《停念堂閑記》15
「停念堂寄席」15
『オー ノー』 (2016-01-11)
ようこそおいでくださいまして、ありがとう存じます。
あのー、しょっぱなから、突然恐縮でございますが。
お客さん、気を失ったことございますか。
失ったと言っても、何処ぞで、落しちゃった、無くしちゃった、と言うのではありませんよ。
その辺へ、探しに行ったって、見つかりっこありませんから。
エッ、この頃、大体そんな状態が、続いてらっしゃるって。
本当ですか。それはエライことですよ。
エッ、朝ご飯、食べたかどうか、覚えていないって。
驚かせないでくださいよ、お客さん。それは、記憶でしょ。
記憶ではなくて、気、意識の方ですよ。意識を失ったことですよ。
しかし、お客さん。本当に、朝ご飯食べたかどうか、覚えていないのですか。
本当だとしたら、寄席に来ている場合ではありませんよ。
寄席に来て、駄洒落聞いたって、直に、失念してしまいますから。
入場料払った意味がなくなりますよ。
エッ、寄席での駄洒落など、何時迄も、記憶して置く必要があるかって。
そう言われれば、返す言葉はありませんが。
アハハハハの後、きれいさっぱりとお忘れになられても、なんら問題はございませんよ。
しかし、お帰りの時、家まで無事に辿り着けますか。大丈夫でしょうか。
大丈夫ですって。なんの心配もいらない ?
エッ、今のは、冗談。話を合わせて、ちょっと協力しただけですって。
オー ノー !。
お客さん、しょっぱなから、シャレがきついですねー。
実は、私、こう言うの大好きなのですよ。
大歓迎。ありがとうございます。
今日は、気分良く、思いっきり、駄洒落が出そうですよ。
エッ、何を一人で、騒いでいるんだって。
オー ノー !。
お客さん、協力して下さいよ。頼みますよ。
何を隠そう、最近、駄洒落の切れが悪くって、弱っているのですよ。
笑いが出るかどうかは、ネタではなく、お客さんの協力があるか無いかにかかっているのですから。
本当に、宜しくお願いしますよ。
エー、話を本題に戻しますが、気を失ったこと、ございますか。
気を失っていたので記憶に無いですって。
本当は、無い方が良いと思いますが。
ところが、予定なし、想定外に、突然遭遇しますからね。
もっとも、手帳を見ましてね。
オッ 今日は、気を失う日だ。なんて、予定して気絶する人は、あまりいないでしょが。
実はですね、私、予定なしで、気絶したことがあるのですよ。想定外で。
若い頃ですね、寝しなにですね、布団に入って本を読んでいたのですよ。
本を読めば、直に眠くなるはずだったのですよ。
ところが、なかなか眠気が来なくってですね。
明日の事もあるので、眠っておかなくては、と思ったのですよ。
そこで、眠り薬をですね、グラスに注いでですね。一気にゴクゴクとやりましてね。安物のウイスキーですわ。
これでよし。酔っぱらった勢いで、寝てしまおうと言う魂胆ですよ。
それでは、トイレに行ってから、すっきりして、寝てやろうてんで、トイレで小用を足していましたらね。
突然、心臓がですね、動悸がですね、すごい早さになったのですよ。
もう機関銃状態。ドドドドドドドドドド・・・・・・。
数えられる早さなんてなものではありませんでしたよ。
おいおい心臓さんよ、こんなに早く打って大丈夫でっか、てな次第なのですよ。。
兎に角、動悸がすごい早さになったのですよ。
こんなに早く打って、心臓がもつのか。と思った瞬間に、
ドドドドドドドと打っていたのが、
突然、ドーン ドーン となっちゃったのですよ。
とっさに、アアー 心臓が止っちゃう、と思いましたね。
三つめのドーンの時ですね。この瞬間でしたね。気を失ったのは。
どのくらいの時間が経ったのか分かりませんでしたが、そー長い間ではないと思われるのですが。
酔っぱらって、クラクラーとした、薄ぼんやり状態で、なんだかイテーなー、と感じたのですよ。
胸やら肩やらが、無性に痛いのですよ。
トイレに、ぶっ倒れてましたね。
倒れる時、バタンと倒れたか、グタグタと崩れ落ちたか、記憶にないのですよ。
結果的に、トイレに倒れていて、胸や肩が痛いなー、と手で触っている状況で、意識が少し戻ったらしいのですよ。
状況からして、前向きにバタンと倒れた可能性が高いと思われますね。
ですから、倒れた時には、かなり痛かったはずですが、その記憶は、一切ないのですよ。
結果的に、胸と肩がやたら痛くて、気がついたようなのですよ。
倒れた時、何処かにぶつかった瞬間の痛さで、意識が戻った、と言うことではなさそうなのですよ。
ぶ様なものですよね。なんとも。酔っぱらってますから。
この時に、心臓が一時的に止っちゃったのか、単に、動悸が遅くなって、いわゆる強い脳貧血の状態になったのかは、分かりませんが、結果からみれば、あまり長い間ではなそさうなのですが、気を失っていたわけですよ。
とにかく、意識が無くなった時間のあったことは、確かな事なのですよ。
その意識が無くなったとたんに、胸と肩をトイレの壁や便器にぶつけたと思うのですが、ぶつけた時の瞬間の痛さは、感じていないのですよ。けっこう痛かったはずなのですが。
まー 要するに急性アルコール中毒になったと言うことなのでしょうね。
あのまま、意識が戻らなかったら、きっと、あの世とやらに、行ってしまっていたと言うことになるのでしょうね。
と言うことは、あの気を失っていた時、意識が無くなっていた時が、きっと、あの世状態にあったのではないのかと思うのですよ。
痛いも、苦しいも、何にも感じていない状態ですね。
意識が無い状態ですよ。
毎夜訪れる熟睡状態と似てますかね。
完全に、熟睡している時は、何を感じているのか、全然分かりませんからね。記憶にありませから。
だから熟睡状態の時も、あの世状態と似た状態なのでしょうかね。
目が覚めなければ、ずーっとあの世状態なのですよ。きっとね。
だからですね。時々、死んだらどうなるのだろう。と心配している方がおられますが、死んじゃったら、本人としては、熟睡している時の様なものと、思って良いような気がするのですが。どうでしょうね。
どうも、三途の川へ向かって、道を尋ね乍ら、歩いているような雰囲気はない気がするのですが。
でも、ヤッパリ三途の川を渡って、閻魔様の取調べを受けることになるのですかね。
これはこれで、興味のあることですが。
現実には、脳が活動停止、意識が無くなっちゃっていますから。
本人が死んじゃってるんですから。
多分、死んじゃったら、熟睡状態・昏睡状態と同じなのでしょうね。目がさめないだけで。永眠とは、上手いこと言ったものですね。
どうですか。お客さん。大分暗い気分になって来たでしょう。
ところで、本日の話のテーマは何か、と言いますと、暗—い雰囲気の話ではないのですよ。
脳、頭脳につてなんですよ。
エッ、誰がそんなこと決めたんだって。
誰って、言われれば、そりゃー私ですよ。
ナニ、お前が勝手に決めていいのか。もっと、民主的に決めろってですか。
民主的は良いことですよ。しかし、時と場合にもよるのですよ。
民主的な特徴は、皆んなの意見を広く、良く聞く、と言うことですよね。
これ自体は、大変大事なことで、結講なことなのですが、これが、何時でもベストの方法かと言うと、そうではない場合もあるのですよ。
地震だ! と言う時に、さー、どのように対処すべきか、逃げた方がいいかどうか、これから会議を開きましょー、では間に合わないのですよ。
津波だー! もうそこ迄、迫っている。と言う時に、広く皆さんの意見を聞いて、逃げた方が良いか、どうするか決めなくてはならないから、皆さんを招集して下さい。対策会議を開きますから。では、手遅れになるのですよ。死んじゃいますよ。
ね。民主主義の欠点は、緊急時に対処が難しい。結論を得るまでにやたら時間が掛かると言う点にあるのですよ。
昔、豊臣秀吉と徳川家康の連合軍が、小田原の北條氏を攻めた時、北條軍は、籠城して、結論の出ない対策会議を延々とやって、結局、完敗したことがありましたね。この時の、だらだらとした北條軍の会議が、小田原評定と呼ばれ、結論を出せない会議のタトエに使われているのは、良く知られていますよね。
と言うことでですね。今は、何の話とすべきかを、皆んなで話し合って、決めようではないか、と言うことは、私の話の持ち時間からして、到底無理なのですよ。
スッテケテンと言う、太鼓の音に合わせて、次の方が出て来てしまいますから。
はなはだ、残念な事ではありますが、ここでは民主的手法は、到底無理であります。
従いまして、一方的な押しつけで、甚だ恐縮でありますが、こちらで用意致しました、脳、頭脳に関する話とさせて頂ますので、ご了承下さいませ。
脳、頭脳の話と言いますと、何か小難しい話ではないのか。と一瞬お思いになられたかも知れませんが、そーなんですよ。
話題が、脳、頭脳だけに、難解な話で、
かなり理解し難い、小難しい内容になるのですよ。
なかなか簡単には、理解し難い、訳の分からない話になりますから。
分からなくなった時には、ご一緒に。
オー ノー !
とやりましょう。宜しくお願いいたしますよ。
一度、練習しておきますか。
とっさの場合、スムーズにいかないと、まずいですからね。
一度、練習しておけば、大丈夫ですよ。
私が、「それでは、御一緒に。ハイ」と言いましたら、
オー ノー !
と、やって下さいよ。
よろしいですか。
「それでは、御一緒に。ハイ」
オー ノー !
そー、その調子でお願いしますよ。
それから、予めお断りしておきますが、これからの話は、脳・頭脳については、全く門外漢の、トウシロウの笑い話ですからね。あまりマジメに聞かないで下さいよ。
いい加減なところがありますからね。ほどほどにお願いしますよ。
それでは参ります。
ところで、お客さん。時々話題となっている、地球がどのようにして出来たのか、とか、その地球に、どのようにして生命が誕生したのか、人間はどのようにして出現したのか、なんて言うことを考えると、よく分かっていない不思議なことが、本当に沢山ありますよね。全く、身近なことなのに、分からないことだらけですよ。
人間と言うのは、本当に良く出来てますね。なんで、こんな生物が出来たのか、不思議ですよね。
人間、どの部分についても、不思議だらけなのですが、特に、脳、頭脳については、不思議なことだらけなのですよね。
度々の突然で、恐縮でございますが、
お客さん、夢を見た事があるでしょう。
夢と言っても、白馬に乗ったイケメンの王子様が現れて、お姫様ダッコをして、立派なお城へ・・・。
何て言う若い娘さんの妄想ではなくて、寝ている時に見る、大体は何だか、訳の分からない、あの夢の方ですよ。
個体差もあるのでしょうが、良く夢をみる方とそうでない方がいらっしゃるようですね。
正しくは、見た夢を良く記憶している方と、あまり記憶してない方、と表現した方が適切なのでしょうかね。
あのー あまり夢を記憶しておられない方は、脳、頭脳、すなわち頭が悪いのでは、と言うことではないですからね。あまり夢を記憶されていなくとも、落ち込まないで下さいよ。
私の経験では、目覚める直前に見た夢が、記憶されているように感じますね。だから、あまりだらだらと時間的に長いのは、記憶にはありませんね。みんな短編、中途半端なものばかりですよ。
一時間も、見続けて、それを全部記憶していては、疲れちゃいますよね。寝た気がしませんよね。きっと。録画と違いますからね。
記憶に残っているのは、おそらく目覚める直前に見たものなのでしょうね。
この夢がですね、不思議なのですよ。
例えば、登場人物がですね、通常覚醒している時に、記憶のある人物、すなわち知っている人が、現れる場合と、全く知らない人が、現れる場合があるのですよ。
知っている方が、現れるのは、まー、たいして疑問はないですよね。
知合いだから、夢に出て来たって、そー驚きはしませんよ。
これが、知らない方、すなわち記憶に無い方が、どうして現れるのでしょうかね。
全然知らない方がですよ、ひとの寝ている間に、どうしてひとの夢の中に、登場するのだ、と言うことですよ。
全然見知らぬ人が、ひとの夢の中に、断りもせず、勝手に登場して、いいのかと言うことですよ。
風景も、そうですよ。知っている風景と、全然知らない風景の場合がありますからね。
ストーリーに至っては、何となく分かるものと、何だか訳の分からないハチャメチャのがありますね。ハチャメチャの場合は、目覚めて、一瞬、頭オカシクなっちゃったのかと、慌てますからね。寝ぼけながらにね。
この夢というのが、どうして見るのかが不思議なのですよ。
何が現れるのかが、分からないのですから。
予告編があって、今日は、豪華3本立、と言うわけには参りませんよ。
ブッツケ本番。何が飛び出すか、一切不明。見るか見ないかも、分からない。
実に、頼りないものなのですよ。
思うに、結局は、脳ミソのなせる技であろうと、思うのですよ。
お待たせ致しました。ここで、脳ミソの登場となるのですよ。
あのー、表現の問題ですが、この際、脳にミソを付けるのは、どうでしょうかね。どうも、あまり良くないようですので、単に、脳とか頭脳と言う表現にした方がいいようですね。
どうも、小生の性格上、ミソを付けると、名古屋地方の方は、八丁味噌。長野地方の人は、信州ミソか、京都は白ミソか、と言った方向へ進みがちで、すぐ本筋から外れてしまい勝ちなので、オー ノー! ということになりますから、ミソは付けない事にします。因に、醤油もソースもつけませんよ。ワサビも。
この夢と言うのは、脳のなせる技なのでしょうが、なんだか、本人の意志には全然関係がなく、脳自体が、勝手に何かを考えたりしている部分があるのではないのか、などと思われるふしがあるのですよ。
どう思われます。お客さん。
迷惑と言えば、迷惑な話ですよね。
いくら自分の脳だからと言って、本人が眠っている最中に、勝手な活動をするな、ちゅーことですよ。
本人の意志とは、なんら関係ないことを。
寝ている時は、良いですよ。これが覚醒している状況だったら、大変ですよ。脳が、勝ってに何か考え始めて、それに行動が伴ったとしたら、大変ですよ。
ドラマなどで、よく多重人格を取り上げたものがありますが、あのような状態になるのですかね。何とか、夢で、留まってもらいたいですよ。
身体がですね、休眠している時は、頭脳も寝てしまえばいいのにね。
脳の方は、寝ないで、自分勝手に活動ている場合が、どしうもありそうなのですよ。
身体が寝ている時に、脳も熟睡すると、どうなるかと言うと、目覚めに影響するのでしょうかね。
通常は、熟睡して自然に目覚めた時は、あー、良く寝たと、大体は気分が良いものですよね。
しかし、熟睡できず、うつらうつらしただけの時は、寝覚めがスッキリしませんよね。
だからと言って、脳にあまり熟睡されても、困る場合もありますけどね。
地震だ! 火事だー! と言うような緊急事態発生のときに、脳が熟睡状態でお休み中と言うことで、全然反応してくれないのでは、困りますよね。
緊急事態の時は、素早く覚醒して、的確な判断を発してくれないと、困りますよ。肝心の時に、寝ぼけられては、ダメですよ。
夢に戻りますが、私の話で恐縮ですが、小さい頃見た夢の記憶が一つあるのですよ。
小学1年か2年生の頃のように記憶していますが。
私の生家は、田舎の農家でして、屋敷はかなり広く色々な木が植えられていました。
家は、エゾマツやカラマツの屋敷林に、二重・三重に囲まれていて、梨やリンゴや栗の木が植わっていました。
その中に、私の地元では、ハタンキョとかハダンキョと呼ばれていたと記憶していますが、今調べてみますと、巴旦杏(はたんきょう)と言うのが正式名のようです。
これはスモモの一種で、春に白い花が咲き、やがて緑色の実を付けまして、7月の下旬になると、かなり大きくなり、先がチョット尖った桃形で、直径3センチ程になり、緑色がだんだん黄色くなり、熟すると赤くなります。
これをお婆さんが拾って帰り、包丁で、パカット割ると、中から、金太郎の腹掛けをした男の子が、飛び出してくる訳はありません。
緑色の時期のものは、しぶ苦いような味で、食べられたものではありませんが、黄色く色づいてくると、これが、すばらしく強烈にスッパクなるのです。
私は、小さいころから、スッパイさには、鈍感でしたから、さほど気にならず、大人がこんなスッパイものをと言って、誰も食べないのを、得意に なって食べたものです。黄色いのは、米櫃に入れておけば、甘くなると言うので、米の中に潜らせておいて、数日後、幾分甘くして食べることもありました。
赤く熟したものは、甘くて旨いですよ。
今は、プラムと言う名で、スーパーなどで売られているのと、同種のものですね。
この巴旦杏の木が、我が家の庭に数本ありました。どれも、大人が登っても、びくともしない大きな木でした。
母屋の正面20メートルくらいの所に植えられていた1本に、ちょっと見栄えの良い枝が突き出ていたのですが、これに右上方から、何とも言えぬすごい発光体が飛んで来まして、この枝に止まったのですよ。
雀くらいの小鳥のようでもあり、ボールのようでもあり、とにかく金・銀・赤・青・黄色・紫などの光をパーッと発した物体でした。
そうです。これが記憶に残っている夢なのです。
こんな物見た経験は、当然ありませんでした。
今では、クリスマスツリーにこんなのが、いっぱいぶら下がっていますが。私の小さいころ、田舎には、そのような物は、全くありません。見たことがありませんでした。映画もみたことはなかったし、テレビなども勿論なかったし、スマホのゲームなどあるはずもありません。
このような状況で、こんな輝く発光体の夢を見たので、強烈に記憶されたようです。
大きくなってからであれば、神のお告げだ、なんて、新興宗教を開き、教祖樣になれたかも知れないのですが、なにせ当時は、日々の遊びにものすごく多忙でありましたので、ただ記憶に残っただけでした。
思えば、惜しいことしましたね。やりようによっては、クリスマス デコレーション神社くらい、出来ていたかも知れませんよ。
しかし、何でこのような発光体が、突然出現したのですかね。不思議でしようがありませんね。脳の単なる遊びだったのでしょうかね。
脳は、本人が何ら意識していないところで、一体何を考えていたのでしょうね。不思議ですよ。
これは、つい10年程以前のことですが、やけにピントのあったクッキリした、カラフルな夢でした。
ストーリーは良く記憶され、場面も極めて具体的に記憶にあるのですが、覚醒時の意識と、どう関係しているのかが、全く分かりません。
なんと空中におりまして、地上へ向かって、落ち始めているところから始まります。パラシュートは着けていません。身体一貫です。
これはヤバい。地べたに落っこちたら死んでしまう、と思いましたね。
そこで、木が密集している所に落ちたならば、枝がクッションとなって助かるかも知れない、と思いましたね。
そして、下を見ましたら、なんと手頃な松の林が、見えまして、シメタと思いましたね。
ところが、ところがですよ、落下して行く内に、方向が逸れて、松林ではなく、赤や青や黄色のペンキ屋根が、立ち並んだ方へ、急速に落下しているのですよ。
コリャーもうだめか、と感じましたね。
そーしたら、何と、屋根の横に、突然、数本のエゾ松が出現しまして、その1本の梢の部分にしがみつくことに成功したではないですか。
あとは、小枝を尻で折りつつ、幹にしがみついたまま、一気に根元まで、ダダダダと言う感じで、滑り落ちたのですよ。幸いに、痛さは感じず、痛さは全然記憶にありませんでした。
木の根元に落っこちましてね。
そうしたら、眼前は、庭園風の中に、コンクリートで舗装された一本の狭い道がありまして、そこを歩き始めていましたね。
そして、少し進むと、大きなビル風の建物があって、そこを入ると、何か観光地のホテルの土産物を売っているいるようなコーナーがあり、勝って知ったる所のようで、そこをすり抜けて、少し進み、男子用のトイレに入りましたね。
壁が一面小さなタイルばりになっていて、立ちション用の白い便器が幾つか並んでいました。誰もおらず、ゆっくりと用をたすことが出来ました。
そして、トイレを出ると、先ほど通り抜けた土産物コーナーのところに出ましたら、なにやら団体のオバさん連中が、よく見かけるバーゲーンセー ルのワゴンでの品物を取り合っている光景と同じように、なにか土産物を奪い合って、手前にあるカウンターに品物を乗っけて、支払いをしている光景に出っ会 しましたね。
私も土産物を買いたいようでしたが、このオバさんの中に突入する勇気がなく、何も買わずに、その建物を出たあたりで、目がさめました。
ちょと、危ない局面がありましたね。
一つは、空から落下して、カラートタンの屋根に激突する寸前に、良くエゾ松が登場してくれたものですね。モー 激突する寸前でしたからね。本当に危なかったですよ。危機一髪。ツイてましたね。
もう一つは、トイレで小用をたした時ですよ。
あとで、ハッとして、よもやと思い、布団の湿度を点検しましたよ。
以前に見た夢では、小便がしたくて我慢も限界に来ていて、トイレを探しても探しても見つからず、あるいは、ようやく見つかって、飛んで行った ら、やたら混んでいて、コリャー もー ダメー、てな状況で目がさめた経験はありますが、このような時は、実際に尿意が催している場合でして、結局、夢の 中では、小便が出来ませんでしたから、大事にいたらないわけですが、
今回は、極めてスムーズに用を済ませちゃったのですよ。
かなりヤバい状況ですよ。
しかし、ご安心下さい。セーフでしたから。
そして、目覚めても、特に、尿意を感じていたわけではなかったのですよ。
なんで、トイレ何ぞに行く夢を見たのか、分からないのですよ。
この夜、寝る前やその遠からぬ以前に、テレビででも、このような光景に関係ある画像を見たとか、特に、きっかけとなるような記憶が何も気づくことはなかったのですよ。
何だったんですかね。とにかく、突然の夢でして、訳が分からないですね。
自分の脳の仕業に相違ないのですが、何で、このようなことを、脳が夢の中で映像を作り、目覚めたら、記憶に残っていたかが分からないですね。
大体ですよ。当人が眠っている最中に、脳が何かを勝手に考えて、活動していると言うのが良く分からないのですね。
当人自身は、眠っているのですよ。
それなのに、脳は寝ていないらしいのですよ。
私は、寝ると言うのは、脳が活動を停止して、お休み状態になることのように認識したいわけですよ。
本人は、寝ている積もりなのに、脳が、勝って気侭に活動している、と言うのは、本人としては、本当は、寝ているのか、寝てはいないのか、複雑な心境になってくるのですよ。
よく寝言を言われる方がいますよね。
あれも、当の本人は、眠っている積もりでいるのですよ。
それが、夢でも見ているのでしょうか。眠っている本人が、喋っているのですよ。周囲にいる方が、寝言だとは知らずに、その寝言に関係のある事を話しかけたりすると、返事をする事がある、と言うことを聞いたことがありますよ。
しかし、目覚めてから、その事を問いただすと、本人は、全く記憶が無いと言う事らしいのですよ。
寝言は、言葉を発するのだから、これは、脳からの指令を受けて、声帯が行動して、音を発すると言うことなのでしょうね。
だから、脳は、完全には活動を停止している訳ではないのでしょうね。
しかし、当の本人は、睡眠中であり、特に意識して、ある事柄について、思考している、と言うことでは無い状態のように思う訳ですよ。
このような状態の時に、要するに、無意識の状態の時に、脳は、突然何を考えて、言葉まで発しさせるのだろうか、と言うことですよ。
眠っている本人に、何を指令するのか、と言うことですよね。
本人は、熟睡していない状態、すなわち、薄い意識が若干ある状態ではあっても、特に、何事かについて考えている状態ではないのに、脳が本人の意識とは別の関係のないような事を、考えていて、これに関する言葉を発しさせる、と言うこは、どう言うことなのですかね。
どうも、訳が分からなくなってくるのですよ。
前置きしましたように、脳については、理解が難しい話になって来たでしょう。
このような時には、一息いれた方が良いようですよ。
「それでは、御一緒に。ハイ」
オー ノー !
いいですよ。いいですよ。その調子。その調子
それからですね。
こんな事がありましたよ。
睡眠中に、ある夢を見ていたのですよ。
ところが、その時に、今見ているのは、これは夢だ。と思っている自分がいるのですよ。
ハッキリしないところがあるのですが、と言うのは、これは夢だ、と思っている自分が、どうも夢の中にいるようなんですよ。
要するに、まず、一つは、とある夢を見せている脳があり、そして、もう一つ、オレは、いま夢を見ている、と言う夢中の自分を認識している脳があり、その夢を包括的に記憶している脳があると言うようなことのですよ。
かなり、入り組んでいるのですよ。
いいですか、分かりにくくなった時には、
「それでは、御一緒に。ハイ」
オー ノー !
いいですよ。いいですよ。もう、私のリードがなくても、要所に来ると、ご自分の判断でやれるかも知れませんね。
それからですね、こう言うのもあるのですよ。
お客さんの中には、俗に言う“金縛り”の経験を持つ方は、ございませんか。
かなり多くの方が、経験があるようですよ。
人間、基本的に個体差があるでしょうから、一口に“金縛り”と言っても、色々な形があるのでしょうが、一般的には、睡眠中に、意識がハッキリしているのに、身体を動かす事ができない状態を、“金縛り”と称しているようですね。
医学的には、睡眠麻酔と言われているようですよ。
面白い現象ですよね。
私も、一時期、よく“金縛り”になりましたよ。
夜になって、寝ようと思って、床に入るわけですよ。
そして、睡眠状態になるのですが、良くは分かりませんが、夜中に目が覚めるのですよ。ところが、身体を動かそうとしても、全然動かせないのですよ。自分としては、意識がハッキリした状態にあると、自覚しているのですが、兎に角、自分の意志に反して、どうにもこうにも、手も足も、全身動かす事が、出来ないのですよ。
最初は、これは一体なんだ、と言うことで焦せるわけですが、どうも動かせないまま、また寝込んでしまうわけです。朝、目覚めると、当然、解けてますよ。
ある時、目が覚めているのに、全く動け無い状態でいる時に、薄い黒い影のようなものが、掛けている布団の上を斜めに通って行ったことがありましたね。あれは何だったのでしょうね。
このような経験のある方も、多くいらっしゃるようですよ。
ただし、この様な状況を、経験した方が、その経験をどのように認識するのかは、かなり個体差があるようですね。
ある方は、幽霊を見たと表現し、ある方は霊魂を見たと表現し、また、ある方は宇宙人だと表現したりすることもあるとか。
私の場合は、黒い影のようものが、掛け布団の上をスーッと、通って行った、と言う感じですね。スーッと、と言っても、飛んでいるのではなく、どちらかと言えば、歩いて通過して行ったと言う感じでしたね。踏まれて、痛かった感じは有りません。
どこへ行ったかは、記憶に有りません。掛け布団の上をスーッと通って、部屋の隅辺りで、消えた感じですね。
多いときには、一週間に2・3度、続けて“金縛り”にかかることがありまして、そうなるとかなり慣れてきましてね。
よし それならば、今度“金縛り”になったら、自力で振りほどいてやろう、と思うようになりましてね。
今度は、絶対振りほどいてやる、と固く決意して、就寝するようになったのですよ。
そーしたら、来ましたね。待ち構えていたわけで、ここぞと、一気に力を振り絞って、両腕をバァーッと振り開いたのですよ。
そしたら、なんと、見事に解けましたね。大成功ですよ。
その時、かなり気合いが入っていたらしく、朝起きたら、カミさんに、夜中に大声をたてていた、と言われましたね。
大声を発したまでは、記憶が無いのですよ。
“金縛り”を振り解いた記憶は、ハッキリあるのですが。
全く、別の時に、自分の発した声で、目を覚ました経験がありますよ。
夜中に、大声で目を覚ましましてね。うるっさいな。誰だ大声出しやがって。
あれっ、今の声オレの声だったなー。てな、事を思っている内に、また、寝入ってしまったようで。多分、寝ぼけていたのでしょうね。
だから、“金縛り”にかかっている時には、自分は、すっかり覚醒している気分になっているらしいのですが、これは、日中覚醒している状況とは、ちょっと異なった脳の状態ではないのでしょうかね。
きっと、脳は、まだ完全に通常の覚醒した状態ではないのでしょうね。半ば寝ぼけていると、表現した方が適切かも知れませんね。
“金縛り”になって、身動きとれない状態のまま、朝を迎えて、目覚めて、それから、どうしたものだ、と“金縛り”を解きにかかった、と言う経験はありません。朝になって、目覚めた時には、既に、解けてますよ。
就寝中に“金縛り”にあって、これを解き放とうと、意識の中でもがくわけですが、その内に寝入ってしまうわけですね。
そして、朝になると目覚めて、金縛りになったな、と言う記憶があるのですが、朝になって目覚めた時は、もう“金縛り”は解けているのですから、これからすれば、就寝中の“金縛り”は、おそらく夢に似たものと言うことなのでしょうね。
おそらく、夢の中に、覚醒している自分がいて、それが“金縛り”になって、もがいた。と言うことなのでしょうね。
そして、一度、解き放つことに成功した後は、何時でも来い、また、振り解いてやるさ、と言う意気込みでいたのですが、これ以来、とんと“金縛り”にならなくなってしまいましたね。
幽霊に踏んづけられることも、ありませんよ。
普通一般的に、幽霊と言えば、短めの白い浴衣のようなのを来て、頭には、三角巾の鉢巻をしめて、両手を胸の前あたりに、裏にして垂れ下げ、足 はなく、ヘロヘロとしたのが、定番ですが、私の見たのは、全然それとは違い、黒い薄い影でしたから、きっと、あれは幽霊では無かったようですよ。おそら く、寝ぼけた脳の幻想なのでしょうね。
しかし、問題は、なぜ脳はそのような映像を作って、ある程度、覚醒した状態の記憶として残すのか、と言うことですよ。
本人の意志とは、全く関係しない事を、脳が、勝ってにやっているらしいのですよ。
脳とは、面白いものですね。
ワケ分からないところがありますね。
「それでは、御一緒に。ハイ」
オー ノー !
ご協力ありがとう御座います。
それからですね、脳についての不思議な点は、まだまだあるのですよ。
日中に、ちゃんと目覚いる時にですよ。これは大事なことだから、忘れないように覚えて置かなくては、と意識的に記憶したことが、すぐに忘れちゃう場合があるのですよ。電話番号とか名前とか、住所とか。およそ小難しいことではないのですよ。
何回も繰り返して、よし覚えた。と言う状態まで確認しておいてですよ。
あれだけ、覚えておかなくては、としっかり記憶したはずなのに、ケロッと忘れるのですよ。全然思い出せないことが良くあるのですよ。
どうしたものなのでしょうね。
エッ、そんなこと決まっているではないかって。
おまえの頭が悪だけだよ。だって。
オー ノー!
お客さん。それを言っちゃー おしめーよ。
話が途切れてしまうではないですか。
頭が良くねーのは、承知の上ですから。
お互い樣にね。
一言余計ですって。どうも、失礼しやした。
そのクセにですよ、覚えて置かなくては、なんて全然思わない、何ら気に留めてもいない下らない、つまらねーことを良く記憶していることがあるのですよ。
これはなんなのですかね。
お客さん。お前の頭が悪いからだ。とは言わせませんよ。
なんたって、記憶しているのですから。
脳の野郎、なんかフザケていやがるのでは、と思ってしまうのですよ。
いざ と言う時に何にも役立たない、ふざけたところがあるのですよ。
まー 記憶はしているのですが、それを引き出す方の機能に問題があるのでしょうが。
なんでか分かりませんが、こんな記憶があるのですよ。
小学校に入学する前の頃のように思われますが。5・6歳の頃だと思いますが。六十数年も以前のことですわ。
私が育ったのは畑農家でしたから、親が農作業をしている畑などの傍らで、一人遊びをよくしていたわけです。
自家用の細い道がありまして、そこを通って畑へ通うわけですが。
その細い道は、当然舗装されているワケもなく、畑の端の人が歩くだけの細道なのですが、幼い頃には、その道に這いつくばって、地面の有様を、まー 幾分大袈裟に言えば、観察することがあったのですよ。
地面に、でこぼこがありまして、極めて小さい山あり、小さい谷あり、小さい平野ありと言った地形が出来ているのですよ。
雨が降ると、水が低い所へ流れ出して行くわけです。
そうしたら谷から平野への出口には、上から運ばれて来た砂が体積して、小さなハマグリの貝殻くらいの扇状地が形成されているのですよ。
その扇状地の砂は、真夏になると日光で熱せられて、結講、熱くなるのですよ。
幼い頃は、どうしてか。なんぞと言うような事は,考えず、熱い砂だなー。と感じていたに過ぎないのですが。
要するに、砂鉄が混じっていて、それが熱せられると、結講熱くなるのですね。
そのような扇状地を、棒切れでツッツイたり、穴を掘ったりして、一人遊びをしていたのですよ。
このような形状の地面相手に、遊んでいた時に、一匹のアリンコを見みつけましてね。地面をせかせか歩き回っているのですよ。そしたら、アリン コが一本の草の葉っぱ、長さは10センチあまりの、幅は4・5ミリの細い葉っぱでしたが、それをアリンコがせかせかと登りはじめたのですよ。登るにつれ て、アリンコの重みで、葉っぱは下向きに曲がってくるのですよ。そして、遂に地面に接するわけです。そして、アリは地面に降りまして、また、せかせかと歩 き回っている光景を、地面に顔をくっつけて、見ていたことがあったのですよ。
この光景が、何でか分からないのですが、良く記憶されていて、時でもない時に、突如思い出されるのですよ。
何で、こんなどうでも良いことが、記憶されて、時々思い出されるのですかね。ショッギングクな事件ではなし、子供の頃の日頃よく出くわす光景で、とりわけアリンコに興味があったと言うことも無かったし。
こんなどうでも良いようなことを、脳は記憶していたり、思い出させたりする余裕があるのなら、人の名前や電話番号くらいは、ちゃっちゃっと記憶しておけ、ちゅうー訳ですよ。努力して、記憶しようとしているのだから。
そうだ、あの時は、この電話番号は、覚えて置かなくては、と思い、何回も繰り返し覚えようとして、よし覚えたと確信した後に、アンパンを食ったよなー。
この際、アンパンはどうでもいいのですよ。問題は、電話番号の方なのだから。
これが、どうでも良いアンパンの方は、鮮明に記憶しているのに、肝心の覚えたはずの電話番号の方がね。どこかへ行っちゃったのですよ。
こう言うところは、脳のやつときたら、本当になにやってんでしょうかね。何でアンパンの方をね。アンパンの方は、記憶しようなんて、ちっとも思ってなかったのですよ。
どうも、脳のヤツは、自分の好きなことだけ、記憶しているみたいなのですよ。
本当に、どうなっているのでしょうかね。不思議ですね。
こんな頼んない脳と、七十年余り、つき合わされて来たのですよ。
さらに、この先、長くはないのでしょうが、何年かつき合わなくてはならないようです。
お客様の方は、どうでしょうか。
そろそろお時間のようで御座います。
今日の話の結論は、脳とはどうも分からんところのあるヤツだ、と言う事でしょうか。
では、締めくくりに、いきますよ。
「それでは、御一緒に。ハイ」
オー ノー !
どうもお疲れままでございました。
お後が宜しいようで。