《停念堂閑記》70

「日比憐休独偏記」5


「ジジイ放談5」


「嗚呼! わかんねー」


ようこそのご来場、厚く御礼申し上げます。

今日は、時間的に余裕が出来たのですか。

それとも、一時的な気の迷いで御座いましょうか。

ちょっと、覗いて見るか、なんて言う気分になられたんでしょうーな。

余程、ヒマじゃー無いと、こんなところで、油を売ってらんないですよねー。

結論的に、今は、ヒマだ、と言うことなのでしょうね。

それならば、ちょっとの間、なんとも下らない、ダラダラとした馬鹿馬鹿しい話に御付き合い下さいませ。


さて、日常、いくらヒマだーとは言っても、やらなくてはならない事、やっておいた方が良いことなど、色々ございましてね。

これが、結構忙しいのですよ。

決まったお勤めに出かけなければならない方と、そうではなく、家におられる方とは、事情を異にする事ですが、例えば、毎日、朝が来ますなー。たまには、いきなり昼から1日が始まれば、気分転換にもなろうかと思われますが、決まって、朝から始まりますなー。

因に、夜行性の動物は、日が暮れたら1日の始まりでしょうから、人間の日暮れが、朝と言うことになるのでしょうかね。

バカ言ってんじゃーねー、ってですか。人間だって、夜行性動物だって、陽が昇れば朝だ、ってですか。

お客様ねー。そう真面目に来られたんじゃー、元も子も御座いませんよ。

ここはですね。なるほど、と来ていただかなくては、面白味が無くなっちゃうんですよ。

例えば、極めて大雑把に言えばですよ。朝になって、陽が昇ると、起き出して、何らかの活動をして、日が暮れて夜には寝る、と言うのが、一般的なことですよ。

これによれば、寝ている時は、すなわち、夜と言うことなのですよ。

だから、冬眠して、寝ている熊やカエルなどは、春になって、温かくなるまでが、ずーっと、夜と言うことになるのですよ。

そんなことは、言われなくても、判ってらー、ってですか。

お客さんは、話がお分かりになられる。実に飲み込みが早いですなー。

ラーメンなんざ、あっと言う間に、ドンブリ空にしちゃうでしょー。飲み込むのが、早い。

極めて、せっかちなタイプのようですな。

てな事は、どうでも良い事ですが、個人差はあるでしょうが、普通は、朝に目を覚ますわけですよ。

もっとも、目が覚めたら、昼だった、と言うことはありますがね。

しかし、大体は、朝に目を覚ましますなー。

覚ましたく無い場合だって、覚まさなければならないのが、一般的ですよ。

就寝時に、明日は目を覚ましたくねー、目なんぞ覚ますものか、たっぷり寝てやるぞー、と堅く決意して、寝入ったとしても、大抵は、目が覚めてしまいますなー。

中には、本当に決意のものすごく堅い堅い方がいらっしゃいまして、ついに、目を覚まさなかった、となると、これはこれで、一大事ですよ。これは、単に、寝続けていると言う問題では無くなりますから。永眠となりますからね。

大抵は、身体が睡眠を必要としなくなれば、目が覚めますよ。トイレに行きたくなったりしたら、当然、目を覚ましますしね。

順序としては、目を覚ましてから、用をたした方が良いようですよ。

これが、順序を間違えて、用を先に済ませてから、目を覚ますと、厄介な事になってますから。

また、重症の頻尿を煩っておられる方は、1日中、トイレに行くことが、主たる仕事となりますね。

しかし、全然睡眠をとらないわけにも参りませんので、主たる仕事の合間を狙って、つかの間の睡眠をとることになりますな。

この場合に、うっかり主たる仕事を失念してしまうと、これはこれで、また、なかなかヤヤッコしい事態に突入したりしますから。後始末が面倒ですから、主たる仕事を優先してこなすことが、肝心ですなー。

こればかりは、誰か代わりに、と言うわけには行きませんよ。たとえ王様だって。人間、この点は皆平等に出来ているようですよ。

代行屋さんに頼んで、代行屋さんが、とりあえずトイレに行って、用をたしてくれたとしても、頼んだ方の問題は、全然解消してませんからねー。こればっかりは。

また、いくら頻尿だとは言えですね、トイレを往復してさえいれば、万事問題なし、と言う訳では、御座いませんよ。腹が減ったり、テレビを見たくなったり、パチンコへ行きたくなったり、と色々とすることがございますよ。

一般的には、朝は目覚めてから、洗顔、歯磨き、髭剃りとかをするでしょうね。

えっ、私は、女性なので、髭剃りは不要ですって。

あらあら、そんな事を言ってはいけませんよ。

現在の日本は、男女平等の社会ですから、女性も朝には、チャンと髭を剃らなくてはならないのですよ。無精髭をはやしたままでは格好わるいでしょうから。

まず、髭を当たって、スッキリと1日をスタートさせましょう。

もっとも、剃らなくてはならないと言う法もありませんがね。

立派な髭を蓄えることも、自由ですから。

女性だってね。遠慮することはないですよ。ばしっと、カッコいい髭をはやせば良いのですよ。

これが、平等と言うものですよ。

まー、ここは、髭の話に拘らなければならない理由は御座いませんので、髭の話からは、これくらいで引き上げます。

それから、一般的には、朝食の支度、朝食をとる、朝食の後片付け、そして、この間のどこかで、身支度もする事になるでしょうなー。

一日中、パジャマでいたって、いっこうに構いませんが。そのへんは、好きずきですから。

出勤なさるお方は、パジャマと言う分けには参りませんなー。せめて、ジャージくらいにしておかなくてはねー。ネクタイしていれば、ジャージだって、判りはしませんよ。

クールビズだって、かなり一般化してますでしょ。そのうち、クールなんて言う制約がなくなって、オールビズになりますから。

そうなれば、一日中、ジャージでいいですよ。寝る時だって、寝間着やパジャマより、ジャージの方がよっぽど機能的ですからね。

そらー。地震だー、雷だー、火事だー、親父だー、と言った時には、そりゃー、ジャージの方が絶対に良いですよ。

地震、雷、火事は判るにしても、親父と言うのは、どう言うことだー、ってですか。

それはですね。若い女の子が、家から離れて、ようやく1人暮らしができるようになってですよ。たまたま、彼が来ていた時に、たまたま親父がやって来た。その時に、ネグリジェパン一では、マズイでしょー。そのまま外へ逃げ出す分けには行かず、現行犯逮捕となりますよ。どえれー、絞られまっせー。

このような時でも、ジャージだったら、ジョギングに行ってくるー、って逃げちゃうえばいいんですから。

親父の防災対策には、ジャージが絶対有利。

それはともかくとして、ゴミ出しとか、部屋の掃除とか、場合によっては、表の掃除とか、洗濯とか。

昼・夕方になると、また、食事関係の一連の仕事、さらに、どこかで時間を作って、買い物へも行かなくてならなかったり、お煎餅齧って、テレビも見なくてはならないし、読みかけの推理小説の続きも気にかかりますしね。

赤ちゃんがいたら、小さなお子さんがいたら、犬や猫の動物を飼ってたりしたら、その世話で中々大変ですよ。虎やライオンでも飼っていようもの なら、それはそれは、大変どころでは、ございませんよ。うっかりしていたら、食べられちゃいますからね。食われたら、とても痛いですよ。きっと。我慢でき ず、泣いちゃいますよ。

と言うような次第で、どうしてどうして、生活して行く上でしなくてはならない色々なことがございますなー。

その上で、「停念堂閑記」もたまには、覗かなくてはならないでしょうから、と

てもヒマを持て余す事なんて言うことは、御座いませんでしょう。

それなのに、一日中する事も無く、ボーっとヒマを持て余しておられるお方がおられるとするならば、その方は、よっぽどの怠け者と言う他ありませんね。

きっと、貴方が怠けているために、どこかにしわ寄せが行っていますよ。

まー、シャツの場合は、多少の皺くらいなら、たいして気にすることは有りませんが、誰かにしわ寄せが加重になり過ぎると、きつーい小言がきますよ。

貯めといて、一気に来る場合がありますから、その時に備えて、避難マップを作っておいた方がいですよ。備えあれば、憂い無し、とは行かないまでも、手ぶらでいるよりはマシですよ。きっと。どうせヒマなのでしょうから。

ヒマだー、とボーっとしておられる男性がいらっしゃいましたら、まずはですね。メシ作りにトライすればいいのですよ。とたんに、ヒマだなんて言ってらんなくなりますから。

簡単ですよ。冷蔵庫にある物を、何でもいいから、見繕って、まな板に並べて、包丁で適当に切ってさ、フライパンに叩き込んで、味なんてね、所詮、人間の味覚なんて、甘い、しょっぱい、酸っぱい、辛い、苦いくれーのものだから、これをみんな加えておけば、万事OK。砂糖、塩、醤油、ミソ、酢、唐辛子、練り辛子、ワサビ、などを適当に入れてさ、ちゃちゃーっと、炒めちゃえば、一丁上がりですよ。どうせ焦がしちゃうだろうから、苦みもつくし。そして、忘れてならないのは、化学調味料ですよ、これを多めに入れれば、旨味万全。もー、完璧でっせー。化学的な料理の完成となりますから。世界文化遺産に指定されますよ。きっと。

これをですね。多分シワ寄せが溜まっている、奥方様に、ご賞味頂くわけですよ。

間違いなく、いきなり、スリコギ棒が飛んできますから。

エッ、うちにはスリコギ棒は無いですって。

それは、幸いでしたねー。こうなることを、既に、予想していたのですか。流石ですなー。

下手に、スリコギ棒なぞ買っておかない方が、良いですよ。ホント。

既に、お持ちの方は、そーっと、気づかれないように始末しておきましょーね。

ヘマすると、命に関わりますからねー。

しかし、スリコギ棒は飛んでこないまでも、こんな物、食えるかー。余計な事するんじゃないー。と言うのは、間違いなく来まっせ。

実は、これが狙い目なのですよ。もう、二度とメシ作りはしなくて良くなりますから。

しかし、あまりものひどさに、奥方様が出て行っちゃったら、仕方ありませんよ。いさぎよく、諦めて下さいよ。

メシは、自分で作らなければならなくなりますよ。作り方は、さっき言ったとおりでいいのですよ。

一口食べたら、もー、出て行きたくなりますから。その時は、迷わず出て行きましょう。そうしたら、ヒマだなんて、言ってらんなくなりますから。

要するに、生きていると言うことは、そんなにそんなに、ヒマなわけは御座いませんよ。何かしなくてはならない事があるものです。


ところで、生きていますと、様々な事柄に出っ会しますなー。

良い事、悪い事、好きな事、嫌いな事、儲かる事、損する事、どうでも良いこと等々、実に、色々ございますなー。

その中で、今日は、「嗚呼。わかんねーこと」を、話題に取り上げて見たいと思います。

「わかんねーこと」は、色々ありますよ。というか、「わかんねーこと」だらけ。気にし出したら、たちまち、不眠に陥りますよ。悩みますよ。

「わかんねーこと」は、どうして、わかんねーのだ、となりましてね。

終いには、何で眠れないんだ。と悩んで、不眠になってしまうのですから。

まー、今更申し上げるのも、なんで御座いますが、子供の頃から、「物覚えは悪が、物忘れは良い」と言うのが、私のキャッチフレーズでしてね。長年、これでやらせていただいているのですよ。

良いのと悪いの双方を備えおりますので、御陰さまで、アンタは、バランスがとれていると、お褒めを頂いたこともあるのですよ。

まー、早い話が、要するに、ただの凡人だ。と言うことですよ。

年を取ると、この特徴が一段と磨きがかかって、冴えて来ていますよ。特に良い方がですね。どんどん物忘れが、冴えて来ますから。もはや、達人ですよ。人間一つくらいは、取り得があるものですなー。

世の中には、実に、小難しい、容易に解答が得られないような難題に取り組んでおられる方が、いらっしゃるものです。

以前、とある難題に悩んで、貴方どう思う、とよりによって、私に意見を求めて来られたお方があったのですよ。何を勘違いなされたのですかねー。

当然、答は、そんな小難しいこと、凡人に判る訳ありません、ですよ。自信を持った、答ですよ。

そしたら、そうだろうな、と至極当たり前の事と、納得がいったご様子でした。なんなんだったのですかね。

思うに、きっと、凡人はどう思うかを確認に来られたのでしょうな。私が、そのように思う、と言うことは、世の中のほとんどのお方が、そのように思うと言うことですから。きっと。

まー、一種世論調査のようなものなのでしょうなー。

凡人は、こう言う時に、役立つのですよ。人様の御役に立つと言うことは、実に、良いことですよ。

ところでですね。凡人にとっては、困ることが、常に存在しているのですよ。それはですね。世の中には、とにかく「わからねーことだらけ」と言うことですよ。あれも、これも、いちいち「わからねーことだらけ」なのですよ。まったく。

例えば、何時も訳分からねーのは、国政選挙の時の地域における1票の格差についてですよ。

憲法では、平等をうたっていますから、日本全国、どこででも、有権者1人1票と言うことですよ。これが、A選挙区とB選挙区と比べて見ると、1対3とか、1対4になったりするのですよ。

明らかに、憲法の定める平等に反していますよ。

憲法ではね1対1とされているのに、それが1対3とか、1対4ではおかしいでしょう。

実に、簡単な算数ですから、誰にも分かる単純な話です。

いくら凡人とは申せ、これっくれーの算数は、分かるのですよ。

そこで、これは憲法に反しているから、このような状況で行われた選挙は、無効であるとして裁判所提訴している人々がいますよ。

そしたら、裁判所は、御存知のとおり、「違憲状態である」などと言う、訳の判らない判決を下したりするのですよ。

そして更に、「違憲状態である」が、選挙は無効ではない。やり直さなくて良い、と言うのですよ。

要は、違憲であるが、その状態で行われた選挙は、有効だ、と言うのですよ。

違憲の状態」と言うのは、紛れも無く、通常は違憲と言うことですよ。

憲法違反でも、大丈夫。平気、平気と言うのですよ。

これは、故赤塚不二夫さんのバカボンパパの「反対の賛成なーのだ」のと、同じレベルですよ。バカボンのパパは、漫画のギャグだから、これは憲法論議には発展しませんよ。

しかし、裁判所のこの判決の論理は、「これでいーのだ」では、済まされませんよ。

この裁判所の論理、分かりますか。「わかんねー」ですよ。

もちろん、原告側が納得いく分けが御座いませんよ。この訴訟は、結局は、最高裁の判断に持ち込まれましたよ。

結局、最高裁までいって、下された判決が、算数のテストだったら、完全にペケですよ。

すなわち、論点が絞られていって、許容される格差はどうなのだ、と言う事になって、結論として、1対2、すなわち、2票以下の格差であれば許容される、と言う判決なのですよ。

と言いながら、前回の参議院選で生じた1対3の結果でも、高裁判決では、選挙は成立と言うのですよ。

ちゃんと、考えてみて下さいよ。憲法では、1対1なのですよ。これが定なのです。

これが、1対3でも良い、と言うのですよ。

1対3の格差は、実質的には、許容の範囲とされているのですよ。

こんなんだったら、野球はどうなるってんです。1対1と1対3は、同じ扱いかー。勝負は見えねーぞー。

なんでやねーん。「わかんねーぞー」、ですよね。

さらに、付けられた屁理屈が、訳分かんないのですよ。

国会では、1票の格差是正すべく、選挙法の改革に取り組んでいるから、と言う屁理屈も付けられているのですよ。

泥棒にですよ。目下改心の検討中だから、結論が出る迄、逮捕を待ってやるで、世の中治まると言うのでっか。まったく。

最高裁の判断は、司法制度による判断の終着点ですからね。

要するに、憲法法律に則った、最も基本的な判断が下されるべきであって、政治を行う場では無いでしょ。

司法立法行政三権分立によって、司法は、立法行政から独立した存在なのですよ。誰だって、そんな事、義務教育段階で教わって、知っていることですよ。

司法は、法の精神に基づいて、ビシッと結論を出すべきですよ。裁判官の皆さん。大学の「法学概論」で、真っ先に、法の精神を学んだでしょう。知らない、失念した、誤解してたと言うような弁解は、許されませんよ。

裁判は、憲法法律に基づいて行われるもので、それは、「当たり前の当然のことなーのだー」とバカボンパパも言うと思いますよ。

それを、政治的事由を持ち出すなんて、もっての外ですよ。日本の法曹会は、一体どうなっちゃったんだ。と言うことですよ。

1対1が判断の基準なのですよ。ですから、1対1か、限りなく1対1に近い数値で無くてはならない訳ですよ。実に、簡単な論理です。

実際の選挙において、現状の選挙制度では、ずばり1対1になる条件を整えることは、困難でしょう。しかし、これを1対1に近づけるのは、行政の仕事ですよ。国会のするべき仕事であって、その仕事がかなり大変難儀な事情にあるとしても、最高裁がいらざる口出して、判断すべき性格のものでは無いでしょう。

憲法によれば、1対1なのですから。これに照らして、格差があれば、それは、紛れもなく、違憲なのです。

但し、ぴったり1対1にすることは、現行の選挙制度では、叶わぬことです。しかし、だからと言って、1対2以下が許容の範囲と言うのは、どう見たって、おかしいではありませんか。

1対2以下が許容の範囲と言うのなら、そのようになる論理がなくてはなりませんよ。

2は限りなく1に近い数値ではありませんよ。1.5と言うのが、1と2のちょうど中間値です。ですから、1.5を超せば、もはや1ではなく2に近い数値なのです。1.5未満が2よりは1に近い数値なのです。

ですから、憲法の平等精神1対1に近い限界の数値は、1.5未満と言うことになり、最高裁の判断は、許容範囲を設定する場合は、1.5未満以外にないのです。

小学生の算数で理解できることです。

1.5未満が、現実に困難、と言うのであれば、それは、司法の問題ではなく、行政のすべき仕事なのです。

行政的にみて、1.5未満の条件を満たす事が無理であると判断するのであれば、それは現行選挙制度が、憲法の平等の精神を実現出来ないダメな制度と言う事なのです。従って、現行選挙制度の改革が、早急になされなくてはならないわけで、国会の最優先課題となるはずです。

これを最高裁が、格差2以下は許容の範囲なんて、訳の分からない論理で、判決を出すから、ややっこしいことになるのですよ。

すなわち、このような状況になると、国会は、1対1を目指すべきところを、1対2を目標にすることになるのですよ。この目標では、現実的には、精々1対3くらいに落ち着いてしまう所が出て来てしまうのですよ。

そこで、また、1対3は違憲、この選挙は無効と言う訴訟が始まるわけですよ。

そして、1対3は、違憲状態だが、選挙結果は有効、と言う訳の分からぬ判決を繰り返すばかりなのですよ。

国会は、現議員の御都合主義で狡っこく、裁判所は論理不明の判決、これは明白ですよ。

現実は、この繰り返し。「嗚呼。わかんねー」、と言うことなのですよ。


1対1の格差のない選挙制度は、いつも言われているように、いわゆる全国区オンリーにすれば、間違いなく格差は消滅します。実に、簡単で明快ですねー。

ところが、この制度では、知名度の高い候補者が、どうしても有利となってしまう。と言う意見が飛び出すわけです。

一方、知名度の高い人が、当選すると言うのが、なぜ悪い、と言う反論がすぐに出ますよ。

政治的に適切な判断ができる人であれば、知名度が高くたって、なんの問題も無いはずです。政治的に活躍が期待される人ならば全然問題はないのですが、そうでない場合が、心配されるのですね。

例えば、政治的判断力欠乏のタレント議員と称された人がいましたね。ただ、知名度が高いだけで、当選してしまった議員さん。

タレントさんが、誰も彼も望ましくない、と言うことは御座いませんよ。政治的に全然ダメな、ただただタレントとしての知名度の高さからだけでは困る、と言うことなのですよ。

これは、タレントさんだけが、悪いのでは毛頭御座いませんよ。

タレント出の方でも、実に立派な活動をなされた方も、多数いますよ。

しかし、一方、政治に関心もなく、その知識も持たず、悪質な政党の甘い言葉に乗せられて、うかつに立候補してしまうタレントさんもいる訳で、これはタレントさん自身にも問題があるのです。

すなわち、頭数を揃えたい欲求を持つ、ろくでもない政党が、知名度の高い、タレントさんをけしかけて、立候補させて、当選させると言う事が悪なのですよ。要するに、低質でも頭数だけ揃えて、その頭数にものを言わせて、国策を左右しょうとするのが、問題なのですよ。このような事態が、かつて、実際に数多くあったわけですよ。

その結果、全国区だけにすると、とにかく政治的素養は低いが、知名度の高い、何時もテレビで見るタレントさんの様な方が、選挙ではやたら強い結果となる。だから、全国区だけの選挙は、ダメだと言う意見が出るのですよ。

しかし、この傾向は、ひと昔前のことで、現在では、このような事をしようとすると、その政党の質が問われる傾向が強くなって来ているし、このようなタレントさんに対する評価も厳しくなっているようなので、ひと昔前の状況とは、若干様子が変わって来てはいますよね。

とは言え、投票する時に、どうしても知名度の高い方を、ついつい投票してしまう、と言う傾向が、なくなってしまった訳ではありませんので、この辺の判断が悩ましい現実なのですよ。

これは、投票者が賢くなるのを期待するばかりと言うことでしょうね。

早い話が、国民全体が、政治的素養の向上に努力しなければならない、と言うことに尽きるようです。スマホのゲームにばかり、没頭していてはダメと言うことですね。

一般国民が、国政に直接参加できる最大のチャンスは、選挙しかないのですからね。選挙に、より強い関心を持ってですね、自己の代弁者を選出することに勤めるべきなのですが。これが、ついつい植木等さんの名歌詞「分かっちゃいるけど、やめられねー。はー。スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイー」と、タレントさん的な知名度が高いだけの候補者名を書いて、投票しちゃうのですよね。

投票する者が、適格でない人を当選させてしまう、と言うのが、一番困ったことなのですよ。実は。

それから全国区だけでは、地方の意見が、国政に反映されないことになる。と言う意見もすぐに出ますなー。

これに対しては、地方における地盤との「柵(しがらみ、謂わば「腐れ縁」)」にガンジカラメに縛られた議員さんによる国政の方が、余程心配される、と言う反論がすぐに出ますな。

実に、どっちを向いても、あきまへん状態に陥るのですわ。

これについては、偏見と独断で対抗するより他はありません。

すなわち、国会議員は、あくまでも、国民全体の利益につながる存在であって欲しいもの。特定の地域の利益代表と言う存在では、ダメなのでは無いのでしょうか。基本は。

この観点からすれば、衆議院議員の選出は、全国区だけの方が良いのです。

あまり馴染みの無い人の名前は、投票用紙に書きづらい、と言う点については、その対策を考えれば、良い事だろう、と思いますよ。

例えば、立候補者の届け出期日と投票日の期間を、50日間とし、先の40日間は、もっぱらメディアによる候補者の周知を図る期間として、後の10日間を、街頭や特設会場による選挙運動の期間とするなどの対策を講じてはどうでしょうかね。

そうすれば、知名度の低い人も、40日もあれば、ある程度広く知ってもらえることになるのではないでしょうか。ネットの利用度が、かなり高まっていますから、効果的ではないでしょうかね。

メディアの利用方法は、公平になるように、工夫が必要でしょうが、そんな事は、ちょっと考えれば、適切な方法が見つかるでしょう。

大体、特定の選挙活動は、特定の期間に限定されるでしょうが、一般的な政治活動は、不正行為で無い限り、特定の期間に限定されているわけでは有りません。だから、国政に関して、関心を持ち、自分の目指すところを、より多くの人に訴える行為は、適宜、時をとらえて行えば良いことです。このような政治活動を常日頃行っていれば、知名度も上がるはずです。

どこぞの政党のように、選挙公示日ぎりぎりになっても、候補者を立てられず、土壇場になってから、誰か知名度の高いタレントを担ぎ出そうと、慌てふためいているのと比べれば、心ある方の常日頃の政治活動の方が、よっぽど信頼されるのでは無いでしょうか。

要するに、立候補者がどのような人物であるかを広く知らしめる対策を講ずれば、知名度云々の心配は、解消できることです。要は、その対策を徹底してやるかどうかが問題なのです。

それから、地方の意見を国政に反映するようにするための制度も、抜本的に考え直す必要があると思われます。

現行の小選挙区を設定しての選挙は、1票の比重についての調整は、まず無理ですので、これは根本的に改めなければならないと思われますね。

これは、よりすっきりした分かり易い論理に従えば、実現化の難しい話ではありませんよ。現議員さんの地盤との謂わば「腐れ縁」にさえ関わり合わなければ、今よりは、ずっと良い制度が出来ること確実です。

そして、何時も問題になっていることは、地方に関わる政治のシステムが複雑で、とにかく無駄が多いと言う問題です。

地方に関わることには、まずは、国会のシステムが大きく被さっています。そして、都道府県レベルのシステムと、市町村レベルのシステムが関わり、三重構造なっています。

だから、国会レベルでの思惑と都道府県レベルでの思惑、さらに市町村レベルでの思惑が、常に別個に存在しているのです。

すなわち、地方の事柄は、この三者の調整が必要になる仕組みとなっているのです。テマ・ヒマ・カネがかかるのです。

ところが、現実的には、三者の力関係は、申す迄もなく、国(ここでは、政府の意味)、都道府県市町村となっていていますから、都道府県市町村が、国(政府)の力に押し切られる結果となることが多いのです。

具体的には、国(政府)から、予算をつけるので、これをしなさいと言われれば、結局は、当該都道府県市町村では、たいして必要のないことでも、やってしまうことになる訳です。このようにして、地方にとっても国にとっても無駄なことをしてしまう現実があるわけです。

要するに、地方の政策は、国(政府)・都道府県市町村の謂わば3階建てとなっていますので、1階建てになれば一番スッキリするわけですが、それはいきなりでは中々実現が難しいですから、まずは、2階立てに出来ないものかを検討してみてはどうかと思う訳ですよ。

そこで、2階建ての構造をどうするか、と言うことになるのですが、この場合、国(政府)を無くする訳には、参りませんので、結局は、都道府県市町村の部分の一体化を検討するより御座いません。

まず、国に関わる部分について見ていきます。

例えば、衆議院議員の定数を457人とします。

因に、現行では、衆議院議員の定数は475人で、うち295人が小選挙区選出議員、180人が比例代表選出議員です。

合計の定数は、現行よりも19人減らします。

これは、現行定数は多過ぎ、減らすべきとする世論が強いと言う判断によります。

総数457人と言う根拠は、以下の理由によります。

1 現行の475人の下二桁を入れ替えて見よう、と言う単純な発想ではございませんよ。現行定数は、多過ぎる。減らすべきとする世論が強いと言う判断によるのですよ。

19人削減と言うのは、現行の定数は、多すぎるから、何人かどこかへ行ってくれませんか、と言ってみたところ、行く行くと言った方が、19人にいたので、19人削減としたのではありませんよ。

また、国民にだけ血を流すことを強要するのは不届きだ。国会議員自身も血を流すべきだ。ナンと言う理屈がまかり通っているようですが、そんな心の狭い、根本的な解決法とはほど遠いケチな理由ではございませんよ。国民が血を流し、国会議員の定数を僅かばかの削減すれば、万事OKとなると言うのですか。頭をよく冷やして、考えなければ、なりませんよ。

衆議院議員定数改編の理由は、順次説明いたしますよ。

要は、まず19人削減して、衆議院議員総数457人とするが良いのではないのか、と言う案です。

2 現行の比例代表小選挙区の区割りを廃止してはどうでしょう。

これは、現議員選挙区の旧来の「腐れ縁」を一度解消することを主目的としています。

  選挙は、都道府県とその人口を調節した単位として行うものとしては   

  どうでしょうか。

  新たに、選挙区は、全国区と地方区としてはどうでしょう 

 2-1 全国区の定数を235人とします。総数の約半数強に当たります。

   国政は国民全体を対象とすべきであり、且つ、選挙区による格差是   

   正をしなくてはならないことが、主たる理由です。

   この数的算出の根拠は、47都道府県から、仮に各5人を選出することと  

   した場合の数値が235人になると言うことです。

   なお、蛇足ながら、都道府県から各5人宛選出する、と言うのでは有り 

   ませんよ。全国区ですから。

   衆議院議員の定数の約半数強を全国区選出としてはどうか、と言う発想 

   です。

 2-2 地方区の定数を原則222人としてはどうでしょう。

   原則と言うのは、人口を基に定数を算出するので、場合により、若干  

   名動く可能性を考慮したものです。

   すなわち、地方区は、地方の意見が、平等に反映されなくてはなりませ

   ん。ここでは、都道府県有権者数ではなく、人口にベースをおきます。

   都道府県からは、必ず1名以上の衆議院議員が選出されることを、絶対

   条件とします。

   すなわち、地方の選挙区は、都道府県に同じとする訳です。

   主たる理由は、地方行政は、圧倒的に都道府県を単位として行われるこ 

   とが多い現実だからです。

   現行の選挙区を単位とする地方行政は、ほとんど無いからです。

   ですから、地方区の選挙は、地方の行政体を基盤とする方が望ましいと

   思われます。

   それから、知事選が行われていますから、都道府県を単位とする選挙は  

   慣れているので、問題が少ないと言う点が上げられます。

   仮に、2015年都道府県別の人口を基にしますと、

   人口総数は、127,110,047人で、最多が東京の13,513,734人、最少が鳥

   取県の573,648人です。

   そこで、鳥取県の地方区衆議院議員の定数を1人としますと、単純計算

   では、全国からは、222人選出される計算となります。最多の東京の定

   数は、9人となります。

   以上が、地方区選出議員定数222人の数的根拠となります。

 以上のような方法によれば、割合、分かり易い論理で、全国格差が少なく、選挙があるたびに、地域格差が大きい、平等ではない、この状態の選挙は無効だ、とする事態を避けることが出来るのではないかと思われます。

最高裁においても、違憲状態だが、選挙は有効などと言う訳の分からない判断をしなくて済むし、1票の格差は、1対2以下であれば許容されると言う苦し紛れの算数をしなくて済むのですよ。

ただ、現行の国政選挙と制度的特徴として、決定的に異なるのは、現行制度は、有権者数をベースとして、1票の地域比重を考えているのに対して、この改革案では、都道府県別の人口にベースをおいていると言うことです。

凡人の偏見と独断では、この改革案の方が、憲法の平等の精神に合致するものであると言うことになります。

すなわち、憲法で言う平等は、有権者をのみを対象とするものではないでしょう。人格を有するもの全て、老若男女全員を対象とする平等でしょう。

だからこの状態に、出来るだけ近づけるための方法を考え、それによった方が賢明だと思うのですよ。

どうしても、選挙であるからには、有権者数をベースに考えなくては、おかしいとされる意見が多いとすれば、人口ではなく都道府県有権者数をベースに、定数を算出すれば、良いのですよ。

参議院も、仕法は、衆議院議員に準ずれば良いと思います。

あるいは、全国区だけでも良いような気もしますが。

要するに、平等が担保され、地域による格差をなくし、選挙に費やすテマ・ヒマ・カネを最小に押さえることが肝腎であろうと思うのです。

 

以上のようなシステムにすれば、今よりは、遥かに具合がよくなると思われます。


次に、地方自治に関しては、都道府県市町村の2階建てとなっていますが、現状を把握し、近未来を洞察して、機能的に、より簡素なシステムに改革できないものか、と言う点が最大の関心事です。


地方自治については、かなりショッキングな現実が出現しているようです。

御存知でしょうか。過疎村の話です。

村長の任期が過ぎても、次期村長の立候補者がいない、選挙が出来ない、村長不在の状況に陥った村があるのです。村議会議員も同様の状況です。

村長不在、議員も空席だらけ。村から政治が消えそうになってしまった所が出現しているのです。テレビの特番でやっていたのを見ました。

過疎の村は、大変な事態が、既に出現していたり、近未来に、大変な事態となることが、明らかになっている様です。

過疎の進んでいる村では、有権者全員が、村議会議員にならなくてはならなくなってしまうのですよ。もはや代議員制では無く、直接民主制の状態ですね。笑ってられない事態が到来している所が、少なからずあるのですよ。

しかし、現在の日本の状況では、村における直接民主制のシステムはとることが出来ません。

一度、村としての自治体の体を成さない状態に陥ってしまうと、村の決めごとが、一切出来なくなってしまうのです。自力での対策が、出来なくなり、手の施しようが、無くなってしまう訳です。

村に、僅かの老人しか存在しなくなってしまった結果です。

地方自治体の実情は、明らかに、このような方向へ、かなりのスピードで進んでいるのです。

この傾向は、もう、止められない事態となっているように思われます。

理由は、人口の減少です。

日本全体の人口が、減少の傾向にあることが、明白となりましたね。昨年よりも、減少したのです。

また、東京をはじめ、大都市の人口も減少の傾向が、現れて来ているのです。

特に、地方都市の人口減少の傾向は、ますます進行することが明らかですし、町・村に至っては、この問題に、従来から対策を講じていますが、どこも、対処に窮している実情でしょう。

過疎への進化は、若者が居なくなっちゃった、だけでは済まないのです。

過疎の現象が現れると、そこでの生活が不便になります。すなわち、商店の経営が難しくなり、数が減っていきます。結局、商店の無い地域が、加速度的に増加していきます。と言うことは、日常の生活必需品の入手が、極めて困難となります。このような傾向が進み始めると、当然の結果として、状況に応じて、その地域から、離れる人々が続出します。ある者は便利な市街地へ越したり、街場の子供との同居を選んだり、それぞれの事情で、過疎地から離れて行く事になります。

また、病院の存在の可否が、過疎になる決定的な要因となります。

しかし、そのような条件が整わない人は、そのまま過疎地に居続けなければならない訳です。

そして、人口の減少化は、即税収の減少と言うことになります。何か過疎対策をと言っても、それを実現化する財源がない状態に陥るのです。

この負の連鎖は、もはや、止まるものではないと言って、良い事態だと思われます。

過疎の傾向に気がついた時には、既に、手遅れの場合が多いのです。

すなわち、この傾向に気がついて、何か対策をと考えても、最も基礎となる人口増加の実現は、特別の奇跡的事態が発生する以外は、最早絶望的なのです。

したがって、対策は、どのようにして人口の増加を図るか、と言う他に、人口減少の事態の進化に合わせて、地方自治のあり方をどのように改編するのか、と言う点にかかっているわけです。

この改編が、中々大変なわけで、短期間に実現することが、甚だ難儀な傾向にあるわけです。要するに、地方自治体の改編には、長い時間が必要とされるのです。

だから改編問題は、そうとう早めに着手する必要があるのです。対策が、後手後手にまわってしまい、進化する現実に追いつかないのです。

改編を試みようにも、現地にそのパワーが無いのが、現実なのです。さー、どうします。厳しい現実が到来していますよ。

今迄のやり方、現行の制度では、もはや通用しない事態なのです。

自然の脅威と似ていますね。地震・火山の噴火台風・竜巻・河川の氾濫・土砂崩れ・交通網の崩壊・水道の停止・停電医療の低下・教育の低下・食料不足等々、気象の大きな変化にともない、従来の設備では、もう太刀打ち出来ない状態が多発している現状です。

これに対応する行政は、災害が発生すれば、目先の復旧だけで、目一杯の現状です。

根本的な制度改革が、緊急に必要とされている現状です。

しかし、どうでしょう。世の中、来るべき2020オリンピックに、大騒ぎ。表面の見栄をどのように取り繕うかに夢中の状態です。復興オリンピックをうたい文句にするのなら、その費用、2兆円だか、3兆円だかを、被災地復興資金として、ポンと出しなさいっちゅーの。復興の速度が、全く違いますよ。

たとえば、ポンと出すにしても、出すシステムがややっこしくて、実現出来ないのではありませんか。

国(政府)と都道府県市町村のこの3階建ての重層構造で、合意をはかる手筈がつかず、手の着けようがない現状なのではないのですか。

とにかく、地方行政システムの改編が急がれる現状であることは、間違いございません。

要するに、もう、地方自治体の根本的な改編が、行われなければならない事態と化しているのです。笑って見ている場合ではなくなっている現実があるのです。

そこで、まず、居住人口と地理・地形的要因などを鑑みて、新たな地方共同体を形成しなくてはなりません。


まず、地方には、現状通りの都道府県をおきます。

都道府県には、その首長として、知事を1人おきます。そして、副知事を事情に応じて複数名おきます。

都道府県に、それぞれの議会をおきます。そして、各都道府県を全1区として、全体の議員を選出します。但し、現行の議員定数よりも、必要に応じた増員を行います。


甚だ唐突で恐縮でございますが、思い切って、市町村首長議会を無くしてしまっては、どうでしょう。目先の中途半端な、過疎地域合併、統合などの方法では、現実に効果的に対応できないと思います。

要するに、現行の市町村と言う独立の自治体を解体し、現行の市町村首長議会を持たない、各都道府県庁の下部組織として存在させ、行政の実務を司る存在とするのです。

従って、市町村議員を無くしますので、この機能をカバーする必要があります。そために、副知事複数名と都道府県議員数を幾分増加させる必要があると言う事です。

副知事は、地域別の担当か、あるいは政策上の主題別に、その都道府県の事情を鑑みて、必要数を用意します。

都道府県議会議員の定数も、その都道府県の事情を鑑みて決めるわけです。簡単に言えば、都道府県議会が、従来の市町村議会職務をカバーする存在ですから、現在の都道府県議会議員の定数を、状況に応じて、増加させなくてはなりません。

しかし、現行の市町村議員数をそっくり都道府県議員に取り込むと言うのではありませんよ。実情を鑑みて、かなり大幅な削減を図ると言う事です。

但し、現行の市町村の役所は、改編して存続させ、都道府県庁出先機関に位置づける。地域住民の声を積極的に聞くことを最大重視する機能を持つ存在として存在させるのです。すなわち、地方の役所は、現行の市町村議会のように、同市町村意思決定の場とはせず、同市町村の隅々にわたる迄の情報収拾の機関としての機能を持たせ、収拾した情報を逐一都道府県庁へ報告させる。すなわち、都道府県庁は、これ迄の市町村の有する問題を常に把握し、都道府県議会が対策の意思決定の場となると言うことです。

都道府県首長、すなわち知事および都道府県議会議員は、各都道府県を単位とする選挙区で選出することになります。この選挙は、従来から知事選挙が行われていますから、特に問題なくできる態勢が整っています。都道府県議会議員選挙も、同様の仕様で可能です。

駄目押しで、要点を再記すれば、現行の市町村長と各議会議員を無くしてしまい、その機能を、都道府県行政の中に取り込むと言う事です。

この事により、都道府県市町村による重層構造を解消されることになる。そして、なによりも厄介な過疎地域の問題を解消できることになるのです。

蛇足ながら、過疎の進行は止められないのが実情だと思われます。

問題は、過疎が進行して、居住民が0地域になれば、行政による人的対策は、不要となるわけですが、問題は、極めて少数の居住民が散在する場合の対策であります。

財源の無い過疎村が、あちらに1人、離れたこちらに1人と言うような少数の居住民のライフラインを維持できるのか、と言う問題です。結論は、明白です。過疎村では、そのようなことは、もはや無理なのです。特に、山間部の降雪地帯では、もう適切な対策は、移住してもらうこと以外にないのです。

この最後の頼みの移住を拒否された場合は、他に対策がないのです。

ただ、ただ根気よく、移住を説得する他ないのですよ。

しかし、お年寄りが、それを拒否する場合があるのですよ。論理をもって、事態の説明をしたって無理な場合がありますから。論理ではなく、ご当人の覚悟と対決しなければならない場合がございますから。

ご先祖が当然現れますよ。この土地は、先祖代々受け継いで来たところである。私はここで生まれ育った。当然の事として、ここに骨を埋めるつもりだ。たとえ明日、孤独死しようとも、それで良いのだ。堅く決心していることだ。覚悟はできている。とやられたら、もう、手出し無用ですよ。

余命に幾分の余裕でもあれば、まだしも、そうでない場合は、今更、移住なんて、論外中の論外ですよ。

老人の引っ越しは、外部で見ている者には、到底理解し難いものがあるのだと思われます。先祖代々の土地を離れる、先祖のお墓を捨て去る、苦労 に苦労を重ねた数々の思い出、何と言っても心身に適合したこの地の暮し、思い出の品々、馴染んだ自然・風景、それらから全て離れた、これからの未知の生活を思う時、どうなろうとも、ここに骨を埋めると決断して、なんら不思議はありませんよ。

この決心を変えてもらうには、ただただ、根気よく、説得して、理解してもらうより道は無いわけです。

説得役を仰せつかった人は、実に大変ですよ。村役場の職員は、当然行政の責務を背負っていますが、しかし、人の子であることからは、逃れられませんよ。説得する方にも、一抹の不安があると思います。

このような老人を、便利な場所に移住して貰っても、果たして、移住先の生活が、当人にとって幸せなのだろうか、と言う不安がつきまとうでしょうしね。

引っ越し先には、あの山間部の青い空はあるか、澄み切った空気はどうだ、へますると車の排気ガスの方が多いかもな、小鳥のさえずり、虫の声はどうだ、トンボが飛んで来て頭にとまってくれるか、このようなお年寄りの日常が全部無くなってしまうのです。

結局は、行政の都合を押し付けているだけではないのか、と言うような事が、頭をよぎったりしてですね。説得する側は、どっちに転んでも、後味の悪さを拭えなかったりして。とにかく、双方にとって大変な事態であります。

そんなこんなで、はっきりしているのは、ややもすると、とにかくべらぼうな時間を要する作業になる恐れがあると言うことです。

ですから、このような予想は当然考えられることですから、とにかく、この手の作業は早く着手しなければならない訳です。まだ、時間が、なんて言っている余裕は無い筈です。

地方の行政を改編するには、一刻の猶予も無いと、早く気づくことが肝要です。気づいたら、早速、着手するよりありません。


行政機関については、市町村を廃止して、都道府県の下部組織に組み替えるわけで、これは、現市町村の役所を改善する方向で、何とかなる性格の問題ですが、なかなか難しい問題を含んでいるのが、行政組織の改編と当該議会のシステム、および議員の選出に関する制度の改編についてです。

まず、都道府県首長知事の設置、その選出の方法は、従来通りですので、理解は難しくは無いと思われます。

副知事については、定数を増加させる点とその選定の方法が、新たに加わる点です。これは、市町村の廃止に関わる事ですから、この問題との関係で考えなければなりません。

市町村の廃止は、これを理解して貰うには、大変なエネルギーが必要になると思われます。

市町村を廃止する目的は、現行の都道府県市町村の2階建てでは、重複していて無駄な部分があるので、この解消が一つです。

政策のスピードアップが可能となると思います。

例えば、都道府県で決議し、それをさらに市町村へ下して議決を経て、ようやく実行となるのが、都道府県で決議すれば、即実行に移されることになります。

災害時の対策などは、かなりスビードアップできることになります。

それから、市町村の抱える過疎地域対策が一つの狙いです。過疎の問題を、当該過疎地域だけで、対策することが困難な事態ですから、より広域的な観点から、対策することが肝要であろうと思われます。

以上のことから、市町村を廃止し、従来の市町村の持っていた機能を、都道府県に取り込むように改編しようと言うのです。

この体制を成立させるには、地方行政都道府県に一本化することとして、そのための組織を改編しなくてはならない。

そこで、地方の意思決定の場を、都道府県知事および副知事議会にすると言うことです。

知事の選出は、従来通りとします。

副知事の選任は、大別して、選挙による方法と、知事議会による任命の仕方が、あると思います。

まず、定数を決めなくてはなりません。これは現行の都道府県議会議員数に、従来の市町村議会議員職務をカバーできる人数を加えると言うことです。

副知事職務は、知事の補佐と言う位置づけになります。

例えば、地域別あるいは政策の主題別の職務をもっぱら分担する、と言うことになります。

地域別の諸問題を担当する場合は、選挙による選任が望ましいと思われますが、

例の1票の格差を発生しないような制度を用いなくてはならなくなりますから、

制度設定がかなり複雑になる恐れがあります。

どちらかと言うと、行政主題別に設置する方が、効果的かと思われます。この場合は、選挙によらず、都道府県議会による任命の方法が、ベターのように思われます。1票の格差の問題は発生しません。

すなわち、主題専門家を登用することができるので、この方が、行政上効果的のように思われます。

定数は、選挙選出定数の枠外に、事情に応じた適当数を設置すれば良いように思われます。

都道府県議会議員は、全区を単位とする選挙で選出すれば良い、と言うことです。


ただ、このような制度で心配されるのは、上からの命令・指令が強くなるのではないのか、と言うことが懸念されます。この点については、現行の国政と地方自他が有する事態と同様です。

大変難しい課題です。

民主主義に基づく意思の決定は、結局のところ多数決による以外に適切な方法がありません。しかし、何時も、多数の意見で意思決定していると、少数意見は、常に陽の目が当たりません。

ではどうすれば良いか、と言うことになりますが、詰まるところ、少数意見の尊重をうたうより無いのです。うたい文句として掲げられてはいるが、圧倒的に、多数の判断がまかり通る、と言うのが現実です。

弱い、少ない意見をも、大事にしなければならない心を養成する以外に、道は無いようです。お互い助け合っていく心を育てることに努力するより無いようです。

この難題は、たとえ神様だって、なかなか・・・、と思われます。


以上、愚にもつかぬ事をダラダラと、とお思いなられること必定ですね。

世の中で、一番馬鹿馬鹿しいジャンルの話であることは、間違いございません。

まー、早い話が、リタイア後のボケ防止を兼ねたヒマ潰しとご海容下さいませ。

御付き合い下された方、お疲れさまで御座いました。これにこりず、またの機会も宜しくお願い申し上げます。晩秋 頓首謹言