形は、どうなるんですかね。

“今晩でございます”とは、よう言いまへんでっしゃろうなー。

これがですね 北海道では、

“お晩です” 丁寧には“お晩でございます”が、

“お晩でした” 丁寧には“お晩でございました”

になるんですよ。

現在進行中のまっただ中で、“お晩でした”は可笑しいですかね。

これだけではありませんよ。

お店屋さんに行って、店頭に目的の品物が見えなかった時、店員さんに、○○ありませんか、と聞くと、奥へ行って、ごそごそやっていたかと思うと、○○と思われる品物を持って来て、

“これでよかったですか”とくるのですよ。

その品物が、目的の品物であった時には、お客は

“それで よかったですよ”とやるわけですよ。

北海道では、これでいいのだ!

「欲しいものがみつかって、いかった いかった」 これは駄洒落。

もっとインパクトがあるのは、電話で、ですね。

電話が鳴ったので、大家さんが受話器をとると

「もしもし、木村でした。大家さんでしたか。」ときますよ。

そうしたら、大家さんは「これはこれは、木村さんでしたか。大家でした。」とやるのが、北海道のマナーというものですよ ?

私ごとですが、故郷の北海道をはなれ、東京に住むようになって、数十年後、用事が出来て、故郷の知合いの○○さんに電話を入れたところ、いきなり

「○○でした」と来ましたよ。

この応答には、しばらく出会っていなかったので、面食らいましてね、おもわず、「そうでしたか」と言いそうになりましたよ。

この動詞の過去形みたいな用法は、過去形なのですかね。

過去形ではなく、何か別の用法ではないのでしょうかね。

国語学の方に聞いてみた方が、いいかもしれませんね。

このごろの若い人は、殆ど使わなくなりましたけどね。

“・・・べ” と 

“・・・でないかい” と

“・・・でしょ” と

“・・・でした”

を旨く使えるようになると、半ば道産子と言ってもいーんでないかい。そだなー 道産子と言っても、いーべ。いーしょ。いーんでないかい。

次に,“なんも なんも”も、よく使われますよ。これを知っておくと、便利ですよ。

力仕事を頼まれたりしてね。「いやー、世話かけたねー。疲れたしょ」と言われたら、すかかさず“なんも なんも”とやるのですよ。

言わずと知れた、いいえ、そのようなことは、ありませんよ、と言う意味です。

いたるところで、御礼を言われたり、労りの言葉をかけられたら、とにかく、“なんも なんも”で、一件落着です。

 

さて、日常の会話の基本はこれくらいにして、特選の《北海道弁》を順番に

見ていくことにしますか。明解単純に、五十音順で行くことにします。

いろいろあるけれども、ア行では、まずは、

“あずましい” “あずましくない”

かな。

ついでに、

“おだる”

もやっておくことにします。

「正月に、兄一家がやって来て、子供が6才を頭に、年子で3人いるの。

お年玉をあげたら、 もう“おだっちゃって”さー、

“あずましくない”のなんのって、もう、疲れたわ。」

よくある光景です。

“おだる”は、調子に乗って大はしゃぎすることです。

濁点のないのは、“おたる”。

“おたる”は、運河の町・小樽ガラスの町。

シャケフライがいいよ。タルタルソース掛けたの。ちょっとお上品に“お”なんかつけたりしてさ。

“おタルタルソース”なんちゃって。駄洒落です。

寿司も旨いよ。

“あずましい”は、のんびりできるさまです。

“あずましくない”は、否定形ですから、のんびりできない、落ち着かない、心安らかでないことです。だから

「正月に、兄一家がやって来て、子供が6才を頭に、年子で3人いるの。

お年玉あげたら、もう“調子に乗って大はしゃぎしちゃってさ”、

“落ち着かない”のなんのって、もう、疲れたわ」

と言うことです。

子供達が“おだって”いる時には、大人は、

“おだるナー”と、どなりますよ。

一家が、帰った後は、

「ようやく“あずましく”できるわ。やれやれ。」

と言うことになる次第です。

次に、

“あずる”

ですかね。

“あずる”なんて、聞き慣れないのを、いきなり引っ張り出されて、“あずり”ましたか。

“あずる”は、<処理に困る> <手に負えなくなる> <手こずる>などの意味で使います。

今朝の大雪でよー。車、下水の溝に突っ込んじゃってよー。周りに、手伝ってくれる人、だーれもいなくてよー。もー“あずった” “あずった”。

と言うように使います。

赤ん坊、二人も押し付けられてよ。泣き喚くやら、ウンチするわで、もー、“あずった”わ。お手上げよ。

なんて、言いますよ。

因に、アナウンサーの“あずみ”さん。帯広市出身の安住紳一郎さんは、“あずる”とは、特に、関係は御座いません。無関係です。強いて言えば、3文字中、2字が同じです。蛇足ながら。北海道繫がりで、ちょっと、出場してもらいました。悪しからず。ほんのヒマ潰しです。

次に、

“あっちゃこっちゃ”

にいきますよ。「あちら こちら」・「逆」の意味で使いますよ。

「うちの父ちゃんは、何時も“あっちゃこっちゃ”ほっき歩いてばかりいる。」とか、

「うちの子は、すぐに靴を左右“あっちゃこっちゃ”にはくのだから。」

などと使います。

また、

 

“あっぺ” “あっぺこっぺ”

も“逆”の意味でつかいますよ。

ついでに、

“あっぺくさい”(“あっぱくさい”)

をやっておきます。

“あっぺ”に、臭いが着いたら “あっぺくさい”(“あっぱくさい”)となります。

これは、上の“あっぺ”(“あっぺこっぺ”)とは、関係ありませんよ。

注意して下さい。“あっぺこっぺくさい”とは、言いませんから。

“あっぺくさい”(“あっぱくさい”)はですね、

“あっぺ”とか“あっぱ”と言われる物があってですね、これが腐るとすごい悪臭を発するのですよ。てなことは、嘘ですよ。

“そこにあるでしょう”と言うことを“そこに あっぺ”と言う栃木弁とも関係がありません。念のため。

余計なこと言うなって。ゴメン。

“あっぺくさい”(“あっぱくさい”)はですね、

“簡単だ”・“すぐ出来てしまう”・“相手にならない”などの意味で使います。

「鉄棒で逆上がりできるかい」と聞かれたら、

“そんなの あっぺ(ぱ)くさいよ( = 簡単だよ・わけないよ)”とこたえるわけです。

「○○君と相撲をとったら、勝てるかい」と聞かれたら、

“あー あんなやつ あっペ(ぱ)くさいよ(= 相手にならないよ)”とこたえるわけです。

くれぐれも、「北海道に行って、“あっぺ”食べさせられて、臭かったー」

などと言わないように。

因に、“コッぺ”(= コッペパン)に、アイヌネギ炒めを挟んだのは、臭いよ。

ただし、これをコっぺ臭いとは、言いませんよ。

が、しかし、

“コッペクサイ”

は、御座いますよ。

これは、「おませ」「おしゃま」「こまっしゃくれている」の意味で使います。

「姉の子供が、まだ、3歳なんだけれど、これが“コッペクサイ”のよ」などと使います。

似たようなニュアンスで、「こなまいきだ」と言うような意味合いで、彼方此方で使われているようですね。

次に、幾分まとめて行きますよ。

“あっこ” 〈あそこ〉

“あったこった” 〈あれこれ〉

“あったらこったら” 〈あれこれ〉

“あったらこと” 〈あんな事〉

“あったらとこ” 〈あんな所〉

“あったらばっこ” 〈あんな少し〉

“あったらやつ” 〈あんな奴〉

いずれも、幾分、少々荒っぽい表現になりますなー。

気の置けない同士で、よく使われますよ。

例えば、“あったらばっこ”〈あんな少し〉は、

この間は、タラコをごっつおさんだったねー。いやいや、“あったらばっこ”なんも なんも。

となります。「この間は、タラコを頂きまして、ご馳走さまでした。いえいえ、あんな少しばかり、なにも礼を言われるほどの事では御座いません。」と言ったところですなー。

次は、

“あまされる”

に行きます。

“あまされる”は、

〈持て余される〉・〈仲間に入れてもらえない(仲間はずれにされる)〉と言うような意味で使われます。

引いては〈嫌われる〉に近いニッュアンスを持っているようです。

年寄はいつも余される。余され者だ。」(「年寄は何時も仲間に入れてもらえない。厄介者だ。」)と嘆くのである。

「あいつは、ごごとばかり言っている“余されもんだ”」(「あいつは、こごとばかり言っている厄介者〔嫌われ者〕だ」)。

“あまされたら”あまりいい気持ちはしないものです。

次は、

“あめる”

に行きます。

“あめる”は、アメをなめることです。ウソです。

雨が降ることを言うのです。これもウソです。

毛糸買って来たけど、マフラー編める? この<あめる>とも、違います。

「このところ蒸し暑くて、雨続きだったので、この飴、“あめた”かなー。」

「雨だったからと言って、飴は、“あめ”ないべさ。」

「今日は、蒸し暑かったので、おかずが“あめた”みたいだな。ほら、糸引いてるよ。納豆が。」

納豆は、“あめ”なくても、大体糸引いているんでないかい。」

などと使います。

“あめる”は、〈腐敗する・腐る・いたむ〉の意味で使います。

知らない方だと、見当がつき難い方言ですね。方言らしい方言です。

次は、

“あんべえ”

です。

これは、<具合>の意味で使います。

「あんべえ 良い」は、具合が良い、調子が良い、体調が良いの意味です。

「あんべえ 悪い」は、具合が悪い、事情・体調などが不調なことです。

 

それでは、あまり長くなると、「あんべえ 悪い」と思うので、本日は、これで終りとします。

ア行から始めて、ア段で終りです。

次ぎは、イ段からやりたいと思います。

ヒマ潰しになりましたでしょうか。

どうもお疲れさまで御座いました。

またのお越しを、お待ち申し上げます。

《停念堂閑記》95

「日比憐休雑記」11

 

 《道民用語》2

 

 先に、手当たり次第に拾い上げた《道民用語》を五十音順配列して示したが、小生は高校まで道南の農村で育ち、大学進学の時に東京へ出た。しかし、郷里には親兄弟・親戚がおり、幼なじみもいたので、年に一度は郷里に帰っていた。その中で、知った用語、また、最近ネットで拾ったものも交えて羅列した。北海道は地域的に広いので、示した用語も全道的にどこでも使われていたわけではないように思われる。今でもそうであるが、海辺の漁師さんの用語は、農村育ちの小生では知らない言葉が多い。

 小生の子供の頃には、本州から移住してきた人が多く居ましたから、各自のお国言葉がまだ使われていた。東北から移住して来た人が多かったので、東北弁が多く使われていた。

 「今日は」と挨拶すると、「今日はちゃ」と挨拶を返してくれる近所のおじさんがいた。東京のアパートに、高校の2年上の先輩がいた。そこに彼の後輩が時々遊びにきた。富山から来た人で、語尾にやたら「・・・ちゃ」をつけるので、郷里の近所のおじさんは富山の方から来た人だと後で気がついた。

 学生の頃(昭和40年頃)、冬休みに帰郷した時、薄暗い駅のホームで、高校の時教わった先生に出逢った。おもわず「今晩は」と言ってしまっ た。先生は、違和感を感じたのであろう一瞬戸惑った風であった。「お晩です」と言うのが一般的であった。「今晩は」は、今ではもう違和感がなくなって来た ようであるが。

 「お晩です」と言えば、「お晩でした」と過去形でも一般に使われていた。「おはようでした」とか「こんにちわでした」とは言わない。「お晩でした」だけ過去形で使われていた。東京に出て30年程経ったころであった。北海道の知合いに電話をしたところ「はい。○○(姓)でした」と応対された。「お晩でした」以外の久しぶりの過去形であった。今でも、お年寄りの方は、使っておられるようであるが、なかなか聞かなくなった。

 東京に出たての頃、大学のクラスに「・・・べ」をよく使う人がいた。初めは、北海道か東北から来た人かと思っていたら、何と横浜っ子だった。以前、札幌にいた親戚が横浜に越して住んでいるので、東京に出て来たので挨拶方々遊びに行ったら、横浜でも「・・・べ」を使うんだよ、と叔母が教えてくれた。

 また、上京したてのころ、ゴミを捨てる時に、「ゴミを投げる(捨てると言う意味)」と言ったら、不思議な目で見られた。体育の時に走らされたりした時も、息を切らして「ああこわい(疲れた)」と言ったら、これも怪訝な目で見られた。

 さらに、北海道から出て来た友達同士が、電車の中で、北海道弁だから東京の人には分からないであろうと、要するにHな話をしだしたら、何人もが振り返った、ということで、恥かいちゃったとぼやいていた事もあった。友達は、北海道から出て来ている人が随分多いものだとびっくりした、と言うのであるが、そのての用語は道外の方にも割合広く知られていたのではあるまいか。

《停念堂閑記》94

「日比憐休雑記」10

 

 《道民用語》1

 

 言葉は、色々と難しい面を持っている。流行語もあるし、新造語も見られる。高校生のころ(昭和35年ころ)、北海道で「なまら」と言う語が男子生徒の間で多用されだした。「凄い」・「すこぶる」などの最上級の表現である。すごく奇麗な女の子を評して「なまらまぶい」(すごく奇麗だ)などとよく使われた。以前からあった言葉かどうかは知らないが、中学生だった頃には、聞いた事も、使った事もなかったと記憶している。今は、北海道ではすっかり定着している。「あの店のザンギなまらうめー(あの店の鳥の唐揚げは、すごく旨い)」なんて。

 子供の頃、北海道では、夕方の挨拶は「おばんです」・「おばんでした」であった。これが最近は、テレビの影響であろう「こんばんは」が進出している。もちろん「おばんです」・「おばんでした」も使われているが。

 そこで、北海道でこれまでよく使われてきた言葉、また、今現在日常的に使われている用語を拾ってみた。北海道の方言と言われているものだけではなく、道民が日常よく使っているものである。北海道は広いので、地域的に相違が見られる場合もある。したがって、古今東西いくぶんの相違があると思われる。

○・・・だべ  ・・・でしょう   そうだべ → そうでしょう.(同意を求める時に用)

○・・・だべさ  ・・・でしょうさ  そうだべさ → そうでしょうさ.

○・・・だべや  ・・・でしょうや   そうだべや → そうでしょうや.

○・・・でした  ・・・です   電話したら「はい 山田でした」と応対されることがある. → 「はい 山田です」と言う事です.

○・・・でしょ  ・・・でしょう   嫌でしょ → 嫌でしょう.

○・・・でないかい  ・・・ではないでしょうか   寒いんでないかい → 寒いのではないしょうか.

○・・・ばっこ  少ない様   こったらばっこ → たったこれだけ.

○・・・べっこ  少ない様   こったらべっこ → たったこれだけ.

○あいぬねぎ  アイヌ葱  行者ニンニク   北海道の山菜の一つ. 最近は栽培もされている.

○あいべ  来い  こっちさあいべ → こっちに来い(最近はあまり使わ れていないようだ)

○あおたん  花札に描かれている青い色の短冊  あおあざ   目の回りが青くなっていること.

あきあじ  鮭

あじうり  まくわうり   カンロ瓜など

あじゅーり  まくわうり   カンロ瓜など

○あすぱら  アスパラガス

○あずましい  落ち着ける  気が安まる  のんびり出きる  口うるさい人が留守で、あずましい → 口うるさい人が留守で、気が安まる.

○あずましくない  落ち着けない  気が安まらない

 子供が騒いでばっかりで、なんもあずましくない. → 子供が騒わいでばかりいるので、全然落ち着かない.

○あずる  手に余る  てこずる   難しくてあずった → 難しくててこずった.  

○あたんきた  頭に来た

○あっこ  あそこ

○あったこった  あれこれ

○あったらこったら  あれこれ

○あったらこと  あんな事

○あったらとこ  あんな所

○あったらばっこ  あんなちょっと   あったらばっこ食べたって、食 べた気がしない

○あったらやつ  あんな奴   

○あっちゃこっちゃ  あちこち   うちの父ちゃんは、何時もあっちゃ こっちゃほっき歩いてばかりいる.

○あっちゃこっちゃ  逆  あべこべ 靴をあっちゃこっちっやに はいた. 

○あっぱくさい  簡単だ  相手にならない   そんな事あっぱくさい → そんなことは簡単だ.

○あっぺ  逆  あべこべ   靴を左右あっぺに履いた.

○あっぺくさい  簡単だ  相手にならない  あんなやつあっぺくさい → あいつは相手にならない.

○あっぺこっぺ  あべこべ  逆  あわてて靴をはいたら、左右あっぺ  こっぺだった

○あぶらこ  あいなめ

○あぶらっこ  あいなめ

○あほたんけ  あほ  おばか

○あまされる  仲間はずれにされる  

○あまされる  もてあまされる  嫌われる   余され者 → 厄介者  年寄は何時もあまされている.

○あめる  腐る   弁当があめてて、食えなかった.

○あやつける  いいかっこする   綾着け満点 → 思いっきりかっこ付ける事.

○あやっこ  おてだま

あんこ  若い衆  兄ちゃん   隣のあんこ → 隣りの兄ちゃん.

○あんちゃ  若い衆  兄ちゃん

○あんちゃん  若い衆  兄ちゃん

○あんべえ  具合  あんばい

○あんべえわるい  具合悪い   事情、体調などが不調なこと.

○あんましだ   あまりにもひどい

○あんまりだ   あまりにもひどい

○いいふりこき   かっこつけたがり   いいふりこいて → かっこつけて.

○いおまんて  熊祭り   アイヌ民族の儀式の一つ.

○いかれぽんち  おばか

○いかれる  壊れる  駄目になる   あいつはいかれている → あいつは馬鹿だ. 

 いかれた車 → 壊れた車.

○いかれる  行く事ができる   一人で行かれる → 一人で行く事が出来る.

○いごい  渋にがい   陽に当って緑色になったゴショイモはいごい → 陽に当って緑色になった馬鈴薯は渋にがい.

○いごく  動く

○いずい  違和感がある   歯にスルメが挟まっていずい.

○いたましい  おしい  もったいない   投げるには、まだいたましい → 捨てるのは、まだおしい.

○いたわしい  おしい  もったいない  

○いっもかっも  毎回  何時も

○いとう  鮭科の淡水魚   まぼろしの魚となっている.

○いも  馬鈴薯  じゃがいも

○ういんたーきゃらめる  冬季限定キャラメル   古谷製菓のウインターキャラメル.

○うざくらしい  すっきりしない  うざったい   うざくらしい頭 → グチャグチャな頭髪.

○うずくらしい  すっきりしない  うざったい

○うそんき  本気でない   うそんきのぱっち → 負けても取られないめんこ遊び.

○うそんこ  本気でない  

○うるかす  水に浸す

○うるける 水分を含む  指先がうるけた → (長風呂したら)指先が水分を含んでしわしわになった.

○えぐい  しぶにがい  こすっからい

○えごい  しぶにがい  こすっからい

○えんこ  うんこ   えんこたれ → うんこたれ(子供同士の悪口)

○えんこする  エンジンが故障する   車がえんこした.

○えんばく  燕麦  家畜飼料用穀物

○おーらおーら  オーライ   車の誘導の時などに使用.

○おここ  つけもの   大根のおここ.

○おこわ  赤飯   小豆を入れたのもあるが、金時豆の甘納豆を入れたのが北海道風.

○おしょろこま  イワナの一種

○おぞい  疲れた   おぞい顔してた → 疲れた顔してた.

○おそなえ  鏡餅

○おだつ  調子に乗ってはしゃぐ   おだつな → はしゃぐな.

おたふく  お多福豆  はなまめ

○おだる  調子に乗ってはしゃぐ   おだっちゃって → はしゃいじゃって・調子にのっちゃって.

○おたんこなす  まぬけ

○おたんちん  まぬけ

○おっかない  おそろしい  怖い

○おっくりかえす  ほじくりかえす

○おったくる  追い立てる  追い払う   カラスをおったくる → カラスを追い払う.

○おったんこする  座る   幼児語.

○おっちゃんこする  座る   幼児語.

○おっぱじめる  始める

○おっぱなす  放す   野原に馬をおっぱなす → 野原に馬を放す.

○おっぽりだす   ほうりだす   妻に浮気がばれて、家からおっぽりだされた.

○おばちゃん  叔母

○おばんです  今晩は   挨拶.

○おばんでした  今晩は   挨拶.

○おもしい  面白い   おもしい話 → 面白い話.

おやき  今川焼

○おらぶ  さけぶ  わめく   海に向かっておらぶ → 海に向かって叫ぶ.

○おん  雄

○おんこのき  一位の木   木質の堅さが木の仲間で1位の故で一位と呼ばれる.床柱に最適

○おんこのみ  一位の実   5・6ミリの実.熟するとタネの回りに赤い果肉がつき甘い.

○おんじ  弟

○おんた 雄

○おんちゃ  叔父

○おんちゃん  叔父

○おんぶさる  おぶさる

○おんぶる  おぶる

○おんぼやき  火葬担当者

○おんまける  こぼす  まきちらす   手が滑って、ピーナッツをおんまけちゃった.

○かい  痒い

○かいたん  塊炭   手頃な塊になっている石炭. 燃料用.

○かいたんすとふ  塊炭ストーブ

○かいべつ  キャベツ

○がおる  やつれる   病み上がりでがおっていた → 病み上がりで窶れていた.

○かかさる  書ける   このマジックはまだかかさる → このマジックはまだ書ける.

○かくし  ポケット

○かくしょく  食パン

○がさい  そざつ  がさつ   がさい奴だ → がさつな奴だ.

○かしがる  かたむく   家がかしがった → 家が傾いた.

○かしぐ  かたむく

○がす  霧   

○かすべ  えい   ヌタにすることが多い.

○がする  霧がでる   今朝はがすってる → 今朝は霧が出ている.

○かせ  よこせ   こっちさかせ → こっちへよこせ.

○かせ  食わせろ

○かせろ  食わせろ

○かたっぽ  片方

○かたゆき  堅雪   晩冬に見られる表面が堅く凍った雪.  早朝には馬でもぬからないほどに堅くなる.

○かちこわす  こわす  破壊する

○かつける  ひとのせいにする   俺にかつけて → 俺のせいにして.

○がっさり  がっぽり  沢山

○かったくる  ぶんどる

○がっちゃい  安物

○がっちゃき  切れ痔

○かっちゃく  ひっ掻く  かきむしる

○かっつける  ひとのせいにする

○がっつり  思いっきり  力いっぱい

○かっぱ  あめんぼう  河童  合羽

○がっぱ下駄  ぽっくり下駄

○かっぱがす  ひっくりかえす

○かっぱらう  盗む

○がっぱり  がっぽり  いっぱい

○がっぽ  空洞  から

○がっぽ  ぽっくり下駄

○かてる  仲間に入れる   私もかてて → 私も仲間にいれて.

○かなけくさい  鉄分の臭いがする   この井戸の水は金気くさい.

○かなだらい  金属製洗面器

かぼちゃづけ  南瓜漬け   煮た南瓜と一緒に漬込んだもの. 甘みがある漬物である.

かます  かきまぜる

○かまどがえし  倒産  破産

○かまどもち  竃持ち  既婚者  家庭持ち

○かまどもちがいい  家計のやりくりが上手い

かまぼこ 蒲鉾   薩摩揚げも含める.

○かむる  冠る   ほおっかむり. ほっかぶり.

○がめる  ちょろまかす  盗る  多めに取る

○がや  えぞめばる

○かやす  ひっ繰り返す

○からげる  結ぶ

○からさお  唐棹   乾燥させた穀物を叩いて実を落とす竹製の道具.

○がらっぽ  空洞  から

○かわす  交わす   単線鉄道では、片方の列車が駅に停車して、もう一方から来る列車をかわす.

○かわちっぷ  姫鱒

○かんかい  こまい   魚の一種.

○かんから  小型空き缶

○かんかん  缶

○がんがん  おおきめの缶

○がんた  丸太を転がす道具.

○がんたれ  馬鹿たれ

○がんび  白樺

○がんびのかわ  白樺の皮   焚付け用.

○かんぷうかい  観楓会   紅葉の頃行う親睦会.

○がんぺ  かさぶた

○かんぼし  寒干し   寒中に乾燥させたもの. 鱈の寒干しなど.

○かんまかす  かきまぜる 話を混乱させる   卵を割ってかんまかす.

○きかない 気が強い   きかんぼー → 暴れん坊.

ぎっちょ  左利き

○きもやける  腹が立つ  いらいらする

○きゅうり  魚の一種  胡瓜の臭いがする魚.

○ぎりぎり  つむじ

○きりづけ  切漬け   野菜を一口大に切って漬けたもの. 大根の切漬け.

○きんき  キチジ   カサゴ科の赤い魚で目出たい時に使う. 北海道では鯛の代りにつかう.

○きんきん  キンキ  キチジ

○ぐすべり  グーズペリー

○くっちゃべる  話す  喋る

○くまいちご  熊苺   大型の実をつける野苺. 赤く熟すると旨い. ジャム・果実酒にする. 

○くろがしら  鰈の一種

○けいじ  鮭児   若い鮭. あぶらがのっていて旨い. 高級.

○けちょんけちょん  こてんぱー

○けった  缶蹴りかくれんぼう   けったしよう → かくれんぼうしよう

○けったくそわるい  縁起が悪い  気分が悪い  面白くない

○けったくる  蹴る  蹴っ飛ばす

○げっぱ  びり

○けっぱ  びり

○けっぱなす  蹴る

○けっぱる  頑張る

○けやす  消す   火をけやす.

○ける  くれる 

○ける  あげる

○けれ  頂戴

○けれっぱ  びり

○げれっぱ  びり

○けろ  頂戴

○げんごろう  たがめ

○こーくす  蒸焼き石炭   燃やすと高熱を出すが、煙がでない.

○こく  言う   ウソこいて.   でっかいことこきやがって → 大きな事言いやがって.

○こくわ  さるなし   

こごみ  山菜の一種

○こごむ  かがむ  しゃがむ

○ごしょいも  馬鈴薯  ジャガイモ

○こそばい  くすぐったい

○こちょがしい  くすぐったい

○こちょがす  くすぐる

○こっきり  丁度

こっこ  子   牛のこっこ → 子牛.

○こったら  こんな   こったら事 → こんな事.

○こったらこと  このような事

○こったらとこ  こんなところ

○こったらばっこ  こんなちょっと

○こったらべっこ  こんなちっと  たったこれだけ

○こっちゃ  こちら  当方  こっちゃの知ったことではない → こちらの知ったことではない.

○ごっちゃん  こちそうさま   幼児語.

○こっぱ  木の切れ端  小者

○こっぱずかしい  はずかしい  きまりわるい.

○ごっぺがえす  ごちゃごちゃになる  ての付けようがなくなる

○こなまずるい  こすからい.

○こぼす  なげく  愚痴を言う

○こまい  氷下魚

○ごむたん  ゴム製の短靴   全部ゴムでできた短靴. 戦後、主に子供が履いた.   ゴム短⇔ゴム長

○ごむなが  ゴム長靴

○こればっこ  たったこれだけ

○これべっこ  たったこれだけ

○こわい  疲れる   ああ こわかった → ああ 疲れた.

○こんじょわる  根性の悪い人  意地悪  ひねくれ者

○こんちゃ  今日は   挨拶.

ごんぼほる  だだをこねる  ごねる

○こんまい  細かい  小さい  幼い

○さくい  気さくだ   さくい子 → 気さくな子.

○ささぎ  インゲン

○ささくれ  さかむけ

○さっちょん  札幌チョンガー  札幌単身赴任者

○さっぱし  さっぱり   さっぱしだめだわ → 全然駄目だわ

○ざっぴん  廃品  雑品

○ざっぴんかい  雑品買い  廃品回収屋  

○ざんぎ  鶏の唐揚げ

○さんばえし  さんだわら   俵の両側を塞ぐ円形の藁製の蓋.

ししゃも  柳葉魚   鵡川産のものが珍重がられている.

○したから  だから

○したけど  だけど   したけどさー → だけどさー.

○したっけ  そうしたら  それでは

○したっけねえ  それじゃあじゃーねえ   別れ際のかるい挨拶.

○したって  だけど  だって   したってさー → だけどさー.

○したらねえ  それじゃあ  じゃーねえ   別れ際のかるい挨拶.

○じっこ  じじい

○して  やって下さい   これして → これやって頂戴.

○して  そして   してさー → そうしてさー.

○じでんしゃ  自転車

○しどい  ひどい  きつい

○しばれどうふ  氷豆腐  高野豆腐

しばれる  凍る  寒い

○しみどうふ  氷豆腐  高野豆腐

○しゃあない  しょうがない  しかたがない

○しゃくにさわる  腹が立つ  頭に来る  

○じゃけつ  セーター

○しゃっこい  つめたい

○じゃっぱ  ざっぱ   鮭のじゃっぱ → 鮭のあら.

○じゃっぷり  ざっぷり  そばを汁にじゅっぷりつける.

○しゃっぽ 帽子   むんがらじゃっぽ → 麦藁帽子.

○じゅうのう  十能   ストーブに石炭をくべる時の小型のシャベル.

○しょう  背負う

○しょうじきなはなし  本当の所

○じょうたん  冗談

○しょうや  でしょう   そりゃしょうや → それはそうでしょうよ.

○しょっぱい  塩辛い  けちくさい   からいは、とうがらし・わさび.

○じょっばり  強情者

○じょっばる  強情をはる

○じょっぴん  鍵  錠

○じょっぴんかる  鍵をかける

○しょんべ  小便

○しょんべん  小便

○しょんべんする  小便する  ちゃらにする  なかったことにする.

○しらっばくれる  知らないふりする

○じんぎすかん  ジンギスカン料理   生羊肉をたれにつけ込むタイプが北海道風.

○しんどい  きつい

○すいみつ  桃

○すぐそこ  近く   時に数キロ離れている事もある

○すけそう  助惣鱈

○すずこ  すじこ

○ずっこい  ずるい

○すとふ  ストーブ

○すもうじんとり  相撲陣取り   男の子の遊びの一種.

○せいようじんとり  西洋陣取り  男の子の遊びの一種.

○ぜんこ  お金

○そい  ソイ 魚の一種.

○そうはち  宗八  かれいの一種.

○そうやって そのようにして

○そったら  そんな

○そったらこと  そのような事

○そったらとこ  そんな所

○そったらばっこ  そんなちょっと

○そーやって  そのようにして

○だいしゃ  台車  鉄道の貨物車

○たいしょうあめ  大賞飴   谷田製菓の大賞飴. 12�×8�の位長方形の白い平たい飴の表面に胡麻を振り、オブラートでくるんである. 冬期の飴菓子. 

○たからもの  おばか

○たくらんけ  大バカもの  たわけもの

○たくわんけ  馬鹿  阿呆  間抜け

○たけのこ  筍   主に笹竹・姫竹の筍.北海道の代表的山菜.

○だだこねる  ぐずぐず言う  理屈をこねる

○たち  鱈の白子   みそ汁の具や鍋タネにすると絶品.

○だっこ  内蔵

○だはんこき  ぐたぐた言う人  くずくず言う人

だはんこく  だだをこねる  ぐずる   何かに付けてただはんこく → 何かに付けてごたごた言う.

○だはんする  だだをこねる  ぐずる   赤ん坊がだはんする.

○たま  馬に引かせるラッセル除雪器.

○だまかす  騙す

○だまくらかす  騙す

○だら  ばか  あほ 

○たらこ  鱈子   主に真鱈の子. 助惣鱈の子は主に紅葉子と言う.

○だらしない  しっかりしていない  いい加減だ

○だらせん  小銭  硬貨

○たらんぼのめ  たらの芽

○たんがく  持ち上げる   たんがいてくれ → 持ち上げてくれ.

○たんぐつ  短靴

○たんぜん  かいまき  袖付き夜具  

○ちーむ  タイム  中断

○ちか  ワカサギ

○ちそ  紫蘇

○ちっけえ  ちっちゃい

○ちっこい  小さい

○ちっぷ  ヒメマス

○ちびっと  少し

○ちべっと  少し

○ちゃっこい  ちっちゃい

○ちゃっちい  やすっぽい

○ちゃっちゃっと  さっさと   ちゃつちゃっとやれ → さっさとしなさい.

○ちゃばちゃば  風呂   幼児語.

ちゃぷちゃぷ  風呂   幼児語.

○ちゃぽちゃぽ  風呂   幼児語.

○ちゃんこい  ちっちゃい

○ちゃんちゃんやき  魚(鮭やほっけなど)と野菜の味噌焼き

○ちょうす  いじる   ちょうすな → いじるな.

○ちょうたろう  おばか

○ちょっきり  丁度それだけ

○ちょす  いじる

○ちょっくら  ちよっと   ちょっくら休むべ → ちょと休憩しよう.

○ちょべっと  少し

○ちょんが  独り者  独身者

○ちん  チェーン   自転車のチェーン.

○ちんこい  小さい

○ちんたら  ぐずぐず

○ちんぷん  沈粉炭   掘った石炭の洗浄水を川に流すと付着していた炭塵が川底に体積する。それを燃料とする。

○ちんぶんすとふ  沈粉炭用のストーブ

○つくんと  ちょと  少し

○つっぱらかう  つっぱる  反抗する

○つっぺ  栓

○つめきりそう  まつばぼたん

○つぶ  つぶ貝   刺身・つぼ焼きにする。

○つるっぱし  つるはし

○つんまずく  つまずく

○ていしゃば  停車場   旧国鉄時代の無人駅.

○ていっぱい  ぎりぎり  目一杯

○てっくい  ヒラメ

○てっくりがえす  ひっくりがえす

○てっくりがえる  ひっくりがえる

○てっころぶ  ころぶ

○てっぱ  おてつき   てっぱした → お手つきした.

○ででっぽっぽ  山鳩

○てぶくろをはく  手袋をはめる

○てま  手数

○てまがえ  労力の貸し借り

○てまさかり  小型斧

○でめんとり  日雇い稼ぎ

○でれき  鉄製火箸棒   デレキでストーブをかんまかす → 火箸棒でストーブを掻き混ぜる 

○てんこ  天項  てっぺん   山のてんこ → 山の頂上

○てんで  全く

○でんとこーん  家畜飼料用とうもろこし

てんぷら  天婦羅   薩摩揚げも含める.

○てんをきる  札をまぜる   トランプのてんをきる.

とうきび  とうもろこし.

○とうひ  唐檜

ときしらず  晩春から初夏のころとれる鮭  

ときしらず  季節に関係せず何時も咲いている草花

○どさんこ  道産子   北海道生まれの人.  

○どさんこ  道産子   北海道特産の小型の馬.

○どしょっぽね  根性

○とっかかる  とびかかる  とりかかる

○とっかり  あざらし   アイヌ語.

○とっくり  十分   とっくり納得のいくまで言って聞かせる → 十分納得のいくまで言って聞かせる.  

○とっくりかえす  ひっくりかえす

○どっこいどっこい  同じくらい  同程度 

○どっしゃり  いっぱい  沢山

○どったの  どうしたの   幼児語.

○どったらこったら  どうのこうの

○どったらこと  どのような事

○どったらもんだ  どんなものだ   自慢する時に使う.

○とっちがえる  取り違える.

○とっと  さかな   幼児語.

○とっぱ  花札遊びの一つ

○とっぷり  たっぷり

○とっぽい  不良っぽい  小生意気

○とどまつ  松の一種

○とば  鮭の乾燥したかたい薫製

○どびんぐち  おしゃべり  横から口出す土瓶口 → 茶々入れること.

○とろくせえ  とろとろしている

○どん  破裂菓子   とうきびのどん → ポップコーン.

○どんじょ  泥鰌

○とんび  鳶  木材をひっかけて引っ張る道具

○どんびき  泥鰌

○ないち  本州

○なげる  捨てる   ゴミを投げる → ゴミを捨てる.

○なした  どうした

○なして  どうして

○なす  返済する  返す

○なぜる  撫でる

○なぶる  おちょくる  もてあそぶ  いじる   なぶるな・なぶんな → いじるな・さわるな.

なまずし  にぎり寿司

なまずるい  こずるい

○なまぼし  半干し   イカの生干し.

なまら  大変  すごく. 

○なんだらかんだら  なんのかの 

○なんでもない  どうということはない

○なんばん  とうがらし  

○なんぼ  いくら   これなんぼ → これいくら.

○なんぼかんぼ  なにがなんでも

○なんもなんも  全然  ノープロブレム

○によ  大豆などを刈りとって、乾燥させるため枝のまま積み上げたもの.  

○ぬかす  言う

○ぬったくる  塗り付ける

○ねっこかぶり  知らないふりをする   あの野郎ねっこかぶりやがって → あいつ知らんぷりしやがって.

○ねっこり  どっぷり

○ねっこんとこ  植物の根本の所

○ねっちり しつっこく

○ねっぱる  ねばりつく

○ねまる  座る

○ねんじん  人参

○のったらくったら  のらりくらり 

○のったりくったり  のらりくらり

○のっぴきならない  抜き差し出来ない  油断出来ない

○のりうま  乗り馬   男の子の遊び. 2組に分かれ,一方が馬となり、もう一方の者が順に馬に飛び乗り、落ちると負け.

○ばいき   後方へ  バック   馬追い用語.

○はかいく  はかどる.

○ばかっぱな  花札遊びの一つ

○ばくだん  破裂菓子  とうきびの爆弾 → ポップコーン.

○ばくりっこ  交換

○ばくりっこする  交換する

ばくる  交換する   ばっくって → 取り替えて・交換して.

○はしってあるく  走り回る

○はしっぺ  はしっこ  端

○はしっぽ  はしっこ  端

○はすかっぷ  灌木の一種   果実が完熟すると紫色になる. ジャムにする.

○ばそり  馬ソリ   縦3メートル程・横1.2メートル程の板をソリの台部に取り付け、外回りを板で囲んだ形状をしている.

○はたく  叩く

○はたんきょう  巴旦杏   すももの一種.

○ばちばち  伐採した木材を山から積み出す時に使用するそり. 馬に引かせる.

○ばっか  ばっかり   ウソばっか → ウソばっかり.

○ばっかいならん  どうにもならない  手の付けようが無い

○はっかく  魚の一種

○ばっこん  爆根   ダイナマイトで木の株・根っこを粉々にすること(山林開拓の時).

○ぱっち  めんこ.

○ばっち  末子

○ばっちっこ  末っ子

○はっちゃきになる  懸命になる

○ばっつり  思いっきり

○ばってりーをあげる  テンションを上げる

○ばっぱ  おんぶ   幼児語.

○ばっぱ  ばばあ

○はっぱる  貼る

○はなきゃべつ  カリフラワー

○ばふんかぜ  馬糞風   以前は雪解け時に道路の馬糞が露出し、これが乾燥して風に飛ばされた。札幌風物詩だった。

はまなす  海岸の砂浜に根付く灌木の一種

○はらくそわるい  腹が立つ  むかつく  面白くない

○はらんばいわるい  腹が立つ  むかつく  面白くない

○はんかくさい  おっちょこちょい  おばか  すけべ

○ばんば  ばんえい競馬   重荷を載せたソリを馬に引かせて凹凸をつくったコースを走らせ、着順を争う競技.

○ばんぺい  見張り

○びーと  甜菜

○ひだるい  腹減った  空腹だ

○びっくらこく  びっくりする

○ひっころぶ  ころぶ  

○ひっつかむ  掴む  捕らえる

○ひっつまずく  けつまずく

○びっつら  びっくり   びっつらこいた → びっくりした.

○ひっぺがす  はがす  ポスターをひっぺがす → ポスターをはがす.

○ひなまずるい  すごくずるい  こすっからい   あいつはひなまずるい奴だ → あいつはこずるい奴だ.

○ひばら  脇腹

○ひゃっこい  つめたい

○ぴりかめのこ  かわいい女の子  美しい娘   アイヌ語.

○ぶっこく  しでかす  する   何ぶっこいたのよ → 何をしでかしたのよ. 

○ぶっこく  言う   バカぶっこいてんじゃねえよ → 馬鹿な事言ってるんじゃないよ.

○ぶったくる  奪い取る

○ぶったたく  なぐる  ぶんなぐる

○ぶったらかす  ほおっておく

○ぶったらく  なぐる  ぶんなぐる

○ふっつく  くっつく  いい仲になる

○ふっとばす  飛ばす

○ぶっとばす  なぐる  ほおっておく 

○ふとんをひく  布団を敷く

○ぷらう  プラウ   馬に引かせる耕耘機.

○ぷらお  プラウ   馬に引かせる耕耘機.

○ふらん  煙突の内側に付いた煤  ゆえん   ストーブの火力をうんと上げると、夜には赤く燃えているふらんが煙突から出ているが見えた.

○ふんだ  そうだ

○ぺそっと  しぼんだ様子  何事もなかった様子   ぺそっとしていた → 何もなかった様子だった.

○へっころぶ  ころぶ

○ぺったらこい  平らな

○へっちゃむくれ  ブス

○へっつく  くっつく

○へっぱる  ひっぱる

○へなまずるい  ずるい  こすからい

○ほいと  乞食

○ぼう  追いはらう  あとを追う   ぼえ → おいはらえ. 

○ぼう  ぼうや   あだっつあんのぼう → 安達さんのぼうや.

○ぼうだら  棒鱈  鱈を内蔵を除去し、寒中に凍ったままからからに干したもの.

○ぼうのり  自転車の立ち乗り   サドルに腰掛けずに乗る乗り方.

○ほきだす  はきだす   梅干しのタネをほきだす.

○ほっかいしゃぶしゃぶ   羊肉のしゃぶしゃぶ

ぼっかけっこ  追いかけっこ

ぼっかける  追っかける

○ほっかぶりする  頬被りをする  知らない振りをする

○ほっき  ホッキ貝   苫小牧産が有名.

○ほっく  フォーク(農作業用)

○ほっけ  北海道で最もポピュラーな魚

○ぼっこ  棒   竹のぼっこ → 竹の棒.

○ぼっこてぶくろ  手袋の一種   5本の指に分かれておらず、親指と他の4本が一緒になり二つに分かれている形の手袋.

○ぼったくる  追い払う  奪い取る

○ほっちゃらかす  ほったらかす

○ほっちゃる  放る 

○ほっちゃれ  産卵後の鮭

○ほっつきあるく  歩き回る

○ほっぱる  ほおばる

○ほっぴき  宝引き  

○ほっぽりだす  ほうりだす

○ほっぽる  ほうりだす

○ほまち  へそくり  大切な   ほまちむすこ → 大切な息子.

○ぽりぽり  ならたけ  キノコの一種.

○ぼる  余分に取り立てる

○ほろう  はらう   頭の雪をほろう → 頭の上についた雪を払い落とす.

○ほんこ  本気   ほんこのばっち → 負けると取られるめんこ遊び.

○ほんだ  そうだ  

○ほんだら  それでは

○ぽんぽん  原動機付き自転車 

○まかす  こぼす   水をまかす → 水をこぼす.

○まかたする  採算が取れる  儲かる

○まかたにあう  採算が取れる  儲かる

○まかたにあわない  採算がとれない  損をする

○まかないをつける  身支度をする   早くまかなえ → 早く身支度しなさい.

○まきすとふ  薪ストーブ

○まきり  切り出しナイフ   アイヌ語.

○まきわり  薪割り  斧  まさかり

○まだら  真鱈  カサゴ科の魚   この卵が鱈子.

○まつかわ  鷹の羽ガレイ

○まて  手数  念入り   まてにやれ → 念入りにやりなさい. あの人はまてだ → あのひとはこまめだ.

○まてい  手数  念入り

○まどんが  まどぐわ 窓鍬 

○まぶい  美しい  かっこいい  なまらまぶい → ものすごく奇麗だ.

○まめたん  豆炭   石炭を粉砕して粉にし、直径数センチに固めた燃料.

○まめたんすとふ  豆炭用ストーブ

○み  箕   穀物をかき集めて入れる道具.

○みずだこ  蛸の一種

○みったくない  可愛くない

○みみかけ  耳当て

○むかっぱら 腹   むかっ腹を立てる → 腹を立てる.

○むぐす  漏らす   しょんべむぐしちゃった → 小便漏らしちゃった.

○むっくり  口琴   アイヌ民族の楽器の一つ.

○むる  漏る

○むんつける  むっとして黙り込む

○めっこめし  生煮えで芯のあるご飯

○めったくない  可愛くない

○めっぱ  ものもらい  めもらい

○めのこ  娘   アイヌ語.

○めろ  女

○めん  雌

○めんこ  お気に入り   花ちゃんは、パパのめんこだ.

めんこい  可愛い  小さい

○めんた  雌

○めんちょ  おでき

○めんめ  キチジ きんき   カサゴ科の魚. 赤いので道内ではお目出度い席で用いられた.今は最高級魚になった.

○めんよ  緬羊  ひつじ   羊毛をとる.

○もぐす  漏らす   しょんべもぐしちゃった → 小便漏らしちゃった.

○もちょがす  くすぐる

○もちょこい  くすぐったい

○もちょっこい  くすぐったい

○もっきり  一杯酒  盛切り酒

もっこ  担架(主に物を運ぶ)

○もみじこ  紅葉子  タラコ   主にスケソウ鱈の子. タラコ(真鱈の子)より小振.

○やち  湿地

○やっこい  やわらかい

○やっつける  やりこめる  終わらせる

○やっぱ  やっぱり  刃物  短刀

○やなぎのまえ  魚の一種

やまいちご  野苺

○やまうさぎ  野兎

○やまおやじ  ひぐま   千秋庵の煎餅の名称

○やまし  ペテン師  詐欺師

○やまべ  ヤマメ

○やまわさび  根わさび

○やる  あげる   これやるよ → これあげるよ

○やんしゅう  内地人  本州から来た人   鰊漁に本州からやって来た出稼ぎ人.

○ゆえん  煙突の内側に付いた煤  ふらん   付着し過ぎるとストーブの燃え具合が悪くなるので、時々煙突掃除をしなくてはならない.

○ゆぐい  うぐい  はや

○ゆだれ  よだれ

○ゆるくない  きつい  つらい  苦しい   生活がゆるくない → 生活が苦しい.

○ゆんべ  夕べ

○よかったです  結構です  お断りします

○よこっぱら  脇腹

○よっこする  別に取っておく  よけておく

○よっぱらかう  よっぱらう 

○よばれる  御馳走になる   ご飯をよばれる → ご飯を御馳走になる.

○らくよう  落葉松  からまつ

○らくようきのこ  唐松林に生えるキノコ   みそ汁の具にするととても旨い.

○らむしゃぶ  ラムシャブシャブ   子羊の肉のシャブシャブ.

○りやか  リヤカー

○るいべ 魚を凍らせて刺身にしたもの

○ろくたら  ろくに

○ろくったら  ろくに   ろくったらことしない → ろくな事をしない

○わさび  ゆりねわさび  葉わさび  沢わさび   山菜の一種.

○わし  私

○わっこ  輪

○わっち  私(主に女性)

○わや  滅茶苦茶  だいなし

○わやくちゃ  滅茶苦茶  だいなし   わやくちゃにされた → 駄目にされた

○わやだ  無茶苦茶だ  どうしょうもない  

○わやっこだ  無茶苦茶だ  どうしょうもない

○わるくち  悪口

○んだ  そうだ

○んまい  旨い 

《停念堂閑記》93

「日比憐休独偏記」28

 

自己責任 ?」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。大歓迎で御座いますよ。

と申しましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って、冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。

ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、寝られなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感・同感で御座いますよ。

張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

視点は、小言幸兵衛で参りますよ。

さー、ご一緒にストレス解消に励みましょう。

 

さて、本日のヒマ潰しのテーマは、“自己責任”と言うことにしますよ。

なんだか、よく分からないテーマです。

それでは、行き当たりバッタリで参りますよ。

 

今は、そんなことあったのか? 状態になっちゃったようで、話題に上ることも、すっかり少なくなってしまったようです。

フリージャーナリスト安田純平氏(44)が、シリア北部でイスラム武装組織に拘束されていましたが、この10月下旬、3年4カ月ぶりに解放された。と言うニュースが、どのマスメディアでも、極めて大きく取り上げられたことは、まだ、記憶にありますよね。小生は、すっかり記憶に無くしかけていましたが。ひょっとして、皆さんの中には、忘却してしまった方もおられるのでは? 目下は、日産のゴーン氏逮捕が、旬の話題ですからね。

日大アメフト選手の危険プレーをめぐって、毎日毎日テレビで騒いでいた時期もありましたね。話が発展して、日大の経営トッブの責任にまで及ぶ状況でしたが、はじめトップの方の感想? として、その内、マスコミも忘れてしまうから、それまでの辛抱さ、と言うような話が流されていましたが、その通り、今は、すっかり忘れさられてしまった感が御座いますな。

忘却とは、忘れ去ることなり、と言う『君の名は』の名台詞がございましたが、まさに、そのとおりで、昔から言い伝えられている「人の噂も七十五日」と言うのは、真実味が御座いますな。最近は、社会の進むテンポが、やたら速くなっていますので、一つ話題を一月もたせるのは、難しいことですなー。「人の噂も二十日足らず」くらいでしょうか。なんで、二十日かってですか。たいして深い意味は御座いませんよ。

だったら、なんで昔は、七十五日だったの?? 昔だったら、おもしろい話題は、半年はもったのではないかな。

あの森友学園加計学園の問題も、すっかり鎮火? してしまった感がございますなー。マスメディアは、着火して、炎上させる迄は、やたら威勢が良いようですが、消火時のことになると、もう、興味、面白味を感じなくなっちゃうのでしょうなー。

何時も、煽り立てておいて、結末は、と言うと、どうしちゃったのかな? と言う事態で有耶無耶の内に、忘却してしまうようですな。ひょっとして、物忘れ症候群?かな。

 

と言うことで、安田純平氏の解放の件も、マスメディアは、もうすっかりご無沙汰ぎみの状況のようですが、「停念堂閑記」では、しばしの間、思い起こして頂ければ幸甚で御座います。

ここで、注目してみたいのは、“自己責任”と言うことに付いてです。

すなわち、政府は、命に関る危険地域には、行かないように、と言う警告を発しておりましたが、安田純平氏が、政府の立場とは異なり、危険なシリア取材に入って、捕われてしまった、と言うわけですな。

幸い、命に別状なく釈放となりましたが。

この事について、湧き起こってきたのが、“自己責任”と言う論議です。

政府の立場は、危険地域には行かないようにと言うことで、どうしても行きたと言うのならば、“自己責任”でと言うことになりますよ。とまでは、言い切ったのかどうかは存じませんが、日本の世間では、このように了解されていたところがあるようですな。

判り良く言ってしまえば、政府が行かないようにと警告を出している危険地域には行ってはいけないのだ。それを知りながら、どうしても行くと言うのであれば、そのことによって、何か具合の悪い事になっても、全てその本人の責任ですよ。

そのような政府の警告をきかずに、具合の悪いことになってしまった場合には、日本国として助ける必要はないのだ。と言う了解の仕方ですな。

したがって、例えば捉えられた場合、それは自己で処理すべきだ。国が色々と交渉したり、金を支払ったりして、救助するのはおかしい、と言う了解の仕方ですな。

しかし、政府としては、常日頃、国民の生命と財産は、しっかりと守るのが国の最重要責務であると、言い切っている手前、知らぬ、存ぜぬと言う訳には行かないわけで、あらゆる手を尽くして、救出を図ることになる訳です。

このような事態に対して、政府の警告を無視した者に対して、国の費用、すなわち税金を使用するのは、まかりならぬ。と言う立場での意見があるようですな。

要するに、安田氏の行為は、ケシカラン、“自己責任”だ、と言う意見です。

一方では、危険を承知の上、命を懸けて、シリアの現地に取材に入った安田氏の行為を、英雄視する意見も出ていたようですな。

これについては、「英雄」の概念に関る問題、すなわち「英雄」とは、どう言う人であるのか、と言う共通の了解が無くてはならないと思われますな。

要するに、命懸けで危険地帯に取材に入った行為を、「英雄」の行為として了解できるか、どうかと言うことですなー。

「英雄」の条件としては、判り易くは、まさに命を懸けて危険に臨み、大いなる成果を残した場合に、「英雄」と称されてしかるべき、と言うのが一般的な評価ではなかろうか、と言う感じがしますなー。

例えば、桶狭間の戦で、相手より遥かに劣る兵力で、強大な兵力を誇っていた今川義元に臨んだ織田信長は、見事に今川軍を破る功績をあげて、世間をアッと言わせ、英雄視される評価を得ることになるのであるが、これが、圧倒的に勝る今川軍に、遥かに劣る兵力で突撃をかけて、討死して果てたと言う場合は、信長は英雄たり得たか、と言うことになると、これはどうであろう。稀有な結果を残したから、信長を英雄視する評価が生まれたのであろう。もし、討死して果てた、と言う場合には、単なる無謀なコンコン馬と評されることになった、と思われますなー。

源義経だって、鵯越の逆落としで、鹿も四つ足、馬も四つ足てんで、乗馬のまま、命を懸けて、鵯越に突入したのは良いが、逆さに落っこちちゃって、平家軍に捕われてしまったのでは、英雄視はされませんな。

やっぱり、英雄は人が出来ない、スゴイ功績を残さないとダメなのではないのでしょうか。命懸けとはいえ、ただ無鉄砲と言うのではダメでしょうなー。

安田氏の場合、政府が警告を出しているのに、無鉄砲にシリアに突入した、と見るべきか否かは、見解の分かれるところでしょうが、この事による取材記者としての功績については、どうなのでしょうか。小生の不備かも知れませんが、目下のところ、スゴイ功績となる取材の結果は、まだ、報道などを通しては、伝わって来ておりません。3年4カ月も捕われていたのですから、現地でしか判らないような事柄を知り得た可能性があるでしょうし、また、目下のところそのような事柄を公表出来ない事情にあるのかも知れません。その内、公表される日が来るかも知れませんなー。

したがって、現状で、英雄視云々について、ピリオドを打つのは、早計かもしれませんね。今後の展開を注視するより御座いませんな。

 

ところで、今回のテーマ“自己責任”と言うことに、話を戻します。

前に、幾分触れましたが、政府危険地域に入らぬようにと警告を出していた。にも関らず、危険地域に入る場合は、これは“自己責任”において、入ると言うことになるのでしょうね。“自己責任”と言うことは、入った事によって発生した事柄の責任は、全て当の本人が負うと言うことですよね。

安田氏の場合は、こんなことは百も承知の上の行動であったのでしょうね。だから、安田氏本人はじめ家族の方などは、拘束が判明した後においても、積極的にその救出を国に願い出ることは無かったのでしょうね。

アラブ武装組織の圧力によって、助けて下さいと言わされている安田氏のビデオが公表されましたが、あれは、安田氏自発的な行為ではなく、武装組織側の思惑で公表されたものなのでしょう。

としますと、安田氏の行動は、あくまでも同氏の“自己責任”で行われた事なのでしょうね。

通常、一般に我々は、日常、色々な行動をとりますが、この行動は、言ってしまえば全て“自己責任”においてやっていることですよね。仮令、誰かに頼まれてやった事であっても、やったのがその本人であれば、その本人が責任から逃れるのは難しいですよね。

例えば、その行為が違法であった場合は、当然、その責任が問われることになりますなー。法律違反者、犯罪者としてね。

これが、安田氏の場合は、政府の警告、いわば指導に従わなかっただけで、違法行為を仕出かしたと言うことには、ならないのでしょうね。

解放されて帰国して後、マスコミ会見が行われ、その際に、安田氏は、各方面にお世話をお掛けした、と言う謝意の弁がございましたね。

まー、日本の慣例としては、このような場合には、このようにすると言うのが、一般的な仕方なのでしょうな。

この会見後に、「政府と国民に迷惑をかけた」と安田さんを批判する声が「自己 責任論」として、メディアを騒がせることになったようですな。

安田氏は、“自己責任”の範囲で活動していたでしょうね。その責任を政府や国民に持って行こうなんて、さらさら思ってはいなかったでしょうね。

自己責任”のもとで、危険なシリアに入って、事態を目の当たりにして取材して、それを広く世間に知らしめよう、と言う記者としての職業意識を燃やしていたのでしょうな。

ところが、一方、政府としては、国としての立場があるから、その立場からの活動をすることになりますわなー。

政府としては、警告を出しているのであるから、“自己責任”でやってくれ、私は知らねーよ、とは行きませんよね。

この安田氏政府の間の溝は、仕方の無い事と言う他ないでしょうな。それぞれ立場が違っていますから、この溝は埋まらないでしょう。

国民については、これまた、それぞれの判断が異なることでしょうなー。

安田氏が、“自己責任”で何をしようが、最初から深い関心を持っていた人は、少ないでしょうね。国民の殆どは、最初は、自分とは何の関係もないことでしたでしょうから、無関係と言う立場でしたでしょうな。

安田氏が、拘束されたと言うニュースに接して、初めて事態を知って、その時、それぞれが何かを感じたり、思ったりはしたでしょうね。

政府の警告を無視したけしからんヤツだ、と思った人もいたかも知れませんし、また命を危険に晒して迄、現地の事態を知らせようとした、勇気のあるヤツだ、と思った人もいたかも知れませんね。

政府は、よくは存じませんが、厄介な事になったな、と思ったでしょうな。しかし、警告を発していたのだから、直接、政府への不満が湧き出るとは思わなかったでしょうな。けれども、国民を救わなければならない、と言う国としての責任を果たさなければならない事態になったことは、確かでしょうな。これは、かなり難儀なことに属する事であったでしょうな。政府は、色々なルートを通じて、解決の道を探ったことでしょうな。結局のところは、カタールトルコの協力を得て、漸く安田氏の解放にこぎ着けたようですな。交渉の内容は、全く公表されませんでしたが、安倍総理両国向けの感謝の挨拶をしておりましたね。

小市民の気掛かりなのは、やはり解放金についてですかね。このあたりがどのようであったのかは、一向に判りませんな。しかし、全くただで解放してくれたとは、中々考え難いところが御座いますな。

政府が直接支払ったのか、或は、当面の措置として、カタール政府に肩代わりしてもらったのか、推測は色々あるようですが、真相は明るみに出てはきませんな。

 

とにかく、無事に帰国出来て、よかったですな。

政府の警告とそれに従えない“自己責任”による行為をどのように評価するのかについては、色々と難しい側面がありますな。

自己責任”と言っても、本当に自己で取れる性格のものもありますが、“自己責任”と言いつつも、自己でとれる範囲を超える性格のものもありますので、難しいものですな。

 

今回は、まったく笑いの無い話に終始してしまいました。この責任をどうするか、と言いますと、こんな駄文については、責任云々を問題する価値がない、と言うところでしょうかね。

一つ言えることは、本人にとって、ヒマ潰しにはなりましたよ。

目的達成です。

お付合い下さったお方は、とんだ肩すかしで、申し訳ございませんが、こんなことは、日常よくある事ですので、ご海容のほどをお願い致します。

 

お疲れ様でございました。

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》92

「日比憐休独偏記」27

 

「嗚呼! 消費税・・・」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。大歓迎で御座いますよ。

と申しましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って、冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。

序でに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、ご安心下さいませ。

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、寝られなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感・同感で御座いますよ。

張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

視点は、小言幸兵衛で参りますよ。もー、愚痴ばっかし。

さー、ご一緒にストレス解消に励みましょう。

 

さて、本日のヒマ潰しは、消費税についてですよ。

小言幸兵衛で参りますよ。

以前、異変が起きて、嘗ての民主党政権が転がり込んだことが御座いましたね。

この際に、総理大臣を多産しようとしたのですかね。めったに無い機会でしたからねー。鳩山、管そして野田と、ちょっとの間に、3人もの総理をつくり出しましたよね。代を重ねはしましたが、どれも、凄まじく酷かったですねー。

この3代目の野田さんとおっしゃる方が、今回取り上げる消費税と言うテーマに関して、小言を喰らう張本人ですね。

この方、どんな方なのでしょうかね。松下塾で修行された、一人とか。

総理の座についた時に、“どじょう”のような存在でありたい、などと意味不明のことを言い放っていましたよね。

そもそも“どじょう”なんて言うものは、具合が悪くなると、泥の中に潜り込んで身を隠して、じっとしている存在で、ほとぼりが覚めると、密かに姿を現し、再び餌を漁ると言う行動の持ち主ですよ。このような政治家になりたいと言うのですから、まさに当世風の典型的な政治家と称されるべき人なのでしょかね。

後、蓮坊氏が党首となった時、野田氏がたしか幹事長となったように記憶していますが、この時に、ハスの花 = 蓮華を咲かせるためと言う事なのでしょうかね。泥中の蓮根のような存在になりたい、と言うようなことを口走っていたように記憶していますが。この方、よほど泥中に潜る存在が好きのようですね。

総理の時に、泥中からひょっこり姿を現して、いきなりやったのが、消費税率を思い切って引き上げると言うことでしたよ。

民主党は、選挙公約、当時民主党お得意のマニフェクトで、税金はあげないと、言い切って票集めをしたのですよ。この公約をチャラと裏切り、消費税5%のところを当面8%に、すぐ後に10%に引き上げることにしたのですよ。

国民は、見事にペテンに引っ掛かったと言うか、詐欺師にやられちゃったと言うか、コロリと騙されましたね。

普通は、人を騙すと、警察に捕まりますよ。

これが、国会議員と称される人々は、いくらウソをついても、捕まらないのですから、不思議ですねー。

このような政治家?の出現は、まさに、代表民主制の限界をまざまざと、見せしめるもので、もはや日本における代表民主制は、なんら機能しないものになってしまっていることを、実感しない訳には行きませんなー。

大騒ぎをして、選挙などしてみたとて、選ばれた国会議員と称される人が、なんら国民の代表としての機能を持たないのですから、もはや何をか言わんやと言う状況に陥ってしまった状況が到来してしまった感がしますよ。

次の選挙では、国民の仕返しに遭って、民主党は見事無惨な負けっぷりでした。が、しかし、これが野党不在の幕開けになりましたね。この後の野党は、惨めな存在となりましたよ。

自民党の一人舞台が出現しました。これがまた、国民の不幸を助長させる結果となりましたね。国民の多くが、このような選択をした結果ですから、致し方なしなのでしょうが・・・・・・。嗚呼!

とにかく、国会自民党政府の独壇場となり、野党は小規模な分裂をくり返すのみの存在と化し、時々、総理のスキャンダラスな話題を拾い上げて、自民党政府の足を引っ張ろうと、試みはするものの、空しい結果をくり返すだけ、と言う状況となってしまった現状では御座いますまいか。

国民は、自民党政府のやり方に満足をしている訳では無いのでしょうが、自民党に代わる、はたまた代わるまでは出来ないながら、接戦に持ち込めるような力のある野党が存在しないために、いくら選挙をくり返しても、現状が維持されるだけの、なんとも物悲しい代表民主制の日本と成り下がったと言う訳でしょうな。

と言うような状況では無かろうかと言う観測もあるようですが、このような状況でこれ幸いと続いているのが安倍政権と言う事なのでしょうね。

自民党竹下内閣の1988年12月に、消費税法が成立し、翌年4月から3%の消費税が施行されましたね。

その後、村山内閣の時、1994年11月に消費税率を3%から4%に引き上げ、さらに地方消費税1%を加える税制改革関連法が成立しましたよ。

翌年4月橋本内閣の時、消費税率が5%に引き上げられ、その後、野田内閣の時、2012年8月消費税率を2014年に8%、翌15年に10%に引き上げる法案を成立させましたね。

これを受けて、安倍内閣は、2014年4月から消費税率を8%に引き上げましたが、同年11月に、2015年10月の10%への引き上げを1年半延期する事を決めましたな。さらに、2016年6月に、2017年4月からの税率引き上げを2019年10月迄2年半延期することにしましたね。

そして、2018年10月に、2019年10月に税率を10%に引き上げる方針を表明し、加えて、軽減税率を導入し、食品(外食・酒類を除く)は現行の8%の税率を維持することを表明し、現在に至っていますよ。

ここで、非常に不快を感じるのは、安倍政権における二度の税率引上げの延期と、10%への引上げと抱合わせで出して来た軽減税率についてですよ。

まず、公言した10%への引上げの約束を二度にわたって延期したのが、不純に感じられると言うことです。

そもそも消費税率の引上げの目的は、まずは、この事による増税分で、社会福祉を充実させるのだと、安倍内閣は公言し、国民と約束を取り交わした筈です。この社会福祉の改善が何ら進展していない状況で、10%への引上げを二度も先延ばししたのです。

社会福祉改善のための財源が消費税の引上げを行わなくとも目鼻がついたので、取り敢えず、10%への引上げを先延ばししたい、と言う事情であるのならば、それはそれで納得が行く訳ですが、社会福祉改善は何ら進展を見せていない状況において、その財源として必要な消費税の引上げを何故延期するのか、と言う事です。

判り易い構図ですね。社会福祉改善は先に延ばす、その財源たる消費税の引き上げも先延ばしする。

要は、社会福祉改善は、当面やらない、と言うことですな。8%に引き上げたくせに。

なんじゃコレ、ですなー。

事情は明白ですよ。ここで、消費税を引き上げては、来る次回の国政選挙で、政府与党の得票に悪影響がでるのでは、これでは塩梅良くないなー、と言う心配をしているのですよ。

要するに、党利党略私利私欲の選挙対策に、耳触りの良い、税率引き上げ延期を使った、と言う事だけなのですよ。

選挙前には、与党は必ずと言って良いほど、庶民に耳触りの良い言葉を投げ掛けますなー。突然、バラマキ政策をとりだしますなー。

このような国会議員と称されている人々の手法は、とーに判っていながら、消費税率の引上げが若干先に延ばされたと喜ぶのが、庶民のイジマシイところと言うべきでしょかね。福祉政策の改善も先延ばしになったのですよ。

与党のこの耳触りの良い言葉に、ついつい引っ張られて、国政選挙の際に、消費税率の引上げ延期を叫んでいる候補者の名前をついつい書いて仕舞い勝ちなのではないのでしょうか。

今回は、さすがに、10%引き上げの延期を言い出すことは、できなかったのでしょうな。3回続けてはねー。いくらウソをつく事には慣れている政府とは言え、オオカミ少年になる事だけは、避けたかったのでしょうね。信用下向の傾向が、もはや手の着けられない状況となる事は、さすがに言い出せない状況なのでしょうね。

そこで、代わって、軽減税率なるものを持ち出してきましたなー。姑息な手を考え出したようですなー。

言うまでもなく、消費税10%を全商品に対して、まるまる引き上げると言うのではなく、売買される品物によって、8%の税率をそのまま据え置くと言う事のようですな。

また別に、買物に際して、ポイントなるものを付けて、そのポイントを後日、買物の時に利用できるようにする、とか言うことのようですな。ポイントによるオマケを付けようと言うのでしょうが、それに関る経費を誰が負担するのでしょうかね。

ポイント運用の詳細については、まだ決まっていないようですが、果たして、小規模商店の集客・売上げ向上に繋がるのでしょうかね。

大きな規模の企業にとっては、ポイントの付与によって集客・売上げ向上の効果があるのかも知れませんが、小規模なお店屋さんで、ポイントを付けるからと言ったところで、どれほどの効果が期待されるのでしょうかね。

ポイントを付ける営業を始めるには、それなりの設備と手間隙を要しますが、小さなお店屋さんにとっては、煩わしい事ではないのでしょうかね。このような設備の経費は、各小規模店の負担に押しつけてしまうのですかね。

また、その設備に際して、お得意のバラマキで、国から補助金支給するなどと言い出すのではないでしょうね。金満家のお国さんが、存在しているとお思いなのですかね。早い話が、国民にツケが回って来るだけではございませんか。

基本は、社会福祉改善の財源を確保するために、消費税を引き上げると言うことのようですが、何故かその方向とは逆行する軽減税率を導入すると言うのですよ。社会福祉改善のための財源確保に、消費税を上げるのか、上げないのか、と言う基礎のところが、うやむやにされているのですよ。

片方で上げて、財源を多くするための政策を進め、一方で、それに逆の対策を並行させようと言うのだから、実に、国民を小馬鹿にしたことをやろうと言うのですよ。

なんの為に、と言うと、バラマキで、消費税率引上げから国民の目を反らそうと言う企みです。何時もの例で、選挙前に消費税の引上げを行ったら、得票に響く、だから国民には耳触りの良い事を聞かせなくてはならない。そのために、軽減税率の導入と言うことを言い出したことは、明白です。国民は、この手の耳触りの良い話は、嫌いではありませんなー。と言うか大好きですなー。

てな訳で、また、政府与党は、消費税に拘わる事柄を利用して、党利党略をやろうとしている事は、明々白々ですなー。

結局は、国民はこれに載っけられて、選挙の時には、またまた誰とかさんの名前を書く事になるわけですよ。

この軽減税率と言うのが、どのような制度に落ち着くのかはまだ判りませんが、

なかなか楽しめる内容が含まれているようですよ。

例えば、スーパーでオニギリを購入する場合、店内で食べる場合は、10%の消費税が掛かるのだそうです。

ところが、これをスーパーの店内で食べずに、持ち帰る場合の税率は、8%で良い、と言う事らしいのです。

サー、一個100円のオニギリを買う事に致しましょう。

オニギリ1個を籠に入れて、レジにやってきましたよ。

レジ係のパートのお姉さんから、お持ち帰りですか、店内で食べるのですか、といちいち尋ねられますよ。

勿論、税率の低い8%で、持ち帰りますよ。といきますわなー。

持帰りオニギリ1個、定価100円也。消費税8円也。都合108円をレジで清算しましたよ。

このことによって、オニギリは、買った人の物となりましたよ。

人間なんざー、言っちゃなんですが、直に気変わりするところがありますよ。誰しも心当りあるでしょー。あの時は、そー思ったのよ。ウソではないよ。なんてね。

持ち帰るつもりで、消費税8%で買ったオニギリ。これがさ、これが支払いを済ませて、自分の物になったら、突然、食いたくなっちゃう場合があるのですよ。腹減ったー。もー我慢できねー。てんで、店内でパクリとやっちゃったのですよ。

さー、この事態が、どう展開するかで、テレビのワイドショーは、三、四日こうした事態の話題で、盛り上がっていましたよ。

その筋の専門家と称される方をお招きして、あれこれ詮索してましたなー。

このような事態に直面すると、店内で食べちゃったのだから、10%の消費税を払わないのはおかしい。レジに戻って10%にして、清算し直して貰わなければならないのか、などと思い勝ちの方が多いのですかね。

この話題で、三、四日もたせたワイドショーはスゴイですね。

いちいち清算し直さなければならない、なんて言うバカバカしい事は御座いませんよ。

一度、正規の清算を済ませているのだから、この売買は、ここで完了しているのですよ。

このオニギリは、購入者の所有となりました。

代価と消費税を支払って、自分の物にしたオニギリですよ。後は、どこで食べようと大きなお世話と言うものですよ。

ところが、清算の時に、持帰りの場合は8%、店内飲食の場合は10%と言う、シバリが行われていたら、どうなります。

支払い時における課税方法については判りますが、ここで8%の税率で買ったオニギリを、同店舗内で食べてはいけない、と言う論理が国家の法として導入出来得るのですかね。お店屋さんが、店内の飲食を規制するのは有りでしょうが、国家権力が、8%で買ったオニギリを店内で食べては行けないと、そこまで入り込めるのでしょうか?

要するに、個人所有のオニギリの食べる場所まで、国の法律で規制できるのか、ちゅーことですよ。

建物の所有者が、その建物の中で飲食を規制する事は可能でしょうが、国家が個人所有のオニギリを食べる場所についてまで踏み込んだ法律を作れるのか、ちゅう疑問ですよ。

例えばですよ。屁理屈ですよ。例えば、決めごとが大好きな一家が御座いましてね。食事の前にお菓子を食べてはダメよ。と言う決めごとを作っていたとしますよ。

ところが、5歳のタケちゃんが、この掟を破って、食前にケーキをパクリとやっちゃったのですよ。

この事態に及んで、国家権力が発動されて、家法に違反したケンちゃんを犯罪者として捕らえ、少年院、幼児院?に送ることができるのか。ちゅーことですよ。

国の決まりとして、持帰りのオニギリには消費税8%を課する。店内で食するオニギリには消費税10%を課する、とする法律を作ることは可能でしょう。

しかし、8%で買ったオニギリを店内で食べてはいけない、と言う法律を作れるのか、と言う話ですよ。

店内で飲食してはならないとする営業をしていたお店屋さんが、消費税8%オニギリを、店内でぱくついちゃった人を見つけた時に、これは当店の取決めに違反しているとして110番したら、ピーポー、ビーポーと、お巡りさんが飛んで来るか。ちゅー話ですよ。

このような事を前提として、消費税8%、10%の区別をして、営業せよ。なんと言うことが決められたら・・・・・。

もし、事ここに及んだとしたならば、基本的人権を保証している憲法が、涙を流して、笑っちゃいはしませんか? ちゅうことですよ。

ダメ押しっす。

さてさて、買ったばかりの消費税8%のタラコオニギリを、店内でパクツイタお兄ちゃんがいたら、その運命は、果たしてどうなるのでしょうか。

このお兄ちゃん、何とも不運だったのですよ。レジで、このお兄ちゃんの後ろに並んでいたのが、誰もが知っている並外れた正義漢だったのですよ。

コトの展開を見ていたこの正義漢は、なんと、これは違法だと、直ちに110番しちゃったのですよ。

ピーポー、ピーポーとパトカーでお巡りさんが現場に駆けつけることになりますわなー。警視庁も多忙になりますよ。きっと。

現場には、8%タラコオニギリを咥えたお兄ちゃんが、正義漢に取り押さえられて、半噛みのオニギリを飲み込めず、ノドに閊えさせて、目を白黒させているではないですか。

ビックリしたのは、お巡りさん。このケースは初めてだぞ。どうしたもんだ。

しかし、職業柄、違法者ありの通報を無視するわけには行かない。違法者を野放しにするわけにはいかないぞ。となるのですよ。

しかし、そこで、お巡りさん、ハット重要な事に気がつきますわなー。

この8%タラコオニギリをノドに閊えさせて、目を白黒させているお兄ちゃんは、どのような違法行為を犯したのか、と言うことですわ。

取り敢えずは、人命救助が先であろう、と言うことで、8%タラコオニギリをノドに閊えさせて目を白黒させているお兄ちゃんの背中をポンポンと叩いたのですわ。

良かったですなー。このハズミで、半噛みオニギリが、ポンと吐き出されたのですよ。

さー、ヤヤッコしくなってしまいましたよ。

はたして、このお兄ちゃんは、オニギリを食べたことになるのか、否か。

食べると言う行為は、ゴックンと飲み込んで食物が胃に到着したことにより、その行為が完了するわけですから、その途中で吐き出してしまった、と言うことは、食べたと言う行為が成立していないのではないのか。

と言うことは、未遂か?

はたまた、取り敢えず、脱税未遂と言うことで処理できるのか?  なんと脱税額¥2也。

また、8%オニギリ店内飲食禁止法違反と言うことになるのか???

これは、消費税法とは別に、こんな法律できていればの話だなー。

立法府のお偉い先生方も、コレまでの事態を予測出来ているのかな???

後で、“想定外”なんて言い出してはいけませんよ。

持帰り8%、店内飲食10%と言う軽減税率を導入すると言うのならば、かなりの混乱を覚悟しなくてはならないようですよ。

なんだか、テレビのワイドショーに、似て来てしまったなー。

またまた、事件発生。例の正義漢からの110番です。

ピーポー、ピーポーとパトカーでお巡りさんが現場に駆けつけることになりますわなー。

現場では、ナントなんと、例のタケちゃんが、口をあんぐりと開けさせられ、例の正義漢が、指を突っ込んでいるでは御座いませんか。

事情は、お母さんの買物に、スーパーにくっついてきた例のタケちゃん

因に、例のと言うのは、このタケちゃん、以前、1円玉を二個拾ったと言って、交番に届けて来たことがあったのですよ。

お巡りさんは、弱ったね。と言うのは、例の正義漢がすぐ近くにいて、この事態をお巡りさんがどう処理するのかと、スマホを構えているのですよ。ヘマすると、SNS炎上しますよ。

仕方なく、通常の対応で行くことになりましたよ。調書の作成です。

「お名前を、教えて下さい。」

丁寧に出ましたよ。総理も事あるごとに、丁寧を連発してますからね。万事、丁寧が肝心なのですよ。

さて、「お名前は?」

タケちゃん だよ。”

「何 タケちゃん ですか?」

タケちゃんは タケちゃん。”

弱ったね、これは。しゃーねーな。拾得者名は、タケちゃん と。

「住所は、どこですか?」

“じゅうしょ って、なーに。”

「住所とは、住んでいるところですよ。」

“住んでいる所 ? 住んでいるところは おうち だよ”

「おうちは、どこですか?」

“向こうだよ”

そーきたか。しょうがねーなー。住所は、向こうの家としておくか。

「お金どこで、拾ったのですか?」

“あっち だよ。”

おっと。あっち、と来なすったか。拾得場所は、あっち、と。

「何時拾ったのですか?」

“さっき だよ。”

拾得時刻は、さっき、と。

やれやれと。こりゃーへんちくりんな調書となっちまったぞ。まいったねー。どうも。

“ネー お巡りさん。お金拾って、落した人が名乗り出なかったら、拾ったひとが貰えるんだよねー。”

「そーですよ。その時には、ハガキで連絡しますからね。受け取りに来てくださいよ。」

2円の受け渡しに、62円のハガキを使うことになるな。税金の無駄遣いだと、国民から苦情が来ねーか。

“お巡りさん。期待してるよ。”

参ったね。こりゃー。

「その時には、連絡しますからね。」

とは言え、住所がね。向こうの家で届くかねー。参ったね。どーも。

“楽しみだねー。お巡りさん。”

てな事を言っているところに、何と、

‘2円落しちゃったのー’と、落とし主のゴンちゃんが現れたのですよ。

お巡りさんは、ほっとしましたね。これで、決着つくな。

まずは、調書だな。

「お名前は?」

‘ゴンちゃん だよ。’

「何 ゴンちゃん ですか?」

‘ゴンちゃんは、ゴンちゃんだよ。’

弱ったね、これは。しゃーねーな。遺失者名は、ゴンちゃん と。

「住所は、どこですか?」

‘じゅうしょ って、なーに。’

「住所とは、住んでいるところですよ。」

‘住んでいる所? 住んでいるところは おうち だよ。’

「おうち どこですか?」

‘向こうだよ。’

そーきたか。しょうがねーなー。住所は、向こうの家としておくか。

「お金どこで、落したのですか?」

‘あっち だよ。’

あっち、と来なすったか。遺失場所は、あっち、と。

「何時落したのですか?」

‘さっき だよ。’

遺失時刻は、さっき、と。

話の内容は一致しているなー。ビッタンコだ。間違いネーな。

「ところで、二人は知合いですか?」

‘知ってるよ。兄弟だもんな。’

おいおい、兄弟かよ。話が合いすぎると思ったよ。まったく。

“あーあー、兄ちゃんが名乗り出ちゃったから、2円貰い損ねちゃった。2円損しちゃったなー。なんとかならないかねー。お巡りさん。”

なんとかと言われてもねー。遺失物を拾って警察へ届けた場合は、拾った額の5~20%以内の謝礼が貰える事になってはいるけどねー。額が、2円だろう。どうにもならねーな。

“ねー、ねー。お巡りさん。大岡政談の三方一両損の話、知ってるー?”

「それっくれーは、知ってますよ。」

“知ってるのなら、話がはえーや。その辺りのヒントで、何とか、なりませんかねー。”

おいおい、妙な言いがかりをつけて来たねー。まったく。仕方がネーな。

「お巡りさんが、2円あげるから、とっとと、けーりな。」

これでは、三方にならねーな。単なる一方、2円損だよ。

タケちゃんとお巡りさんには、先日、このような経緯があったのですよ。

この例のタケちゃんが、目下、例の正義漢に、口に指を突っ込まれて、捉えられているのですよ。

事情は、タケちゃんはお母さんの買物にくっついてきて、おねだりして、大好きなチョコを買って貰ったのですよ。お母さんは、家に帰ってから食べさせるつもりで、8%の消費税で買ったのでした。ところが、我慢出来なかったタケちゃんは、こっそり店内でチョコを一欠片ほうばってしまったのですよ。

例の正義漢が、これを見逃すわけが御座いませんよ。

8%チョコを店内飲食した証拠を無くしてはと、タケちゃんの口に指を突っ込んで、チョコを押さえ、すかさず110番したのですよ。

日本の警察は実に優秀ですねー。すぐさま、ピーポー、ピーポーとやってきましたよ。

さー、ポリスマン。どう対処します。

購入者のお母さんが、8%チョコを店内で食べた訳では御座いませんよ。口にほうばったのは、未成年のタケちゃんです。まだ、飲み込んではいませんよ。

どうなります。

この事件は、チョコの消費税の問題では御座いません。8%で購入した後に発生した8%チョコの店内飲食に関る刑事事件であります。

結論、そもそも軽減税率などと言う姑息な対策を考えた政府によって引き起こされた事件であります。

今度の消費税10%の引き上げによる増収分は、社会福祉に約半分が充てられ、残りの半分は、国の借金の穴埋めに充てられるとか。

早い話が、歴代政府によって形成された莫大な国の借金の当面の穴埋めのために、消費税が引き上げられたのですよ。国民には、社会福祉を改善するから、などと耳触りの良い事を言い聞かせながら、自分等の作った莫大な借金の穴埋めに四苦八苦しているのが、政府の実情のようですなー。

しかし、消費税率を引き上げて、借金の穴埋めにしようとする傍ら、毎年大型予算をどんと組んで、更なる借金を増大させることに余念がないのだから、何をやろーとしているのか、さっぱり見当がつきませんなー。もー、何をか言わんやと言うことにも、疲れましたなー。

大型予算を組んで、あちこちにバラまかないと、選挙の得票が得られないからね。得票獲得のためには、大型予算が欠かせないのでしょうな。その穴埋めのために、結局は、国民に、せっせと税金を支払わせる、と言う事ですわ。

とにかく、このような事をくり返しているのは、国会議員と呼ばれている人々であって、当の国会議員と呼ばれている人を、選挙で選出し続けているのが、国民の大半なのですから、何とも言いようが御座いませんなー。

 

日本は、国民国家だそうですから、言うまでもなく国家運営の主体は、国民ですよね。国家運営には、それ相当の経費が必要であり、国民はそれを負担しなくてはなりませんな。そんな事は、国民誰しも知っていますよね。

とは言え、時に、お国さんと言う大金持ちが存在していて、このお国さんにお願いすれば、必要経費が出て来るのでは、と勘違いしている人が居やしませんか、と思われる節を感じられたりしませんか。

このお国さんと言う存在は、代表民主制ですから、時の政府と言う事情になっちゃうわけですなー。

と言うことで、国家権力を代行する時の政府は、金満家を装って、党利党略のために、国民から掻集めた税金をジャブジャブ遣っていやーしませんか。ちゅーのですよ。

 

基本的には、国税の根本の部分を改革せず、小手先の消費税をはじめ相続税酒税、タバコ税などに代表されるような、いじり易い目先の手っ取り早く取れそうな税をどうのこうのと、小手先の姑息な安易な方法を弄くり回す、と言う手法に明け暮れてはいませんか。国会議員と称されている方々の、第一にしなければならない最も大事な活動は、国家運営の経費をどのようにして確保し、それをどのように使うか、と言うことですよ。

特に、国政選挙の前には、小手先の税制改革をはじめ、バラマキ政策で、票集めに奔走してはいませんか。

耳触りの良いことに、国民は間違いなく惑わされますなー。

基本的には、どう言う事かと言いますと、国民の多くは、惑わされていると言うことは、実感していますよ。又か、と思いながらもね。

しかし、将来を見据えた政策が、きちんと実行されない現実だ、と言うことも実感しているのですよ。

だから、社会福祉の改善のために、財源が必要なことも、実感しているのですよ。そのための増税が、止むを得ないことも実感しているのですよ。

だけれども、増税が実施されれば、社会福祉改善が実施されると言う事は、別問題だと言うことをも、実感しているのですよ。

増税の結果、社会福祉改善が実施されると言う事は、なんの保証もないのですよ。これまで、騙され続けていますからね。

この状況下で、小市民は、軽減税率で、幾分でも家計の支出が少なくなれば、と言う選択をする事となるのですよ。ある意味、仕方の無いことですね。

 

訳の判らない、軽減税率なんて導入するより、そもそも消費税そのものの本質論をキッチリやって、消費税こそ、国家運営の財源として相応しいものである、と言う結論を得てから、消費税を徴収する、と言うことにして貰いたいものですなー。

外国で、消費税的なものをやっていて、それは、日本の現行税率より、余程高いものである、などと言う屁理屈を並べてはいけませんよ。そのような国と、日本国の成立基盤が、全然違うのですから、只只、税率の比べっこをしたのでは、なんの意味もないのですよ。

消費税は、只只、取り易い方法だからに他ならないからでしょう。

基礎となる部分をシッカリと形成して欲しいものです。

ノーベル賞の受賞者が、皆さん、口を揃えて、言っているでしょう。

「基礎が大事なのだ。」と。

国会議員と呼ばれている方々の基礎は、なんちゅったって、「選挙対策ですよ。」でしょうなー。

速報? で御座います。

突然で恐縮で御座います。なにせ、行き当たりバッタリの話なもので、ご容赦くださいませ。

皆さん。「妊婦加算」と言うのをご存知でしたか。

今朝、テレビで取り上げられておりまして、小生も初めて知りました。

概略は、妊婦さんが病院にかかった場合、一般の料金に、「妊婦加算」と称して、料金が加算されると言うのです。

妊婦さんは、眼科にかかろうが、皮膚科にかかろうが、内科にかかろうが、とにかく、いちいち「妊婦加算」と言う名目で、料金を加算されるのだそうです。

妊婦さんを診療する場合は、使ってはならない薬があったり、してはならない手法があったりと、お医者さんにとって、なかなか面倒なことがあるのだそうです。面倒と言う表現が適切か否か心配されますが、兎に角、一般診療より専門的な医療知識や技術が必要となるのだそうです。その引き当てに「妊婦加算」と言うことがなされることになったとか。今年の4月から実施されているとの事です。

“おや!” とお感じにはなられませんか。

政府が、いつも大声を張り上げている少子化対策に照らして、“おや!”では御座いませんか。

妊婦さん、減額と言うのなら、判りますよ。

テレビ局が、厚生省に問い合わせたら、妊婦さんには、他の面で色々と高待遇をしております。と言うような趣旨の回答があったとか。

そして、この加算された料金は、国庫に入るのではかく、病院のものとなるのだそうです。早い話が、お医者さん側の収入となるのです。

こんな制度が、出来ていたとは、お釈迦様でも、ビックリでしょうなー。

制度を作ったのは、言うまでもなく、国民の大多数の方から選出された与党国会議員と呼ばれている先生?たちですよ。

おそらく、医師会からの要望に応えてのことでしょうね。要するに、票集めの選挙対策という視点から考え出されたことでしょうね。

とにかく、政策の方向が定まっておりませんな。目先の利益になる事は、やることが素早いですなー。

 

もはや、代表民主制の限界ですかねー。

ボヤイてみても、他に取って代わる方法が中々ね・・・。

基礎、基本は、やっぱり人作りと言うことなのでしょうなー。

人作りの中心となる方々の奮戦を期待するばかりですなー。

親御さん、教育の場で先生と呼ばれる方々、頼みますよ。

確かな人を選出できる国民を育てなくては、何時までたっても、只只、多額の経費を注ぎ込んで、何回選挙をくり返しても、さっぱり良くはなりませんなー。

 

日本の税制度の詳細など、良くは知りませんなー。

制度の全体像が、今一ハッキリ見えませんな。基本体系が、また、各部門が、どのようになっているのか。また、その現実の収支がどのようになっているのか。

どのような税金が設定されているのか。その現状の収支がどのようになっているのか。詳しくは、知りませんなー。

さらに、国家財政の現状が、どのようになっているのか。判らないことだらけですなー。

池上さんに、判り易く、詳細を解説して貰いましょうか。

分かり切った事を、繰り返し、繰り返し、クドクドと書き並べて、恐縮至極で御座います。

誰に頼まれたのでもなく、好き勝手にやっている事とは言え、小言幸兵衛も、好い加減、疲れますなー。

ともあれ、幾分のヒマ潰しにはなりました。

どうも、お付合い下さいまして、有り難う御座います。

懲りずに、またの機会をお待ち致しております。

 

お後がよろしいようで

《停念堂閑記》91

「日比憐休独偏記」26

 

「真のホシを挙げろ ? 」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

連日の猛暑の中、本当に、よくいらっしゃいましたね。大歓迎で御座いますよ。

と申しましても、高価な美味しい物でおもてなしをするわけでも、肩をお揉みするわけでも、温泉に入って、冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますれば、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心より心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、良いのですよ。

夜、寝られなくなったりしませんからね。もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。なんとか、ヒマと言うものをですね、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のないことを交えたりしましてね。

これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感・同感で御座います。

張り切って、手間隙を惜しまず、手間隙をかけましょう。

 

さて、本日も、アホくさい、バカバカしい、クダラない話を、大真面目に取り組むことにしますよ。万事、真面目が大切です。

ところが、真面目が入ると、たちどころに、面白味が減退してしまうのですよ。さーっと、引いてしまいますよ。

したがって、ちっとも、面白くなくなってしまうのですよ。

私の方と致しましては、面白くなくても、一向にかまいはしないのですが。

お付合い下さる方にはねー。やんなっちゃいますでしょー。

しかし、世の中、面白い事ばかりでは、つまらないのですよ。

人間ツァー、勝手なものでしてね。面白い事ばかり続くと、ちょっと、面白くねぇーな。なんて感じたりするものなのですよ。

面白くないことの中に、面白いことが生ずると、これが、とっても、面白く感じられるのですよ。なんか、得しちゃった気がしたりしましてね。

面白いところに、面白いことがやって来ても、またかー、なんて感じたりするわけですよ。慣れっこになって、だれて来ますから。

だから、私は、思いっきり面白くない方の担当と言うことで、やらせて頂いているので御座いますよ。まー、人助けの一つとでも言いましょうかね。世のため、人のためですよ。慈善事業ですよ。

アホ抜かせって、ですか。

ですから、面白くなくても、私の方は、一向にかまわないのですよ。

要は、ヒマ潰しが出来れば、もー、大満足なのですから。

ところで、あのー、ですね。真面目な話、と前置きして、真面目な話をする人は、殆どおりませんよ。皆無と言って、いいですよ。

ただし、私を除いてはね。ホント。真面目な話。マジで。

皆様、どなたもご承知のとおり、正直な話と前置きして、本当に正直な話をなさる方は、殆どおりませんでしょ。

ウソは言っておりません。と力説される方で、ウソをつかない方は、めったにおりませんよ。私を除いてはね。ホント。

これは、正直な話、ウソでは御座いませんよ。ホント。ホント。マジで。

全く知りません。一切関係しておりません。絶対に、そのような事はありません。なんて言う人、よくテレビに出ていますよね。

あれは、ウソですよ、と言う別表現ですから。

一命を懸けて、とか、全身全霊で、なんて、いとも手軽におっしゃられる方をお見かけ致しますが、そう言う人に限って、ほとんど当てになるものでは御座いませんよ。

全く、とか、一切、とか、絶対に、とかを好んで使う場合は、単にその場凌ぎの弁解にすぎませんよ。全く、一切、絶対などには、全く、一切、絶対に心が込められておりませんから。

「一命を懸けて」、なんと言って、本当に一命を掛けた方など、ついぞお会いした事は、御座いませんよ。

その場を凌げれば、後は野となれ山となれ、はたまた水溜りとなれ、池となれ、沼となれ、湖となれ、海となれ、と言うのが現実ですよ。何でも、並べれば良いと言うものでは御座いませんが。事は、ついでですから。悪しからず。

ついつい、すっかり、真面目な話に陥ってしまいました。

これでもね。わたしゃー、世間では、真面目で通っているので御座いますよ。嘘ついた事など御座いませんから。

嘘吐きは、ドロボーの始まりと言われますから、嘘をついたら、末はドロボーになるしか手が御座いませんから。

嘘ばっかりついている政治家と言われている連中の行く末は、やっぱり・・・になるよりないのかね・・・?

永田町は、・・・の町なのかね。と言われても、仕様が御座いませんよ。選挙中に大声で言ってことなど、殆ど嘘っぱちですからね。

ウソ吐きを見たければ、国会中継を見よ! と言われるくらいですよ。ホンマ。

私は、嘘吐きと言われたことは御座いませんよ。専ら、ホント吐きと言われていますから。嘘じゃないよ。

エッ。ホント吐きなんて聞いた事はないって、ですか。

そうでしょうね。私も初めて言いましたよ。

だから、最初に言ったでしょ。

真面目と前置きして、真面目な話をするヤツはいないって。

私の話には、ウソは御座いませんよ。ホンマ。

とにかく、本来、根が真面目なもんですので、すぐにお堅い話に向って行ってしまうのですよ。

エッ。何か疑問が御座いますか。

余計な疑問は、持たない方が、良いですよ。お互いの為に。

ねー、信頼しあってこそ、成り立つ世の中なのですから。

とにかく、他の人はともかく、私の真面目な話は、絶対に信用なさって、損は御座いませんから。疑問を持たれないように、念を押しておかなくてはね。念には念を入れ、万事、丁寧にと総理も言ってましたからね。

善悪はともかく、丁寧に、やっておかなくてはね。

待てよ。総理と一緒では、不利かな。人間性を疑われてしまいますからね。気をつけなくては。ホント。

 

さて、世の中には、アレー、ちょっと・・・?? と感ずる事が、時々御座いますよねー。

それで、今、アレー、ちょっと・・・?? と気に掛かっている些細な事とは、どのようなことかと言いますと、

「責任」

と言う事についてなのですよ。

一般的に言って、とるのは嫌だが、とらせるのは好きだ、と言う存在にあるのが、「責任」と言うものですかね。

世の中、何かと言えば、「責任」「責任」と叫ばれていますなー。

叫んでいる方は、とる側では御座いませんよ。

大声で、叫んでいる方は、とらせたい側で御座いますよ。

とる側は、どちらかと言えば、やだなーと言って、逃げ回るものですよ。

逃げ切れずに、掴まってしまった場合、仕方なく、しぶしぶとることになるのですよ。

因に、独断と偏見によりますと、「責任」をとれ、とことさら大声を発する人は、えてして、自分が責任をとるのが大嫌いな性格の人が、多いように見受けられますなー。

「責任」とれよ、と言っている裏は、わたしゃーとらねーよ。あんたがとれー、と言うことですからね。

お客さん、そーは感じませんか。

何彼に着けて、すぐに、「責任」とれよ。と迫って来る人がいますが、そのような人は、「責任」が自分の方に向けられたりすると、躍起になって、逃れようとしますよ。

よくやる手口が、他人のせいにする弁解。私が、あのようにしたのは、誰々さんが、あのようにしたから、などと他人のせいにして、自分は責任から逃れようとしますよね。

それからまた、話をそらそうとするのですよ。

要するに、相手にとって、不利と思われる話を持ち出して、専ら、話をそっちに誘導し、相手の弱点を見つけ、掘り起こし、並べ立て、責任追求の立場に転じようとしますなー。

すり替えの手口ですなー。話をすり替えたとしても、元の話の「責任」が消える訳ではないのですが、目先の不利な事態を回避して、有利な事態へと展開したいと言う、ズルッコイ手口ですが、よく見受けられますなー。

上手い事すり替えに成功した場合、満足を得られるのでしょうかねー。

答。得られるのです。

そのようにする人は、そのようにすることによって、満足を得られるのですよ。上手く行った、とほくそ笑むのですよ。

自分を騙していることになりませんか ? 自分を偽った自責の念が湧かないのですか?

答。湧きません。

とにかく眼前の敵を倒し、眼前の「責任」を回避できれば、満足いくタイプです。

このようなタイプは、往々にして、自己反省が嫌いで、反省しない人が多いようですよ。都合の悪い自分は、常に棚に上げておき、時間の経過と共に、埃が積もって、見えなくなり、遂には、無かったことに、と企むタイプですよ。

てな、訳でして、「責任」云々については、なかなか面倒な事態が多いようですよ。

ところで、「責任」に関わり、目下最も気に掛かっているのが、本当の責任者の「責任」と言う事です。

分かり難いですか?

では、具体的に解説して行きますよ。

日本では、基本的に各個々人の自由が認められていますよね。

だから、建前としては、色々なことを自由にやることが出来ますなー。

「停念堂閑記」を書いたりね。

しかしですね、物事を行いますとね、必ず、「責任」と言うのが着いて来るのですよ。まさに、背後霊のようにね。ぜってー、逃げ切れませんよ。

まー、自由物事を行う事は、可能なのでしょうが、この自由には、必ず、「責任」と言うのが着いて参りまして、これが、なかなか厄介な場合があるのですよ。

いー調子で何かをやっていたところ、この行為・行動によって、迷惑や損害を被った、と言う人が現れたりしましてね。

「責任」をとれよ、と迫ってきたりすることがあるのですよ。

あんたのしたことで、ケガをしてしまった。「責任」とれよ。慰謝料と治療費を出せ、なんて言ってきたりしますなー。

また、あんたが、余計な事をしたので、えらい損害を被った。「責任」を取れよ。賠償として、1000兆円支払え。なんて、「責任」を問われる場合が御座いますな

これは、ありませんよ。こんな高額な賠償は御座いません。蛇足ながら。

「責任」云々と言うことに関しては、「責任」を問われる行為・行動などをとった当の本人が、然るべくして、その「責任」を問われるのは、全く当たり前の事ですね。

その「責任」は、注意を受けたり、謝罪させられたり、職を辞させられたり、損害賠償をさせられたり、あるいは、禁固刑に処されたり、更には、死刑に処されたり、しでかした行為・行動などの内容によって、然るべき結果として課されるもので、色々様々ですなー。

ところで、ここで、アレー、ちょっと・・・?? と感ずるのは、「責任」を問われるべき行為・行動をとった当事者が、「責任」を問われるの は、尤もな当たり前のことですが、ところがそうではなく、別人が「責任」を問われる事態があり、本来、「責任」を問われるような事をやっちまった当事者は 「責任」を免れる、と言う事態がある、と言うことなのですよ。

このような事態は、実は、しょっちゅう生じていることで、このような事態に遭遇する度に、実に、しっくりと来ない、忸怩たる思いをさせられるのですよ。

例えば、A君は、悪くないのに、B君に殴られた。B君自身は、反省も何も無く、シャーシャーと、サッカーをして楽しんでいる。そこにB君のお母さんがやって来て、ごめんね、と謝られても、A君はスッキリしないでしょー。

真のホシは、B君なのだから。

 

これが企業の場合などになると、また、一段と複雑になるのだから。

例えば、とある会社が、ある製品を製造した。この時に、この製品のある弱点が問題となった。専務Aを中心とする社員は、改良すべきと言う立場で、すぐに製品化することに反対したが、ワンマン経営の社長Bが、反対を押し切って、製品化に踏み切らせた。

ところが、3年後、心配されていた弱点部分に、案の定故障が相次いで生じ、ケガ人を出す事態となった。

これが、マスコミで取り上げられ、「責任」問題が追求される事態になった。

ところが、この問題が起こると、社長Bは、健康を害したとして、退社してしまった。

結局、専務Aが、急場を凌ぐ社長Aにおされた。

急遽、社長になったAは、止むを得ず、謝罪の会見に臨み、マスコミのカメラとマイクに向かって、自社製品の欠陥を認め、実に、なんと3分間の最敬礼を行った。

この時の社長Aの心中は、おそらく、だから最初から、改良を加えて安全性を確保した上で、生産すべきと言ったではないか。それを無視して、その責任者は、多額の退職金を得て、とっとと、退職してしまっている。今は、会社に大損害を与えているにも関らず、害したはずの健康もすっかり良くなったようで、毎日、温泉とゴルフ三昧ではないか。

なのに、なんで私が最敬礼で、謝罪しなければならないのだ。やって、らんねーぞ。

しかし、会社としての責任をとらなくてはならないし、今後の会社の行く末を展望すると、ひとまず、ここは、最敬礼の他ねーや。

てなもんでしょうか。

 

このようなケースは、よくある事ですね。会社としては、被害・損害を与えた側に対して、「責任」をとらなければならない。当然のことですなー。

一方、会社内においては、前社長Bの判断ミスで、会社は多大な損害を被る事になった。このような事態の発生は、製品製造開始の最初から、指摘されていたことである。

そこで、会社内では、安易な眼前の利益に走るあまり、判断ミスした前社長Bの「責任」を問題にせざるを得ない状況となった。

この場合、民事訴訟を起こし、損害賠償要求することになるのでしょうが、どのようになるかは、ケースバイケースと言うことでしょうね。

ここで、問題としたいのは、この欠陥製品で、ケガをさせられた被害者と、前社長Bの間の「責任」関係の有無についてですよ。

欠陥のあることを承知の上、目先の利益に走って、その製品の製造開始の判断を行ったのは、前社長Bであることは、間違いがない事態ですよね。

言ってしまえば、この判断ミスによって、被害者がケガをしてしまったと言うわけですね。

この因果関係で、被害者は、前社長Bに「責任」を求めることができないものでしょうかね。

法律専門家に聞けば、すぐに判ることでしょうが。きっと難しいのでしょうね。

前社長Bの「責任」を、現会社が代わって、「責任」をとる、と言うことが、一般的のように見受けられますが、本当の「責任」は、前社長Bにあるのではないのか、とも思われるのですよ。真のホシは、前社長Bですよ。

「責任」をとらなくてはならない事態を直接引き起こした当人が、その「責任」をとる、と言うのが、最も基本でしょう。

この基本が正しければ、前社長Bの「責任」を問うことが、可能ではないのかなー、なんて思ったりするのですよ。

怪我をさせた欠陥製品を製造したのは、その会社だから、その会社が「責任」をとらなければならないのは、当然の理として、理解されます。

会社にその欠陥製品を製造させ、結果的に会社に多大の損失を与えた。この事によって、会社は前社長Bに、その「責任」として、損害賠償要求した。これも、当然の理ですなー。

ところが、この要求は、うやむやの内に幕が引かれ、結局、前社長Bの「責任」は、果たされずに終わっちまった。

と言うことで、前社長Bの「責任」は、無となってしまったのであるが、前社長Bの「責任」を、前社長Bの判断ミスによって製造された欠陥製品によって、ケガをした、被害者当人が、問うことが可能な手だては、ないものでしょうか。

傷害罪の適用は無理かね・・・???

欠陥製品による事故は、予想されていたことであり、それを無視して製品の製造に踏み切ったのは、前社長B当人なのだから。

真のホシは、まさに前社長Bなのだから。

これが、刑事事件であれば、かなり明解ですよ。法律門外漢でも、たとえば、Cが傷害事件を起こせば、間違いなくCが、「責任」をとらされると言うことは判りますなー。

Cは所属している会社とは無関係の場面で、傷害事件を起こした場合は、原則的には、会社は関係がありませんから、会社が「責任」をとるには至りませんな。

しかし、日本では、Cの傷害事件に直接関係していない会社が、往々にして、謝罪する場面が多く見られますなー。

なんで、関係のない、会社が謝罪したりするのですかねー。

マスメディアが関係するからですかねー。

テレビなどでは、逮捕者の報道をする場合、大抵、所属する会社名を付して、逮捕者名を報じますね。

このことによって、会社のイメージが低下するのですかね。

会社は、すぐに謝罪のメッセージを発しますなー。

そんなことされたって、一般大衆は、会社が悪い事をしたから謝罪しているなー、なんて全然思いませんよね。会社は、そのイメージダウンを心配しているだけでしょうから。

このような事に、素早く、対処すると、あの会社の危機管理体制はしっかりしている。いい会社だ、と言う評価を受けるのでしょうかね。

会社絡みの事件の場合は、別ですよ。それは、会社にも「責任」があるでしょうから。

と言うように、やっちまった「責任」をとるべき真のホシが逃れて、のうのうとしている事態は、なんとなくスッキリしないのですよ。

真のホシに、「責任」をとらせなくてはねー。

 

「責任」逃れの達人は、なんと言っても、世に政治家と言われている方々に、多く見られるように、感じませんか。

世に政治家と言われている方々の発言は、殆ど信頼出来ないことが実に多い、と感じている方が沢山おられるようですよ。

選挙戦中の発言なんぞ、当選したあかつきには、はるか昔の囈言(うわごと)みたいなものでしょう。見ように依っては、選挙中は、選挙ウイルスにおかされて、ただただ囈言(うわごと)を喚(わめ)き散らしているみたいなものですからね。

きちんとした「責任」をとらないで、垂れ流し的に「無責任」をし続けているのは、世に政治家と呼ばれている人々に実に多く見られるようですよ。

今もまた、現自民党総裁の任期が、間もなく切れるので、次期総裁選をにらんで、自民党国会議員さん達は、その選挙運動に勤(いそ)しんでおられますなー。

このような時の議員さんは、実に、生き生きとして、活発に行動されますなー。そんなエネルギーがあるのなら、なぜ国民の為に使ってくれないのでしょうかねー。その方が、次ぎの国政選挙の時に、有利に運ぶのではないのでしょうか。

世に政治家と呼ばれている人達に、最も似合わないのは、「責任」の二文字のようですな。

一体、どうしたものでしょう。

ここで一句。

「責任」を 「責任」もってとる 政治家は無し

かな。

 

小生も、「責任」をとって、この辺で、キーを叩くのを止めにしたいと思います。

連日、全国的に、命に危険がある猛暑のようです。

暑くて、脳ミソも、オー ノーと悲鳴を挙げています。

このクソ暑いのに、何の因果で、アホくさい、バカバカしい、クダラない話をやっているのでしょうかね。誰に頼まれた訳でもないのに。

物好きと言うよりないのでしょうか ???

原因は、判っています。

ヒマなのです。

とは言え、ヒマ潰しも、なかなか骨がおれますなー。

 

お付合い下さいましたお客様、誠に、お疲れ様で、御座いました。

暑苦しい時に、暑苦しい話で、恐縮の極みで御座います。

深く、お詫び申し上げます。

おヒマな方は、これに懲りずに、またのお越しをお待ち申して居ります。

それでは、恐惶恐惶頓首謹言

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》90

「日比憐休独偏記」25

 

謝罪 ? 3」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

と申しましても、高価な美味しい物でおもてなしをするわけでも、肩をお揉みするわけでも、温泉に入って、冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますれば、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、良いのですよ。

夜、寝られなくなったりしませんからね。もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。なんとか、ヒマと言うものをあの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のないことを交えたりしましてね。

これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

私だってですね、たまには、気の利いた話をしたいものと、常日頃思わなくはないのですよ。

時には、少しは思うことも、たまには、ちょっとだけないこともないのですよ。

強いていえば、僅かながら、かすかにあるにはあるような気もするのですよ。

しかしですね、これが中々上手く行かないのですよ。思うだけではねー。

言うまでもなく、この手のことは、能力に関ることなのですよ。

持って生まれた能力は、残念ながら、俄に、どうこうできる代物では御座いませんよ。

嘆いても仕方御座いませんので、精々、得手・不得手と言うあたりで、何とかならないものかと、もがいたりするのですよ。

その結果が、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話と言う辺りに落ち着くことになる、と言う次第なので、御座いますよ。

さて、本日はですね。いつも通りの行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話と言うことには、なんら変わりは御座いません。

しかし、ですね。いくら下らない話とは言え、少しはですね、真面目な部分もあるのですよ。ホント。

 

どーかねー 、って ? ? ?

ホントですって。

ところが、真面目が入ると、たちどころに、面白味が減退してしまうのですよ。さーっと、引いてしまいますよ、

したがって、ちっとも、面白くなくなってしまうのですよ。

私の方と致しましては、面白くなくても、一向にかまいはしないのですが。お付合いくださる方はねー。やんなっちゃいますよねー。

しかし、世の中、面白い事ばかりでは、つまらないのですよ。

人間ツァー、勝手なものでしてね。面白い事ばかり続くと、ちょっと、おもしろくねぇーな。なんて感じたりするものなのですよ。

面白くないことの中に、面白いことが生ずると、これが、とっても、面白く感じられるのですよ。なんか、得しちゃった気がしたりしましてね。

面白いところに、面白いことがやって来ても、またかー、なんて感じたりするわけですよ。慣れっこになって、だれて来ますから。

だから、私は、思いっきり面白くない方の担当と言うことで、やらせて頂いているので御座いますよ。まー、人助けの一つとでも言いましょうかね。世のため、人のためですよ。慈善事業ですよ。

アホ抜かせ、ってですか。

ですから、面白くなくても、私の方は、一向にかまわないのですよ。

要は、ヒマ潰しが出来れば、もー、大満足なのですから。

ところで、あのー、ですね。真面目な話、と前置きして、真面目な話をする人は、殆どおりませんよ。皆無と言って、いいですよ。

ただし、私を除いてはね。ホント。真面目な話。マジで。

皆様、どなたもご承知のとおり、正直な話と前置きして、本当に正直な話をなさる方は、殆どおりませんでしょ。

ウソは言っておりません。と力説される方で、ウソをつかない方は、めったにおりませんよ。私を除いてはね。ホント。

これは、正直な話、ウソでは御座いませんよ。ホント。ホント。マジで。

全く知りません。一切関係しておりません。絶対に、そのような事はありません。なんて言う人、よくテレビに出ていますよね。

あれは、ウソですよ、と言う別表現ですから。

一命を懸けて、とか、全身全霊で、なんて、いとも手軽におっしゃられる方をお見かけ致しますが、そう言う人に限って、ほとんど当てになるものでは御座いませんよ。

全く、とか、一切、とか、絶対に、とかを好んで使う場合は、単にその場凌ぎの弁解にすぎませんよ。全く、一切、絶対などには、全く、一切、絶対に心が込められておりませんから。

「一命を懸けて」、なんと言って、本当に一命を掛けた方など、ついぞお会いした事は、御座いませんよ。

その場を凌げれば、後は野となれ山となれ、はたまた水溜りとなれ、池となれ、沼となれ、湖となれ、海となれ、と言うのが現実ですよ。何でも、並べれば良いと言うものでは御座いませんが。事は、ついでですから。悪しからず。

ついつい、すっかり、真面目な話に陥ってしまいました。

これでも、でしてね。わたしゃー、世間では、真面目で通っているので御座いますよ。嘘ついた事など御座いませんから。

嘘吐きは、ドロボーの始まりと言われますから、嘘をついたら、末はドロボーになるしか手が御座いませんから。

嘘ばっかりついている政治家と言われている連中の行く末は、やっぱり・・・になるよりないのかね・・・?

私は、嘘吐きと言われたことは御座いませんよ。専ら、ホント吐きと言われていますから。嘘じゃないよ。

エッ。ホント吐きなんて聞いた事はないって、ですか。

そうでしょうね。私も初めて言いましたよ。

だから、最初に言ったでしょ。

真面目と前置きして、真面目な話をするヤツはいないって。

私の話には、ウソは御座いませんよ。ホンマ。

とにかく、本来、根が真面目なもんですので、すぐにお堅い話に向って行ってしまうのですよ。

エッ。何か疑問が御座いますか。

余計な疑問は、持たない方が、良いですよ。お互いの為に。

ねー、信頼しあってこそ、成り立つ世の中なのですから。

とにかく、他の人はともかく、私の真面目な話は、絶対に信用なさって、損は御座いませんから。疑問を持たれないように、念を押しておかなくてはね。念には念を入れ、万事、丁寧にと総理も言ってましたからね。

善悪はともかく、丁寧に、やっておかなくてはね。

待てよ。総理と一緒では、不利かな。人間性を疑われてしまいますからね。気をつけなくては。ホント。

 

さて、世の中には、アレー、ちょっと・・・?? と感ずる事が、時々御座いますよねー。

それで、今、アレー、ちょっと・・・?? と気に掛かっている些細な事とは、どのようなことかと言いますと、「謝罪」と言う事についてなのですよ。

前回の続きで御座います。

前回、前々回の続きで御座います。

したがって、焼き直し、蒸し返しの連続で御座います。

初めに、謝っておきます。

御免なさい。勘弁して下さい。

 

世の中、至る所で、しょっちゅう、日常的に「あやまれー」「謝罪せよ」と言う声が聞かれますなー。

謝って貰いたいという人、あいつを謝らせたいと思う人が、とにかく、いっぱい存在しておりますなー。

 

人間、本来、謝ることは、あまり好きな事ではないですよね。

謝ったり、謝らせられる事は、格好が悪いことで、嫌なことですよね。

どっちかと言うと、仕方がねーや、としぶしぶやらなくてはならない事ですよ。

屈辱を感ずる、やなこってすよねー。

だと思うのですが、これが、何時も何時も、気軽に謝っている人が、実に多いのですよ。特徴的な日本文化の一つに上げてもいいでしょうなー。

謝る時に、よく使われる言葉は、

「すみません」

「御免なさい」

「申し訳御座いません」

「悪う御座いました」

などですよね。

八百屋さんの店先で、「すみませーん、大根1本下さい。」なんて、いきなり謝っちゃう人など、珍しくないですよ。

そーしたら、八百屋のオヤジが、「そーか。謝られたんでは、しゃーねーな。今日は、大根1本で赦してやる。」となるのですかね。な訳ないか。

と思うと、ラーメン食べに来た人が、ラーメン店に入って、いきなり謝ってますよ。「すみまーん。ミソひとつ」なんてやってるのですよ。ミソラーメン注文するのに、なんで、まず、謝ってからなのかねー。

留守の家に訪ねて来た人など、

「すみません」「申し訳ございません」「御免なさい」、スズキさーん。いらっしゃいますか。お留守ですかー。なんて、相手がいないのに、三階建てで、謝っている人がいたりしますよ。なにか、よっぽど、失礼なことなど仕出かして、謝りに来たのですかね。な訳ないか。

と、言うように、ですね、兎に角、気軽に謝る人が、やたら多く見かけますよ。

これからは、ロボットにいろいろ仕事をさせるようになりますが、お買い物ロボットなども、きっと開発されるでしょうな。売る側も、販売ロボットを使うでしょうな。そーしたら、お買い物ロボットがやって来て、「スミマセーン。ジュース1本クダサーイ。」とやるのでしょうな。そーしたら販売ロボットが「たった1本かよ。まー、謝られたんじゃー、しゃーねーな。今日は1本で赦してやる。次回は10本にしろよ。」なんてなるのですかね。まさかね。

まー、このように、日常的に、習慣的に、「すみません」と前置きする人が、やたら多いでしょうが、これには、殆ど謝罪的な意味合いは無いのでしょうね。

きっと、本来的には、他人に手を煩わせるような場合には、お忙しいところ、申し訳御座いませんね。と言うような意味合いで、「すみません ね」、などと言ったのでしょうが。それが、慣例化して、特に、相手にお手を煩わせる場面でもないのに、つい、口から出てしまう、と言うくらいの事なのでは ないのでしょうかね。

きっと、ヨーロッパなどでは、あまり見かけない慣例なのでしょうな。

パリのシャンゼリゼの高級宝石店で、「すみませーん。ダイヤとサファイヤとルビーの指輪を三個ずつ下さーい。」って言ってる人は、見かけないでしょうね。

もし見かけたら、それは間違い無く日本人ですよ。きっと。

別に、悪い事をするでも無いのに、いきなり「すみません」と謝っちまうのですから。外人には、分かりづらいでしょうな。

日本のこような文化は、なかなか分かり難い微妙な側面を持っていますなー。

とにかく、当世、色々な場面で、「謝罪」云々に関ることが、頻繁に取り沙汰されておりますなー。

例えば、障害で逮捕された者があると、テレビで、直に取り上げられますなー。そうして、裁判が進行して来ると、それに関る報道がありますが、その時に、犯人からの謝罪の有無が、必ずと言って良い程、問題にされますな。

その後、加害者は、自己の犯した罪を深く反省し、被害者に申し訳ない事をした、と謝罪している、とか、謝罪の言葉は何も有りません、とか、テレビでは、必ずと言って良い程に、謝罪の有無が取り沙汰されますなー。

日本社会においては、謝罪の有無が、随分大きく取り上げられる傾向にあるようですなー。

要するに、謝罪の有無は、加害者、被害者が、持つ心情に関ること、と言って良いでしょうなー。

一般に、「謝罪」に関しては、謝る側と謝られる側が存在しますなー。ここでは、便宜上、謝る側を「謝罪者」、謝られる側を「被謝罪者」と表現することにします。

 

世間には、謝って貰いたいという人、あいつを謝らせたいと思う人が、とにかく、いっぱい存在しておりますなー。

ところで、「謝る」、「謝れ」と言う「謝罪」は、どうして発生するのでしようかね。

謝って貰いたい、あいつを謝らせたいと言う、心情はどうして起こるのか、と言うことについて、アーでもない、コーでもないと、アホくさい、バカバカしい、クダラない話をするのが、本日の主テーマで御座います。宜しく。

子供がなにかやっちまった時に、「謝りなさい。御免なさいは。」と母親が、叱り飛ばし、謝罪を強要てしいるような場面を、よく見かけますよね。ドラマなどで。

対して、子供は、そー易々とは、謝らないことがありますよ。

たとえば、子供には、謝るべき罪の認識が無い場合ですね。

要は、やっちまった内容に関ることでしょうが。

子供は、なんで謝らなくてはならないのか、よく判らない場合がありますよ。

オレは、なにも悪い事はしていない。なんで。謝るもんか、と思いますよ。

母親は、母親の立場、事情と言うものがありますので、そちら方面から、謝罪を強要しますよ。

しかし、子供には、母親の立場や事情などと言うものは、往々にして、理解して無い場合がありますから、そう、易々と謝る気分にはなれませんよ。

やっぱり、大人が、なぜ謝らなくてはならないかの、その理由、状況などを判り易く子供に説明して、だから、謝りなさい、と持って行く必要がありますよね。それを頭ごなしに、ただただ謝れ、と強要されても、子供はそんな気にはなりませんよね。きっと。

それから、素朴に、なんでいちいち謝んなくちゃー、なんねーのだよ。なんて思ったりも、しますよ。

大体、なんで、謝んなくては、ならないのかねー。

考えたことありますか ?

分かり切ったアホなことをぬかすでねーって、ですか ?

相手に、迷惑や損害などを掛けたヤツが、その行為を罪と認識して、相手に謝る、これは当然の事ではないかい。

また、迷惑や損害などを掛けられた側が、その掛けたヤツに、犯した罪を認めて、謝るように要求する事は、当たり前の事ではねーの。

相手に、迷惑や損害などを掛けるヤツがいなければ、「謝罪」どうのこうのと言う事態は、発生しないのだよ。決まっているではねーの。ねー。

なるほどねー。これは、失礼致しやした。分かりきったことをお聞き致しまして。どーも、無駄なお手数をお掛け致しやした。申し訳御座いませんでした。取り敢えず、謝罪謝罪。すんまへん。御免よ、勘弁な。

しかし、ですよ、そこまでは納得できるとして、ですよ。

そこで、次に、「謝る」「謝れ」と言う発想は、どうして生ずるのですかね ?

どーしてってー ?

だから、言ってるだろう。相手に、迷惑や損害などを掛けたので、済まねーと、謝るのだよ。

迷惑や損害を被った側は、謝って貰らいたいだよ。

だから、そこまでは、納得できる、と申し上げているだよ。

要するに、相手に、迷惑や損害などを掛けた時に、なぜ「謝罪」することになるのか、ちゅーことだよ。相手に、迷惑や損害などを掛けられた場合に、なぜ「謝罪」を求めることになるのか、ちゅー事だよ。

おめー、分からねーやっちゃなー。

相手に、迷惑や損害などを掛けたので、済まねーと、謝るのだよ。迷惑をかけられたから、謝れー、と要求するだよ。いい加減にしろよ。

何度も、同じ事を言わせるな。ホント。

だから、それは分かった。と言ってるだよ。

ようするに、迷惑や損害などを掛けてしまった場合、謝るのはどうしてだ。迷惑や被害を受けた場合、謝って貰いたいと思うのは、どうしてだ。と言うことを聞いているだよ。

例えば、どうして、謝らなくてはなんねーのか、どうして謝って貰わなくてはなんねーのか、ちゅーことだよ。

いい加減にしろよ。他人に迷惑や損害などを掛けておきながら、謝らなくていー、と言うのか。この無礼者め。

オッと。無礼者め、とおいでなすったね。

そいじゃー、分かり易く言うよ。他の人に迷惑や損害などを掛けられた場合、その賠償をして貰いたいと思うよな。その賠償を求める場合に、示談が成立すれば、双方納得と言う事で、一段落となるな。

しかし、示談が成立しない時には、民事訴訟を起こすことになるな。

そして、裁判所は、結論として、判決を下すことになるな。

賠償金3千円とか、3兆円とか。

3千円と3兆円? どえらい違いだな。どんな裁判だ。ふざけんじゃーねーぞ。

たとえばだよ、たとえば。分かり易いようにだよ。分かり易いように。

損害賠償の場合は、結論が判りいいよ。賠償金銭や物品で示されるから、判かりいいだよ。

ところが、「謝罪」の場合はどうだ。金銭や物品等による賠償要求するのではないだよ。

たとえば、「謝罪」だけを要求する裁判を起こせるのか ?  ちゅうことだよ。

9千億兆回、「済みませんでした」と、謝って欲しい、なんて言う訴えを、裁判所で受理するか。

よしんば、裁判所が、謝罪要求の訴えを受理したとしてだよ。判決に及んで、「土下座して、9千億兆回、申し訳御座いませんでした、と謝るべし。」と言う判決が出るか。

こら、いい加減にしろよ。9千億兆回だと。どんな判決だ。判決のとおり、まともに謝り続けたものなら、何年かかると思うの。死んじゃうぞ。実質、死刑と同じだぞ。バーロー

だから、たとえばだよ。たとえば。分かり易いようにと言う喩えだよ。

だから、金銭・物品等による賠償求めない、「謝罪」だけの訴えは、裁判にはなり難いのかなー、なんて思ったりもするのよ。

しかし、新聞への謝罪文の掲載要求などは、出来るようにも、思われるしね。また、テレビでの謝罪会見の放映なども、要求出来ないこともないのかなー。なんて、思ったりもするわけよ。

土下座して、額を地面にすりつけている謝罪の光景を、テレビで放映して欲しい、と言う訴えは、できるのかねー。出来ない訳ではないような気もするのだけれども、どーなんですかね。

あのー、分かり易くするための喩えですからね。このような要求をする側の感覚が疑われる可能性も大ありですから、現実的にはどうか、分かりませんが、しかし、それくらいの謝罪をして貰わなくては腹の虫が納まらない、と言う状況も無い事もないでしょうから。どーなんですかね。

法律専門家に問い合わせれば、すぐに分かることでしょうが。

 

要するに、「謝罪」については、「謝罪者」と「被謝罪者」がいて、この双方の心情に関ることでしょうから、結局のところは、当面は、この両者の心情が、どのようであるのか、と言う問題なのでしょうな。

例えば、「謝罪者」は、自分のとある行為が、罪に相当すると気づいて、これは、迷惑や損害などを掛ける事になる対象に、謝罪したい。

と言う場合、これによる「謝罪」には、幾つかの意味が存在するでしょうなー。

一つは、迷惑や損害などを掛けることになる、あるいはなった対象に、謝って、自分の仕出かした罪を赦してもらいたい、と言う欲求がある場合ですな。

もう一つは、迷惑や損害などを掛けることになる、あるいはなった対象の心情はともかく、「謝罪者」側の心情として、謝罪しなくては、自分自身の心が納得しない。スッキリしないのだ、と言う場合ですな。

この二つとも、言ってしまえば、「謝罪者」側の都合と言うことですな。

それから、「謝罪者」となる、あるいはされる側が、「謝罪者」としての自らの認識は無かったのであるが、「被謝罪者」から、謝罪要求を受けた結果、謝罪しなければならないハメに陥った。

あるいは、第三者が、謝罪すべきと騒ぎ立てたので、結果、謝罪しなければならなくなった、と言う場合もありますな。

それから、「被謝罪者」側としても、幾通りかの意味が存在する様ですなー。

一つは、迷惑や損害などを掛けられたので、「謝罪者」に謝罪要求する場合がありますな。

もう一つは、自分は「被謝罪者」であると言う認識が無いのに、「謝罪者」が現れて、いきなり謝られた、と言う場合がありますよ。

この場合は、幾分、ややこしくなる可能性が御座いますよ。

謝罪者」を名乗る者が、突然手土産なぞ携えて、やって来ましてね。

やたら丁重に謝るのですよ。

しかし、いきなり「被謝罪者」にされた方は、自分には謝られる心当りが無いので、謝られる謂れはござんせん、なんて、取り合わなかったりしましてね。ところが、「謝罪者」は、深く反省しておりましてね。2時間も並んで、漸く手に入れた大人気のスイーツを携えて、とにかく、早いところ謝っちまって、清々しようと、意気込んでやって来たのに、知らねーよ、なんて冷たくあしらわれ、大人気のスイーツを突っ返されたひにゃー、たまたったものでは御座いませんよ。

謝りに来た方は、本来の目的を忘れちゃって、オレの手土産を受け取れねー、っちゅうのか。それは失礼だろうよ。なんて、すごんじゃったりして。

片や、すごまれてしまった、俄に「被謝罪者」に仕立てられた方は、どうも済みません、なんて謝っちゃったりしましてね。

まてよ、なんで、オレが謝らなくてはならないのだ、とぼやくハメに陥ったりするのですよ。

はたまた、「謝罪者」と「被謝罪者」共に、謝罪に関る認識がないのに、どこからかネタを拾い集めて、謝罪があって然るべきだ、なんてマスメディアが、特に、某局のワイドショーと呼ばれる番組で、騒わがれましてね。ああだこうだ言っている間に、「謝罪者」と「被謝罪者」が成立させられまして、謝るべきだろう、謝罪を求めるべきだろう、なんと言う事態になったりしましてね。

双方、カメラの前に引っぱり出されて、謝ったり、謝られたりしましてね。

マスメディアの方は、世論の鉄槌を食わせた、これが正義だと、張り切っていたりして。

なんだか、訳が分からない事態が出来したりしますよ。

 

さて、ここで問題になるのは、前の部分で言いましたように、どうして、謝ったり、謝らせたくなるのでしょうね。この解明(?)が、中々、厄介な事なのですよ。

 

一般的には、「謝罪者」側は、謝罪に対して消極的、「被謝罪者」側が、積極的である場合が多いのでしょうな。

さて、本題に戻しますと、「謝罪者」のとった、とある行為を巡って、「謝罪」云々と言う事態が発生する。

すなわち、謝罪する、謝罪させたいと言う事態は、「謝罪者」のとった、とある行為を巡って、「謝罪者」と「被謝罪者」の心情に根があるのではないのか、と言うことになりそうですな。

そんなの最初から分かってた、ってですか。

それは、そーでしょうが、それでは、ヒマ潰しにならないでしょー。

どうでも良いようなことを、あーだ、こーだ、と捻(ひね)くり回さないと、ヒマは潰れないのですよ。

何だかだと、ようやくここまで引っ張って来たのですから、アー、そーだったのと、初めて気がついたように、お願いしますよ。これこそ、場の空気を読んで、忖度忖度ですよ。ここでの忖度は、犯罪に繋がりませんから。公金とはなんら関係してませんから。

それでは、仕切り直しといきますよ。

チョット待って下さいよ。仕切り直し、と来ては、ひとこと言って置かなくてはなりませんよ。

大相撲では、とにかく、立合いが重視されますなー。

両者気があって、立ち上がっているのに、両手がついてなかったなどと言って、行司がマッタをかける事がありますなー。

両者が、気が合って立ったのだから、いーじゃん。と思いませんか。

双方気が合って立ったのに、行司マッタが掛けられた後の立合いは、なんだか、気合いが入りませんなー。もー、どっ白らけ。

相撲の勝負で、なんと言っても、立合いが肝心ですから、両者に平等でなくてはなりませんなー。

だったら、平等に、両者に、最初から、仕切り線に、両手をつかせて、行司の「はっけよい〈のこった〉」の号令で、スタートさせれば、いーではありませんか。

これで、立ち後れた場合は、遅れた方が不利になっても、仕方がありませんよ。

〈のこった〉の号令前に、片方が突っかけちゃったなら、これは失格にすれば、いいのですよ。

陸上競技の100メートル走などは、フライング一発で失格ですよ。出場停止、退場ですから。

ねー、そんなに両手が同時に着いた、着かないを問題にするのなら、最初から両手を着かせて、行司の号令一発、用意、ドンの方が、分かりよく御座いませんか、ちゅーの。

ねー、こんな話で少しばかり、ヒマ潰しが出来たでしよー。ヒマ潰しのコツなんですよ。

さて、それでは、再度の仕切り直しといきますよ。ちょっと、白けましたが。

謝罪する、謝罪させたいと言う事態は、「謝罪者」のとった、とある行為を巡って、「謝罪者」と「被謝罪者」の心情に根があるのではないのか、と言うことになりそうですな。

ここで、アー、そーだったの、と来るでしょー。

そー来なくてはダメですよ。

そこで、待ってましたとばかりに、この心情の根と言うのが、疑問を解くカギなのですよ、と行く訳ですよ。これで、準備はOK

この心情の根は、当然の事として、個々人で違いますよ。個々人特有のものですな。個性ですよ。

穏やかな人もいれば、激しい人もおりますよ。

ノンビリ屋さんもいれば、セッカチ屋さんもおりますよ。

親切な人もいれば、不親切な人もおりますよ。

気前の良い人もいれば、ケチな人もおりますよ。

拘(こだわ)りの強い人もいれば、無頓着な人もおりますよ。

人の良い人もいれば、小意地の悪い人もおりますよ。

威張る人もいれば、戦(おのの)く人もいますよ。

謙虚な人もいれば、傲慢な人もいますよ。

主張の強い人もいれば、すぐに譲ってしまう人もいます。

乱暴な人もいれば、丁寧な人もおります。

強気な人もいれば、弱気の人もおります。

攻撃的な人もいれば、防御的な人もおります。

などなど、限りが御座いませんな。

実に色々で、十人十色ですよ。似ていても、どこか違いますから。

このように、実に多様な個性の個人が、あるいは「謝罪者」となり、あるいは「被謝罪者」となって、謝る、謝れと言う「謝罪」関係を形成するわけですな。

従って、この組合わせによって、「謝罪」が割合簡単に済んだり、あるいは極めて難航したりすることになるのでしょうな。

穏やかな人・ノンビリ屋さん・親切な人・人の良い人などの場合は、あまり、ややこしくはならないでしょうが、小意地の悪い人・威張る人・傲慢な人・乱暴な人・強気な人・攻撃的な人などの場合は、特に、このような相手が「被謝罪者」だった場合は、「謝罪者」は災難と言うべきでしょうかね。

謝罪者」には、謝罪すべき原因がありますから、謝るのは当然、あるいは仕方のないことなのですが、「被謝罪者」の余りにも強力な謝罪要求がなされる場合は、中々大変ですな。

穏やかな人・ノンビリ屋さん・親切な人・人の良い人などの場合は、あまり強い要求は出しませんね。

きっと、たとえ謝罪されても、あまり清々しい気分を味わえないのではないのでしょうかね。「謝罪者」が悪いのだから、謝らせて当然なのでしょうが、「被謝罪者」の性格によっては、謝らせた結果、清々するどころか、返って後味の悪さが残ったりすることがあるでしょうね。

謝罪者」が、全く見知らぬ人ならばともかく、日ごろの顔見知りの場合は、特に、強く出て、謝らせちゃったりしたら、その後、具合の良くない状態になったりしますからね。

一方、強気の人は、誰彼構わず、相手が悪いのだから、謝らせるのは当たり前だ、と思うのでしょうね。

場所も弁えず、大声を張り上げて、一般大衆の面前で、謝罪要求をなさる人を見かけることがありますね。多分、「謝罪者」が、悪いのだろうから、致し方ないのかも知れませんが、あまり度を超す、行き過ぎた要求をしている場合は、見ていて、どうかと思うことが御座いますよね。

強い謝罪要求をしている時の「被謝罪者」の心理は、どう言うのでしょうかね。謝罪の内容によるでしょうが、一般的に、相手に、頭を下げさせて、謝罪の弁を言わせる時には、快感・優越感のようなものを感ずるのでしょうかね。簡単に言っちまえば、偉くなった気持ちになれるのでしょうかね。

特に、日ごろ馬が合わず、しっくり行っていない関係の人に、迷惑や損害などをかけられた場合には、ここぞとばかり、攻勢に出て、分かりよく言 えば、ペシャンコにやっつけることが、出来た時などは、強気な性格の人は、どうだ、見たか、と言う気分になって、きっと、さぞかし晴れ晴れとして、爽快な 気分になれるのでしょうな。弱気な性格の人の謝らせた後に味わう、苦々しさとは、対照的なのでしょうなー。

対して、「謝罪者」には、初めから、謝りたくいな人は、「遺憾に存じます」なんて言って、誤摩化そうと言う人をよく見かけますなー。政治家先生に多いようですよ。ちゃんと、謝らずに誤摩化しちゃうのですよ。当の本人は、心中でわたしゃー、謝っちゃーいねーぞ、なんてほくそ笑んでいたりして。

と、まー色々なケースが考えられますが、このような個々人の「心情の根」がどこにあるのか、と言うことが、疑問のタネと言うことになるのですよね。

「心情の根」は、どこからやって来るのでしょうか。

あの空越えて、雲越えて、光の国から来るのかなー。

突然で申し訳御座いません。「朝はどこから」と言う唱歌が御座います。この1番の歌詞の出だしが、「朝はどこから来るかしら あの空越えて 雲越えて 光の国から来るかしら」と言うのが御座いまして、突然のヒラメキでこれに引っ掛けたので御座います。

と、申しますのは、私事で甚だ恐縮で御座いますが、小学生の時に、学芸会でどうした選定の誤りか。多分、クラス担任の失敗だったと思うのですが、なんと小生が独唱で、この歌をお集り頂いた御父兄の皆様に、ご披露するハメに陥ってしまったのですよ。

心配していたとおり、アガリショウの小生は、本番で、多数の御父兄の前で、心臓ドキドキ、バクバク、歌詞を間違えちゃったのですよ。事件発生ですよ。

これが、いわゆるトラウマになりましてね。トラだかライオンだか、ウマだかシカだか知りませんが、以来、人前で、歌を歌う、芸をするのが、大嫌いになりましたね。朝がどこから来ようが、そんなこと、知ったこっちゃー御座いませんよ。

と言うような事が御座いましたが、これが、どうしたことか、忽然と繋がりましてね。

あの空越えて、雲越えて、光の国から来るのかなー。と言うハメに、なっちゃったのですよ。

てな事でして、こんな事が、ここで、ヒマ潰しのネタになろうとは、思いもしませんでしたよ。お釈迦さまでもねー、まさかねー。ヒマ潰し、ヒマ潰し。使えるネタは、総動員で、ヒマ潰しです。

話を戻します。

「心情の根」は、どこあるのでしょうか ? 

これは、小生ごときでは、とても手におえる課題では、御座いませんな。

全然、判りませーん。

どなたか、教えて下さーい。

しかし、ですね。好きで始めた事とは申せ、アホくさい、バカバカしい、クダラない話でも、落ちが必要なのですよ。

まったく、弱りましたねー。

困った時の神頼み。神様、お願いしますよ。

困ることは、しょっちゅう御座います。その度に、神様・・・、と言うことになるのですが、一度たりとも、現れたことは御座いませんな。神様は。

神様は何処。完全に、無視、見放されちゃってますよ。

今は、きっと、豪雨の被害地での人助けに、大忙しなのでしょうかね。

としたら、最初から、豪雨など降らせなければ、良いのにね。

そーだ。神様も色々で、この度は、豪雨を降らせる神様の力が勝っちゃったのですなー。きっと。

そー言えば、日本の神様は、どっちかと言うと、怖い、恐ろしい存在でしたなー。だから、人々は、神を怒らせては大変なことになるので、立派な社殿に御祭りし、いつもご機嫌をとらなければ、ならなかったのですよ。

そもそも、本来は、世を治めるのは神の仕事で、それを代わって人間にやらせることになり、うまく、順調に治めている時は、神は満足していて、ご機嫌麗しく、おはしましますのですが、神の御心に反する統治が出現した場合には、途端に御機嫌がお悪くなり、人間に天罰を下す事になる、と古代から考えられて来ましたなー。

と言うことは、今の統治に、神は甚だご不満で、お怒りになられ、豪雨をもたらせた、と言うことになりますなー。

しかし、それならば、神様、まずは、永田町に雷の一発も、と言うのが、順序では御座いませんか。それが、何故、西日本から中部日本一帯の広範囲と言うことになるのでしょうかね。神様の情報収拾は、大丈夫なのかなー。頼みますよ、神様。

と言うことで、神様は中々ねー。腰が重いのですよ。神様も、お年を召してしまったのかなー。

と言うことは、やっぱり自分で始末をつけなくては、ならないのでしょうな。こうなれば、仕方御座いませんよ。頼りになるのは、ただ一つ。

偏見と独断ですわ。これですよ。これが切り札ですなー。

勝ち目はないのですが、勝負ですなー。

 

さて、個々人の心情は、と言いますと、それはその人の生き方と密接な関係がありそうですな。

と言うことは、生き方と密接な関係にあるのが、言わずと知れた、生命、すなわち「命」と言うことにはなりませんか。大飛躍で御座います。低空ながら、飛んでますねー。バタバタ。

ここ一番と言う時は、偏見と独断の出番ですよ。これ以外には、御座いませんよ。大飛躍偏見独断大明神

そうなのですよ。個々人の心情などと言うものをコントロールしているのは、その個々人の「命」に他ならないのですよ。決め!

アントニオ・イノチ(アントニオ・猪木氏)でも、イノッチ(井ノ原快彦氏)とは関係が御座いませんよ。念のために。余計なことでした。御免。陳謝。

 

「命」、The lifeですよ。

「心情の根」は、「命」なのですよ。ホントかな ???

謝って貰いたい、あいつを謝らせたいと言う、心情はどうして起こるのか、と言う答がでましたね。

それはまさに、個々人の「命」に根源を持つものなのですよ。窮した時の偏見と独断による結論です。

人間のみならず、動物は皆つねに行動しますね。これは、生きて行くために、欠かせない事だからです。行動の源は、「命」の維持、発展にあるのです。

これは、植物とて同じです。日の光を求めて、我こそはと、伸びようとしていますね。

生命を持つものの最も基本的な行為は、本能に基づくものである、と言われますね。結局は、本能の元は、生命、「命」なのでしょうね。

これで、一件落着で御座います。

これが、窮地における偏見と独断の限界ですなー。メイッパイですなー。

謝る人も、謝られる人も、「命」が懸かってますよ。

頑張りましょう。

しかし、傲慢にはならない方が、良いですよ。きっと。

 

幾分のヒマ潰しになりましたでしょうか。

どなた樣でも、とーにお判りのところに、落すのが、良いのですよ。

エッ、ダメですって。

オマケして下さいよ。

こんなところで、本日のアホくさい、バカバカしい、クダラない話の打ち止めと致します。

長々と、どーも、済みませんでした。御免なさい。勘弁して下さい。

 

どうも、お疲れ様で御座いました。

お後がよろしいようで。