《停念堂閑記》67

「日比憐休独偏記」2

 

「ジジイ放談2 この表現 ? 」

 

ようこそのお越しで、まことに有り難う御座います。

 

大分、いい陽気になってまいりましたなー。

ついこの間までは、寒さが厳しくて、朝、布団から抜け出すのに、勇気が必要でしたなー。

余程気合いを充実させませんと、なかなか抜け出すのが難しかったですね。

一番いいのはですね。やはり構えないのがいいですよ。

早い話が、目覚めて、殆ど寝ぼけている内に、起きちゃうのが、一番ですよ。

寒いの、どうのと感ずる前に、起きちゃうのですよ。

寒いの、どうのは、起きた後のことですよ。

寒ければ、ガスストーブにかじりつけば、たちまち、温かくなりますから。

 

エッ、エアコン完備で常にヌクヌクですって。

いいですねー。うらやましー。

我が家にだって、エアコンくらいは、設備されているのですよ。

しかし、設備したことと、家じゅうヌクヌクとは、別問題ですからね。

 

エアコンのスイッチが、ななかなか入りずらいのですよ。

あのー、故障しているわけでは無いのですよ。

ご存知のとおり、近年は、電気の使用が、社会的に問題となってましてね。

そのあおりをくって、我が家のエアコンには、なかなかスイッチが入らないのですよ。

スイッチの管理人が、妙に、電気の使用量削減に、協力的でしてね。

まー、そういう事で、ガスストーブのご厄介にね。

ガスだって、使えば、色々と問題がねー。

しかし、なぜか、ガスの管理は緩めでしてね。

電気・ガス両方締め付けると、寒いからねー。

まー、我が家のことは、他人様には、どーでも良いことですよね。

 

しかし、厄介なのは、夜中途半端な時刻に、目が覚めちゃって、まだ起きるには早いし、と言うことで、布団の中でグズグズするハメになった場合ですよ。

クビの辺りが、スースーしたりしましてね。

毛布を引っぱり上げましたら、今度は、足の方が冷えてきましてね。

いけねー、っんで、横向きに丸マッチクなったりしましてね。

そしたら、なんだか身体じゅうが、痛くなりましてね。歳ですわ。

だいたい、我が家は、夏涼しくと言うところに、重点を置いて建てたものですから、冬は、なかなか厳しいですよ。

蛇足乍ら、夏になったらば、我が家は、冬暖かくと言うところに重点をおいて建てましたので、そのかわり、夏の暑さは厳しいですわ。と言うことにしているのが、実情ですが。

なるべく、自然に逆らわないように、生活することをモットーにしております。なんて言ったりしましてね。

ものは言いようでございますわ。

 

ものは言いよう、と言いますとですね。

時々、日本語が乱れていると、嘆いておられる方が、いらっしゃいますね。

なんだか、耳慣れない言葉が飛び交ってたり、従来とは違う使われ方に出くわしたり、一瞬、訳が分かんないことがありますよ。

 

今日は、この点に関して、ボヤキたいと思うのですよ。

 

日本語が乱れていると、お嘆きのお方が、いらっしゃいますよ。

それでは、言葉は変えてはならず、同じように使い続けなくてはならないのか、と言うと、そんなことはないのでしょうね。

どちらかと申しますと、言葉が、時の移り変わりと共に、変化することは、致し方のないことなのでしょうね。

言葉を、変えてはならない、とすると、原始人の使っていた言葉を、ずーっと使い続けて来なくてはならなかったのですか ? と屁理屈を言いたくなりますからね。

言葉は生き物とか申しますから、変わっていくことは、しようがない一面を持っているのでしょうね。

現行の文法などに照らして、間違っていたとしても、皆んなで間違えれば、怖くありませんよ。

それが民主主義というものですって。

ちょっと、違うか。

 

しかし、日本語の乱れを、嘆きたくなるのもわかりますね。

このまえ、スマップが解散するとか、どうとかと言うことで、マスコミが大騒ぎしていましたね。

私が、この話題に最初に接したのは、インターネットの記事でした。

インターネットの記事は、読む時には、気をつけなくてはなりませんよ。

同じような記事を幾つか、出来るだけ多く読まなくては、いけないところがあるようですよ。

個人、個人がそれぞれの立場で、情報を発信してますから、色々読んでみないと、偏った認識になったりしますからね。

この度のスマップの事に関しましてね。私が、ネットで得た要点は、木村さんはジャニーズ事務所に残り、他の4人がジャニーズ事務所を辞めて独立する動きが、マスコミで取り沙汰され始めた、と言うことですわ。

これから暫くの間、マスコミが大騒ぎをするのでは、と思いましたね。

その後、日本語との関係で、オヤッ! と感じたのは、国営放送のニュースでこのスマップの事が取り上げられたのを見た時でしたよ。

その見出しが、「SMAP 一部メンバー ジャーニーズから独立検討」と言うものであったように記憶していますね。

この度のスマップ関係のことについて、はじめ私がネットで見た限りでは、木村さんを除く他の4人が、ジャニーズ事務所を辞めると言う内容のように、理解していたのですが、これが、「SMAP 一部メンバー ジャーニーズから独立検討」と言う見出しでしたので、一瞬、アレアレ 事態が変化したのかな。と思った次第です。

と言いますのは、ジャニーズ事務所に残るのは、木村さん1人と認識していたのですが、「一部メンバー ジャーニーズから独立」となると、木村さんが、独立すると言うことか、と思っちゃったわけですよ。

木村さんは,人気ありますからね。独立しても、やって行けるのだろうと、思いましたよね。

5人の内の一部といったら、普通1人の方だと認識しますよね。

ところが、国営放送のニュースの内容は、ネット情報と同じで、木村さんを除く他の4人が、ジャニーズ事務所から独立を検討していると言うのですよ。

この場合、普通は、事態を幾分詳しく伝えようとした場合は、例えば、

SMAP 一部メンバーを除いて 他のメンバーがジャニーズ事務所から独立を検討」と言った内容になるのではないのかなー、と思う次第なのですよ。

ただし、これでは長いので、幾分コンパクトな表現にすれば、

スマップ 大部分のメンバーがジャーニーズから独立検討」

とか、さらに短く、

スマップ 1人を除き 4人ジャーニーズから独立検討」

さらに、

スマップ 4人ジャーニーズから独立検討」

と言ったような表現に類似したもので、実態を伝えるのではないのでしょうか。

どう見ても、従来の日本語では、5人の内の1人は、一部で、4人は、大部分ですよ。

5人の内の4人を称して、1部分はないですよね。

なお、ことの真相は、お断りし ておきますが、私は、この点について、詳しく現場の調査を行った訳では御座いませんので、誤認、誤解をしている可能性が0ではございません。極めて、狭い 視野から観察した限りで御座いますので、この点は誤解なきようにお願い致します。誤解、誤認がございましたら、どうぞご海容くださいませ。

私はね、国営放送のニュースの内容は、国営放送が独自に取材したものと了解していたのですよ。

インターネットではで、

「これはSMAPが所属する芸能事務所、「ジャニーズ事務所」の代理人を務める弁護士が13日、NHKの取材に対し、明らかにしました。それによりますとSMAPのメンバー5人のうち一部のメンバーがジャニーズ事務所を辞めて独立することを検討していて現在、事務所側と協議を進めているということです。

 メンバーは現時点で事務所との契約期間が残っていて、代理人によりますと実際に独立するかどうか最終的な結論はまだ出ていないということです。

 ジャニーズ事務所代理人を務める弁護士は「一部のメンバーの独立問題について交渉、協議中であることは事実です。協議中のため、これ以上のコメントは差し控えたい」とコメントしています。

と言う記事が流れていましたよ。

これによれば、国営放送側は、「ジャニーズ事務所代理人を務める弁護士」から、「一部のメンバーの独立問題について交渉、協議中であることは事実です。協議中のため、これ以上のコメントは差し控えたい」と言うコメントを得たと言う事のようです。

この結果、国営放送のニュースで、

SMAP 一部メンバー ジャーニーズから独立検討」

と言うような、見出しになった模様であることが、伺われる次第です。

このようだとすると、「一部メンバー」と最初に表現したのは、「ジャニーズ事務所代理人を務める弁護士」と言うことになるわけです。

どうして、当該弁護士さんが、このように表現されたのかは、ご当人からお伺いしておりませんので、なんとも言えません。

推測されるのは、うっかり間違えちゃったか、あるいは、適切な表現の仕方を知らなかったのかな、と言った辺りですよね。

特別な意味があるとすれば、SMAPのパワーの大部分は、木村さんにあって、他の4人のパワーは、一部と表現すべき程度ものなのですよ、と言うような内容とみるべき表現なのでしょうか。聞いてみないと、分からないことですが。

しかし、一般的には、このような読み方は、しませんよね。

どのような実態なのか、良く分からない部分がありますが、国営放送が、

SMAP 一部メンバー ジャーニーズから独立検討」

と言うような、見出しを打って、木村さんを除く、他の4人が、ジャニーズ事務所を辞めて、独立するのではないのか、と言うことに関するニュースを流したのは事実ですよ。平成28年1月13日の正午からのニュースの時間であったと思います。

どうして「SMAP 一部メンバー ジャーニーズから独立検討」と言うような見出しを打ったのかを、国営放送に問えば、おそらく「ジャニーズ事務所代理人を務める弁護士」の言った通りを使用した、とお答えされるのでは無かろうかと、推察致しますね。実際にお聞きしてはおりません。

視聴者の一人として思うことは、この取材に当たった記者さんは、取材中に「5人中の4人」を「一部」とする表現に出会った時に、「エッ」と言う感じは湧かなかったのでしょうかね。「ちょっと可笑しくないか」といった疑問は湧かなかったのでしょうかね。そして、この点について、問いただすことは、しなかったのですかね。

また、その記者さんの取材結果をどのように編集して、ニュース番組に作って放映するか、と言う過程で、「5人中の4人」を一部分と表現するのは、可笑しくないか、と言う判断が出なかったのでしょうかね。

報道専門家達ですから、すぐに、可笑しいのでは、と直感したに違い無いと推察するのですが、どうでしょうかね。

当然、事態を示す表現としては、ちょっと可笑しいぞ、と認識しながら、別の事情から、「SMAP 一部メンバー ジャーニーズから独立検討」と言う見出しを採用しようと判断したのではないのか、と思うのですよ。

偏見と独断によりますが。

他の民放テレビ局も、同様の傾向にあるのですが、ある種の報道をする場合には、その報道の一番最初の元になるところがした表現を、無批判に使うところがあるように見受けられるのですよ。

たとえば、しょっちゅう目にするのは、ある事件について、警視庁からメディアの記者向けに発表があった場合には、警視庁側の表現を無批判に、各メディアが、その通り引用して、報道するのが、常のように見受けられますね。

もちろん、これがベストで、何の問題も無い場合も多いですよ。

しかし、警視庁側も色々事情があることでしょうから、まだ、明確な結果に至っていない場合は、明白でない曖昧な表現で、発表する場合があるわけです。まだ証拠が明確になっていない事柄を、明白な表現で発表した場合、後でそれが間違いであったとなると、当然、責任を問われる事態の出現が予想されるわけですね。だから断定的な表現は避けて、曖昧な表現を採用することになるのであろうと思われますね。とにかく責任は回避したい、と言うことなのでしょうね。

例えば、事件に使用された凶器について、「ナイフのようなもの」と言う表現を良く目にしますよ。

「ナイフ」とは断定せず、「ようなもの」をつけて、ぼかすわけですね。

そうしたら、メディアはそろって、「ナイフのようなもの」と報道することになるのですよ。

そしたら、視聴者は「ナイフのようなもの」と受け留めることになるのですが、それでは「ナイフのようなもの」って、具体的には、何なのだ、と言う疑問を持つわけですよ。

「ナイフのようなもの」と言われると、結局は「ナイフなのか」、いや「ようなもの」と言う事は「ナイフに似ているが、ナイフそのものではない」と言うことか。

だとすれば「何なのだ」と言うことになり、結局は、よく分からないままとなるわけですよ。

時には、「刃物のようなもの」なんて言うのがありますよ。

刃物となると概念が広いですよ。

ナイフか ?  ナイフといっても色々あるな。

刀か ?  刀といっても色々あるな。

包丁か ?  包丁と言っても色々あるな。

カミソリか ?  カミソリと言っても色々あるな。

まてよ、鉄板の端っこは、刃のようになっているのもあるな。

紙だって、指が切れることがあるな。紙は刃物か。などなど、サッパリ分からないのですよ。

報道とは、常に、果たして、これで良いのでしょうかね。

ボヤきたくなるでしょう。

時には、もっと、ひどいのがありましたよ。

要するに、凶器の写真が出されているのですよ。誰が見たって、これは通常はナイフと呼ばれているものに相違ないのですよ。

ところが、これをナイフとは言わず、「ナイフのようなもの」とスタジオのアナウンサーは、解説するのですよ。

そして、現場でのリポーターは、ずばり「ナイフ」と「のようなもの」無しで報告しているのですよ。この現場の感覚の方が、はるかに真実に近いものですよね。

しっかりとした取材に基づく、責任を持った、報道をお願いしたいものですなー。

このような表現方法は、官僚がもっとも得意とするところであることは、誰でもよく知っていますよね。

色々な解釈が可能で、いわば、逃げ道がいっぱいあるのですよ。

首相の発言をはじめ、政治家の発言は、殆どこの手法がとられているといっても過言でないくらいですよね。

しっかり、責任をもって、本音でやって欲しいものですな。

誰でも、知っていることでしょが・・・。

今更とお思いでしょうが、一応、ボヤイておきます。

時々、やりそこなって、ようやく掴んだ大臣のポストを離れなくてはならなくなった方も見受けられますが・・・。

いまさら指摘することでは、ございませんが。

メディア報道ででも、このような手法がいつも使われるのですよね。

ようするに、責任をとらされそうになった場合を想定して、逃げ道がちゃんと設けられているのですよ。

それが悪いとは、申しませんがね。

真相の追求より、こちらに配慮されているようで、報道内容の信憑性が、ちょっと心配になってしまうのですよ。

強い責任をもって、真実を報道している、と言う姿勢がすごく薄く感じられるのですよ。

ヤバくなったときの逃げ口ばっかり気にしているようでですね。

備えあれば、憂いなし。

かと思うと、災いは、突然、やって来たりして。

ボヤカレルはめとなる場合もあるのですよね。

と言うことでして、今日は、駄洒落なしです。

まさか、寄席でこんな話になるとはねー。

ボヤイて下さい。

お疲れさまでした。

お後が宜しいようで。