《停念堂閑記》80
「日比憐休独偏記」15
「早くしないと」
本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。
厚く御礼申し上げます。
本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。
おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。
今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。
話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。
なんで、アホくさい、バカバカしい、クダラない話をするのか、と言われますと、そんなこと決まってるではないですか。
立派な、意義深い話は、難しくて出来ないからですよ。
私だってですね、たまには、気の利いた話をしたいもの、とは思わなくはないのですよ。
しかしですね、これが中々困難なのですよ。
人には、得手・不得手が御座いますからね。
気の利いた話は、不得手なのですよ。中々出来ないのですよ。
出来ないことは、結論的に、出来ないのですよ。
出来ない事は、出来ない。判り易い論理ですなー。
一方、アホくさい、バカバカしい、クダラない話の方は、どちらかと申しますとね、嫌いではないようなのですよ。これも大したことは無いのですが。
出来映えを問題にしてはいけませんよ。
あくまでも、どちらかと言えば、の話ですからね。
とにかく、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れないように、極力配慮して、参らなければならないのですよ。
ところで、何時も言っているように、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。
まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けで御座います。
極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。
皆様も、ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。
おそらく、すぐに、飽きてしまいますから。
但し、腹の立つことの素を入れた場合には、注意して下さいよ。
頭に来ちゃって、ついつい力を入れ過ぎて、スリバチを壊してしまう恐れが御座いますから、ほどほどがよう御座いますよ。
スリコギを振り回して、手当たり次第に、周囲に当たりちらしては、いけませんよ。
当たり散らすのは、どうぞスリバチの中だけにして下さいませ。
トントン ゴリゴリ。
さて、本日のヒマの素は「早くしないと」で参りたいと思います。
それでは、ヒマの素「早くしないと」をスリバチに放り込みますよ。
さー、いきますよ。
今日は、先発大谷投手では御座いませんよ。先日は、いきなり160キロ、ビューン!で、スリバチが、コナゴナになっちまいましたからね。
とてもトントン ゴリゴリなんて言う状況では、なくなっちゃいましたからね。
壊れたスリバチの破片を拾い集めて、接着剤でくっつけるのに中々手間ひまかかりましたから。
御陰で、ヒマ潰しにはなりましたわ。
さすがに、大谷投手は、すごい。一球でヒマ潰しの完全試合達成でしたから。
今回は、期待されてはおりませんが、ヒマな私が投げさせて頂きます。
ほんじゃー、行きまっせー。
ポイ、コロン。
時速3キロ。年寄りの歩ける早さです。
迫力ねーなー。
歳をとると、せいぜいこんなものですって。
なさけねェー!
トントン ゴリゴリ。
ところで、皆さん、日々如何お過ごしで御座いましょうか。
ヒマな私でさえ、一日中、何もする事が無い、と言う日は御座いませんよ。
ヒマ潰しに、結講忙しいのですよ。
楽しいこともあれば、不快なこともあり、その対応に追われると言うのが実情ですよ。
そしてですね。何かに着けて、その都度、「早くしないと」と思うわけですよ。
何をですって。
何でもですよ。大体は、下らねーことですがね。
ところが、「早くしないと」とは思うのですが、これがどうして、なかなか。
若い頃はですね。結講、セッカチの方でしてね。下らねーことは、比較的早く処理出来たのですよ。
これがですねー、定年になった後は、まー、まったくダメになりましたなー。
ちょっと、面倒なことは、すぐに後回し、後回し、となって仕舞い勝ちなのですよ。
これが、その挙げ句にはですね、何を後回しにしたかを、忘れちゃうのですよ。結局、遣らず仕舞と、相成る次第なのですよ。
それで、ヒマな時間が発生して、これを潰さなくてはならないハメと相なるわけなのですよ。毎日これの繰り返し。冬のまっただ中なのに、さすがにアキが来ますよ。
ホンマ。それでも、メゲズに、今日も、
トントン ゴリゴリ。
世の中、早くやった方が良いことが、色々御座いますよね。
私の方は、およそ下らねーことですから、まー、そう急いた事では御座いませんが、世の中、とにかく早くやった方が良い、いや、早くやらなければならないことが、沢山御座いますよ。
私の方のことは、所詮下らねーことですから、やってもやらなくても、世間様に影響を及ぼすようなことは、殆ど御座いませんよ。
しかしですね、日本の将来に関わることなどは、早くやっておかなくてはなりませんよ。後回しにして、その内に、忘れられたりしては、それこそ、大変ですよ。事態がすっかり一変してしまいますからね。
たとえば朝メシを後回しにして、11時を回ってから食べたりしたものなら、もはや、朝メシではなくなって仕舞うのですよ。昼メシと呼び方ま で、変わってしまうのですよ。実に、朝メシの存在が、根っこから消滅させられてしまうのですよ。こんなことが、許されますか、ちゅーの。
何に拘らず、「早くしないと」ね。
トントン ゴリゴリ。
下らねーことを、チンタラ、チンタラ言ってんじゃねーよ、ってですか。
いやいや、ここでの話は、再三申し上げているとおり、アホくさい、バカバカしい、クダラない話でなくてはならないのですよ。
それが、ヒマ潰しの極意なのですから。
要するに、これは小生の方の事情でして、世間様には、なんら影響を与えるものではございません。
が、しかしですなー、物事の中には、こんな能天気なことで、ヒマ潰しをしていては、ならないこともあるようなのですよ。
色々、沢山、山積みされているらしいですよ。
その一つを、これから、トントン ゴリゴリしようと思うのですよ。ヒマ潰しのためですがね。
トントン ゴリゴリ。
それはですね。それは、政治絡みのことですねん。
政治絡みのことは、何処を切っても、問題だらけの金太郎飴ですわ。
ちょっと、この辺を切ってみましょうか。
そら出た。
政治家と言われている人々の主たる政治活動は、実に、選挙活動なのですわ。
方向違いのことが、平然と行われているみたいですよ。
たとえば、国会議員と言われている方々、国、国民ファーストの政治活動をしているのかなー、と思いきや、違うようですよ。
殆どが、自分、所属する政党のための政治活動ファーストのようですよ。
彼らの考える第一のことは、国政選挙で当選すること。まずは、紛れもなく全員がこれでしょうなー。このための活動が、とにかくファーストのようですわ。
ですから、彼らの活動の発想の基盤は、如何に多くの票を獲得することができるか、と言うことで、これに繋がる事柄をあれこれ考えて、それを政策として打ち上げるのですよ。
その政策は、その時々の有権者の関心に繋がるものでなくてはならないようですな。早い話が、メディアで取り挙げられている、どちらかと言えば、取り組み易い問題ですわ。
たとえば、保育所が少ない。どこもここも全部断られた。日本死ねー、と言うことがメディアで専ら話題にされれば、議員さん達は、そろって、保育所を増加させねば、とお口を揃えるわけですよ。
判りよく言えば、有権者の喜びそうな足下の問題を拾っては、選挙活動を展開するのですよ。
有権者の関心は、まずは日常的なところにありますなー。
早い話が、今日の昼飯は、晩飯は、といったようなことが関心事で、この繰り返しで、毎日を過ごしていると言う側面があるのですよ。
まさか、3年先の2月14日の昼飯をどうしょう、と考えながら、今日を送っている人は、いないでしょー。特別の事情がなければ。
今日は、取り敢えず、チョコレート丼にするかなー、なんて。
バカバカしい極端な例ではありますが、判り易いでしょう。
人間生きて生活しているのは、今日の今現在ですからね。この今現在がどうあるか、と言うことが最も関心のあるところなのですよ。
できるだけ、自分に都合が良い状態であって欲しい、と思う分けですよ。
すなわち、足下のことが、最も気に掛かっているのですよ。
だから、国会議員でありたいと願う御仁の多くは、有権者が最も関心を寄せている足下の事柄について、美味しそうなことを並べて、票の獲得に走ることになるわけですな。
そのために、政策として出てくるのは、目先の政策ばかりが多くなる。
将来を見据えた政策が、どうしてもおろそかになり勝ちのようなのですよ。
将来ばかり語っていては、票に繋がらない、と判断されるのですよ。きっと。
多くの有権者の関心は、どうしても、現今ファーストと言うことになりますからね。
これに迎合しないと、票にならないのですな。
言わずもがなのことですが。
トントン ゴリゴリ。
それから、何時も問題視されていますが、遅々として進展しないのが、政治システムに関わることですよね。国会と国政選挙制度に関わることです。
国会のテレビ中継を見ていても、なんやこれ、の続出ですよね。
とにかく、何時も何時も、大騒ぎの国政選挙で選出されてきた代議士先生が、この体たらくなんだから。
よくぞこんな人が立候補して、よくぞ有権者はこんな人を選出したものだ。
こういうような局面に接するとが、しょっちゅう御座いますよ。
もはや民主主義の限界か、とさえ感ずることが御座いますなー。
見え見えのウソを、平気でつくしね。
言いづらいことを、有り体に申し上げますれば、まさに、この有権者ありて、この代議士先生ありき、と言う側面の実状がありはしませんか。
ある種、バランスがとれていると言うことになるのでしょうか。
とにかく有権者が、もっともっと賢くならなければなりませんよね。
日本は、国民主権の国家ですから、国を動かす国民の代表者を選出する部分が、国民主権発動の唯一の場面ですよ。
国政選挙は大事なのですよ。とにかく。
ところが、この大事な国政選挙の制度が、現行のもので良いのか、と言う問題があるのではないでしょうかね。
国政選挙と国政のシステムは、切り離せない関係にありますので、この点について、ちょっと、
トントン ゴリゴリ。
現在、国会は衆議院と参議院の二部構成、衆議院議員は任期4年、参議院議員は任期6年になってますな。
議決権は、衆議院優先となっていますから、簡単に言ってしまえば、衆議院で可決されれば、案件は成立するのですよ。参議院の議決に拘らず、案件は成立するのですよ。現実的には、現行では、参議院はあまり存在意義を持たない位置づけになってはいませんか。
なんたって、衆議院優先ですから、内閣から提案された案件は、衆議院で可決されれば、参議院で否決されても、結局は、事実上は成立するのですよ。参議院は、殆ど保障がない保険のような存在ではありませんか。
この辺りのことを、もっと有機的にする必要を感じたりするのですよ。
「早くしないと」と思うのですよ。
トントン ゴリゴリ。
まず、衆議院に関わる問題点の一つは、任期が短いので、どうしても足下の課題の処理中心となり勝ちではないのか。中長期を見据えた対策が、どうも弱くなってしまう、と言う欠点かありそうな気がしませんか。
すなわち、衆議院議員は、任期が4年ですが、政府・与党の都合で、これこそ選挙の都合で、有利と判断された時期に、解散されてしまいますから、実際の任期は、4年に満たないのですよ。
このような環境で、衆議院議員は、その政治活動を行うわけですから、常に2・3年先の選挙を念頭においた活動が中心になるわけですな。
このような国会の運営体制に、問題があるのでは? と思われるのですよ。
すなわち、何時も、何時も、2・3年先の選挙を念頭にする衆議院の制度でいいのだろうか。と言うことですわ。
この制度を抜本的に変えなければ、何時迄も、衆議院議員の政治活動は、選挙活動に終わって仕舞うのでは、と言うことですよ。
この改革は、「早くしないと」ダメなのですよ。
トントン ゴリゴリ。
要するに、今の制度では、目先の政策が中心となってしまい、幾分先を見通した将来の政策が劣ってしまう、と言うことです。
例えば、財政、福祉、医療、教育、国防等々に関わるような重要政策は、かなり先の将来を見据えないと、取り返しのつかない、その時になっては手の施しようが無い状態に陥ってしまうのではないのか、と言う心配です。
財政状態などは、まさに、その典型ですね。
国民が望んでいることだとして、借金しながら、毎年どんどん予算を膨らませて来ましたね。
税制を始めとする国家の収入面の根本的対策をたてず、せいぜい消費税の引上げを行うのが、精一杯で、いまや、手の施しようがない大借金ができあがってしまっていますね。
もはやどうにも、こうにもならない実情でしょ。
しかし、何とかしなくては。「早くしないと」ダメだよ。
トントン ゴリゴリ。
ところが、国民は、殆ど意にしている様子が御座いませんよ。目下の所、実感がありませんからね。政府がいくら国債を発行しようとも、国民個人レベルでは、いきなり財布から現金がとられる分けではないし、預金から引出される分けでもないので、直接目には見えないですから。国税から、莫大な額が、国債の利息に当てられているかなど、国民の日常生活の中では、ほとんど意識されませんからね。ニュースに取り上げられた時だけ、えー、っと思うぐらいで、それも日常生活の中にすぐにとけ込んで、見えなくなる日々を過ごすわけで、より良い現在の生活のために、あれこれ足下の都合の良い要求を出し続けていますよ。これが日常生活の実情ですよ。仕方のないことと言えば、それっきりですが。
しかし、何処かで、誰かが、歯止めを掛けなくては、大変な事になっているのですよ。
国会議員の先生は、次回の選挙で落選しては大変なので、国民の足下の要求に迎合して、目先の政策に、どんどん国の借金を増加させている現実です。
まだ大丈夫、まだ大丈夫と続けて来た結果、首までどっぷり、泥沼にはまってしまってますが、なお、止めようとする気配は、御座いませんよ。
我が家の家計は、一発宝クジが当たれば、一挙解決ですよ。
多くは望みません。ジャンボでなくても良いのですよ。ミニの方で十分です。
それで多くを望んでないってか ??? ウソつけ。ってですか。
面目ねェー。
しかし、国家財政を立て直す、超弩級のジャンボ宝クジは、存在し得ませんよ。
もはや、どうしょうもない事態ですね。
トントン ゴリゴリ。
しかし、現職の国会議員先生は、その内、議員から身を引く時期が来ますから、そうなれば、自身の知ったことではなくなる分けです。要は、自身の任期中の活動が保持できれば、それで良い側面を有しているのですよ。
借金を背負っているのは、政府、国会議員先生では、御座いませんよ。
政府、国会議員先生は、気前良く借金をつくりますが、つくった政府が返済するつもりは、さらさら御座いませんよ。借金をつくるのは、「今でしょ!」、返済で、キュウキュウの目に遭うのは「後でしょ!」。なのですよ。
国会議員先生は、後々迄、実質的な責任を負う立場ではないのですよ。落選すれば、タダの人ですから。
責任は、全部国民が背負わされているのですよ。
植木等さんが、歌ってたでしょう。
“国会議員先生は、気楽な家業と来たもんだ。♪♪・・・スイスイ。”とね。
今まで、目先の政策に邁進して来た結果です。
財政だけでは御座いませんよ。
働き手人口の減少化の問題なんぞ、短期間で解決できるものではないのに、教育費を少しばかり増やしただけで、先の見通しが立つとおっしゃるのですか。
これっきしの政策で、女性が沢山子供を産んでくれるようになとでも、思っているのですか。
いま産まれた赤ちゃんが、働き手になるには、20年はかかるのですよ。
こんなことは、ずーっと以前から判りきっていたことなのに。
とにかく、足下の課題の入口しか対処しないのですから。
出口のことは、出る時になって対処すれば、ってな感じですから。
後は、後の人が対処すれば良い。後回し、後回し。
取り敢えずは、次回の選挙対策のブラスになるものを、と言うことの繰り返しですから。
こんな体質を早く変えなくては。ホンマ。
トントン ゴリゴリ
このような事態に、対処しなくてはならないのですよ。「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。
このためには、色々と策はあるでしょうが、その一つとして、衆議院議員の任期を現制度より長くしてはどうか、と言うことが考えられる分けです。
とっさの思い付きですが。
そうすれば、次回の選挙対策ばかり気にせず、幾分先の中長期的対策のことも、気に掛けることが出来るようになるのではないのかなーと、かすかな期待を持つわけです。
任期を伸ばせば、マイナスの側面も付いて回ることでしょう。
まずは、代議士先生の緊張感が弱くなってしまわないかが心配されますなー。今でさえ、緊張感のない能天気な人が多く、しょっちゅう失言をして、物議をかもしているのだから。任期を伸ばせば、大抵はかったるんでしまうのでは、と心配されますなー。
このマイナス面については、別途強力な対策を考えなければなりません。この対策は、ここでは、後で取り上げることにします。後回しにするのでは御座いませんよ。
トントン ゴリゴリ。
たとえば、衆議院議員の任期を8年としてはどうか。と思ったりするのですよ。
とっさの思い付きで恐縮ですが。
8年もあれば、代議士さんらも、少しは、目先の選挙政策から抜け出すことが、できるのではないのか。と思ったりするのですよ。
直に、8年は長過ぎはしないか、と言う意見が飛び出すことでしょうな。
8年に1度の選挙では、近時の有権者の声が拾えなくなりはしないか。なんてね。
これについては、衆議院の定数を2等分して、4年ごとに2分の1ずつ、選挙で入れ替えてはどうでしょう。そうすれば、現制度と同じ4年ごとに、その時々の有権者の声を聞くことができるのではないか。と思ったりするのですよ。
トントン ゴリゴリ。
それから、現制度からどのようにして、新しい制度に切り替えるか、と言う問題も発生しますなー。
これには、思い切った、対策が必要ですな。
たとえば、8年任期の初回の選挙の時は、衆議院議員の定数の2分の1ずつ、任期8年、任期4年として、初回の選挙によって、各4、8年任期の衆議院議員を誕生させるのですよ。
そして、その4年後の選挙で、任期4年の議員が退き、新たに任期8年の議員を選出する。
次回からは、4年後ごとに、8年任期の議員を選出すれば良いわけです。
現行の参議院議員の選挙では、定員の半数が3年ごとに、選出し直す方式がとられています。これを衆議院議員の定数を2等分して、4年ごとに、2分の1ずつ選出し直すと言うことですなー。
トントン ゴリゴリ。
ところが、突然の衆議院の解散が必要になった場合は、どうするのだ。また、最初からやり直しか。と言うことになるので、衆議院議員の解散を改善しなければならない必要が存在しますよ。
現行の衆議院議員の解散は、内閣総理大臣の専権とする慣例が行われているようですので、まず、これを改めなければなりませんな。
大体、衆議院議員の解散は、実際的には、政権与党が定例の次回の国政選挙を視野に入れて、総理大臣とその選出母体の政党にとって有利に働くと判断した時期を見計らって行うもののようですな。
言ってしまえば、衆議院議員の解散権は、総理大臣・それを選出している与党が私物化したも同然の運営が行われているわけです。
与党が不利と判断した場合には、野党が解散の必要を主張して、いくら騒いでみても、衆議院議員の解散は絶対に行われないのですよ。
トントン ゴリゴリ。
だから、どちらかと言えば、衆議院議員の解散は、国会とは離れた別の独立機関で検討すると言う制度を、別途考えた方が良いようにも思える分けです。そうすれば、選挙対策から離れて、本来の必要性から衆議院議員を解散すべきかどうかを検討できることになるのではないのでしょうか。
性格としては、内閣、国会、官庁の目付的性格を有する国民選出の独立した機関を設けることが望ましい、と思われますな。
この機関に、内閣、国会、国会議員、官庁等の活動を監視させ、定期的かつ必要時に、国民に監視の結果を明示する役割を持たせると良いと思いますなー。
この機関の性格、設置、運営等については、色々多角的視点から、良く検討する必要が欠かせませんが。
国政選挙だけを通して、有権者の判断を仰ぐ、と言うことのみでは、どうも不安定な側面が見受けられますから。
このような機能を有する機関を仮りに「国民審査院」と称するとして、このような機能の有する機関がないと、ただただその時の勢いで多数の議員数を獲得した政党が、好き放題を遣り兼ねませんからね。
古くは、律令制度の下では、中央行政の監察を行う弾正台(だんじょうだい)という機構が置かれていましたね。
大目付は、主に大名・高家・朝廷の監視的役割、目付は、主に旗本・御家人の監視的役割を担う職でしたね。大名など、大目付が出動してきたとなれば、震え上がったとか。
今の国会議員については、独立した常置の目付が出動することが無いであろうから、精々メディアに注意しているぐらいですかね。明確な犯罪を犯した場合は、司法が対処するでしょうが。
トントン ゴリゴリ。
そこで、一策を案ずるハメとなる訳ですよ。とっさの思い付きで恐縮ですが。
一層のこと、殆ど役に立っていない、参議院を廃止してはどうか、と思う分けです。ただただ衆議院の議論を、場を移しただけで、野党は同じ質問をして、政府側は同じ答弁をする。しょせんこの繰り返しなのですから。廃止しても、たいして現状と変わりは御座いませんよ。参議院で衆議院で可決された案件を否決してみたとて、衆議院に戻されて、以前の通りで成立するのですから。
そこでですね、参議院を廃止して、先に提案した、仮称「国民審査院」を新置するのですよ。
機能は、国会運営の審査、衆議院議員の活動の審査、衆議院議員の解散の審査、官庁の職務の審査、政治に関わる国民の意識調査等々。これらの公示、等など。
それは、官庁の組織の中でやれば、と言う意見があるかも知れませんが、官僚は国民の選挙で選出とれた存在ではないので、ダメなのですね。このような強力な権限を持たせる場合は、国民が直接選出することが肝心なことですよ。
トントン ゴリゴリ。
総理、知らぬ存ぜぬばかりで、恍けてらんなくなりますよ。審査院の目が光ってますから。
総理、選挙対策のために、無駄な衆議院議員解散は、出来なくなりますよ。
大臣、自分の答弁が終わったと勘違いして、議場から逃げ出してしまうなんてなことはできませんよ。
大臣、答弁メモを読み違えて、後で、緊張感が足りなかった、なんて、間抜けなメディア会見など、ゆるされませんよ。
議員さん、マジメに政策に取り組んでいるか、常に監視されてますよ。不倫なんぞは、してらんないよ。
議員さん、パーティーばかり開催して、金集めばかりしていられませんよ。
官僚さん、記録をちゃんととり、保管していないと、だめですよ。捨てちゃった、では済みませんよ。お役人さんの大嫌いな責任をとらせられますよ。
国民は、直接意見を公式に言える機会が与えられますよ。等など。
仲間内での自浄作用は、殆ど機能しない場合が多いですからね。
要するに、監視の機関は独立していなくては、ならないのですよ。
てなわけで、仮称「国民審査院」の存在は、何をしているのかわからない参議院よりは、遥かに機能すると思うのですが。
仮称「国民審査院」の職に当たる人は、当然、国民の選挙で選出することになりますね。
その性格、方法等については、十分な検討が必要です。
是非、前向きに検討をして貰えないものかと、思う次第なのですよ。
「早くしないと」手遅れになりますよ。
トントン ゴリゴリ。
ところで、衆議院議員の解散による国政選挙は、どうなるのだ、と言うことについては、そもそも解散し、選挙を行う目的は、その時点における有権者の判断を問うと言うことですから、衆議院議員全員を改選しなくとも、良いのですよ。すなわち、次回の選挙で改選予定の2分の1相当の衆議院議員を対象に、選挙を行えば良いわけですよ。これで、その時点における民意が把握出来るわけですよ。
そして、現行では、衆議院議員を解散した場合、その選挙以前に、重大な事態が起こった場合など、国会が開けないと言うお粗末ですが、どんな場合にも国会を開催できるのですよ。
それから、大体、衆議院議員の解散などと言うことは、そうそう行なう必要がないのですよ。先に、申し上げましたように、総理大臣とその選出母体の与党の党利党略・議員さんの私利私欲に関わる路線で、衆議院議員の解散が行われているのが、実情なのですから。多額の費用と手間ひまかけて、総選挙など行わなければならない必要など、そう度々あるものでは無いでしょー。
政府が行き詰まった時には、内閣解散・改組で対処すれば済むことが多いのではないのですか。
大体、先出の仮称「国民審査院」を設置し、機能させれば、衆議院議員の解散など、そうそうする必要がなくなりますから。
現行のように、総理大臣とその選出母体の与党の都合で、何時解散されるか判らない状況では、衆議院議員は本来の国政など、じっくり考える余裕が無いのですよ。何時もかつも、時間さえ出来れば、地元に戻って、次回の選挙対策に奔走しているのでしょうから。
トントン ゴリゴリ。
次に、是非ともやらなくてはならない課題がございますよ。国会議員の性格に関わることです。
すなわち、国会議員は、国策を担当する存在です。当然、国民全体の代表者であるべき性格のものですよ。
国民全体、有権者全体から等しく選出されなければならないものですよ。
とすれば、特定の地域(選挙区)から選出されて来た者の寄せ集め集団では困るのではないか、と言うことです。
判り易く言えば、現行の選挙区選出の方式を廃止して、全国一区とする選出方法をとるべきではないか、と言うことですよ。
そうすれば、選挙区による一票の格差などという、厄介なことは発生しないのですよ。
特定の地域から選出された議員は、その地元優先の政策を主張しなければならない性格を有しています。これでは、日本国全体として必要な政策を行うことが出来にくいのですよ。
ですから、国会議員は全国一区として、選出する方が、望ましいのですよ。
改革は、「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。
トントン ゴリゴリ。
それでは、地方の課題はどうなる、と言うと、地方のことは、それに対応する別途の仕法を考えた方が良いと思われますよ。
地方行政に関しては、都道府県、市町村が置かれ、その首長と議員が置かれていて、その所轄の課題を処理する体制が出来ています。
現今、地方のことで最も関心が高まっているのは、一つは、過疎化の地域が多くなっている問題です。
ひどい現実ですね。過疎の地域では、その地域の首長のなり手がいない。議員のなり手がいない。このような事態が出来して、もはや政治が出来なくなる事態が発生している所があるのですよ。
あるいは、首長・議員の立候補者が整わず、無投票状態でしか議会が維持できなくなって、首長・議員が固定化してしまう地域が増えてきているのですよ。
もはや、民主主義なんていう状況ではなくなってしまった地域が増加しているのですよ。実態を知るとビックリしますよ。ホンマ。
地方人口の激減の結果ですね。
トントン ゴリゴリ。
もう一つの課題は、都会と田舎の著しい格差の発生ですな。
政府は、地方創成なんという分けの判らないことを言っていますが、都会と田舎は、そもそも存在の基盤が違うのですから、大括りの法制では、対処出来ない側面があるのですよ。それを一つの法制で、平均化しようとしても、殆ど効果的とは言えないのですよ。もっと地方の実情を的確に把握して、綿密に、丁寧にやらなくてはならないのですよ。
都会に田舎の要素を取り入れ、田舎に都会の要素を取り入れて、平均化して、一件落着とは行かないのですよ。
何でも数値化して、その比べっこで事態を処理しようとする方法が、根本的に可笑しいのですよ。
東京都内の大学の学生定員を削減して、地方の大学への入学者を増加させようなんて言う、姑息な目先の数値の平均化のような対策では、話にならないのですよ。学問・教育と都会・田舎の格差是正は、まったく次元の異なる問題でしょう。意味不明ですな。
九州・四国・中国・近畿・中部・東海・関東・甲信越・東北・北海道を一括りにしようとしたって、所詮、意味が無いのですよ。
人間社会において、片や100、片や0の状況を、これを平均化して、50と50と言う状況にすれば、双方同じ同じ、平等だ、目出たし目出たしと落ち着くと思うのですか。双方に不満が発生するだけですよ。
トントン ゴリゴリ。
要するに、地方行政についても、現行のシステムでは、対処することが、難しい状態になっているのですよ。したがって、抜本的な改革が必要となっていますなー。
それには、まずは、行政区の変革が必要です。
かなり以前から検討はされて来ているのでしょうが、現在よりは所轄域を広げた広域所轄の行政区に直すことが、必要のようですね。
行政所轄の広域化は、そうすれば、そうするで新たな課題が横たわることは、当然ですが。それはそれで、対策を講ずる外ないのですよ。
要は、日本全体で、今より良くなるか、悪くなってしまうか、が問題なのですよ。
仮に「邦州制」と仮称するとして、現在の都道府県よりは、はるかに広い領域を単位とする行政区に改めることが望ましいのではなかろうか、と思われます。
すなわち、現在の地方・地域行政は、現実的に複雑で、重複的な無駄なシステムとなっておりますので、これをできるだけスッキリした構造に直すことが、大事ではないのか、と言うことです。
トントン ゴリゴリ。
地方・地域の行政は、狭くは、まず市町村レベルで行われる仕組みですな。
しかし、市町村の持つ課題を、市町村だけで処理できるか、と言うと、今の日本の状態は、そんな単純なことでは、処理出来ない状況となってますよ。
ところが、都道府県でも処理出来なければ、国へ送らなければならなくなるのですよ。
一つの問題の処理が、実に、三階建ての構造になっているのですわ。
このシステムでは、とにかく緊急の課題の処理は、困難を極めることになりますな。
朝飯が、夕飯時になっても、食べられ無い事態なのですよ。早急に、何とかしなくてはなりませんね。
「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。
国の政策として行おうとする政策が、都道府県に送られ、さらに、都道府県から市町村へと送られ、実施となる。この間、国会で長時間もたつき、さらに、都道府県議会でもたつき、加えて市町村会議でもたつくのですから、大体、実際に実施される頃には、料理に譬えれば、もう、すっかり腐ってしまっていて、いまさら食べられる代物では無くなってしまう恐れが、十分にあるのですよ。
ですから、地方行政は、せめて二階建てで処理出来るシステムを導入した方が良いのですよ。
「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。
トントン ゴリゴリ。
そのためには、国をはずす分けには参らないでしょうから、都道府県と市町村の機能を一体化した構造を考えるよりありませんな。
とっさの思い付きで恐縮でありますが、人口と地域的面積を塩梅して、この都道府県と市町村の機能を合わせた地方行政体を新たに考えると言うことになりますな。
この新設地方自治体を、仮に「州」として全国を区分し、すなわち、例えば10州を置いて、地方の問題は、各州で議論し、処理する。
また、必要に応じて、その結果を、この連合州議会に持ち上げて、議論して決議し、現行の市町村をその実施機関と位置づけて、活用するとすればどうであろうか。
地方の課題は、連合州議会で議論し、結論を導き、必要とあらば、これを国会に押し上げて、処理する方式がいいのではないか。
要は、現行の国会議員は、選出された地域の紐付きで、国政に臨まなくてはならない性格を有しているのですが、これから解き放なたれ、国会議員は、選出母体の地域事情を気にしないで、あくまでも国レベルの判断をし易い存在にする、と言うことですよ。
そして、地方のことは、地方を熟視している「州」に任せ、徹底してもらう方が、機能的であり、構造的にスッキリすると言うものです。
しかし、現職の議員さんは、こと選挙については、自己の選挙基盤の変更など、とんでもない。党利党略、私利私欲に徹していますからね。
聞く耳もつか。と言う、状況ですな。
しかし、そこを改め、「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。
トントン ゴリゴリ。
ところで、もしも、もしもですよ。ここ迄読み続けてくれたお方がおられるとすれば、さぞかしお疲れのことでしょうな。お察し申し上げます。
きっと、さっさと止めろよ。「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。と言う心境でしょうな。
と言うことで、まだまだ、ネタは尽きないのですが、今日はこの辺りで、打ち止めと致します。
どうです。目一杯、アホくさい、バカバカしい、クダラない話でしたでしょう。
ただし、ヒマ潰しにはなったでしょう。目的達成。
またのお越しをお待ちしております。
お後がよろしいようで。