《停念堂閑記》103

 

「日比憐休独偏記」31

 

「新元号あれこれ」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。

遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方はいないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。

とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。

もっとも、ロケットと来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。

とは言え、大歓迎と申しましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。

ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。

 

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題のもとに日々をお過ごしの方々も多くいらっしゃられるのではないでしょうか。これをしなければ、と言う特別なすべき事も無く、何処へ顔を出しても、歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情の方、このような方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。

 

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、ヒマ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

 

さて、本日の話は、これ迄に無い、誰もが、一度もお目にかかったことのないような飛びっきりスゴイ話ですよ。どこがスゴイのかちゅーと、どこをどう切っても、阿呆クサイ、トロクサイ、鈍クサイ、けちクサイ、辛気クサイ、キナクサイ、陰気クサイ、素人クサイ、これだけ並べればどれかにひっかかるであろうクサさがプンプンの金太郎飴で、もう、どこをどう切っても、クサイ、クサイ話なのですよ。吸い込んだら最後、脳ミソがグズグズになってしまいますからね。お気をつけ下さいませ。予め,消臭剤のご用意を怠り無く。マスクも。

なんて、言う程の事はまったく御座いません。平凡極まりないムダ話で御座います。

歯を全部抜いて、総入れ歯にしたハナシのような話ばっかりですから。

 

では、参ります。        

 

本日は、時期柄「新元号」に関る話にします。

マスメディアで、ワイドショウ番組をはじめとして、一斉に取り上げて、ドンチャン騒ぎで盛り上がっている事なので、どうかなー、とも思われるのですが、この時期にあえて避けるのは、常識を疑われたりしそうなので、凡人としては、一応、ドンチャン騒ぎに加わらなくては、と配慮したりするのですよ。

 

そこで、例のごとく小言幸兵衛的視点で、どっちかと言うと、まー、ザックバランに言いますと、そのー、要するに、ケチを着けると言う方向でですなー、一言二言と思うのですよ。

何故かと言いますと、褒める立場でやると、直に終わっちゃいそうなのですよ。これでは、《停念堂閑記》では、具合が良くないのですよ。

まー、所定の手続きを経て、新元号が明らかにされれば、新元号は、国民の大多数に歓迎され、受け入れられて行くわけです。

だいたい一旦決定されて、公表されてしまえば、もはやそれに従うよりないのですから、そうすると、その存在は汚いよりは美しい方が良いに決まってますから、みんな美しい、良いわーと言う方向で受け入れることになるのですよね。

特に、見るからに悪意が込められたような文字を並べられた場合は別でしようが、たとえば、今回は、最終的に新元号の候補が六つあったそうですが、「令和」に決まった後は、他の五つよりも「令和」の方が、全然良いと言う人が、圧倒的に多いのですよ。

これが、仮に別の候補「BC」と言う方に決まって、文化人とされる方が褒めたりすると、世の体勢は、おそらく「BC」こそより相応しいと言う方向を示すに違いないと思われますなー。

こうなってしまうと、殆ど面白味が無くなってしまい、ここで常に一番重要としているヒマ潰しに不向きになってしまうのですよ。これでは、いけませんよ。

だから、少しでも面白くするためには、有効にヒマ潰しになるようにするためには、あえて、ヤッパリ小言幸兵衛流にいく必要があるのですよ。これでも、色々と気を使っているのですよ。忖度、忖度。

 

さて、他人の事をあれこれ言う以前に、お前はどうなのだ、と言われそうなので、まず、小生にとりましては、元号ツァー、まー、特別に常識 ? に外れていなければ、何でも良いと思っていますよ。

この常識と言うやつが、難物と言えば難物なのですが、あまり深く考えず、まずは、言い難い、読み難い、書き難い、と言う3難いに配慮した方が良いのでは、と思うのですよ。

次に、見るからに縁起の悪さを想起させる文字を避けた方が良いかな、と思うのですよ。例えば、殺、死、悪、倒、苦、狂、凶・・・などと言った文字は、避けた方が良いのでは。

あとは、それぞれの好みですから、なんとも言えませんな。

と言う大雑把な小生的な基準?から「令和」はどうか、と言いますと、菅さんの掲げた額の文字「令和」と言う画像をテレビで見た瞬間に、国営放送を見ていたのですが、菅さんが掲げた額が手話で知らせる小窓とかぶって、おや見え難いなと感じたのが最初でした。直に手話用の小窓が消されまして、額全体が見えるようになりましたが、難聴の方へのサービスどうなったの、と言うことになるのですが、これはひとまず置いて、「令和」の印象はと言うと、まずは冷たい感じがしましたね。少なくとも、暖かみ、穏和さは感じられませんでしたね。なにせ、凡人ですから。多分、多くの方々が、そんな感じを持ったのではないでしょうかね。

「令」で、連想するのは、まずは、命令の「令」ですよね。これは、上からああせよ、こうせよ、などと命じられることですよね。だから、冷たさや厳格さ、上から目線が、プンプン臭う感じが、最初にしましたね。

皆さんは、どうでしたか ? いきなり美しいと言う感情が、湧き出て来ましたか ?

 

「令」の字は、ある種の難しさを持つ文字ですよね。

読み方は、「れい」の他に、「りょう」、「たとい」および「・・・せしむ」、口語体では「・・・せしむる」などと使いますね。

「りょう」の用例では、大宝元年(701年)に制定された「大宝律令(たいほうりつりょう)」と言うのが有名ですな。日本初の法典です。

「律」は、概ね今の刑法に相当する決めごと、「令(りょう)」は、概ね今の行政法に相当する決めごとで、一部民法的側面を含む決めごとです。

「律」も「令」も、漢文で書かれた法令です。奈良時代平安時代は基本的には、この法令に基づいて社会が構成されていたのでしょうね。だから、律令官人(今の公務員)は、この法律を熟知している必要があったのでしょうね。

しかし、漢文で書かれているので、その解釈には中々困難を極めるところがあったのでしょうね。それで、律令国家として、この解釈書を作ろうと言う事になって、「令」について、『令義解(りょうのぎげ)』と言う本を作りました。法令文を示し、その解釈を漢語を交えた日本語で注釈したものですな。

因に、『令義解(りょうのぎげ)』は国が作ったものですが、その解釈に異論を唱える人々がおりまして、民間でも同じような『令集解(りょうのしゅうげ)』をつくりましたね。

大学2年生の時でしたかね。この『令義解』が演習科目の教材でした。難しい本でした。受講者は授業が開始されるまで、どれほどいるか、分らなかったのですが、蓋を開けると、なんと、数名しかおらず、すぐに来なくなった人もいて、結局残ったのは3人程でした。とにかく毎回当てられ、読みと解釈に四苦八苦でしたね。

担当の先生が、学年半ばでお亡くなりになりまして、途中から非常勤講師として村尾次郎さんとおっしゃられる超有名な東大の先生が来られましたね。

まさかこんな事になるとは、お互いに予想だにしていなかった事態となりましたね。ビックリなさったのは、村尾先生だったでしょうね。ピカピカの東大生に教えるのとは、全くワケが違いますからね。こんな分らんチー、に教えなくてはならないのか、と思ったでしょうね。

それよりも、ビックリしたのは、小生を含めた受講生ですよ。

村尾次郎先生は、当時文部省の日本史の教科書検定調査官でいらして、それはそれは怖い先生として、超有名でいらっしゃいましたよ。

その先生が、教室に入ってこられて、ビックリでしたね。

このころ、加山雄三さん主演の若大将シリーズの映画が大ヒットしていまして、

よく見に行きましたよ。若大将田沼雄一の家は、「田能久 たのきゅう」と言う老舗のすき焼き屋さんで、その店主を有島一郎さんが演じていましたな。要するに、有島さんは、「田能久 たのきゅう」のオヤジですな。

これがですよ。なんと演習の教室にですね。いきなり「田能久 たのきゅう」のオヤジが現れたでは御座いませんか。

村尾次郎先生、「田能久 たのきゅう」のオヤジにそっくり、有島一郎さんに良く似ていましたよ。本当に、ビックリ。『令義解』どころではなくなっちゃいましたね。

村尾先生も、そうそうに小生らの実力に、気がつかれたのでしょう。授業は、易しくやってくれましたね。朝の一時限目でしたので、「今朝は、コヒー飲まずに来たので、喫茶店で授業をしょう。」、なんておっしゃられて、よくコーヒーを奢ってもらって、喫茶店で授業らしき事をしましたね。

こわい先生とばかり思っていたところ、先生もコッチに合わせてくれたのでしょうね。先生の昔の写真などわざわざ鞄に入れて、いっぱい持っていらして、頭を寄せ集めて、想い出話をよくしてくれましたね。良い授業でしたよ。当てられる心配が無かったからね。

また、ある時は、わざわざ先生の卒業論文をお持ちになられて、見せてくれましてね。東大の戦前の卒業論文ですね。卒論の審査に当たられた東大の先生の一覧があり、いずれも著名な先生8名が名を連ねていて、最初に、林健太郎先生の名があったのを記憶してますね。

てな次第で、学年末のテストの結果、演習の単位をちゃんと頂きましたよ。「田能久 たのきゅう」のオヤジ似の村尾次郎先生に。

余談になってしまいましたが、目的がヒマ潰しですから、ご容赦下さいませ。と言うことで、その時の教材が、小難しい『令義解』でありましたので、「令」の字が付くのは、どっちかと言うと、苦手ですね。好きには、中々なれそうにありませんなー。

なお、蛇足ながら、「令」では、天皇が発する命令を「詔」「勅」と言いますが、皇太子、三后(太皇太后・皇太后・皇后)らが発する命令を「令旨(りょうじ・れいし)」と言います。

だから、「令」は皇太子関係に近い意味合いがあり、天皇とは一線を画する感じを持ちますな。すなわち、明治以降は、元号天皇の諡(おくりな 崩御された後の呼び名)としたので、この意味合いからすれば、「令和」は天皇の諡となり、「令和天皇」と称せられることになるので、幾分の違和感が無くはないのですよ。

読み方の「たとい」は、今はもっぱら「たとえ」というでしょうね。仮定の事を言う表現に使われますね。

また、「・・・せしむ」、口語体では「・・・せしむる」などと使いますね。持って回った表現で、ヤヤッコしいところが御座いますな。

職業柄この「令」と言う文字に出会うと、間違えてはいけないと言う緊張感が御座いましたね。

「被令為・・・」なんて並ぶと「・・・なさしめらる」、「・・・たらしめらる」なんぞと読むのですよ、なんて教えられた記憶がありますね。回りくどい表現ですなー。舌を噛みそうになるのですよ。

安倍総理の解説によれば、「令」の字は、ご令嬢とかご令息とか、令夫人とかに通ずる、美しい意味合いの文字だとおっしゃられていましたが、庶民には、余り縁がない気がしますなー。たまーに、幾分気取ったヤツに、「ご令息はお元気ですか?」とか「令夫人」は、なんて言われると、明らかに、オチョクラレタ感じがしますなー。ご丁重に、と言うよりは、慇懃無礼丸出し、と言う感じが先に来ますなー。庶民的にはですね。

てな次第でして、「令」の字は、私個人的には、あまり頂けない感じが先に来るのですよ。

申すまでもなく、これは、個人の感情、好き嫌いですからね。

テレビで、女子高生らしい女の子にキャスターが、街角で「令和」はどのように思うか、とマイクを向けたところ、彼女曰く、「かわいー」だって。

人それぞれですから、どのように感じ、どのように表現しようとも、構わないのですよ。

 

それから、どこかにケチをつけなくては面白くありませんし、ヒマ潰しになりませんので、ここはひと頑張りで、菅さんが掲げた毛筆の「令」の字について、ケチを付けさせて頂くことにします。

小生が使用しているワープロの「令」は、ここにあります通りです。上部から、ひとやねの下部の書き方は、横棒「ー」を書いています。そして、その下部に「刀」の「ノ」のないものを書き、「ノ」の部分は真下に縦棒を引いています。縦棒の終りの部分は、止めています。跳ねたり、止めずに抜いたりしてはいません。

字典によれば、こうは書かず、横棒「ー」の部分を、斜めの「チョン」(申し訳御座いません。今使用しているワープロは、この字がなかなか出て来ません。)に書くのが出ています。そして、その下部にカタカナの「マ」に作る字が見られます。

菅さんが掲げた額の毛筆の「れい」の字は、ここで使っているワープロの「令」の字とは違い、ひとやねのすぐ下は、横棒「ー」では無く、「チョン」が書かれ、その下部は、ここのワープロとほぼ同じに、「刀」の「ノ」の部分が縦棒に書かれています。

但し、菅さんが掲げた額の「れい」の方は、縦棒の終りの部分が、止めて僅かに左上方向に跳ねられていました。この跳ねは、明らかに具合が良くないようですね。

 

細かい事で恐縮ですが、「れい」の字は、何通りか字体に違いがありますね。元号の文字は、菅さんの掲げた額の文字を以て、正とするのですかね。それとも、幾つかの書き方の違いは気にせず、どれにても可とするのですかね。

義務教育では、どうなっているのでしょう。統一されているのでしょうかね。きっと、どっちでもいいのでしょうな。小生には、面目御座いませんが、その明確な知識がございません。ここでは、ヒマ潰しにちょいと、取り上げてみただけで御座います。

 

次に、「和」の字についてですが、文字の見た目の感じは、まずは、誰でもおそらく平和の和の字を想起するのでは無いのでしょうか。この字は、「昭和」の「和」の字でもあり、馴染み深い字で、特に、印象の悪さを感ずることはないですね。

但し、「和」の字の「禾」の部分についてですが、これは縦棒の終りの部分は、跳ねたり、抜いたりせず、きちんと止めるのですよね。

しかるに、菅さんの掲げた額の「和」の字の「禾」の部分は、「禾」の終りの部分が左上方向に、跳ねて書かれてましたね。跳ねない方が良いのでは。きっと、ここは跳ねないのですよ。「木」の字は跳ねないのですよ。本、末など跳ねないでしょう。

以前、小学校で漢字のテストで、「木」の縦棒の下の部分を跳ねると×になるとかで、騒がれたことがあったような記憶が御座います。今は、どのようになっているのですかね。

きっと、新元号が手続き上「令和」に決まって直に、毛筆して額に入れたものを示す手はずだったのでしょう。きわめて、短時間の作業だったのでしょうね。内閣府の辞令などを記す係の方が担当なされたようですが、もう少し、慎重になされた方が良かったのでは。

以後、何かに付けて、この「令和」額が、メディアで重宝されるのでしょうから。子供には、この字がお手本になるのでしょうからね。

「令」も「和」も特殊な文字では御座いませんが、ちょっと、字典で確認するべきだったでしょうね。

最近、この類のミスが、結講多く目に付くのですよ。テレビなどでも、しょっちゅう訂正をしてますね。

「先ほどのテロップの文字に誤りがありました。お詫び申し上げます。」なんて、時々やってますよ。ミスの上塗りですね。「先ほどのテロップの文字に誤りがありました。お詫び申し上げます。」と言われても、どの部分にミスがあったのかがはっきりしない場合が多いのですよ。

最も基礎的な部分の手抜きが目立つ昨今ですなー。

尤も、あまり、偉そうな事は言えないのですが・・・。コッチもしょっちゅう仕出かしていますので。しかし、菅さんの掲げた額と小生の拙文とでは、影響力が違い過ぎますから、と弁解がましき事を申させて頂く次第なのですよ。

とにかく、できるだけ細心の注意が必要ですな。ちょっと手間をかけて、注意すれば、ミスらないで済む事ですから。基礎的な部分での手間をはしょってはいけませんなー。

 

次に、「令和」の文字的典拠については、「万葉集」から引いたと言うことですね。そのことで、いくぶん違和感のある「令」の字の印象をカバーしている感じですかね。

ここで、色々言われているのは、これ迄、大化以来の元号は、中国の書物、すなわち漢籍と呼ばれている書物から引用する慣例がおよそ1,370年程継続されて来ましたが、これが、今度はじめて漢籍からではなく、国書から引用された。すなわち、1,370年程継続されて来た慣例から脱出した、大変革が行われた、と言う特徴的な新元号の決定方法であった、と言うことですな。

メディアによれば、この度の新元号の話が具体的になってきた時期に、安倍総理が、国書から引用する手もあるような意向を漏らした、と言うような話が出回っていたりしてますな。

それで、マスメディアでは、国書から引用されるのでは無かろうか、と言う予想があれこれ報じられていましたね。

それが、実行された、と言うことですな。

これに関して、安倍総理の意向が予め示されていたので、結果、このようになったのではなかろうか、とする憶測も横行していますな。

安倍総理の意向が、予め広まっていたとすると、或は、総理が選定した新元号の決定に関ることになった方々が、総理の意向を忖度する事になったのではないのか、と言う憶測が出回ることになるのですよ。

森友学園に対する国有地売却の一件、はたまた、加計学園獣医学部新設の一件等に関わり、安倍総理に対する周辺の忖度により、極めて重大な結果が発生した、と言われる前例が御座いますので、今回の新元号の制定についても、安倍総理は、この忖度に期待するところがあったのではないのか、なんて言うことが流布したりしてますな。

それにしても、日本人は忖度が好きですからね。よく場の空気を読め、なんて言われたり、場の空気を読めないヤツだなんて、嫌味を言われたりしますよね。

 

そもそもは、元号の決定の仕方の制度が、国民が納得いく議論を経て成立したものではなく、殆ど国民の知らない暗闇の中でつくられた感じがするのですよ。

結果は、総理の専権事項ないし専権事項的なことで全て展開された、と言う結果に見えたりするのですよ。

もっとも、新元号の決定に関った有識者懇談会のメンバーは、すべて安倍総理が選定し、最後の決定には安倍総理が当たったのですから、忖度云々の前に、安倍総理ありき、と言うのが実情であったようですなー。

要は、新元号の決定については、一般国民は最初から相手にされていなかった、と言うことなのでしょうな。これが実情ですなー、きっと。

 

とボヤキを入れたところで、新元号が国書から引用された、と言う話に戻しますが、そも「国書」とは何ぞや、と言うことについての議論はありませんでしたね。素朴に「国書」とは何なのかなー、なんて言う疑問は湧きませんでしたか。

 

「国書」なんて聞いたら、何を想起するかと言えば、まずは、初の遣隋使小野妹子(「子」がついていても、男だよ。)が、隋皇帝宛の聖徳太子(「子」がついていても、男だよ。)の作とされる、あの「日出處天子致書日沒處天子無恙・・・」と言う手紙ですよね。

要するに、「国書」は、元首がその国の名前で、外交相手国に遣わす書翰のことですよね。

余談ですが、小野妹子は、「日出處天子致書日沒處天子無恙・・・」と言う国書を携えて、隋に乗り込んだ迄は、良かったのでしょうが、隋の皇帝にとっては、とてつもない無礼千万のものであったので、外交官小野妹子は、隋皇帝煬帝の逆鱗にふれ、えらくトッチメられたようですね。おかげで、『随書』に、いわば無礼な手紙のサンプルとして随所にではありませんが、『随書』に記されたので、今に伝わることになったのでしょうな。

日本からの国書に対して、小野妹子の帰国に際して、隋からは返書が与えられたのですが、この隋の国書は、帰路百済で紛失したと言う事で、日本には持ち帰られなかったようですね。おそらく、とても見せるに忍びない文面だったのでしょうね。それで、きっと、紛失したことにして,処分しちゃったのでは、と推測されてますなー。小野妹子、中々やり手だったようですなー。

と言うことで、外交文書の「国書」は、今回の新元号の決定に関る「国書」とは、異なりますな。

 

では、今回の新元号の選定に関る「国書」とは、どう言うものかと言いますと、安倍総理は、「国書」と言う用語を使用されていましたが、その概念についての言及は御座いませんでしたね。

まー、これ迄の元号は、簡単に言えば中国の書物、いわゆる漢籍を典拠とされて来たので、この漢籍に対して「国書」、すなわち日本の書物と言うくらいの軽い意味合いで使われたのでしょうかね。

安倍総理は、どんな書物を念頭においていたのでしょうかね。

例えば、『古事記』とか『日本書紀』に始まる『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』と続く「六国史」、『風土記』、『万葉集』、『竹取物語』、『伊勢物語』、『古今和歌集』、『枕草子』、『源氏物語』、『栄花物語』、『大鏡』、『今昔物語』、『方丈記』、『平家物語』、『徒然草』、『義経記』、『信長記』、『好色一代男』、『奥の細道』、『東海道中膝栗毛』、『群書類従』、『大日本史料』、『大日本古文書』から『主婦と生活』、『平凡』、『鉄腕アトム』、『サザエさん』、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『ちびまる子ちゃん』等々、安倍総理のおっしゃられた「国書」とは、どなんかなー、と思うのですよ。

 

幾分専門的になり、恐縮ですが、軽く「日本の書物」と申しましても、色々御座いますね。

日本で作られた本と言っても、著者、編者を日本人、日本の機関に限定しているのか。とか、日本語で書かれている本を意味しているのか、とか。

例えば、外国人が、外国語で書いた本を、日本の会社から出版した場合、これを「国書」として扱うのか、と言った類の問題がある訳ですよ。

こう言う場合の判断は、その視点により、色々あって良いと思われますが、一例を紹介します。

日本を代表する出版社の一つとして、岩波書店が、有名ですね。岩波文庫とか岩波新書なんて言うので、お馴染みですね。

この岩波書店の代表的な出版物の一つに、『国書総目録』(全8巻 索引1巻)と言うのが有名です。日本の代表的な出版物、と言って良いでしょうね。うんと簡単に言えば、日本国の始まりから江戸時代の終りまでの期間に、日本で著された全ての書物の目録であります。約50万が収録されているとの事です。

ここに、「国書」なる名称が使用されているのです。

岩波書店では、この出版にあたり、これに収録する書物を次ぎのように決めています。

 

  • 日本人(日本に帰化した外国人を含む)の著作は、和文・漢文・英文を問わ  

ず収録している。

  • 外国書をそのまま書写したものは収録しないが、日本人により改修・編纂さ 

れたものや翻訳されたもの、注釈をつけたものは収録する。ただし、句読点をつけただけのものや、注釈が僅かな書き込み程度のものは除く。

  • 近世の庶民による史料は未整理のものが多いため、そうしたものは収録して 

いない場合が多い。

・ 巻・冊単位ではない、紙一枚程度の書画・絵図・地図・古文書は収録しない。

絵巻物・書画帖は収録するが、拓本は収録しない。

  • 一篇のみの文章は基本的に収録しないが、浄瑠璃長唄等の歌謡の一篇は収 

録している。 [便宜上 Wikipediaから引用]

 

国書総目録』では、上記の条件を備えた書籍を「国書」と言っているのです。

とすると、日本に帰化した中国人が、『史記』でも『論語』でも、この原著をそのままではダメだけれど、幾分手を加えて、例えば注釈を施したりして、日本で出版すれば、これは「国書」として扱われるのです。

だから、『史記』でも『論語』でも、その全文を「国書」に見ることが可能なのです。

 

と言う事で、安倍総理の言う「国書」の内容は、ご説明が御座いませんので、良くは分りませんが、「国書」から元号の文字を選定すれば、中国の書物から持って来たことにはならない、などと言う事態ではないのですよ。

より日本的なものに拘ろうとするのならば、漢字を使用せずに、仮名文字を使えば、と言うことになると、仮名文字だって、元は漢字から作ったのでしょうが、と言われてしまうでしょうね。

大体、元号の制度は、もともとは中国から伝わったものですから、中国から脱出するのは、そう簡単な事ではないようですよ。

 

要するに、判ることは、安倍総理は、この度、新元号を定めるに当たって、1,370年もの長きに亘って行われて来た漢籍から引用すると言う慣例に従わず、国書に求めた、と言う事実であります。

これから、何故にこのようにしたのか、と言う疑問が発生するわけです。

これについて、安倍総理はあまり言及していないのです。

それ故に、巷の雀は、あれこれと、さえずることになる、と言うわけです。

いずれも、推測、憶測の域を脱するものでは無いようです。

一つは、安倍総理の好みだったのか。

いやいや、政治的なことが、絡んでいるのか。

と言う、側面からの推測、憶測がなされることになるのですよ。

 

安倍総理は、漢籍を離れて、国書から元号の文字を選んだ。と言うことは、事実ですから、さすれば、何故か、と言うことになるのですよ。

まー、いろいろ推察されるでしょうな。

一番軽いのは、安倍総理のいわば好みからこのような事になった。と見る見方がありますね。

安倍総理は、「令和」について、「美しさ」、「和やかさ」に注目された様な事を述べられておりましたよね。

そこで、嘗て安倍総理は「美しい国日本」なんて言っていたことがあったなー、なんてことが思い出されるのですよ。

と言うことは、安倍総理は、どうも「美しさ」に殊更拘りをお持ちなのでは、と思ったりするのですよ。単なる憶測です。

尤も、安倍総理の言うところの「美しさ」の内容が、どのような事なのか、図り知ることは、できませんが。

 

では、別の視点から、なんぞ政治的な意味合いがあってのことか。と言うことになりますと、まずは、日本の元号は、より日本的なものの方が相応しい。この観点から、漢籍よりは国書に求めた方がより良い、と判断したのでは、と推測されるのですよ。

そこで、何故に日本的と言うところに拘ったのか、と言う疑問に振り変わるのですよ。

この答は、簡単ですね。日本だから、と言うことでしょうね。

問題は、この点に、あまり強烈に拘りだすと、これは国粋主義的な傾向を強化しようとしているのでは、と言う懸念に繋がり、戦前の悪印象に繋がっていく恐れがあるのですよ。

また、漢籍元号を求めるのを止めた、と言うことは、大袈裟に言えば、中国文化の影響を受けたくないのだ、と言う意思表示だ、とも取れないことも無いのですよ。

尤も、本家本元の中国は、とっくの昔に元号を使うのを止めてしまっているし、漢字もすっかり簡略化してしまっているので、漢字だ、元号だは、もっぱら日本文化の特徴と化している、とも言える状況なのですよね。

だから、新元号漢籍に求める事を止めた、と言うことは、中国に対する政治的な意味合いを含むものではない、と言う現実があったりもするわけですね。

なかなか微妙なところでもあるかも知れませんが。

 

大体、「令和」は、令和と言う熟語を国書に求めたものではなく、一字ずつ拾って、「令和」としたのですから、特に、『万葉集』に拘ることもなさそうですなー。

一層のこと、これからは『大漢和辞典』から拾うようにすれば。漢字なら何でも載っていますよ。「令」の字だって、『万葉集』で使っている意味合いが、ちゃんと載っかってますから。

 

と言うことで、小言幸兵衛も大分疲れて参りましたので、本日は、これにて打ち止めと致します。

元号「令和」など、既に慣れちゃいましたね。小生のパソコンのワープロでは、「れわ」と入力すれば、「令和」・令和が飛び出して来るようになっています。これからは、しょっちゅう使用することになりますからね。

たった一文字はしょっただけですが、割合からすれば、三分の一、33.333%の節減となり、打ち込む時のエネルギーと電力の節約にこれ努めることにしています。ケチだね。なんとも。

 

 

では、どうもお疲れ様で御座いました。懲りずに、又のお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで