《停念堂閑記》75

「日比憐休独偏記」10

 

量刑 ?」

 

ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本日も、年中休みの日比憐休(ひび れんきゅう)のヒマ潰しに、お付合い下さいませ。憐休の方は、阿呆臭い、下らない、馬鹿馬鹿しい、行き当たり、バッタリの話を作ることで、ヒマを潰し、対して、お客様は、それを読むことで、ヒマを潰す。

お互いに、持ちつ、持たれつで、結講なことと、思われるのですが、ヒマの方(ほう)は、結講、厳しく、どっちへ転んでも、潰されるばかりでと、ボヤイているようですよ。

毎度、馬鹿馬鹿しい、ボヤキめいた話で、甚だ、恐縮しております。

しかし、行き当たりバッタリで話を進めていると、いつの間にか、ボヤキになっているのですよ。

と言う事は、これは、きっと、ボヤキが好きなのですよ。

この歳になって、ようやくその事に気づきましてね。この歳になるまで、気がつかなかった、と言うことは、いったい、この歳になるまで、何をやって来たのですかね。俺の人生って、一体、なんだったのだ。と、まー、ボヤキが入る分けで御座います。

まー、ボヤイたからと言ったって、代金を支払う分けではなし、消費税がかかる分けでもなし、どーってことは、ありませんからね。なんぼでも、ボヤイて、差し支えございませんよ。

こんど、ボヤキのイベントでも、開催しましょうか。

多少の心配が御座いますが。

と、言いますのは、ボヤキ始めると、留(とど)まるところがなくなりますからね。

子供は、親の小言をボヤキ、親は、言う事を聞かない子供をボヤキ、お父さんは、言う事を聞かない子供に加えて、奥さんの小言をボヤキ、さら に、仕事の忙しさをボヤキ、お母さんは、子供の塾、習い事、給料の安い割に、お父さんの帰りの遅いこと、家にいればグウタラしていること、家事の手伝いを サッパリしないこと、それに加えて、高級ホテルのランチが、値段の割に、旨くないことまで、とにかく、ボヤキのネタは、尽きませんよ。

みなさん、とにかく、ボヤキのネタを沢山お持ちのようですわ。

かく言う、小生も、自慢ジャーありませんが、なんぼでも持ってますよ。

総じて、面白くは、御座いませんね。どちらかと言いますと、イライラ、ムカムカ系が多いですね。

それでは、今日も、ヒマ潰し、参りましょうか。

 

今日は、「裁判」の事柄について、思い浮かぶことをボヤクことにしましょう。

幸か不幸か、七十余年、私自身は、裁判に関わったことは、御座いませんな。

随分以前になりますが、最高裁判所へは、所用で行ったことがありますよ。

正面玄関の階段を登って行ったら、警備の人に呼び止められました。「弁護士先生」ですか、と声を掛けられましてね。ソソッカシイ警備員ですな。依りによって、小生が弁護士先生に見えたらしいのですよ。

被告と間違われなったのが、なによりの救いではありましたが。

表の警備員が、この程度なら、中で行われている裁判も、思いやられますよ ?

別の用事だ、と伝えると、それなら、向こうの脇の方の入口から入るように指示されまして、行ってみましたら、思いっきり裏口風でしたよ。おそらく、職員の出入り口ですよ。きっと。

お断りしておきますが、呼び出され訳では御座いませんから。呉々も、誤解なさらないで下さいませ。

用事を済ませた後、初めてでしたので、一応内部を案内してくれましたよ。

田中角栄さんの時に、建て替えられたと言う説明を受けた記憶がありますなー。

大法廷など、立派ですなー。いわば、すり鉢の底の部分に、被告席がありまして、えらく高い所に、裁判官席が、ずらーっと設えられていた、と、言う記憶がありますなー。かなり威圧感がありましたなー。

あれでは、私のような小心者は、心ならずも、全てお奉行樣の言うとーりでごぜーやす、と、言ってしまいそうな感じでしたなー。

くれぐれも、裁判で呼び出されたことは御座いませんから。

またー、偉そうに、法律違反をしたことはないのか。と、問われますとね、違反で何回か掴まったことはございますよ。警察官に現行犯で、掴まったことは、あるのですよ。

まー、一応取調べを受けましてね。

有り体に白状しろ。この桜吹雪が目に入らぬかー。なんて、脅されたりはしませんでしたが、一通り、取調べが終わると、いわゆるキップと言われているものですか。それを渡されましてね。郵便局へ行って、そこに記入されている金額を振り込むように、と申し渡されて、釈放となったのですよ。

マー、早い話が、車のスピード違反。いわゆるネズミ取りにひっかかりましてね。道路交通法違反ということで、罰金を課されたと言うことですよ。

わたしゃー、ネズミではない。と言っても、ダメのようですよ。

ネズミ取りをしていて、ネズミを捉えた時のお巡りさん、言葉遣いが、馬鹿っ丁寧ですよねー。

お急ぎの様でしたが、何か急用だったのですか ? なんてね。

今日は、この先、パトカーも出ていますから、気をつけて行って下さい。なんて、上機嫌。ニコニコしているのですよ。ネズミを捉えた時のネコの心境なのですかね。

以上、ボヤキ その1。

 

次に、ここで、疑問があるのですよ。

ようするに、道路交通法で、当該道路の最高速度の上限が決められていますよね。50キロとか、60キロとかね。

これは、好意的に見れば、この道路では、これ以上のスピードを出すと危険だから、と言う理由で、この制限速度が決められているのですよね。

これは、まー、理解できますよ。

ところが、この制限速度以上のスピードを出した場合、その違反したスピードに合わせて、罰金が課せられるわけです。この罰金の額の規定の根拠が分からないのですよ。

例えば、これは実際の額とは違いますよ。ここでは、理解し易い良いように、分かり良い数値を使います。

たとえば、違反速度1キロに付き、100円の罰金を課す、と規定されていたとすれば、何故、1キロ、100円なのか、と言う根拠が分からないのですよ。

スピードに値段があるのか、ちゅーことですよ。

キャベツ 1キロ 100円と言うのであれば、タネの値段、肥料の値段、収穫する迄の人件費、輸送費、仲買・卸売りの利益、そして、小売りの利益等、これらの諸経費を勘案して、1キロ 100円と言う価格になるのですよ。と説明されれば、なるほど、そう言う計算があるのか、と理解できるのですが、スピードの場合ね。どうして、1キロ 100円なのか、これは理解不能ですよ。

もともと、スピードなんぞ、価格を付けられる性格のものでは無いのですから。

これは、中古のスピードだから、1キロ 80円だとか、これは新品の特上のスピードだから、1キロ 130円だ。まとめて買ってくれるなら、キロ 120円にするよ。なんて話、聞いた事ありますか、ちゅーの。

スピード違反に関する罰金額の規定が、具体的に、何処で原案が作成され、どのような過程を経て、法制化されるのか、詳しいことは知りませんが、法制化されていることは、確かですよね。

スピードの取り締まりをしている警察官のその時の気分で、罰金額が定められるものではありませんよね。

また、北海道より、四国の方が安い、いやいや沖縄へ行ったら、更に安いと言う事ではありませんよね。

きっと、日本全国、一律の罰金額が施行されていますよ。それとも、各県警によって、多少の違いがあるのでしょうかね。よくは知りません。

ようするに、本来的には、価格の付けようがないものに、誰かが何らかの根拠に基づいて、価格を付けてですね、それが、法律となって、違反者罰金として課されるわけです。

面白い、と言えば、面白いですよね。原則が明白にならない、不思議な要素が入っている法律と言うことが言えると思うのですが。

以上、ボヤキ その2。

 

しかし、このネズミ取りの罰金に拘らず、ひろく法律に違反した場合の量刑が、このような性格を有しているのではないのか、と言う事です。

たとえは、民事訴訟で、100万円の損害を与えたのであるから、100万円の賠償金を支払え、と言う、判決の場合は、理解し易いですよね。論理が明白ですから。

ところが、例えば、AがBに暴行を加えて逮捕され、裁判の結果、懲役5年と言う判決が下された。

この時、AがBに、5発のパンチをくらわせ、瀕死の重傷を負わせたのである。

と言う事が明確な事実となっている、とします。

この場合、パンチ1発、懲役1年と言う定額があれば、5発だから、懲役5年と言う量刑となる。と言うのであれば、論理明快ですよね。

しかし、パンチ1発、懲役1年と言う定額なんか、付けようがありませんよね。

パンチ1発、どう言う訳で懲役1年なの、と言う、論理が分かろう筈がありませんよね。

裁判においては、殴った理由、暴行の実情、負わせた怪我の程度等、すなわち、この当該暴行事件の事実に基づいて、担当裁判官裁量により、その量刑が決められる。と言うことですよね。

このような場合、どうして、懲役5年とか、10年とか、はたまた20年とか、と言う量刑が導き出されるのか、この論理は、実に、分かり難いですよね。当該事件を起訴した検察側が、量刑を決めて、裁判に臨むのですよね。

現在の裁判では、過去に類似した事件はなかったかが、直に調べられるでしょうね。そして、その類似事件の量刑が、どの様であったのかが、参考にされて、その上で、当該事件の特性を考慮して、その担当裁判官裁量よって、量刑が決められものと思います。

すなわち、判決には、過去の判例を参考に見る、と言うケースが多いものと思われますね。

多分、類似した性格の事件が、個別に、著しく異なる判決となることを避けているのでしょうね。すなわち、公平の論理に基づくと、そのようになるのでしょうね。

しかし、過去による判例の扱い方については、担当裁判官によって、異なることが当然あってもおかしくない訳です。

ですから、長いスパーンでは、判例が積み重ねられていく過程で、時代の変化に即応する部分があるでしょうし、裁判官も別人でしょうから、判例も自ずと変化していく、と言うことになるのでしょうね。

とにかく、裁判において、基本的に要求されることは、公平・公正の2語ですよね。

類似した事件なのに、裁判官が別人であることによって、著しく量刑が、異なってはおかしい訳です。

類似した事件と言え共、世の中に同じ事件は、二つとない訳です。

場所も、時刻も、関わった人も、皆同じなんという事件は、そもそも存在し得ない訳です。

従って、事件は、皆それぞれ、特有の個性がある訳です。ですから、その見極めを如何に公平に、公正にするか、と言うことが、裁判官の最も配慮すべき事柄となるのでしょうね。

しかし、判決の結果については、どの事件を取ってみても、原告側と被告側が、共に納得がいく判決は、甚だ少ないのでは、ないのでしょうか。

加害者は加害者の立場としての主張があるでしょうし、被害者は被害者としての主張があるわけで、多くの場合、相反する主張である訳です。

結局、双方あるいは片方が納得行かなければ、最終的には、最高裁の判断を仰ぐ、と言う制度ですので、納得出来ようが、出来なかろうが、最高裁判決で、当該事件の裁判終結を見ると言う訳です。

裁判は、とにかく公平・公正であることが、大原則な訳です。これは、まさに、その通りであり、反対意見は、通らないものと思われます。

大岡越前守の三方一両損のような判決は、あり得ないのです。大岡の三方一両損は、判決なのですかね。示談交渉を成立させた、と言うことなのですかね。判決だったとすると、分かったような、良く考えると論理不明瞭な判決ですなー。まー、大岡さんの場合は、論理最優先と言う解決法ではなく、人情論による解決法でしょうから、判断の基本が違う訳ですよね。だから、著しい依怙贔屓があっても、庶民感情を満足させれば、名裁判となるわけですな。不公平な裁定でも、世の憎まれ者的存在の者が、懲らしめられれば、OKと言うお話ですなー。

しかし、現在の裁判では、世の憎まれ者的存在の者が、非が無いのに、処罰されると言うことは、行われ無い訳です。

裁判公平性が、存在している訳ですよね。ですから、事実に基づく結果であれば、OKとなる訳です。

これは、これで、論理的に納得できるわけですが、どーも、スッキリしないのが、先ほど指摘した、量刑の問題ですな。

どうして、懲役5年とか、10年とか、はたまた20年とか、と言う量刑が導き出されたか、この論理は、実に、分かり難いですよね。

一つとしては、過去の判例を参考にした、と言う、理屈があるかと思われます。しかし、問題は、過去の判例根拠は、となると、結局は、その事件の裁判官裁量によるものである、と言うことですよね。

最初から、この犯罪は死刑、この犯罪は懲役5年とか10・・・年、この犯罪は科料3万円とか5・・・円とかと言う絶対的な基準が、存在していたと言うことは無い訳です。誰かが、何かの根拠に基づいて、決めた。と言うことなのですよね。

分かりよく言ってしまえば、量刑は、裁判に当たる人の裁量で決められる。と言う話になりますなー。誰でも知っていることでしょうが。

だから、裁判官には、絶大な権限と、それに伴う責任が課されているのでしょうね。

問題は、裁判官が、物事を公正に判断できる資質を持ち合わせているか否か、と言う点ですね。

そのために、厳正な国家試験が行われ、これに合格しなければ、裁判官とはなれないわけですね。

翻って言えば、司法試験に合格したと言うことは、物事を公正に判断できる資質を国家に認められた。と言うことですね。

しかし、地方裁判所で下された判決が、高等裁判所で翻される、と言う事例がありますね。更に、高等裁判所判決が、最高裁判所で翻される、と言う事例も、発生していますね。

と言う事は、分かり良く言えば、地裁裁判官がそうなのか、高裁裁判官がそうなのか、はたまた、最高裁裁判官がそうなのかは、知りませんが、間違えた判決を下した裁判官がいた、と言うことになりますよね。

ということは、物事を公正に判断できる資質がなかった裁判官が、裁判にあたり、判決を下していた。と言うことですよね。

この後始末は、どのようになるのですかね。社会的には、かなり重い責任問題ですよね。

明らかに、間違えた判決を下されて、多大な被害を被った場合には、間違えた判決を下した裁判官罷免とか、資格の剥奪とか、あるいは損害賠償を求めて、訴訟を起こす事ができるのでしょうかね。

上級裁判所で、下級裁判所判決を覆した場合、犯人として拘束されていた場合は、所定の計算方法で、その間の保証金が支払われるようですが、間違った判決を下した裁判官は、罷免されたり、資格を剥奪されたりするのでしょうかね。それとも、署内の人事移動程度で済まされてしまうのですかね。

明らかに、重大な間違いを犯した者へは、相当の責任を課すのが然るべき原則であると、思われますなー。

この辺りの詳しい、確実な知識を持ち合わせないので、この点を調べなくてはならないのかー、と思うと、ちょっとめんどくさいなー。というのが、

ボヤキ その3。

と言うことです。

それから、ついでと言っては、なんですが、殺人罪についてです。

この犯罪の量刑については、ズーッと以前から議論が続いているようですな。

結論を先出すれば、極めて厄介な難解な事案で、明解な結論に達するには、色々な問題が存在しているようですなー。と言うより他ないようです。

例えば、理由が無く、殺害された場合は、裁判で加害者が死刑に処されたとしても、被害者側の無念さは、晴れるものではないであろうから、本当にどうしたら良いものか、分かりませんね。

社会には、色々な価値観が御座いますから、なかなか、簡単に済ませる事が出来ない問題が御座いますなー。

その最も、難解なのが、殺人についての量刑をどうするか、と言う問題でしょう。

例えば、公平を以て、最善とするならば、殺人者に対する量刑は、死刑が相当と言うことになるのでしょうね。

しかし、殺人にも、色々なケースがありますからね。

したがって、殺人に至る事情によって、量刑に軽重が出ると言うのが現実のようです。

この軽重の判断基準が、明瞭でない部分がある、と言う事が問題なのでしょうね。

たとえば、何ら殺される理由を持たない人を、殺意を持って、殺した場合は、この殺人犯の量刑は、死刑相当となるのでしょうね。

これは、単純公平の論理をもってして、分かり易い結論のように思えます。

ところが、5人家族の内4人が、強盗に押し入った犯人により殺害された。殺害から逃れた、1人Aが、この恨みを晴らそうと、犯人を探し出して、殺害に及んだ。となると、Aも殺人を犯したので、当然死刑に処さるべき、と言う単純公平の論理適用の是非が問題となるでしょうね。

まー、ドラマでは、殺人事件が起き、犯人あるいは容疑者が逮捕された場合、その解決へ向けて、

1 殺意の有無

2 殺害にいたる動機

3 殺害実行の状況

などが、基本的な事柄として、問題とされますな。

そして、事件の事実が明らかになると、裁判においては、例えば、

1 確信的行為か

2 突発的行為か

3 過失による行為か

4 勘違いによる行為か

5 騙されたことによる行為か

6 委託された行為か

等々の事が問題とされるようですね。

また、

1 犯人が未成年者であった場合

2 犯人が精神的障害を持ち、殺人についての善悪の判断が不能であった場合

などが、判決の際に、勘案されるようですね。

その範囲が何処迄かについては、門外漢のトウシロウには、よく分かりませんが、情状酌量が考慮されて、量刑が定められるようですね。

最近は、被害者の法廷における主張が行えるような傾向が出現していますね。

裁判においては、原告側と被告側、双方の意見が述べられ、結局は、担当裁判官裁量で、量刑が申し渡される、と言うことなのでしょうね。

ここで、最も不明瞭なのは、情状酌量と言うものですなー。担当裁判官独自の価値観次第で、大きく影響が出る可能性が含まれているのでしょうな。

量刑の決定においては、この辺りのことが、釈然としない状態が発生すると言うことなのでしょうね。

このように表現しては、如何なものかとは、思われますが、量刑等は、所詮は人間の判断によるものだ。と言うことですよね。人間は、100%完璧と言うことは無いでしょう。過ちを犯す可能性を、完全に排することは、無理でしょう。

では、それが気に食わなかったら、どうすれば、いいと言うのだ、と問われると、適切な解答は、無いのですよ。

不謹慎を承知の上で言ってしまえば、量刑は、その同時代を背景に、完璧ではない人間である裁判官が精一杯考えた結果さ。と言う他、ありませんな。

しかし、そのような性格を有するものである事は、歪めないけれども、他に、方法がないので、万全の出来る限りの手を尽くして行われなければならない、と言うことですね。

言える事は、裁判では、公平、公正が第一の基本であるということでしょうな。

量刑判断基準が、最初から、不公平に作られていては、話にならないということが言えるでしょうね。

総じて、一般論としては、起きてしまった事の中には、人間では、どうしようも出来ないことがあるのですよ。と言う、説明で、被害者に不運と思って諦めて下さい。と言う、結論は、なんとも、情けないですね。なんとかならないものですかね。

最善の方法は、人に害を加えない、と言うことなのでしょうが、人間は複雑です。

とすれば、害を加えることが出来ない環境造りをする他ありませんが、どうしたことか、国会議員地方自治体議員さんは、この点についての、費用をあまり付けたがらないのですよね。

どうしてか、と言うと、分かり易く言えば、それは直接金儲けに繋がらないからでしょうね。

直接金儲けに繋がらないヒヨウは、国会議員地方自治体議員さんにとって、ヒョウに繋がらないからでしょうね。

これが、今日の最後のボヤキで御座います。

 

本日は、憐休のヒマ潰しに、お付合い頂きまして、どうも有り難うございました。全然面白くない話で、申し訳御座いません。

どうも、お疲れ様でございました。

懲りずに、またのお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》74

「日比憐休独偏記」9

 

「ファースト」

 

ようこそ、お越し下さいまして、どうも有り難う存じます。

本日も、宜しくお願い申し上げます。

今朝も、変わりなく、目が覚めましてね。

1年中休みの日比憐休にとりましては、なんとかヒマ潰しをしなくてはならない1日が、始まることと相なった次第ですよ。

ヒマ潰しをしなければならないのですが、マー、時間を持て余して、退屈で困ってしまう、と言うことでは御座いませんな。

どちらかと言うと、1日の過ぎるのが、なんとも早いですなー。

たちまち、歯磨きの時が来るのですよ。

いきなり、歯磨きで恐縮ですが、朝食後と就寝前に、歯磨きをするのが、常なのですよ。

どちらか、と言いますと、就寝前の方が、念入りに磨きますなー。

特に、最近は、かなり、念を入いれておりますよ。

まず、歯ブラシで、磨く前に、準備運動をすることが、肝心なのですよ。

足を平行に、肩幅より幾分広めにとりましてね。腰を適度に落して、両の手の平の下の部分をくっつけて、指の部分を軽く開きましてね。おヘソの前当りに構えるのですよ。そして、発声 一発。

カ メ ハ メ ハー ! とね。

これが、とにかく、効くのですよ。

なんでも、一発で、噛み砕けそうな歯になりそうですよ。

噛め歯め歯め歯ー ! とね。

真面目に、聞くのではなかった、ってですか。

貴方も、今日から、早速やってみて下さいよ。

できれば、ご家族全員でなさることをお奨めいたします。

特に、小さいお子さんと、親子並んで、やる事をお奨めします。

歯磨き前に、カメハメハ合戦をしましょう。

夫婦親子関係が、それは、それは、ものすごく良くなること、間違いございません。

歯磨きの嫌いなお子さんには、効き目抜群ですから。

もー、カメハメハ歯磨きが、楽しくって、楽しくって、となりますから。

それから、カメハメハには、カネタメタ バージョンもありますので、各自工夫を凝らして、お楽しみ下さいませ。

アホぬかせって、ですか。

そんなこと言われても、本来の目的が、ヒマ潰しですからね。

そこんところを、宜しくお願いいたしますよ。

ところで、話を戻しますと、このごろ、念入りに歯磨きをするようにしているのですよ。

と言いますのは、ですね。昨年、6月半ばに、時に、歯が痛いな、と感ずることが始まったのですよ。しかし、ズキズキ痛む訳ではなく、虫歯の様でもないようなので、ほっておいたのですよ。

そしたら、堅いものを噛むと痛い、と言うことが分かりましてね。どの歯かなと、指で押したり、動かしたりしてみたところ、どうも、幾分ぐらついていると感じられる歯が見つかったのですよ。

さっそく、歯医者さんへ行ったところ、歯周病との診断を受けましてね。

治療を受けたところ、すぐに、痛みは消えたのですが、完治するまで、しばらく薬を続けましょうと言うので、治療を継続したのですよ。

治療は、週1、患部に薬をぬってくれるだけで、痛くはありませんし、ガリガリやられる訳ではなく、所用時間も、5分たらずで、まー、適度なヒマ潰しにはなるし、と思っていたのですが、その内、歯医者さんも手持ち無沙汰だったのですかね。商売っ気を出したのですかね。

今は、なんともありませんが、その内に、いたみそうな部分もあるので、早めに手当しておいては、と言うことになりましてね。

まー、痛む前の予防工事に取りかかりまして、一通り、対策を講じた次第です。

若い頃は、固めの歯ブラシで、 ゴシゴシやるのが好きで、お陰で、前歯は歯の生え際の部分に段差が出来ましてね。エナメル質が摩耗したのでしょうね。指の爪で凹の部分がハッキリ判る状態 になっていたのですが、その凹の部分の埋め立て工事もやって貰って、一通り工事を終えた訳です。そんなこんなで、4ケ月ほどかかりましたね。けっこな、ヒ マ潰しではありました。

これを機会に、幾分念入りに歯磨きをすることにしたのですよ。

まず、糸楊枝で歯間に詰まっているのを取り除きますなー。これは、かなり以前から継続しています。歳を取ると、目立って、歯の隙間が広くなって、繊維質のものがよく引っ掛かるのですよ。

それから、歯磨きも、歯周病予防なんて宣伝しているのにかえました。

さらに、これも虫歯歯周病予防をうたっている液体で、グチュグチュもやっています。

市販のもの5種類を試しましたが、中には、結講、強烈なのがありますなー。グチュグチュの最中に、舌がかなり痛くなり、痺れて来るのもありますよ。

因に、勘違いなされた方がおられないとも限りませんので、カメハメハは、実は、やってませんから。蛇足ながら。

たまにしか。よっぽど気が向かないとね。

やっぱり、やってるのでは、って。

冗談ですてっば。冗談。めったにしませんから。

話を更に戻します。

1日の過ぎるのが、なんとも早いのですよ。

たちまち、歯磨きの時が来てしまうのですよ。

なぜか、歯を磨き始めると、つい今しがた磨いたばかりなのに、と言う感じがするのですよ。

何時も、さっき、磨いたばかりなのに、という感じ。

どうしてですかね。

毎日、代わり映えも無く、似たような事ばかりして過ごしているのですが、他の同じような事については、あまり感じないのですが。歯磨きはねー。さっき磨いたばかりなのに、ってね。

就寝前の歯磨きの時は、もー、1日過ぎちゃったのか、と言う感じですよ。

歯磨きしなかったら、長ーい1日になりますかね。そんな馬鹿なね。

 

さて、殆ど意味の無い、どうでも良い歯磨きの話は、これくらいにしまして、

今日は、最近流行の「ファースト」なるものを、少しばかり、覗いてみることに致します。

今の若者には、通じなくなっているかも知れませんが、

「3番、ファースト 王」 「4番 サード 長島」

と来ると、懐かしさがこみ上げてくる方もおられるでしょうなー。

ところで、ちょっと、待って下さいよ。

何で、3番がファーストで、4番がサードなのだ。

ファーストは1番でしょうが。

サードは3番でしょう。 

王さの背番号は、1だしね。3番ではないですよ。

長島さんは、背番号3だから、サード。これは3番で良いか。

おいおい、なんの話だって ?

相済みません。いきなり、こっちの話に持って行っては、話のテーマが分かり難くなってしまいますよね。

 

今日は、往年のプロ野球選手の話では、ございませんよ。

今日の「ファースト」は、都知事小池さんの掲げた「都民ファースト」のことですよ。

ところで、小池さんって、ラーメンが大好きなのですよね。

わたしゃー、小池さんときたら、まず、ラーメンに結びついてしまうのですが。あの方、登場する時は、必ずラーメンを食べてますよね。

モジャモジャ頭のメガネの小池さん。知ってます ? 

まー、これもどうでも良い事でございます。忘れて下さい。

失敬、失敬。また、寄り道してしまいました。

ここでは、ラーメンは、特に、関係ございません。

単なる、気の迷いと言うもので御座います。

 

都知事小池さんの掲げた「都民ファースト」関連のことが、このところ連日メディアで騒がれていますが、この構造をちょっと、みてみることにしたいのですよ。

アメリカ大統領のトランプさんが、「アメリカ ファースト」を叫び出したので、これにあやかって「都民ファースト」なんて、言い出したのですかね。

トランプさんが、言い出すまえから、小池さんが「都民ファースト」をさけんでいたのですかね。その点は、よくは存じ上げませんが。

トランプさんの「アメリカ ファースト」と言うのは、まー、あらゆる面において、アメリカを第1に、と言うことなのでしょうね。

すなわち、アメリカと言う国を第1に、と言うことなのでしょうね。

実態は、支持者ファースト、と言うことなのでしょうが。

対して、小池さんの「都民ファースト」は、「東京都ファースト」(東京都第1)では無く、「東京都民ファースト」(東京都民第1)と言うことですよね。

東京都と言う行政体ではなく、人を対象にしているのですよね。

そこで、はっきりさせておかなくてならないのは、「都民ファースト」の「都民」とは、具体的には、何を指しているのか、と言う点ですよね。

都民と言うと、どのような人を指すのか、と言うと、ごく一般的には、東京に住んでいる人、と言う程の意味で使いますよね。

しかし、東京に住んでいる人と、一口に申しましても、色々ですよ。

まずは、東京都に住所が登録されている人ですよね。

現住所が東京都にある人ですよ。

ところが、東京に住んでいるけれども、住所は別の地域にある、と言う人もいるでしょうし、住所不定の人もいる訳です。

と言うことは、このような存在の人は、都民とは言えないことになるのですね。

東京は、近隣県は言うに及ばず、全国から、働きに来たり、大学や専門学校などに来たりしている人が、ものすごく、多数存在し、その中には、住所は、別の地域に登録していて、東京都には、登録してない方々も、実に多数に登っていることと推察されますよね。

と言う事は、東京都に住民登録をしていない人は、東京に住んでいても、都民としては、扱われない、と言うことになります。

このことは、現在でも原則になっていると思われます。

例えば、都営住宅には、東京都に住所を登録していなければ、入居出来ないと思います。

ようするに、都制に関わっては、都民か、他道府県民かで、扱いがまったく異なる訳です。これは、当たり前のことですね。他の自治体でも同様でしょう。

また、近隣他県から、勤務先が東京にあるので、東京に通勤されている方もあります。これは、実に、多数に及んでいますよ。

東京の昼人口と、夜人口の差は、すごく大きいと言われてますね。

さらに、たとえば、観光のために、東京を訪れる方々も、日々、すごい数にのぼっていることでしょう。これには、外国人も多数含まれていますね。

要するに、東京には、住所を登録していない人が、ものすごい数になっているのが、現実ですね。

と言うことは、東京に住所をおいてない人は、小池さんの「都民ファースト」の「ファースト」からは、除外される存在となる訳です。

「ファースト」の都民とは、一線を画されることになりますね。

この「ファースト」から除外されるシェアーが、ものすごく高い状況なのですよ。

東京が、非常に特殊な性格を持つ都市である事は、指摘するまでもありません。

このような対象に対して、その地域行政の長が「都民ファースト」と叫んでいる状態なのですね。

なんだか、ほとんど、トランプさんと同じように見えて来ますなー。

極端に言ってしまえば、都民さえ良ければ、と言う基本ですから。

トランプさんと、同じ手法であることに、相違ございませんな。

このような、性格の手法が、今、東京都民に、必要とされているのでしょうかね。方向としては、トランプさんに明らかな様に、極めて過激な側面を有ているのですよ。

もっと、判りよく言えば、繰り返しになるかも知れませんが、トランプさんの「アメリカ ファースト」の実態は、「トランプさんの支持者 ファースト」と言うことに他なりません。

よって、小池さんの「都民ファースト」は、「小池さんの支持者 ファースト」と言う事になるのですよ。当たり前の論理です。

このことから、小池さんの現在言っている「都民ファースト」の都民は、分かりよくいえば、有権者の都民で、小池さんの支持者と言うことになります。

現に、小池さんは、来る都議選をにらんで、その立候補者の選定にやっきのようですから、このことからすれば、「都民ファースト」は、選挙対策であることが、明らかですね。

要は、選挙に向けての一つの活動で、トランプさんが「アメリカ ファースト」と言う、ものすごくインパクトのある公約を、打ち上げて、大方の予想をひっくり返して、大統領に当選しているので、そのような手法小池さんが、巧みにとりいれている、と言うことなのでしょうね。

この選挙による、支持者が「都民ファースト」の都民となって、選挙勝利すれば、おそらく何らかの恩恵を受ける存在となるのでしょうね。

他地域から、東京に来ている人の不利益に繋がるのですかね。

選挙勝利して、与党になれば、その支持者に有利な政策が強くなるのは、当たり前の事と言えば、当たり前のことで、従来は、自民党がその支持者寄りの政策をとる、と言うのと、構造の基本は、同じと言うことになりますな。

支持者層は、幾分とも変わるのでしょうかね。

従来の与党の支持者と、大差なかった場合は、これ迄と代わり映えしない、と言うことなのですかね。

 

小池さんの叫んでいる「都民ファースト」とは、概ね、このような構造であると、見る事ができます。

これから、どのような展開となりますかね。

何だか、日本の政治家さんの政治活動は、選挙活動ばかりのようで、もっともっと、支持者ばかりでなく、国民全体を対象に、バランスよくやる事に、専念して、欲しいものですなー。

 

締めは、やっぱり、「4番 ファースト 中田」でしょうなー。道産子としては。

 

分かりきった内容のことを、くどくどと、相済みません。

日比憐休の本日のヒマ潰しに、お付合い下さいまして、誠に有り難う御座います。どうもお疲れさまで、ございました。

 

またのお越しを、お待ち申し上げます。

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》73

「日比憐休独偏記」8

 

「安易に赤信号」

 

また、お越し頂きまして。どうも有り難う御座います。

毎度の馬鹿馬鹿しい話も、かなりネタ切れになって参りまして、四苦八苦と言う状況に陥っておりますな。極めて、難儀な局面に至っております。

しかし、年中休みの日比憐休にとりましては、なんとかヒマ潰しをしなくてはならない状況が、今日もまた、続いているのであります。

朝、目を覚ますと同時に、今日もまた、ヒマ潰しをしなくてはならないぞ、と思う次第なのですよ。

今日は、駄洒落のネタになるような夢も見なかったし、弱ったものだぞ。と弱っているのですよ。

今朝方、見るには見たのですよ。夢。

何だかよくは分からないのだけれど、学生でしょうな、なかりの人数がいて、知合いの先生も登場してましたね。とある教室か、なんか控え室のような雰囲気の所でしたね。現実的な記憶にある所ではなさそうです。

昼になったので、メシでも食おうかと、1人でその部屋を出て、学食は混雑しているたろうしな、なんて、思いながら歩いていたら、廊下風のところに、大きな器に入れた赤飯を販売している光景に出っ会して、どうしょうか、と言うところで、目が覚めたのですよ。

赤飯、食べ損なったわけで、なんとも、ケチなゆめですなー。

一口でも、パクットやった後に、目覚めればいいのに。

ただ、赤飯のピンクが、やたら印象的に記憶に残っていましたなー。ヘラもあったなー。

と、まー、相も変わらず、なんのことやらさっぱり分からない、駄洒落にも使えそうもない、しょうもない夢ですなー。

せめて、赤飯を盛ったヘラが、血相をかえて、追いかけてくれでもしたらねー。

オー、コワと言う落ちがつこうというものに。

だいたい、寝ている時に見る夢なんぞは、予約しておいて見れるものではありませんしね。気まぐれ脳ミソの都合で、だいたいは、訳の分からない ものを、見せられるものでしょう。何が、出て来るか分かりゃ-しませんよ。ひとの寝ているのをいいことに、脳ミソのやつが、勝手に、好き放題しやがって ね。

借金取りに押さえつけられたりして、ひでー目に合わされることがあるのですよ。どうせ夢なら、万札の下敷きになって、うなされてみてーものですな。

 

てなわけで、話のネタ探しが、なかなか難儀な状況になっているのですよ。

この打開策ですが、逆も真なりと言うこともあろうから、難儀ではなく、安易に目を向けては、と言うことに、辿り着いたのですよ。立った今。窮すれば、通ず、と言うことですかね。

安易、簡単、簡易など、響きが良いですね。単純で。判り良い。

みんな大好きですよね。

ところが、メディアはそろって、分かり難い、どうなるのか見当がつかない、と言う点を強調していることがあるのですよ。

それは 何かと 問われたら

トランプさん トランプさん

と言うことなのですよ。

メディアは、トランプさんの出方が、読めない、予想がつき難いと、揃って、報じているようにみえますが。

果たして、そうでしょうかね。とも、見えるのですよ。

トランプさんの言っていることって、極めて、単純極まりなくは、ありませんかね。

メキシコから、アメリカに不法入国している連中が後を絶たない。アメリカにとっては、困った問題の一つだ。だから、容易に、不法入国できないように、国境に壁をつくる。と言うのですよ。内容は実に、単純明解、分かり良いことですよね。

選挙公約の一つでした。それを、当選して、大統領になったので、公約どおり、早速、実施すると言っているのですよ。分かり良いですなー。善し悪しはともかくとして、分かり良いですよ。

移民の入国禁止・制限についても、同様。選挙公約に掲げていましたからね。大統領になったら、すぐに、実施に着手しましたよね。

この国と、この国と、この国と、と指定して、入国禁止を命じましたね。善し悪しは、ともかくとして、分かり易いですよね。

アメリカ国内で、特に、自動車産業の衰退にともない、失業者が多く発生して、職を求めている。それでは、その点について、何とかしよう。産業を起こし、職を得易くしてやろう、と言うことを、選挙公約の一つにしていましたよね。

これも、選挙勝利したら、早速、自国、他国にかかわらず、これは、自動車会社を名指しで、国外に工場を持って行くことに圧力を掛け、アメリカ国内での起業恫喝していますなー。

これも、選挙公約の一つ。実に、やることが、分かりいいですなー。

大きなことを、明解なゴールを設定して、一直線にそれに向けて突き進む。この方式に徹していますな。

自分は、有言実行をモットーにしていることを、公言しているから、いろいろと公約に上げていることの実現化に向けて、突っ走るのでしょうな。

実に、分かりの良い人物でいよ。善し悪しは、ともかくとしてでがね。

だから、先を読む事は、そんなに難しい人物では無いようですよ。

メディアは、大統領選挙での公約を、その通りやられたら、周囲のものにとっては、たまったものではない、と言う立場から、トランプさんは、何をするか、わからないと言う方向で、報じている傾向が窺われますが。

トランプさんのやろうとしていることは、公約通りの、アメリカ・ファーストの実現でしようから、この基本は、外れることはないでしょう。だから、概ねの予想は、建て易いと言うべきではないのでしょうか。

困っているのは、安倍晋三首相

ご招待のゴルフは、勝つべきか、負けるべきか。

選挙公約には、接待ゴルフまでは、掲げられていなかったからね。

これは、想定外のことですよ。

とすると、判断は難しいですよ。

迂闊に勝つと、気を悪くしないか。

しかし、招待だから、勝っても、問題ないか。

悩ましい、ところでしょうな。

どっちに転んでも、防衛費に関わる負担をガバッと、関税をガバッと、輸入をガバッと、と吹っかけられるのでは。

日本国民としては、はらはらものですなー。

安倍さん、決めのパットだけは、外さないでよ。

玉転がしをしながら、何を約束させられるのか。これらの約束は、まずは、表面には、出てこないでしょうから。末恐ろしいのですよ。まったく。

玉転がしほど、厄介なものは、御座いませんよ。

利休が流行らせたお茶だって、お茶会を名目にして、参加者連中は、何を企んでいたものか。結局は、やり損なって、秀吉に、殺されちゃったのでは ?

 

ところで、日本の政治家さんの多くは、トランプさんとは、大違いですな。選挙公約など、選挙終了と共に、どっかへ、飛んで行ってしまいますから。

遥か彼方へ。すぐに、見えなくなってしまいますよ。

国民も、それが当たり前と、たいして疑問を持たないから、困ったもの。

アメリカは、賛成するのも、反対するのも、具体的に行動で示す習慣が身に付いるところがあり、プラカードを掲げたりする行動にでますが、日本国民の多くは、無表情、無行為、無主張に慣れていますからね。

選ばれた、議員さんの行動など、メディア不倫だ、使い込みだ、といったスキャンダル的なことには、敏感だけれども、政策については、国民は、不平は言うが、抗議行動はどうも、と言う性格が強いように見えますな。

政治家さんにとっては、実に、やり易い、風土のようです。

そこで、政治家さんは、目に見える、方法の安易なことをやるようになる傾向が強くなるのですよ。これは、官僚も同性格のようですなー。

ちょっと前のことになりますが、消費税の引き上げは、その典型ですね。

ようするに、取り易い所から取る、と言う手法ですわ。

国家運営に当たって、国会議員さんの最も大事な仕事は、国家運営費をどのようにして集め、それをどのように使うか、ということですよ。

国家運営費の拠り所は、基本的には、税収入ですなー。

この税収入について、如何に、公平に、確実に、しかも、社会に打撃とならないようにするか、この基本を押さえて、やらなくてはならないのですよ。

それが、言わずもがなでありますが、たとえば、所得税の場合、どうでしょうね。はなはだ大雑把な例で、恐縮でありますが、年収200万円に、例えば10%課税して、20万円を徴収するのと、年収2,000万円に10%を課税して、200万円を徴収するのは、公平か、と言うことになると、算数的計算の上では、同率であるから、公平だ、と言えるかも知れないけれど、片や手元には1,800万円のこり、悠々と生活できるが、片方は、180万円しか手元にのこらず、これでは生活できないのですよ。これに、消費税を、全く同率で掛けられては、なお、一層、貧窮することになるのですよ。

このような歪みをどうするか、と言うことに知恵を絞り、対策を考えだすのが、国会議員の仕事でしょうが。

これが、国民の無表情、主張の消極さを良い事に、知恵を絞らず、手っ取り早い、消費税、酒・タバコへの課税など、徴収が安易なところへの課税ばかり、弄くり回している状況では御座いませんか。

税なんて言うものは、皆んなから公平に、とは言っても、基本、無いところからは、現実的には、取れないのですよ。沢山持っているところから、取るより仕方がないのですよ。お金持ちは、多額を納税しても、生活ができますが、極貧の人は、生きていけなくなるのですよ。

これを基本に考えなくては、自由資本主義によって、必ず発生する貧富の差は、ひらくばかりで、とどまるところが知れなくなるのですよ。

だから、その辺りを勘案しなくては、憲法にうたう、基本的人権は、守ることができないのですよ。

とにかく、安易な方法に走らず、より良い対策を考えだすことに、専念して貰いたいもの、と言うことです。

選挙で、落選しないように、と言うことばかり考えずにですよ。

いつも言うのですが、政治家さんの言う政治活動は、選挙で落選しない活動の事ばかりでしょう。

上手くやって、当選でもしようものなら、党利党略、私利私欲、次回の選挙当選のことしか、頭に無いのではないのですか。

公務員週休2日でから、週に2日は、党利党略、私利私欲、次回選挙当選の活動をしても良いですから、5日は、公務に従事すべきですよ。

政治的課題は、とにかく山積みなのですから。

さっさと、対策を考えなさいよ。

対策と聞いたら、選挙対策しか思い浮かばないのでは。困ったものです。

対策として出て来るものは、とにかく、目先の利益追求のことばかり。

ちゃんとしたゴールを設定せず、すぐに、目先の旨そうな方向へ走り出す。

実に、その繰り返しばかりでは、御座いませんか。

2020オリンピックだって、ちゃんとしたゴールの設定がなされていないまま、旨そうな話だ、とただただ食いついて、取り敢えず、走ってみる。

しばらく走ってみて、横から、アンタ何処行くの、と言われて、あっ、何処へ行くのだっけ、と考えてみても、ゴールが最初に設定されていないのだから、方向が分かるわけがないですよ。

取り敢えず、走っただけ、消耗してしまった、と言うことですよ。消耗費用の後始末は、誰にもっていくの ?

そんなこと、決まってるじゃん。無表情、無行為、無主張の所さ。

このゴールだけは、しっかりと設定しているのだから。たまりませんよ。

築地市場豊洲移転も、安易なことの典型ですね。目先のごまかしは、政治家先生・官僚は、お得意のようですから。

ところで、本家本元の当の築地市場の汚染方は、大丈夫なのですか。水質検査など行われているのですか。建物の老朽化もひどいようですが。衛生面は大丈夫なのでしょうね。

だれも、大きく問題化していないようですが。

これは、下手に手出ししたら、それはそれはとんだ厄介な事になるかも知れない。安易に手出ししてはならないぞ、と、素知らぬ振りをしているのでは。

 

どうです。今日も、ちっとも面白くない話でしたでしょう。

出発は、こんな筈では無かったのですが。

行き当たりばったり、方式では、いきおいこの結果ですわ。

結局は、ボヤキです。

ボヤイて、ナゲクのは、嫌いではありませんからね。

トホホホ! ナンテコッター !

 

お疲れさまでした。

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》72

「日比憐休独偏記」7

 

「嗚呼! 教育」

 

ご多忙のところ、本日も、またお越し頂きまして有難う御座います。

連日寒い日が続いておりますな。

氷が張ったりしまして。しばれますなー。

高校時代迄は、北海道で育ちましたので、雪や氷には慣れていましたね。

もう50数年前のことですが、東京に出て来て驚いたのは、雪が5・6センチも積もろうものなら、もう、交通がマヒしてしまうことでしたなー。

僅かの積雪で、車も電車も止まっちゃうなんて、思いもよりませんでしたよ。

北海道でも、多めの雪が降った時には、交通が混乱しましたが、5・6センチ位の雪は、毎日のように降りましたからね。車や汽車が、数センチの降雪で、まったく動かなくなることは、そうそうは、ありませんでしたよ。

幾分多くの雪が降った時には、汽車はよく定刻には走っていなかったですなー。冬期は、しょっちゅう遅れていましたね。

だから、発車の定刻が、既に過ぎてしまっている場合でも、駅まで駆け込めば、セーフと言うことが普通にありましたね。

私の育った所は、国鉄単線で、ホームの部分には、天井は勿論無く、風通しの良いホームが二つ並んでいるだけで、周囲には建物が無かったので、離れた所からもホームの状態が良くみえましたな。

そんなだったので、おーい、待ってくれー、と大声を上げて、手を振れば、発車を待ってくれた、車掌さんもいましたしね。

1本乗り遅れると、3時間ほど待たなければ、次の汽車がありませんでしたからね。そんなこんなで、普通に発車時刻が、遅れるのですよ。

だいたいは、みんな車掌さんの顔を知っているのですよ。顔なじみなのですよ。近所に住んでいたりしましてね。○○さんのところの、△△ちゃんが、今度、車掌さんになったわ。なんて言う、雰囲気がありましたから。

だから、顔見知りのおばちゃんが、もうちょっと、と言う所まで来ているのを、待たずに発車したりするのはね。車掌さんも、つらいよ。ですね。

まー、全体に、生活のテンポが、今のように、セセコマシクは、ありませんでしたからね。田舎は、お互いにノンビリしたところがありましたよ。

ところで、寒さには慣れているはずなのですが、寒いときは、やっぱり寒いですなー。

人は、冬には、寒いとぼやき、夏には、暑いとぼやき、兎に角、結構、ぼやくのが好きですなー。

かく言う小生も、ぼやくのが好きなんですよ。

ぼやいて、嘆く。もー、大好きですな。

ナンテコッタ! トホホホーッ! ってね。

もー、連日のことですわ。

挙げ句の果ては、諦める。ナサケネェー!

もう、とーに、慣れっこに、なっちゃってますがね。

 

先日は、社会の牽引的立場にある者の責任感の欠如が気に掛かるとぼやき、その原因が、何処にあるかを考えてみなくてはならないなどと、ちょっと偉そうに、それは次回の宿題としよう。てな、ことにしてありましたなー。

まだ、忘れてはおりませんよ。明後日くらいになれば、なかば失念しちゃいますけどねー。

ご承知の通り、この種の事柄に関する答は、これだ、とただ一つ限定されるものではなく、事態は色々と複雑に絡み合っていると思われますので、色々な答があって然るべきと、思われますな。

出来るだけ、不利な立場となる責任を取りたくはない、と言うことは、現在特有の事態とは、言えないでしょうな。いつの時代でも、殆どの人は、そのように思っているものではないのでしょうか。

いや、お前みたいな無責任なヤツは、そのように考えるかも知れないが、そうではない。みんな責任感にあふれている。そんな不埒なことは、世の人々を愚弄する、ケシカラン発言だ、とお叱りを受けるかも知れませんが・・・。

数人で、飲みに行ったり、食べに行って、勘定の時に、なぜか、長トイレに行っちゃう人って、いません ? 

トイレへ行くこと自体は、良いのですよ。何ら問題ございません。

ただ、勘定が終わった頃合いを見計らって、ノコノコ戻って来て、なんだ、もう勘定しちゃったの。立て替えてくれたのか。オレこれで払おうと、思ってたんだけど、と、カードを出すヤツ、心当たりありませんか。

これは、庶民のやる細やかな行為ですが、これが、公人の場合となるとですね。些か、問題ですよ。

公用車私的な使用。公費での私的宿泊費の支払い。公費での私的な物品の購入。セコイ事やる人って、いるでしょー。

ところが、セコくない、多額の経費が絡む場合も、おうおうにして、見られるのですよ。

マスコミがこぞって大騒ぎした、国立競技場建て替えに関する訳の分からないやり方。

ドブに金を捨てたようなものだ、と言っていた方がおりましたが、捨てたのなら、溝浚いをすれば回収できますが、みすみす多額の金を費やしただけで、なんの見返りがないのですから。タマッタものでは御座いませんよ。

続く、五輪のエンブレムの製作に関するドジ。

これらに支払われた多大な経費の負担は、誰が負うのですか ?

当然、これらの立案、実施に関わった人がいるわけで、この人が責任をとるべき筋ですよね。

しかし、この手のことは、いつも曖昧に処理され、ホトボリが覚めると、大体はウッチャらかされて、それで、ハイ、お終いとされるのですよ。

精々、その事に関わる要職についていた人が、その職を辞するくらいが、精一杯の責任のとり方となるくらいですな。

分かり易く言えば、その責任をとらなければならなくなったら、辞めりゃー良いんだろう、と言う方式なのですよ。

そんな人が、職を辞するのは、当たり前のことですが、辞めたからといっても、負債はそのまま残るのですよ。この部分についての責任は、どうしてくれる、と言うことですわ。

せめて、場合によっては、その職にあって、その仕事に当たっていた時期の給与とか退職金を返済させるくらいの責任を問うても良いのではないでしょうか。

築地市場豊洲への移転工事に関わる事など、その責任ある立場の面々は、そのような不具合な事態にある事を知らなかった、とか、忘れたなどと、しゃーしゃーと言ってのけるのですよ。

だとすれば、知らなかったとか、忘れちゃったとか言う責任を、ちゃんととれ、と言いたい訳ですよ。

課せられた職務を果たしていないんだから、その職を辞することは勿論、その職ににあった期間の給与退職金を返却させたり、減額させたりするのが、普通でしょう。仕事しなかったんだから。大変な損出を作っちゃったのだから。

これらに関わる多大な負債を残して、辞めりゃー良いんだろう、では済まない気がしませんか。

この点についての適正な法的制度・体制が、整えられなければ、どうにもなりませんなー。

しかし、適正な法的制度・体制を整えるべき立場におられる方々が、問題なのですよ。責任感が欠如しているから。

そこで、どうしてこのようになったのかを明らかにし、今後の対策をたてる必要があるのではないか、と言うことになるのですよ。

と、まー、こんな次第なのですが、どうしたものでしょう。

 

対策の結論的なことは、もう、分かっている訳ですよ。

どのような仕事でも、それにあたる場合、担当する人の責任についての法制をキチンと作っておく、と言うことに尽きる訳です。

何度も言うようですが、この法制を作ることが、はなはだ困った状態にある現実だ、と言うことなのですよ。これに当たる人が、チャンとやらないのです。

分かり良く言えば、事を始めるに当たって、その責任の所在を、最初から曖昧に作っておく、と言うズルッコをするわけですよ。

事が上手く運ばなくとも、その責任を取らなくて済む体制を、最初に作って、責任逃れができるようにした上で、事に取りかかる、というところがあるのですよ。

そして、具合が悪くなると、知らなかったとか、記憶に無いなどと、トボケちゃうわけです。実に、困った状態なのですよ。

要は、このような人格が、どうして生まれたか、と言うことですなー。

この原因を突き止めて、改めなければ、良くない状態が、延々と続く事になるのですよ。

思い当たる第一の原因は、やはり教育でしょうなー。

人つくりに、失敗しているのですよ。

人をつくるのが、すなわち、教育です。

教育と聞いて、学校教育しかイメージ出来ない人はダメですよ。

学校教育の他に、親による教育、家族による教育、地域社会による教育、一般社会による教育等々、広い意味の教育をイメージして下さいませ。

教育というと、学校の先生に責任を押し付け勝ちな親御さんはいませんか。

学校の先生も、その職務上の責任を担わなければならないのは、当然ですが、しかし、子育てに関して、親御さんの責任が最も重いと思いますなー。

親御さん。保育士さんや学校の先生に、一方的に教育的責任を求めては、いませんか。

まずは、親御さんの責任を全うする事に、精進することが大切なのでは ?

 

人格の形成には、個人の持って生まれた資質に、生後の教育が大きく影響する、と言う事は、誰でも知ってますよね。

振り返って見れば、第二次大戦敗戦国となった我が国の混乱は、至る所に現れましたね。

多くは、戦前のやり方がまずかったと言う反省が発生し、新たなやり方に改める必要に直面したわけですよ。

教育の現場では、これが著しかったと見られますね。

これが、急激におきた為に、どのようにしたら良いものか、混乱したのでしょうなー。

終戦数年後に小学校に入学しましたが、このころの我校の校長先生は、まだ、国民服・国民帽を着用していて、いつもリヤカーを引いて、スコップを持って、校庭のグランドの凸凹を直してましたなー。

この光景が、なぜか、とても印象的に記憶されているのですよ。

今になって、振り返ってみると、あの校長先生の姿が、これからどうなるのか、どうすれば良いのか、と言う、教育現場を牽引していく立場の人の実情を表す、苦悩する姿だったのかなー、とつくづく思う事があるのですよ。

ヌッ! 単に、グランド整備が好きだっただけでは無かったのかって。

それはないでしょう。それは。

やっぱり、これ迄の過去を背負って、これからどうなるか。どうするか。と言う苦悩の姿だったろう、と思いますなー。

戦後、日本は小難しい思想的なことは横において、経済の成長に、官民を上げて、一直線に突き進んだ感がありますな。

もはや確かな記憶が怪しくなっておりますが、昭和30年代の初めころでしたかね。頑張りの甲斐が実って、神武景気が訪れましたね。

昭和39年には、東京オリンピックが開催されましたなー。

原爆を2発もお見舞いされて、どん底にたたき落とされた日本が、戦後20年足らずで、オリンピックをやれるほどに、立ち直ったのだ、と誰しもが、大喜びでしたね。

今度迎えようとしている2020東京オリンピックとは、国民の意欲が、まったく違いますなー。

こんどのオリンピックは、一体、なんなのだー ? ? ?

ン! そんな事、言わずと分かっているだろうって。

関係者の金儲けだよって、ですか。

たしかに、その感が強いですなー。

オリンピックでもやれば、経済の刺激となって、景気が良くなるのではないか。

第一には、やっぱ、これでしょうな。

この点で、オリンピックに関わる人々は、大歓迎なのでしょうね。

建設業者、旅行業者、観光業者、一部の飲食業者など、及びこれらに関わる立場にある者は、オリンピックに期待するところが、すこぶる大なのでしょうな。あやかりたいものですなー。

しかし、運営に必要な莫大な経費を負担させられるだけの立場の人は、ドッチラケと言う状況ですよ。

その費用を、国民の教育、福祉医療等々に向けてくれよ、との悲鳴が上がってますよ。

しかし、日本の牽引役の立場にある人々にとっては、教育、福祉医療等々に

関わる事業は、地味でさっぱり面白味がないのでしょうな。

事業は、まずは、楽しいイベント。イベント、イベントで盛り上げて行かなくては、と言うのが、今の日本の牽引者の最も基礎となっている精神のように見受けられますな。

世の中、こぞってイベント好きですから。

オリンピックは、世界的規模の最大のイベントですから。

メディアは、相変わらず、ただただ、金メタル、金メタルと、ことさらに騒ぎたてていますが、近代オリンピックの創設者、クーベルタン男爵が主張した

オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」とした精神は、今いずこ、と言う感が免れませんな。

なんだか、国民全体の空気としては、シラケを感ずるところがままありますなー。

次いで、昭和40年代に入ると、いざなぎ景気がやって来ましたね。

終戦直後どん底から、なかり裕福な生活が出来る時代がヤツてきましたな。

夏は、ダラーッとしたステテコ姿で、ビールを飲みながら、テレビのナイターを見る。

庶民の父ちゃんの一般的な楽しみ方でしたなー。

この間、多くの家庭での子育ての場では、母親は子供に、チャンと勉強しないと、父ちゃんのようになっちゃうよ。

絶対、父ちゃんのようになってはだめだよと、母親が子供に、毎日言い聞かせていた時期がありましたな。

父ちゃんの受難の時期がありましたよね。

父ちゃんだって、好きで給料が安かったのではないよ。結構、無理して、一生懸命頑張っていたのに。家に帰れば、ボロクソに言われていたのが、印象的ですなー。

このような結果、行き着いた教育が、幾分大げさに、その特徴を言えば、ようするにお受験一辺倒と言うことですわ。

親の教育、家族の教育、社会の教育、学校の教育、みんな上げて、お受験に向けて行われていた感がありますな。

現在は、それが一般的なあり方に定着しており、特に、特徴的な感じは無くなっていると言って良いでしょうね。

まずは、塾、塾、塾。塾通いで、結論的には、一流大学を出て、良い職場に就職して、安定した、裕福な生活を獲得する、と言う事に、教育の主軸がおかれましたね。

このお受験教育の特徴は、まずは、入試に必要とされる知識の注入、知識の獲得と言う点でしょうなー。

とにかく、名門小学校、名門中学校、名門高等学校、名門大学の入学試験を突破すには、一も二も無く、受験用知識を如何に獲得するか、と言う点にありましたな。

その為には、兎に角、学校の他に、塾、塾、塾ですよ。あっちの予備校、こっちの予備校通いですよ。一浪二浪はあたりまえ。

生まれてから20歳くらいまでは、兎に角、受験戦争を戦い続ける事になるのですね。受験用知識の獲得に、日々必死と言う状態ですわ。

大学受験の場合は、国立大学の場合は、受験科目数が多く設定されていましたが、私立大学の場合は、学部によって入試科目に偏りがありましたね。従って、色々な分野の知識をバランスよく獲得すると言うよりは、自分の必要とする科目に傾斜する訳です。

すなわち、入試に必要とされる知識の獲得が必須と言う状況なのです。

 

ところがですよ。入試において、多くの場合、ポッカリと空白になっている部分があったのですよ。

それは、受験者の人格に関わる評価が、多くの場合、受験科目とはなっていないのですよ。

従って、受験教育の課程では、この人格に関わる教育は、希薄化した状態だったのですよ。

この人格に関わる評価も重要であることは、学校側では十分認識していたと思われます。

ところが、この点に関する選抜テストの方法に、なかなか困難な点がある訳です。

ペーパーによる○×式、択一式、簡単な記述式のような訳には行かないのです。

例えば、人格に関わる判定が可能と思われる試験問題の作成が必要となりますが、これは、中々難しいところがある訳です。

入試においては、受験生一人一人の公平が担保されなければなりませんが、この実現は極めて難しい現実があるのですよ。

例えば、ある課題を与えて、それに対する、自己の考えを記述させる方法をとるにしても、出て来る答が単一とは限りません。すなわち、色々な価値観がある訳ですから、中には判定しづらい価値観が示される場合だって、往々にある訳です。評価が画一的に出来ない訳です。

また、面接試験を取り入れても、特定の面接員が、全ての多数の受験生を同条件で、面接することは、現実的には出来ませんし、面接員が異なれば、評価の結果に影響が出かねない、要するに、公平が担保され憎い状態がある訳です。

それから、面接においては、会話の仕方とか、何かに取り組む意欲とか、関心事とか、得意なこととか、と言うような事は、有る程度計り知る事ができますが、示された価値観等については、評価点を付けるのが、なかなか困難なところがある訳です。

従って、手間隙を費やして、あまり上手く行きそうに無い選抜の方法は、どうしても、敬遠され勝ちとなる傾向がある訳です。

そもそも基本的に、人格によって、合否の順位を決めて良いのか、それ自体が問題ではないか、と言う、意見もある事でしょう。

そんなこんなで、入試においては、人格に関わる点の評価は敬遠されがちで、そのために、受験教育においては、人格形成に関わる教育が、希薄化することになったのではないでしょうか。と思われるのですよ。

誤解なさらないで下さいよ。入試に人格を評価する科目を設置すべきである、と言う提言をしているのでは御座いません。

戦後、受験教育が展開される事になった。この受験教育では、人格形成に関する教育が、とかく希薄になりがちであったのではないか、と言う事を指摘しただけなのです。

学校側は、自学で必要とする入試で、選抜すれば良いと思いますよ。

本来、人格形成に関わる教育は、なかなか難しい側面を有していることは確かです。

子供の人格形成に関して、最も強い影響を及ぼすのは、まずは、親と言うことになるでしょう。

しかし、人格の形成に関わる教育は、子供にとっては、必ずしも、受け入れ易いものとは限りませんな。

どうしても、押し付けがましくなったり、制約・制限的になったりする要素が強くなり勝ちですな。

このような性格の事柄は、子供には、親はガミガミと、小言をいってばかりだと、敬遠されることは勿論だし、親だって、何時もいつも、ガミガミ言うことは、好むところでは無いのではないでしょうか。

そして、多くの家庭では、受験戦争を勝ち抜くことに、子育て第一の目標が据えられているでしょうから、どうしても、人格形成に関わる躾、教育は希薄化してしまう、あるいは一方に、偏ってしまう、と言う状況となっているのではないのでしょうか。

日本中の全ての家庭での子育てが、このようだと言う訳では、もちろんありませんよ。受験教育の中でも、きちんとした躾、教育が行き届いている家庭もある事でしょう。

しかし、受験教育においては、ややもすると、入試のための知識の注入、獲得に重きが置かれ、人格形成に関わる躾、教育は希薄化する傾向が強かったのではないか、と言うことですよ。

結果、現在は親ばかりではなく、学校の先生、地域の人々は、子供の人格形成に関する教育をシッカリやると言うのが、どうも苦手なように察せられます。

それでは、具体的に、どうすれば良いのか、と言うことが、直面している現実です。

これは、口で言うほど、生易しい事ではないかも知れません。

手の内を明かせば、かく言う小生も、面目ありませんが、全然ダメですな。本人が言うのですから、疑う余地はございませんよ。

しかし、ボヤキ、不平、屁理屈は、一丁前にやるのですよ。

この辺りが、なんとも言えないところなのですよ。

ボヤキは、ひとまずおいて、まずは、子育てにおいて、親がしっかりしていなくてはならない、と言うことになります。

では、親は、どうすれば良いのか。と言うことになりますが、いきなり、高度なことを志しても、うまく運ばないでしょうから、極めて、基本的なことをやれば良いのではないでしょうか。

まずは、あかちゃんの頃から、子供を可愛がる事でしょうな。

常に、可愛がっていれば、親子の信頼関係が作られていくと思いますなー。

この関係がちゃんと出来ていなければ、躾、教育は、きっと上手く運ばないのではないのでしょうかね。

躾優先ではなくして、まずは、可愛がって、良い親子関係をつくる事がだいじではないかと思いますなー。

しかし、子供も生まれながらにして、個性を持っています。

たとえば、誰にでも愛想がよく、人なっこい性格の子もいれば、そうはいくかとばかり、反抗的な性格の顕著な子もいる訳です。

親の言う事を、良く聞く子もいれば、反っくり返って、手足をばたつかせて、一向に、親の言う事を聞かない子もいる訳です。

赤ん坊の内は、善悪など知りませんからね。持って生まれた感情むき出しですわ。可愛い部分ばかりではありませんなー。小憎らしい部分もありますよ。

なんで、食べ物を手でこねくり回すのだよ。

寝かせておくと、なんで、ぐずるんだよ。

そんな大声で、泣かなくたって。

何で夜泣きするのだよ。

なんて言う事は、毎日のことですよ。

その原因が、病気である場合は、親がいち早く気づいて、対処しなくてはなりませんよ。

しかし、毎日毎日ぐずられると、いくら親だって、たまらなくなりますよなー。

しかし、かといって、おいて逃げる分けには、参りませんよ。

怪我をおわせるような暴力を加える分けには、参りませんよ。

ほんの一部の親を除いては、そんなことをしませんよ。親は、何だかんだと言いながらも、育てられる、大人となる過程で、最低限度のことは身に付いている訳ですよ。

しかし、身に付かないまま親になってしまう場合も、時々見られ、ニュースになっているのも稀では御座いませんなー。

記憶に無いでしょうが、自分だって、さんざん親を手こずらせていた時期があったのですよ。間違いありませんよ。きっと。

そう言えば、なんとなく、どこか似ているでしょう。くずっている我が子。

だいたいは、親にそっくりなのですよ。

うちの子は、どうしてこんなに言うことを聞かないのか、と言うことは、親に似たからに相違ないからだ、と諦めるよりないですよ。

赤ん坊は、クズルもの、と腹をくくって取り組むよりありませんなー。

とにかく、子供と格闘する時に、色々な機会に、人格形成に関わることを、根気よく教えるよりありませんな。

自分の物と、他人様の物をチャンと区別出来るようにとか、

他人のものを、断り無く、自分の物にしてはダメとか、

約束を守るようにとか、

何事にも、一生懸命に取り組むとか、

相手の立場を考えるとか、

ひとに、乱暴してはダメとか、

教える時に、呑み込みが悪いからと、親が乱暴を加えては、ダメですよ。

そんな中で、自分の行いに責任を持つように、と言う点をチャンと教えて欲しいものですなー。

このような事は、1回や10回言って聞かせたくらいでは、子供は覚えませんよ。

ずーっと、事あるごとに、言い続けなくては。子供と根気くらべですわ。

くれぐれも、根気負けして、放り出さないで下さいよ。

全員、横綱になるまでとは、言いませんが、幕内十両になるくらい迄は、育てて下さい。

育っていく子供を見ると、子育てが楽しくて、仕方が無い人もいるでしょう。

ついに横綱になったー、なんてなると、もー、たまらないでしょうな。

子育ては、楽しい事も、つらい事も、ありますけれど、とにかく、人間を育てて行くのですから、そりゃー手間がかかりますって。

頼みますよ、責任感豊かな、人格者に育てて下さい。

社会で、きちんとした仕事ができるようになる為には、このようにして、育ててもらうより手はないのですから。

会社で、重要な仕事をこなすことも大事でしょうが、子供をちゃんとした人格者に育てることは、それ以上に大事なことなのですから。

会社の仕事は、ちょっとぐらい手抜きしたとしても、子育ては、手抜き厳禁ですよ。

そこんところを、親御さんは、覚悟して、子育てに取り組んで下さいませ。

このようなことが、上手く出来なかった者からの、切なる願いを込めたメッセージで御座います。ホント。

偉そうな事を言って、勘弁してちょ。

 

と言うわけで、今の大人の責任感の欠如は、戦後の教育に、原因の一つがあったのではないのか、と思われる訳です。

ですから、子供の躾、人格形成の教育は、まずは、親御さんに頑張って貰わなければなりませんし、家族、近隣社会、一般社会および学校教育において、もっともっと力を入れることが必要のように思われます。

しかし、このような部分は、直に、明日の利益を生み出すことに繋がるか、と言うと、20・30年のスパンを見てもらわないと、実際の目に見える効果が現れないのです。

今の社会の牽引的立場にある人達の多くは、とにもかくにも、利己的立場で、明日の利益を追いかけるのに精一杯で、20・30年先のゴールの設定は、ほとんどしていない状況ではないのでしょうか。

そして、それは、極めて利己的で、責任をとらない方向で進められる特徴があるようです。

実に、奇妙で、情けない状況のように、見えて仕方ないのですよ。

要するに、ゴールの設定なしに、兎に角、目先の利益だけを追っかけて走り回っている状況のような気がします。

だから、今までと変わった状況に接すると、どうして良いか分からなくなり、目先のことの、一時的な安易な落しどころばかり、模索しているように見えるのですが。

例えば、原発の設置がその典型ですね。

始める時には、経済性の高さ一辺倒だったのでしょうな。放射性の高い原子ゴミの始末なんぞ、殆ど問題にしなかったのでしょうな。

福島原発の後始末。原子炉メルトダウンの状況の確認、燃料デブリとかの取り出し方法の模索が、多額の経費をかけて行われているようですが。

例えば、燃料デブリとかを取り出せたとして、その先、それをどう処理するのですかね。持って来どころがあるのですかね。ゴールは全然見えていないのではないのですかね。全く、困った問題です。

これが、日本には、55機の原発があるとか。この原発の後始末のゴールは ???

全く見えていない状況ではないのでしょうか。

それでも、取り敢えずは稼働させようと、目先の利益で、事態は動いていますなー。

ゴールは、未来の人任せ。と言う無責任体制だけが、目につきますなー。

財政の多大な借金の処理も、未来の人任せ。

この無責任が、今の日本社会を牽引している人の実像です。

 

今回は、無責任の一根拠を、受験教育に求めてみました。正解かどうは分かりません。教育の他にも、色々と考えなくてはならないことが、幾つも存在するでしょう。その内、またチャレンジしようと思います。

 

誰でも知っているようなことを、偉そうに、くどくどと書き連ねて、御退屈の事であったでしょう。お察し申し上げます。

何と言っても、年中連休の状態ですので、何かして、閑潰しをしなくてはならないのです。

結局、好きな事で閑を潰す事が出来れば、と思いますと、“ぼやいて、嘆く”、これが何とも、大好きなのですよ。杉下右京さん流に言えば、私の悪い癖、と言う事になりそうです。

また、ものすごくお閑な時がございましたら、お付合い下さいませ。

お疲れさまで御座いました。

お後が宜しいようで

《停念堂閑記》71

「日比憐休独偏記」6

 

「無責任体制

 

本日は、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

世間では、あちこち、至る所で、イベントだらけ。色々と面白い催しがある中、よりによって、ここへおいで下さいまして、有難う存じます。

ここはですね、イベント会場とは打って変わって、今の国民の多くが期待している美味しい物も無く、カワイイーものも無く、はたまた、癒される こともなく、元気や勇気を貰えるわけでもない、ただただジミーな、どちらかと言うと、クラーイ、たまに、時節外れの親爺ギャグが、混じるか、これも調子の 悪い時には、なにも出ない、なんとも、仕様がないところなんですよ。ほんと。

しかし、一旦、来てしまったら、もう仕方ありませんよ。

来てしまった責任と言うものが、発生していますから。

責任は、もう、ご自分でとって頂くより仕方御座いませんよ。

精々、ここから面白味を探してもらうより仕様がございません。

甚だ勝手な言い分で、相済みません。

しかし、心配することは、何もございませんから。

お客様ほどの感性を、兼ね備えておられれば、全然、問題ございません。

笑いは、すぐに飛び出しますから。

たとえ面白くなくても、下らねー、馬鹿馬鹿しー、アホかー、と笑い飛ばせば、すなわち、その質はどうであれ、笑いが発生した事は、紛れもない事実になりますから。

この意味では、結構、いけてますから。

宜しいですね。阿呆くさー、と感じたら、すぐに笑い飛ばして下さいよ。

バーカ、アーホなんて思ってね。

そうです。世間で一般的に、嘲笑、アザケワライと言われているやつですよ。

アザケワライであろうと、何であろうと、笑いは笑いですから。

構う事はありませんので、そのような観点がら、お楽しみ頂ければ。幸甚でございますよ。

 

さてと、ですね。

大雪が来てますなー。

ユキは良い良いと言われますが、ドカ雪は困りますなー。

私事で恐縮でございますが、私は、道産子北海道生まれで、東京の大学にやって来まして、そのまま住み着いちゃった、次第でございますが、高校時代迄は、北海道で育ちましたよ。

私の育った所は、豪雪地帯ではありませんで、真冬でも50・60センチか70センチ位の積雪のところでした。

小学生の時には、12月25日辺りで、2学期が終わりまして、ひと月弱の冬休みに入るわけです。北海道は、東京より冬休みが長いのですよ。

2学期の終業式の日は、通信簿をもらって帰るだけでしたので、ランドセルなどは持って行きませんでしたね。風呂敷を持っていくだけ。

通信簿と宿題の冬休み帳(1日に1・2ページのドリル形式の課題を1冊に綴じたもの)を風呂敷に包んで、腰に巻き付けて縛れば、一丁出来上がり。行動し易い訳です。

ちょうどこの頃に、根雪になって、程よい積雪になる事が多かった様に記憶しますなー。

通信簿を包んだ風呂敷を腰に巻き付けて、帰宅の途中、学校のすぐ裏には、大きなエゾ松が植わっていて、この枝に雪が程よく載っかっているわけですよ。

その木の下に、油断しているヤツがいたら、そーっと行って、エゾ松の幹をドンと蹴飛ばして、一気にその場を逃げ去る訳です。逃げ後れると、自分がヒドイメにあいますから。

そーすると、一気に雪が落っこちてくるわけですよ。油断してると、頭からどさっと雪をかぶってしまうわけで、首などに入ったら、シャッケーとなるのですよ。

北海道では、冷たいことをシャッコイと言います。

そこで、やられた方も黙ってはおりませんよ。

しばし、お決まりの雪合戦が展開される事になるわけで、このような時に、とにかく、素早く動けることが、大切なわけですよ。

だから、通信簿風呂敷包みは腰に巻いておいて、両手が自由に使えるようにしておく必要があるわけです。

子供同士の場合は、いいのですが、うっかり、大人の人にやってしまったりすると、これは大変です。雪道を一目散に逃げなくてはならなくなる分 けで、慌てるから、つまずいたり、滑ったりはあたりまえで、アラ雪(踏み固められてなどおらず、降ったままの状態で積もっている雪)に頭から突っ込んで、 顔面雪まみれで、プーっとなるはめと相なる次第であります。天罰覿面と言うことですなー。

小学生の頃は、雪が積もると、毎日のように、スキーばっかりしてましたね。

スキー場なんて気の利いたものはございませんよ。

畑であれ、野原であれ、傾斜があるところが、スキーの遊び場となる分けです。

夕方、薄暗くなるまで、遊んで帰ってくると、もう、手がかじかんじゃってね。スキー靴の紐が、凍っちゃっているので、解く事が出来ないのですよ。

仕方がないので、スキー靴のまま、家に上がって、ストーブにかじりつくわけですよ。

そーしたら、手があったまって血行が良くなって来ると、これがズキンズキンと痛くなるのですよ。もー、涙がでるほど痛かったですね。

泣くくらいなら、さっさと、早めに帰ってくればいいのに、とよく叱られましたが、翌日になると、学校から帰ると、もー、けろっと忘れて、また、出かけましたね。塾なんと言う物は、ありませんでしたから、放課後は、好きなだけ遊べるのですよ。

中学生になると、近所にスキーを付き合ってくれる友達が少なくなって、殆ど一人でやってましたね。

よく少し離れた裏山へ、出かけましたね。途中で、凍った山葡萄があったりして、これが、ホンノリと甘いのですよ。

山は、自然のままですからね。スキー場に はなっていません。雪が積もったままになっている、そうです、アラ雪状態です。雪かさが多いと、スキーの滑りが悪いので、山に登って行く時には、帰りに、 滑り降りることを想定して、コースを考えながら、スキーで雪を踏みしめながら、登らなければならないので、結構骨が折れましたよ。

この登りの作業をちゃんとしていかないと、とんでもないことになる場合があるのですよ。

滑り降るコースを想定しないで登った場合、アラ雪の中を滑り降りなければなりません。真っ白な広い雪の原は、えてして、凹凸がはっきり区別し にくいのであります。一面平坦な真っ白。手当たり次第に、滑り降りると、突然眼前に、こんもりとした雪の盛り上がりに出くわすことがあるのですよ。これが どえらい事になる場合があるのですよ。

うまいこと、その雪の盛り上がりの上を通り越せば問題はないのですが、時に、ヘマをやると、こんもり雪にスキーの先が刺さってしまうことがあるのですよ。

そーしたら、物の見事に、足を取られて、突然ストップ。雪中に顔面突入になるのです。

すなわち、何故こんもり雪になっているのかと言うと、小さな木に野葡萄の蔓が巻きついていて、それにこんもりと雪がかぶった状態になっているのですよ。

すなわち、この野葡萄の蔓に突っ込むことになり、足をとられて、弁慶の泣き所を、ゴリゴリっとやられて、イテーのなんのって。

スピードが出ていますからね。物の見事に転倒する訳です。へたすると、骨折・捻挫する事に成り兼ねません。

なん回も、突っ込んだことがありますが、幸い、大事には至りませんでしたよ。

この頃は、とにかくヤンチャをしてましたなー。こんな所で、骨折などしようものなら、それこそ一巻の終わりになり兼ねないのですから。

家から1キロ程も離れた誰もいない山の中ですから。勿論、家族にも行き先は告げていないし。その日の気分で、どこへ行くか、決まっていないのだから。

それから、大敵は、タラの木です。地元ではタランボと称していましたね。

タランボは、弾力性に富んでいて、雪が載ると、曲がるのです。これも小さなこんもり雪になっているのです。これがまた、見分けづらくて、突入しやすいのです。

御存知のとおり、タランボは刺だらけ。載っていた雪が無くなると、ビュンと元に戻るのですよ。これに引っ掻かれたら、そりゃーもう一大事です。

スキー遊びも中々大変だったですよ。

3月の中頃だと思いますが、この時期になると、日中は大分温度が上がるようになりますな。

そうすると、田畑に積もっている雪の表面が、幾分融け出すのですよ。これが夜間に、気温が下がるので、堅く凍ることになるわけです。これが数日続くと、雪の上に載っても、ぬからなくなるのですよ。馬だって、大丈夫なくらいになることもありましたから。

このような状態の雪を、カタ雪と称していましたね。

カタ雪になると、しめたもの。学校まで、道路など通らずに、畑の中を一直線に行くと、断然近いわけです。

しかし、油断して、田畑の端にある下水の上に乗ったりすると、積雪が薄くなってたりすので、ズボッと下水にはまることがあるのですよ。

この時は、悲劇です。深さは精々膝くらいですので、溺れるとかの心配はありませんが、シャッコイのです。2度ハマったことが御座います。はいている毛糸の靴下が、びしょびしょになって、だんだん凍ってくるので、まいりましたねー。実に。

カタ雪になると、学校へスキーで行くこともありましたね。

学校まで、ズーッと下り坂とは参りません。殆ど平坦でしたので、自然に滑り降りることは無い訳です。

ストックで思いっきり漕ぐのですが、これは腕がすぐに疲れてしまうのです。そこで、距離競技と同じ要領で、スケーティング走法をやるのです。片方の足に体重を載せて、もう片方の足で蹴る。これを交互にやって滑らすのですが、これもまた結構草臥れるのですよ。

近所に、大きなシェパードを飼っていたお宅がありまして、一学年上に男の子がいて、カタ雪になると、このシェパードに綱をつけて、スキーに乗って、引かせるのですよ。これが、まー、平らな所ででも、結構なスピードがでるのですよ。私の家には、そんな犬を飼っていなかったので、うらやましかったですなー。

また、北海道の冬の交通手段として、馬橇(ばそり)が使われていましたね。

長さ3メートルほど、幅1メートルくらいでしたね。それに、幅1.5メートル程の板を載せて、その板の上に、はみ出さないサイズの四角い板製の枠を載っけるのです。そうすると、枠の中に4・5人が乗れることになるのですよ。

市街地まで買い物に行く時などに、馬に引かせて使用するわけです。

ある時、本州の雪の無い所から来たお客さんを、馬橇に乗せたそうなのですよ。そうしたら、間が悪く、吹きだまりに乗り上げて、橇がひっくり返ってしまったのですよ。

それで、人も積んでいた色々な品物も、放り出されて、雪まみれになって、ぐちゃぐちゃ状態となったのですよ。

そうしたら、北海道の人は、「やー、ゴッペ返したなー」と言ったのですよ。

北海道では、手がつけられないような、ごちゃごちゃになった状態のことを、ゴッペ返す、と言うのですよ。まー、標準語で言えば、ごった返すに近いニュアンスですね。

そうしたら、本州から来たお客さんは、勘違いしまして、北海道へ行ったら、ゴッペに乗せられて、これが、ひっくり返って、えらい目にあった、と言ったとか。くれぐれも、北海道では、馬橇をゴッペとは、言いませんから。

またですね。カタ雪になった時に、近所の元気の良い子供達が集まって、この馬橇を坂になっている畑の上まで、必死の思いで、押し上げるのですよ。

これは、なかなか大変な作業なのですよ。ひたすら頑張って押し上げるのです。

それで、頂上に着いたら、みんな乗っかってですね。一気に下を目指して滑り降りるのですよ。なかなか豪快でしてね。こればかりは、一人二人ではできませんので、六・七人集まらないとダメでしたね。

遊んだ後は、みんな疲れて、ヘロヘロになるのですよ。

馬橇を家の庭先まで、戻さなくてはならないのですが、もー、疲れているので、嫌になっちゃうのですよ。それで、馬橇を畑の雪の上に放って帰っちゃったりすると、あとで、えらく叱られるわけですわ。

てなことで、雪が降ると、色々な事があって、時が過ぎ去ってから思い出すと、以外と面白かったなー、と思うのですよ。

 

さて、年寄りの思い出話は、これくらいにしましてね。このごろ気になっていることに話を移します。こちらは、全然、楽しい話では御座いませんよ。もっぱら、不愉快になること間違い無しの話です。冬かい、なんて言っている場合ではありませんよ。

 

このごろに限ったことではないのかも知れませんがね。

なにか具合の悪い事が生じた場合、その責任の取り方が、何だか腑に落ちない場合が多いような気がするのですよ。

多分、自分もそうなのだろうと思うのですが、この際、自分の事は棚上げにしまして、偉そうな事も言って見たくなったりするのですよ。

所詮、ジジイの定年後の暇潰しなのですがね。

偉そうに、何様のつもりだ。と、ご自分も何様になったつもりで、ののしりながら、聞いていただければいいのですが。

例えば、大臣が何か失言して、辞任する事態に陥った、と言うことは、珍しいことではありませんな。

当然、申すまでもなく、失言に対する責任をとった、と言うことなのですが。

失言の内容、質的な相違がありますが、世間の一般的常識に照らして、とんでもない事を仕出かしたり、言ってしまったりした場合は、単に、大臣と言う要職を辞すれば、責任をとったことにはならないように思われる場合があるのですよ。

要するに、止めりゃー良いんだろう方式の責任の取り方ですよね。

このような事態になると、野党はお決まりの総理任命責任を問う活動をとる分けです。

事が明確になった場合は、総理は任命の責任を認めて、謝罪する事態となるわけですが、この場合は、言ってしまえば、任命責任は自分にある、よって、問題の人を大臣の座から降ろした、不適切な人事で申し訳なかった、今後このようなことが無いように十分配慮したい、と言うようなことを、遺憾ながらと述べるだけですよね。いつもこれで、一見落着と言うことですよ。

総理も、任命責任を感じて、総理の職を辞する、なんてことには、絶対になりませんよ。口で責任を認め、謝罪すれば、それで終わりです。

後は、しゃーしゃーとしたものです。

仮に、これより一歩踏み込んでも、問題の議員与党の党籍から外すくらいが、精一杯ですね。余程の事が無い限り、問題の議員の資格を剥奪するまでには、至りませんよね。

一般市民からすれば、大臣は辞したが、その後は、しゃーしゃーと議員をやっているなー、と思われるのが一般的ですね。

次の選挙に、また、立候補したりしますよね。責任などは、少しも感じていないようですよね。

それを又当選させちゃうんだから。も・・・。

どうも腑に落ちず、すっきりしないのですよ。

何か良い解決法は無いものですかね。

厳しい立法的処置がなされれば、良いのですが、立法権を握っている国会議員が、自分たちに不利な法律を作るわけがありませんから、処置なしですよ。

国会議員って、なんだか泥棒的性格を有した警察官みたいなものに見えますなー。警察官が、泥棒的性格だ、と言う意味では御座いませんよ。誤解なきようにお願いします。

どうしたものでっしゃろー。 

国会議員の責任の取り方を、兎に角、きちんとしておかなくてはならないのでは、と思うのですよ。

 

御存知の通り、福島原発の後始末問題はどうなりましたか ?

福島以外の原発の抱える問題は、解消されましたか ?

国政選挙1票の格差是正は、どうなってますか ?

貧富の格差の問題は、どうなってますか ?

国の巨額の借金の解消は、どうなってますか ?

オリンピックの開催に関わる諸問題は、どのようになっていますか ?

東京都築地市場豊洲移転に関わる諸問題は、どのようになっていますか ?

どれをとっても、その責任の所在すら、ハッキリしてはいないのではないですか。

はっきりしているのは、責任の所在を、はっきりさせないで、とりあえず、目先のことを進める、と言うやり方ですよ。

考えられますか ?

ゴールの設定をせずに、突き進んでいるのですよ。莫大な資金を費やしながら。

普通ありえないことが、普通に進められている状態ですね。

軽卒に、とりあえずやってみて、すぐに具合の悪い事態に直面して、それ迄費やした経費を、いとも惜しげも無く、簡単にパーにしてしまうのですよ。

このようにしても、最初から責任を取らなくて良い体制で始めていますから、たとえ大失敗したとしても、責任を取らなくて、済むのですから、気楽なものなのですよ。

 

国、社会のリーダー的役割を果たす立場の人の責任体制を、まずは、明確にしておく事が肝要ではないでしょうか。

そうしないと、兎に角、責任の無い、あやふやなことばかりされてしまうのでよ。

例えば、かつて大問題になった年金問題のように、ですね。

うやむやになっている個人年金について、最後の1人まで、絶対に明らかにする、と大声を張り上げていた議員さんが、いませんでしたか。

あの大声の発言は、どうなっちゃったのですかね。

たとえ、皆に、そのようなこと出来っこ無いよ、と思われていてもですよ。

あの、カッコ良い、発言の責任は、どうなっちゃたんだろうねー。

全然、期待をしていた事ではありませんが。

随分多額の経費が、つぎ込まれたと思いますよ。

格言1

議員さんの発言ほど、いい加減なものは無い。」こともある。

ところで問題は、と言うと、このような事態に、国民は慣らされてしまっているところにあるのではないのでしょうか ?

これが、一番重大な問題なのでは、と言う気がするのですわ。

このような事を宣(のたま)うと、偉そうに、何様のつもりだ、と頭から、冷や水をぶっかけられること必定かも知れませんが、ある視点から見ると、簡明に表現すれば、議員さんは、まさに国民の縮図ではないか、と見えたりするのですよ。

格言2

「この国民あって、この議員さんありき。」

の状態に陥っているのではないのでしょうか。

かなりの偏見ですかねー。

そんな事は無い。国民は立派。国会議員も立派。と言う見方があっても、一向に差し支えは御座いませんよ。

しかし、見方によってはねー ・・・。と言うことなのですよ。

どうしてこのようになってしまったのでしょうかねー。

この点を明らかにして、そこから、考え直し、出発しなければならない、状況なのではないでしょうか。

 

次回まで、皆で、考えましょう。小難しい宿題です。

 

今日は、ちょっと、偉そうなこと言っちゃった気がしますなー。

所詮は、1年中、日々連休の、定年後の、脳の活動が停止状態の、ジジイの閑潰しの戯言です。号を日比憐休と自称する「停念堂閑記」であります。お恥ずかしい、ダジャレです。

 

どうもお疲れさまで御座いました。お後が宜しいようで。

《停念堂閑記》70

「日比憐休独偏記」5


「ジジイ放談5」


「嗚呼! わかんねー」


ようこそのご来場、厚く御礼申し上げます。

今日は、時間的に余裕が出来たのですか。

それとも、一時的な気の迷いで御座いましょうか。

ちょっと、覗いて見るか、なんて言う気分になられたんでしょうーな。

余程、ヒマじゃー無いと、こんなところで、油を売ってらんないですよねー。

結論的に、今は、ヒマだ、と言うことなのでしょうね。

それならば、ちょっとの間、なんとも下らない、ダラダラとした馬鹿馬鹿しい話に御付き合い下さいませ。


さて、日常、いくらヒマだーとは言っても、やらなくてはならない事、やっておいた方が良いことなど、色々ございましてね。

これが、結構忙しいのですよ。

決まったお勤めに出かけなければならない方と、そうではなく、家におられる方とは、事情を異にする事ですが、例えば、毎日、朝が来ますなー。たまには、いきなり昼から1日が始まれば、気分転換にもなろうかと思われますが、決まって、朝から始まりますなー。

因に、夜行性の動物は、日が暮れたら1日の始まりでしょうから、人間の日暮れが、朝と言うことになるのでしょうかね。

バカ言ってんじゃーねー、ってですか。人間だって、夜行性動物だって、陽が昇れば朝だ、ってですか。

お客様ねー。そう真面目に来られたんじゃー、元も子も御座いませんよ。

ここはですね。なるほど、と来ていただかなくては、面白味が無くなっちゃうんですよ。

例えば、極めて大雑把に言えばですよ。朝になって、陽が昇ると、起き出して、何らかの活動をして、日が暮れて夜には寝る、と言うのが、一般的なことですよ。

これによれば、寝ている時は、すなわち、夜と言うことなのですよ。

だから、冬眠して、寝ている熊やカエルなどは、春になって、温かくなるまでが、ずーっと、夜と言うことになるのですよ。

そんなことは、言われなくても、判ってらー、ってですか。

お客さんは、話がお分かりになられる。実に飲み込みが早いですなー。

ラーメンなんざ、あっと言う間に、ドンブリ空にしちゃうでしょー。飲み込むのが、早い。

極めて、せっかちなタイプのようですな。

てな事は、どうでも良い事ですが、個人差はあるでしょうが、普通は、朝に目を覚ますわけですよ。

もっとも、目が覚めたら、昼だった、と言うことはありますがね。

しかし、大体は、朝に目を覚ましますなー。

覚ましたく無い場合だって、覚まさなければならないのが、一般的ですよ。

就寝時に、明日は目を覚ましたくねー、目なんぞ覚ますものか、たっぷり寝てやるぞー、と堅く決意して、寝入ったとしても、大抵は、目が覚めてしまいますなー。

中には、本当に決意のものすごく堅い堅い方がいらっしゃいまして、ついに、目を覚まさなかった、となると、これはこれで、一大事ですよ。これは、単に、寝続けていると言う問題では無くなりますから。永眠となりますからね。

大抵は、身体が睡眠を必要としなくなれば、目が覚めますよ。トイレに行きたくなったりしたら、当然、目を覚ましますしね。

順序としては、目を覚ましてから、用をたした方が良いようですよ。

これが、順序を間違えて、用を先に済ませてから、目を覚ますと、厄介な事になってますから。

また、重症の頻尿を煩っておられる方は、1日中、トイレに行くことが、主たる仕事となりますね。

しかし、全然睡眠をとらないわけにも参りませんので、主たる仕事の合間を狙って、つかの間の睡眠をとることになりますな。

この場合に、うっかり主たる仕事を失念してしまうと、これはこれで、また、なかなかヤヤッコしい事態に突入したりしますから。後始末が面倒ですから、主たる仕事を優先してこなすことが、肝心ですなー。

こればかりは、誰か代わりに、と言うわけには行きませんよ。たとえ王様だって。人間、この点は皆平等に出来ているようですよ。

代行屋さんに頼んで、代行屋さんが、とりあえずトイレに行って、用をたしてくれたとしても、頼んだ方の問題は、全然解消してませんからねー。こればっかりは。

また、いくら頻尿だとは言えですね、トイレを往復してさえいれば、万事問題なし、と言う訳では、御座いませんよ。腹が減ったり、テレビを見たくなったり、パチンコへ行きたくなったり、と色々とすることがございますよ。

一般的には、朝は目覚めてから、洗顔、歯磨き、髭剃りとかをするでしょうね。

えっ、私は、女性なので、髭剃りは不要ですって。

あらあら、そんな事を言ってはいけませんよ。

現在の日本は、男女平等の社会ですから、女性も朝には、チャンと髭を剃らなくてはならないのですよ。無精髭をはやしたままでは格好わるいでしょうから。

まず、髭を当たって、スッキリと1日をスタートさせましょう。

もっとも、剃らなくてはならないと言う法もありませんがね。

立派な髭を蓄えることも、自由ですから。

女性だってね。遠慮することはないですよ。ばしっと、カッコいい髭をはやせば良いのですよ。

これが、平等と言うものですよ。

まー、ここは、髭の話に拘らなければならない理由は御座いませんので、髭の話からは、これくらいで引き上げます。

それから、一般的には、朝食の支度、朝食をとる、朝食の後片付け、そして、この間のどこかで、身支度もする事になるでしょうなー。

一日中、パジャマでいたって、いっこうに構いませんが。そのへんは、好きずきですから。

出勤なさるお方は、パジャマと言う分けには参りませんなー。せめて、ジャージくらいにしておかなくてはねー。ネクタイしていれば、ジャージだって、判りはしませんよ。

クールビズだって、かなり一般化してますでしょ。そのうち、クールなんて言う制約がなくなって、オールビズになりますから。

そうなれば、一日中、ジャージでいいですよ。寝る時だって、寝間着やパジャマより、ジャージの方がよっぽど機能的ですからね。

そらー。地震だー、雷だー、火事だー、親父だー、と言った時には、そりゃー、ジャージの方が絶対に良いですよ。

地震、雷、火事は判るにしても、親父と言うのは、どう言うことだー、ってですか。

それはですね。若い女の子が、家から離れて、ようやく1人暮らしができるようになってですよ。たまたま、彼が来ていた時に、たまたま親父がやって来た。その時に、ネグリジェパン一では、マズイでしょー。そのまま外へ逃げ出す分けには行かず、現行犯逮捕となりますよ。どえれー、絞られまっせー。

このような時でも、ジャージだったら、ジョギングに行ってくるー、って逃げちゃうえばいいんですから。

親父の防災対策には、ジャージが絶対有利。

それはともかくとして、ゴミ出しとか、部屋の掃除とか、場合によっては、表の掃除とか、洗濯とか。

昼・夕方になると、また、食事関係の一連の仕事、さらに、どこかで時間を作って、買い物へも行かなくてならなかったり、お煎餅齧って、テレビも見なくてはならないし、読みかけの推理小説の続きも気にかかりますしね。

赤ちゃんがいたら、小さなお子さんがいたら、犬や猫の動物を飼ってたりしたら、その世話で中々大変ですよ。虎やライオンでも飼っていようもの なら、それはそれは、大変どころでは、ございませんよ。うっかりしていたら、食べられちゃいますからね。食われたら、とても痛いですよ。きっと。我慢でき ず、泣いちゃいますよ。

と言うような次第で、どうしてどうして、生活して行く上でしなくてはならない色々なことがございますなー。

その上で、「停念堂閑記」もたまには、覗かなくてはならないでしょうから、と

てもヒマを持て余す事なんて言うことは、御座いませんでしょう。

それなのに、一日中する事も無く、ボーっとヒマを持て余しておられるお方がおられるとするならば、その方は、よっぽどの怠け者と言う他ありませんね。

きっと、貴方が怠けているために、どこかにしわ寄せが行っていますよ。

まー、シャツの場合は、多少の皺くらいなら、たいして気にすることは有りませんが、誰かにしわ寄せが加重になり過ぎると、きつーい小言がきますよ。

貯めといて、一気に来る場合がありますから、その時に備えて、避難マップを作っておいた方がいですよ。備えあれば、憂い無し、とは行かないまでも、手ぶらでいるよりはマシですよ。きっと。どうせヒマなのでしょうから。

ヒマだー、とボーっとしておられる男性がいらっしゃいましたら、まずはですね。メシ作りにトライすればいいのですよ。とたんに、ヒマだなんて言ってらんなくなりますから。

簡単ですよ。冷蔵庫にある物を、何でもいいから、見繕って、まな板に並べて、包丁で適当に切ってさ、フライパンに叩き込んで、味なんてね、所詮、人間の味覚なんて、甘い、しょっぱい、酸っぱい、辛い、苦いくれーのものだから、これをみんな加えておけば、万事OK。砂糖、塩、醤油、ミソ、酢、唐辛子、練り辛子、ワサビ、などを適当に入れてさ、ちゃちゃーっと、炒めちゃえば、一丁上がりですよ。どうせ焦がしちゃうだろうから、苦みもつくし。そして、忘れてならないのは、化学調味料ですよ、これを多めに入れれば、旨味万全。もー、完璧でっせー。化学的な料理の完成となりますから。世界文化遺産に指定されますよ。きっと。

これをですね。多分シワ寄せが溜まっている、奥方様に、ご賞味頂くわけですよ。

間違いなく、いきなり、スリコギ棒が飛んできますから。

エッ、うちにはスリコギ棒は無いですって。

それは、幸いでしたねー。こうなることを、既に、予想していたのですか。流石ですなー。

下手に、スリコギ棒なぞ買っておかない方が、良いですよ。ホント。

既に、お持ちの方は、そーっと、気づかれないように始末しておきましょーね。

ヘマすると、命に関わりますからねー。

しかし、スリコギ棒は飛んでこないまでも、こんな物、食えるかー。余計な事するんじゃないー。と言うのは、間違いなく来まっせ。

実は、これが狙い目なのですよ。もう、二度とメシ作りはしなくて良くなりますから。

しかし、あまりものひどさに、奥方様が出て行っちゃったら、仕方ありませんよ。いさぎよく、諦めて下さいよ。

メシは、自分で作らなければならなくなりますよ。作り方は、さっき言ったとおりでいいのですよ。

一口食べたら、もー、出て行きたくなりますから。その時は、迷わず出て行きましょう。そうしたら、ヒマだなんて、言ってらんなくなりますから。

要するに、生きていると言うことは、そんなにそんなに、ヒマなわけは御座いませんよ。何かしなくてはならない事があるものです。


ところで、生きていますと、様々な事柄に出っ会しますなー。

良い事、悪い事、好きな事、嫌いな事、儲かる事、損する事、どうでも良いこと等々、実に、色々ございますなー。

その中で、今日は、「嗚呼。わかんねーこと」を、話題に取り上げて見たいと思います。

「わかんねーこと」は、色々ありますよ。というか、「わかんねーこと」だらけ。気にし出したら、たちまち、不眠に陥りますよ。悩みますよ。

「わかんねーこと」は、どうして、わかんねーのだ、となりましてね。

終いには、何で眠れないんだ。と悩んで、不眠になってしまうのですから。

まー、今更申し上げるのも、なんで御座いますが、子供の頃から、「物覚えは悪が、物忘れは良い」と言うのが、私のキャッチフレーズでしてね。長年、これでやらせていただいているのですよ。

良いのと悪いの双方を備えおりますので、御陰さまで、アンタは、バランスがとれていると、お褒めを頂いたこともあるのですよ。

まー、早い話が、要するに、ただの凡人だ。と言うことですよ。

年を取ると、この特徴が一段と磨きがかかって、冴えて来ていますよ。特に良い方がですね。どんどん物忘れが、冴えて来ますから。もはや、達人ですよ。人間一つくらいは、取り得があるものですなー。

世の中には、実に、小難しい、容易に解答が得られないような難題に取り組んでおられる方が、いらっしゃるものです。

以前、とある難題に悩んで、貴方どう思う、とよりによって、私に意見を求めて来られたお方があったのですよ。何を勘違いなされたのですかねー。

当然、答は、そんな小難しいこと、凡人に判る訳ありません、ですよ。自信を持った、答ですよ。

そしたら、そうだろうな、と至極当たり前の事と、納得がいったご様子でした。なんなんだったのですかね。

思うに、きっと、凡人はどう思うかを確認に来られたのでしょうな。私が、そのように思う、と言うことは、世の中のほとんどのお方が、そのように思うと言うことですから。きっと。

まー、一種世論調査のようなものなのでしょうなー。

凡人は、こう言う時に、役立つのですよ。人様の御役に立つと言うことは、実に、良いことですよ。

ところでですね。凡人にとっては、困ることが、常に存在しているのですよ。それはですね。世の中には、とにかく「わからねーことだらけ」と言うことですよ。あれも、これも、いちいち「わからねーことだらけ」なのですよ。まったく。

例えば、何時も訳分からねーのは、国政選挙の時の地域における1票の格差についてですよ。

憲法では、平等をうたっていますから、日本全国、どこででも、有権者1人1票と言うことですよ。これが、A選挙区とB選挙区と比べて見ると、1対3とか、1対4になったりするのですよ。

明らかに、憲法の定める平等に反していますよ。

憲法ではね1対1とされているのに、それが1対3とか、1対4ではおかしいでしょう。

実に、簡単な算数ですから、誰にも分かる単純な話です。

いくら凡人とは申せ、これっくれーの算数は、分かるのですよ。

そこで、これは憲法に反しているから、このような状況で行われた選挙は、無効であるとして裁判所提訴している人々がいますよ。

そしたら、裁判所は、御存知のとおり、「違憲状態である」などと言う、訳の判らない判決を下したりするのですよ。

そして更に、「違憲状態である」が、選挙は無効ではない。やり直さなくて良い、と言うのですよ。

要は、違憲であるが、その状態で行われた選挙は、有効だ、と言うのですよ。

違憲の状態」と言うのは、紛れも無く、通常は違憲と言うことですよ。

憲法違反でも、大丈夫。平気、平気と言うのですよ。

これは、故赤塚不二夫さんのバカボンパパの「反対の賛成なーのだ」のと、同じレベルですよ。バカボンのパパは、漫画のギャグだから、これは憲法論議には発展しませんよ。

しかし、裁判所のこの判決の論理は、「これでいーのだ」では、済まされませんよ。

この裁判所の論理、分かりますか。「わかんねー」ですよ。

もちろん、原告側が納得いく分けが御座いませんよ。この訴訟は、結局は、最高裁の判断に持ち込まれましたよ。

結局、最高裁までいって、下された判決が、算数のテストだったら、完全にペケですよ。

すなわち、論点が絞られていって、許容される格差はどうなのだ、と言う事になって、結論として、1対2、すなわち、2票以下の格差であれば許容される、と言う判決なのですよ。

と言いながら、前回の参議院選で生じた1対3の結果でも、高裁判決では、選挙は成立と言うのですよ。

ちゃんと、考えてみて下さいよ。憲法では、1対1なのですよ。これが定なのです。

これが、1対3でも良い、と言うのですよ。

1対3の格差は、実質的には、許容の範囲とされているのですよ。

こんなんだったら、野球はどうなるってんです。1対1と1対3は、同じ扱いかー。勝負は見えねーぞー。

なんでやねーん。「わかんねーぞー」、ですよね。

さらに、付けられた屁理屈が、訳分かんないのですよ。

国会では、1票の格差是正すべく、選挙法の改革に取り組んでいるから、と言う屁理屈も付けられているのですよ。

泥棒にですよ。目下改心の検討中だから、結論が出る迄、逮捕を待ってやるで、世の中治まると言うのでっか。まったく。

最高裁の判断は、司法制度による判断の終着点ですからね。

要するに、憲法法律に則った、最も基本的な判断が下されるべきであって、政治を行う場では無いでしょ。

司法立法行政三権分立によって、司法は、立法行政から独立した存在なのですよ。誰だって、そんな事、義務教育段階で教わって、知っていることですよ。

司法は、法の精神に基づいて、ビシッと結論を出すべきですよ。裁判官の皆さん。大学の「法学概論」で、真っ先に、法の精神を学んだでしょう。知らない、失念した、誤解してたと言うような弁解は、許されませんよ。

裁判は、憲法法律に基づいて行われるもので、それは、「当たり前の当然のことなーのだー」とバカボンパパも言うと思いますよ。

それを、政治的事由を持ち出すなんて、もっての外ですよ。日本の法曹会は、一体どうなっちゃったんだ。と言うことですよ。

1対1が判断の基準なのですよ。ですから、1対1か、限りなく1対1に近い数値で無くてはならない訳ですよ。実に、簡単な論理です。

実際の選挙において、現状の選挙制度では、ずばり1対1になる条件を整えることは、困難でしょう。しかし、これを1対1に近づけるのは、行政の仕事ですよ。国会のするべき仕事であって、その仕事がかなり大変難儀な事情にあるとしても、最高裁がいらざる口出して、判断すべき性格のものでは無いでしょう。

憲法によれば、1対1なのですから。これに照らして、格差があれば、それは、紛れもなく、違憲なのです。

但し、ぴったり1対1にすることは、現行の選挙制度では、叶わぬことです。しかし、だからと言って、1対2以下が許容の範囲と言うのは、どう見たって、おかしいではありませんか。

1対2以下が許容の範囲と言うのなら、そのようになる論理がなくてはなりませんよ。

2は限りなく1に近い数値ではありませんよ。1.5と言うのが、1と2のちょうど中間値です。ですから、1.5を超せば、もはや1ではなく2に近い数値なのです。1.5未満が2よりは1に近い数値なのです。

ですから、憲法の平等精神1対1に近い限界の数値は、1.5未満と言うことになり、最高裁の判断は、許容範囲を設定する場合は、1.5未満以外にないのです。

小学生の算数で理解できることです。

1.5未満が、現実に困難、と言うのであれば、それは、司法の問題ではなく、行政のすべき仕事なのです。

行政的にみて、1.5未満の条件を満たす事が無理であると判断するのであれば、それは現行選挙制度が、憲法の平等の精神を実現出来ないダメな制度と言う事なのです。従って、現行選挙制度の改革が、早急になされなくてはならないわけで、国会の最優先課題となるはずです。

これを最高裁が、格差2以下は許容の範囲なんて、訳の分からない論理で、判決を出すから、ややっこしいことになるのですよ。

すなわち、このような状況になると、国会は、1対1を目指すべきところを、1対2を目標にすることになるのですよ。この目標では、現実的には、精々1対3くらいに落ち着いてしまう所が出て来てしまうのですよ。

そこで、また、1対3は違憲、この選挙は無効と言う訴訟が始まるわけですよ。

そして、1対3は、違憲状態だが、選挙結果は有効、と言う訳の分からぬ判決を繰り返すばかりなのですよ。

国会は、現議員の御都合主義で狡っこく、裁判所は論理不明の判決、これは明白ですよ。

現実は、この繰り返し。「嗚呼。わかんねー」、と言うことなのですよ。


1対1の格差のない選挙制度は、いつも言われているように、いわゆる全国区オンリーにすれば、間違いなく格差は消滅します。実に、簡単で明快ですねー。

ところが、この制度では、知名度の高い候補者が、どうしても有利となってしまう。と言う意見が飛び出すわけです。

一方、知名度の高い人が、当選すると言うのが、なぜ悪い、と言う反論がすぐに出ますよ。

政治的に適切な判断ができる人であれば、知名度が高くたって、なんの問題も無いはずです。政治的に活躍が期待される人ならば全然問題はないのですが、そうでない場合が、心配されるのですね。

例えば、政治的判断力欠乏のタレント議員と称された人がいましたね。ただ、知名度が高いだけで、当選してしまった議員さん。

タレントさんが、誰も彼も望ましくない、と言うことは御座いませんよ。政治的に全然ダメな、ただただタレントとしての知名度の高さからだけでは困る、と言うことなのですよ。

これは、タレントさんだけが、悪いのでは毛頭御座いませんよ。

タレント出の方でも、実に立派な活動をなされた方も、多数いますよ。

しかし、一方、政治に関心もなく、その知識も持たず、悪質な政党の甘い言葉に乗せられて、うかつに立候補してしまうタレントさんもいる訳で、これはタレントさん自身にも問題があるのです。

すなわち、頭数を揃えたい欲求を持つ、ろくでもない政党が、知名度の高い、タレントさんをけしかけて、立候補させて、当選させると言う事が悪なのですよ。要するに、低質でも頭数だけ揃えて、その頭数にものを言わせて、国策を左右しょうとするのが、問題なのですよ。このような事態が、かつて、実際に数多くあったわけですよ。

その結果、全国区だけにすると、とにかく政治的素養は低いが、知名度の高い、何時もテレビで見るタレントさんの様な方が、選挙ではやたら強い結果となる。だから、全国区だけの選挙は、ダメだと言う意見が出るのですよ。

しかし、この傾向は、ひと昔前のことで、現在では、このような事をしようとすると、その政党の質が問われる傾向が強くなって来ているし、このようなタレントさんに対する評価も厳しくなっているようなので、ひと昔前の状況とは、若干様子が変わって来てはいますよね。

とは言え、投票する時に、どうしても知名度の高い方を、ついつい投票してしまう、と言う傾向が、なくなってしまった訳ではありませんので、この辺の判断が悩ましい現実なのですよ。

これは、投票者が賢くなるのを期待するばかりと言うことでしょうね。

早い話が、国民全体が、政治的素養の向上に努力しなければならない、と言うことに尽きるようです。スマホのゲームにばかり、没頭していてはダメと言うことですね。

一般国民が、国政に直接参加できる最大のチャンスは、選挙しかないのですからね。選挙に、より強い関心を持ってですね、自己の代弁者を選出することに勤めるべきなのですが。これが、ついつい植木等さんの名歌詞「分かっちゃいるけど、やめられねー。はー。スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイー」と、タレントさん的な知名度が高いだけの候補者名を書いて、投票しちゃうのですよね。

投票する者が、適格でない人を当選させてしまう、と言うのが、一番困ったことなのですよ。実は。

それから全国区だけでは、地方の意見が、国政に反映されないことになる。と言う意見もすぐに出ますなー。

これに対しては、地方における地盤との「柵(しがらみ、謂わば「腐れ縁」)」にガンジカラメに縛られた議員さんによる国政の方が、余程心配される、と言う反論がすぐに出ますな。

実に、どっちを向いても、あきまへん状態に陥るのですわ。

これについては、偏見と独断で対抗するより他はありません。

すなわち、国会議員は、あくまでも、国民全体の利益につながる存在であって欲しいもの。特定の地域の利益代表と言う存在では、ダメなのでは無いのでしょうか。基本は。

この観点からすれば、衆議院議員の選出は、全国区だけの方が良いのです。

あまり馴染みの無い人の名前は、投票用紙に書きづらい、と言う点については、その対策を考えれば、良い事だろう、と思いますよ。

例えば、立候補者の届け出期日と投票日の期間を、50日間とし、先の40日間は、もっぱらメディアによる候補者の周知を図る期間として、後の10日間を、街頭や特設会場による選挙運動の期間とするなどの対策を講じてはどうでしょうかね。

そうすれば、知名度の低い人も、40日もあれば、ある程度広く知ってもらえることになるのではないでしょうか。ネットの利用度が、かなり高まっていますから、効果的ではないでしょうかね。

メディアの利用方法は、公平になるように、工夫が必要でしょうが、そんな事は、ちょっと考えれば、適切な方法が見つかるでしょう。

大体、特定の選挙活動は、特定の期間に限定されるでしょうが、一般的な政治活動は、不正行為で無い限り、特定の期間に限定されているわけでは有りません。だから、国政に関して、関心を持ち、自分の目指すところを、より多くの人に訴える行為は、適宜、時をとらえて行えば良いことです。このような政治活動を常日頃行っていれば、知名度も上がるはずです。

どこぞの政党のように、選挙公示日ぎりぎりになっても、候補者を立てられず、土壇場になってから、誰か知名度の高いタレントを担ぎ出そうと、慌てふためいているのと比べれば、心ある方の常日頃の政治活動の方が、よっぽど信頼されるのでは無いでしょうか。

要するに、立候補者がどのような人物であるかを広く知らしめる対策を講ずれば、知名度云々の心配は、解消できることです。要は、その対策を徹底してやるかどうかが問題なのです。

それから、地方の意見を国政に反映するようにするための制度も、抜本的に考え直す必要があると思われます。

現行の小選挙区を設定しての選挙は、1票の比重についての調整は、まず無理ですので、これは根本的に改めなければならないと思われますね。

これは、よりすっきりした分かり易い論理に従えば、実現化の難しい話ではありませんよ。現議員さんの地盤との謂わば「腐れ縁」にさえ関わり合わなければ、今よりは、ずっと良い制度が出来ること確実です。

そして、何時も問題になっていることは、地方に関わる政治のシステムが複雑で、とにかく無駄が多いと言う問題です。

地方に関わることには、まずは、国会のシステムが大きく被さっています。そして、都道府県レベルのシステムと、市町村レベルのシステムが関わり、三重構造なっています。

だから、国会レベルでの思惑と都道府県レベルでの思惑、さらに市町村レベルでの思惑が、常に別個に存在しているのです。

すなわち、地方の事柄は、この三者の調整が必要になる仕組みとなっているのです。テマ・ヒマ・カネがかかるのです。

ところが、現実的には、三者の力関係は、申す迄もなく、国(ここでは、政府の意味)、都道府県市町村となっていていますから、都道府県市町村が、国(政府)の力に押し切られる結果となることが多いのです。

具体的には、国(政府)から、予算をつけるので、これをしなさいと言われれば、結局は、当該都道府県市町村では、たいして必要のないことでも、やってしまうことになる訳です。このようにして、地方にとっても国にとっても無駄なことをしてしまう現実があるわけです。

要するに、地方の政策は、国(政府)・都道府県市町村の謂わば3階建てとなっていますので、1階建てになれば一番スッキリするわけですが、それはいきなりでは中々実現が難しいですから、まずは、2階立てに出来ないものかを検討してみてはどうかと思う訳ですよ。

そこで、2階建ての構造をどうするか、と言うことになるのですが、この場合、国(政府)を無くする訳には、参りませんので、結局は、都道府県市町村の部分の一体化を検討するより御座いません。

まず、国に関わる部分について見ていきます。

例えば、衆議院議員の定数を457人とします。

因に、現行では、衆議院議員の定数は475人で、うち295人が小選挙区選出議員、180人が比例代表選出議員です。

合計の定数は、現行よりも19人減らします。

これは、現行定数は多過ぎ、減らすべきとする世論が強いと言う判断によります。

総数457人と言う根拠は、以下の理由によります。

1 現行の475人の下二桁を入れ替えて見よう、と言う単純な発想ではございませんよ。現行定数は、多過ぎる。減らすべきとする世論が強いと言う判断によるのですよ。

19人削減と言うのは、現行の定数は、多すぎるから、何人かどこかへ行ってくれませんか、と言ってみたところ、行く行くと言った方が、19人にいたので、19人削減としたのではありませんよ。

また、国民にだけ血を流すことを強要するのは不届きだ。国会議員自身も血を流すべきだ。ナンと言う理屈がまかり通っているようですが、そんな心の狭い、根本的な解決法とはほど遠いケチな理由ではございませんよ。国民が血を流し、国会議員の定数を僅かばかの削減すれば、万事OKとなると言うのですか。頭をよく冷やして、考えなければ、なりませんよ。

衆議院議員定数改編の理由は、順次説明いたしますよ。

要は、まず19人削減して、衆議院議員総数457人とするが良いのではないのか、と言う案です。

2 現行の比例代表小選挙区の区割りを廃止してはどうでしょう。

これは、現議員選挙区の旧来の「腐れ縁」を一度解消することを主目的としています。

  選挙は、都道府県とその人口を調節した単位として行うものとしては   

  どうでしょうか。

  新たに、選挙区は、全国区と地方区としてはどうでしょう 

 2-1 全国区の定数を235人とします。総数の約半数強に当たります。

   国政は国民全体を対象とすべきであり、且つ、選挙区による格差是   

   正をしなくてはならないことが、主たる理由です。

   この数的算出の根拠は、47都道府県から、仮に各5人を選出することと  

   した場合の数値が235人になると言うことです。

   なお、蛇足ながら、都道府県から各5人宛選出する、と言うのでは有り 

   ませんよ。全国区ですから。

   衆議院議員の定数の約半数強を全国区選出としてはどうか、と言う発想 

   です。

 2-2 地方区の定数を原則222人としてはどうでしょう。

   原則と言うのは、人口を基に定数を算出するので、場合により、若干  

   名動く可能性を考慮したものです。

   すなわち、地方区は、地方の意見が、平等に反映されなくてはなりませ

   ん。ここでは、都道府県有権者数ではなく、人口にベースをおきます。

   都道府県からは、必ず1名以上の衆議院議員が選出されることを、絶対

   条件とします。

   すなわち、地方の選挙区は、都道府県に同じとする訳です。

   主たる理由は、地方行政は、圧倒的に都道府県を単位として行われるこ 

   とが多い現実だからです。

   現行の選挙区を単位とする地方行政は、ほとんど無いからです。

   ですから、地方区の選挙は、地方の行政体を基盤とする方が望ましいと

   思われます。

   それから、知事選が行われていますから、都道府県を単位とする選挙は  

   慣れているので、問題が少ないと言う点が上げられます。

   仮に、2015年都道府県別の人口を基にしますと、

   人口総数は、127,110,047人で、最多が東京の13,513,734人、最少が鳥

   取県の573,648人です。

   そこで、鳥取県の地方区衆議院議員の定数を1人としますと、単純計算

   では、全国からは、222人選出される計算となります。最多の東京の定

   数は、9人となります。

   以上が、地方区選出議員定数222人の数的根拠となります。

 以上のような方法によれば、割合、分かり易い論理で、全国格差が少なく、選挙があるたびに、地域格差が大きい、平等ではない、この状態の選挙は無効だ、とする事態を避けることが出来るのではないかと思われます。

最高裁においても、違憲状態だが、選挙は有効などと言う訳の分からない判断をしなくて済むし、1票の格差は、1対2以下であれば許容されると言う苦し紛れの算数をしなくて済むのですよ。

ただ、現行の国政選挙と制度的特徴として、決定的に異なるのは、現行制度は、有権者数をベースとして、1票の地域比重を考えているのに対して、この改革案では、都道府県別の人口にベースをおいていると言うことです。

凡人の偏見と独断では、この改革案の方が、憲法の平等の精神に合致するものであると言うことになります。

すなわち、憲法で言う平等は、有権者をのみを対象とするものではないでしょう。人格を有するもの全て、老若男女全員を対象とする平等でしょう。

だからこの状態に、出来るだけ近づけるための方法を考え、それによった方が賢明だと思うのですよ。

どうしても、選挙であるからには、有権者数をベースに考えなくては、おかしいとされる意見が多いとすれば、人口ではなく都道府県有権者数をベースに、定数を算出すれば、良いのですよ。

参議院も、仕法は、衆議院議員に準ずれば良いと思います。

あるいは、全国区だけでも良いような気もしますが。

要するに、平等が担保され、地域による格差をなくし、選挙に費やすテマ・ヒマ・カネを最小に押さえることが肝腎であろうと思うのです。

 

以上のようなシステムにすれば、今よりは、遥かに具合がよくなると思われます。


次に、地方自治に関しては、都道府県市町村の2階建てとなっていますが、現状を把握し、近未来を洞察して、機能的に、より簡素なシステムに改革できないものか、と言う点が最大の関心事です。


地方自治については、かなりショッキングな現実が出現しているようです。

御存知でしょうか。過疎村の話です。

村長の任期が過ぎても、次期村長の立候補者がいない、選挙が出来ない、村長不在の状況に陥った村があるのです。村議会議員も同様の状況です。

村長不在、議員も空席だらけ。村から政治が消えそうになってしまった所が出現しているのです。テレビの特番でやっていたのを見ました。

過疎の村は、大変な事態が、既に出現していたり、近未来に、大変な事態となることが、明らかになっている様です。

過疎の進んでいる村では、有権者全員が、村議会議員にならなくてはならなくなってしまうのですよ。もはや代議員制では無く、直接民主制の状態ですね。笑ってられない事態が到来している所が、少なからずあるのですよ。

しかし、現在の日本の状況では、村における直接民主制のシステムはとることが出来ません。

一度、村としての自治体の体を成さない状態に陥ってしまうと、村の決めごとが、一切出来なくなってしまうのです。自力での対策が、出来なくなり、手の施しようが、無くなってしまう訳です。

村に、僅かの老人しか存在しなくなってしまった結果です。

地方自治体の実情は、明らかに、このような方向へ、かなりのスピードで進んでいるのです。

この傾向は、もう、止められない事態となっているように思われます。

理由は、人口の減少です。

日本全体の人口が、減少の傾向にあることが、明白となりましたね。昨年よりも、減少したのです。

また、東京をはじめ、大都市の人口も減少の傾向が、現れて来ているのです。

特に、地方都市の人口減少の傾向は、ますます進行することが明らかですし、町・村に至っては、この問題に、従来から対策を講じていますが、どこも、対処に窮している実情でしょう。

過疎への進化は、若者が居なくなっちゃった、だけでは済まないのです。

過疎の現象が現れると、そこでの生活が不便になります。すなわち、商店の経営が難しくなり、数が減っていきます。結局、商店の無い地域が、加速度的に増加していきます。と言うことは、日常の生活必需品の入手が、極めて困難となります。このような傾向が進み始めると、当然の結果として、状況に応じて、その地域から、離れる人々が続出します。ある者は便利な市街地へ越したり、街場の子供との同居を選んだり、それぞれの事情で、過疎地から離れて行く事になります。

また、病院の存在の可否が、過疎になる決定的な要因となります。

しかし、そのような条件が整わない人は、そのまま過疎地に居続けなければならない訳です。

そして、人口の減少化は、即税収の減少と言うことになります。何か過疎対策をと言っても、それを実現化する財源がない状態に陥るのです。

この負の連鎖は、もはや、止まるものではないと言って、良い事態だと思われます。

過疎の傾向に気がついた時には、既に、手遅れの場合が多いのです。

すなわち、この傾向に気がついて、何か対策をと考えても、最も基礎となる人口増加の実現は、特別の奇跡的事態が発生する以外は、最早絶望的なのです。

したがって、対策は、どのようにして人口の増加を図るか、と言う他に、人口減少の事態の進化に合わせて、地方自治のあり方をどのように改編するのか、と言う点にかかっているわけです。

この改編が、中々大変なわけで、短期間に実現することが、甚だ難儀な傾向にあるわけです。要するに、地方自治体の改編には、長い時間が必要とされるのです。

だから改編問題は、そうとう早めに着手する必要があるのです。対策が、後手後手にまわってしまい、進化する現実に追いつかないのです。

改編を試みようにも、現地にそのパワーが無いのが、現実なのです。さー、どうします。厳しい現実が到来していますよ。

今迄のやり方、現行の制度では、もはや通用しない事態なのです。

自然の脅威と似ていますね。地震・火山の噴火台風・竜巻・河川の氾濫・土砂崩れ・交通網の崩壊・水道の停止・停電医療の低下・教育の低下・食料不足等々、気象の大きな変化にともない、従来の設備では、もう太刀打ち出来ない状態が多発している現状です。

これに対応する行政は、災害が発生すれば、目先の復旧だけで、目一杯の現状です。

根本的な制度改革が、緊急に必要とされている現状です。

しかし、どうでしょう。世の中、来るべき2020オリンピックに、大騒ぎ。表面の見栄をどのように取り繕うかに夢中の状態です。復興オリンピックをうたい文句にするのなら、その費用、2兆円だか、3兆円だかを、被災地復興資金として、ポンと出しなさいっちゅーの。復興の速度が、全く違いますよ。

たとえば、ポンと出すにしても、出すシステムがややっこしくて、実現出来ないのではありませんか。

国(政府)と都道府県市町村のこの3階建ての重層構造で、合意をはかる手筈がつかず、手の着けようがない現状なのではないのですか。

とにかく、地方行政システムの改編が急がれる現状であることは、間違いございません。

要するに、もう、地方自治体の根本的な改編が、行われなければならない事態と化しているのです。笑って見ている場合ではなくなっている現実があるのです。

そこで、まず、居住人口と地理・地形的要因などを鑑みて、新たな地方共同体を形成しなくてはなりません。


まず、地方には、現状通りの都道府県をおきます。

都道府県には、その首長として、知事を1人おきます。そして、副知事を事情に応じて複数名おきます。

都道府県に、それぞれの議会をおきます。そして、各都道府県を全1区として、全体の議員を選出します。但し、現行の議員定数よりも、必要に応じた増員を行います。


甚だ唐突で恐縮でございますが、思い切って、市町村首長議会を無くしてしまっては、どうでしょう。目先の中途半端な、過疎地域合併、統合などの方法では、現実に効果的に対応できないと思います。

要するに、現行の市町村と言う独立の自治体を解体し、現行の市町村首長議会を持たない、各都道府県庁の下部組織として存在させ、行政の実務を司る存在とするのです。

従って、市町村議員を無くしますので、この機能をカバーする必要があります。そために、副知事複数名と都道府県議員数を幾分増加させる必要があると言う事です。

副知事は、地域別の担当か、あるいは政策上の主題別に、その都道府県の事情を鑑みて、必要数を用意します。

都道府県議会議員の定数も、その都道府県の事情を鑑みて決めるわけです。簡単に言えば、都道府県議会が、従来の市町村議会職務をカバーする存在ですから、現在の都道府県議会議員の定数を、状況に応じて、増加させなくてはなりません。

しかし、現行の市町村議員数をそっくり都道府県議員に取り込むと言うのではありませんよ。実情を鑑みて、かなり大幅な削減を図ると言う事です。

但し、現行の市町村の役所は、改編して存続させ、都道府県庁出先機関に位置づける。地域住民の声を積極的に聞くことを最大重視する機能を持つ存在として存在させるのです。すなわち、地方の役所は、現行の市町村議会のように、同市町村意思決定の場とはせず、同市町村の隅々にわたる迄の情報収拾の機関としての機能を持たせ、収拾した情報を逐一都道府県庁へ報告させる。すなわち、都道府県庁は、これ迄の市町村の有する問題を常に把握し、都道府県議会が対策の意思決定の場となると言うことです。

都道府県首長、すなわち知事および都道府県議会議員は、各都道府県を単位とする選挙区で選出することになります。この選挙は、従来から知事選挙が行われていますから、特に問題なくできる態勢が整っています。都道府県議会議員選挙も、同様の仕様で可能です。

駄目押しで、要点を再記すれば、現行の市町村長と各議会議員を無くしてしまい、その機能を、都道府県行政の中に取り込むと言う事です。

この事により、都道府県市町村による重層構造を解消されることになる。そして、なによりも厄介な過疎地域の問題を解消できることになるのです。

蛇足ながら、過疎の進行は止められないのが実情だと思われます。

問題は、過疎が進行して、居住民が0地域になれば、行政による人的対策は、不要となるわけですが、問題は、極めて少数の居住民が散在する場合の対策であります。

財源の無い過疎村が、あちらに1人、離れたこちらに1人と言うような少数の居住民のライフラインを維持できるのか、と言う問題です。結論は、明白です。過疎村では、そのようなことは、もはや無理なのです。特に、山間部の降雪地帯では、もう適切な対策は、移住してもらうこと以外にないのです。

この最後の頼みの移住を拒否された場合は、他に対策がないのです。

ただ、ただ根気よく、移住を説得する他ないのですよ。

しかし、お年寄りが、それを拒否する場合があるのですよ。論理をもって、事態の説明をしたって無理な場合がありますから。論理ではなく、ご当人の覚悟と対決しなければならない場合がございますから。

ご先祖が当然現れますよ。この土地は、先祖代々受け継いで来たところである。私はここで生まれ育った。当然の事として、ここに骨を埋めるつもりだ。たとえ明日、孤独死しようとも、それで良いのだ。堅く決心していることだ。覚悟はできている。とやられたら、もう、手出し無用ですよ。

余命に幾分の余裕でもあれば、まだしも、そうでない場合は、今更、移住なんて、論外中の論外ですよ。

老人の引っ越しは、外部で見ている者には、到底理解し難いものがあるのだと思われます。先祖代々の土地を離れる、先祖のお墓を捨て去る、苦労 に苦労を重ねた数々の思い出、何と言っても心身に適合したこの地の暮し、思い出の品々、馴染んだ自然・風景、それらから全て離れた、これからの未知の生活を思う時、どうなろうとも、ここに骨を埋めると決断して、なんら不思議はありませんよ。

この決心を変えてもらうには、ただただ、根気よく、説得して、理解してもらうより道は無いわけです。

説得役を仰せつかった人は、実に大変ですよ。村役場の職員は、当然行政の責務を背負っていますが、しかし、人の子であることからは、逃れられませんよ。説得する方にも、一抹の不安があると思います。

このような老人を、便利な場所に移住して貰っても、果たして、移住先の生活が、当人にとって幸せなのだろうか、と言う不安がつきまとうでしょうしね。

引っ越し先には、あの山間部の青い空はあるか、澄み切った空気はどうだ、へますると車の排気ガスの方が多いかもな、小鳥のさえずり、虫の声はどうだ、トンボが飛んで来て頭にとまってくれるか、このようなお年寄りの日常が全部無くなってしまうのです。

結局は、行政の都合を押し付けているだけではないのか、と言うような事が、頭をよぎったりしてですね。説得する側は、どっちに転んでも、後味の悪さを拭えなかったりして。とにかく、双方にとって大変な事態であります。

そんなこんなで、はっきりしているのは、ややもすると、とにかくべらぼうな時間を要する作業になる恐れがあると言うことです。

ですから、このような予想は当然考えられることですから、とにかく、この手の作業は早く着手しなければならない訳です。まだ、時間が、なんて言っている余裕は無い筈です。

地方の行政を改編するには、一刻の猶予も無いと、早く気づくことが肝要です。気づいたら、早速、着手するよりありません。


行政機関については、市町村を廃止して、都道府県の下部組織に組み替えるわけで、これは、現市町村の役所を改善する方向で、何とかなる性格の問題ですが、なかなか難しい問題を含んでいるのが、行政組織の改編と当該議会のシステム、および議員の選出に関する制度の改編についてです。

まず、都道府県首長知事の設置、その選出の方法は、従来通りですので、理解は難しくは無いと思われます。

副知事については、定数を増加させる点とその選定の方法が、新たに加わる点です。これは、市町村の廃止に関わる事ですから、この問題との関係で考えなければなりません。

市町村の廃止は、これを理解して貰うには、大変なエネルギーが必要になると思われます。

市町村を廃止する目的は、現行の都道府県市町村の2階建てでは、重複していて無駄な部分があるので、この解消が一つです。

政策のスピードアップが可能となると思います。

例えば、都道府県で決議し、それをさらに市町村へ下して議決を経て、ようやく実行となるのが、都道府県で決議すれば、即実行に移されることになります。

災害時の対策などは、かなりスビードアップできることになります。

それから、市町村の抱える過疎地域対策が一つの狙いです。過疎の問題を、当該過疎地域だけで、対策することが困難な事態ですから、より広域的な観点から、対策することが肝要であろうと思われます。

以上のことから、市町村を廃止し、従来の市町村の持っていた機能を、都道府県に取り込むように改編しようと言うのです。

この体制を成立させるには、地方行政都道府県に一本化することとして、そのための組織を改編しなくてはならない。

そこで、地方の意思決定の場を、都道府県知事および副知事議会にすると言うことです。

知事の選出は、従来通りとします。

副知事の選任は、大別して、選挙による方法と、知事議会による任命の仕方が、あると思います。

まず、定数を決めなくてはなりません。これは現行の都道府県議会議員数に、従来の市町村議会議員職務をカバーできる人数を加えると言うことです。

副知事職務は、知事の補佐と言う位置づけになります。

例えば、地域別あるいは政策の主題別の職務をもっぱら分担する、と言うことになります。

地域別の諸問題を担当する場合は、選挙による選任が望ましいと思われますが、

例の1票の格差を発生しないような制度を用いなくてはならなくなりますから、

制度設定がかなり複雑になる恐れがあります。

どちらかと言うと、行政主題別に設置する方が、効果的かと思われます。この場合は、選挙によらず、都道府県議会による任命の方法が、ベターのように思われます。1票の格差の問題は発生しません。

すなわち、主題専門家を登用することができるので、この方が、行政上効果的のように思われます。

定数は、選挙選出定数の枠外に、事情に応じた適当数を設置すれば良いように思われます。

都道府県議会議員は、全区を単位とする選挙で選出すれば良い、と言うことです。


ただ、このような制度で心配されるのは、上からの命令・指令が強くなるのではないのか、と言うことが懸念されます。この点については、現行の国政と地方自他が有する事態と同様です。

大変難しい課題です。

民主主義に基づく意思の決定は、結局のところ多数決による以外に適切な方法がありません。しかし、何時も、多数の意見で意思決定していると、少数意見は、常に陽の目が当たりません。

ではどうすれば良いか、と言うことになりますが、詰まるところ、少数意見の尊重をうたうより無いのです。うたい文句として掲げられてはいるが、圧倒的に、多数の判断がまかり通る、と言うのが現実です。

弱い、少ない意見をも、大事にしなければならない心を養成する以外に、道は無いようです。お互い助け合っていく心を育てることに努力するより無いようです。

この難題は、たとえ神様だって、なかなか・・・、と思われます。


以上、愚にもつかぬ事をダラダラと、とお思いなられること必定ですね。

世の中で、一番馬鹿馬鹿しいジャンルの話であることは、間違いございません。

まー、早い話が、リタイア後のボケ防止を兼ねたヒマ潰しとご海容下さいませ。

御付き合い下された方、お疲れさまで御座いました。これにこりず、またの機会も宜しくお願い申し上げます。晩秋 頓首謹言

《停念堂閑記》69

「日比憐休独偏記」4

 

「ジジイ放談4」

 

「馬鹿馬鹿しい話」

 

今回も、落語風に参らせて頂きます。

本日は、ご多忙中にも関わらず、お越しいただきまして、厚く御礼申し上げます。

と言いながらですね。本音を申し上げますと、ご多忙か、お暇かは、よく存じ上げませんが、どちらかと申しますと、おそらくは、多分お暇なのではなかろうか、とお察し致します。

お忙しい時に、わざわざ寄席には、来ませでしょうからね。

寄席は、よほど暇な時に、時間つぶしに、来るところですよ。

こちらと致しましては、お客様がお忙しかろうと、えらく時間を持て余して暇であろうと、そのような事はたいして問題ではございません。要は、当寄席にお足を運んで頂けるかどうかが問題なのですよ。

ここでは、「当寄席に」と言うところが、最も大事なところなのですよ。

他所の寄席に足を運んで頂いても、意味ありませんから。お礼を述べる気持ちは、湧いて来るものでは御座いません。

たとえお暇とは言え、当寄席にお運び頂きまして、誠に有難う存じます、と言うことで御座います。

願わくば、世の中の皆々様、できるだけ多くの方々が、暇で暇で、寄席へ行って見ようかなー、なんて思って頂けないものか、と心から願っている次第なのですよ。

と言うような次第でしてね、本日も、精々、頑張らせて頂きますので、大いにお楽しみ頂けますならば、幸甚で御座います。

なおですね。寄席での頑張りはですね、重々ご承知で御座いましょうが、そもそも当寄席を一歩お出になられた世間様で、一般的に言われる頑張りとは、いささか方向がですね、異なるところがあるのですよ。

世間様では、あまり良くは思われない、下らなくも、馬鹿馬鹿しい方向へと、迷わず、一直線に突き進む特徴があるのですよ。

はっきり申しますと、こちらが頑張れば、頑張るほど、わざわざ安くはない入場料をお支払いになられて迄ですね、いくらお暇とは言え、わざわざ足を運んで、聞かなくてはならないような為になる話とは、どんどんかけ離れて行くのですよ。

ところがですね、どう言う訳か、かけ離れて行けば、行くほど、お客様に喜んで頂けるのですよ。

てな事でしてね、アホらしくも、下らない、馬鹿馬鹿しい話をしますよ。

あのですね。馬鹿馬鹿しい話と申しましてもですね。時々やりそこなってですね。結構いいこと言ってしまうことがあるのですよ。誰にも間違いと言うことがありますから。

稀に、とても良い事言っちゃう場合が御座いますので、お気をつけ下さいよ。入場料取り返したなー。なんて勘違いすることがございますから。

と言うような、期待する程のことは、ございませんよ。所詮、馬鹿馬鹿しい話ですから。

特にですね、今日は、為になる話は取り込んでおりませんよ。残念でした。

それでは、馬鹿馬鹿しい話に参りますよ。馬鹿馬鹿しい話と認識した時には、すぐ笑って下さいよ。

行きますよ。こちらとしては、それだけが、頼りなんですからね。くれぐれも、お願いしますよ。

それでは、そろそろ進ませて頂きます。参りますよ。

「馬鹿馬鹿しい話 !」

あれー。受けませんな。いきなり「馬鹿馬鹿しい話」をかまして見たのですが、全く不発でした。残念。甚だ遺憾に存じます。

今日は、この手のギャグは、ダメなようですなー。

それとも、心の準備が出来ていない内に、いきなり不意を突かれたので、とっさに、反応が出来なかったのでしょうかね。

それでは、改めて、

「下らない話 !」

やっぱりダメですな。呼び水をしたのに。

今日のお客様は、なかなかどうして、手強いようですなー。

こういう時には、どうしたら良いかと言うと、一つの方法としては、やはり準備運動をしておいた方が良いようですよ。

いくらお暇とは言え、わざわざ寄席にお越し頂いて、一回も笑わずにお帰りになられたりしたら、今日は一体何だったのだ、とえらく悔やむ事になるやも知れませんよ。

 

最初に「馬鹿馬鹿しい話 !」と来た時に、やっぱり笑っておくべきだったなー。なんて、後で反省しても、もはや手遅れですからね。

何やらむかついて、今晩は、絶対に、寝付きが悪くなりますよ。

寝付きが悪いと、夜中にトイレに行く回数が、がぜん多くなりますからね。

ご家族の方が、どうしたのです。具合が悪いのですか。なんて、心配しだしますよ。

「今日は、笑うタイミングを逸したのだ。」

なんて言ったって、判って貰えませんよ。

だからですね、「馬鹿馬鹿しい話」が来た場合は、間髪を入れず、迷わず笑っておいた方が良いですよ。ホント。精神衛生上、絶対に笑っておいた方が、よう御座いますから。

お分かり頂けました。お願いしますよ。

それでは、「馬鹿馬鹿しい話 !」

えーっ。これでもダメですか。

えーと。そのー、今話したこと、聞いてました ? たった今ですよ。

もう一度やりますか。

と言うのが、「馬鹿馬鹿しい話」と言うヤツなのですよ。何の意味もございませんから。

「下らない」のストローベリー。

「何だってー」ですか。これもダメ ?

では、今日は、特別に解説致します。

ストローベリーは、御存知のとおり「イチゴ」でございます。

だから、「下らないのストローベリー」、は、

「下らないの一語」と言うわけ。

ねっ。実に情けないでしょー。

駄洒落を解説しながら、やらなければならないのですから。トホホホホー。

 

それでは、準備運動は、これくらいに致しまして、本題へと参ります。行きますよ。

「本題 !」

やっぱりダメ。参りましたな、これは。

本格的にダメですよ。

これでは、準備運動くらいでは、ダメですな。

根本的に、基礎教育から始めませんと、今晩の寝付きに関わりますよ。

今日は、何かシャクに障る事でもございました。

金輪際、笑えるか。てな雰囲気ですよ。

えっ。やっぱり御座いました。

世の中、色々御座いますからねー。笑ってる場合では、御座いませんのでしょうね。きっと。

判りました。思いの外、事態は深刻のようですな。

しかし、ですね。原因が判れば、対処の仕様もあろうと言うものですよ。

 

それではね。今日は、急遽、方向を変えましょう。

ボヤキで行きましょう。ボヤキ。

笑いがとれないと、ボヤキたくなるのですよ。

気象庁風な言い回しでは、「ボヤキ時々ダジャレ」と言った予報ですな。

「50年に一度の記録的大爆笑」ではありませんから。

「時々ダジャレ」ですからね。

強いて申しますれば、数少ない、その一瞬が、笑うチャンスですからね。

この時を逃すと、今晩、寝付きが悪くなっても、知りませんよ。

しかし、予報ですからね。外れる場合もあるのですよ。

そんな時は、ご勘弁下さいませ。

 

さて、何からボヤキますかね。いっぱい有りすぎて、センタクに困りますな。

センタクが上手く行かないと、スッキリしませんからね。汚れが残っていたりしますとね。

あのー、早速で、恐縮で御座いますが、ここが数少ない「時々ダジャレ」の一つの瞬間だったのですよ。これを逃しますと、なかなか笑うチャンスが御座いませんよ。選ぶ選択と洗う洗濯ですからね。蛇足ながら。教育的指導1ですよ。

 

本題は、ボヤキですからね。

東京都民で無い方には、あまり関心が持たれない、大阪の方に言わせれば、アホかいな、と言うことでしょうが、このところ連続している都知事さんの、実にアホくさい話。都民としては、ボヤかずにはおられませんよ。

猪瀬さん、舛添さんと続きましたね。

某医療法人から5,000万円提供されて、それがどうのこうのと言うことになりましてね。結局は、都知事辞任に追い込まれましたね。猪瀬さん。

続いたのが、5,000万円と比べると、かなり小規模でしたね。

正月の家族旅行のホテル代、別荘への公用車の使用、クレヨンしんちゃんの購入などに関わる公金の使用が、どうのこうのと取り沙汰されましたね。舛添さん。

5,000万円に比べるとこちらは、小型だったからですかね、結局は、「セコイ」と言うことで、都知事辞任へとなりましたね。情けねー。

「セコイ」と言うことで、要職を棒に振った方は前代未聞ですよ。

もっとも、その後の予定外の都知事選挙には、50億円掛かったと言われていますから、こちらは、「セコイ」では済まされませんよ。予想外の大盤振る舞いですよ。

因みにですね。猪瀬さんも、舛添さんも、いけない事だけしかしなかった訳ではないですよ。良いことにも、頑張ったところが、当然あるのですよ。

しかし、世の方々は、なかなか厳しいですからね。一つまずい事をやると、良い事全部帳消しになっちゃいますからね。

リーダーたる者は、万事、完璧を求められますからねー。

さて、今度は、中央卸売市場築地から豊洲への移転話で、目下持ちきりですなー。

ほとほと、嫌になっちゃうでしょう。

移転中止なんて言う事態にでもなったものなら、5,000万円、50億円なんて、言ってられませんよ。

容易には、言い表せない程の金額ですよ。

誰が負担するお金なのですかね。もはや、ダジャレも出ませんよ。

築地から豊洲への移転話。盛り土がどうの、地下空間がどうのと、目下調査続行中とのことですが、新都知事の要請で提出されたと言う都庁の報告書のアホクサさ。いかにもと思えるお役所得意の無責任さ丸出し。

民放のテレビの、こちらもアホ臭くはない、とは言えそうもないワイドショーでやっていたヤツの方が、まだしも、と言うものですよ。

豊洲の土地は、元東京ガスの跡地で、有害物質があると言うことで、東京都が買い取って以後、長年かけて、その処理を行って来た迄はわかりますよ。

その対策として、盛り土して、有害物質の害が無いように、処置したはずが、盛り土されていない所が、全体の3分1に及んで、その部分の上は、既に建物が建っていることが、明るみに出たのですよ。

それが、盛り土されなかった経緯が不明と言うのですから、これは驚きの極みですよ。

都知事は、盛り土する筈が、それをせずに、建物の下部の地下を空間にすると意思決定した、その責任者をピンポイントで報告せよ、と命じたそうですが、これについては、誰が関わったが全くの不明と言う報告とか。

誰がやったか、判らないんだが、やっちゃった。既に、建物建ってるよ、と言うのですよ。ふざけては、いませんかっちゅーの。

責任者を明白にせよ、と命じられたのに対する、報告が、「不明」とされることは、最初から大凡の予想はしていたことではなかったのですか。

都庁、そもそも公務員と言うのは、そういう組織なのだから、上に立つ者が、完璧に肝の据わった頑固一徹の潔癖な変人・奇人でない限り、絶対に、責任の所在なんと言うものは、報告書に易々と、書くはずはないのですよ。

大久保彦左衛門さーん、水戸黄門さまー。肝心な時に、何処へ行っちゃったのー。嗚呼。

また、責任は、都の担当部局の職員の全員にある、なんて言い出し兼ねないですよ。

全員と言うのが、ある意味正解でしょうなー。

しかし、全員と開き直られると、処置無しなわけですよ。

全員クビにして、挿げ替えるわけには参りませんから。

都知事は、これをいくつかの意思決定の会議の「場の空気」でそうなった、と言っていましたが、「場の空気」でそのようになったでは、済まされませんよ。いくら掛かってんだ、ってんですよ。

都民、いやいや日本全体に及ぶ、食の安全がかかっているのですよ。

場の空気」で、何百億円だか何千億円だかも掛かる重大案件が、協議決定したのか、どうだったのか判らないで、すっ飛ばされたのでは、たまったものではありませんよ。

場の空気」で、何とは無しに決まる事柄と、性格が全く違うでしょう。って言うの。

場の空気」で決めて良いのは、宴会がお開きになった時に、二次会に繰り出そうか、どうしようかを切り出すこと。ここで、ダジャレを一発かますべきか、止すべきかの判断をしよう、と言うような時ですよ。二次会・ダジャレの判断などを切り出す時の「場の空気」を伺うのとは、訳が違いますよ。

場の空気」で、あの精密な設計図が引きますかちゅーの。

小池さん。「場の空気」なんて、「場違い」と言うものですよ。

お客様。ここはしっかり捉えてくれたでしょうね。気がつかなかった方は、教育的指導2ですよ。

そんな「場の空気」なんて言っている様では、小池さん。アンタも同類、アホ臭いったら、ありゃーしません。てんですよ。都知事選公約は、どうなってんです。当選しちまえば、チャラでっかー。ほんま。

ピンポイントではなく、それはピンボケですよ。

お客様。この一瞬も逃しちゃったのですか。あれー、また、やっちゃいました ?

立て続けで、ついうっかりしちゃったのですか。

頼みますよ。「場の空気」を読んで下さいよ。

教育的指導3。サッカーだったら、イエローカード3枚。退場。

大体ですね。盛り土建築などをいい加減に進めて来た張本人に、責任者を調査・報告せよ、と命じたところで、まともな報告が上がって来るとお思いですか。

例えが悪くて、ご免なさいよ。

ドロボーに、貴方のやった盗みについて、克明に調べて報告しなさい。なんて、命じたところで、真実の報告がなされると思いますか。そんな注文、最初から、問題外ですよ。

他にやりようがないのが、癪でしょうが。

極めて形式的なものですよね。

都庁外部の調査隊が、抜き打ち的にガサ入れしなくてはですね。証拠品が隠されてしまう恐れがありますからね。隠された後では、知らぬ存ぜぬで、しらっぱくられてしまえば、調査の仕様がありませんからね。

窓辺太郎さんだったら、容赦しませんよ。きっと。

窓辺太郎さん知りませんでした ?  「かーちゃん」の窓際さん。

この場合は、知らなかったー、でも良いのですよ。

誰に迷惑、損失を及ぼすことではありませんから。ご自分が笑えなかっただけで済むことですからね。

ちょっと、高度だったかも知れませんので、教育的指導を発することは致しません。トホホホホー。

次に来る時迄には、窓際太郎こと窓辺太郎さんを調べてから来て下さいよ。

しかし、外部の調査隊の抜き打ち調査など、現実には、できる事ではありませんよ。

できるとすれば、都知事自身が、都の職員より選抜した精鋭の切込隊を組織して、抜き打ち的に、都庁内の担当部局の調査を断行するより手はないですよ。

要するに、証拠を押さえる作業ですよ。どうせパソコンの中にある証拠が大部分でしょうから、一瞬に消去されてしまう可能性もあるわけですよ。

復元も出来るでしょうが、時間と費用がですね。

また、後で書き換えることも、出来るのですよ。書き換えた事実は、残っちゃいますけどね。気がつかれなければ、頬冠りできますよ。

こうなると、情報の電子化も考えものですなー。紙媒体の方が、便利な面もありますなー。分量が、問題でしょうが。保管が大変ですがね。

重要案件だけでも、紙媒体にしておく必要があるのではないでしょうかね。

もっとも、紙媒体の場合、海苔弁資料にされてしまう場合もあるようですが。

海苔弁資料、知ってますよね。一面真っ黒に塗りつぶして、読めなくしてある資料。部分的に塗り潰したものではなく、1ページ全面マックロケのもあるのですよ。それを会議資料として用意するのですよ。ナメキッてますよね。

他の人に迷惑を及ぼさない為、個人情報だからなんて言う理由を付けたりして。自分に迷惑が及ぶからでしょう。見え見えのことを、まー、シャーシャーとやりますからね。

 

とりあえずは、当該担当部局の当時の長が、誰だったかくらいは判っているわけです。その長が、当然成すべき職務を、全うしていなかったのは明白ですから、その責任は問われて、当たり前の筈ですよね。

職を辞する程度では済まされませんよ。もっとも、辞するといったところで、もう辞めちゃっている方もいますしね。

都の豊洲移転に関する担当部局の長、すなわち、中央卸売市場長が入れ替わり立ち替わり、もう5名が交代しているのですよ。任期はおおむね2年間。中には1年間の方もおりますが。このような人事は、責任回避、事態をうやむやにしてしまう、常套手段ですよ。職務引き継ぎに当たって、前任者から、そんなことは聞いた覚えがない。なんて、とぼけちゃうことが可能なのすから。

責任の所在を紛らわしくする方策は、実に、徹底して行われていますなー。本当に感心しますわ。

しかし、職務引き継ぎが、きちんと行われなかったとすれば、それ自体が失態なのですよ。大きなミスなのですから。すっとぼけてもダメですよ。

俸給・退職金の返却程度の責任では、終わらせられないですよ。賠償責任をとらせなくては。然るべき職務を果たさなかったのは、明白なのですから。

気がつかなかった、知らなかった、勘違いでしたなんて、幼児の言い訳ではあるまいし。質問に対して、こんな答えをよく出来たものだと、呆れ返るばかりです。無責任の極み。

中には、責任者探しに興味はない。今後の対策が大事だ、と言う、市場関係のお偉いさんもおられるようですが、すぐ、臭い物には蓋で、次の関心 事に進みたがるのは、とんでもない事ですよ。上に立つお偉いさんの体質が、こんなだから、何時迄経っても、責任ある仕事が行われないのですよ。

中には、そそくさと、早急に豊洲への移転を済ませることが大切、と主張しているお方も見られる様です。

このような中には、築地の跡地に絡む利権で、上手い事立ち回らなくては、と淡々と狙っている輩が、見え見えではありませんか。

オリンピック絡みの事業とかでさ。

その責任も問わず、「場の空気」で、終わらされたのでは、たまったものではございませんよ。ホント。アーアー、あんたもか。になってしまいますよ。

 

なお、蛇足ながら、公務員や企業の組織では、言うまでもなく、上からの指示なしに、仕事は行われ無いものですよ。

例えば、実際の作業は、その仕事の現場で行われますが、その末端では、係長の責任の下で行われます。係長は、その仕事が終了すると、上の課長に、これは必ず報告をします。下命されたことについての報告は、必ずしなければならないのです。公務のもっとも、基本的な事です。

報告を受けた課長は、命じた仕事がどのように実施されたかを確認しますよ。そして、特に、問題がなければ、上の部長に報告します。

報告を受け取った部長は、それを確認して、問題なければ、上に局長が置かれていれば、局長に報告しますよ。だから、報告書には、確認部署の責任者の印が、幾つも押されているのですよ。

すなわち、局長から下された仕事の命令は、部長を経て、課長へ、課長を経て係長へと下って行き、係長の下で、担当のスタッフによって、実作業 が展開され、その結果は、今申し上げた、この逆のルートで、発令者の局長へ届けられる。と言う過程を経て、その仕事が完結する訳です。

こんなことは、誰でも知っていることです。

公務員の場合は、実に、この過程がきっちり、正確に狂いなく行われるのが、一つの特徴です。

端的に申しますとですね。各部署においては、上から命じられたこと以外のことは、その作業員の独断で、適度に行われると言うことは、まず、ありませんよ。なぜか、と言いますと、独断で行ったことは、必ずその責任を問われることになるからです。公務員は、とにかく自分に責任が及ぶことは、大嫌いなのです。汚点がつくと、出世に関わりますからね。

ですから、命令を受けた下の部署では、必ず上からの指示を仰いだ形で、実務が展開されていくのです。実に、これは徹底していますよ。

そうです。実務に当たる公務員は、独自の責任にならないように、常に配慮して、仕事にあたるのですよ。命じられた以外の余分な仕事には、一切関わらない、と言うのが鉄則です。命じられたことを上手くこなす、と言うのが、公務のイロハです。

役所の窓口で、突然何かを要求しても、たらい回しにされる事があるでしょう。たらい回しが平然と行われるのは、この証左です。上司から命じられたこと以外には、関わりたくないのです。

ですから、お役所仕事は、何時誰がそれを決定し、下部へ命じられて、どのように実行されたのかは、実に、容易に明らかになる事なのです。

会議が行われれば、会議の性格にもよりますが、会議の模様を録音することが、一般的に行われている事でしょう。議事録を作成しなければなりま せんので、正確を期する為に、会議の冒頭で、録音の可否を確認して、可となれば、録音する訳です。会議の結果がどのようになったかを記す議事録の作成は、 公務に関わる者の基本中の基本です。後で、問題が発生した場合の証拠として、よほど軽い会議は別として、議事録が作成されるのが一般的でしょう。

きちんとしているところでは、作成された議事録は、正確を期するために、定例の会議では、次回の冒頭で、前回の議事録の確認が行われます。議 事録に誤りがあれば、その場で協議の上、正しく訂正されます。また、削除したり、追加すべき事項があれば、その場で協議の上で、改められます。

定例会議で無い場合などは、持ち回りで、当該会議のメンバーに提示されて、疑問点がないかを確認する作業も一般的に行われている作業でしょう。

通常、公務と言うのは、このように展開されるものと聞き及んでいますよ。

豊洲市場への移転の事業についても、その意思決定から下部への指命の過程、実施結果の報告は、実際には、克明に判る筈のものです。

しかし、そこに責任のある立場の者が、その責任をきちんと全うしていない部分があるために、それを公にはしたく無いのですよ。おそらく。

だから、とぼけちゃって、訳の分からない、いい加減な報告書の提出と言うことになるのですよ。豊洲への移転を担当した部局では、どこで重要な意思決定が行われたかなんてことは、克明に判っていることですよ。多分ね。

若し、どこで、何時、意思決定がなされたか判らないと言う事になれば、それは大変な失態ですよ。職務怠慢、重大なミスと言って良い事です。

しかし、責任は取りたくありませんからね。肝心な部分は、報告書に書かないか、書いても曖昧な表現か、あるいは不明などと言う、ふざけた記載をすることに徹するのですよ。

都庁内部の調査なんて、元より徹底して、出来るわけがないのですから。

小池さんだって、そんなことは、百も承知のことでしょう。

それを「場の空気」がそうさせた、なんていう話を持ち出すようでは、お先が見えてますなー。

黄門様。お出まし願えませんかねー。葵の御紋の印籠を出して下さいよ。

遠山の金さん、桜吹雪を吹かせて下さいよ。ホント。

大岡越前守ではダメですよ。いい加減な「場の空気」を作って、丸め込んじゃう手法は、頂けません。

 

それから、思いつきで恐縮で御座いますが、東日本大震災後、大問題とされた津波対策。

海岸沿いに、高さ10メータを越す防波堤の建設の必要性が、連日検討・話題になっていたの覚えていますよね。

また、予想されている東京大地震。いつ来ても可笑しくないとのことですよ。これに、津波が伴わない保障は、全く御座いませんよ。

ああ、それなのに、それなのに。豊洲市場開設に当たって、津波対策が論じられましたか。

豊洲は、東京湾の埋め立て地。周りは、付根の一部を除いて、全部海。海抜何メータかは詳細には知りませんが、ほとんど0メータに近いのではないのですか。東日本大震災の時の大津波なんぞの規模は不要ですよ。小さな津波でも、大きな被害が予想される環境に思えますなー。

どう見たって、津波対策は必要でしょう。盛り土なんぞの以前に、周囲のバカ高い防波堤でしょうが。

東日本大震災の時の大津波の教訓は、どうなっちゃったのかなー。

津波が押し寄せて来たらどうなります。ひとたまりも御座いませんよ。

セリの最中だったら、並べられている冷凍マグロはどうなります。

生きている内に瞬間冷凍されたマグロだったら、解凍して、うまいこと息を吹き返し、泳ぎ回るかも知れませんよ。

切身だって、泳ぎ出しますよ。

知ってますか。今の都会の子供は、魚は海で泳いでいる、魚と言えば切身、当然、切身は海で泳いでいると思っているらしいですよ。

それが、津波で流されている切身を、テレビでアップで放映されようものなら、どうなると思います。

ほらっ、切身が泳いでいるー、と言うことになってしまうのですよ。間違えた知識が、証明されてしまうのですよ。

これは、教育上、大問題ですよ。

豊洲津波防止対策は、絶対に必要ですよ。

これが、全くの無防備

もはや処置なし。考える気もおきゃーしないのでは ?

津波の時は、どーぞお流され下さいませ。と言うことですか。

小池さん、どうにかして下さいよ。マグロ逃げちゃいますよ。食べらんなくなっちゃいますから。

因に、羽田空港だって、埋立地ですよ。すぐに、津波に飲まれてしまう可能性が大ですよ。

東日本大震災津波で、仙台空港で待機していた飛行機が流されてしまいましたよね。もう記憶に有りませんか。羽田空港には、実に多数の飛行機が待機していますから、あれが流されたならば、それはそれは大変ですよ。

 

豊洲への新市場移転に絡む問題だけでは御座いませんよ。

何たって、2020年東京オリンピックの準備が進行中ですよ。

しょっぱなに、国立競技場建替えの件で、ストレートパンチを食いましたね。

第一ラウンドで、いきなりダウンですよ。もー、フラフラ。

再度の決定後、今度は、聖火台の設置が忘れられていたんだって。

ああ、オリンピアの聖火は何処 !

第二ラウドでもダウン。

エンブレムでも、パクリでダウン。

もー、第三ラウンドで、ヘロヘロですよ。

オリンピック競技は、国立競技場だけで行われる訳ではございませんよ。

今年のリオ・オリンピックでは、28競技・306種目が行われたそうですから、2020年東京オリンピックでは、野球ソフトボールなど数種目が追加されるそうですから、リオよりも多くなるのでしょうね。

これらの会場の整備が、見ものですよ。

きっと、豊洲移転の比ではなくなるのではないでしょうか。

国立競技場建替、エンブレムの一件を見ても、責任体制は皆無に等しいですからね。あれだけ騒がれたにも関わらず、誰が、どんな責任をとったのですかね。組織委員長は、どこ吹く風で、シャーシャーとしていますよ。豆腐屋さんもやっているのですかね。

多額の金が使われましたよ。あれっぽっちの金額、と言う感覚なのでショウネ。

全く、ショウネを、たたき直さないと、始まりませんよ。

メディアは、最初だけ大騒ぎをしますが、直に、オータム ハズ カム。 アキが来たで、別の興味へ、簡単に移って行ってしまいますからね。

結局は、うやむや終いになってしまうのですよ。

しかし、オリンピックの設備の費用、半端ではないですからね。現在の試算で、3兆円とか言ってますからね。現在のですよ。時の経過と共に、どんどん増えていきますよ。まだまだ。きっと。利権の親方が付いているらしいですから。

これから、金がらみの話が、次から、次へですよ。間違いおまへん。

小池さん流の表現を借りれば、2チョウ、3チョウなどと、豆腐の話とちゃいまっせ。

豆腐3兆、1日1丁食べるとしたら、3兆日かかるのですよ。3兆日って、何日だか判りますか、ちゅーの。私の算数の予測では、0が1ダース、すなわち、12個並ぶのですよ。

0を1、10,100、1,000と指を折って、単位を数えるちゅったって、途中で、絶対間違いますから。何回かやらないと、正解にたどり着かない数値ですよ。

因に、365日で割ってみたら、私の算数では、と言っても、実はバソコンの電卓の計算ですが、8,219,178,082年余となるのですよ。

いくら豆腐が栄養的に優れ、健康に良いからと言ったって、また、日本人がいくら長寿だって、こんなに長くは生きられませんよ。

豆腐食べきる前に、東京オリンピック終わってしまいますから。

大体、3兆もの豆腐を作ろうとしたら、どれだけの大豆が必要となると言うのですか。

このための大豆の輸入を見込んで、TPPやろうと頑張っているのですかね。安倍晋三氏の考える事は、流石に、無茶苦茶遠大ですなー。訳が分かんないですよ。国の借金が、ますます増加の一途を辿りますよ。

もー、ご臨終でーす。

もー、豆腐の角に、頭ぶつけて、死んじまうより、手がなくなりますよ。

アー、アー、まったくヤンナッチャウなー。

 

お客様。今回は、この程度のボヤキでどうでしょうね。

もー、いくらぼやいても、ぼやいても、ダメ。

クラシックなダジャレで恐縮ですが、全焼のトイレ。

 

お客様。〆は、このクラシックなダジャレ。流石に、気がつかなかった、と言うわけには参りませんよ。

実に、やるのも馬鹿馬鹿しく、下らない話でした。ヤケクソですわ。

 

どうもお疲れさまで御座いました。

お後が宜しいようで。