《停念堂閑記》106

「日比憐休独偏記」34

 

「自投ブーメラン?」

  

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。

遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方はいないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。

とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。

もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。

とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。

ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼きにだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。

 

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多くいらっしゃられるのではないでしょうか。これをしなければ、と言う特別なすべき事も無く、何処へ顔を出しても、特に歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。

 

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

さて、本日の話は、これ迄に無い、誰もが、一度もお目にかかったことのないような飛びっきりスゴイ話ですよ。どこがスゴイのかちゅーと、どこをどう切っても、阿呆クサイ、トロクサイ、鈍クサイ、けちクサイ、辛気クサイ、キナクサイ、陰気クサイ、素人クサイ、これだけ並べればどれかにひっかかるであろうクサさがプンプンの金太郎飴で、もう、どこをどう切っても、クサイ、クサイ話なのですよ。吸い込んだら最後、脳ミソがグズグズになってしまいますからね。お気をつけ下さいませ。予め、消臭剤のご用意を怠り無く。マスクも。

なんて、言う程の事はまったく御座いません。平凡極まりないムダ話で御座います。

歯を全部抜いて、総入れ歯にしたハナシのような話ばっかりですから。

 

では、参ります。

 

本日は、いわゆる今現在国民的に最も盛り上がっている大関心事と言える「国民年金」をツマミに、思いっきり辛辣、本日は「辛辣」にポイントをおいて、憎々しげにボヤイて、みたいと企んでいるので御座いますよ。

きっと、もー、見るに絶えず、読むに絶えず、ディスプレーに五寸釘をぶち込みたくなる感情に掻き立てられるような駄文をズラズラと並べたいと思うのですよ。と申しましても、言うまでもなく、既に能力に限界が見えていますので、威勢の良いハッタリをかけても、実態が伴うかどうかは、全く当てになるものではない、と言う甚だ残念な結果が見えている気がするのですが。

要するに、政府から後期高齢者のレッテルをはられたジジーの何時もの、マンネリ気味の小言幸兵衛的ボヤキなのですよ。

たまには、良いのではないでしょうか。

エッ! しょっちゅうやっているではないか、ですって。

いやいや、それは誤解ですよ。

何時も、常識を踏まえた、極めて穏健な駄文を並べていますよ。タブン。

結局は、駄洒落を言いたかっただけかよ、ってですっか。

大正解、その通りなのですよ。よく気がついてくれましたね。気がついて貰えなかったら、ここまで引っ張った努力は、何だったのかと、ぼやかなくてはならないところでした。努力をすれば、どっかで報われることがあると信じて、本日は辛辣に、辛辣街道を進むことにします。

辛辣に評される方に、問題があるのですからね。

きっと、誰かさんの言いたい事も、混じっているかも知れませんよ。乞う、ご期待。きっと、外れると思いますが。

 

先ず最初に、「年金」て何だ? と言う疑問について、ある程度の解説が必要かな、と思ったりするのですよ。

このような時、インターネットは便利ですね。「年金とは」で検索すると、実に多数の解説的情報が提供されてきます。沢山有り過ぎて、どれを見たら良いか、迷ってしまいます。全部見るには、時間と根気が伴いませんな。だから、はじめの部分に紹介されている情報を、自分の要求に合うものがないかなー、とざっと見る事にしますなー。

運がよければ、割合早く巡り会えたり、悪ければ、なかなか巡り会う迄、時間を要する場合もありますなー。

幸い、今回は、「コトバンク」と言うサイトに、小生の求めていたのに近い情報があるのを見つけました。ちょっと、長いかも知れませんが、下に引用して示します。

 

年金(読み) ねんきん (英語表記) pension

 

翻訳|pension

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

 

年金

ねんきん

pension

一家を支える者が老齢障害死亡により所得を喪失,あるいは減少した場合,長期にわたって定期的に金銭給付を行なう社会保障制度。国が運営・管理する公的年金と民間で任意に行なう私的年金とがある。日本の公的年金は原則として強制加入で(→強制保険),国民年金厚生年金保険共済組合の 3種に分かれている。私的年金企業年金個人年金など。歴史的には,ヨーロッパで 19世紀頃から加入者が保険料を負担する拠出制年金制度が各国に普及した。日本の年金制度は 1875年にできた軍人の恩給制度が始まりで,のちに公共企業体の職員,国家公務員,地方公務員などを対象に共済組合が発足した。一方,1942年に工場労働者を対象とした労働者年金保険法(昭和16年法律60号)が施行され,1944年には対象を企業で働く男女従業員に拡大して厚生年金保険法(昭和19年法律21号)が制定された。1959年に従来の制度の適用を受けられなかった自営業者などを対象とした国民年金法が制定され,1961年の全面施行により国民皆年金体制が確立した。その間,厚生年金の適用対象であった私立学校教職員と農林漁業団体職員は,それぞれ 1954,1958年に共済組合を創設した。1986年には専業主婦の強制加入,制度の一元化と制度間の給付水準格差の是正,安定した年金財政の確立を目的に,すべての国民共通の基礎年金制度が導入され,今日の年金制度の骨格ができた(→基礎年金番号制)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報                     (「コトバンク」より引用)

 

「年金」とは、概略このような事のようですよ。勿論、細かな事については、分らないところが多々ありますが、おおよそのところは何となく分かったような気がしますね。

てなことで、分ったような顔をして、次に進めることにします。

人間体裁を気にしますからね。分かったような顔で、というところがミソなのですよ。こうしないと、前へ進めませんから。分らない顔で、グズグズしていると、一向に前進できませんから。勘違いでも構うことは御座いませんよ。分かった顔が、前進のための肝心なところですよ。

分かった顔して七十余年、政府から後期高齢者と言うレッキとしたレッテルをはって頂けるまで、分かった顔がもとで、一度も死んだことは御座いません。図々しく生き延びることが出来ていますからね。実証済みです。

分らないことがあっても、大丈夫なのですよ。大事なのは、分かったような顔をする、と言うことなのですよ。分ったような顔をして、アレコレ言う自由が認められているのですよ。ここに小言幸兵衛の出番が回ってくると言うものなのですよ。これで、若干のヒマ潰しができると言うものなのですよ。

 

最近問題となっている年金関係のことは、政府が以前に言い切った、“年金は100年間は大丈夫”、というような内容のことに関ることですね。と分かったような事を言うわけですよ。

 

これが、最近、金融庁などから65歳で年金を受け取ることになる夫婦が、仮に100歳近くまで生きるとすれば、どれくらいの生活費が必要になるのか。これと受給できる年金との関係はどうなるのか、と言った勝手に拵えたモデルケースが示されて、現行の年金制度で生活するには、この場合約2〜3千万円不足である。すなわち、現行の制度で、年金生活を送るには、約2〜3千万円の蓄えが必要である、とされるような情報がマスメディアなどで取り沙汰され、これが、“2〜3千万円の蓄えが無くては、老後の年金生活が出来ない”と言うような風評となり、これが一気に広がり、政府が以前に言い切った、“年金は100年間は大丈夫”と言うのは、いったいどうなっているのだ、と言うようなことに発展し、国会でも問題となって、物議をかもしだす結果となっているようですね。と、まー、分ったようなまとめをするのですよ。ちょっと、文章が長くなっちまいましたがね。多少分かり難くても、ここでは分かった顔がミソなのですよ。しっこい様ですが。

 

概略、上記のようなことで、国民の老後の不安が、一気に吹き上がっちまった、と言うところですな。

 

しかし、ちょっと待って下さいよ。そもそも政府が以前に言い切った、“年金は、100年間は大丈夫”と言うことを、国民はどのように受け止めていたのでしょうかね。

幾らなんでも、これから先100年間、老後の生活は、年金で保障される、大丈夫と思ってはいなかったでしょうね。まさか、そんなお方は、いらっしゃらないとは思いますが、万一、万一ですね・・・・・、としたらと言うことですよ。

 

もしも、このように思っておられた方は、ずーっと一年中お正月をやっておられるようなお方ですよ。(解説 → お目出度い方と言う意味です。ここが過激な辛辣な部分なのですよ。どうですか、ムカッと来ましたか。でも、大丈夫ですよ。正月には正月の事情があり、言い分があるのですから。)

現行の年金制度で支給される国民年金だけで、老後の生活が、ちゃんと保障される人は、殆ど居ないと思われますよ。蓄えは別ですよ。国民年金だけで、と言う意味です。

周囲を見て御覧なさい、っちゅーの。基礎年金=いわゆる国民年金だけで、悠々と余裕のある生活を送っておられる方がいますか。基礎年金、65歳からまるまる貰っている人だって、1人、月6万5千円ほどですよ。これで、衣食住をはじめ、生活費全部を賄いなさい、と言われたって、どうにもならないですよ。税金だって、納めなくてはならないのですよ。と言うのが実情では御座いませんか? 今現在で、ですよ。このような状態なのに、100年先まで、大丈夫、なんて思っている方がおられるとすれば、それは紛れもなく、年中お正月の方ですよ。(辛辣で御免なさいね)

 

年金は、ある程度貰えるでしょうが、それだけで安心して年金生活を送れるとは、どなたも思ってはいなかったのではないでしょうか。足りないな。その為には、蓄えが必要だな、と皆んな思っていたのではないでしょうか。

政府が以前に言い切った、“年金は、100年間大丈夫”の意味は、その時に制定した年金制度は、100年間は、制度として維持できる、と言うことで、この制度で、100年間国民の老後の生活が大丈夫と言うものではなかったのですよ。この制度は、その時々の経済の状況に見合う年金の支給が可能である、と言うことで、分り易いように、極端な事を言えば、経済状態がすっかり冷えきっても、現行の年金制度では、年金の支給が出来るのですよ。但し、月々の支給額は、300円になるかも知れませんが。一日平均10円。と言うことで、制度は保持できるが、老後安心してやって行ける金額の支給が、可能だなんて、最初から言ってませんよ。制度は100年間だって、大丈夫と言うことだったのですよ。

 

それを国民の中には、大雑把に、判り良く言えば、今後、100年間は老後の生活するに足る年金が貰える、と勘違いして記憶していた方がいたのではないでしょうか。

それが、この度、標準65歳から年金を貰うことにすれば、約2〜3千万円の蓄えを持っていなければならならず、その蓄えを切り崩しながらやらなくては、老後の年金生活が出来ない、と突然言われたので、なんだなんだ、“政府が年金は、100年間は大丈夫”と言い切っていたのは、ウソだったのか、と騒ぎ立てることになったのですよ。

 

このように、勘違いして理解していた国民がおられるとすれば、こう言ってはお気を悪くされるでしょうが、そうとうお正月的、すなわち、お目出度いと言うことになりはしませんか。(辛辣でしょう。)

普通、3、4年先のことですら、どのようになるのかハッキリしないご時世なのに、100年先まで大丈夫といわれて、はいはい左様で御座いましょうね、と思う人がおりますか。国家財政は疲弊し切って、もう返済不可能な莫大な借金をかかえていている現状で、100年先まで大丈夫と言われて、ケッコウ、ケッコウと納得しておられるのですか、ちゅーの。ニワトリじゃーあんまいし。(どうです。重ね重ね辛辣でしょう。)

 

国民の誤解、もしもそうならば、呆れ返るばかりの現状でしょうが、この辺りをキチンと説明せず、この先100年間は、年金で老後の生活が保障されると言うがごとき錯覚を与えたのが、政府、政党、国会議員(全員とは申しておりません)の連中でしょうなー。選挙の時の票集めのためには、耳触りの言いことを言って、国民を誤解、錯覚に陥れたのでしょうな。と疑いが持たれているのですよ。(「国民を誤解、錯覚に陥れた」と言う部分だけを切り取って、四の五の言わないで下さいよ。全体のなかで、判断して下さいませよ。)

 

と言うことで、みんな心配していたように、特に、20〜40才代の人々は、誰もが自分らは、年金の掛け金は納めさせられる、老後に年金は貰えないであろうと、思ってはいませんか。(これも誤解ですよ。全然貰えないと言うことではありません。ちょびっとは貰えそーですよ。)

なんちゅったって、掛け金を支払らう年齢層よりも、年金を貰う年寄りの方が、圧倒的に多数なのだから、単純計算では、掛け金を支払らう年齢層の掛け金で、年寄りを支えられる訳が無いではありませんか。

この事は、随分以前から、マスメディアでも報じられていた事ではありませんか。それでも、将来標準で65歳から、年金を貰って、悠々自適の老後をおくることが出来ると思っていたのですか。そんなことを思っていた人がいたなら、それは、やっぱり正真正銘のお正月・お盆人と思われてもしようがないかも知れませんよ。(どうです。しっこく辛辣でしょう。)

 

誤解しないで下さいよ。歴代政府が築き上げてきた年金制度が、立派と褒めている訳ではないのですよ。どちらかというと、その反対です。

現行の年金制度の欠点は、老後、安心な年金を貰えない、と言うことも去ることながら、最大の欠点は、もー、複雑過ぎて、何がどうなっているのか、全然分らなくなっている、と言うことですよ。

 

根本的に基礎から、造り直さなくては、どうにもならなくなってしまっていると言う現状ですよ。

 

それは、歴代の政府・政党・国会議員および官僚らが、目先のことにしか関心がなく、具合が悪い箇所が露見すれと、取り敢えず、絆創膏をはり、ガムテープでくっつけ、時に包帯をするなど、その場しのぎの対策しか講じてこなかった。基本となるところには手を着けず、応急処置に応急処置を重ねて、本体がどうなっているのか見えない状態とするどころか、かなり資金が溜まっているぞ、なんて、これも目先の関心だけで、必要とされてもいない、とんでもない箱物施設を次々に建設し、挙げ句の果て赤字経営となるや、億を投じて造った施設を、なんと、なんと100円で民間に払い下げると言う案を国会に提出したことがあるくらいですよ。野党に突かれたら、なんと、なんと、それじゃー10倍にすると答弁した政府があったのですよ。一気に10倍だよ。10倍。一般的には、もの凄い倍率ですよ。

早い話が、それなら10倍にして1000円にする、と答弁したのですよ。国民をこれほど愚弄した政府を見たことが無かったですな。皆さん、ケロッと忘れてはいませんでしたか。その次ぎの国政選挙で、またまた同じ人を選出しませんでしたか。まー、このようなのが、お好きならば、選出しても、何ら構いませんが。

それから、何処へ行っちゃったか分らなくしてしまった年金の処理、どうなっちゃったの。当時の政府は、最後の一人まで、明らかにすると、高らかに言い切ったのですよ。このごろは、見向きもしなくなりましたね。そんな政府から、100年間大丈夫と言われて、本当に信じちゃったの??? 嗚呼! 嗚呼! 嗚呼!

 

とにかく、現行の年金制度は、複雑混沌としていて、まったく分りづらい代物となっていますよ。

ただし、最も大事な点は、明白なのですよ。それは、老後、年金だけでは生活ができませんよ、と言う制度だ、と言うことですよ。これが、結論です。

だから、2〜3千万円貯めておきなさい。それも、タンスにしまって置いてはダメだよ。投資に回しなさい。但し、投資は自己責任でやんなさいよ。スッテンテンになったとしても、それは、自分の責任だよ。と言う次第ですなー。

 

 

さて、振り返って見ますれば、このような年金制度を作ったのが、国会議員と呼ばれてきた人達なのですよ。すなわち、国民有権者が国政選挙で選出した代議士さん達が、今のような状況を作った元凶なのですよ。国民有権者が、そんな代議士さんを当選させたのですよ。と同時に、選挙に行かない無関心の人達も加わってつくり出した状態とも言えるかも知れないのですよ。

 

なにも年金問題に限った事では御座いませんよ。難題山積でございますよ。

現在の日本の最大の問題が、ここにあると思うのですよ。

国政選挙で選出された国会議員が、選出した有権者が納得できない政策を進める、ここに最大の問題があるのですよ。きっと。

この事態について、偏独(偏見と独断の略語)ながら、極めて分り易い一つの切り口を示すと、有権者に選出された国会議員に問題があるのか、選出した有権者に問題があるのか、と言うことですよ。あくまでも、一つの切り口です。

この観点から、見ると、そもそもの問題は、国政選挙の実情に根っ子があるのではなかろうか、と思われるわけですよ。

国政選挙の度に有権者のボヤキ声が、聞こえるのですよ。それも、かなり多数のね。

投票場へ行っても、この人は自分の代表として信頼できる、投票用紙にこの人の名前を書きたという人が、立候補者の中にいない、と言う声ですよ。多数聞こえていますよ。ホント。

このような何とも無惨な状況で、国政選挙が毎回、毎回実施されている現実があるのですよ。

しかし、このような有権者は、こんな人の名前を書きたくない、と言う無念さがあるのですが、仕様が無いから、立候補者中の誰かさんの名前を、シブシブ投票用紙に記入して、投票箱に入れて帰ってくるのですよ。手間隙けてね。

実に、無惨な状況ですよ。膨大な費用と手間隙をかけて、こんなことを繰り返し、繰り返し、ズーッとやっているのですよ。

 

うちのお兄ちゃんが、随分大きくなって、去年のTシャツが着れなくなった。と言ってイニクロへ出掛けて、色々と物色したけれど、ちょうど合うサイズが見つからなかった。と言う時に、しゃーないな、まー、いーか、と言って、着ることの出来ない、サイズの合わないシャツを買ってきますか。そんな愚かなことをする人はいませんよね。

 

それが、選挙に行って、候補者の中に信頼ができる人がいないのに、まー、いーか、てんで、なんで納得の行かない人の名前を書いて、投票箱にいれちゃうかねー。もー、少し真面目にやって下さいよ。本当に。

 

だって、候補者の中に、選出したい人がいないのに、どうすれば良いのさ。って、ですか。そこが問題のところですなー。実に、打つ手が無いのですよ。信頼できる人が立候補していなければ、いくら誰かを選べ、と言われても、無理、選べないのですよ。

 

しかし、選びたい人が、いないのに、適当に誰かの名前を書いて、投票する、と言うのも可笑しいことですよ。

そこで、あたしゃーね、以前、シャクだから、素直になって、選びたくても、選ぶに相応しい人がいないのだから、「該当者なし」と書いて投票したことがあるのですよ。

むろん無効票扱いになりますね。

しかし、信用ならないやつの名前を書く訳にいきませんからね。

これが、棄権してはダメですよ。ただサボッタだけと見なされてしまいますからね。

白票は、一応批判票と見なされる場合もあるかも知れませんが、ふざけたヤツだ、と見なされ兼ねませんからね。

それだったら、「該当者なし」と書いて、こちらの意思表示を明確にしてやろう、と思ったのですよ。結果は、全然問題にもされなかったことは、言うに及びませんが・・・。

しかし、一矢報いないとね。これが、仮に、仮にですよ、かなりまとまった票となれば、選挙管理委員会でも無視するわけには、行かなくなり、社会的に無視出来ない事態が到来するはずなのですよ。そうすると、政党も立候補者側も、相当考えなければならない事態となるのですよ。はかない抵抗ですが・・・。だまって、どうにも仕様の無い国政選挙を重ねて行くよりは、マシだと思うのですが。非力なジジーの空しい抵抗です。

だけど、「デコポンペケ助」だけは、絶対に投票用紙に名前を書いてやらないからね。

 

突然で御座いますが、「デコポンペケ助」について、知らない方々のために、ちょっと一言解説しておきます。

以前、三宅久之さんと言うお方が、政治評論をしておられました。そうです。思い出されたお方もおられるでしょうね。内部も外見もピカピカ頭の評論家。2012年にお亡くなりになられまして、久しくなってしまいましたが。

なかなか鋭い分り易い評論で、定評がありましたよね。

この三宅氏が、「ポン助」「デコ助」を多発しておられましたね。「ペケ助」は不肖小生が付け加えさせて頂いたオマケみたいなものであります。

棒にも箸にも掛からない代議士が、「ポン助」であります。実に、要を得た、説明不要のムダの無い命名であります。

そして、「ポン助」を上回る阿呆な存在が「デコ助」であります。この両刀で、どうしょうもない代議士を、バッタバッタと撫で斬りにしてましたね。

ところが、最近は「ポン助」、「デコ助」の更に上を行く代議士が、続出ですので、ここで「ペケ助」の登場となったのですよ。

そうです。各自、それぞれ想像をたくましゅうして下さいませ。あの御祖末な代議士が「ポン助」、更に、その上を行っているあの代議士が「デコ助」なのですよ。そして、そして、更に、更に、その上にあらせられる、あの代議士が「ペケ助」なのですよ。

以上、「デコポンペケ助」の解説で御座います。

なんと驚くことに、容易に「デコポンペケ助」を想像することができるでしょう。この手の代議士ばっかり。国民の望むことの議員立法一つ、その作成、成立に努力出来ない代議士。あなた達、ホントに国民の代表者なの。

 

しかし、悲しむべきことに、この「デコポンペケ助」さん、みんな国政選挙で当選した御方々なのですよ。そうです、国民有権者が選出した、自身の代表者なのですよ。

 

投げたブーメランは、ちゃんとそれなりの役目を果たして、投げた当人のところに返ってきますなー。

 

国民有権者は、自分が投げたブーメランで、自分がなぎ倒されたに等しい状況を作っていると言う事では御座いませんでしょうか。これを以前から、ズーッと、ズーッと続けているのですよ。何回も、何回も、国政選挙を重ねても、基本的にはこの状況から脱していないのですよ。いい加減なんとかしてよ。ホント。

 

と言う次第でして、最も大事なことは、国民がもっともっと賢くならなくてはならない、と言う一事だと思うのですよ。

辛辣に表現すれば、国会議員に「デコポンペケ助」がいっぱいいるのではないのか、と言うことは、取りも直さず、国民に「デコポンペケ助」がいっぱいいると言うことに他ならない、と言うことになってしまう訳なのですよ。

だから、国民は、もっともっと賢くならなくては、と言うことですね。

そのためには、早い話が、真面目に勉強もしなくてはならない、と言うことでしょうな。

イベント通いで、目先の楽しみを成就するのも良いですよ。大いに楽しんでケッコウだと思うのですが。でないと、やってらんないところが御座いますからね。

しかし、ですね。決めなきゃならない場合は、思いっきり真面目に、決めないと、いい加減なブーメランを投げると、いい加減な結果を携えて、ちゃんと自分のところに返ってきますからね。

とにかく、多少は勉強しないとね。少しでもやって見ると、ちょっと分かった顔ができるようになって、前進できると思うのですよ。

 

と、まー、例のごとくの綺麗事を並べて、それじゃー、お前はなにをした、と言われると、これまた例のごとく、残念ながら、面目御座らぬの一言あるのみなのですよ。

 

年金の話は、どうなった、ってですか?

現行年金の制度は、もー、とにかく複雑過ぎて、分らなくなっている、と言うことでしょうな。基本から立て直さなくては、応急処置では、どうにもならない事態に立ち至ってしまっている、と思われますな。

 

以前、国民年金=基礎年金しか受給できていない方々から、サラリーマンは、沢山年金が貰えて、いーなー。不公平だ。と言う声が上がったことがありますなー。

国民年金=基礎年金を貰う為には、その為の資格を得るために、それ相当の掛け金を納めなければならないのですよね。

サラリーマンは、国民年金=基礎年の他に、厚生年金や共済年金を貰うので、手取りの年金額は、国民年金=基礎年金しか受給できていない方より、随分多額になる訳です。

しかし、厚生年金や共済年金を貰うには、毎月、毎月の給料から、それ相当の掛け金を納めなくてはならないのですよ。

これが、結講な額でしてね。

簡単に言えば、月給から自動的に退職金のための掛け金が天引きされ、厚生年金や共済年金のための掛け金が天引きされるのですよ。それが後に、退職金や年金となって、戻って来る、と言う仕組みで。だからサラリーマンの年金の方が、多くなるのですよ。この掛け金の額が、半端ではないのですよ。

これは、有無を言わせない天引きですからね。一度で良いから、天引きされない給料を、振込ではなくゲンナマで受け取ってみたかったですなー。

この他に、所得税地方税を納めなくてはならず、国民健康保険料、介護料等々が差し引かれると、月給の額面より、手取りの方はもの凄く激減しているのですよ。月々の生活は、原則、この手取りで遣繰りしなくてはならないので、実に大変なのですよ。消費税率も間もなく引き上げられるしね。

どっこい、政府は、月給は着実に上がっている。と言い張るのですよ。政府の言う月給は、もちろん額面の方ですよ。手取りではないのですよ。

その上、働き方改革で、残業させるな、するなと言うのですよ。サラリーマンの方は、多少とも手取りを多くしょうと思えば、残業が必要なのですよ。残業代が無くなっては、手取りは、どうなります。

 

一方、労働人口の激減で、労働力不足が大問題となっていますなー。そこに、残業させるな、するなでは、労働力不足の方はどうなるのでしょう。

無論、ブラックはいけませんよ。ブラックは。ブラックは、残業させておいて、残業代を支給しない、と言うようなところに問題があるのではないのですか。

残業については、全て悪とするような考えは、如何なものでしょうかね。要は、バランスの問題では無いのでしょうか。需要と供給の関係で、労使双方が納得のいく、無理でない場合は、ケースバイケースの判断があって、然るべきと思われるのですが。何でも業種一律と言うような、単純な考え方ではなくね。

 

小言幸兵衛があらぬ方向へと進んでしまいましたが、話を戻すと、サラリーマンの年金が多く見えるのは、長期に渡るそれなりの掛け金を納めているからなのですよ。

このような事は、今では誰でも承知していますでしょうが、以前は、そうではありませんでしたね。サラリーマンは良い年金を貰っている、でしたよ。

要するに、年金制度が、よく理解されていなかったのですよ。このような側面は、現行年金の制度においては、山ほど御座いますよ。ちっとやそっと、説明を受けたとて、分る代物では御座いませんよ。

更に、年金問題も含めて、福祉政策全般に関る金がないから、消費税律を10%に引き上げてやる、と言うことのようですなー。

このような目先の難題を、小手先の応急処置で乗り切ろうと言うのが、現在の政府、政党、国会議員の多くなのですよ。

大体、消費税律を10%に引き上げただけで、福祉問題が解決すると思ってんですかっちょーの。すぐさま、引上げ、また引上げ、また又引上げの連続になることが見え見えでは御座いませんか。

国家運営費の収支方法を根本的に考え直さなくては、何にも解決に向かわないのでは。

しかし、「デコポンペケ助」の集りではね。嗚呼、アー。

こんな時こそ、官僚がしっかりしていてくれれば、と思うのですが。こちらも、スカポンタンかなー。忖度、忖度で。要するに、牽引する機関車の部分が、忖度、忖度のスカポンタンになっちゃってはねー。嗚呼、アー。

かくなる上は、国民がしっかりするより無いですなー。

今度の参議院選挙では、どうなるかなー。またまた、嗚呼、アーかな。

気長に、待ちましょう。きっと、もっと良い日が来るかもよ。

 

この辺りで、本日の過激辛辣小言幸兵衛の退場とします。

決まり台詞。こんなことで、面目次第も御座らぬ。

分っちゃいるけどねー。なかなかねー。

 

どうもお疲れ様でした。

またのお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで