《停念堂閑記》9

「停念堂寄席」9 (2014-02-13)

 

《お笑い逆転性理論》

 

毎度 馬鹿馬鹿しいお笑いで 恐縮でございます

世の中 難儀なこと続きで 大変でございます

毎日 毎日 ストレスがたまって 

本当に 御愁傷様でございます

しばし 馬鹿馬鹿しい お笑いで 

幾分でも ストレス解消となればと思う次第でございます

もっとも 馬鹿馬鹿しいお笑いを聞いたところで 

難儀なことが解消するのか 

ストレスが解消するのか 

と問われますと 断言できますが 何の保証もございません

なお一層 ストレスが増したりして 

申し訳ないことになり兼ねません

まさに 紙一重と言ったところが 実情かも知れません

なんとか そのようにはならないように とは思うのですが 

どうでしょうか

入場料払って 寄席に来て 「どうでしょう」 

と言われたって 困りますよね

本当に 困るんですよ 

ここだけの話ですが こっちだってね 

実は 困りきっているのですから

何を話して良いものか 弱りきっているのですよ

毎日 同じ話をするわけにも参りません

この間も 「その話 昨日も聞いたぞ」 とお客さまに怒鳴られました

余程 お暇だとみえまして 毎日 お見えになっておらるようでして

困った いやいや とっても有り難いお客さんのようで 

感謝いたしております

とは申しますものの そんなにそんなに面白い話が 

ころころと 転がっているのか と言うと そうは参りませんよ

ネタ切れで もう大変でございす

ちょっとや そっとのことでは お客さま 笑ってくれませんから

毎日 毎日 ストレスのたまりっぱなし もうストレスでパンパン

なに 脂肪がついてパンパンだろうって

そういうことを 言われるたびに ストレスが溜るのですよ

お客さまの方も 面白くもない話をき聞かされて 

ストレスの溜りっぱなしでしょ

気を付けてくださいよ そのあたり もう ストレスだらけ 

どこもかしこもストレスの山になっていますから

この間も 途中で入ってらしたお客さま

座席に座るなり もう とたんに むかついてらっしゃるのですよ

そうなんです ストレスが沢山たまっていた椅子に 

座ってしまったんですよ

私の話を聞かないうちに もう いらだってるんですよ

そのはずなのです 椅子のスプリングが 

いきなりお尻にささっちゃっていたんですよ

もう 大騒ぎ  

そんなことシリませんでしたって

いまごろ 腰を上げても手遅れですよ

どの椅子にも 積もり積もったストレスが びったり張り付いてますから

今日 お帰りに成られましたら 

早速 ズボン クリーニングにお出しになられることをおすすめいたしますクリーニング屋さんが きれいにとってくれますから

採られたストレスが 別の人のにくっついちゃったりして

それを持ち帰ったお客さんが それを着るなり イライラしはじめたりして

そんなバカなこと ありませんよね 

どうもね 私の話がお気に召さないお方が多いようなんですわ

とにかく 面白くないらしいのですよ

ところが この間 私が話している途中 

急に大笑いなさったお方がおられたのですよ

久々に ウケタ やったな と思ったのですよ

そこで 今の話 面白かったでしょう  と水を向けましたところ

なんて おっしゃったと思います

お客さま 曰く

「昨日 テレビで見た落語の落ちが分からずに 

ずーっと 引っ掛かっていた

それが 今 分かったんですよ いやー 良く出来た話だねー」

だって

何で 私の話中に ひとの落語で 笑うんだ つーの

本当に 場所を弁えて下さいよ  私にもメンツユ

間違い メンツー つーものがあるんですから

本当ですよ 私にだって フライドチキンと言うものがあるんです

また 間違えげーた プライド ですよ プライド

間違わずに キチンと覚えておけって

プライドキチン てか 

下らないこと言ってんじゃねーって ごもっとも

落語の落ちの一つに 「考え落ち」と言うのがありまして

すぐには落ちが分からないように

後で ふとした きっかけで 面白さが分かる というのがあるのですよ

これは 作るのに 相当配慮が必要です

すぐに落ちが分からないようにしておかなくてはなりません

かと言って どう考えても 落ちが分からない

今際の際まで 引っ掛かったまま と言った 難解なのはいけません

作った当人も分からなくなってしまったりして

ところで 先程 一つ「考え落ち」 を仕込んでおいたの 

気が付いてますか

全然 気が付いていない

良く思い出しながら考えてみて下さいよ

後で あっ あれか と気が付いたのが そうですから

気が付かないお方は あっさり 諦めて下さい  

大したことでは無いのですから

しょせん フライドチキンを 

プライドキチンに化けさせる程度のものですから

ところで 何の話でしたっけ

そうそう 私の話で なぜお客さまが笑わないのか と言うことですよ

つらつら 考えてみますに この原因は 二つあることに気が付きました

そもそも 寄席と言うのは お客さまと噺家によって 

成立しているものです

異論ありますか  ありませんよね

ですから 笑わない原因は お客さま か あるいは 

噺家かのどちらかにあると 考えるより無いのです

ずーっと 原因を辿れば 結局は政治家のせいなんですがね

みんな政治家が しつかりしていないから 困ったことに成るのですよ

異論ありますか ありませんよね

取りあえずは お客さまか 噺家か と言うことになるのですよ

答は いたって簡明です

原因は お客さまにあり

私の話が可笑しくなくったって

お客さんさえ笑ってくれれば なんの問題もないのですよ

何か異論ございますか

問題ありませんよね

えっ 異論がある お前の話がつまらないからだって

つまらない それがどうかしましたか 

つまらなくったって 笑えばいいではありませんか

つまらない ぐだらないって 笑い飛ばせばいいではないですか

それで一件落着と言うものなのですよ

あのね 私らは お客さまに笑ってもらって なんぼの商売なのですよ

従いましてね この「笑い」と言うやつをですね 

よく知っておかなくては 商売にならないのですよ

それでですね この「笑い」についての研究がすごく大事なのですよ

お客さま “笑い”とはどういうことなのでしょう 

と聞かれたとしますと

どのように説明しますか

「笑い」なんて あまりにも日常的な事柄なので 

構えて問われると 何と言ったら良いのか 些か戸惑ってしまうのですよ

そこで 因に “笑い”を国語辞典で引いてみましたところ 

幾つかの意味が書かれていましたが

まず 最初に「笑うこと」(スーパー大辞林) とありました

間違いありません 「笑い」とは 「笑うこと」です

しかし 思わずニヤリとしてしまいましたよ

私が笑わされて どうなると言うのです

たとえば 学校の国語のテストで “笑い”の意味を問われた場合 

これに「笑うこと」と解答したならば ○を貰えるでしょうかね

きっと 国語学の偉い学者先生なのでしょうが 

この解説をつけているお方も 何と解説すれば最も適切なのか 

いろいろ悩むところがあったのではないのでしょうか 

結局 この辞典の全体にわたる編纂方針で 

この手のことは このように処理しょうと言うことになったのでしょうね 

その結果が 「笑い」とは 「笑うこと」と言う 解説になったようですよ

因に “泣き”の項を見てみましたら 最初に「泣くこと」とありました

編集方針はキチンと統一されているようです

しかし 大正解の解説ではありますが いまひとつ 物足りないのですよ

「笑う」に限らず 言葉の基本にかかわる解説は 難しいもののようですよ

たとえば、幼稚園児に 「顔」はどうして 「かお」と言うの 

と聞かれたら どう説明します これは 難しいですよ

「顔」だから 「かお」なのですよ 

などと言ったところで 納得しくれませんよ

ねえー どうして どうして おせーて おせーて と迫られますよ

よくは知りませんがね  

思うに きっと最初に「顔」を 「かお」と言ったやつがいたのでしょうなー

それが 皆に広がって行って 普遍化して 

「顔」が「かお」といわれるようになったのでしょうな

なんで 「かお」と言ったのでしょうね

最初に「顔」を 「あし」と言っていたら 

今頃は 「顔」が「あし」なのですよ

ややこしくなりますよ これは

最初に 「かお」と言ったやつの 「顔」を見たいものですね 本当に

そこでね、なおしっこく 

今度は“笑う”を引いてみましたら(スーパー大辞林)

一番最初に

「おかしさ、うれしさ、きまり悪さなどから、

やさしい目付きになったり、口元をゆるめたりする。

また、そうした気持ちで声を立てる。」

と解説されていましたよ これですよ 私の求めていた答えは

いいですか お客さま

私の話を聞いていて 「可笑しい」 「嬉しい」 

「極まり悪い」などと感じた時は

おもいっきり 「やさしい目つきになって」 「口元を緩めて」 

「そうした気持ちで声をたてて」くれれば 

それで 万事 まるく納まるのですよ

なんですって 「可笑しい」 「嬉しい」 「極まり悪い」など 

ちっとも感じない  

だから 「やさしい目付きになんぞならない」 

「口元なんぞ緩まない」 

「そうした気持ちで声なんぞたてられない」って 

ああ いいですよ

それならそれでもいいですよ そんなことくらいで 

怯む私ではないですから 

そんなこと言われたら 倍返し ですからね

国語辞典の「笑う」の解説の2番目を見ると

「笑う」とは 「ばかにした気持ちを顔に表す」 とあるのですよ

小馬鹿にした笑いですよ 難しくは 嘲笑 あざけ笑い 

せせら笑いのことですよ

私の話が 面白く無い 詰まらない 下らない と感じたら

すかさず 馬鹿にして 笑らえばいいのですよ 

私の方は 笑ってさえもらえれば それでいいのですから 

頼みますよ 本当に

これでね 私の話は どっちに転んでも 笑えるのですよ

あとは お客さんの協力次第なのです

だから 私の話で 笑わないのは お客さまに原因がある 

と言うことが お分かり戴けましたよね

私の方には 何の原因もございません ノープロブレム

強いて申せばですね

政治家のせいなのですよ

どうしてか ですって 

いいですか 国会

「お客さまは 寄席噺家の話を聞いたならば 笑わなければならない

これに違犯した場合は 過料30,000円以上」

と言う 法律を成立させれば良いのですよ

政治家は この作業を怠っているのですよ まったく

お笑い業界から選出された 立川談志 西川きよし 

パンパカパーンの横山ノック氏ら 何の役にもたちませんでしたよ 本当に  

因に このほかに 国語辞典の「笑う」には

「つぼみが開く、花が咲く」

「縫い目がほころびる」

「しまりがなくなり、十分に働かなくなる」

と言う解説も付けられていますよ

「つぼみが開く、花が咲く」については

「このところ急に陽気がよくなって 固く口を閉じていた桜の蕾も 

かわいらしく二つ三つ笑い始め 満開も間もなくとなりました」なんてね

ほのぼのとした春の陽気も漂うというものですよ 

「このところめっきり陽気がよくなって、固く口を閉じていた桜の蕾も

ようやく二つ三つ笑い始め、

間もなく大笑いとなることでしょう。」となるのと 

“お笑い”になるとのですよ  

また 「このところの陽気で、公園の桜が一斉に笑いだし、

もうやかましいの何のって・・・」となると けっこう笑えるのですよ

「縫い目がほころびる」に関しては

花見の席で 課長がさ しゃがんだとたんに 

ズボンの尻の縫い目が笑っちゃって 

中からキティちゃん柄のパンツがのぞいちゃってさ 

もう笑った 笑った・・・」と大笑いできるのですよ

「しまりがなくなり、十分に働かなくなる。」と言うのはですね 

言うまでもなく

「昨日 富士山に登ったよ このところ運動不足だからさ 

下山の時にはもう膝が笑っちゃってさ よたよただったよ」

などと使われるわけです

「6人のグループで行ったんだけれど 全員膝が笑っちゃってさ 

もう笑い声の大合唱で 喧しいのなんのって・・・」

となる とお笑いになるわけです

さて 「笑い」に関係して

「おかしさ、うれしさ、きまり悪さなど」は人の心の動き 

すなわち 「気持ち」のことで 人の感情のことであり

「やさしい目付きになったり、口元をゆるめたりする。

また、そうした気持ちで声を立てる。」ことは 人の心の動きの表現 

すなわち 感情表現の一つということができるわけです 

いいですか このことを踏まえて

「笑い」とは と言うことについて まとめますと

すなわち

[“笑い”とは、人が「おかしさ、うれしさ、きまり悪さ、また、

何かを馬鹿にした時など」の感情表現の一つ] ということになるのですよ

「笑い」とは 「笑うこと」ではあまり説明になっていないのです

したがって 当寄席の国語辞典では

[“笑い”とは、人が「おかしさ、うれしさ、きまり悪さ、

また、何かを馬鹿にした時など」の感情表現の一つ] 

と言う解説をつけることにします

どうです 勉強になるでしょう

この間 こんな調子で話をしましたところ 

私の真ん前に座っていたお婆さん

帰りしなに 

「私は 今日の話を聞いて 大変勉強になった

ついては 授業料を支払いたい」と言い出したのですよ

驚きましたよ

仕方がないので

「お婆さん 大学では 入学金と授業料を別建てで徴集しますが

寄席では 入場料の中に 入学金や授業料的なもの 

さらには トイレの使用料にいたるまで 全部込みになってますから」 

と教えてあげましたところ  

お婆さん 何とおっしゃったと思います

「分かってますよ 冗談です 

ちょっとからかってみただけですよ」 だって

油断も 隙もありませんね  寄席にくる方は 本当ですよ

全く 頼みますよ

これが 私だったから よかったものの

以前 ドングリ目玉の国会議員の相方で 髪をチックでキッチリ固め 

レンズの入っていない黒ぶちの眼鏡を掛けた 漫才師の方 おりまたよね 

あの方だったら もう大変なことになってますよ きっと

カーッとなると 前後不覚に陥る方でしたからね

「コノヤロー ドッツクデー」なんて言いましてね

既に ドッツカレて 倒れている人めがけて怒鳴るんですよ

ドッツクデー と言う前に とっくに ドッツイテますねん

普通は ドッツクデー と怒鳴ってから 

ドッツクのが 順序と言うものですが

あの方 発言と行動の前後関係が もうメチャメチャなんですわ

ところで 何の話をしていたのでしたっけ

ドッツクの話でしたね

これに これに似たのに シバク というのがあるのですよ

実はね ここだけの話ですが 私 以前に 

大阪弁を勉強したことがあるんですよ

勉強するにあたって やはり 教科書が必要ですよね

あれこれ 探しましてね 

私に 合ったのを漸く見つけましたよ

はるき悦巳先生 御存じですか このはるき悦巳先生の著書

『じゃりン子 チエ』 これですわ 全67巻

朝起きて 昼寝もしないで 読みましたよ 夜は寝ましたが

これで もう大阪弁 完璧ですわ ホンマ

「おっちゃん」と「おっさん」の違いがわかりますか

どっちも たいしてかわりは無いだろうと 気にしていなかったのですよ

ところが チエちゃんが お好み焼き屋のおじさんのことを

おっさん」と言ったら

 チエちゃんのおばあはんが たしなめるんですよ

「おっちゃん」でしょ とね

やっぱり 本場でないと 

おっさん」と「おっちゃん」のニュアンスの違いが分からないのですよ

同じく 「ドッツク」と「シバク」のニュアンスの違いも

分からないのですよ

そこで 大阪からいらしていた方に その違いを聞いてみたのですよ

そしたら 「ドッツク」より「シバク」の方が 格上なんだそうですよ

強度が違うのだそうで

「シバクデー」と言われた時には かなりヤバイとのことでした

その上を行く 「イテコマスせー」と言うのもあるようです

このようなニュアンスの違いは 他所者には あまり分からないのですよね

と言うわけで 「ドッツク」について 

幾分理解を深めて頂けましたでしょうか

授業料は結構ですよ 入場料込みですから

話を本筋に戻します

「笑い」とは、どういうことか お分かり戴けましたか

後で テストをしますからね 

できなかった方は 残って 補習をしてもらいますから

面白く無い 私の話を タップリお聞かせ致しますから

但し 時間外労務ですから 授業料はとりますよ

さて 「笑い」についてですが 次に 問題となるのは

どのような時に 「笑い」が発生するのか と言うことです

先に まとめましたように

「おかしさ、うれしさ、きまり悪さ、また、

何かを馬鹿にした時など」に

人は 笑うようなのですよ

そこで 問題となるのは 「おかしさ、うれしさ、きまり悪さ、

また、何かを馬鹿にした時など」の具体的な内容についてなのですよ

まず「おかしさ」についてですよ 

この「おかしさ」の内容なのですが 

私の研究したところによれば どうも

滑稽・剽軽・戯(おど)けなど

と表現される要素の存在が大事であるらしいのですよ

さらに 滑稽・剽軽・戯(おど)けと言った要素の内容はと言うと

馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさ 

そして恍(とぼけ)などと表現される事柄であるらしいのですよ

すなわち 馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさ 

そして恍(とぼけ)などと表現される事柄に遭遇した時に 

人間は“面白さ”を感じ “笑い”のスイッチが入ることが多いらしい 

ということが分かって来たのですよ

てすから このような事柄を踏まえた 話をすれば 笑いがとれる 

と言うことなのですよ

ここまで 判明すれば もう こっちのものですよ お客さま

御安心下さい もう 笑わずじまいで 帰る心配は ございませんよ

おもいっきり 笑えますから

次にですね 「嬉しい」時にも 人は笑うものらしいんですよ

嬉しい時とはどう言う時か 具体的にみてみますと

お客さんが 大笑いしてくれた時ですよ 

そりゃー もう 嬉しいのなんのって

しかし これは 殆ど当てにならないのですよ 

だから 私は 嬉しがってはいられないのですよ

一般的に 人が嬉しくなることを 拾ってみますと

何と言っても

「恋人が出来た時」ですよ 

もう とにかく ニコニコですわ あの顔でも

そして 「恋人と ついに 何した時ですよ」

お客さん 何を 連想しました まったく 嫌らしいんだから

「恋人と首尾よく結婚出来た時」ですよ

そして

「妻が旨い夕飯を拵えて 優しく帰りを待っていてくれた時」

「夫が元気で浮気もせず キチンキチンと給料を入れてくれる時」

「元気な可愛い赤ちゃんが生まれた時」

「子供が希望していた幼稚園・保育所に入れた時」

「子供が元気で活躍した時」

「漸く役付に出世した時」

「念願のマイホームを持てた時」

など など ずーっと 続きましてね 最後に

世の女性が 一番嬉しがるのは

「檀那が 定年で退職金をもらった翌日 

コロット と逝ってくれた時」ですわ

もう 涙を流して 笑いが止まりませんよ  ホンマに

次に

〔おかしさ〕や〔うれしさ〕からくる“笑い”と比べて 

あまり人から好まれる“笑い”ではないのが 

〔何かをばかにした時〕に出る“笑い”ですよ

いわゆる「人を小馬鹿にした“笑い”」・

「優越感による“笑い”」などと言われる類の“笑い”ですよ

他人に遣られると無性に腹が立つけれども 自分がやるのは快感ですよ

日常生活の中にあっては 結構やっていることが多いようですよ

「他人の不幸は 蜜の味」なんて言われたりしていますよ 

誰にでもこの種の感情はあるようです

私の話を聞いて このような感情が湧いた時には すかさず笑って下さいよ

私は お客さまが 笑ってさえくれれば それで いいのですから

決して 選り好みは 致しませんから

てな訳でしてね

“笑い”を起こさせるネタ作りにおいては 

この〔何かをばかにした時〕に出る“笑い”に繋がる要素を

有効に使用することも肝要なのですよ

もう一つありましたね

「きまりわるい時」に出る「笑い」ですよ

これも感じる側の固体の事情により相違がありますけどね

一般的には あまり他人に見られたくない部分を見られてしまった時に 

この〔きまり悪さ〕の感情が発生し 

この感情の処理の一方法として 

笑ってことを納めると言うことが起きるようですよ

それ 皆さんがよくやる「誤魔化し笑い」って言うやつですよ

失敗した時なんぞ 「ヘヘヘヘヘ」なんてね

しかし この笑いは 寄席では 殆ど 役にたたないのですよ

お客さまが 「きまりわるがって」 

「ヘヘヘヘヘ」なんて 笑う場面は殆どないのですよ

仕損じて 照れ隠しに「ヘヘヘヘヘ」とやるのは こちらの方ですから

こちらが 笑ってどうするのです 意味ありませんよ

お客さまが 笑わなくては

だから 「きまりわるい時」にでる笑いは

寄席では 殆ど 役にたたないようです

以上の分析によりますと

「おかしさ」・「うれしさ」の感情表現の笑い 

そして「何かをばかにした時」に出る笑いの要素を取込んだ話をすれば 

笑いが起こると 言うものなのですよ

これで もう万全です  笑えまっせー  ホンマに

試しに 一つやってみますから よく聞いていないと 分かりませんよ

では いきますよ

「昨日 ソバを食べに行ったら 間違えて ラーメン食べちゃった」

どうして 笑わないの お客さん

馬鹿馬鹿しい話でしょー

阿呆くさい話でしょー

間抜けで ドシで トンマな話でしょー

笑いの要素が ぜーんぶ つまっとりまっせー

「ナンデヤネン」 

ほんまに たのんまっせ 

「笑い」につていの 研究を踏まえての結果ですよ 

こんな日々が続きますとね

流石に 色々と考えさせられるのですわ

そこで 面壁八年 考えに考え抜いたのですわ

嘘でッセ 本当は6分36秒 ですわ

もう これが限界でしたわ 

足が痺れて 足が痺れて もうどうにもならなかったのですわ

この厳しい修行の結果 ついに 悟りましたね

そもそも お客さまから笑いをとろうなんて言う 

大それたことを考えること自体がおお間違いだということを

これが面壁6分36秒の結果得られた結論ですわ

時間をかければ良いと言うものではありませんよ

すごい事は ちょつとしたタイミングで 閃くもののようです

足の痺れが とことん限界に来た場合 

もう これから逃れるためには 閃くより術はないのですよ

もう しゃにむに 閃かせますね  雷光の如くにですよ

ピカピカ ドーン てなもんですわ ホンマ

あんまり 派手に ドカーンとやりますとね 

そのショックで せっかくの閃きを 

度忘れてしまう危険性がありますから

まあ ほどほどにしていおいた方がいいですよ

その結果が お客さまから笑いをとろうなんて言う大それたことを

考えること自体がおお間違いだ ということですわ 

どうです もう 天才的な閃きでしょう

あの相対性理論の生みの親 アインシュタインでさえ 

気が付かなかったことですよ  本当ですよ

これが 世に言う 逆転性理論と言われるものですわ

ノーベル賞 もらえるかも知れませんな

その時は 閃いたこの現場で 祝賀パーティーをやりますから

お客さま 必ず来て下さいよ

冗談ですよ お客さま 

なに 本気で聞いている人は 誰もいない 皆無 オールナッシング 

失礼致しました

お客さんをダシに使ってはいけません

よくお客さんを オチョクッテ 笑いをとっている芸人さんを見かけますがあれはいけません イモリだかヤモリだか 

アジだかホッケの開きだか知りませんが 

素人さんをオチョクッテとる笑いは関心できません

ちょっとだけならいいけれど

私がやっている程度のものなら

お客さんを オチョクッテ 笑いをとるくらいなら

いっそのこと 場内をシーンとさせた方がまだ増しと言うものです

この点については 天性と申しますか 私は達人ですから

すぐに シーンとさせることが出来ますよ

私が これは絶対ウケルと思ったことを 話せばいいのですから

そしたら シーン お参りの人がだーれもいないお通夜 シーン

しかし 今後はそうは参りませんよ なんったって 悟りましたからね

逆転性理論

私が これでは笑いをとれない と判断した話をすればいいんですよ

そんなん 簡単なことですわ

わざわざ どこぞへ取材に出かける必要など さらさらありませんよ

それでもね ネタは必要ですから どこかからか 

仕入れる必要はあるのですよ

手っ取り早くは テレビを見てれば いいんですよ

お笑い芸人と称される若手の方が よく出ています

時々 訳の分からないことを言っては 

スベッタ スベッタ とか言って 仲間内だけで 

大喜びしている よく見られるシーンでしょ

あのスベリネタ 確かに面白くないですよ 笑えるシロモノではないですよ

あのようなやつを やればいいのですよ

私が 面白く無いと思えたネタを拾って来てやれば

逆転性理論上では おおウケとなるのですよ

ちょっと やってみますよ

しっかり 聞いて下さいよ 一回しか言いませんからね

昨日 ソバ屋さんで ソバを食べて来たよ

なんで笑わないんですか

こんな味も素っ気も無い話

逆転性理論にのっとつた こんな話

寄席では めったに聞けませんよ

こんな話で 笑いをとろうとする噺家さんは いませんから

あのね ここだけの話ですが

以前にですね この逆転性理論を用いて 爆笑をとった噺家がいたのですよ

知ってます 爆笑王の異名をほしいままにした 先代の林家三平師匠ですよ

あのですね 

噺家はですね あれこれ考えてですね

よし これならお客さんに笑ってもらえるな 

と判断した話を高座にかけるのですよ

ところが これが全然受けない時があるのですよ

どうも 話のもっとも肝腎な落しネタが 

お客さんに気が付いていただけない

と言うことがあるのですよ

そのような時 噺家は 落しネタの解説をすると言うようなことは 

決して 絶対しないものだったのですよ

噺家にとって 何が悲しいかと言っても 

自分で話した落しのネタの解説をしなければならないほど

悲しいことは ないのですよ

先程言いましたように 私にだって 

フライドチキンというものがあるのですよ

ほかの噺家さんだって フライドポテトと言うものがあるのですよ 

ところが ところが 先代の 間違わないで下さいよ 先代のですよ 

先代の三平師匠は このような時にですね

「今の話のどこが可笑しいのか と言うと」とやってのけたんですよ

これが 大ウケしましてね

まさに 逆転性理論にのっとった手管ですわ 実にみごとなものでしたよ

その上 ここが可笑しいところだ と言う時に 

手を軽く握って 耳のあたりへもっていくから 

と笑いのポイントのサインまで出すと言う 

サービスまでしていたのですよ

逆転性理論は おそろしく威力があるものなのですよ

三平師匠はですね 笑いのポイントのサインを出していましたが

私はね あらかじめ 笑いの基礎を教えておきますから

先ほど 「笑い」の解説をしましたでしょ

笑いの要素を ちゃんとお教えしましたよね

笑いの要素が チラチラとしましたら すかさず笑って下さいよ

早い者勝ち ですから

えっ もう忘れちゃったですって あとでテストをやると言ったでしょう

居残りの補習は 授業料 頂きますからね

さきほどは ちょっと やり損じたようですね

こういう時は 謙虚に現実を受け止め 見つめ直すことが 肝要なのですよ

基本にかえって 勉強しなおさなければなりません

「昨日 ソバ屋さんで ソバを食べて来たよ」

これでは やっぱり 笑え と言う方が無茶ですね

全く 塩っ気が効いて無いなから

ちょっとヒネリを入れてみるか

「昨日 遠くのソバ屋さんで ソバを食べて来たよ」 これならどうです

可笑しいでしょう  また スベッタか

どこに ヒネリが入ったのか と言うと

「遠くのソバ屋さん」と言うところが ミソなのですよ 分かりました

ミソでなくて 醤油だろうって 

お客さん そこまで気をお使いになられなくても いいのですよ 

疲れますからね 気楽にやって下さいよ

「遠く」は「ソバ」ではないでしょ と言うヒネリなのですよ

この矛盾したところが 面白いところなのですよ

全然 面白く無い

これが 面白く無い と言うのはゆゆしきことですよ

これはもはや教育の問題ですなー

学校で ちゃんと 笑いの面白さと言うものを 

教えていないのではないのかなー

これでは 笑いを忘れた日本人になってしまいますよ

よーし 学校教育がダメなら  社会教育の場というものがあるから

社会教育で 笑いの基本を 教えることにすればいいのですよ

これですね  教育が大事なのですよ

ちゃんとした教育が行われてさえいれば 

可笑しいものは可笑しいと言う感情がわくのですよ  

よし 教育をすることにします

まず 洒落のいろはから 行きましょう

へたっぴーにやると 駄洒落って言われますよ

やはり 基本を踏まえて 格調高くなければ なりません

洒落は 掛け言葉の遊び として良くやられます 

同じ言葉なのに 異なった意味がある と言う点を遊びとしたものです

たとえば

「空き地に 塀ができたってねー へー」

囲いの塀と 感心したり 驚いたりした時に発する

へー と言うのを掛けたものです

しかし 塀とへー では 塩っ気が いまいち足りないのですよ

そこで

「空き地に 囲いができたってねー  へー」

とやるのですよ 「塀」をダイレクトに表現せず 

別の言い方の「囲い」と表現するわけですよ

その上で 囲いから「塀」を連想させて へー と持って行くわけです

ちょっぴりヒネリを入れるわけですよ

この ヒネリが入っていないと 

マンマ じゃーねーかって バカにされるのですよ

歌丸師匠でしたら すかさず 座布団をとってしまいますよ

ヒネリが肝腎なのですよ

「空き地に 風変わりな囲いができたってねー  ヘンスねー」 

とか バリエーションを変えてやるわけですよ

この例は 最も初歩的なもので 誰にでも 分かるでしょうが

もしも ですよ これを

「空き地に 立派な塀が出来たねー  カッコイー」

とやった場合は

すなわち 塀 から 囲いを連想させ

そして 立派から カッコいいを連想させる

それで カッコイー と持って行くわけです

もしも これを聞いて この3点の掛け具合が 

とっさに分からなかった場合は

先程言った「考え落ち」になって 後で気が付いた時に 

面白みが分かることになるのですよ

ずーっと 分からずじまいの場合は

この作品に無理があったか 分からなかった人が不粋なのか 

と言うことになるのですよ

「あっ 屋根が壊れた 雨漏りしそう  まー ヤーネ」

これではだめなのですよ そのまんまで ヒネリがないから

「あっ 瓦が割れている 雨漏りしそう  まー ヤーネ」

でないとダメなのです

わかりますか

「バッタが倒れた  バッタ」 ではダメ

イナゴが 倒れた バッタ」 でなくては

ネコが病気で ネコんじゃった」 ではダメ

「タマが病気で ネコんじゃった」 でなくては

「ケーキにアリンコが たかっちゃつた  アリャー」 ではダメ

「ケーキに小さい黒い虫が たかっちゃった アリャー」 でなくては

そうそう こんなのはどうでしょう

「パパは 小さな会社を経営しています 不況で困っています

不渡りを出しそうになっています

そこで ヘソクリを持っているママに お金を貸して欲しい と言いました

ところが ママはカーさん

そのため パパはトーさん」

どうでしょう 

 

なに くどい 一つやれば分かる    

では お口直しに こんなのはどうでしょうか

東海道中膝栗毛』 そう弥次さん 喜多さんの話を書いた

十辺舎一九の辞世の句と言われるものがあるのですよ

辞世の句と言えば 深刻ですよ

天神様となられた そう 菅原道真公の 

東風(こち)吹かぱ 思い起こせよ 梅の花 主なきとして 春をわするな

とか ですね

忠臣蔵でお馴染みの 浅野内匠頭

風さそう 花よりもなおわれはまた 春の名残りをいかにとかせん

などは良く知られています  深刻なものです

これに対して 十辺舎一九さんの方は えらくくだけてますよ

この世をば どりゃおいとませんこう(線香)の けむり(煙)とともに 

はい(灰)さよう なら

と言うやつですよ どうです ふざけたものでしょー

掛詞を重ねた 良く出来た狂歌ですねー

これの解説は もーヤボというものですが 今日は 

教育の一環として やむを得ず解説しますよ

シチュエーションは もう目を落とすかどうか 

と言う緊張しきった状況です

そこで「いよいよ この世ともおいとますることになる」 と言うところを

「この世をば どりゃおいとませんこう(線香)の」とやっているわけです

おいとました時 すなわち 死亡した時には お線香があげられます 

そこで「せんこう」と来るわけです 切り離せない関係なのです

次に お線香ときたら 火が付けられて煙りがただよいます

そして 燃え尽きたら 灰になります

そこで 「どりゃおいとませんこう(線香)の」

「けむり(煙)とともに はい(灰)」とくるのですよ

お線香も 灰になったら 一貫の終わりです 

そして 別れのときには 

それではどうも「ハイさようなら」などといいますから

お線香の燃え尽きた灰と この「はい」を掛けまして

おいとまするわけだから ハイさようなら となるわけですよ

これで 自分も 燃え尽きたお線香のように 

一貫の終りと言うことなのですよ

自分の一生を お線香に掛けているのですね 

はかなさが滲み出ていますね

これが よもや今際の際に 即興でひねり出されたとしたら 

本当に驚きですよね 

おそらく 予め何時の日にか用意しておいたものを 

タイミングを見計らって出したものかと推測されますが 

ふざけているといえば これほどふざけたことも無いように思えますね 

戯作者の神髄と言うところでしょうか

これくらい 掛け言葉を駆使できる才能があれば 苦労はしません

からっきし無いから 困っているのですよ

辞世の句といえば 十返舎一九と並ぶ江戸時代戯作者で有名な大田南畝 そう 蜀山人と言う方がいましたが

この方は 武士 旗本でしたよ 

長崎奉行所の役人を勤めたこともありましたよ

この方の辞世の句が 掛け言葉は使われていませんが 

結構 ふるっていますよ

今までは 人のことだと思うたに 俺が死ぬとは こいつぁたまらん

実感がこもっていますね

臥せっている枕元に めったに顔を見せなかった知人が 

チョコチョコ訪れるようになると 

俺もいよいよか と思わない訳にもいかないようです

そこで一句

今までは 人のことだと思うたに 俺が死ぬとは こいつぁたまらん

となる訳ですね

パチンコ好きの貴方に 辞世の句を一つ用意しましたよ

打ち納め 出玉少なく 幾星霜 財布の中身は こりゃータマらん

なんてね パクリ

てなわけで

お客さま 「笑い」についてのポイントは お分かり戴けましたか

教育の効果を信じています

笑いの要素に出くわした時には 迷わず 笑いましょう

では これからテストをします  

お帰りの節 赤点の方は しばし お残り下さいませ

どうも 失礼致しました どうぞ御海容の程をお願い申し上げます

お後が 宜しいようで