《停念堂閑記》79

「「日比憐休独偏記」14

 

今でしょ!

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

とにかく、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れないように、極力配慮して、参らなければならないのですよ。

ところで、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。

まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けで御座います。

極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。

ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。

おそらく、すぐに、飽きてしまいますから。

但し、腹の立つことの素を入れた場合には、注意して下さいよ。

頭に来たあまり、ついつい力が入りすぎて、スリバチを壊してしまう恐れが御座いますから、ほどほどがよう御座いますよ。

スリコギを振り回して、手当たり次第に、周囲に当たりちらしては、いけませんよ。

どうぞお気をつけ下さいませ。

さて、本日のヒマの素は「今でしょ!」で参りたいと思います。

サー、ヒマの素「今でしょ!」をスリバチに放り込みますよ。

今日は、ストレートで放り込みますよ。

さー、いきますよ。

今日も、大谷投手頼みますよ。160キロで、ビューン!

ウワーッ! スリバチが、コナゴナになっちまったー。

これでは、とてもトントン ゴリゴリは、出来まへんわ。

よって、本日のトントン ゴリゴリは取りやめです。

またのお越しを。

てなわけで、今日は、本題に入る以前に、終りになっちゃいました。

と言うわけには参りませんよ。

これでは、本来の目的であるヒマ潰しが出来ませんから。

しかし、ヒマ潰しが出来きないわけは御座いませんですよ。

壊れたスリバチの破片を拾い集めて、接着剤でくっつけるのですよ。

ジグソー、壊れスリバチ。

これは、手間ひま掛かりまっせー。

ヒマ潰しには、もってこい。

アホかー、ってですか。

そのとーり、アホですねん。

このような時は、実に、大阪弁はよーおますなー。

ホンマに、おさまりがいいんと、ちゃいまっかー。

ここでの話は、アホくさい、バカバカしい、クダラないが、最も重要な要素なのですから、この路線から逸れてはダメなのですよ。

思いっきり、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言うのでなければね。

どこを切っても、アホくさい、バカバカしい、クダラないの金太郎アメ。これでなくてはならないのですよ。

さー、半日掛けて、壊れたスリバチが直ったと致しましょー。

多少いびつになっていますが、細かいことは気にせず、行きますよ。

それでは、本日のヒマの素「今でしょ!」を放り込みますよ。

もー、大谷投手の160キロは、いけませんよ。また、スリバチが壊れてしまいますから。

と言うので、今回は、期待されていない私が投げさせて頂きます。

いくぜー。ポイ、コロン。

時速3キロ。年寄りの歩ける早さです。

迫力ねーなー。

老人になると、せいぜいこんなものですって。

なさけねェー!

トントン ゴリゴリ。

ところで、皆さん、日々如何お過ごしで御座いましょうか。

楽しくお過ごしでいらっしゃいますか。

と言われましても、楽しい日もあれば、不快な日もある、と言うのが実情でしょうなー。

その楽しさも、十人十色、100人いれば、それぞれ100の楽しみ方があるのでしょうな。

それでは、楽しみとは、何だ? 

なんて、仕様もなし話になりますと、今さら、下らねェー、と思われるでしょうが、ここでは、この下ならさが大事なのですよ。

先に申し上げましたように、ここでの話は、アホくさい、バカバカしい、クダラないと、言うのでなければならないのですよ。

なんでや。と言われますと、そんなこと決まってるではないですか。

立派な、意義深い話は、難しくて出来ないからですよ。

出来ないことは、結論的に、出来ないのですよ。

出来ない事は、出来ない。判り易い論理ですなー。

トントン ゴリゴリ。

ところが、クダラねェー話は、さほど難しくはないのですよ。

ヒマ潰しに、ちょちょっと、出来ちゃうのですよ。

そんなわけで、何の為にもならない、もっぱらアホくさい、バカバカしい、クダラない話を選んで行きますよ。

てなわけで、楽しみとは何だ? なんて、今さら青臭い話題を持ち出すはめに相成ると言うわけですわ。

これだって、しっかり絞れば、ひょっとすれば、青汁の一滴くらいは、出るかも知れませんよ。

トントン ゴリゴリ。

さて、一口に、楽しみと申しましても、色々でしょうな。

十人十色、百人九十九色。

なんだ、この中途半端な数は。一色は、どうした、ってですか。

大体、100人も寄れば、一人くらいは、どっかへ行っちゃうヤツがいるではありませんか。これが現実と言うものですよ。

とにかく色々あると言うことですよ。

それでは、どんな楽しみがあるのだ、と言って、一人一人の楽しみを拾っていこうとすると、さすがに、気が遠ーくなちゃいますな。

如何にヒマ潰しと申せ、そんなことやってらんないですよ。

まー、やりたいお方は、やってみたら良いでしょうが。

トントン ゴリゴリ。

そこで、大体のところで、多くの方々が、楽しいなーと感ずるのはどんなことかなー、などと逃げ道を捜すのですよ。

そうするとですね。多くの人々が、楽しいと思う共通のことは、これも人それぞれですから、幾つもあるとは思われますが、その有力な一つに、好きな事と言うのがあるようなのですよ。

大体、やってて楽しいな、と思う事は、その人が好きなことのようですよ。

たとえ、他の人がそんなこと、どこがオモシレーのだ、なんて思われることでも、やってる当人が、その事が大好きならば、それをやることが楽しくて仕様がないのですよ。

このことも、誰でも知ってることですよ。

今さら、わざわざ言う程のことではありませんな。

トントン ゴリゴリ。

ここで、矛先をちょっと、ずらしてみることにしますよ。

すなわち、好きなことをすれば楽しく過ごせる、ということに「時」の概念をブラスしてみたら、どうなるでしょうね。

好きな事をして楽しむのは、何時でしょう。

ようやく、ここで、本日のヒマの素「今でしょ!」と巡り合う事ができるのですよ。

楽しい事はとか、好きな事などと言うことに、はまってしまっては、この先どうなるのかと、一時は、ひやっとしていたのですよ。実は。

好きなことをして楽しく過ごすのは、何時ですか。

今でしょ!

こう来なくては、行く先を失ってしまうのですよ。

今でしょ!」「今でしょ!」と来なくてはね。

トントン ゴリゴリ。

言わんとするところは、「楽しむのは、“今でしょ!”」と言うのが、まさに、現在の日本社会の特質ではなかろうか、と思われるふしがあるのですよ。

人間、生きて行く上で、楽しいことが無くてはたまんないですよね。

では、何時、楽しむのだと言うと、「今でしょ!」と言うことになるのですよ。

と言うことで、現在を生きている大多数の方々は、「楽しむのは、“今でしょ!”」と言う生き方を望んでいるようですなー。

トントン ゴリゴリ。

ご存知のとおり、「今でしょ!」の元祖は、林先生ですよ。

今は、すっかりテレビタレントになってしまったようですが。

林先生のおっしゃる「今でしょ!」は、たとえば、楽しく生きて行くと言うことに関連させれば、元来は、「楽しむのは、“今でしょ!”」と言うことでは無かったようですなー。

将来、より良い生活をしたい。楽に過ごしたい。そのような事を実現するには、希望する一流大学を卒業しておいた方が良い。

いきなり卒業はできないから、その前に一流大学に入学しなければならない。そのためには、その大学の入試に合格しなければならない。そのためには、一所懸命勉強しなくてはいけませんよ。

何時勉強するのですか。

ここで、「今でしょ!」と来る訳ですよ。

だから、将来の楽しみを得る為には、苦しいかも知れないが、今現在頑張っておかなくてはなりませんよ、と言う事なのですよ。

と言うことは、将来を期しての「今でしょ!」ということになるのですよ。

これを、ここでは、「将来的“今でしょ!”」と言う事にしましょう。

これに対して、楽しい将来にありつけるか否かは、何ら保障はない。だから、今現在が楽しく無ければならないのだ、と言う「今でしょ!」と言うのがあるのですよ。これを、ここでは「現今的“今でしょ!”」と言う事にしましょう。

トントン ゴリゴリ。

すなわち、楽しく過ごすと言う事に関連する「今でしょ!」には、「現今的“今でしょ!”」と「将来的“今でしょ!”」と言うのがあるのですよ。

そこで、話を戻せば、現在社会の特質は、と言うと、まさに、「現今的“今でしょ!”」と言うのが、主流になっているのではなかろうか、と思われるのですよ。

要するに、楽しく過ごすのは、「今でしょ!」「今でしょ!」と言う傾向が、すこぶる強くなっているのではないのか、と言うことなのですよ。

早い話が、キリギリス的指向ということで、アリさんは「将来的“今でしょ!”」を行い、キリギリスさんは、「現今的“今でしょ!”」を行っている、と言うことなのですよ。

まさに、現今的には、キリギリスさんの方が、楽しく過ごしているのですよ。しかし、この傾向が社会的に強くなりすぎると、色々と問題が発生してくる、と言うわけでして。ここが厄介なところですなー。

社会的には、少子化が大きな問題となっています。

よく取り上げられていることは、年々出生率が低下している現実が取り上げられていますなー。随分以前から指摘され続けていますなー。

この出生率の低下の理由は、なかなか複雑のようですよ。

要するに、簡単化して言えば、夫婦があまり子供をつくらなくなった、と言うことなのでしょうな。

その理由は、色々でしょうが、子育てが難儀だ、と言う事情が考えられているようですな。

その理由は、まずは、子育てにはお金がかかる、と言う問題、すなわと、家庭の経済的要因が挙げられる、と言う事です。

子供をもうけ、一人前に育てるには、ずいぶんお金が掛かりますよ。言う迄もない事です。

そのためのお金が、不足している。ために、子供をつくれない、あるいは、少人数しかつくれない。と言う現実が、ありますな。

これは、経済的に子育てに困らない状況になれば、今よりは出生率が、向上するのではないか、と言うことが期待されますな。

しかし、出生率が低下している原因は、こうした家庭の経済的な理由ばかりでは無いようですな。

ここで、問題としてあるのは、楽しく過ごすのは「現今的“今でしょ!”」の考え方が関わっているのでは無いのでしょうか。

端的に言えば、結婚、出産、子育てより、楽しく過ごすための「現今的“今でしょ!”」の生き方があっても良いじゃありませんか。と言う方向への指向ですなー。

たしかに、結婚、出産、育児、教育と言う活動は、並大抵の事ではありませんよ。新たな生命を創出し、それを育てて、一人前にしなくてはならないのですから。

特に、生命の創出、その成長の世話については、母親の大きな役割が、最初から横たわっています。父親も、役割を分担するでしょうが、一般的に、それは、母親の比ではないでしょう。

子供を産み、オッパイを与えて子供を育てる仕事は、いくら優秀な男性だって、できっこないのです。たとえ東大京大を主席で卒業し、ノーベル賞を受賞したって、男には、子供を産み、オッパイを与えて育てる事は、出来ないのですよ。たとえ、あのIPS細胞の中山先生だって。

まてよ。ノーベル賞ならできるかな??? ン! まさかねー。

その点、女性はスゴイですよ。東大京大を出なくったって、ノーベル賞をとらなくたって、子供を産み、オッパイを与えて、創出した命を一人前にする能力を持っているのだから。

しかし、このような能力を有しているとはいえ、20~30代の若くて、元気な時期に、結婚、出産、子育てなんかしているよりも、もっと、自分のしたい事をしておきたい、と言う、「現今的“今でしょ”」に楽しみを求める人が、以前より多くなっている傾向が強いのではないのでしょうか。

これは、個人の生き方の問題ですから、良い、悪いと言う事ではありませんね。

もっとも、人間全部がこのようになったら、人類は滅亡しますが。

しかし、これは極端な例であって、現実がそうならないことは、誰でも知ってますよね。

すなわち、一方、結婚、出産、子育を楽しみにしている人は、比率の上からすると、圧倒的に多いでしょう。

もー、疲れきっている夜中に限って、ギャーギャー泣きわめかれると、我が子とは申せ、○○○○と、思うことも、しょっちゅうあるかも知れませんが、

それを乗り越えて、頑張って良い子に育った時には、まさに、頑張った自分を褒めてやりたい、と言う充実感をもって、満足し、幸せ感を味わうことは、この上ない楽しい事ではないか、と言うのが「将来的“今でしょ!”」の立場の方々が、多くいらっしゃるのでしょうね。

「現今的“今でしょ”」と「将来的“今でしょ!”」は、どちらがどうだ、となると、それは各個人の問題であって、他人がとやかく口出しすべき事では、ないのでしょうね。

ところが、政府与党、あるいは野党をも含めて、国会議員さん達は、違いますよ。

少子化国難だ」と言ってますからね。

手っ取り早く、判りよく言ってしまえば、女性が子供を生まないことは、国難、すなわち、国にとっては危機だ、災だ、と言っているのですよ。

極めて、大胆な事をおっしゃるものと、呆気にとられるばかりですな。

育児、教育費を増加させるから、子供を多く生みなさい、と言う政策のようですよ。

この発想が、何ともねェー。

もう一方の国難高齢化の対策として、若い働き手人口を増やす必要がある。もっと判り易く言えば、高齢者に対する年金政策は、既に、にっちもさっちも見通しが立たない状況に陥ってしまっている。

唯一、期待できることは、女性に沢山子供を生んでもらい、その子に、将来の年金負担者なってもらおうではないか、と言うことのようで、何とも姑息な対策ですよ。

こんな、政策に、育児・教育費をほんの僅かばかり増加させたぐらいで、女性がより多く子供を産んでくれる状況となると、思っているのですかね。

こんなことで、彼らの言う国難を凌げると、思っているのでしょうかね。

トントン ゴリゴリ。

育児・教育費の増加政策は、結婚をせず、結婚をしても子供をつくらず、今を楽しむ方を大事にしたい、と言う生き方を指向する「現今的“今でしょ”」の立場をとる人々には、何ら関係がありませんな。

あるとすれば、育児・教育費の増加に当てる費用がより多く必要となり、その確保の為に、より多くの税金を集めなくてはならなくなるのは、明白なことで、税金がさらに重くなるであろうと言う心配だけですよ。

微弱ながら関わりがあるかも知れないと想定されるのは、経済的要因で子供をつくれない状態にある夫婦ですよ。

しかし、この程度の施策で、子供をつくれますか、っちゅーの、と言う思いが先立ちますよ。

経済的要因で、子供をつくりたくとも、つくれないでいる夫婦に対しては、もっと、もっと、大胆な支援策を施さなくては、問題の打開は、難しいように、思いますね。

トントン ゴリゴリ。

たとえば、極めて判り易い例を言えば、出産して義務教育就学以前の期間には、子供一人当たり、月々20万円を支援します。さらに、義務教育修了までの期間には、10万円を支給します、となれば、あるいは、子供をつくっても大丈夫と言う経済的な状況になるかも知れませんがね。

要するに、少子高齢化は、“国難”だなんて言うのなら、子供を産み、育てる仕事は、国家的仕事である、と認識を改め、その仕事にあたる人には、国家が責任を持って、生活を保障すると言う施策をとらなくてはダメですよ。

出産・子育ては、国家の仕事、その仕事の従事者に、国家が手当を支払うのは、まったく当たり前のことぐらいの意識改革をしなければ、少子化に歯止めなんぞ掛けられませんよ。

わずかばかりの育児・教育費を増加させたぐらいで、彼らの言う少子高齢化の難題を解決できる分けがありませんよ。

大体において、高齢者に対する年金対策のために、働き手人口を増加させたい、なんて言う姑息な、狭小な根性では、高齢化の問題はおろか、社会そのものの維持が破綻してしまうではないですか。

働き手が不足して、にっちもさっちも行かなくなる現実に突入しているではないですか。

トントン ゴリゴリ。

本当に、今度の育児・教育費の増加で、将来の年金負担者が賄えるとお思いなのでしょうかね。代議士さん達は。

本当は、そんなことは、代議士先生達だって、誰もお思いでは無いでしょうね。

誰が見ても、まったく明らかなことだからね。

それが、なぜ抜本的な対策を施さないのか、と言えば、それは、現職代議士さんの基本姿勢が、「現今的“今でしょ!”」だからですよ。きっと。

長い先の、「将来的“今でしょ!”」の立場には、中々なれないからなのではないのでしょうか。

誰しもご承知のとおり、衆議院議員の任期は、4年です。しかし、大抵の場合は、総理与党の都合で、任期を待たずに解散してしまうから、実際の任期は、4年ないのが、通例です。

その先に待っているのは、国政選挙ですよ。

代議士先生が最も気をもむ選挙が控えていねのですよ。

ひょっとして、落選したら・・・・・。と言う不安が常に存在しているようですな。

従って、現職衆議院議員は、基本的には、4年未満の周期で政策を考える性癖がある訳です。

そして、現職代議士の活動は、次回の国政選挙で当選することが、第一の目的となっていますから、その政策は、次の選挙対策として出てくるものが、ほとんどなのですよ。

トントン ゴリゴリ。

すなわち、ここで出て来る政策は、まさに「現今的“今でしょ!”」の性格が強いものばかりで、長期的将来を見据えた政策は、まず、出てはきません。

実に、足下の政策しか出てこないのですよ。

入口良かれ、出口は後世で考えろ、と言う「現今的“今でしょ!”」の政策しか出てこないのですよ。

毎年の予算政策がそうですね。

有権者は、このような要求をしているぞ。

よし、やってやろう、やってやろう。

ところが、おっ、財源が足りない。

かまうものか、借金すれば良いではないか。

返済はどうするの。

そんなの後世の人が処理すれば、いいことだよ。

これで、次回の選挙は、まず、大丈夫だな。

なんてね。

有権者も、目先の楽しみが確保されて、目出たし、目出たし状態でんなー。

因に、借金は、現職代議士が背負っているのでは御座いませんよ。

代議士は、借金を返そうと言う立場にはいませんから。

全部、国民が背負っているのですよ。

トントン ゴリゴリ。

過去、最大の「現今的“今でしょ!”」政策は、言わずと知れた、原発の多設ですよ。

経済の足下が暗いぞ。

明るくするためには、電気が必要だ。

原発をどんどん造るぞ。

造った、造った。

どうだ、足下が明るくなったろう。

ところで、原発は故障したりしないのか。

原発は、故障しないの。絶対壊れたりしないの。

ところが、東北大地震発生。大津波到来。福島原発直撃。

原発、無惨に壊れたー。

想定外、想定外。

取り敢えず、原発稼働停止や。

足下、暗ーなってきたな。

そーだ。既存の原発が残っているではないか。

あるもん使わんのも損やなー。大金投じて造ったんやから。

とりあえず、整備、点検して、つこたらどうや。

そうしょう。そうしょう。

ほら、足下幾分明るくなったろー。

てなわけで、次々に、原発稼働開始。

核燃料の廃棄物は、どうするの。

後世で、処理すりゃ良いがな。

なんたって、今、現今が大事なんやから。

現今、ファースト。「現今的“今でしょ!”」!

となるわけですわ。

トントン ゴリゴリ。

北朝鮮が、弾道ミサイルを飛ばしてよこすかもしれないぞ。

イージス艦PAC3を増強しなくては。航空母艦の機能を持つ艦船もあった方がいいな。

よし、この方向で予算を増加しよう。

増加するのは、「今でしょ!」。

しかし、それくらいの装備で、本当にミサイルを防げると思っているの。

防げるわけないじゃん。そんなこと、鼻から判ってるよ。

しかし、アメリカから、そのような軍事機器を買ってやらないと、いざ、と言う時に、アメリカが助けてくれなくなる恐れがあるんだよ。

だから、買わなきゃならない分けよ。

ところで、本当に北朝鮮が日本に、弾道ミサイルを打ち込んでくるのかい。

そんなこと、判る訳ないよ。

もし、飛ばして来なかったら、莫大な経費を投じて設備した機器は、どうなるの。多大な維持費がかさむよ。必要なくなるのに。

そんなことは、後世になってから、処理すれば良いの。

大事なのは、「現今的“今でしょ!”」。

設備を整える方向さえ見せておけば、総理お得意の「日本国民の生命と財産を守ることに、万全を期している」と言う声明を出せるのだから。

「現今的“今でしょ!”」が、国会議員にとって。最も大事なの。

トントン ゴリゴリ。

要するに、例えば、将来を見据えた抜本的政策を展開するためには、まずはそのための財源を見出さなくてはならない、現実があるのですよ。

これには、根本的な税制改革が必要なわけですが、現職国会議員さんには、そのような能力がなく、取り敢えずは、次回の選挙に役立つ政策最優先で、将来の社会立て直しに必要な、根本的な税制改革などに、下手に手出ししようものなら、次回の選挙で落選してしまう、政権の座につけはしない、と言う心配が先立つ状況なのでしょうなー。

てなわけで、「現今的“今でしょ!”」が大手を振って、まかり通っているのが、現在の日本社会の特質ですわ。

とにかく、大衆の多くは、「現今的“今でしょ!”」の状態ですからね。

呼応して、国会議員さんらも、とにかく、選挙で当選しなければ、はじまりませんわ。

と言うことで、選挙に強い、「現今的“今でしょ!”」的政策を掲げて、足下の政策を展開し、「現今的“今でしょ!”」の大衆を満足させる、と言う実情のようですな。

肝心な事は、手を着けず、ぜーんぶ後回しですわ。

トントン ゴリゴリ。

このような国会議員ばかりでは、まったく将来が心配ですなー。

将来は、将来の人々が考えて、処理すれば良い事ではネーの、ってですか。

「現今的“今でしょ!”」に、徹底してますな。

しかし、国の負債原発の処理なんざー、100年、200年かかったって、既に、出来っこない事態ですよ。

とにかく、どんな難題であろうと、結果的には、どうにかはなるのですよ。ただし、良いか、悪いか、と言う事態の違いがあるだけですよ。

結局は、悪い事態になった場合、その時代人は、運悪くとんでもない時代に行き会わせたものだ、となるわけですよ。

決して、自分たちのせいだとは、思わないでしょうね。

こんな事にしたのは、紛れもなく、「現今的“今でしょ!”」で生きていた先人達なのだから。

トントン ゴリゴリ。

国の負債は、徳政(借金をチャラにすること)を断行すれば、数字的には、サッパリ奇麗になるでしょうね。

しかし、その結果は、知った事ではなくなりますなー。きっと。

少しでも、うまくやろうというのならば、その時と範囲をどう調整するか、ぐらいでしょうかね。

日銀が、相当国債を買いあさっているから、日銀の持つ国債を徳政するか。

何時の日にか、徳政をやらなくてはならない、将来が待ち構えて、いるのではないでしょうか。

原発だって、早晩、壊れて使い物にならない時が、必ずやって来ます。ものがものだけに、始末におえないことですよ。

始末するにも、その経費が莫大でしょうからね。既に、財政は破綻状況となっているのですから。

働き手人口は減退の一途ですから、生産が上がらない状況ですよ。きっと。

AIロボットを駆使しても、国民全体の生命と財産を守り、維持できる状況は、期待薄でしょうな。

さしずめ、原発・核のゴミは、現在ある所で、持ち続けなければなりませんな。とにかく、引き取り手がないのだから。

貴方の街に、核のゴミを持って来て、保管する根性が御座いますか。

行く宛が無い限り、現状維持するより方法は御座いませんよ。

トントン ゴリゴリ。

このような難題の対策は、直ちに取り組まなくては、それこそ近い将来に、大変な事態になる可能性がすこぶる大なのですよ。

しかし、現今の社会の態勢は、楽しみは「現今的“今でしょ!”」ですから、なんともねー。

どうしたものでしょうか。

大胆な意識の転換を図るよりないのでしょうなー。

どこから手を着ければ良いか、と言うことになりますが、まずは、有権者自身とそれに選ばれる国会議員さん、および官僚の皆さん、早い話が、国民全体の意識改革と言う事でしょうかね。

難しいことですよ。きっと。

「現今的“今でしょ”」から「将来的“今でしょ!”」への転換と言うことになりますなー。

人間、生きているのは今現在ですからね。今現在がとにかく最優先的に大事なのですよ。これは、良い、悪いの問題ではありません。

事実、現実なのですよ。

ですから、結局は、「現今的“今でしょ!”」を保持しつつ、「将来的“今でしょ!”」の要素も今よりは多く取り込んで行く、その方向を意識して、生きる外手はないようですな。

要は、「現今的“今でしょ!”」と「将来的“今でしょ!”」のバランスを考えようと言うことですわ。

現在は、かなり「現今的“今でしょ!”」に傾いているように思われますので、この点の改革があった方が、良いのではないかなー、と言うように感じているわけですよ。

トントン ゴリゴリ。

そのためには、まずは、ちゃんとした人格者を、国会に送り込むことが、早急に、必要とされるのではないでしょうか。

そのためには、どうしたら良いのか、と言うと、ちゃんとした人格者国会に送り込むことが可能な選挙制度を採用する必要があるのではないでしょうか。

現行の選挙制度では、「現今的“今でしょ!”」の坩堝から脱出するのは、無理のように思われます。

ちゃんとした、将来像を持った方にお出まし願いたいと思う次第なのですよ。

トントン ゴリゴリも、この手の話になってしまうと、疲れますなー。

すっかり、草臥れちゃったので、続きは、日を改めてしたいと思います。

お疲れ樣でございました。

でも、話の目的は、達せられた気がします。

最も、アホくさい、バカバカしい、クダラない話だったか?

だった、だった。

ヒマ潰しになったか?

なった、なった。

一応、目的達成。では、お手を拝借。シャン、シャン、シャン。と。

こんなアホくさい、バカバカしい、クダラない話でヒマ潰しを出来るのは、

今でしょ!

お後がよろしいようで。