《停念堂閑記》14

「停念堂寄席」14

 

『たまには 笑えない話』 (2015-12-31)

 

本日は、ようこそのお運びで、ありがとう存じます。

私ども噺家は、笑いを売ると言う「笑売」で御座います。

人間、大口おっ広げて、馬鹿笑いしている時が、一番しあわせなのですから。

みんな幸せを求めていますよね。

人間、笑っている時は、間違いなく幸せなのですよ。

大いに笑って、幸せになりましょう。

今日は、お笑いの大バーゲンセール中ですからね。

一つでも多く買って頂き、大いに笑って、一時(いっとき)でも、心休まる時を過ごして頂ければ幸いで御座います。

 

そもそも笑いとはですね、おおむね〔人が「おかしさ、うれしさ、きまり悪さ、また、何かを小馬鹿にした時などの感情表現の一つ」〕であると認識して良いようです。

人間が“可笑しい”と感じた時、笑うわけですが、その“可笑しさ”の内容には、滑稽・剽軽・戯(おど)けと言った表現で表される要素が存在しているようですよ。

 さらに、滑稽・剽軽・戯(おど)けと言った要素の内容は、馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさ、そして恍(とぼ)けなどと表現される事柄であるらしいですよ。

 要するに、早い話が、馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさ、そして恍(とぼ)けなどと表現される事柄に遭遇した時に、人間は“可笑しさ”を感じ、“笑い”のスイッチの入ることが多いらしいのですよ。

 ですから、本日は、笑いの大バーゲン中ですから、馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさ、そして恍(とぼ)け売り場等を、色々と特設しておりますので、一つでも多くお買い求め頂き、楽しんで頂ければ、幸いで御座います。

それから、予め申し上げておきますが、ここは、寄席で御座います。すなわち、お笑いを楽しんで頂く場で御座います。

従いまして、今申し上げた笑いの要素に関わる事柄に接した時には、たとえ取るに足らない些細なことでも、取り敢えず笑いましょうね。ここは、そう言う場なのですから、場の空気を読んでですね、宜しくお願い致しますよ。

くれぐれも、念を押しておきますが、寄席は、お笑いの場なのですからね。

ここは、四の五の言わず、笑わなければならない場所なのですよ。

そこんところを、良く弁えて、宜しくお願い致しますよ。

ちょっと、練習しておきましょうか。

何事も、いきなり本番となると、緊張して、失敗しがちですからね。

とにかく、何でも、練習を積んでおくことに越したとこはありませんよ。

それでは、かーるく、駄洒落を一発参りますよ。

心の準備は宜しいですか。それではいきますよー。

 

ネコがヤネから落っこちて、ネッコに頭ぶつけて、ネコんじゃった。まー、ヤーネ。」

 

[受けなかった場合]

“オー ノー!”

あのですね。お客さん。場の空気を読まなくてはいません、と言ったばかりでしょー。頼みますよ。本当に。これでは、先が思いやられますな。

 

[受けた場合]

そうです。これで良いのです。今日のお客様は、実に場の空気が良く分かる、とっても良いお客様です。

 

それでは、もう一度、練習しますよ。いいですか。

 

ネコが、ヤネから落っこちず、ネッコで、頭も打たず、ネコむこともなく、ニャンともなくて、良かった。良かった。」

 

[受けなかった場合]

“オー ノー!”

お客さん。本当に、頼みますよ。今迄の私の説明は、一体何だったのです。

ちゃんと聞いてました。

反抗期は、とーの、とーの昔に過ぎているのですから、素直な気持ちでお願いしますよ。

 

[受けた場合]

お客さん。今の駄洒落は、お笑いの要素である「馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ」などが、ちゃんと備わっているでしょ。

これは笑わずには、いられませんよね。この調子で、お願いしますよ。

 

では、もう一つ、練習、練習、

ネコが・・・・・」

エッ、ネコはもういい。イヌでやれって。

お客さん、突然、無茶言いますね、ホント。

 

では行きますよ。

「イヌが、ヤネから落っこちて、足を傷めて、ワンワン泣きながら、ケンケンしていた。まー、ヤーネ。」

 

[受けない場合]

“オー ノー!”

これもダメ。

何でイヌがヤネに登ってんだって。

そんなこと、登っていたんだから、しょーがないでしょ。

これが、「イヌが、犬小屋で寝てました」では、ダメでしょ。

なんにも、面白くないでしょー。

細かいことは、気にせず。おおらかに参りましょうー。

頼みますよ。ホント。

まー、練習は練習。

本番で、しっかりできれば、何ら問題はありませんから。

期待していますよ。ホント。

 

[受けた場合]

この調子、この調子です。幸せがきてるでしょー。

昔は、笑う門には、ハッピー カムカムと言いましたよ。

これを聞いていた孫に、ハッピーと言うガムがあるの、と聞かれましたよ。

どこか、ガム会社で、作ったらいいかもね。

幸せがくるガム“ハッピー カムカム”なんてね。

これっくらいでは、売れないか。

まー、とにかく練習は積めば積むほど効果的と言われます。

それでは、いま一つ、

 

調子に乗るな、いい加減にしろって、

そりゃー、そうですね。失礼しました。

しかしね、ここで笑っておかないと、幸せが遠のきますよ。

現在における状況の変化は、激しいですからね。急にやってくる場合がありますから。

 

例えばですね。寄席にくれば、笑えると思っているでしょう。

ところがどっこい、そうとは行かない、笑えない場合もあるのですよ。

笑えない状況が、突然出現する場合があるのですよ。

 

エッ。あんたの話は、いつも笑えないって。

“オー ノー!”

お客さん。キービしいですね。

お客さんが、そう来るのなら、こっちにだって、意地と言うものがありますよ。

それなら、今日は、これからは、笑い抜きでいきますよ。ホント。

絶対に、絶対に笑わせないことにしますから。

枕で、今日は笑いの大バーゲンです、と言いましたが、あれは急遽撤回します。

早々に、店じまいしまして、代わりに、面白くない話の大バーゲンに切り替えます。いらないと言っても、無理矢理買わせてしまう事にします。

 

それでは、はなはだ突然ではありますが、面白くない話のトツプバッター、自然の脅威についての、まじめな話を致しますからね。

良いですか。寝むたくなったら、寝てもかまいませんから。

ホントに、寝てはダメですよ。ウソ寝、タヌキ眠りくらいにしてくださいよ。

 

話は、がらっと変わりますが、人間のして来た事を振り返ってみますと、それは、まさに自然との勝負といった感がありますなー。

何かにつけて、自然との対決が、人間の歴史のようにも、思われますなー。

大自然と果敢に戦っておられる方がいらっしゃいますよ。

知ってますよね。三浦雄一郎さん。80過ぎのあのご高齢で、エベレストと勝負しているのですよ。

地球温暖化とは言え、エベレストは厳しいですよ。

極度の低温、希薄な酸素、バリバリの氷雪、強風、絶壁、あの過酷な自然に、果敢に挑戦していますなー。

いったい、何なのでしょうかねー。

月並みな「山がそこにあるから、登るのさ」と言うのと、わけが違いますよ。

私だったら、“オー ノー”です。

絶対登りませんよ。とんでもない。お断りです。

もっとも、見ようによっては、三浦さんは、過酷な自然と勝負しているのではなく、ご自分と勝負しているようでもありますがね。

とにかく、すごいですね。

 

原始時代、人間は、風雨を除けて、洞窟で生活をしました。

その内、家を建てて、風雨を凌ぐようになりました。

また、雨除けに、カッパを開発し、さらに傘を開発し、車をつかえば、濡れる心配が無く、移動も可能になりました。

実に、自然対策に怠りありませんな。

大雨で川が氾濫し、洪水被害が出れば、堤防を築いて、氾濫を防止し、また、それよりすごい洪水がおこれば、さらに、堤防を高くする。イタチごっこは、尽きることがありませんな。

東京では、荒川江戸川など、えらい高い所を流れてますな。天井川と言うそうですよ。

堤防が壊れたら、町中はひとたまりもありませんな。

たちまち、泥水に飲まれてしまいますよ。

泥水を飲んではいけませんよ。まずいですから。

 

真面目な話に、こう言う下らないことを混ぜると、顰蹙(ひんしゅく)をかってしまうのですよ。不謹慎な、ってね。

しかし、寄席での話ですからね。多少は、ご勘弁頂きませんとね。

ホントに、お客さん、寝入っちゃったりすると、まずいですからね。

寄席は、簡易宿泊所ではないですから、寝るのはヨセ ってね、言わなきゃならないのですよ。よろしく どうぞ。

地下鉄などで、地下の深いところにいる時に、堤防が決壊したとすると、もー、想像を絶しますな。

モグラが、ションベンかけられた時どころではありませんよ。

これも、寄席特有の流れですので、悪しからず。

 

また、東日本大震災大津波は、記憶に鮮明ですね。

まさに、家が一瞬に藻屑と化したり、流されたり、船が陸に上げられたり、ものすごい状況でしたね。

その後、何日間か、テレビで、一番スゴイ状況の所を、繰り返し、繰り返し流すもんだから、もー、あの状況がずーっと継続している感覚になってしまいましたよね。お陰で、津波の脅威が、強烈に心に刻み込まれましたよね。

世の中で、何が怖いと言っても、津波ほど怖いものはない、と言う心境になりましたよね。

 

そして、対策が論じられることになりましたね。

津波に負けられるか、と対策された高い高い防波堤の建設の話は、どうなったのでしょうかね。

マスコミも、このごろはとんと取り上げなくなりましたね。

当初は、怖いものは、津波なのだから、何を置いても、これを防ぐのが、先決だ。と言うことで、津波対策の、防波堤建設の急務が論じられましたね。

しかし、だんだん、時間が経過すると、様子が、幾分変化して来たようですね。

高い高い防波堤は、津波予防にはメリットがあるかも知れませんが、色々と問題点も指摘されていますね。

冷静になって見れば、何時襲来するとも分からない津波に、高い高い防波堤の設備で対応する事が、最善なのか。問題も多いのではないか、とねー。

高い高い防波堤を建設したら、海岸で生活する人々は、すごく不便になってしまうデメリットも、大きいですよ。

漁師さん達、港での船の出入りは、どうなるのですかね。不便になりますよ。きっと。

船の出入りの為に、広い間口を開けて置いたのでは、全然津波予防としての意味がないですからね。津波のツッパリにはなりませんよ。

かといって、大掛かりな開閉式の防波堤など、建設費がすごく多額ですよ。

使用する機会があるのか、ないのか、何時とも分からないのにねー。

とにかく、漁港の建設が、すこぶる大変になりますよ。

 

また、海で遭難事故があった時は、海岸に辿り着いても、高い高い防波堤の壁に阻まれて、陸に上がれず、また、波にさらわれてしまいますよ。

難儀な問題ですな。

 

似たような発想で建設された、中国万里の長城は、どれほど役にたったのでしょうかねー。随分と長期にわたって、金と人手はかかったようですが。

今は、観光に役だっているようですが、建設当時は、異民族の侵入を防ぐのが目的だったのでしょうから。

建設を始めた秦の始皇帝も、まさか観光の目玉にとは、思ってはいなかったでしょうね。

今は、世界各地から、たくさんの観光客が訪れて、まさに異民族が殺到して、混雑しているようですよ。

本来、異民族除けだったのにねー。皮肉なものです。

 

専門家だか、マスコミの判断なのか、よくは知りませんが、三陸を襲ったような大津波は、1000年に1度あるかどうかだとか、盛んに報道されてもいましたが。

それが本当だとすると、数年前に来たばかりだから、あと1000年は大丈夫と言うことになりはしませんか。

これは。屁理屈と言うもので、算数的発想で、事が処置できるものでない性格のものである事は、誰もが知っていることです。蛇足乍ら。

 

高い高い防波堤の建設より、取り敢えずは、津波の来そうな地域に、緊急の避難施設を建設する方が現実的ではないのでしょかね。

高い高い防波堤を設置して、さあ来い、と待ち構えるより、通常は、色々な目的に使用できて、緊急時には避難所となる施設を整えた方が、良いように思いますが。

防波堤は、波除け専用ですからね。波除け以外には、何の使い道のない、ばかでかい、むしろ邪魔な存在になりますからね。

多額な費用を投ずるのならば、もっと効果的なプランがありそうですが。

どうでしょうかね。

海岸地域に生活する人は、大変な状況になっているようですね。

兎に角、津波に飲まれては大変と言うことで、高い岡に住居を構えた方が安全とのことで、かなり不便な場所に住まなくてはならなくなっている地域も見られるようですが。

のべつ暇なく、しょっちゅう大津波が来る訳ではないでしょうから。

日常生活の便利さも、大切ですからね。これは毎日のことですからね。

1000年に1度の事ではないですから。

 

自然の脅威は、津波だけではありませんよ。

その原因となる地震もありますからね。

停止している原発も、活断層の上や近くにある場合は、地震による危険度が高いので、再稼働をしてはならない、とか騒がれていますが。

しかしね、稼働していようが、止まっていようが、原発の近くで、大地震が発生すれば、それはそれは、えらいことですよ。動いている、止まっていると言う問題では、ないですからね。

止めて、廃炉にすることだって、大変なんですからね。

基本は、危険と言う見地からすれば、原発は、存在すること自体が問題なのですから。

著名な地震学者さんは、活断層がない所でも、地震は起きる可能性がある、と言い切ってましたよ。

“オー ノー!”

活断層の有無に関係なく、地震が起きるとすれば、原発再稼働の判断基準は、いったい、何なのですかね。

原発存在の可否は、原発の下に活断層が有るか、無いかが、切り札になっている感がしますが、大丈夫ですか。ホンマに。

 

とにかく自然との対決は、骨折しますなー。

いや、骨が折れますなー。

 

地震ときたら、お次は、火山の噴火。これも脅威ですなー。

火山国の日本ですから、この脅威からは逃れられませんよ。

活発な火山が幾つか注目されていて、絶えず観測されていますなー。

南の方からは、鹿児島県桜島。これは活発ですなー。

噴火の優等生。褒められたものではありませんけどね。

通常でも、小間隔で、小噴火を繰り返していますからね。

特に、夏は、鹿児島市の人たちは大変ですね。南風に吹かれて、火山灰がしょっちゅう降ってますよね。夏なのに、窓しめきって、外出にはマスクしたしりて、大変ですね。

隣の阿蘇山も怖い火山ですよ。あの広大なカルデラを作った大噴火の経験を持つ火山ですからね。草千里と言われているあの広大な草原となっている、あの上にあった山を全部吹っ飛ばしたのでしょうから、恐るべき火山ですね。

霧島火山帯と言うそうですが、これは本当に恐ろしい火山ですよ。この火山の噴火で、吹き上げられた火山灰は、世界中、どこででも、体積しているそうですよ。特徴のある火山灰なので、見分けやすいのだそうですよ。実に、どでかい噴火の経歴があるようで、これにあばれられたら、もー、たまったものではありませんね。

アー、ソー、何て言ってる場合ではないですよ。ホント。

 

本州では、注目されるのが、やっぱり富士山ですなー。今は、おとなしそうな顔してますが。わたしゃー、世界文化遺産だよーん、なんて。

これが、なかなかどうして、どうして、油断できませんよー。

昔の話ですが、奈良時代だか室町時代だかに描かれている富士山は、煙をはいているとか。今は、ネコかぶって、涼しい顔してますが、ヤバい山なんですよ。

静岡側から見ると、中腹に出っ張りがありますが、あれが宝永山ですね。

新幹線からも良く見えますね。

江戸時代、お犬樣で知られている5代将軍綱吉が死亡する2年前、宝永4年、と言いますから西暦1707年の大噴火で出来た跡ですね。

およそ半月に及ぶすごい噴火だったらしいですよ。

多量の火山灰を吹き上げて、これが周辺に降り積もって、それはそれは大変だったようですよ。

 

山梨側、今は笛吹市、昔は石和と言われていた所、そして、一方、少し東京寄りの都留市、昔は谷村(やむら)と言われていた所から発して、富士吉田市で合流し、そこから山中湖の西側を通り、富士山の東側を南下して、御殿場市を通過して、東海道沼津市に達するルートがあります。これを昔、鎌倉往還と称していましたが、これが甲州街道東海道を結ぶ、物資の流通路になっていたのですよ。東海道側から、魚や酒など多くの物資山梨、すなわち甲州へ運ばれていたのですよ。

江戸時代にはですね、物資を運ぶ制度が定められていて、宿継(やどつぎ)と言って、街道には宿場が置かれていて、宿場には、荷継問屋(につぎどんや)が整備されておりましてね、手前の宿場で積み出した荷物は、次の宿場の荷継問屋で積み替えて、更に、次の宿場に送り届けると言う、宿場のリレー方式で、荷物が輸送されたのですよ。

東海道は、よく知られている53の宿場が用意されていましたね。

甲州街道東海道を結ぶ鎌倉往還でも、この輸送の原則に従って、往還の村々で荷物を継ぎ送りしていたのですが、これがですね、宝永の富士山噴火で、太平洋側の一帯に火山灰が降り積もってしまったのですね。

それで、畑も田圃も道路もあったもんじゃなく、一面火山灰原っぱと化してしまったのですね。見事と言う他なかったでしょうね。見渡す限り、火山灰の原っぱ。今のように背の高い建築物がなかった時代ですからね。ズーッと、火山灰の原っぱ。

道路も、畑も、田圃も見分けがつかなくなってしまったようですよ。

それでも、人間生きて行かなくてはなりませんから、必要な生活物資を運ばなくてはなりません。

もともと、富士山の裾野は、農業には不向きで、農業生産は低く、農業だけでは生活が出来なかった地域です。

結局、村人達は、何で生計を建てていたかと言うと、出稼ぎにも行きましたが、多くの農民は馬を飼って、それを引いて、鎌倉往還に出て、荷物の運搬で稼いでたいのですよ。運送業をやっていたのですね。

これが、宝永の大噴火によって、火山灰が降り積もって、道路の見分けがつかなくなってしまったのですよ。

そこで、運送業者達は、どうしたかと言うと、当然のことですが、火山灰の原っぱの中を最短距離でいけるルートを開発したのです。

東海道沼津宿で積んだ荷物を、噴火以前より短縮したルートで、甲州へ運び始めたのですよ。

なんと、新開の高速道を開発したようなものですよ。運送時間が断然短縮されましたね。魚の運搬など、以前より便利になりました。

ところが、このことによって、以前の往還にあった村々が損害を被ることになり、訴えを起こしたのですよ。

と言うのは、噴火の以前は、沼津宿から甲州へ荷物を輸送する場合は、鎌倉往還の村々を宿継ぎ方式でやっていたわけで、各村は宿継による口銭(こうせん)、すなわち金銭を得ることが出来たのですよ。

また、魚などは、村々で積み替えるリレー方式では、時間がかかり、傷んでしまいますから、これらのスピードを要する品物は、積み通しと言って、村々で荷物を積み替えず、同一運送業者が、ノンストプで運搬することが行われていたのですよ。

ただし、積み通す場合は、村々の荷継問屋に、所定の口銭を支払って、着け通す慣例でやっていたのですよ。従って、噴火以前の往還の村々は、これらの収入を失うハメとなってしまったのですね。

村々もだまっていませんよ。旧権利奪還のために、幕府に訴え出たのですよ。

往還を噴火以前の状態にしてくれ、とね。

結講、大きな訴訟になりましてね。幕府から役人が現地に派遣されましてね。色々と調査しましたね。そして。その判決は、おおむね噴火以前に復されましたね。

富士山の大噴火は、色んな所で、色んな問題を引き起こしましたが、田圃・畑、一面火山灰が降り積もってしまった農民の被害がすごかったですね。

しかし、農民エネルギーもすごいですね。全て、手作業で、ブルトーザーもダンプカーなんかないのですよ。全て手作業で、降り積もった火山灰を取り除いて、田畑を耕作可能な状態に復したのですよ。 

福島原発事故の後始末で、除染して出た放射性物質を含む土砂の置き場に四苦八苦していますが、除去した火山灰の置き場にも苦労したようですよ。とにかく半端な量ではないですからね。

致し方なく、以前の耕作地の一部に、除去した火山灰を積み上げる事にしたところもありましたね。

しかし、農民も黙ってはいませんでしたよ。火山灰の置き場によって、耕作が出来ない農地が発生したので、早速、この分の減税を運動しましたね。封建行政側も、これを認めないわけには行かず、しぶしぶながら、減税に応じたようですよ。

先日の豪雨で発生した、鬼怒川の氾濫による被害地では、このような問題がどうなってるのですかね。被害箇所の固定資産税はしっかり取っているのでしょうかね。

ちょっと話が、ずれますが、あのね、お客さん。

川の近くに土地を購入するのは、良く考えた方がいいようですよ。

以前知合いが、嘆いていました。

ようやく手に入れた土地が、豪雨によって、近くの川が岸を削って、結局、自分の土地が消えちゃった、と言っていましたよ。

“オー ノー!”なんて言ったって、モー、手遅れですから。

図面の上では、自分の土地は、川と化しちゃったと言うことになるのでしょが、この場合、固定資産税はとられるのでしょうかね。

この川のこの部分は俺の土地だ、と言って、堤防でせき止めちゃったら、怒られるだろうね。ボートなどで、そこに立ち入ったら、不法侵入で逮捕されるのかね。

川の近くの土地は、注意した方がいいようですよ。蛇足乍ら。ホント。

 

また、暴れん坊火山で有名なのが、浅間山。これも油断ができませんよ。

すごい噴火が、江戸時代の後半期、天明3年、西暦1783年の大噴火。兎に角すごかったようですね。

この年の旧暦の4月、新暦すなわち今の暦のおおむね一月おくれですが、4月から噴火が始まり、3ヶ月に及んで、大小の噴火を繰り返し、遂に7月8日に、超大噴火したのですよ。

この時の模様を描いた絵が残っていますが、もう、噴出している火柱は、すごい高さに描かれていますね。

浅間山の何倍かに、描かれていますよ。当時の人々には、本当に、とてつもない脅威に映ったのでしょうね。

真っ赤に熱せられた大きな岩石が、とんでもない遠くまで、至っていますよ。

いま、高原野菜の生産で良く知られている妻恋村では、幾分大袈裟にいえば、多少割り引いて聞いて下さい。タタミ一畳四方もあろうかと言う、大きな石が、畑の中に幾つか、まだ転がっていましたよ。昭和55年のころでしたが。

真っ赤に熱せられたこんな大石が、火砕流となって流されて来たか、はたまた空から降って来たか、なのですよ。降って来た、とすると、それはすごい光景ですね。

“オー ノー!”では、すまされませんよ。

真っ赤に燃えた大石が、ドッカン ドッカンと飛んで来るのですよ。ぞっとしますなー。

現在、避暑地として大人気の軽井沢は、焼けた熱い石が降って、町が全焼したのですよ。今の繁栄ぶりからは、考えられないでしょう。

吹き上げられた真っ赤な溶岩は、水蒸気や土砂を巻き込んで、火砕流となって、三方向に流れ出したのですよ。

その一つが、嬬恋村を直撃したのですよ。

のどかな村に、熱泥流となって、時速100キロ近くのスピードで、押し寄せて来たようですよ。島原普賢岳の時より、すごかったでしょうね。

その結果、村は泥流に埋もれてしまったのですよ。現在の嬬恋村鎌原地区の数メートル下の地下には、天明3年7月時の村がそっくり埋まっているのですよ。

日本のポンペイと言われてますよ。知ってますか。

いまは、その上の土地で、高原キャベツを作ってますが。

村の小高い所に、観音堂がありましてね。ここに駆け上がって、命からがら生き延びた村人が、全部で95人だけ。観音堂前の石段は50段あったのですが、上の部分15段を残して、熱泥流に飲まれてしまったのですよ。

今の嬬恋村鎌原(かんばら)地区のことですが、ここには、

「生死を分けた15段」と言い伝えられてきましたが、この15段の上部に辿り着いた者だけが、生き残ったと言う訳です。

昭和54年から鎌原地区での発掘調査が行われたのですが、この時に、観音堂の石段部分が発掘されました。なんと悲惨な状況が現れたのですよ。

ちょうど一番下の、階段の登り口地点から、2体の骨が見つけ出されたのですよ。

あと34段を残して、熱泥流に襲われてしまったのですね。

この骨も、身元不明ですからね。一応事件扱いとなるのですよ。司法のもとでの検査が必要なのですね。今も時々事件がらみ等で、白骨化した遺体が見つかったりしますが、これと同じ扱いになるのですね。法律に従って、群馬大学医学部法医学が行われていますので、ここに持ち込まれて、検査されましたね。

結果、2体とも女性であること、1体はお年寄り、もう一体は、成人婦人とわかりましたね。

察する所、お舅のおばあさんを背負って、お嫁さんが走りに走ったのでしょうが、あるいは幾分年の離れた妹が、姉を背負って走ったのでしょうか、観音堂の石段に辿り着いたところで、遭難したもようですね。骨が重なって見つかったのですよ。悲惨ですね。

頭髪も残っていたほか、なんと脳が崩れずに、残存していたのですよ。

実は、小生は、この発掘調査に幾分関わっていたものですから、史料の調査などに、時々出掛けていたのですが、発掘後の研究会に行きましたところ、博物館などで魚などをホルマリン漬けにして保存してあるのと同形の瓶に、見慣れないものが入れられておりましたので、これ何? と聞きましたところ、発掘された脳だよ、と聞かされて、驚きましたね。

“オー ノー!” 何て言ってる場合では、ありませんでしたよ。

噴火時から、200年ちかく経過しているのですから。

よく残ったものですねー。びっくりしましたよ。

 

これはこれとしまして、天明浅間山噴火の続きですが、当時は、浅間山から赤鬼が飛び出した、と言われたのですよ。真っ赤な溶岩が吹き出た様子を言ったものですね。この一部が、冷えて固まって、現存するあの鬼押出しの奇岩群を形成したのですね。まだ、見てない方は、一度みてくると良いですよ。

自然の脅威が分かりますから。

あの近くに東大地震観測所がありましてね。深い深い穴を掘って、その底に地震計など観測機器を設置して、浅間の活動を観測していますね。垂直に掘られた、目のくらむような深い穴ですよ。ここの研究者は、あの垂直な壁の梯子を上り下りしているのですね。のぞいただけで、くらくらっときますよ。足だってガタガタきますよ。私は、絶対だめですね。

このような環境で、浅間の活動を観測して、噴火の恐れがある時は、直に注意報や警報を発してくれるのですね。

このような研究者には、まったく頭がさがりますね。予報がはずれても、なんだ、外れではないか、何て言ったら、バチがあたりますよ。大外れ、大歓迎なのですから。的中した時などは、えらい目に合うのですからね。

それから、さらにすごいことが起こりましたね。

浅間山から火砕流が駈け下り、山麓を流れている吾妻川(わがつまがわ)をせき止めてしまったのですよ。自然災害のダムが出来てしまったのですね。

これが、後で、遂に耐えきれなくて、決壊してしまうのですよ。これが、利根川に一気に流れ込んでしまったのですよ。

この二次災害が、また、すごかったのですよ。

利根川流域は、どえらい事になってしまったのですよ。もー、大洪水。人の死体が流れてくるは、馬などの家畜の死体が流されてくるは、被害が大きかったのですよ。今と違って、予報なしに、一気に襲って来たのですから、たまったものではありませんよ。豪雨の後でもないのに。

この時以来、利根川の治水が重視されるようになったのですよ。

またですね、鎌原村の復興の様子が、すごいですね。

観音堂に逃れて助かった人々も、実は、家族がばらばらになっていた場合が多かったそうです。

そのような状態にあるのを、封建行政側はどうしたと思いますか。

なんと、お代官樣のもとで、妻を失って生き残った男性と、夫を失って残った女性を夫婦となし、親を失った子供を、その夫婦の子供として、家族を作っていったようです。

噴火後、このような方法で、一家を立て直し、村を形成して、農耕を奨励したようですよ。

まだ、地面の熱がさめない頃にですよ。植えた芋は、たちまち焼き芋になっちゃったとか。そんなわきゃー、ありませんが。

何のためか、と言うと、言うまでもなく、年貢を確保するためですよ。

封建権力の怖さが、かいま見られますね。

さらに、また、とんでもない事に、天明浅間山噴火が、世界に影響を及ぼしたようですよ。

と言うのはですね。

アイスランドラキ火山グリムスボトン火山と言うのがあります。

これも厄介な火山でありましてね。グリムスボトンは、最近では2011年に大噴火し、飛行機がとべなくなって、ヨールッパが大混乱になったことは、まだ、記憶に新しいですね。

この二つの火山が、1783年に大噴火を起こしましてね。これに時を同じくして、浅間の大噴火が起きているのですよ。

この結果、大袈裟にいえば、吹き上げられた噴煙塵が地球を覆い、日射が極めて弱くなってしまったのですよ。地球全体が赤色警報ですよ。勢い、農業に大打撃を与えることになったのですね。

この結果、特に、フランスでは、旧王政の下で、ただでさえ苦しめられていた農民・市民が大打撃を受けましてね。遂に革命を起こすことになったのですね。

ここに、あのフランス大革命が、勃発したのですよ。

なんと、浅間の大噴火が、フランス大革命勃発に、影響を与えていた、と言われているのですよ。

ルイ16世マリー・アントワネットギロチンに追いやったことに、浅間の天明噴火が、関わっていたのですね。

よもやルイ16世マリー・アントワネットも、浅間の攻撃は、予想していなかったでしょうね。

「浅間よ、お前もかー」、と言ったところですね。

もっとも、ルイ16世マリー・アントワネットも、浅間山を知らなかったでしょがね。蛇足乍ら。

まったく、世の中、何が起こるか、分かりませんよ。

 

富士山浅間山が、大爆発する。ついては、とっておきの避難場所を提供します。

何て言う電話がかかってきても、絶対にお金を渡してはいけませんよ。

そんな時には、ひとまず、私にお金を預けましょうね。

なんて言うのに、引っ掛かってはだめですよ。最近は、二重、三重に手の混んだやり方できますからね。

火山の大噴火は、暫くの間隔がありますが、詐欺の電話は、のべつ暇なくきますからね。気をつけましょう。人ごとではないですからね。

どうしても、お金を渡したくて、振り込みたくて、しょうがない時には、私にご連絡下さい。すぐに、相談にのりますから。そんな人はいないか。

とにかく気をつけてくださいよ。本当に。予想外の事が起きますから。

 

北海道に渡りますと、有珠山と言うとんだ暴れん坊がいますよ。

私の知っているのは、1977年昭和52年噴火ですね。

山頂近くまでロープウェーが行っていましたが、この駅が燃え上がっているのが、テレビ中継されましたからね。

このときの噴煙は、なんと12,000メートル上空まで達した、と言われてますよ。 ちょうど千歳空港を飛び立って、名古屋空港に向かっていた飛行機に、なんと、噴火して吹き上げられた火山弾が命中して、2枚のガラスが割れて、千歳空港に引き返した、と言うことですよ。

余程、間が悪かったと言うほかありませんね。

この噴火の2・3年後でしたかね。現地に、行ってきましたね。

火山灰が振り積もったところに、雨が降って、木々が灰色に、固まっていましたね。

まるで、コンクリート液を吹きかけて、固まったような灰色の木々が、立ち並んでいましたね。

 

有珠山のすぐ近くに、有名な昭和新山と言うのがあります。

1943年から翌年にかけてですから、第二次大戦の最中のことですよ。

有珠山の活動が活発となり、この時も、噴火口が移動し、あちらこちらで、噴火を繰り返したとの事です。

そして、加えて裾野の畑であったところが隆起し、結局、400メートル以上盛り上がって、山を形成したのですね。これが、昭和新山です。

どう言う縁か、この昭和新山が出来た年に、私は生まれましてね。今もって。新山と同じ年齢なのですよ。

お互いに年を経て、身長が幾分短く縮んだようですが。

一時より、新山の高さが、低くなりつつあるのだそうですよ。

思い起こせば、小学6年生の修学旅行で、クラス皆なで、この新山に登りましたね。出来て12年ほど経った頃ですが、まだ、山肌は熱い所があり、煙が立ち上り、諸処に大きめの岩が点在していて、その下をのぞくと、穴があいていて、黄色い硫黄が付着しており、硫黄臭いガスが吹き出していた所がありましたね。

数年前に、新山の近くまで行きましたが、今も煙が上がっています。私ら修学旅行で登ったあたりは、立ち入り禁止になっているようでした。

昔は、のどかでしたね。いわばできたての新山に登り、クラス全員で記念写真をとってきましたからね。とにかく、猛烈に硫黄臭かった記憶がありますね。

 

その後、有珠山は、2000年、平成12年にも噴火しましたね。この時も、ビックリしましたよ。

なんと、次から次ぎへと、噴火口が移動して、全部で50ケ所以上で、噴出したと言いますから。

以前から、有珠山は、ヤバい火山だと知られていましたから、住民も配慮して危ないと思われる所を避けていたのですが、何せ、火山には、温泉がつきものですから、さらに、景色の良い洞爺湖がありますから、この湖畔に、温泉街が広がっていたのですよ。経験的に、この辺は大丈夫と思われていたのですよ。

ところが、温泉宿のすぐ裏が、噴火したのですよ。宿のほんの裏側ですよ。

北海道銘菓の豆を原料とした「わかさいも」本舗、工場と売店のすぐ横が、いきなり噴火したのですよ。驚きですね。

 

40年以上以前になりますかね。洞爺湖温泉へ行ったのですが、湖畔の観光船乗り場から登り坂を上がって行きった右側辺りのように記憶していますが、火山の噴火体験ができる施設がありましたよ。噴火の映像が映し出され、それと共に、腰をかけている椅子が、猛烈に振動する仕掛けになっていましたね。結講な迫力だったような記憶があります。

2000年の噴火の時も、まだあったのですかね。体験している時に、実際の噴火が起きたとすると、ヤヤッコしい事態になったことでしょうね。

 

さらに、この噴火の時の驚きは、このような温泉街間近での噴火であったにかかわらず、1人の犠牲者も出さなかったのですよ。全員避難に成功したのですよ。

これは偶然の奇跡ではありませんよ。北海道大学の先生が、有珠山の活動を、ズーッと長期に渡り観測していて、やがて、また噴火が必ず起こる事を確信し、地元民を説得し、地元民も良く納得して、常日頃から、避難対策を怠らず、来るべき事態に対処していたのですね。

それで、緊急事態だったのにかかわらず、日頃の訓練にのっとって、見事一人残らず、避難する事に成功したのですよ。まさに、奇跡的といって、良いでしょうね。備えあれば憂いなしでしたね。

 

これに対して、先の木曽御嶽山噴火の時は、不意をつかれ、大きな人的被害が出ましたね。

木曽御嶽山は、何じゃらホイで良く知られた山ですが、何じゃらホイなんて言ってる場合ではなかったですよ。

噴火口近くに、無防備な多くの登山者がいたのが、不幸でしたね。噴火自体は、特別大きかったわけではなかった、と言うことですが、御嶽山は人気の山ですからね。多くの登山者がいたのですよ。不意を突かれて、近くにいた人たちは、なにが起きたか、状況が分からなかったのでしょうね。不幸な出来事でしたね。

でも、心得のある方は、早々に逃げ延びた方もいらしたようですから、普段の鍛錬、心の準備が大切なのでしょうね。

兎に角、自然は怖い側面を持っていますから、一瞬の隙が、大事になり兼ねませんね。と言っても、注意をしていても、対処仕切れないことが、多いですけどね。

 

と、言ったところですが、どーでしょう。笑えない話でしょう。

マー、たまあには、教養バージョンも、悪くはないでしょー。

 

とは言え、寄席に来られて、笑わずに帰るのも、なんですから、ちょっとだけ、お笑いバージョンを、付け足すことにしますから、お楽しみ下さいませ。

とは申せ、たいしたことは、ないですよ。

あまり期待されても、困りますので、前もって、お断りしておくことにします。

 

話題はですね、変わらず、人間と自然の対決でありますが、厳しい気象との戦いだけでは、ございませんよ。

人間、生まれたからには、男女、貴賎を問わず、必ず死亡する訳です。

私だって、その内、死ぬことになるのです。私だけと言うのは、しゃくだから、貴方達だって も、加えておきますよ。生を受けたものは、必ず死ぬのです。

これが命に関わる自然なあり方ですな。

どうです。また、だんだん暗い気持ちになって来たでしょう。

 

しかし、人間はこの命の自然に、昔から、戦いを挑み続けてきましたな。兎に角、長生きしたい、死にたくないのゴリ押しですわ。

そうでない場合もあるでしょうが、殆どの方は、無条件で、長生きを望んでますなー。

かなり長生きしていると思われる御老人に、少々酷ではありますが、「どうして長生きしたいの」と聞くと、

「死にたくねーからだよ」ときますよ。長生きに、理屈はいらないのです。

とにかく、一度受けた命は、何が何でも、無条件に、延ばさなくてはならないのです。本能なのでしょうね。

社会的に役立ったかどうかなど関係なく、長生きしたら、表彰されて、お祝い金まで、頂けることがあるようですよ。

とにかく、長生きに、人間は、果敢に、挑戦し続けていますね。

長生きしたい。できることなら、死にたくねー。永遠に生き続けたい。とは、古今東西、性別、貴賎を問わず、人間が、ずーっと持ち続けてきた願望ですなー。

生きていると言うことは、この上ない、良いことのようですよ。

しかし、老いれば、いつかは死ぬのです。

また、生きていれば、怪我もするし、病気にもなります。これがもとで、命を落すことがあります。

だから、治療の技術を進歩させ、薬を開発して、1日でも、いや1秒でも長生するようにと、頑張ってますよ。

 

医療の現場は、すごいことが可能になってますなー。

この心臓は、もうダメだとなると、取り替えることが出来るのですよ。

性能の良い他人のを貰ったり、人工の部品を使ったり、すごいですねー。

人工多能性幹細胞と言うのですか、通称ips細胞と言うのですか。人体のどんな所にでも使えるような細胞が、開発されているのですよ。

ダメになった細胞を除去して、そこにips細胞を移植すると、以前の機能を持った細胞が再生されると言うことのようですよ。

人体臨床実験も行われていますね。理研で。

同じ理研で、ジュースを使ったレシピで、多能性肝細胞が出来る、と言って、世間を騒がせた方もいましたが、理研では、一方、しっかりした事も行われていますね。網膜再生に、成功したようですよ。

今のところ理屈ですけれど、古い細胞ips細胞を移植して、どんどん老化を防げば、延命間違いなしですよね。そう簡単ではないのでしょうが。理屈としては。単細胞の私としては、そのように、思うのですよ。

そうなると、政府は困りますね。皆んな長寿で、年金欲しがるから。もう、ニッチもサッチも行かなくなりますね。

年金再生のips細胞を開発しなくてはダメですね。

利殖にしくじって、短期間にものすごく多額の損害を出しているようでは、全く、話にならないですね。これだけの穴をあけても、だーれも責任を取らないのですからね。

我が家なんぞ、1ヶ月に7000円の穴をあけようものなら、それはそれは、もー、どえらいめにあいますよ。

某党の幹事長の説明が、またふるってましたね。全体をとおして見れば、赤字にはなってませんから、てなご説明でしたよ。

たとえば、赤字になったとしても、責任をとることはしないのでしょがね。所詮は他人の金ですよ。まるで緊張感と言うものがありませんな。ゼロです。

“オー ノー”です。

 

話をもどして、ips細胞などのことで、一番問題となるのは、脳関係のことなのでしょうね。

下世話に言えば、ノウミソのことですよ。

技術的に、脳の移植が可能なのか、ノーなのか、知りませんが、論理としては、不可能ではないのかも知れませんね。現時点では、クリアーしなければならない課題が多いのでしょうが。

何時か、何処かで、誰かがやってくれる可能性は、ゼロではないでしょうね。ただ、技術や機器や薬品が進歩して、それが可能になる事があっても、それをやって良いか、ダメかの問題がありますからね。倫理の問題です。

しかし、人間は、時に、出来ることをしないで、我慢する事が出来ない性格をもっているようですから、出来るとなれば、今迄の流れによれば、結局は、制約を加え乍らも、実施する事になりそうですね。時間の経過と共に、制約は、だんだん緩くされますから。

長い時を要すると思われますが、いずれは、やって良いと言う方向をとるようになるでしょうね。

そうしたら、どうなるのでしょうか。

スーパーで、ノーベル賞受賞者遺伝子を持ったips細胞が売られたりしていて、・・・・・・。

調子に乗っては、いけませんね。まー、この辺で止めておきましょー。問題が問題ですからね。

 

脳については、倫理上、問題が重すぎるところがありますから、それでは人工知能の開発なら、それほど文句はないだろー、と言うわけでもないのでしょうが、このところ、人工知能の開発がとにかく活発ですなー。

時々、話題を呼んでいるのが、将棋ですね。将棋データをもったコンピュターとプロ棋士と対戦させて、人間の頭脳が勝つか、人工知能のコンビューターが勝つか、対決してますね。

将来的には、より多くの豊富なデータを有するコンピューターが、有利になるのでしょうが。データを作成したり、打ち込んだりする方法の開発 と、手間がかかる話なのでしょうね。手間ひまおしまず、スーパー・コンピューターでも使用すれば、コンピューターに叶わなくなるでしょうね。

かなり以前の、将棋ゲームソフトは、なかなか面白かったですよ。大体は、定跡を中心にしたデータだったのでしょうね。定跡にかけ離れた、突飛な手を指すと、考え込んで、指さなくなっちゃう場合がありましたね。

言いようによっては、ちょっと人間的でしたね。何時迄も指さないのですよ。あれは“マッタ”とおなじですね。根気まけしますよ。

また、ひどいのがありましたよ。まだまだ、勝負が着いていないのに、途中で一方的に、勝利宣言をして、貴方の負けと言い切り、ケームを終了させてしまうのがありましたよ。腹立ちましたね。これから、と言う時に、ですからね。

どやしつけても、素知らぬ振りですからね。どんな性格の方が製作したのですかね。

人工知能の開発は、面白いでしょうね。

おそらく、脳ミソのもとになる材料が、必要なのでしょうね。

長野の大学の場合は、キット、あれでしょうね。

分かりますか。お客さん。

ソーですよ。あれしかありません。信州ミソですよ。間違いなく。

“オー ノー”ですよ。

名古屋の大学の場合は、八丁ミソ。

京都の大学では、白ミソに違いありませんね。

温度・湿度調整は、厳密にやらなくては、ダメですね。

カビちゃった、ひからびちゃった、てなことになったら、

“オー ノー”ですよ。

 

食品加工のロボットは面白いですよ。

餃子作ったり、タコ焼き作ったり、面白いですよ。

機械ですから、同一物の製作は、実に、キッチリやりますなー。寸分狂いなくやりとげますね。

ところが、以前は、機械的な作業をやらせることは、それほど骨がおれることではなかったようですが、人間の感情表現に関わることは、なかなか大変だったようですよ。

しかし、メモリー、すなわち記憶装置の容量が大きくなってきてますから、喜怒哀楽に関わるデータを、兎に角、沢山取り込んでおけば、状況に応じた、それなりの反応をするロボットが作れるようになるでしょうね。

涙用の水タンクも取り付けておく必要がありますね。

 

その内、ロボットが、寄席に来るようになったりしましてね。

ちょっと、過労気味だ。息抜きに寄席にでも言って見るか。なんちゃってね。

とっておきの面白い駄洒落をやったのに、それに反応するデータが取り込まれていなくて、笑わなかったら、

“オー ノー”ですよ。

そしたら、寄席側でも、対抗処置を考えますなー。

落語・駄洒落などのデータを満載した、お笑い噺家ロボットを開発しますなー。

噺家ロボット、お客がロボットロボット同士で、駄洒落で盛り上がってたりして。

何が何だか、訳分からなくなって来ますなー。

お客さんも、帰宅されたら、フカキョン タイプのカワイイロボットが、お帰りー。チュウ。なんてなことに、なりますよ。キット。

ところが、個人名の特定は、はばかられますが、W・Aタイプのロボットだったら、何処ホッキ歩いていたのよ。

いきなり、パーンチ。手加減のデータが入力されていない場合は、もー。一発くらったら。パターン キューですよ。

どうぞ、お大事に。

 

お疲れさまでした。

お後がよろしいようで。