《停念堂閑記》32

「日比憐休雑記」2

 

 《“笑い”の構造》2

 

 〔おかしさ〕

 

 “笑い”とは、おおむね〔人が「おかしさ、うれしさ、きまり悪さ、また、何かを馬鹿にした時などの感情表現の一つ」〕と認識するとして、次に、“笑い”を誘う原因について見ることにしよう。

 前記の『スーパー大辞林』の解説にしたがえば、“笑い”を誘う原因として、

 1 おかしさ

 2 うれしさ

 3 きまりわるさ

 4 何かをばかにした時

の4点があげられる。

 まず、「1 おかしさ」の内容について見ることにしょう。

 人間の“笑い”の感情のスイッチが入る第一の原因として、“可笑しさ”が上げられるであろう。人間は、どのような時に、“可笑しさ”を感ずるのであろうか。

 はじめに、“可笑しさ”と言う語について一言しておきたい。たとえば、論理に矛盾が見られた場合、不可解な状況あるいは納得がいかなかった 場合などに、それは「おかしい」、これは「おかしい」と表現することがある。この場合は、“笑い”に直接関係して来ない。ここでは、例えば、笑える《面白 さ》に遭遇した時に感ずる“可笑しさ”を問題としている。

 さて、人間はどのような時に“可笑しさ”を感ずるのであろうか。勿論、個体差やシチュエーションが関係するから、一概に断定できない。そして“可笑しさ”で表現される内容自体かなり多様性に富み、領域も広く、漠然とした性格を持っているので扱い難さがあるが、あまり複雑化させず、さらっと見ることにしょう。 

 まず、“笑い”を誘発する最も重要な要素は、“可笑しい”と言う要素のようである。

 そこで、“可笑しさ”の内容が問題となる。人間が“可笑しい”と感ずる時、その“可笑しさ”の内容に、滑稽・剽軽・戯(おど)けと言った表現で表される要素の存在が大事であるらしい。

 さらに、滑稽・剽軽・戯(おど)けと言った要素の内容は、馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさそして恍(とぼ)けなどと表現される事柄であるらしい。

 すなわち、馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさそして恍(とぼ)けなどと表現される事柄に遭遇した時に、人間は“面白さ”を感じ、“笑い”のスイッチが入ることが多いらしい。

 たとえば、落語にしばしば登場する与太郎さんはこの要素をたっぷり持っているキャラクターである。「道具屋」という古典落語に“与太郎さん”が登場している。叔父さんにあたる人が、与太郎さんにぶらぶらしていてもしょうがないので、古道具屋をやらせようとする。店番をしている与太郎さんと客のやりとりが“笑い”を引き起こす。客が並べてある古着を指差して、それを見せてくれという。そうすると、与太郎さ んは、これは「ヒョロビリ」の股引だと言う。客は「ヒョロビリ」とは何だ、と尋ねると、この股引はもう凄く古くて、履いてヒョロッとよろけるとビリッと破 れてしまうので、「ヒョロビリ」の股引なのだ、と説明する。また、並べてある品物の中から刀風のものをとり上げ、客は鞘から抜こうと試みるがなかなか抜け ない。そこで客は与太郎さんに鞘の方をしっかり握るように指示して、二人がかりで抜こうとするが、一向に抜けない。ここで与太郎さんが明言をはく。曰く「お客さんこれは木刀だよ」と言う落ちになる。間抜けな話である。

 なお、この客が相当によたっていて、与太郎さんの上を行く、超与太郎さんのキャラをもっている。すなわち、ダブル与太郎さんの遣り取りが実に良くできている。この間抜けな、阿呆くさい遣り取りが何とも可笑しい。何度聞いても笑える。“阿呆くささ”をピシャリとおさえた、実に良く出来た話である。

 どうして、間抜け者が、「与太郎」と命名されたのであろうか。江戸時代に作られたもののようである。「よたよた」(副詞 足がもつれる様)から来たものであろうか。詳しくは知らない。また、「与太」とは「与太郎」の略とか。さらに、「与太る」などと動詞として使われることもある。これも「与太郎」から派生したもののようである。ちょっとの違いに「ならず者」の意味でつかわれる「与太者」と言われる語がある。本来、「与太郎」と意味的にはかなり類似していたものと推測されるが、長い間つかわれている内に、かなり異なるイメージとなったのであろうか。蛇足ながら。

 以上のように、馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさそして恍(とぼ)けなどと表現される事柄に遭遇した時に、人間は面白さを感じ、“笑い”のスイッチが入るらしい。

 したがって、“笑い”をつくるのには、「馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさそして恍(とぼ)けなどと表現される事柄」に注目して、ネタ作りをしなくてはならないようである。〈つづく〉