《停念堂閑記》61
「停念堂寄せ」52
「教育とは 人をつくること」
本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。
厚く御礼申し上げます。
本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。
おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。
今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。
話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。
なぜアホくさい、バカバカしい、クダラない話なのか、と問われますと、決まってるでは御座いませんか。そんなこと。
立派な、意義深い話は、難しくて出来ないからですよ。
私だってですね、たまには、気の利いた話をしたいものと、常々思わなくはないのですよ。少しは思うことも、たまには、ちょっとだけないこともないのですよ。あるにはあるような気もするのですよ。
しかしですね、これが中々上手く行かないのですよ。思うだけではねー。
言うまでもなく、この手のことは、能力に関ることなのですよ。
持って生まれた能力は、残念ながら、俄に、どうこうできる代物では御座いませんよ。
どうも善し悪しがあるらしいのですよ。
わたしゃー、戦中の、物がとにかく不足していた時期に生まれたものですから、どうも部品が今ひとつ良くないのですわ。物は、品質よりも、有る無しが問題の時代でしたからね。
本当に、戦争とは、困ったものですなー。
それで、性能がいまひとつなのですわ。いや、二つ、三つ。正直に言うと、もっと、ですなー。
こればかりは、持って生まれたものですから、性能を上げたくて、薬やお医者さんに頼ったところで、血圧を上げ下げするようには、参りませんよ。
嘆いても仕方御座いませんので、精々、得手・不得手と言うあたりで、何とかならないものか、と思ったりするのですよ。
気の利いた話は、不得手なのですよ。中々出来ないのですよ。
カッコいい、セリフ、言ってみたいものですなー。
世間様を、一気に納得させ、アッと感動させるようなこと。
ゲーテの言葉に、
自分の心を支配できぬ者に限って、
とかく隣人の意志を支配したがるものだ。
と、言うのがあるとか。
よく見かけますよね。自分の事は棚に上げて、他人にあれこれ指図する人。
オマエのことか ? と言われると、面目次第も御座いませんと言うほか、御座いませんよね。自分だけ言われるのは、ちょっと、シャクだから、道連れをね。
殆どの方が、大体、そーだよね。なんてね。
良いことも、悪いことも、みんなで分かち合わなくてはね。それが、民主主義と言うものだよね。ちょっと、違うか ?
ゲーテさん、ちゃんと見ぬいていたのですね。さすがですよ。このように言われたら、なるほどねー。となりますが、普段は、このようなこといちいち気に懸けて日常を送っている人は、少ないでしょうね。
エッ。そのように感ずるのは、オマエだけだって。
ホント ? そーかなー。他の人は、みんなこのようなことに、日々神経を使って生活してるの ? そーなの。
わたしゃー、あまりねー。あまりねーの人の方が、絶対多数派だと思っているのですがねー。ちゃうのかなー。
自分のことは、さて置いて、他人のことをあれこれ言うのが好きな方。どうです。心当たりが御座いませんか ?
あるあるって ? あると思った方は、きっと、自分に正直な方ですね。善人ですよ。おそらく。
俺に限って、そんなことあるものかと、思った方は、きっと要注意ですよ。
しかし、凡人は、ちょっとワルが入っている方が、なんだか、面白味がある気がしますなー。
すすんで悪人になろうとは思わないけれど、善人で居続けることは、かなり苦痛ですよ。ストレスが、たまっちゃいそー。
自分のことを棚に上げると言うのは、具体的には、自省しない、と言うことですかね。
孔子樣は、『論語』で、「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝えしか。」と言っているとか。
まさに、反省の達人ですな。
私は、一日に自分のことについて、三回反省する、と言うのでしょう。
ここでは、取り敢えず、反省の基準が問題になりますな。
基準を思いっきり緩くしておけば、反省すること自体に、殆ど意味がなくなっちゃりするでしょうし、反対に、あまり厳しく、細かな基準だったら、これは大変ですよ。
一日中反省、反省ですよ。てなことになったら、就寝前には、今日は、反省し過ぎたのではないか、なんて、反省しなくてはならなくなりそうですよ。
孔子さんの場合は、概略、「他人のために、誠意をつくしたか」、「友だちとの付き合で、ウソをつかなかったか」、「自分がよく分かっていないことを、他人に教えなかったか」と言うような点について、反省する、と言っているようですなー。
要は、この点に限った事ではなく、日々自省しなくてはいけませんよ、と言うことなのでしょうね。
このようなことに配慮している人は、自分のことを棚上げすることは、ないのでしょうな。
しかし、人間、他人の欠点は良く目につきますよね。
目についても、それを他の人へ、言い触らすかどうかが問題なのでしょうな。自分の心に留めておけば、問題は無いのでしょうが、他へ言い触らしたりすると、色々物議を醸し出すことになり兼ねませんなー。
他人の欠点をとり上げて批難しいてる時は、気持ちが良いのですかね。何だか、自分が偉くなったり、正義の味方になった気分になっちゃったりしてね。
ウルトラマンも、スペシウム光線で、攻撃している時は、我こそは正義の味方と思って、戦っているのだろうなー。時には、外して、民家を壊したりしてないですか。それはないな。正義の味方ウルトラマンが、民家を壊すわけないよ。
しかし、他人を批難したりすると、そのしっぺ返しは、すぐにかえってきそうですなー。たちまち、自分が批難の対象になってしまうことを覚悟していないとね。
気をつけなければ。と思いつつも、ついつい忘れちゃうから、始末が悪いですわ。お互いさま、と言うあたりで、勘弁して貰えると、有難いのですが。
都合の良いことを言うなって。そこをなんとか、一つお願いしますよ。
話は変わりますが、教育哲学者として著名なジャン・ジャック・ルソーは、
肉体があまり安楽すると、
精神が腐敗してくる。
と指摘してますなー。
早い話が、旨い物をたらふく食って、ぐーたらしていると、精神が腐るよ、と言うことなのでしょうなー。
ひっくり返して言えば、精神の腐っているヤツは、旨いものをたらふく食って、ぐーたらしているヤツだ、と言うことですな。
これも当たっているようですなー。思い当たりますなー。
お宅様も、思い当たります ?
余計なお世話だって、ですか。こりゃ、失敬致しました。
しかし、旨い物をたらふく食って、ぐーたらしている時が、一番幸せでんなー、と言うのが実感ですな。凡人としては。
ただし、この時に、注意を要することは、旨い物の賞味期限ですなー。腐敗したものを食べると大変ですよ。精神が腐敗する前に、肉体が危険に晒される恐れがありますから、気をつけませんとね。
ヌッ ? 方向が、ちょっと違うか ?
また、ルソーは、
子供を不幸にする一番確実な方法は、いつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。
と指摘していますよ。これも、ごもっとも、ですなー。
親御さんの皆さん、耳を傾けましょう。子供の欲しがる物を、直に与えるのは、与えたその時は、子供の要求に応えたと言うことで、一応の満足感を得ることが、出来るかも知れませんが、やはり度を越すと、それは結果的に子供のために成っていなかったことになるようですなー。
子供には、我慢することも教えておかなくてはならないでしょうし、また、欲しいものを手に入れるには、それなりの努力が必要であることを、ちゃんと教えておかないと、我が侭ばかり通しては、子供のためにならないのですよ。
エッ。当たり前のことを、クドクド言うなって、ですが。
しかし、ねー。このことに限らず、この当たり前のことが、今は、どこかえ行っちゃった状況に、時々、いや、しょっちゅー出会ったりするのですよ。
エッ。そーなの・・・。と言う事態は、日常珍しくは、御座いませんよ。ジジイとしてはね。世の中変わって行っているなー、と嘆いたり、憤慨したり、諦めたり、と言ったことの連続ですよ。
常識と言いますか、標準的な判断基準と良いますか、このような部分の変わり樣は、実に早くなってますよ。
ちょっと以前迄は、現在の発展した日本の状況を作り出したのは、今のお年寄り達です。お年寄りに感謝しましょう。敬老の日も作りましょう。長生きをした人は、表彰し、ご褒美を上げましょう。なんてやっていたのですよ。長寿は、美徳だったのですよ。
それが、今の総理大臣・政府・政党は、「高齢化は国難」と断言しているのですよ。長生きしている高齢者は、国家にとっては、災のタネだと、言っているのですよ。随分、大きく変化してますよね。
さらに、ルソーは、
教育とは、
機械を造る事ではなく、
人間を創る事である。
と言っていますねー。
ところがどっこい。現在は、ロボット造り教育が、注目されていますなー。
教育上、最も重要なことは、ロボットを造れる人を育てることです。
と言うことで、小学生からプログラムの作り方を教えなくては、となっているのでは ?
ブログラムをつくることが、人間にとって、どう言う意味があるか、なんて言う基本的な人作り教育をせずに、ロボットがあれば便利でしょ、と言う目先の利益のために、いきなり技術だけ先行する教育に取っ掛かるのですよ。
少子化は止まらない。労働人口は、減少の一途を辿ることは必至。
かくなる上は、労働力は、ロボットで。と言う訳なのでしょうなー。
女性に、子供を産んで欲しいなどと口走ったら最後、どえらい目に遭うと思っている代議士さん達は、絶対と言って良い程、このことについては、口を開きませんな。育児所を増設します、教育費を増額させます、てなことを言うのが、精一杯なのでしょうかね。
随分以前から、人口に関る研究者が、将来の労働人口の減少に警告を発していたのに、それに耳を傾ける代議士先生がいなかったのが、日本の不幸でしたな。
かくなる上は、困った時の神頼み。日本橋の水天宮樣へ、内閣総出で、願掛けに行くより仕方ないですなー。
やっぱり、ルソーの言うように、教育は人を創るところに重点を据えて、しっかり未来を展望して行わなくてはならないのですよ。きっと。
因に、ルソーは、17世紀中期にフランスで活動していた哲学者ですよ。日本では、江戸時代、八代将軍吉宗の時代、江戸町奉行大岡忠相が活動していた時期ですね。
大岡越前守だったら、どーしますかね。きっと、すごーい知恵を発揮したに違い御座いませんな。
大岡政談で、三方一両損と言うのが御座いますが、要するに、そのことに関った三者がそれぞれ一両ずつ損をすると言うことで、事態をまーるく収めたと言う話のようですが、この方式によれば、長屋の八さん、あなたもう一人子供をつくりなさい。熊さんも、もう一人つくりなさい。私も、もう一人つくるから、と言うことになるのですかねー。
これで、まーるく収まるか ???
同じような案件が持ち上がるたびに、越前守さまは、子供をつくらなくてはなりませんなー。奥方さま一人では、手が回らなくなってしまいますよ。そしたら、他所で子づくりする必要が生じますな。
職務上、止むを得ないことになるのかなー。
浮気したことになるのかなー。
吉宗からコゴトを言われるかも知れませんなー。
まてよ、吉宗はそんな野暮ことは言わないか。側室が数名いたようだから。
ともあれ、大岡家は、大家族になって、きっと、偉いことになりまよ。
江戸時代には、武家は跡継ぎがなくてはならないから、その対策が必要だったのですね。そのために、側室が置かれて然るべしとなっていたのでしょうな。結果、人口減少に歯止めがかかっていたってか ???
まさかね。
とにもかくにも、ルソーの言うように、教育とは、人をつくることです。
若者の皆さん、労働人口の減少に歯止めをかけるために、教育に励んで下さいませ。ン ? ちょっと、違うか ???
クダラねーことばかり、言ってんじゃねー、ってですか。
ルソー曰く、
ものを知らない人はよくしゃべり、
よく知っている人はあまりしゃべらない。
だって。アア、ルソーに怒られちゃった。
お疲れさまで御座いました。今日は、ここ迄です。
またのお越しをお待ち申し上げます。
お後がよろしいようで