《停念堂閑記》98
「日比憐休独偏記」29
「嗚呼!“常識”」
本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。
厚く御礼申し上げます。
遠路はるばるかどうかは、存じ上げませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。大歓迎で御座いますよ。
と申しましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。
ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。
粗茶の一杯すら出ませんよ。ポイントだって付きませんから。
このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。
しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。
強いて、幾分カッコ付けて申し上げますれば、心の問題とでも言いましょうかね。
おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。
まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めまして、サー今日一日、どのように過ごすか、生きて行くか。と言う難題のもとに日々をお過ごしの方々も多くいらっしゃられるのではないでしょうか。これをしなければ、と言う特別なすべき事も無く、何処へ顔を出しても、歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を生きなくてはならない、と言う宿命のもとに、とにかく惰性でと申しましょか、とりあえず生き長らえておられる方、このような方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。ヒマ潰しになりますよ。
話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、笑い話で御座います。深刻でないところが、取り得ですよ。
夜、寝られなくなったりしませんからね。
もー、聞いてすぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。
なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。
お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。
しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。
手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。
至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。
張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。
打倒、ヒマ!
A A O! エイエイ、オー!
ヒマ潰しとは申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。
今日の視点は、小言幸兵衛で参りますよ。
小言は、年寄りの日々の楽しみ。オオゴトには取り組みませんよ。
何かに付けて、ゴタゴタ、ゴチャゴチャ、ブツクサ言ってやりましょう。
さー、御一緒にストレス解消に励みましょう。
蛇足ながら、ストレスの解消は、ストレス発生の根源を見つけ出し、それを排除することが肝心だと思います。
判り易いように、単純化して見ますと、一般的に、ストレスの根源がストレスを感ずる自己・本人にある場合、自己・本人以外の他者にある場合、自己・本人と他者の双方にある場合の3パターンが考えられますな。
あるストレス発生の根源が、そのストレスを感じている本人にある場合は、これは、論理としては、当の本人がストレスを感じないような性格に変わる以外に方法が御座いませんな。
よく見られるケースですが、特定の同環境にいながら、Aさんは溌剌と活動している。かと思えば、Bさんは、面白いのか面白くないのか判らないが、普通の活動を続けている。ところが、Cさんは不満タラタラで、その捌け口もなく、悶々とストレスを溜め込んでいる。
このような状況の場合は、一概に環境に問題有り、とは言えず、それぞれの個体の性格に問題があるのではないのか、と言うことが考えられますな。
従って、この場合 、Cさんは、自己の性格の改変に取り組む必要が感じられますな。
すなわち、ストレスの根源が自己・本人にある場合は、その本人がストレスを感じない性格に変わるよりない、と言うことですな。
一方、ストレスの根源が他者にある場合は、その他者を排除したり、改変させなければならない、と言うことになりますな。
しかし、これは自己・本人の意識改変とは異なり、現実的には、多くの場合、他者を排除したり、改変させると言う事は、中々容易な事ではありませんな。
特に、当該他者が単体ではなく、複合体の場合、たとえば「会社」だったり、ひっくり返った「社会」の場合などは、その排除や改変は、相当無理だと言うより御座いませんな。
もっとも、「会社」・「社会」が、より多数の方々にストレスを感じさせないように努力する事は、申す迄も御座いませんよ。
と言うことで、ストレス解消は、現実的には、自己・本人の意識改変を図るより手っ取り早い適当な方法が見当たりませんな。他者に期待しても、中々思い通りに進めることは、容易では御座いません。
そこで、自己・本人の意識改変と言うことになりますが、これに効果的なとっておきの情報を、本日は特別に、お教え致しましょう。本日(本日は常に存在しますが)限定でお教えしましょう。
特段難しいことは、全然御座いませんよ。
偏見と独断で甚だ申し訳御座いませんが、ただ、「停念堂閑記」を開いて頂く、これだけで、いいのですよ。
これ、“常識”ですよ。???
と言うことで、本日のヒマ潰しのテーマ、“常識”に、漸く到達いたしました。本日のヒマ潰しのネタは、“常識”と言うことに決定。
それでは、行き当たりバッタリで参りますよ。
バッタリ倒れて、皆様に見放された時が、この話の終りの時ですからね。
4649! 四六四九! ヨロシク!
低次元的ダジャレでこざんす。面目ござんせん。
時に、今時の“常識”とは、どういうことなのかなー、なんて思ったりすること御座いませんか。
テレビを見ていて、もはや自分の“常識”に、地震、いや自身、いやいや自信が無くなる思いをすることは、御座いませんか ?
そもそも、“常識”ったー、なんだ ? と言うことになるとですね。
私の凡人的“常識”では、ですよ。
誰しもが、「これは、こういうものだ」、と認識していることではないのかなー。なんて、思うのですよ。
いきなり、「誰しも」の「誰」とは、ダレだ ? なんて聞かないで下さいよ。
スタート時点で、いきなりコケてしまいますからね。
まー、言ってしまえば、誰でもいいのですよ。要するに、日常普通にその辺におられる、一般の人々ですよ。あえて申させて頂けますならば、いちいち屁理屈を捏ねない、甘い物を甘いと感じ、辛い物を辛いと感じ、それを甘いよー、辛いよー、と素直に表現出来る御方ですよ。これが、ここで言うところの「誰でも」に相応しい正体と言うことにしたいのですよ。
何でも彼でも、いちいち突っかかってくる、“非常識”な方ではない、素直な御方のことですよ。でないと、話が前に進みませんから。
エッ! 進まなくても良いではないかって、ですか。
そりゃーまー、何が何でも進まなくてはならないと言う、法律がある訳では御座いませんし、どうしても、進めなければならない、と言うような、緊急・重要な意味を有する訳でも、御座いませんので、進まなくても、一向に差し支えはないのですが、それでは、ヒマ潰しにならないので、この視点からは、進めた方が良いのですよ。と言うことで、進めさせて頂く事に致しますよ。
さて、“常識”とは、一般的には、義務教育レベルで学んだ知識や世間を渡って行く時に必要とされる、誰しもが「それはそう言うものだよ」と認識している事柄と言うことが出来るのではないでしょうか。
別の表現をすれば、誰しもが当り前、当然の事だよ、と思っている事柄と言えるでしょうな。
明らかに変わった方々、すなわち偏屈者の“常識”ではなく、平均的な極めて平凡な一般人の “常識”と言うものですよ。
そんなこと、いちいち改めて言われなくとも、判ってるよー、ですって。そんなこと“常識”だよって、ですか。
そーです。そーです、“常識”ですよ。
他にも、色々な視点から、色々なご意見も御座いましょうが、ここのヒマ潰しの場では、こう言うことにして、話を進めたいと思うのですよ。
さて、“常識”とは、義務教育レベルで学んだ知識と一言で言ってもですね、これがみんな同じかと言うと、そうとは限らないところが御座いますよ。これ“常識”ですよ。きっと。
年齢によって、学校教育で学んだ内容が、同じでは御座いませんからね。
私事で恐縮で御座いますが、終戦間もない、昭和25年に小学校に入学し、せっせと学校には行きましたので、何とか落第はせず、同34年3月に、中学校を卒業し、義務教育の課程を終えました。したがって、小生のここで言う義務教育で学んだ知識的“常識”の正体は、昭和25年から同34年頃にかけて、小・中学校で学んだ事柄となる訳ですよ。
ところが、この時期には、私にはちゃんと勉強して、立派な常識人になろうなんて言う意識は、全く無かったと言って、良いようです。自慢する訳では御座いませんがね。このような意識で勉強した記憶なんか、とんと御座いませんから。学校では、授業時間中は、座席について、何となく先生の話を聞いてはいましたよ。きっと。
だけど、頭の中は、速く授業終了のベルよ鳴れ、休憩時間に、放課後に、なして遊ぼうか、と言うことくらいしか考えていなかったでしょうな。
だいたい大人になったら何になりたいと言う明確な目的的な意志はあまり無かったと思いますな。専ら眼前の楽しみが最大の関心事だったように思いますよ。
したがって、“常識”に繋がる知識獲得とは、ほど遠い存在にあったことは確かで、結果的に知識は乏しい部類に属する存在になったと思われますな。
まー、大雑把に言うならば、義務教育での知識の収得率は、おまけして50%と言ったくらいですかね。習ったことの半分くらいは、なんとか身に付いたというあたりではないでしょうか。大目に見てですよ。自己には甘く、大いに贔屓目に見てですよ。
しかし、ですね。こうして身に着けた義務教育による知識的“常識”ですが、これが、その後の度重なる文部省・文部科学省による教育課程の改変によって、その内容は随分変わって来ていることでしょうね。
1+1=2と言うことは変わっていないでしょうが、私らの習わなかった新知識が、沢山盛り込まれているのでしょうな。かつて得た小生の“常識”的知識は、もうすっかり“非常識”と化してしまった部分も多いのでしょうなー。たまりまへんなー。ほんま。とても、“常識人面”している場合ではないのかも知れませんなー。やばいよ。
そして、これに高校で5%くらい、大学でまた、5%ほど上乗せし、なんとか、一般人の60%くらいの知識的“常識”を獲得したのではないのかなー、なんて思いたいものですよ。自己贔屓すぎます?
まー、まー、すれすれで合格としてもらえませんかねー。
エッ、ヤッパリ駄目! 現実は、厳しいネー。
知識的な“常識”はこれくらいにさせてもらうことにしまして、世間を渡って行く時に必要とされる、誰しもが「それはそう言うものだよ」と認識する“常識”(ここでは、“世渡り的常識”と称させて頂きます。)に話を移して参りますよ。
と申しましても、この“世渡り的常識”は、色々な事象について、一様とは参りませんので、ここでは、最近気に掛かっている僅かな局面に関する“世渡り的常識”に限って、見て行くことにしますので、ご了解下さいませ。
要するに、義務教育で学んだ知識的“常識”以外の世間を渡って行く時に必要とされる、誰しもが「それはそう言うものだよ」と言う“世渡り的常識”は、知識的“常識”とは、甚だ性格を異にするものであり、何を持って“常識”と判断するかは、中々難しい性格を有するところがあると思われるのですよ。
個々人の性格、価値観、立場などによって、この“世渡り的常識”は、異なりますからね。個々人の性格、価値観、立場などが違えば、ある対象に関する“常識”も一様とは言えない現実があるようですよ。
ちょうど、先日、水泳のホープ池江璃花子さんが白血病であることを公表したというニュースが流れましたが、このことについて、皆さん一様にびっくりしたことでしょうね。そして、このことについて、池江さんの病状をまず第一に心配され、適切な治療をなさって、とにかく元気になって貰いたい、と願った方々が沢山おられたでしょうね。
このような願いは、“世渡り的常識”としては、全く当然の“常識”中の“常識”ということでしょうね。
ところが、ところが、「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている。早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、 下火にならないか心配している」と言う発言の一部分を切り取られて、話題にされたオリパラ担当大臣さんがいますなー。サイバー担当大臣も兼務している桜田義孝と言う人物ですよ。
この発言は「早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。」と言ってはいますが、それは池江さんが「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手」だから、「1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、 下火にならないか心配している。」と言う見地から発せられたもので、“常識”ある人間的立場から、池江さんの病状について心配いている訳ではないように聞こえる。また、白血病の患者さんに対して、甚だ失礼である、と言うことで問題にされたようですなー。
そして、同様の見地から、「がっかりした」と言う、部分が特に、けしからんとされたようですなー。
池江さんご本人にとっては、命に関る極めて深刻な事態なのですよ。
そこに、金メタルを取れなくなっちゃって、「がっかりした」は無いでしょう、と言うことになるのでしょうなー。
このようなタイミングで、国務大臣と言う重職にある人の発言としてあるまじき発言、と言う視点で、メディアが大々的に取り上げたわけですなー。
一般的な“常識”から著しくずれている、と言うことのようですな。
桜田大臣の発言には、色々と望ましからざる前歴がありますから、より一層風当たりが強かった事情もあるのでしょうね。
見方によっては、どうも、非人間的な御祖末極まりない不用意な発言と評されても、あながち致し方ないところがあったのかも知れませんなー。
皆さんの“常識”的な判断ではどうでしょうか?
しかし、一方では、桜田大臣の今回の発言は、何ら問題ないのでは、と言う見方があるようですな。桜田大臣の発言の全体を見れば、池江さん、また、他の白血病の方々に対して、マスメディアが騒ぎ立てるほど、無礼なものではございませんよ。と言うことの様です。小生も、所詮はメディアを通して得た情報ですが、大臣の発言全体を聞けば、特に咎める必要は無いのでは、と言うように感じましたね。
多くのメディアでは、大臣の発言中の「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている。」・「1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、 下火にならないか心配している。」と言った部分だけを切り取って、繰り返し繰り返し報道しましたね。
これは、メディアが好んでやる手法の一つです。これは、もはや“常識”と言って、いい手法でしょうな。
不用意な発言をする輩には、社会的制裁を加えなければならない。それがメディアの使命だ。といわんばかりに、毎日毎日、特にいわゆるワイドショーでは、バラエティー要素も加えて、しつこく取り上げていましたね。
しかし、今回の桜田大臣発言に関する、部分的な切取り報道については、対象となるメディアは、多いに反省した方が良いのではないのか、と言う感想をもちますね。
多分、日比憐休の独断と偏見の限りでは、桜田大臣の言動については、常々色々問題ありとすることが多かったようなので、チャンスがあれば、直にやり玉に上げて、とっちめてやらなくては、と言う、メディア側の強い欲求があったのでは無かろうか、と思うのですよ。
以前には、サイバー担当大臣なのに、 “バソコンを打った事は無い、云々”、発言、さらにUSBメモリーも知らず、答弁に当たって、官僚さんから耳打ちされて、“穴にいれて使うものらしい、云々”と言うような愚劣極まりない発言をして、国会に嘲笑の渦を巻き起こし、また、今回、国会で、野党議員から「オリンピック憲章」を読んだ事があるか、と言う質問に対して、“「オリンピック憲章」なるものがあると言う話は、聞いた事があるが、読んだことはない。”と悪びれることもなく、恥じ入る様子もなく、平然と答弁していましたなー。ちょっとくらい面目無いと言う素振りでもあれば、僅かながらの可愛げもあろうと言うものの、それがどうした、と言う態度ではねー・・・。
“常識”を疑うよりありませんわなー。
この方「日本国憲法」を読んだ事はあるのかねー。よもや読んだ事も無いのに、改正すべきだ、などと力説しているのではないでしょうなー。
ひょっとして、だったりして・・・。
余談になりますが、では、お前は読んだ事あるのか、と言われますと、トホホホホー、面目次第も御座いません。
さすがに、読んだことはあるにはあるのですよ。読んだと言うか、見たと言うべきか、その辺りの表現が微妙ではありますがね。大学時代、教員免許を収得しようと、教職課程の授業を受けたのですよ。この時、「憲法」と言う教科が、必修科目であったために、履修しなければならなかったので、ちゃんと履修して単位をもらいましたよ。
と言うことで、この時に「日本国憲法」を読むには読んでいるのですよ。ただし、ちゃんと内容を理解し、記憶に残っているのか、と言うと、これがまさに、トホホホホー、面目次第も御座らぬと相なるわけなのですよ。
しかし、読んだ事があると言うか、見た事があると言うのが正しいのか、その辺は、・・・・ですが、全く無縁であった訳では御座いませんよ。
だからどうだ、と言われると、面目次第も御座らぬとなってしまうのですよ。
ところで、話を戻しますが、桜田大臣の国会答弁にかかわり、実に、質問者との間の遣り取りは、もはやコントだ、と評すとあるテレビ番組のコメンテータがいましたね。
桜田大臣は、一般人の“常識”からすれば、そうとうヤバイ感性のお持ちの方のように思われますなー。
《予算委員会での質疑応答の概要》
質問者の野党議員 「桜田大臣は、パソコンを使えるのか?」
桜田大臣 「パソコンを打った事は無いが、部下に命じてやらせるから、問題
はない。」(ウソをついてはいないようだ)
・・・桜田大臣、USBメモリーが何なのか知らない様子で、答弁にまごつく。
・・・官僚から、USBメモリーについて、耳打ちがある。
〜 これを受けて、
桜田大臣 「穴に指して使うものらしいが、それについて説明が必要なら、詳
しい者がいるから、呼んで説明させようか。」(ウソをついてはい
ないようだ)
質問者の野党議員 「大臣は、オリンピック憲章を読んだことがあるか?」
桜田大臣 「“オリンピック憲章”なるものがあると言う話は、聞いた事がある
が、読んだことはない。」(ウソをついてはいないようだ)
・・・その後、翌日・・・
質問者の野党議員 「大臣、今日は、オリンピック憲章を読んできたか?」
桜田大臣 「今日は、読んで来た。」(真相は、判らない)
蓮舫議員の五輪の経費についての質問に対して、これには、桜田大臣、官僚から受け取ったカンニングペーパーを見ながら、「1500円」と具体的に答弁しましたよ。「れんぼう」さんとう言うツッコミ?も、忘れてはいませんでしたが。
これは、「1500億円」が正解だったのですよね。
1500億円の事業を頼む時は、桜田商会に頼みましょう。1500円でやってくれますよ。きっと。
この失敗答弁は、国営放送の実況中でしたから、反響が大きかったですね。答弁席の映像には、当然、その周辺も写っていましたよ。宣伝看板か選挙の売名のための看板かで、以前に大分虐められていた問題の女性議員が、桜田大臣の「1500円」答弁の時に、同じ画面に写っていましたね。問題の女性議員さんも、爆笑していたのを日比憐休は見逃しませんでしたよ。国会議員さんは、同類相哀れむことは無いようですなー。
議員に質問され、以前からオリパラ招致に対して尽力して来ていたから、
と答弁している経緯があって・・・
質問者の野党議員 「桜田氏は、2020東京五輪の招致に、特に尽力したと言
うことは無いのではないか。桜田氏がオリパラ大会に関
り出したのは、副文部科学大臣になってからではないの
か。副文部科学大臣の職についたのは何時か?」
桜田大臣 ・・・何時か、具体的なことは判らないらしく、一瞬戸惑いながら
も、答弁しようとする素振りをみせた。お付きの官僚が耳打
ちしようとして、ペパーをめくったりして、ゴタゴタしてい
た時のできごと・・・
・・・予算委員会委員長(議長)のひとこと。答えようとする桜田大
臣の素振りを見て、本来、「桜田大臣」と答弁の指名をする
はずのところ、図らずしも出でしまったひとこと・・・
議長 「・・・知ってるの ???」
と、言ってしまったノダ。なかなかのタイミングだったノダ。官僚が紙をめくったりしていて、ザワザワしていたが、日比憐休は聞き逃さなかったノダ。
なかなか笑えるでしょう。
この後、安倍総理は、桜田氏がオリパラのことに関ったのは、副文部科学大臣になって以後のことだ、と前言取消しに及んでいる。ウソをついていたのだ。
ウソを言っても、後で前言を取消して、曖昧な表現で一言謝ったような事を言えば、無かったことになるですよ。
取り消したとは言え、ウソを言った事実は消えませんよ。
これで、安倍総理による桜田氏の五輪大臣に抜擢した根拠については、もーチャラですよ。野党議員による、それでは桜田氏を五輪大臣に抜擢した理由は何か、と言う追求もチャラ。これで終止符。
この質疑応答は何だったのかな。単なる時間つぶしか。
いつも、失言に対しては、前言取消し、謝罪のような曖昧の一言で、野党側は納得。満足げですが・・・。
これ、国会議員間の“常識”なのでしょうな。
さらに、この後、桜田大臣、予算委員会の開会時間に遅刻した。野党は待ってましたとばかりに、これを理由に審議拒否。御陰で、予算の審議、成立が予定より遅れることと相なった。
この事態に、桜田大臣の弁解。“他の委員の皆さんも、会議に遅れてくるではありませんか。私は、それに合わせたのだよ。”
あややややー・・・。また、やってもた。
このような事は、国会議員の“常識”中の“常識”ってか???
関係者一同、吉本興業に移籍しては・・・。 国会開催の前座でコントを披露すれば、国会のテレビ視聴率が、グンとあがりますよ。きっと。
もっとも、国会本番の方で大いに笑かしてくれてるか???
もはや、《桜田問題外の変》ですなー。
桜田大臣恐るべし。この方の“世渡り的常識”は、とびっきりユニークですなー。一般“常識”からして、この方の物議を醸し出した発言は、数知れずの状況ですよ。単なる表現に問題があるなどと言って済まされることではなく、間違いなく、人間性、人格に関るところがありそうな問題と評されても仕方が無いところがあるようですなー。
ただ一つ救いがあるとすれば、誰かさんのように、作為的なウソは言わないタイプのようですな。このような印象から、選挙区の有権者の票を集め、当選を重ねているのですかね。
その道の専門家とされる方々が、テレビのワイドショーで、「政治家の素質の第一は、言語表現力にある。」と口を揃えて申されていましたね。
要するに、政治家に求められる素養は、当該事象に関る表現能力にある、と言う見解を示しておられましたな。政治家の素養は、表現の上手下手にある。と言うご見解のように聞きました。
早い話が、今度の桜田大臣の「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている。早く 治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、 下火にならないか心配している」と言う発言は、政治家として、相応しくないものである。表現がなっていない、と言う評価のようですな。
「早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。」と言う部分だけでよく、政治家としては、後の発言は不要だ。と言うご意見で一致していましたな。
しかし、政治家の素養を、話の表現の上手下手で判断すべきなのかなー。なんて思っちゃったりするのですよ。
すなわち、ある事象について、発言する時に、差し障りがない表現をするのが、政治家としては、最も大事なのだ。と言うことですよ。
要するに、桜田大臣の発言に関して、テレビのワイドショウに出演されている政治評論家的な面々は、「桜田氏は、余計な発言が多い。黙っていれば問題ないのに。」と言うご意見でしたなー。
余計な(具体的な)ことに言及せず、問題となりそうな事には、口をつぐみ、曖昧などうとでも解釈される、後に弁解が上手く行くような表現をする人が、政治家として相応しい、と言う事なのでしょうかね。
ちょっと、ちょっと。ちょっと違うんじゃーねーの。と言う気がするのですが。
皆さんの“常識”ではどうでしょうか。
本質には触れず、うまく取り繕ってた表現で、その場凌ぎの巧みな人が、皆が期待する立派な望ましい政治家なのでしょうかね。
“常識”的に、どうでしょうか。
長らく政治の場、政治家と言われている人々との付き合いが深い人にとっては、これは“常識”なのでしょうかね。
これを視聴した人達が、この道の専門家がこのように評しておられるのだから、政治家の素養は、表現力にありとするのが、“常識”なのだなー。なんて思われたりしたら・・・。
メディアの影響力は大ですからねー。メディアは恐ろしいですよ。“常識”メーカー的存在ですからねー。
と思うのは、“非常識”ですかねー。
表現をもって、疑わしき核心をだまくらかす人よりも、表現は上手でなくとも、正直に事実を話す人こそ、政治家の素養として求めるべき像ではなかろうかと、思ったりするわけですよ・・・。
しかし、ですよ。与党自民党は、言うまでもなく人数的には第一党ですよ。他のどの党よりも圧倒的多人数の国会議員を抱えているのに、よりによって、どうして,このような人格の方が、オリパラ・サイバー担当の国務大臣なのですかねー。
選りに選ったのは、言う迄もなく、安倍総理ですよ。桜田大臣の失言、暴言の類のことが問題として取り上げられ、任命責任を問われた安倍総理の答弁は、何時もお決まりの“適材適所による人選。今後も一層その職務に励んでもらいたい。”と言うものですよ。なんか、嘘くさい誠意が無い感じかするのですよね。
以前には、北方担当大臣が、返還を要求して約70年にもなると言う、北方領土問題の4島の名前すら知らなかったようで?、釧路来訪の折、挨拶にあたって、事務方に書いて貰ったいわばカンニングペーパに書かれている、問題の4島の名前すら漢字で書かれていたので読めなかった御祖末極まりない大臣がいましたが。
因に、歯舞、色丹、国後、択捉が問題の返還要求の4島です。
蛇足ながら、漢字では読むのに難儀しますので、カタカナ書きにして、千島列島を列記しますと、エトロフ島に続き、ウルッブ、チリホイ、ブロトン、シムシル、ケトイ、ウシシル、スレデイワ、ラショワ、マツワ、ライコケ、ムシルレツ、シャスゴタン、チリンコタン、エカルマ、ハリムコタン、オンネコタン、マカンル、シリンキ、パラムシル、シュムシュ、アライド島と続きまして、カムチャッカ半島に至りますよ。退屈しておられる方は、これをソラで言えるように練習してはいかがでしょか。ヒマ潰しにはもって来いですよ。言えるようになるまで、とにもかくにも、しっこく毎日毎日訓練し続けると、言えるようになりますから。円周率を諳んじるより、易しいと思いますよ。
諳んじたから、どうなのだ、ってですか。
ヒマ潰しに、最適と言っているのですが・・・。
安倍総理は、この北方担当大臣の資質を問題化された時に、多分“適材適所による人選。今後も一層その職務に励んでもらいたい。”と言うことで済ませてしまったのではなかったですかねー。???
この辺りの“常識”って、どうなってんだ ??????
話は飛んで、安倍総理は、トランプ大統領を、ノーベル平和賞の候補者として、御推薦なさったとか。トランプ大統領は、えらくご満悦。記者会見で堂々と発言されていましたねー。
一方、安倍総理は、これを記者から質問された時、ノーベル平和賞の推薦に関る事は、公表すべき事ではないとされている事だ、とコメントしてましたよ。否定はしていませんでしたよ。
もっとも、トランプさんが、既に公言してしまってますけどねー。
総理は、お友達関係には、心配りが手厚いようですなー。加計学園問題の時といいね。
これ、総理としての“常識”中の“常識”なのかなー???
一所懸命に活動しているところも御座いますがね。
もとより、国会は、一般庶民からすれば、“非常識の場”と、見られているところが御座いますよ。その国会議員のトツプの座にあらせられるのが内閣総理大臣ですから・・・。嗚呼!!!
前述のように、「甘い物を甘いと感じ、辛い物を辛いと感じ、それを甘いよー、辛いよー、と素直に表現出来る御方々」とは、ほど遠い存在の方々の集団が、[国会議員]さんと呼ばれている方々に沢山存在しているようですなー。
中には、そうではない変人?も、おられる事はおられる事でしょうが・・・。
一般人の“常識”とは、ほど遠い、党利党略・私利私欲に徹した集団のようですなー。これ“常識”と言って、いいですよねー。
ここから出て来る政策は、選挙対策、票集めに繋がるのものばかり・・・。
嗚呼!
もっとも、その国会議員さんと呼ばれている方々を選出したのは、他ならぬ国民、有権者ですからね。なんとも、どうにもならないところがあるようですな。
日本では、ご存知のとおり、代表民主制(間接民主制)がとられていますが、これは立派な方が立候補していなくては、鼻から民主的政治なんぞ、期待できるものでは御座いませんよね。
国政選挙の時に、投票場へ出向いても、いざ投票用紙に名前を書こうと言う時に、この人は、私らの代表として信頼できる、と言う人が立候補者の中にいるかと言うと、・・・? ? ? なんだから。国会議員を選出するスタートの段階で、もうどうにもならない事態にあるのですから。代表民主制(間接民主制)は、ピンチなんですよ。きっと。
さらに、有権者の“常識”はと言うと、ほとんどマスメディアによって作られたと言って良いような“常識”の様ですので、なんともねー。
立候補者も有権者も、“常識”ある存在にならなければならないと言う要求が御座いますよね。
では、どうすれば良いのか、と言うと、一つの答えは簡明ですよ。
それは、“常識”ある人材を育成すれば良い、と言うことですよ。
では、どうすれば良いのかと言うと、それは適切な教育が必要である、と言うことでしょうね。
ここ迄は、実に簡単明瞭なのですよ。
ところが、これを具体化する、と言う段階になると、途端にブレーキがかかってしまうのですよ。
何をどう教えるか、と言う段階で、この点に関する価値観があまりにも多様化している現実なので、教育内容を具体的にどのようにするのか、これが中々決められないのですよ。この問題にぶち当たるわけですよ。
特に、義務教育の場では、これが甚だ困難なのですよ。
方法がない訳ではないのでしょうが、多数の合意を取り付けるのは、至難のことでしょうね。
答が比較的明確な知識的“常識”を教えるのは,問題ないのでしょうが、“世渡り的常識”となるとねー。
独裁主義・社会主義・共産主義の社会で行われているような特定の価値観を押しつけようとするのは、勿論問題が多いですよ。
だったら、多様な価値観を易しく教えれば良いのではないのか、と言うことになりますねー。
論理としては、多様な価値観の存在を教えれば良いだけのことなのですがねー・・・。この合意を取り付けるのがね・・・。中々。
しかし、義務教育9年間もあるのだから、計画的にやれば、かなりの効果が期待されると思われるのですが・・・。
最大の問題は、“やる気”があるか、どうか、と言うことに尽きるようですな。
誰が、“やる気”を持てば良いのですかね。
総理大臣? 内閣? 文部科学大臣? 同省? 国会議員? など司法・行政関係の面々に期待できますか?
現在の“常識”では、とてもとても期待なんて・・・ね。
では、他に何処に期待すれば良いのか、と言うと、申すまでもなく、教育関係者が候補に上げられますなー。しかし、ここでの、この種の合意を取り付けるが、最も困難なのでしょうなー。
教育の現場で教壇に立つ方々の合意無くして、この種の事は成立しませんからね。
司法・行政の段階では、いざとなったら数にものを言わせて、特定の法律を定め、実施すべく体制を成立させることは可能かも知れませんが、それを実施する方面での協力無しでは、意味が御座いませんからね。
しからば、どうすれば良いのだ。なんか方法がこざいませんかね。
最後の手段は、“国民”に期待するよりないのでしょうなー。
“国民”が、本腰を据えて、将来を心配する存在にならなければ、事態の改善は望めないのでしょうなー。
しかし、こっちも、現在の“常識”では、とてもとてもねー。
このような事柄に関する国民の関心は、どうも今一薄いのではないでしょうか。
国民の多くは,どうしても目先の事柄が、関心の中心となってしまうのですよ。遠い将来のために行うものは、どうしても見え難いのですよ。目先の入学試験には、やっきになれますがね。30年、50年先を想像することは、中々ねー・・・。
前途多難であります。
しからば、義務教育では駄目となれば、私塾でやればいいのでは?
しかし、決定的な問題があるのですよ。
誰が好んでこんな塾に通って来る“常識”人志望者がいますかって言うことですよ。よっぽどのもの好きで無い限りねー。
すなわち、これも“国民”の自覚が薄いので、実現化は困難なのですよ。
大体、このような“常識”教育の場に、足を運ぼうなんと言うお方は,多分既に“常識”人の有資格者でしょうからね。これでは、意味がないのですよ。
ただし、ヒマ潰しには適していますよ。きっと。
最後の切り札は、かくなる上は、頼みの綱は、《池上さん》ですよ。
もー、頼みますよ。池上さん。
先ずは、お母さんと幼児を狙いましょう。
既存番組のバクリで良いですから、“ママさんといっしょ”“パパさんといっしょ”と言う番組を作って、親子共に“常識”教育をしてはどうでしょうか。
いやいや、ヤッパリ“池上さんといっしょ”がいいかな。
池上さんは、以前国営放送で、子供向けのニュース解説的な番組を担当されていたのだから、経験的には全然問題御座いませんよね。
幼児のころから、「甘い物を甘いと感じ、辛い物を辛いと感じ、それを甘いよー、辛いよー、と素直に表現出来る人」の育成を目指して、「これは、こういうものだ」、と判断できる人材を育てることに、一肌脱いで頂けませんかねー。
何も、最初から小難しい内容を教え込まなくとも良いのですよ。
“常識”的に、こう言う事をやってはいけませんよ、こう言う事を進んでやるようにしましょう、とか極めて“常識”的なことが身に付く教育をすれば良いのですよ。
そんなことは、本来親がやるべき事かも知れませんが、中には、躾と称して、暴力を振るって、自分の子を死に至らしめるような親が時々現れて、世間を騒がせている昨今ですからね。親の方に対する教育が必要な現状もあるのですよ。
国政選挙に当たっても、ちゃんと自分等の代表として相応しいと思われる候補者の名前を投票用紙に書く事ができる“常識”的な判断ができる有権者になれるような“常識”的教育をお願い出来ませんかね。
みんなで、お願いしましょう。
池上(いけがみ)さん。お願い致します。
池上(いけがみ)樣。お願い致します。
いけ神樣。なんとかお願い致します。
結局、最後は神頼みより御座いませんなー。
突然で御座いますが、ここで、“バッタリ”で御座います。
と言うことで、最初にご案内してありますように、行き当たりバッタリのヒマ潰しの話で御座いまして、バッタリ倒れて、皆様に見放された時が、話の終りの時ですからね。
ちょうどこのあたりが、“バッタリ”の状況で御座います。
いくらヒマ潰しとは申せ、かなりヘキエキ、ウンザリと言うストレスが充満しておられる事でしょう。察して余りあります。
但し、幾分のヒマ潰しにはなったでしょ。
どうもお付合い下さいまして、お疲れ様で御座いました。有り難う御座いました。こりずに、またのお越しを期待しております。
お後がよろしいようで。