《停念堂閑記》91

「日比憐休独偏記」26

 

「真のホシを挙げろ ? 」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

連日の猛暑の中、本当に、よくいらっしゃいましたね。大歓迎で御座いますよ。

と申しましても、高価な美味しい物でおもてなしをするわけでも、肩をお揉みするわけでも、温泉に入って、冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますれば、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心より心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、良いのですよ。

夜、寝られなくなったりしませんからね。もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。なんとか、ヒマと言うものをですね、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のないことを交えたりしましてね。

これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感・同感で御座います。

張り切って、手間隙を惜しまず、手間隙をかけましょう。

 

さて、本日も、アホくさい、バカバカしい、クダラない話を、大真面目に取り組むことにしますよ。万事、真面目が大切です。

ところが、真面目が入ると、たちどころに、面白味が減退してしまうのですよ。さーっと、引いてしまいますよ。

したがって、ちっとも、面白くなくなってしまうのですよ。

私の方と致しましては、面白くなくても、一向にかまいはしないのですが。

お付合い下さる方にはねー。やんなっちゃいますでしょー。

しかし、世の中、面白い事ばかりでは、つまらないのですよ。

人間ツァー、勝手なものでしてね。面白い事ばかり続くと、ちょっと、面白くねぇーな。なんて感じたりするものなのですよ。

面白くないことの中に、面白いことが生ずると、これが、とっても、面白く感じられるのですよ。なんか、得しちゃった気がしたりしましてね。

面白いところに、面白いことがやって来ても、またかー、なんて感じたりするわけですよ。慣れっこになって、だれて来ますから。

だから、私は、思いっきり面白くない方の担当と言うことで、やらせて頂いているので御座いますよ。まー、人助けの一つとでも言いましょうかね。世のため、人のためですよ。慈善事業ですよ。

アホ抜かせって、ですか。

ですから、面白くなくても、私の方は、一向にかまわないのですよ。

要は、ヒマ潰しが出来れば、もー、大満足なのですから。

ところで、あのー、ですね。真面目な話、と前置きして、真面目な話をする人は、殆どおりませんよ。皆無と言って、いいですよ。

ただし、私を除いてはね。ホント。真面目な話。マジで。

皆様、どなたもご承知のとおり、正直な話と前置きして、本当に正直な話をなさる方は、殆どおりませんでしょ。

ウソは言っておりません。と力説される方で、ウソをつかない方は、めったにおりませんよ。私を除いてはね。ホント。

これは、正直な話、ウソでは御座いませんよ。ホント。ホント。マジで。

全く知りません。一切関係しておりません。絶対に、そのような事はありません。なんて言う人、よくテレビに出ていますよね。

あれは、ウソですよ、と言う別表現ですから。

一命を懸けて、とか、全身全霊で、なんて、いとも手軽におっしゃられる方をお見かけ致しますが、そう言う人に限って、ほとんど当てになるものでは御座いませんよ。

全く、とか、一切、とか、絶対に、とかを好んで使う場合は、単にその場凌ぎの弁解にすぎませんよ。全く、一切、絶対などには、全く、一切、絶対に心が込められておりませんから。

「一命を懸けて」、なんと言って、本当に一命を掛けた方など、ついぞお会いした事は、御座いませんよ。

その場を凌げれば、後は野となれ山となれ、はたまた水溜りとなれ、池となれ、沼となれ、湖となれ、海となれ、と言うのが現実ですよ。何でも、並べれば良いと言うものでは御座いませんが。事は、ついでですから。悪しからず。

ついつい、すっかり、真面目な話に陥ってしまいました。

これでもね。わたしゃー、世間では、真面目で通っているので御座いますよ。嘘ついた事など御座いませんから。

嘘吐きは、ドロボーの始まりと言われますから、嘘をついたら、末はドロボーになるしか手が御座いませんから。

嘘ばっかりついている政治家と言われている連中の行く末は、やっぱり・・・になるよりないのかね・・・?

永田町は、・・・の町なのかね。と言われても、仕様が御座いませんよ。選挙中に大声で言ってことなど、殆ど嘘っぱちですからね。

ウソ吐きを見たければ、国会中継を見よ! と言われるくらいですよ。ホンマ。

私は、嘘吐きと言われたことは御座いませんよ。専ら、ホント吐きと言われていますから。嘘じゃないよ。

エッ。ホント吐きなんて聞いた事はないって、ですか。

そうでしょうね。私も初めて言いましたよ。

だから、最初に言ったでしょ。

真面目と前置きして、真面目な話をするヤツはいないって。

私の話には、ウソは御座いませんよ。ホンマ。

とにかく、本来、根が真面目なもんですので、すぐにお堅い話に向って行ってしまうのですよ。

エッ。何か疑問が御座いますか。

余計な疑問は、持たない方が、良いですよ。お互いの為に。

ねー、信頼しあってこそ、成り立つ世の中なのですから。

とにかく、他の人はともかく、私の真面目な話は、絶対に信用なさって、損は御座いませんから。疑問を持たれないように、念を押しておかなくてはね。念には念を入れ、万事、丁寧にと総理も言ってましたからね。

善悪はともかく、丁寧に、やっておかなくてはね。

待てよ。総理と一緒では、不利かな。人間性を疑われてしまいますからね。気をつけなくては。ホント。

 

さて、世の中には、アレー、ちょっと・・・?? と感ずる事が、時々御座いますよねー。

それで、今、アレー、ちょっと・・・?? と気に掛かっている些細な事とは、どのようなことかと言いますと、

「責任」

と言う事についてなのですよ。

一般的に言って、とるのは嫌だが、とらせるのは好きだ、と言う存在にあるのが、「責任」と言うものですかね。

世の中、何かと言えば、「責任」「責任」と叫ばれていますなー。

叫んでいる方は、とる側では御座いませんよ。

大声で、叫んでいる方は、とらせたい側で御座いますよ。

とる側は、どちらかと言えば、やだなーと言って、逃げ回るものですよ。

逃げ切れずに、掴まってしまった場合、仕方なく、しぶしぶとることになるのですよ。

因に、独断と偏見によりますと、「責任」をとれ、とことさら大声を発する人は、えてして、自分が責任をとるのが大嫌いな性格の人が、多いように見受けられますなー。

「責任」とれよ、と言っている裏は、わたしゃーとらねーよ。あんたがとれー、と言うことですからね。

お客さん、そーは感じませんか。

何彼に着けて、すぐに、「責任」とれよ。と迫って来る人がいますが、そのような人は、「責任」が自分の方に向けられたりすると、躍起になって、逃れようとしますよ。

よくやる手口が、他人のせいにする弁解。私が、あのようにしたのは、誰々さんが、あのようにしたから、などと他人のせいにして、自分は責任から逃れようとしますよね。

それからまた、話をそらそうとするのですよ。

要するに、相手にとって、不利と思われる話を持ち出して、専ら、話をそっちに誘導し、相手の弱点を見つけ、掘り起こし、並べ立て、責任追求の立場に転じようとしますなー。

すり替えの手口ですなー。話をすり替えたとしても、元の話の「責任」が消える訳ではないのですが、目先の不利な事態を回避して、有利な事態へと展開したいと言う、ズルッコイ手口ですが、よく見受けられますなー。

上手い事すり替えに成功した場合、満足を得られるのでしょうかねー。

答。得られるのです。

そのようにする人は、そのようにすることによって、満足を得られるのですよ。上手く行った、とほくそ笑むのですよ。

自分を騙していることになりませんか ? 自分を偽った自責の念が湧かないのですか?

答。湧きません。

とにかく眼前の敵を倒し、眼前の「責任」を回避できれば、満足いくタイプです。

このようなタイプは、往々にして、自己反省が嫌いで、反省しない人が多いようですよ。都合の悪い自分は、常に棚に上げておき、時間の経過と共に、埃が積もって、見えなくなり、遂には、無かったことに、と企むタイプですよ。

てな、訳でして、「責任」云々については、なかなか面倒な事態が多いようですよ。

ところで、「責任」に関わり、目下最も気に掛かっているのが、本当の責任者の「責任」と言う事です。

分かり難いですか?

では、具体的に解説して行きますよ。

日本では、基本的に各個々人の自由が認められていますよね。

だから、建前としては、色々なことを自由にやることが出来ますなー。

「停念堂閑記」を書いたりね。

しかしですね、物事を行いますとね、必ず、「責任」と言うのが着いて来るのですよ。まさに、背後霊のようにね。ぜってー、逃げ切れませんよ。

まー、自由物事を行う事は、可能なのでしょうが、この自由には、必ず、「責任」と言うのが着いて参りまして、これが、なかなか厄介な場合があるのですよ。

いー調子で何かをやっていたところ、この行為・行動によって、迷惑や損害を被った、と言う人が現れたりしましてね。

「責任」をとれよ、と迫ってきたりすることがあるのですよ。

あんたのしたことで、ケガをしてしまった。「責任」とれよ。慰謝料と治療費を出せ、なんて言ってきたりしますなー。

また、あんたが、余計な事をしたので、えらい損害を被った。「責任」を取れよ。賠償として、1000兆円支払え。なんて、「責任」を問われる場合が御座いますな

これは、ありませんよ。こんな高額な賠償は御座いません。蛇足ながら。

「責任」云々と言うことに関しては、「責任」を問われる行為・行動などをとった当の本人が、然るべくして、その「責任」を問われるのは、全く当たり前の事ですね。

その「責任」は、注意を受けたり、謝罪させられたり、職を辞させられたり、損害賠償をさせられたり、あるいは、禁固刑に処されたり、更には、死刑に処されたり、しでかした行為・行動などの内容によって、然るべき結果として課されるもので、色々様々ですなー。

ところで、ここで、アレー、ちょっと・・・?? と感ずるのは、「責任」を問われるべき行為・行動をとった当事者が、「責任」を問われるの は、尤もな当たり前のことですが、ところがそうではなく、別人が「責任」を問われる事態があり、本来、「責任」を問われるような事をやっちまった当事者は 「責任」を免れる、と言う事態がある、と言うことなのですよ。

このような事態は、実は、しょっちゅう生じていることで、このような事態に遭遇する度に、実に、しっくりと来ない、忸怩たる思いをさせられるのですよ。

例えば、A君は、悪くないのに、B君に殴られた。B君自身は、反省も何も無く、シャーシャーと、サッカーをして楽しんでいる。そこにB君のお母さんがやって来て、ごめんね、と謝られても、A君はスッキリしないでしょー。

真のホシは、B君なのだから。

 

これが企業の場合などになると、また、一段と複雑になるのだから。

例えば、とある会社が、ある製品を製造した。この時に、この製品のある弱点が問題となった。専務Aを中心とする社員は、改良すべきと言う立場で、すぐに製品化することに反対したが、ワンマン経営の社長Bが、反対を押し切って、製品化に踏み切らせた。

ところが、3年後、心配されていた弱点部分に、案の定故障が相次いで生じ、ケガ人を出す事態となった。

これが、マスコミで取り上げられ、「責任」問題が追求される事態になった。

ところが、この問題が起こると、社長Bは、健康を害したとして、退社してしまった。

結局、専務Aが、急場を凌ぐ社長Aにおされた。

急遽、社長になったAは、止むを得ず、謝罪の会見に臨み、マスコミのカメラとマイクに向かって、自社製品の欠陥を認め、実に、なんと3分間の最敬礼を行った。

この時の社長Aの心中は、おそらく、だから最初から、改良を加えて安全性を確保した上で、生産すべきと言ったではないか。それを無視して、その責任者は、多額の退職金を得て、とっとと、退職してしまっている。今は、会社に大損害を与えているにも関らず、害したはずの健康もすっかり良くなったようで、毎日、温泉とゴルフ三昧ではないか。

なのに、なんで私が最敬礼で、謝罪しなければならないのだ。やって、らんねーぞ。

しかし、会社としての責任をとらなくてはならないし、今後の会社の行く末を展望すると、ひとまず、ここは、最敬礼の他ねーや。

てなもんでしょうか。

 

このようなケースは、よくある事ですね。会社としては、被害・損害を与えた側に対して、「責任」をとらなければならない。当然のことですなー。

一方、会社内においては、前社長Bの判断ミスで、会社は多大な損害を被る事になった。このような事態の発生は、製品製造開始の最初から、指摘されていたことである。

そこで、会社内では、安易な眼前の利益に走るあまり、判断ミスした前社長Bの「責任」を問題にせざるを得ない状況となった。

この場合、民事訴訟を起こし、損害賠償要求することになるのでしょうが、どのようになるかは、ケースバイケースと言うことでしょうね。

ここで、問題としたいのは、この欠陥製品で、ケガをさせられた被害者と、前社長Bの間の「責任」関係の有無についてですよ。

欠陥のあることを承知の上、目先の利益に走って、その製品の製造開始の判断を行ったのは、前社長Bであることは、間違いがない事態ですよね。

言ってしまえば、この判断ミスによって、被害者がケガをしてしまったと言うわけですね。

この因果関係で、被害者は、前社長Bに「責任」を求めることができないものでしょうかね。

法律専門家に聞けば、すぐに判ることでしょうが。きっと難しいのでしょうね。

前社長Bの「責任」を、現会社が代わって、「責任」をとる、と言うことが、一般的のように見受けられますが、本当の「責任」は、前社長Bにあるのではないのか、とも思われるのですよ。真のホシは、前社長Bですよ。

「責任」をとらなくてはならない事態を直接引き起こした当人が、その「責任」をとる、と言うのが、最も基本でしょう。

この基本が正しければ、前社長Bの「責任」を問うことが、可能ではないのかなー、なんて思ったりするのですよ。

怪我をさせた欠陥製品を製造したのは、その会社だから、その会社が「責任」をとらなければならないのは、当然の理として、理解されます。

会社にその欠陥製品を製造させ、結果的に会社に多大の損失を与えた。この事によって、会社は前社長Bに、その「責任」として、損害賠償要求した。これも、当然の理ですなー。

ところが、この要求は、うやむやの内に幕が引かれ、結局、前社長Bの「責任」は、果たされずに終わっちまった。

と言うことで、前社長Bの「責任」は、無となってしまったのであるが、前社長Bの「責任」を、前社長Bの判断ミスによって製造された欠陥製品によって、ケガをした、被害者当人が、問うことが可能な手だては、ないものでしょうか。

傷害罪の適用は無理かね・・・???

欠陥製品による事故は、予想されていたことであり、それを無視して製品の製造に踏み切ったのは、前社長B当人なのだから。

真のホシは、まさに前社長Bなのだから。

これが、刑事事件であれば、かなり明解ですよ。法律門外漢でも、たとえば、Cが傷害事件を起こせば、間違いなくCが、「責任」をとらされると言うことは判りますなー。

Cは所属している会社とは無関係の場面で、傷害事件を起こした場合は、原則的には、会社は関係がありませんから、会社が「責任」をとるには至りませんな。

しかし、日本では、Cの傷害事件に直接関係していない会社が、往々にして、謝罪する場面が多く見られますなー。

なんで、関係のない、会社が謝罪したりするのですかねー。

マスメディアが関係するからですかねー。

テレビなどでは、逮捕者の報道をする場合、大抵、所属する会社名を付して、逮捕者名を報じますね。

このことによって、会社のイメージが低下するのですかね。

会社は、すぐに謝罪のメッセージを発しますなー。

そんなことされたって、一般大衆は、会社が悪い事をしたから謝罪しているなー、なんて全然思いませんよね。会社は、そのイメージダウンを心配しているだけでしょうから。

このような事に、素早く、対処すると、あの会社の危機管理体制はしっかりしている。いい会社だ、と言う評価を受けるのでしょうかね。

会社絡みの事件の場合は、別ですよ。それは、会社にも「責任」があるでしょうから。

と言うように、やっちまった「責任」をとるべき真のホシが逃れて、のうのうとしている事態は、なんとなくスッキリしないのですよ。

真のホシに、「責任」をとらせなくてはねー。

 

「責任」逃れの達人は、なんと言っても、世に政治家と言われている方々に、多く見られるように、感じませんか。

世に政治家と言われている方々の発言は、殆ど信頼出来ないことが実に多い、と感じている方が沢山おられるようですよ。

選挙戦中の発言なんぞ、当選したあかつきには、はるか昔の囈言(うわごと)みたいなものでしょう。見ように依っては、選挙中は、選挙ウイルスにおかされて、ただただ囈言(うわごと)を喚(わめ)き散らしているみたいなものですからね。

きちんとした「責任」をとらないで、垂れ流し的に「無責任」をし続けているのは、世に政治家と呼ばれている人々に実に多く見られるようですよ。

今もまた、現自民党総裁の任期が、間もなく切れるので、次期総裁選をにらんで、自民党国会議員さん達は、その選挙運動に勤(いそ)しんでおられますなー。

このような時の議員さんは、実に、生き生きとして、活発に行動されますなー。そんなエネルギーがあるのなら、なぜ国民の為に使ってくれないのでしょうかねー。その方が、次ぎの国政選挙の時に、有利に運ぶのではないのでしょうか。

世に政治家と呼ばれている人達に、最も似合わないのは、「責任」の二文字のようですな。

一体、どうしたものでしょう。

ここで一句。

「責任」を 「責任」もってとる 政治家は無し

かな。

 

小生も、「責任」をとって、この辺で、キーを叩くのを止めにしたいと思います。

連日、全国的に、命に危険がある猛暑のようです。

暑くて、脳ミソも、オー ノーと悲鳴を挙げています。

このクソ暑いのに、何の因果で、アホくさい、バカバカしい、クダラない話をやっているのでしょうかね。誰に頼まれた訳でもないのに。

物好きと言うよりないのでしょうか ???

原因は、判っています。

ヒマなのです。

とは言え、ヒマ潰しも、なかなか骨がおれますなー。

 

お付合い下さいましたお客様、誠に、お疲れ様で、御座いました。

暑苦しい時に、暑苦しい話で、恐縮の極みで御座います。

深く、お詫び申し上げます。

おヒマな方は、これに懲りずに、またのお越しをお待ち申して居ります。

それでは、恐惶恐惶頓首謹言

お後がよろしいようで。