《停念堂閑記》108

「停念堂寄席」61

 

「路頭に迷う ジジーの小言」

 

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。

遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方は、おられないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。

とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。

もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。

ところで、本当のところは、徒歩でも、ジョギングでも、マラソンでも、泳いでも、自転車でも、車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、はたまたミサイルであろうと、実は、来ることが出来ないのですよ。

あなただけに、こっそりとお教えしますね。たいして、難しくは御座いませんよ。ただね、必要欠くべからざるものがあるのですよ。

それは、パソコンかスマホなのですよ。それでね、GoogleYahooのサイトから、「otakatsuyaのブログ」を検索すれば、「停念堂閑記」に辿りつけますから。これだけでいいのですよ。一般の交通手段では、永久に辿り着けませんので、どうぞ、ご注意くださいませ。蛇足ながら。

辿り着いてくれさえすれば、大歓迎で御座いますよ。

とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。

ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼きにだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。

 

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多くいらっしゃられるのではないでしょうか。

これをしなければ、と言う特別なすべき事も無く、何処へ顔を出しても、たいして歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。

 

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

 

さて、本日の話は、これ迄に無い、誰もが、一度もお目にかかったことのないような飛びっきりスゴイ話ですよ。どこがスゴイのかちゅーと、どこをどう切っても、阿呆クサイ、トロクサイ、鈍クサイ、けちクサイ、辛気クサイ、キナクサイ、陰気クサイ、素人クサイ、これだけ並べればどれかにひっかかるであろうクサさがプンプンの金太郎飴で、もう、どこをどう切っても、クサイ、クサイ話なのですよ。吸い込んだら最後、脳ミソがグズグズになってしまいますからね。お気をつけ下さいませ。予め、消臭剤のご用意を怠り無く。マスクも。

なんて、言う程の事はまったく御座いません。平凡極まりないムダ話で御座います。

歯を全部抜いて、総入れ歯にしたハナシのような話ばっかりですから。

 

ここの特徴は、前置きが長いと言うことですよ。毎回、殆ど変わりがありませんが。これがいいのですよ。手っ取り早くてね。

これが、毎回違えるとなりますと、これは大変ですよ。それだけで、1日終わっちゃいますからね。こうなると、オオゴトなのですよ。一晩寝たら、昨日の記憶が消えちゃったりするでしょう。そうなったら、また、一から出直しと言うことになるのですよ。こうなると、もはやエンドレスですよ。一晩寝たら、振り出しですからね。前進不可能。

ネ! ウソは言わないでしょう。前置きが長いのですよ。そのかわり、本文はなるべく短くしますから。と言いつつ、ダラダラとやるのが、好きなのですよ。下らないことをダラダラとね。ヒマ潰しのコツ。

再び、ネ! 前置きが長いでしょ。これが特徴なのですよ。

これじゃー、切りが御座いませんな。

 

では、参ります。

 

ようこそのお運びで、厚く御礼申し上げます。

毎度、バカバカしい話で、しばしお寛ぎ下さいませ。

エッ! バカバカしい話は、もう言わずとも、とっくに分ってらっしゃるって、ですか。

長い前置きで、すっかり了解しておられる。

そりゃー、まー、そーで御座いましょうね。念には、念を入れで、たっぷりやっておきましたからね。

これで、もし了解されていなかったら、念入りにやった、長い前置きは、いったい何だったのだ、もう一度やらなきゃーならないのか、と言うことになってしまいますからね。それは、さすがに勘弁して下さいよ。

まー、どうしてもと言われるのなら、遣らなくは御座いませんよ。嫌いでは御座いませんので。はい。

もー、いい。

さすがに、そーでしょーね。

 

ところで、急転直下、甚だ突然で御座いますが、ホンダイで御座いますよ。

ホンダイと言っても、本 = ブックを買う為の予算の話では御座いませんよ。

ハナシのね。ハナシと言っても、歯槽膿漏になっちゃったハナシでは御座いませんよ。ハナシ = すなわち、喋くりの中心となることですよ。

所詮、大したことでは御座いませんがね。

そんなことは、言われなくても分っているって、ですか。

今迄、大したことがあったタメシが無いってですか。

よく判ってらっしゃいますな。それなら、話が早いですよ。

 

さて、本日は、ジジーが、ジジーの話をすることに致します。

ババー。アッ、失敬、失敬、おババー様も、登場いたしますよ。

平等に扱わないと、セクハラだ、差別だ、とたちまち反撃されますので、注意深く配慮しませんとね。エライことになり兼ねませんので、なんとも骨折しそう、いや間違い、骨が折れますなー。

とにかく、忖度、忖度の世の中ですので、気が抜けませんなー。

どっちかと言いますと、あまり忖度などに配慮せずに済む方が、お互いに、気楽で良いような気がしますが・・・。

しかし、当世は、忖度の時代ですから、とにかく相手の顔色を伺い、気分を害さない心遣いが必要のようですなー。

子供の躾も、この方向で行なわれるのですかねー。

就学前の子供から、顔色を伺われながら、応対されては、何だかんだ、世も末の感じがしますなー。

子供は、子供っぽくって、良いんじゃねーの。大人の顔色など、伺わせなさんな、ちゅーの。全く。

 

大人の社会では、やりそこなうと、直ぐに、場の空気の読めないヤツだ、なんて、手裏剣が、飛んできたりしますからなー。

ちゃんとした敬語や丁寧語になってれば良いですよ。

それが、訳のわからない、敬語風な言い回しや丁寧語風な言い方なんぞしおってさ。まともな日本語を使えっちゅーの。

それで、気をつかっておるので御座います。ちゅー顔されてもね。どーしたもんでしゃろーな。

厄介と言えば、厄介な世の中になりましたなー。

ほどほどにお願いしたいものですなー。

顔色ばかり伺っているより、ざっくばらんの方が、お互いに、過ごしやすいと思うのですが・・・。

皆さん、そーも行きませんようでして、骨折、いや骨が折れますなー。忖度骨折と言うやつだね。キット。

 

しかし、ですね。ジジーの話は、そーは参りませんよ。

なんちゅったって、ジジーの得意技は、小言幸兵衛ですからなー。

一般に、老いてくると、どうしても体力的に衰えがきまなー。

要するに、体が思うように動か無くなるのですよ。

ヨッコラショなんて掛声を掛けて見たところで、力仕事や長時間労働は、どうしても厳しくなりますなー。

ところが、衰えが目立たないところもあるのですよ。

それは、いわずと知れた、口ですわ。禍の元の口ですわ。

口は、衰えず、なかなか達者ですよ。

自分勝手な、訳の分からないことを、シャーシャーと言いますよ。

若い頃は、相手に対する忖度が先行しますから、言いたいことがあっても、遠慮がちになったりしますが、年寄はねー。

まー、年を重ねているうちに、遠慮と言うものが、だんだんと姿を消して、ズーズーしさが、思いっきり、表面に現れて参りますよ。

ジーの我儘。おっと、おババー様には、とても、足元にも及びませんが。ホントだよ。

ジーはね。とかく、一日中、茶をすすって、テレビばっかり、見ておりましてね。気に入らないタレントが出て来たりすると、テレビ画面に向かって、毒吐いたりしてますからね。

仕舞には、コラー、何とか言え、なんちゃってね。

その内に、応答するテレビができるでしょうな。話し掛けたら、応答するロボットが、既に出来てますからね。作ろうと思えば、応答型テレビなんざー、すぐにでも、作れるでしょうなー。

独居老人のために、早いところ作って下さいよ。頼んますよ。ホンマ。

そーなったら、結構ややこしくなりますかねー。

テレビに対しても、セクハラやパワハラが絡んで来ますかね。心して掛からないと、エライことになり兼ねませんよ。

テレビにまで、忖度か。たまりまへんなー。

その前に、大体、テレビ画面に話しかけるようになったら、要注意のようですよ。まずは、こっちの方に気をつけなくてはね。

 

人の顔さえ見れば、どうのこうのと小言ばかりおっしゃられる

御仁が、少なからず、いらっしゃいますよね。

待てよ。他人事じゃーネーナ。自覚があるなー。ある。ある。

若きし頃に身に付けた、いわゆる常識に合わないことに、出っくわすと、途端に、出ちゃうのですよ。

時代の変化について行けず、旧式の常識を振りかざすことに相成る次第なのですよ。

とは言っても、今風の常識が、何でも全て優れているとは思われませんよ。とイチャモンを付けることも、忘れてはいませんよ。ここが、ジジーの踏ん張りどころですからね。一日中スマホばっかり弄っている連中に、遅れを取ってなるものか、てんですよ。

今風の常識ってーのが、何もかも気に入らねー、と言っているのでは御座いませんよ。

ただね。ちょっとね。馴染めねーな。と言うようなのがあるのですよ。

例えば、あえて昔と表現した方が無難ですかね。

昔は、子供の頃、小学生の頃には、知らない人に、「今日は」と声を掛けられたなら、ちゃんと「今日は」と、応対するものだよ、と躾られたものですよ。それが、人の道というものだったのですよ。

それが、今では、知らない子に、「今日は」なんと声でも掛けようものなら、否応なしに、変質者扱いで、逃げられてしまいますよ。ヘマすると、警察呼ばれてしまいますよ。

そんなことで、変質者扱いにされて、警察の取り調べを受けようものなら、世間の目つきが変わりますかね。

そしたら、無実なのに、あらぬ疑いを掛けられて、取り調べを受けた当人の世の中を見る目が、曲がってしまいますよ。善良な人が、グレちゃったりしますよ。

嫌な常識になってしまいましたなー。

確かに、子供を守るためには、必要なことかも知れませんが、いきなり、他人を見たらドロボー、いや変質者と思え、とストレートに教え込むのはねー。どうしたものでしょーかな。

登校・下校の送迎体制や監視体制等の整備とか、別に方法もあるのでは、と思ったりするのですが。

親御さん、ご父兄姉さんのご多忙な事情も判りますが、何とかなりませんかね。

また、地域の態勢として、何とか有効な方法もあると思うのですが。

と申しながら、都会では、地域共同体の結束が極めて希薄になってしまってますからね。

地震や大洪水の被災地では、被災の直後には、突然、声高に「絆」「絆」と叫ばれますが、時間の経過と共に、じきに、それも淋しく忘れ去られるようですから、普段の日常の「絆」は、ねー。あまり期待はできない現状でしょうな。

 

世の経済状態が良くなると、近隣の人達と特に関りを持たなくとも、一人で、生活が可能になりましたなー。

そうなったら、いきおい隣近所との関わりが、煩わしくなりますわなー。

さしずめ、「お早う御座います」 「今日は」 「今晩は」止まりですかね。これも省略の場合も、珍しくは御座いませんよ。

 

 

大げさに言うと、近隣地域の中では、各家庭は、引きこもりに近い状態になるのですよ。隣近所とあれこれ関係を持たない方が、気楽なのですよ。引きこもりの人の心境が分る気がしますなー。

近隣地域との関係は、薄い方がよっぽど楽、と言うのが、今風の常識と言うものなのでしょうな。

しかし、このような環境では、端的に言えば、経済的に問題がない、とか、健康的に問題がないという場合は、特に支障なく過ごすことができるのでしょうが、いろいろな意味での弱者には、生活しずらところがあるでしょうな。

例えば、慣れない育児とか、病人を抱えているとか、介護の必要な老人を抱えているとか、高齢者の一人暮らしと言った事情の人などにとっては、近隣の無関心は、中々きびしいところが御座いますよ。

まー、大雑把に言ってしまえば、近隣引き籠りの態勢は、健康な裕福な者にとっては、好都合だが、そうでない弱者には中々厳しい態勢と言うことになりますなー。

これが、現代社会の一般的な在り方になっている、すなわち、今風の常識となっている、と言うことですかねー。

とすれば、この今風の常識は、これで良しという訳には参りませんよ。

ジーの小言登場となる訳ですよ。

やっぱり弱者を見ない振りにするような環境は、良くありませんよ。災害時のことなども考慮して、近隣の協力体制が必要ですなー。煩わしさもあるけれども、良いこともあるのだから。

よりしっかりした地域共同体の在り方を見直さなくては、ならないのでは、ないでしょうかね。

手っ取り早くは、引きこもっているよりは、近隣にどんな人が住んでいるのかを把握しておく方が、何かと良いのでは、と思うのですよ。

 

だからね。例えば、小学生の登校・下校時には、地域の時間に余裕のある人が、例えば、リタイアしてヒマのある人が、要所、要所の監視、巡回をするとかね。

しかし、このような時に、「お早う」とか「気をつけるんだよ」なんて、声をかけようものなら、子供が一目散に逃げて行ったりすれば、そりゃー、淋しいものですよ。

子供の時期に、他人を見たらドロボウと思え、変質者と思えと言うように教え込まれて育った場合、成人したら、どのような人格の大人になるのでしょうかね。

 

そして、間もなく親になって、子供ができると、また、同じように躾ることになるのでしょうな。

物騒な世の中の自衛策とは申せ、せちがない世の中になりましたなー。

行政の方も、金持ちの方へばかり税金を投うぜず、弱者の方に回して欲しいものですな。

地域巡回の組織を作ったりね。大して費用をかけずに、方法は色々とあると思うのだけれど。

PTAもあることでしょうから。

 

要は、ヤル気の問題だね。やる気の。

地域の議員さんにやる気がなかったら、やっぱり、地域の人々が声をあげて、やらせるようにしなくてはなりませんなー。

ノホホーンとしてないでさ。

 

何よりも、一番大切なのは、反社会的な人格者が出現しないような対策を講ずることですな。

それには、そのための教育を徹底しなくてはなりませんなー。

幼い時期から、はたまた、成長して大人になってからも、執拗に、反社会的な行為を行ってはならない、と言う育を徹底するよりありませんな。

一般に、育と言うと、すぐに、学校で行うもの、と決めつけてしまう人は、いませんか。

学習に関わる知識の教育は、小学校から始まる学校教育で、中心的に行われますなー。

しかし、人格形成に関わる教育は、順を追って行くと、まずは、親による教育ですなー。

子供は、良きにつけ、悪しきにつけ、親の背中をみて成長して行くわけです。生まれた子供の教育に当たるのは、まずは、親です。

親は、自分の子供に対して、人間として生きて行くための最も基本となる事柄を教えなくてはならない存在なのですよ。この意味での責任は、重大です。

親は、今まで存在しなかった新たな生命を創り出すのです。そして、それを人間として生きて行くための基本を教え、一人前の人間に育てなくてはならないのです。

だから、親は、そのための適切な知識、技能を身に付けている必要があるのです。しっかりと、そのためのお勉強をしておかなくてはならないのです。

手抜きしてないでしょうな。ジジーが、ヒッョコリ監視してたりしますぞー。

生まれた赤ちゃんは、家庭内の生活に関わるマナーなどは、主に、親から学んでいくのですから。

お勉強の成果によって、昔から、親を見れば、子供が分かる。子供を見れば、親が分かる。と言われたものなのですよ。

 

親に次いで、教育的に重要な存在なのは、兄弟姉妹、祖父母など同じ屋根の下で生活をする家族でしょうな。

下の子供にとっては、お兄ちゃん、お姉ちゃんは、模範的先生としての存在ですよ。お兄ちゃん、お姉ちゃんのマネっこをして、大きくなっていきますからね。

しかし、お兄ちゃん、お姉ちゃんは、社会の経験があまり豊富では有りませんので、その点は、ちょっと、心配もあるのですよ。

さてさて、ここに、ジジー、おババー様の出番があるのですよ。親よりも遥かに豊富な経験を積んでいますので、この経験を生かして、新しい生命の成長に役立たせなくては行けませんな。

 

ジジャーン! お待たせ致しました。

ここに、ジジーの教育的小言の出番があるのですよ。

さー、朝起きてから、夜の就寝に至るまで、一日中、いやいや一年中、なんやかやと、あれこれと、重箱の隅をほじくるごときのジジーの小言が飛び出しますよ。

あまり張り切りすぎると、世間では、あそこの子、なんか年寄り染みていない。なんて、囁かれたりすることもありますよ。

ジーも、今風の常識の勉強も、大切ですよ。キット。

 

と言うように、新しい生命が育って行く時に、人格を形成して行く時に、まずは、親、兄弟姉妹、祖父母等家族による教育が大変大切な役割を担っていると、思われる訳ですが、これが、現今では、親と子一人という家族構成が、比較的一般的であるとすると、その子の人格形成に、兄弟姉妹、祖父母等による教育的効果が欠如する、と言うことになりますな。

結論的には、往々にして、幅の狭い人格になりかねない、と言うことが懸念される訳ですよ。

 

さて、家庭の次には、近隣地域による教育が御座いますよ。

隣近所には、また、家族とは異なる雰囲気の人々がおりまして、それぞれの価値感で、生活してますから、自分の家族にない、要素を学びますなー。

まー、ご近所に、しっかりした親切な立派な方がおられると、教育的には、随分助かりますなー。地域の環境も、大切ですなー。

保育所、幼稚園等での教育も大事ですよ。親、家族にない他人様から教わることも多いですよ。友達関係のことも、大いに学びますからね。世間勉強が行われますね。

そして、小学校から、いわゆる学校教育が展開されるようになり、また、一般社会に顔を出す機会も、だんだん増えてきますので、親、家族、近隣地域、保育所・幼稚園、学校の教職員、友達などと交わることによって、人としてやるべきこと、やってはならないことなどを学び、一人の人格が形成されて行くわけですなー。

と言うことで、親、家族、近隣者、保育所・幼稚園職員、学校の教職員、友達、一般社会など、これら全てが、一人一人の人間に対する、教育的役割があるわけで、従って、それに関わる人々は、そのことを良く弁えていなくてはなりませんなー。

ですから、教育は、学校で、と言う考えの方が多いように見受けられますが、そうではなく、広い社会の至るところで、教育が意識的に行われることが、望ましい、と言うことなのでしょうな。

人格形成に関わる教育は、学校教育でも行われることでしょうが、学校以外の場でも、絶えず行われているわけであって、こちらの教育は、時に見落とされ勝ちになりかねませんので、こちらの教育はより意識的に行われる必要がありそうですね。

 

しかし、例えば、行政面に目を向けると、現在の代議士先生は、金儲けに繋がる育に税金を投ずることは吝かでは御座いませんが、人格形成の育には、さっぱり興味を示しませんな。

三宅久之さんが、ご存命だったら、ポン助、デコ助と、酷評が飛んできますよ。パクって、その上を行く、ペケ助と呼びたいですなー。住み良い社会づくりに、真剣に取り組む代議士はいないものかね。

 

ボーッと、寝ぼけてんじゃーネーヨ !

と、チョコちゃんの喝が飛んできますよ。

 

たまに、マシかなと言う人が、立候補したりすることもあるのですが、大抵落っこっちゃうからね。国民のより多くの支持が得られないのですだよ。

国民有権者の大多数は、やっばり金儲け主義が大好きのようですなー。と、ぼやきたくなる訳ですよ。

財布の中身が充実してれば、満足感はあるのでしょうが。かく言う私だって、きらいでは、御座いませんよ。正直なところ。しかし、中味が若干淋しくとも、子供が安全、夜道も安全、病人ほかの弱者が救われる、と言うのも、大いに安心感がありますよ。キット。

 

ところがですね。ジジーが小言を言う場所が、すっかり狭まってしまった現状なのですよ。

言うまでもなく、核家族化が進みましてね。

ジーの小言の最もお得意さんであった、孫と同居することが、極めて少ない状況になってしまったのですよ。

孫と同居さえしていれば、ジジーの小言は、朝起きてから、夜寝るまで、ずーっと、チャンスがあるのですよ。いつでも気軽に、タイムリーヒットを打てるのですよ。

それはそれは絶好調ですよ。

ところが、息子、娘たちは、みんな独立して、気がつきャー、家には、おババー様と、二人っきり。

なるべく目を合わさないように、狸寝入りしたりしましてね。これが結構気を遣うのですよ。

これが、おババー様に、小言の一つも言って御覧なさいチューの。それはそれは、どエライ目にあうこと間違いこざいませんよ。迫力が全く違いますからね。

賢い人の喩えに、一を聞いて十を知ると言うのが御座いますが、これが、おババー様にやりそこなうと、一言言ったら、百言い返される、ちゅーもんですよ。

誰に、口を聞いてるの !  

偉そーに。

ふざけなさんな。

このタヌキジジー !  

ときますよ。これは、ほんの軽いジャブですよ。

本番は、これからですよ。なんぼでも、機関銃が発射されますよ。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

              ※ (ここは、各自が、想像を逞しくして、納得の行 

                    く、 妄想をたっぷりお楽しみ下さいませ。)

 

こんなこと、おババー様の耳に入ってごらんなさい。ただでは済みませんよ。こっちとら命懸けですからね。くれぐれも、告口しないで下さいよ。ホント。

(時々、こうしたことを混ぜませんとね。お客さまに、飽きられちゃいますのでね。眠気ざましです。これでも、けっこう気を遣っているのですよ。ホント。)

 

話を戻します。

核家族が一般的となりまして、ジジーの小言のはけ口の場が無くなってしまったのですよ。

せいぜい年に、盆と正月に、孫と面会の機会があるかも知れませんが、たった、これだけの滅多にない機会に、孫の顔を見て、いきなり小言を言う根性のあるジジーは、まずおりませんよ。ここぞとばかり、目一杯良いところを見せなくてはね。と一人張り切ったりしてますから。

ジーだって、カッコーつけなくてはなりませんからなー。

とかく、いいカッコには、引き換えの損失がつきものなのですよ。

 

嗚呼 !   ジーの小言は、一体どこへ行けば良いのだ。

路頭に迷うジジーの小言 !

 

夏が過ぎて、そろそろ  Autumn  has  come  アキがきた頃では御座いませんでしょうか。

 

余談になりますが、突然ちょっと気がついたのですが、ここの話では、「ジジー」と後のジを伸ばす呼称で統一してますが、これが「ジージ」と前のジを伸ばす呼称もあるのですよ。

これが、「ジジー」と「ジージ」とでは、全然印象が違うのですよ。

勿論「ババー」と「バーバ」も同様ですな。

お孫さんのおられる方、お宅では、どっちかなー?

場合により、使い分けられている。そーでしょうな。

対抗手段を講じなくてはね。

お小遣いに差をつけるか ?

 

本日は、この辺りで、止めにします。毎度の御粗末。

 

どうも、お疲れ様で御座いました。

懲りずに、またのお越しをお待ち申し上げます。

 

 

お後がよろしいようで