《停念堂閑記》93

「日比憐休独偏記」28

 

自己責任 ?」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。大歓迎で御座いますよ。

と申しましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って、冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。

ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、寝られなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感・同感で御座いますよ。

張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

視点は、小言幸兵衛で参りますよ。

さー、ご一緒にストレス解消に励みましょう。

 

さて、本日のヒマ潰しのテーマは、“自己責任”と言うことにしますよ。

なんだか、よく分からないテーマです。

それでは、行き当たりバッタリで参りますよ。

 

今は、そんなことあったのか? 状態になっちゃったようで、話題に上ることも、すっかり少なくなってしまったようです。

フリージャーナリスト安田純平氏(44)が、シリア北部でイスラム武装組織に拘束されていましたが、この10月下旬、3年4カ月ぶりに解放された。と言うニュースが、どのマスメディアでも、極めて大きく取り上げられたことは、まだ、記憶にありますよね。小生は、すっかり記憶に無くしかけていましたが。ひょっとして、皆さんの中には、忘却してしまった方もおられるのでは? 目下は、日産のゴーン氏逮捕が、旬の話題ですからね。

日大アメフト選手の危険プレーをめぐって、毎日毎日テレビで騒いでいた時期もありましたね。話が発展して、日大の経営トッブの責任にまで及ぶ状況でしたが、はじめトップの方の感想? として、その内、マスコミも忘れてしまうから、それまでの辛抱さ、と言うような話が流されていましたが、その通り、今は、すっかり忘れさられてしまった感が御座いますな。

忘却とは、忘れ去ることなり、と言う『君の名は』の名台詞がございましたが、まさに、そのとおりで、昔から言い伝えられている「人の噂も七十五日」と言うのは、真実味が御座いますな。最近は、社会の進むテンポが、やたら速くなっていますので、一つ話題を一月もたせるのは、難しいことですなー。「人の噂も二十日足らず」くらいでしょうか。なんで、二十日かってですか。たいして深い意味は御座いませんよ。

だったら、なんで昔は、七十五日だったの?? 昔だったら、おもしろい話題は、半年はもったのではないかな。

あの森友学園加計学園の問題も、すっかり鎮火? してしまった感がございますなー。マスメディアは、着火して、炎上させる迄は、やたら威勢が良いようですが、消火時のことになると、もう、興味、面白味を感じなくなっちゃうのでしょうなー。

何時も、煽り立てておいて、結末は、と言うと、どうしちゃったのかな? と言う事態で有耶無耶の内に、忘却してしまうようですな。ひょっとして、物忘れ症候群?かな。

 

と言うことで、安田純平氏の解放の件も、マスメディアは、もうすっかりご無沙汰ぎみの状況のようですが、「停念堂閑記」では、しばしの間、思い起こして頂ければ幸甚で御座います。

ここで、注目してみたいのは、“自己責任”と言うことに付いてです。

すなわち、政府は、命に関る危険地域には、行かないように、と言う警告を発しておりましたが、安田純平氏が、政府の立場とは異なり、危険なシリア取材に入って、捕われてしまった、と言うわけですな。

幸い、命に別状なく釈放となりましたが。

この事について、湧き起こってきたのが、“自己責任”と言う論議です。

政府の立場は、危険地域には行かないようにと言うことで、どうしても行きたと言うのならば、“自己責任”でと言うことになりますよ。とまでは、言い切ったのかどうかは存じませんが、日本の世間では、このように了解されていたところがあるようですな。

判り良く言ってしまえば、政府が行かないようにと警告を出している危険地域には行ってはいけないのだ。それを知りながら、どうしても行くと言うのであれば、そのことによって、何か具合の悪い事になっても、全てその本人の責任ですよ。

そのような政府の警告をきかずに、具合の悪いことになってしまった場合には、日本国として助ける必要はないのだ。と言う了解の仕方ですな。

したがって、例えば捉えられた場合、それは自己で処理すべきだ。国が色々と交渉したり、金を支払ったりして、救助するのはおかしい、と言う了解の仕方ですな。

しかし、政府としては、常日頃、国民の生命と財産は、しっかりと守るのが国の最重要責務であると、言い切っている手前、知らぬ、存ぜぬと言う訳には行かないわけで、あらゆる手を尽くして、救出を図ることになる訳です。

このような事態に対して、政府の警告を無視した者に対して、国の費用、すなわち税金を使用するのは、まかりならぬ。と言う立場での意見があるようですな。

要するに、安田氏の行為は、ケシカラン、“自己責任”だ、と言う意見です。

一方では、危険を承知の上、命を懸けて、シリアの現地に取材に入った安田氏の行為を、英雄視する意見も出ていたようですな。

これについては、「英雄」の概念に関る問題、すなわち「英雄」とは、どう言う人であるのか、と言う共通の了解が無くてはならないと思われますな。

要するに、命懸けで危険地帯に取材に入った行為を、「英雄」の行為として了解できるか、どうかと言うことですなー。

「英雄」の条件としては、判り易くは、まさに命を懸けて危険に臨み、大いなる成果を残した場合に、「英雄」と称されてしかるべき、と言うのが一般的な評価ではなかろうか、と言う感じがしますなー。

例えば、桶狭間の戦で、相手より遥かに劣る兵力で、強大な兵力を誇っていた今川義元に臨んだ織田信長は、見事に今川軍を破る功績をあげて、世間をアッと言わせ、英雄視される評価を得ることになるのであるが、これが、圧倒的に勝る今川軍に、遥かに劣る兵力で突撃をかけて、討死して果てたと言う場合は、信長は英雄たり得たか、と言うことになると、これはどうであろう。稀有な結果を残したから、信長を英雄視する評価が生まれたのであろう。もし、討死して果てた、と言う場合には、単なる無謀なコンコン馬と評されることになった、と思われますなー。

源義経だって、鵯越の逆落としで、鹿も四つ足、馬も四つ足てんで、乗馬のまま、命を懸けて、鵯越に突入したのは良いが、逆さに落っこちちゃって、平家軍に捕われてしまったのでは、英雄視はされませんな。

やっぱり、英雄は人が出来ない、スゴイ功績を残さないとダメなのではないのでしょうか。命懸けとはいえ、ただ無鉄砲と言うのではダメでしょうなー。

安田氏の場合、政府が警告を出しているのに、無鉄砲にシリアに突入した、と見るべきか否かは、見解の分かれるところでしょうが、この事による取材記者としての功績については、どうなのでしょうか。小生の不備かも知れませんが、目下のところ、スゴイ功績となる取材の結果は、まだ、報道などを通しては、伝わって来ておりません。3年4カ月も捕われていたのですから、現地でしか判らないような事柄を知り得た可能性があるでしょうし、また、目下のところそのような事柄を公表出来ない事情にあるのかも知れません。その内、公表される日が来るかも知れませんなー。

したがって、現状で、英雄視云々について、ピリオドを打つのは、早計かもしれませんね。今後の展開を注視するより御座いませんな。

 

ところで、今回のテーマ“自己責任”と言うことに、話を戻します。

前に、幾分触れましたが、政府危険地域に入らぬようにと警告を出していた。にも関らず、危険地域に入る場合は、これは“自己責任”において、入ると言うことになるのでしょうね。“自己責任”と言うことは、入った事によって発生した事柄の責任は、全て当の本人が負うと言うことですよね。

安田氏の場合は、こんなことは百も承知の上の行動であったのでしょうね。だから、安田氏本人はじめ家族の方などは、拘束が判明した後においても、積極的にその救出を国に願い出ることは無かったのでしょうね。

アラブ武装組織の圧力によって、助けて下さいと言わされている安田氏のビデオが公表されましたが、あれは、安田氏自発的な行為ではなく、武装組織側の思惑で公表されたものなのでしょう。

としますと、安田氏の行動は、あくまでも同氏の“自己責任”で行われた事なのでしょうね。

通常、一般に我々は、日常、色々な行動をとりますが、この行動は、言ってしまえば全て“自己責任”においてやっていることですよね。仮令、誰かに頼まれてやった事であっても、やったのがその本人であれば、その本人が責任から逃れるのは難しいですよね。

例えば、その行為が違法であった場合は、当然、その責任が問われることになりますなー。法律違反者、犯罪者としてね。

これが、安田氏の場合は、政府の警告、いわば指導に従わなかっただけで、違法行為を仕出かしたと言うことには、ならないのでしょうね。

解放されて帰国して後、マスコミ会見が行われ、その際に、安田氏は、各方面にお世話をお掛けした、と言う謝意の弁がございましたね。

まー、日本の慣例としては、このような場合には、このようにすると言うのが、一般的な仕方なのでしょうな。

この会見後に、「政府と国民に迷惑をかけた」と安田さんを批判する声が「自己 責任論」として、メディアを騒がせることになったようですな。

安田氏は、“自己責任”の範囲で活動していたでしょうね。その責任を政府や国民に持って行こうなんて、さらさら思ってはいなかったでしょうね。

自己責任”のもとで、危険なシリアに入って、事態を目の当たりにして取材して、それを広く世間に知らしめよう、と言う記者としての職業意識を燃やしていたのでしょうな。

ところが、一方、政府としては、国としての立場があるから、その立場からの活動をすることになりますわなー。

政府としては、警告を出しているのであるから、“自己責任”でやってくれ、私は知らねーよ、とは行きませんよね。

この安田氏政府の間の溝は、仕方の無い事と言う他ないでしょうな。それぞれ立場が違っていますから、この溝は埋まらないでしょう。

国民については、これまた、それぞれの判断が異なることでしょうなー。

安田氏が、“自己責任”で何をしようが、最初から深い関心を持っていた人は、少ないでしょうね。国民の殆どは、最初は、自分とは何の関係もないことでしたでしょうから、無関係と言う立場でしたでしょうな。

安田氏が、拘束されたと言うニュースに接して、初めて事態を知って、その時、それぞれが何かを感じたり、思ったりはしたでしょうね。

政府の警告を無視したけしからんヤツだ、と思った人もいたかも知れませんし、また命を危険に晒して迄、現地の事態を知らせようとした、勇気のあるヤツだ、と思った人もいたかも知れませんね。

政府は、よくは存じませんが、厄介な事になったな、と思ったでしょうな。しかし、警告を発していたのだから、直接、政府への不満が湧き出るとは思わなかったでしょうな。けれども、国民を救わなければならない、と言う国としての責任を果たさなければならない事態になったことは、確かでしょうな。これは、かなり難儀なことに属する事であったでしょうな。政府は、色々なルートを通じて、解決の道を探ったことでしょうな。結局のところは、カタールトルコの協力を得て、漸く安田氏の解放にこぎ着けたようですな。交渉の内容は、全く公表されませんでしたが、安倍総理両国向けの感謝の挨拶をしておりましたね。

小市民の気掛かりなのは、やはり解放金についてですかね。このあたりがどのようであったのかは、一向に判りませんな。しかし、全くただで解放してくれたとは、中々考え難いところが御座いますな。

政府が直接支払ったのか、或は、当面の措置として、カタール政府に肩代わりしてもらったのか、推測は色々あるようですが、真相は明るみに出てはきませんな。

 

とにかく、無事に帰国出来て、よかったですな。

政府の警告とそれに従えない“自己責任”による行為をどのように評価するのかについては、色々と難しい側面がありますな。

自己責任”と言っても、本当に自己で取れる性格のものもありますが、“自己責任”と言いつつも、自己でとれる範囲を超える性格のものもありますので、難しいものですな。

 

今回は、まったく笑いの無い話に終始してしまいました。この責任をどうするか、と言いますと、こんな駄文については、責任云々を問題する価値がない、と言うところでしょうかね。

一つ言えることは、本人にとって、ヒマ潰しにはなりましたよ。

目的達成です。

お付合い下さったお方は、とんだ肩すかしで、申し訳ございませんが、こんなことは、日常よくある事ですので、ご海容のほどをお願い致します。

 

お疲れ様でございました。

お後がよろしいようで。