《停念堂閑記》71
「日比憐休独偏記」6
「無責任体制」
本日は、ようこそお越し下さいました。
厚く御礼申し上げます。
世間では、あちこち、至る所で、イベントだらけ。色々と面白い催しがある中、よりによって、ここへおいで下さいまして、有難う存じます。
ここはですね、イベント会場とは打って変わって、今の国民の多くが期待している美味しい物も無く、カワイイーものも無く、はたまた、癒される こともなく、元気や勇気を貰えるわけでもない、ただただジミーな、どちらかと言うと、クラーイ、たまに、時節外れの親爺ギャグが、混じるか、これも調子の 悪い時には、なにも出ない、なんとも、仕様がないところなんですよ。ほんと。
しかし、一旦、来てしまったら、もう仕方ありませんよ。
来てしまった責任と言うものが、発生していますから。
責任は、もう、ご自分でとって頂くより仕方御座いませんよ。
精々、ここから面白味を探してもらうより仕様がございません。
甚だ勝手な言い分で、相済みません。
しかし、心配することは、何もございませんから。
お客様ほどの感性を、兼ね備えておられれば、全然、問題ございません。
笑いは、すぐに飛び出しますから。
たとえ面白くなくても、下らねー、馬鹿馬鹿しー、アホかー、と笑い飛ばせば、すなわち、その質はどうであれ、笑いが発生した事は、紛れもない事実になりますから。
この意味では、結構、いけてますから。
宜しいですね。阿呆くさー、と感じたら、すぐに笑い飛ばして下さいよ。
バーカ、アーホなんて思ってね。
そうです。世間で一般的に、嘲笑、アザケワライと言われているやつですよ。
アザケワライであろうと、何であろうと、笑いは笑いですから。
構う事はありませんので、そのような観点がら、お楽しみ頂ければ。幸甚でございますよ。
さてと、ですね。
大雪が来てますなー。
ユキは良い良いと言われますが、ドカ雪は困りますなー。
私事で恐縮でございますが、私は、道産子、北海道生まれで、東京の大学にやって来まして、そのまま住み着いちゃった、次第でございますが、高校時代迄は、北海道で育ちましたよ。
私の育った所は、豪雪地帯ではありませんで、真冬でも50・60センチか70センチ位の積雪のところでした。
小学生の時には、12月25日辺りで、2学期が終わりまして、ひと月弱の冬休みに入るわけです。北海道は、東京より冬休みが長いのですよ。
2学期の終業式の日は、通信簿をもらって帰るだけでしたので、ランドセルなどは持って行きませんでしたね。風呂敷を持っていくだけ。
通信簿と宿題の冬休み帳(1日に1・2ページのドリル形式の課題を1冊に綴じたもの)を風呂敷に包んで、腰に巻き付けて縛れば、一丁出来上がり。行動し易い訳です。
ちょうどこの頃に、根雪になって、程よい積雪になる事が多かった様に記憶しますなー。
通信簿を包んだ風呂敷を腰に巻き付けて、帰宅の途中、学校のすぐ裏には、大きなエゾ松が植わっていて、この枝に雪が程よく載っかっているわけですよ。
その木の下に、油断しているヤツがいたら、そーっと行って、エゾ松の幹をドンと蹴飛ばして、一気にその場を逃げ去る訳です。逃げ後れると、自分がヒドイメにあいますから。
そーすると、一気に雪が落っこちてくるわけですよ。油断してると、頭からどさっと雪をかぶってしまうわけで、首などに入ったら、シャッケーとなるのですよ。
北海道では、冷たいことをシャッコイと言います。
そこで、やられた方も黙ってはおりませんよ。
しばし、お決まりの雪合戦が展開される事になるわけで、このような時に、とにかく、素早く動けることが、大切なわけですよ。
だから、通信簿風呂敷包みは腰に巻いておいて、両手が自由に使えるようにしておく必要があるわけです。
子供同士の場合は、いいのですが、うっかり、大人の人にやってしまったりすると、これは大変です。雪道を一目散に逃げなくてはならなくなる分 けで、慌てるから、つまずいたり、滑ったりはあたりまえで、アラ雪(踏み固められてなどおらず、降ったままの状態で積もっている雪)に頭から突っ込んで、 顔面雪まみれで、プーっとなるはめと相なる次第であります。天罰覿面と言うことですなー。
小学生の頃は、雪が積もると、毎日のように、スキーばっかりしてましたね。
スキー場なんて気の利いたものはございませんよ。
畑であれ、野原であれ、傾斜があるところが、スキーの遊び場となる分けです。
夕方、薄暗くなるまで、遊んで帰ってくると、もう、手がかじかんじゃってね。スキー靴の紐が、凍っちゃっているので、解く事が出来ないのですよ。
仕方がないので、スキー靴のまま、家に上がって、ストーブにかじりつくわけですよ。
そーしたら、手があったまって血行が良くなって来ると、これがズキンズキンと痛くなるのですよ。もー、涙がでるほど痛かったですね。
泣くくらいなら、さっさと、早めに帰ってくればいいのに、とよく叱られましたが、翌日になると、学校から帰ると、もー、けろっと忘れて、また、出かけましたね。塾なんと言う物は、ありませんでしたから、放課後は、好きなだけ遊べるのですよ。
中学生になると、近所にスキーを付き合ってくれる友達が少なくなって、殆ど一人でやってましたね。
よく少し離れた裏山へ、出かけましたね。途中で、凍った山葡萄があったりして、これが、ホンノリと甘いのですよ。
山は、自然のままですからね。スキー場に はなっていません。雪が積もったままになっている、そうです、アラ雪状態です。雪かさが多いと、スキーの滑りが悪いので、山に登って行く時には、帰りに、 滑り降りることを想定して、コースを考えながら、スキーで雪を踏みしめながら、登らなければならないので、結構骨が折れましたよ。
この登りの作業をちゃんとしていかないと、とんでもないことになる場合があるのですよ。
滑り降るコースを想定しないで登った場合、アラ雪の中を滑り降りなければなりません。真っ白な広い雪の原は、えてして、凹凸がはっきり区別し にくいのであります。一面平坦な真っ白。手当たり次第に、滑り降りると、突然眼前に、こんもりとした雪の盛り上がりに出くわすことがあるのですよ。これが どえらい事になる場合があるのですよ。
うまいこと、その雪の盛り上がりの上を通り越せば問題はないのですが、時に、ヘマをやると、こんもり雪にスキーの先が刺さってしまうことがあるのですよ。
そーしたら、物の見事に、足を取られて、突然ストップ。雪中に顔面突入になるのです。
すなわち、何故こんもり雪になっているのかと言うと、小さな木に野葡萄の蔓が巻きついていて、それにこんもりと雪がかぶった状態になっているのですよ。
すなわち、この野葡萄の蔓に突っ込むことになり、足をとられて、弁慶の泣き所を、ゴリゴリっとやられて、イテーのなんのって。
スピードが出ていますからね。物の見事に転倒する訳です。へたすると、骨折・捻挫する事に成り兼ねません。
なん回も、突っ込んだことがありますが、幸い、大事には至りませんでしたよ。
この頃は、とにかくヤンチャをしてましたなー。こんな所で、骨折などしようものなら、それこそ一巻の終わりになり兼ねないのですから。
家から1キロ程も離れた誰もいない山の中ですから。勿論、家族にも行き先は告げていないし。その日の気分で、どこへ行くか、決まっていないのだから。
それから、大敵は、タラの木です。地元ではタランボと称していましたね。
タランボは、弾力性に富んでいて、雪が載ると、曲がるのです。これも小さなこんもり雪になっているのです。これがまた、見分けづらくて、突入しやすいのです。
御存知のとおり、タランボは刺だらけ。載っていた雪が無くなると、ビュンと元に戻るのですよ。これに引っ掻かれたら、そりゃーもう一大事です。
スキー遊びも中々大変だったですよ。
3月の中頃だと思いますが、この時期になると、日中は大分温度が上がるようになりますな。
そうすると、田畑に積もっている雪の表面が、幾分融け出すのですよ。これが夜間に、気温が下がるので、堅く凍ることになるわけです。これが数日続くと、雪の上に載っても、ぬからなくなるのですよ。馬だって、大丈夫なくらいになることもありましたから。
このような状態の雪を、カタ雪と称していましたね。
カタ雪になると、しめたもの。学校まで、道路など通らずに、畑の中を一直線に行くと、断然近いわけです。
しかし、油断して、田畑の端にある下水の上に乗ったりすると、積雪が薄くなってたりすので、ズボッと下水にはまることがあるのですよ。
この時は、悲劇です。深さは精々膝くらいですので、溺れるとかの心配はありませんが、シャッコイのです。2度ハマったことが御座います。はいている毛糸の靴下が、びしょびしょになって、だんだん凍ってくるので、まいりましたねー。実に。
カタ雪になると、学校へスキーで行くこともありましたね。
学校まで、ズーッと下り坂とは参りません。殆ど平坦でしたので、自然に滑り降りることは無い訳です。
ストックで思いっきり漕ぐのですが、これは腕がすぐに疲れてしまうのです。そこで、距離競技と同じ要領で、スケーティング走法をやるのです。片方の足に体重を載せて、もう片方の足で蹴る。これを交互にやって滑らすのですが、これもまた結構草臥れるのですよ。
近所に、大きなシェパードを飼っていたお宅がありまして、一学年上に男の子がいて、カタ雪になると、このシェパードに綱をつけて、スキーに乗って、引かせるのですよ。これが、まー、平らな所ででも、結構なスピードがでるのですよ。私の家には、そんな犬を飼っていなかったので、うらやましかったですなー。
また、北海道の冬の交通手段として、馬橇(ばそり)が使われていましたね。
長さ3メートルほど、幅1メートルくらいでしたね。それに、幅1.5メートル程の板を載せて、その板の上に、はみ出さないサイズの四角い板製の枠を載っけるのです。そうすると、枠の中に4・5人が乗れることになるのですよ。
市街地まで買い物に行く時などに、馬に引かせて使用するわけです。
ある時、本州の雪の無い所から来たお客さんを、馬橇に乗せたそうなのですよ。そうしたら、間が悪く、吹きだまりに乗り上げて、橇がひっくり返ってしまったのですよ。
それで、人も積んでいた色々な品物も、放り出されて、雪まみれになって、ぐちゃぐちゃ状態となったのですよ。
そうしたら、北海道の人は、「やー、ゴッペ返したなー」と言ったのですよ。
北海道では、手がつけられないような、ごちゃごちゃになった状態のことを、ゴッペ返す、と言うのですよ。まー、標準語で言えば、ごった返すに近いニュアンスですね。
そうしたら、本州から来たお客さんは、勘違いしまして、北海道へ行ったら、ゴッペに乗せられて、これが、ひっくり返って、えらい目にあった、と言ったとか。くれぐれも、北海道では、馬橇をゴッペとは、言いませんから。
またですね。カタ雪になった時に、近所の元気の良い子供達が集まって、この馬橇を坂になっている畑の上まで、必死の思いで、押し上げるのですよ。
これは、なかなか大変な作業なのですよ。ひたすら頑張って押し上げるのです。
それで、頂上に着いたら、みんな乗っかってですね。一気に下を目指して滑り降りるのですよ。なかなか豪快でしてね。こればかりは、一人二人ではできませんので、六・七人集まらないとダメでしたね。
遊んだ後は、みんな疲れて、ヘロヘロになるのですよ。
馬橇を家の庭先まで、戻さなくてはならないのですが、もー、疲れているので、嫌になっちゃうのですよ。それで、馬橇を畑の雪の上に放って帰っちゃったりすると、あとで、えらく叱られるわけですわ。
てなことで、雪が降ると、色々な事があって、時が過ぎ去ってから思い出すと、以外と面白かったなー、と思うのですよ。
さて、年寄りの思い出話は、これくらいにしましてね。このごろ気になっていることに話を移します。こちらは、全然、楽しい話では御座いませんよ。もっぱら、不愉快になること間違い無しの話です。冬かい、なんて言っている場合ではありませんよ。
このごろに限ったことではないのかも知れませんがね。
なにか具合の悪い事が生じた場合、その責任の取り方が、何だか腑に落ちない場合が多いような気がするのですよ。
多分、自分もそうなのだろうと思うのですが、この際、自分の事は棚上げにしまして、偉そうな事も言って見たくなったりするのですよ。
所詮、ジジイの定年後の暇潰しなのですがね。
偉そうに、何様のつもりだ。と、ご自分も何様になったつもりで、ののしりながら、聞いていただければいいのですが。
例えば、大臣が何か失言して、辞任する事態に陥った、と言うことは、珍しいことではありませんな。
当然、申すまでもなく、失言に対する責任をとった、と言うことなのですが。
失言の内容、質的な相違がありますが、世間の一般的常識に照らして、とんでもない事を仕出かしたり、言ってしまったりした場合は、単に、大臣と言う要職を辞すれば、責任をとったことにはならないように思われる場合があるのですよ。
要するに、止めりゃー良いんだろう方式の責任の取り方ですよね。
このような事態になると、野党はお決まりの総理の任命責任を問う活動をとる分けです。
事が明確になった場合は、総理は任命の責任を認めて、謝罪する事態となるわけですが、この場合は、言ってしまえば、任命責任は自分にある、よって、問題の人を大臣の座から降ろした、不適切な人事で申し訳なかった、今後このようなことが無いように十分配慮したい、と言うようなことを、遺憾ながらと述べるだけですよね。いつもこれで、一見落着と言うことですよ。
総理も、任命責任を感じて、総理の職を辞する、なんてことには、絶対になりませんよ。口で責任を認め、謝罪すれば、それで終わりです。
後は、しゃーしゃーとしたものです。
仮に、これより一歩踏み込んでも、問題の議員を与党の党籍から外すくらいが、精一杯ですね。余程の事が無い限り、問題の議員の資格を剥奪するまでには、至りませんよね。
一般市民からすれば、大臣は辞したが、その後は、しゃーしゃーと議員をやっているなー、と思われるのが一般的ですね。
次の選挙に、また、立候補したりしますよね。責任などは、少しも感じていないようですよね。
それを又当選させちゃうんだから。も・・・。
どうも腑に落ちず、すっきりしないのですよ。
何か良い解決法は無いものですかね。
厳しい立法的処置がなされれば、良いのですが、立法権を握っている国会議員が、自分たちに不利な法律を作るわけがありませんから、処置なしですよ。
国会議員って、なんだか泥棒的性格を有した警察官みたいなものに見えますなー。警察官が、泥棒的性格だ、と言う意味では御座いませんよ。誤解なきようにお願いします。
どうしたものでっしゃろー。
国会議員の責任の取り方を、兎に角、きちんとしておかなくてはならないのでは、と思うのですよ。
御存知の通り、福島原発の後始末問題はどうなりましたか ?
貧富の格差の問題は、どうなってますか ?
国の巨額の借金の解消は、どうなってますか ?
オリンピックの開催に関わる諸問題は、どのようになっていますか ?
東京都の築地市場の豊洲移転に関わる諸問題は、どのようになっていますか ?
どれをとっても、その責任の所在すら、ハッキリしてはいないのではないですか。
はっきりしているのは、責任の所在を、はっきりさせないで、とりあえず、目先のことを進める、と言うやり方ですよ。
考えられますか ?
ゴールの設定をせずに、突き進んでいるのですよ。莫大な資金を費やしながら。
普通ありえないことが、普通に進められている状態ですね。
軽卒に、とりあえずやってみて、すぐに具合の悪い事態に直面して、それ迄費やした経費を、いとも惜しげも無く、簡単にパーにしてしまうのですよ。
このようにしても、最初から責任を取らなくて良い体制で始めていますから、たとえ大失敗したとしても、責任を取らなくて、済むのですから、気楽なものなのですよ。
国、社会のリーダー的役割を果たす立場の人の責任体制を、まずは、明確にしておく事が肝要ではないでしょうか。
そうしないと、兎に角、責任の無い、あやふやなことばかりされてしまうのでよ。
例えば、かつて大問題になった年金問題のように、ですね。
うやむやになっている個人の年金について、最後の1人まで、絶対に明らかにする、と大声を張り上げていた議員さんが、いませんでしたか。
あの大声の発言は、どうなっちゃったのですかね。
たとえ、皆に、そのようなこと出来っこ無いよ、と思われていてもですよ。
あの、カッコ良い、発言の責任は、どうなっちゃたんだろうねー。
全然、期待をしていた事ではありませんが。
随分多額の経費が、つぎ込まれたと思いますよ。
格言1
「議員さんの発言ほど、いい加減なものは無い。」こともある。
ところで問題は、と言うと、このような事態に、国民は慣らされてしまっているところにあるのではないのでしょうか ?
これが、一番重大な問題なのでは、と言う気がするのですわ。
このような事を宣(のたま)うと、偉そうに、何様のつもりだ、と頭から、冷や水をぶっかけられること必定かも知れませんが、ある視点から見ると、簡明に表現すれば、議員さんは、まさに国民の縮図ではないか、と見えたりするのですよ。
格言2
「この国民あって、この議員さんありき。」
の状態に陥っているのではないのでしょうか。
かなりの偏見ですかねー。
そんな事は無い。国民は立派。国会議員も立派。と言う見方があっても、一向に差し支えは御座いませんよ。
しかし、見方によってはねー ・・・。と言うことなのですよ。
どうしてこのようになってしまったのでしょうかねー。
この点を明らかにして、そこから、考え直し、出発しなければならない、状況なのではないでしょうか。
次回まで、皆で、考えましょう。小難しい宿題です。
今日は、ちょっと、偉そうなこと言っちゃった気がしますなー。
所詮は、1年中、日々連休の、定年後の、脳の活動が停止状態の、ジジイの閑潰しの戯言です。号を日比憐休と自称する「停念堂閑記」であります。お恥ずかしい、ダジャレです。
どうもお疲れさまで御座いました。お後が宜しいようで。