《停念堂閑記》95

「日比憐休雑記」11

 

 《道民用語》2

 

 先に、手当たり次第に拾い上げた《道民用語》を五十音順配列して示したが、小生は高校まで道南の農村で育ち、大学進学の時に東京へ出た。しかし、郷里には親兄弟・親戚がおり、幼なじみもいたので、年に一度は郷里に帰っていた。その中で、知った用語、また、最近ネットで拾ったものも交えて羅列した。北海道は地域的に広いので、示した用語も全道的にどこでも使われていたわけではないように思われる。今でもそうであるが、海辺の漁師さんの用語は、農村育ちの小生では知らない言葉が多い。

 小生の子供の頃には、本州から移住してきた人が多く居ましたから、各自のお国言葉がまだ使われていた。東北から移住して来た人が多かったので、東北弁が多く使われていた。

 「今日は」と挨拶すると、「今日はちゃ」と挨拶を返してくれる近所のおじさんがいた。東京のアパートに、高校の2年上の先輩がいた。そこに彼の後輩が時々遊びにきた。富山から来た人で、語尾にやたら「・・・ちゃ」をつけるので、郷里の近所のおじさんは富山の方から来た人だと後で気がついた。

 学生の頃(昭和40年頃)、冬休みに帰郷した時、薄暗い駅のホームで、高校の時教わった先生に出逢った。おもわず「今晩は」と言ってしまっ た。先生は、違和感を感じたのであろう一瞬戸惑った風であった。「お晩です」と言うのが一般的であった。「今晩は」は、今ではもう違和感がなくなって来た ようであるが。

 「お晩です」と言えば、「お晩でした」と過去形でも一般に使われていた。「おはようでした」とか「こんにちわでした」とは言わない。「お晩でした」だけ過去形で使われていた。東京に出て30年程経ったころであった。北海道の知合いに電話をしたところ「はい。○○(姓)でした」と応対された。「お晩でした」以外の久しぶりの過去形であった。今でも、お年寄りの方は、使っておられるようであるが、なかなか聞かなくなった。

 東京に出たての頃、大学のクラスに「・・・べ」をよく使う人がいた。初めは、北海道か東北から来た人かと思っていたら、何と横浜っ子だった。以前、札幌にいた親戚が横浜に越して住んでいるので、東京に出て来たので挨拶方々遊びに行ったら、横浜でも「・・・べ」を使うんだよ、と叔母が教えてくれた。

 また、上京したてのころ、ゴミを捨てる時に、「ゴミを投げる(捨てると言う意味)」と言ったら、不思議な目で見られた。体育の時に走らされたりした時も、息を切らして「ああこわい(疲れた)」と言ったら、これも怪訝な目で見られた。

 さらに、北海道から出て来た友達同士が、電車の中で、北海道弁だから東京の人には分からないであろうと、要するにHな話をしだしたら、何人もが振り返った、ということで、恥かいちゃったとぼやいていた事もあった。友達は、北海道から出て来ている人が随分多いものだとびっくりした、と言うのであるが、そのての用語は道外の方にも割合広く知られていたのではあるまいか。