《停念堂閑記》96

「日比憐休雑記」12

 

「いーかい ? そだねー いーんでないかい」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

なぜアホくさい、バカバカしい、クダラない話なのか、と問われますと、決まってるでは御座いませんか。そんなこと。

立派な、意義深い話は、甚だ残念では御座いますが、難しくて出来ないからですよ。

分かりました。ですって。

もー。分かっちゃったって。

お客様、幾らなんでも、ちょっと、早過ぎはしませんか。

たとえ、分かっちゃっても、ですねー。そんなことはないでしょー、とか。

ちょっと、間をおいてからとか。それくらいの気遣いがあっても、良いかなー、なんて思ったりもするのですよ。

三顧の礼とまではいかなくともさ。

ろくに説明もしていないのに、いきなり分かられてもねー。

一人でやってろ。ですって。

あねのー。一人でって、こんなこと二人で出来ますか、ちゅーの。

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。なんとか、ヒマと言うものをあの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。

そこでですね、たとえつまらなくとも、こんなことを言うハメと相成る次第なのですよ。

これで、ケッコウ手間隙かかるのですから。

 

私だってですね、たまには、気の利いた話をしたいものと、常日頃思わなくはないのですよ。少しは思うことも、たまには、ちょっとだけないこともないのですよ。強いていえば、あるにはあるような気もするのですよ。

しかしですね、これが中々上手く行かないのですよ。思うだけではねー。

言うまでもなく、この手のことは、能力に関ることなのですよ。

持って生まれた能力は、残念ながら、俄に、どうこうできる代物では御座いませんよ。

嘆いても仕方御座いませんので、精々、得手・不得手と言うあたりで、何とかならないものかと、もがいたりするのですよ。

その結果が、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話と言う辺りに落ち着くことになる、と言う訳なので、御座いますよ。

 

分かりました。ですって。

もー。分かっちゃったって。

また、お客様に、たちどころに、分かられちゃいましたなー。

たとえ、分かっちゃっても、ですよ。先ほども言ったでしょー。

そんなことはないでしょー、とか。

ちょっと、間をおいてからとか。

それくらいの気遣いがあっても、良いかなー、なんて思ったりね。

一人でやってろ、ってでしょー。

こっちだって、一度言われれば分かりますってーの。

 

ところで、マクラはこれっくれーで、「いーかい」。

 

「いーかい そだねー」は、カーリング北見の選手によって、一躍、有名になりましたが、実は、「いーかい」ダケでは、本場の北海道では、ちょっと物足りないのですよ。

本当は、「いーかい」ときたら、「そだねー」と、まー通常はいくわけですよ。しかし、これでは十分では御座いませんよ。

「いーかい」「そだねー」ときたら、迷わず「いーんでないかい」とこなくてはならないのですよ。これで、一応、完結です。

では、正しいところを、もう一度。

「いーかい」「そだねー」「いーんでないかい」。

これで、いーんでないかい。

と言う話題かあるところで、本日は、先に、「停念堂閑記」3と4で、北海道でよく使われる言葉に関することを取り上げましたが、多少重複するところがあるかと思いますが、復習ぎみに、道産子がよく遣う用語について、取り上げ、ヒマ潰しにしたいと思います。

 

駅弁。デパートの物産展で、人気のあるのが、弁当コーナーで御座います。

あちこちに名物弁当がありますが、中でも、特に、カニ・ウニ・イクラ・タラコにホッキなど、色とりどりの具がタップリのっかった弁当。

そうです “北海道弁”が、人気が御座います。

旨そうですね。

今日は、その《北海道弁》の話。

では御座いませんよ。残念でした。

ここでの《北海道弁》は、北海道でよく遣われる方言や言い回しの方です。

“あずましくない” “あっぺくさい” “いのく” “うるける” “おだる” “がおる” “がする”などなど、弁当のネタ数など問題にならないほど、こちらのネタは豊富で御座います。

それらを調理して、旨い、いや可笑しい話を作ろうと言うわけなんです。が、旨く行きますかね。何ら保障は御座いません。

さて、何から行きましょうか。やはり、基本は、

“・・・べ”

ですかね。

“へ”じゃありませんよ。濁点はあるが、ニオイの無い方です。

同意を求めたりする時、語尻に、“べ”をつけるんですよ。

たとえば、標準語で、

「そうではありませんか」

「そうでしょう」

因に、大阪弁で、

「そやおまへんか」

「そうでっしゃろう」

ななどと言うところを、《北海道弁》では、

「そうだべ」

「そうだべさ」

「そうだべや」

などとやるんです。

そうです。“べ”の三段活用というやつです ?

これが、ちゃんと出来ないと、直ぐにもぐりの道産子とばれてしまいますよ。

“・・・べ”は、日常、最も一般的につかわれています。

東北地方でも、同様に“べ”が使われます。

ところが、予想外に、驚いたことに“浜っ子”= 横浜の人がこれを使うのですよ。今となっては、使っていたと言うべき時期になっておりますかね。

まだ使っていますかね。昭和の末ごろには、まだ若い人も使っていましたが。今はどうでしょう。

昭和三十年代後半期に、北海道の田舎の高校を卒業して、東京の大学さやって来ました。彼方此方から色んな人が集まっていました。北海道や東北から来た人は、あまり“べ”を使わないように、気をつかっていたようですが、中によく「・・・べ」を使う人がいたのですよ。しかも、どうどうと。

彼は《浜っ子》でしたね。

札幌に長く住んでいた親戚が、横浜に越して来ていたので、挨拶かたがた遊びに行ったら、おばさんが横浜でも、“べ”を使うんだよ、と教えてくれたんですよ。以外でしたね。

余談ですが、上京して間もない時に“オイラ”に出会いましたよ。東京の〈下町育ち君(くん)〉でしたね。

私の育った北海道では、たしか三橋美智也さんのヒット曲でしたかね 

オイラーはなー 生まれながらの炭坑夫・・・」

と言うのが、ラジヲから流れていましたが、日常の会話の時の“オイラ”はおりませんでしたね。

たいていは、みんな“オレ” “オラ”でしたよ。

これが、“オイラ”とこられては、ちょっと構えてしまいましたね。

北野タケシさんは、“オイラ”をやりますね。東京下町では一般的だったのでしょうね。

続きの余談ですが、突然でありますが、大学1年生の時、英語の時間に、先生に和訳を当てられた〈名古屋君〉が、「畠鼠」と訳した時に起きた一悶着を思い出しました。先生は「野鼠」だろうと言う。いや「畠鼠」だと言って、頑として引かなかった〈名古屋君〉、どうしていますかね・・・。

今でも、名古屋では野鼠が畠鼠なのですかね。

余計なことでした。

北海道では、“・・・べ”は、とにかくよく使います。

“・・・べ”に似た使い方をするのに、

“・・・でないかい”

というのがありますよ。

北海道弁》の代表的なやつですね。

「そうだべさ」とやってもいいのだけれど、

「そうでないかい」とやるわけですよ。

若干 心持ち 柔らかく感じますかね。

大阪の人が、

「そーやろう」とやってもいいところを、

「そーとちゃいますか」とやるのと、ちよっと似ているのではないかい。

それから、

“・・・べ”

“・・・でないかい”

の他に

“・・・でしょ”

というのもよく使われます。

「そーだべさ」とやってもいいのだけれど、

「そーでないかい」とやってもいいのだけれど、

ちょっと、念押し気味になりますかね、

“そーでしょ”とよく言います。

標準語ですと、

“でしょう”

となるところを、“でしょ”と詰めるところがミソですね。

“・・・べ”

“・・・でないかい”

“・・・でしょ”

は、日常会話の基本中の基本ですね。

ちょっと、面白いのに、

“・・・でした”

と言う、過去形のように思われる使用例がありますよ。

夕方の挨拶で、“お晩です”とやります。

これは良く知られていますね。

東北でもよく使われます。

以前、漫才師コロンビア・トップ・ライトさんのトップさんが、「お晩でごぜやす」と言うのを、全国的に広めましたよね。

このごろは、テレビの影響でしょう、北海道でも“今晩は”と言うのが、一般的に使われるようになってきましたが、私の子供の頃は、“こん晩は”と聞くと、内地 = 本州から来た人だと思いましたね。

専ら“お晩です”でした。

丁寧には“お晩でございます”でしたね。

こっちの方が、“今晩は”より、幾分複雑にできてますね。

“今晩は”を丁寧にした形は、どうなるんですかね。

“今晩でございます”とは、よう言いまへんでっしゃろうなー。

これがですね 北海道では、

“お晩です” 丁寧には“お晩でございます”が、

“お晩でした” 丁寧には“お晩でございました”

になるんですよ。

現在進行中のまっただ中で、“お晩でした”は可笑しいですかね。

これだけではありませんよ。

お店屋さんに行って、店頭に目的の品物が見えなかった時、店員さんに、○○ありませんか、と聞くと、奥へ行って、ごそごそやっていたかと思うと、○○と思われる品物を持って来て、

“これでよかったですか”とくるのですよ。

その品物が、目的の品物であった時には、お客は

“それで よかったですよ”とやるわけですよ。

北海道では、これでいいのだ!

「欲しいものがみつかって、いかった いかった」 これは駄洒落。

もっとインパクトがあるのは、電話で、ですね。

電話が鳴ったので、大家さんが受話器をとると

「もしもし、木村でした。大家さんでしたか。」ときますよ。

そうしたら、大家さんは「これはこれは、木村さんでしたか。大家でした。」とやるのが、北海道のマナーというものですよ ?

私ごとですが、故郷の北海道をはなれ、東京に住むようになって、数十年後、用事が出来て、故郷の知合いの○○さんに電話を入れたところ、いきなり

「○○でした」と来ましたよ。

この応答には、しばらく出会っていなかったので、面食らいましてね、おもわず、「そうでしたか」と言いそうになりましたよ。

この動詞の過去形みたいな用法は、過去形なのですかね。

過去形ではなく、何か別の用法ではないのでしょうかね。

国語学の方に聞いてみた方が、いいかもしれませんね。

このごろの若い人は、殆ど使わなくなりましたけどね。

“・・・べ” と 

“・・・でないかい” と

“・・・でしょ” と

“・・・でした”

を旨く使えるようになると、半ば道産子と言ってもいーんでないかい。そだなー 道産子と言っても、いーべ。いーしょ。いーんでないかい。

次に,“なんも なんも”も、よく使われますよ。これを知っておくと、便利ですよ。

力仕事を頼まれたりしてね。「いやー、世話かけたねー。疲れたしょ」と言われたら、すかかさず“なんも なんも”とやるのですよ。

言わずと知れた、いいえ、そのようなことは、ありませんよ、と言う意味です。

いたるところで、御礼を言われたり、労りの言葉をかけられたら、とにかく、“なんも なんも”で、一件落着です。

 

さて、日常の会話の基本はこれくらいにして、特選の《北海道弁》を順番に

見ていくことにしますか。明解単純に、五十音順で行くことにします。

いろいろあるけれども、ア行では、まずは、

“あずましい” “あずましくない”

かな。

ついでに、

“おだる”

もやっておくことにします。

「正月に、兄一家がやって来て、子供が6才を頭に、年子で3人いるの。

お年玉をあげたら、 もう“おだっちゃって”さー、

“あずましくない”のなんのって、もう、疲れたわ。」

よくある光景です。

“おだる”は、調子に乗って大はしゃぎすることです。

濁点のないのは、“おたる”。

“おたる”は、運河の町・小樽ガラスの町。

シャケフライがいいよ。タルタルソース掛けたの。ちょっとお上品に“お”なんかつけたりしてさ。

“おタルタルソース”なんちゃって。駄洒落です。

寿司も旨いよ。

“あずましい”は、のんびりできるさまです。

“あずましくない”は、否定形ですから、のんびりできない、落ち着かない、心安らかでないことです。だから

「正月に、兄一家がやって来て、子供が6才を頭に、年子で3人いるの。

お年玉あげたら、もう“調子に乗って大はしゃぎしちゃってさ”、

“落ち着かない”のなんのって、もう、疲れたわ」

と言うことです。

子供達が“おだって”いる時には、大人は、

“おだるナー”と、どなりますよ。

一家が、帰った後は、

「ようやく“あずましく”できるわ。やれやれ。」

と言うことになる次第です。

次に、

“あずる”

ですかね。

“あずる”なんて、聞き慣れないのを、いきなり引っ張り出されて、“あずり”ましたか。

“あずる”は、<処理に困る> <手に負えなくなる> <手こずる>などの意味で使います。

今朝の大雪でよー。車、下水の溝に突っ込んじゃってよー。周りに、手伝ってくれる人、だーれもいなくてよー。もー“あずった” “あずった”。

と言うように使います。

赤ん坊、二人も押し付けられてよ。泣き喚くやら、ウンチするわで、もー、“あずった”わ。お手上げよ。

なんて、言いますよ。

因に、アナウンサーの“あずみ”さん。帯広市出身の安住紳一郎さんは、“あずる”とは、特に、関係は御座いません。無関係です。強いて言えば、3文字中、2字が同じです。蛇足ながら。北海道繫がりで、ちょっと、出場してもらいました。悪しからず。ほんのヒマ潰しです。

次に、

“あっちゃこっちゃ”

にいきますよ。「あちら こちら」・「逆」の意味で使いますよ。

「うちの父ちゃんは、何時も“あっちゃこっちゃ”ほっき歩いてばかりいる。」とか、

「うちの子は、すぐに靴を左右“あっちゃこっちゃ”にはくのだから。」

などと使います。

また、

 

“あっぺ” “あっぺこっぺ”

も“逆”の意味でつかいますよ。

ついでに、

“あっぺくさい”(“あっぱくさい”)

をやっておきます。

“あっぺ”に、臭いが着いたら “あっぺくさい”(“あっぱくさい”)となります。

これは、上の“あっぺ”(“あっぺこっぺ”)とは、関係ありませんよ。

注意して下さい。“あっぺこっぺくさい”とは、言いませんから。

“あっぺくさい”(“あっぱくさい”)はですね、

“あっぺ”とか“あっぱ”と言われる物があってですね、これが腐るとすごい悪臭を発するのですよ。てなことは、嘘ですよ。

“そこにあるでしょう”と言うことを“そこに あっぺ”と言う栃木弁とも関係がありません。念のため。

余計なこと言うなって。ゴメン。

“あっぺくさい”(“あっぱくさい”)はですね、

“簡単だ”・“すぐ出来てしまう”・“相手にならない”などの意味で使います。

「鉄棒で逆上がりできるかい」と聞かれたら、

“そんなの あっぺ(ぱ)くさいよ( = 簡単だよ・わけないよ)”とこたえるわけです。

「○○君と相撲をとったら、勝てるかい」と聞かれたら、

“あー あんなやつ あっペ(ぱ)くさいよ(= 相手にならないよ)”とこたえるわけです。

くれぐれも、「北海道に行って、“あっぺ”食べさせられて、臭かったー」

などと言わないように。

因に、“コッぺ”(= コッペパン)に、アイヌネギ炒めを挟んだのは、臭いよ。

ただし、これをコっぺ臭いとは、言いませんよ。

が、しかし、

“コッペクサイ”

は、御座いますよ。

これは、「おませ」「おしゃま」「こまっしゃくれている」の意味で使います。

「姉の子供が、まだ、3歳なんだけれど、これが“コッペクサイ”のよ」などと使います。

似たようなニュアンスで、「こなまいきだ」と言うような意味合いで、彼方此方で使われているようですね。

次に、幾分まとめて行きますよ。

“あっこ” 〈あそこ〉

“あったこった” 〈あれこれ〉

“あったらこったら” 〈あれこれ〉

“あったらこと” 〈あんな事〉

“あったらとこ” 〈あんな所〉

“あったらばっこ” 〈あんな少し〉

“あったらやつ” 〈あんな奴〉

いずれも、幾分、少々荒っぽい表現になりますなー。

気の置けない同士で、よく使われますよ。

例えば、“あったらばっこ”〈あんな少し〉は、

この間は、タラコをごっつおさんだったねー。いやいや、“あったらばっこ”なんも なんも。

となります。「この間は、タラコを頂きまして、ご馳走さまでした。いえいえ、あんな少しばかり、なにも礼を言われるほどの事では御座いません。」と言ったところですなー。

次は、

“あまされる”

に行きます。

“あまされる”は、

〈持て余される〉・〈仲間に入れてもらえない(仲間はずれにされる)〉と言うような意味で使われます。

引いては〈嫌われる〉に近いニッュアンスを持っているようです。

年寄はいつも余される。余され者だ。」(「年寄は何時も仲間に入れてもらえない。厄介者だ。」)と嘆くのである。

「あいつは、ごごとばかり言っている“余されもんだ”」(「あいつは、こごとばかり言っている厄介者〔嫌われ者〕だ」)。

“あまされたら”あまりいい気持ちはしないものです。

次は、

“あめる”

に行きます。

“あめる”は、アメをなめることです。ウソです。

雨が降ることを言うのです。これもウソです。

毛糸買って来たけど、マフラー編める? この<あめる>とも、違います。

「このところ蒸し暑くて、雨続きだったので、この飴、“あめた”かなー。」

「雨だったからと言って、飴は、“あめ”ないべさ。」

「今日は、蒸し暑かったので、おかずが“あめた”みたいだな。ほら、糸引いてるよ。納豆が。」

納豆は、“あめ”なくても、大体糸引いているんでないかい。」

などと使います。

“あめる”は、〈腐敗する・腐る・いたむ〉の意味で使います。

知らない方だと、見当がつき難い方言ですね。方言らしい方言です。

次は、

“あんべえ”

です。

これは、<具合>の意味で使います。

「あんべえ 良い」は、具合が良い、調子が良い、体調が良いの意味です。

「あんべえ 悪い」は、具合が悪い、事情・体調などが不調なことです。

 

それでは、あまり長くなると、「あんべえ 悪い」と思うので、本日は、これで終りとします。

ア行から始めて、ア段で終りです。

次ぎは、イ段からやりたいと思います。

ヒマ潰しになりましたでしょうか。

どうもお疲れさまで御座いました。

またのお越しを、お待ち申し上げます。