《停念堂閑記》28
「停念堂寄席」28
「いつでも、夢を!」 (2017-07-15)
本日も、お越し頂きまして、どうも有り難う御座います。
毎度の馬鹿馬鹿しい話も、かなりネタ切れになって参りまして、四苦八苦と言う状況に陥っておりますな。ご臨終間近という状況であります。
しかし、年中休みの日比憐休にとりましては、なんとかヒマ潰しをしなくてはならない状況が、今日もまた、続いているのであります。
朝、目を覚ますと同時に、今日もまた、ヒマ潰しをしなくてはならないぞ、と思う次第なのですよ。
できれば、お客さんも、道連れにしてやろうと言う、魂胆なのですよ。
それで、今日も、せっせとヒマ潰しです。
歳をとっても、夢を見ますよ。
昨日は、どうでも良い夢をみましたね。
朝方、見たのですよ。大体、記憶に残るのは、目覚める直前に見る夢のようですな。
寝着いて、間もなくの時にも、夢を、見るのでしょうが。
しかし、脳が、ですね。とにかく寝ちゃっているので、はっきり記憶していないのでしょうな。
朝方の目覚める直前の夢は、脳が、なかば覚醒しかけているので、寝ぼけて、トンチンカンながら、夢として記憶することになるのでしょうなー。
何だかよくは分からないのだけれど、学生でしょうな。教室の後部のような所に、なかりの人数がいて、椅子に座ったり、机に腰掛けたり、窓に寄りかかったりしていましたな。知合いの先生もいましたね。学生には、知った顔はいませんでしたな。
昼になったので、メシでも食おうかと、1人でその部屋を出て、学食は混雑しているだろうしな。なんて、思いながら歩いていたら、廊下のようなところで、大きな器に入れた赤飯を販売している光景に出っ会して、どうしょうか、買おうか、と言うところで、目が覚めちゃったのですよ。
赤飯、食べ損なったわけで、なんとも、ケチな夢ですなー。もう少し、と言う所だったのに。
ただ、赤飯のピンクが、やたら鮮やかに記憶に残っていましたなー。ヘラもあったなー。
と、まー、相も変わらず、なんのことやらサッパリ分からない、駄洒落にも使えそうもない、しようもない夢でしたなー。
せめて、赤飯の砲丸でも、うなりを上げて飛んで来てくれたらねー。
オー コワと言う駄洒落の一つも出ようというものを。
今朝のは、ちょっと、高級な夢でしたよ。
何だか、ハッキリはしていないのだけれど、ざわざわした、雑貨屋さんのような光景でしたな。
そして、そこを出て、また、結講混雑している、雑貨屋さんのような所に、入っていきましたな。
色々な物が、台の上に、イッパイ並べられていましたな。
入って、右手を見ると、奥がカウンターになっていて、既に盛りつけられているカレーライスが5・6皿並べられていましたな。
カレーライスなのですよ。
豪華フレンチでは無いのですよ。
育ちが育ちですから。馴染みの無い、おフランスは、脳が記憶してないのですよ。せいぜいカレーライスが限界ですなー。
手前に、女性の店員さんがいて、イカガデスカー、てな事を言っていましたな。
これは、待たずに、即、食べられるなー。なんて、思ってましたね。
そして、何故か、イカの一夜干しが欲しいなー、と思ったのですよ。見回したら、ありましたね。2枚買おうとしましたね。
これが、買ったのか、どうかハッキリしませんな。品物を受け取ったり、代金を支払ったりする場面は、記憶されていません。
前へ進んで行くと、バスの座席のようなのがあって、そこに腰をおろしたら、すぐに、お兄さんらしい人が、お待ちどう樣と言って、あるものを手渡してくれたのですよ。
これが、どうしたことか、タブレットなのですよ。
見たら、なんと、なんと色鮮やかな旨そうな弁当の画が写っているのですよ。
重箱ほどのサイズで、なんだかイッパイ詰まってましたね。
赤い梅肉を混ぜたようなご飯が入っていて、黄色やら茶色やら緑やら、色とりどりのおかずが入っていましたな。
問題は、ここからなのですよ。
割り箸を持ってましたな。
何かは、ハッキリしませんが、何かを摘んで食べましたね。味はありませんでしたよ。
そして、レタスか何かに隠れたものがありましたね。これは何かと割り箸で、摘んでみたところ、鳥のモモの焼いたのが、入っていました。
そうです。タブレットの画が、本物の弁当になっているのですよ。
まるで、夢のようでしょー。夢なんだけれど。
これはハイテクだなー。ついに、ここまで来たか。と思いましたね。
そしたら、若い夫婦が、3歳くらいの男の子を連れて、私の座っている前に立ったのですよ。
その男の子が、弁当を指差して、これ食べたいと言い出したのですわ。
これは、ハッキリした子だなー。将来楽しみな子だぞ。なんて思いながら、爪楊枝で何か刺して、食べさせようか、と言うところで、目が覚めちゃったのですよ。わるいね。坊やは、食べ損なったのですよ。ハイ、残念でした。
結講、ハッキリした夢でしたね。
訳は分かりませんが。
イカの一夜干しは、どこへ行っちゃったのだ。おしいことしたなー。
そのうちに、こんな弁当が売りに出されますよ。きっと。
AI弁当。
レストランに入って、席に着いたら、タブレットのメニューがあって、その画面をタッチすると、即、本物の料理になるのですよ。
まるで、夢みたいな話でしょう。
だいたい、寝ている時に見る夢なんぞは、予約しておいて見れるものではありませんしね。気まぐれ脳ミソの都合で、訳の分からないものを、見せられるものでしょう。
何が、出て来るか分かりゃ-しませんよ。
ひとの寝ているのをいいことに、脳ミソのやつが、勝手に、好き放題しやがってね。
借金取りに追い回され、挙げ句の果てに、押さえつけられた夢なんか見た事ありませんか ?
どうせ夢なら、万札の下敷きになって、うなされてみてーもんですな。
このごろは、目覚めたら、あれっ、夢だったのかなー。いや、現実かなー、なんて、一瞬、はっきりしない時がありますよ。
いわゆる寝ぼけた状態なのでしょうな。
この状態が長く続いたら、いよいよ来たかなー。なんて、自信がなくなってきますなー。
70も出ますと、将来の夢も、極めて限定的になって参りますしね。
若い時には、実現性は二の次の漠然とした夢を持てるのでしょうが、老人の夢は、極めて、具体的なものに限定されて来ますね。
今日は、どうやって、ヒマを潰すか、とかね。
もっとも、若い時も、夢を持つ余裕は、殆どありませんでしたけどね。
目先の、その日暮らしで、目一杯と言う状態でしたなー。
小さい時から、大人になったら、何になりたい、と言うはっきりした希望らしきものは、あまり持たない質でしたね。
きっと、環境がね。ひどく単調だったせいではないでしょうか。
どちらを向いても、農家ばっかりで、農業の他に、何が有るのか、殆ど知りませんでしたからね。
みんな、毎日、もくもくと、土にまみれて、働いていただけのようなものでしたからね。
小学校まで、両側が畑の砂利道。約3キロほど、毎日往復するだけで、通学の途中は、全部農家。農家以外のものが有るか、と言うと、当然、ノー か。ちゅうものでしたから。
具体的に、あれは何だ、それは何だ、これは何だ、と言うような珍しい、心をかき立てられる事、物は、ほとんど有りませんでしたね。
きわめて、長閑(のどか)では、ありましたよ。
小学生の頃、昭和20年代の後半期、私の育った地域では、菜種栽培が盛んでした。6月になると、畑一面、マッキキ。菜の花盛りで、その中の道を通学してましたね。
ミツバチがセッセと花から花へと、沢山集まっていましたなー。
そんな中を、走りでもしたら、一斉に追いかけられましたね。
ミツバチのいる時は、そーっと、静かに歩かなくてはならないのですよ。
迂闊に走ったりして、追っかけられた時には、手ではらったりすると、何匹もに攻撃されますから、絶対に払ってはならないのですよ。目をつぶって、暫く、じっとしゃがんでいると、みんな働きに退散して行きますから。
驚かして、仕事の邪魔をすると、猛烈に攻撃して来るのですよ。蜂は。
小さな菜の花の一つ一つから、あの小さなミツバチが、ほんの少しずつ、セッセと集めた蜜を、蜂屋さんが、まとめて頂くと言うわけですね。
空になった蜂の巣を、箱に戻すと、ミツバチは、また、せっせと蜜を貯めるのですよ。
あれー、蜜を沢山溜め込んだのに、みんな空になっている。どうしたことだ。と思わないのですかね。
ミツバチだって、きっと、気がついているよね。
養蜂業は、さしずめ、振り込め蜜屋さんだね。従業員のミツバチは、実に働き者だわ。ほんと。
蜂蜜は、しばらく時間が経つと、白っぽく結晶してきますよ。何時迄も、ビール色をしているのは、水飴を多量に加えた可能性がありますよ。買う時には、原料・原産地をよく見た方が良いようですよ。
そんなこと、とっくに、分かってるって。それは、どうも、要らざるお世話を、失礼致しました。
ところで、何の話だったのか、と言いますと、70も出ると、将来の夢も、極めて限定的になって来る、と言う話なのですよ。
よくは知りませんが、一般的には、この年頃になりますと、如何に長生きするか、と言うことが最大の課題のようですな。
目的は、長生き。
そのためには、食べ物に細心の注意を払うこと。
塩分は、出来る限り控えること。
糖分も、トウブン、控えること。
塩っぱくなく、甘くなく、できるだけ薄味で。
なるべく、不味(まず)く作って、食べ過ぎないように注意を払うべし。
適度の運動をすること。
水泳は、全身運動で、なかなか効果的のようですよ。
ただし、絶対に注意しなくてはならない事が御座いますよ。
それは、水泳は健康を保つのに、最も効果的だといって、いきなりプールに飛び込まないことです。
飛び込んでから、泳げなかったんだ、と気がついても、手遅れになりますから。気をつけて下さいよ。
その他、野球だ。ゴルフだ。テニスだ。卓球だ。サッカーだ。ラグビーだ。アメフトだ。マラソンだ。ジョギングだ。相撲だ。レスリングだ。スキーだ。スケートだ。カーリングだ。ホッケーだ。ホットケーキだ。
ン! ホットケーキはないか。失敬。
まるで、オリンピックですなー。
歳を取ってからでも、色々とおやりになられる方、多いですよな。
ただし、やり過ぎは、良くありませんよ。
体調を崩した時には、直に、病院へ参りましょう。
治療をうけて、薬を貰って、家で十分に静養した方が良いですよ。
最初から、静養していた方が、手間がかからなかったりして。
十分、気をつけましょう。
頭の体操も必要ですよ。
物忘れが、激しくなってきますからねー。
だいたい、忘れたかどうかが、ハッキリしなくなるのですよ。
ところで、ものすごく耳寄りな話。
物忘れしない、とっても良い方法があるらしいですよ。
手間は、不要ですよ。ごく簡単なことです。
それはですね。ものを覚えないのがコツらしいようですよ。
忘れようにも、覚えていないのだから、忘れようがない、とのことです。
あれこれイッパイ覚えておこう、とするから、無理がかかるのですよ。
是非実行してみては、いかがでしようか。物忘れ、〇(ゼロ)になりますよ。
あのですね。こんなクダラナイことは、さっさと忘れちゃった方がいいですよ。
なのに、こんなことだけは、何時迄も覚えていたりするのですよ。
とにかく、長生きするために、色々と皆さんご努力されておられるようで御座いますなー。
中には、実に、つまらないことをお聞きになられる方がおられるのですよ。
どうして、長生きしたいの ? だって。
ねー。長生きするのに、いちいち理由など、考えてられますか。ちゅーの。
長生きしたいからに、決まってるでしょう。
何か、文句ありますか ?
最近は、終活と言うのが、流行っているようですなー。
早いとこ、逝き先を決めて、安心しようと言うのですかね。
生きている内に、自分の葬式をやったり、するんだって。
誰が、いくらお香典を包んで来るか、気に掛かるようですなー。
そんなバカなねー。
お墓をお持ちで無いお方は、急いで、新設されるようですよ。
やっぱり、逝き先が、はっきりしていないと、不安なのですかねー。
そそっかしい方は、家族がいなくて、お墓のお世話をする方がいないのに、墓地業者に勧められるままに、お墓、造っちゃったりしてね。どーするんですかね。あの世まで持っては行けませんよ。
よく墓地業者の方から、電話が来るのですよ。
どこで調べたものか、もう、そろそろ、必要だろう、と見当をつけてくるのでしょうな。まったく、余計なお世話というものですよ。
墓はあるから、不要ですと、断ったら、今の販売している所は、環境がとっても良く、小高い丘から、海が見えるのですよ。お手頃な価格になっていますので、この機会にもう一つ如何ですか。なんて、勧めてくれるのですよ。
お墓を幾つも持ってみてもねー。
いくら、海が見渡せて、見晴らし抜群と言われましてもねー。
当人は、死んじゃってますからね。
それよりも、極楽行きの指定券がついてるとかね。
ポイントを溜めると、天国へ行けるとか。
もっと、気の利いたオマケでも付ければ良いのにね。
と言った手口のサギには、くれぐれも気をつけましょうね。
生前葬儀やお墓の設備はともかくとして、いざと言う時の心構えは、必要ですよ。なんて、よく言われますよね。
といっても、心構えなどしなくとも、一向に差し支えない、と言えば、差し支えありませんよね。
誰だって、その時は来るのだし、いくらジタバタしたって、逝かなくてはならないのだから。
そんなに、準備、万端整えて、さー、何時でもいらっしゃい、と待っていてもねー。
しかし、いざと言う時に備えて、辞世の一つも、準備しておいた方がいいかなー。なんて思ったりしましてね。
弥次・喜多の話で有名な十辺舎一九さん。
「この世をば どりゃ おいとま(暇) せんこう(線香)の けむり(煙)とともに はい(灰) さようなら」
なんて、傑作の辞世を残してますな。
何時、作っておいたのですかね。
今際の際に、ここまで、ヒネルのは、なかなか大変だと思いますよね。
おっ、いけねー。いよいよおさらばか。と言う時に、あたふた考えたのではないでしょうね。
商売柄、元気な内に、作っておいたのでしょうな。終活してたらしいですな。
結講、準備の良い人だったようで。
「今までは 他人が死ぬと 思いしが 俺が死ぬとは こいつぁたまらん」
なんて、実感のこもった辞世を残してますな。
何時、作っておいたのですかね。
これも、今際の際の作ではないでしょうな。
心境は、なんとなく分かる気がしないではありませんが。
臥せっていると、日頃めったに顔を見せない人らが、二人、三人と見舞いと称して、現れだすと、俺も、そろそろかなー、なんて言う気になってきますよねー。
多分、そのような雰囲気になると、それでは辞世の一つも、と言う気になったのではないですかね。
まー、いずれも準備の宜しいことで、戯作者・狂歌師の嗜みと言うものだったのですかね。
備えあれば憂いなし、と行くがどうかは、分かりませんが、そうとなれば、パクリで一句。
「線香の細き煙も絶えんとす 六文握って アバヨ さいなら」
たいして面白味はございませんが、はかない一生だったなー。てなところが、少しは伝わるかなー。
ちょっと、湿っぽいか。もう少し、軽い方が良いかもしれないな。
まー、今日のところは、これくらいでどうでしょうかね。
気が向いたら、また、トライしますよ。
まてよ。辞世は一つでなくては、ダメなのかなー。
一つでなくてはダメ、ということもないのでしょう。
一つなんて、ケチなこと言わずにさー。
相続税がかかる訳ではなし。
パクリは、割合簡単だから、なんぼでも、行きそーだな。
「お迎えだ 残りのお茶を飲み干して それじゃー お先に アバヨ さいなら」
残っていたお茶を、出際に、飲み干していく、と言うセコさ加減を、出してみたのですが、どうですかねー。
やっぱ、「アバヨ さいなら」は欠かせないなー。
はっきり断言できることは、人間、生まれて来たからには、だんだん歳を重ねて、老いて行きます。
そして、何時か、必ず死がやって来ます。
いくら高価な薬を使用しようが、神の手に手術をしてもらおうが、最後は、死ぬことになるのですよ。
早いか、遅いかの違いはありますがね。
だいたい、死ななかったら、人口増えっぱなしですよ。
たちまち、食料難でひどいことになりますよ。
飢え死にしていまいますよ。
ヌ ! 死なないのだから、飢え死には、ないか ?
年金だって、たちまち、底をついてしまいますよ。
だいたい、あの世が不要になってしまいますなー。
極楽浄土、天国、地獄は、営業不能、閉鎖するよりなくなりますよ。
だから、死ぬのかって。
アホな事を。いい加減にしないと、本当におこられまっせ。
ところで、人間、死ぬ場合を、見ますと、たとえば、自然死と非自然死に、分けて見ることができますなー。
ここでは、自然死とは、病気・事故・殺害・自殺などにはよらない、いわゆる老衰による死と言うことにします。
と言っても、老とは、具体的に、どう言うことだ、と問われると、ちょっと、返答にこまりますなー。
どこで、老と非老の線を引くべきかは、そんなこと、できっこありませんけからなー。
自分の身の回りの事を、自分で出来なくなったら、老と言うことでしょうかねー。そんなの若い頃から、ズーッとですか。
行政は、元気な人に対しても、平気で線引きでも、祝日でもつくりますよ。
後期高齢者だとかさ。
高齢者に、前期も中期も後期もあるかっちゅーの。
後期に分類されたら、間もなくかー。いつ逝っても、ちゅうことか。
行政上、どうしても、必要ならば、幾つからと、年齢を区切れば済むことではねーの。
敬老の日なんて作っちゃたり。
敬老の老は、何歳で線を引くのだ。
困っている子供もいるのだよ。
親爺、70過ぎたが、やけに元気で、まだ、ばりばり稼いでいて、俺よりも、ずーっと収入もいいぞ。
しょっちゅー、キャバクラへでかけて、間違えたふりして、おネーチャンのケツさわったりなんぞ、しやがって。
こんな親爺に、敬老の日だと言って、カステラなんぞもって、お祝いだー、なんて顔出してみろよ。
ジジー扱いするなー。と、もー、ぶっとばされそーだぞ。なんてね。
とはいえ、この手の話は、どうも今一パッとしませんなー。
いくら、ヒマ潰しとは言え。
何時から老か、と言えば、老と気づいた時からでしょうなー。
ぼーっと、気づかなかったら、老は来ません。
なんて、強がり言っても、ダメですな。
ここで一句。
老は来る 気づかなくても きっと来る
どうもお疲れ様でした。
ヒマ潰しになったでしょうか。
お後がよろしいようで。