《停念堂閑記》82

「日比憐休独偏記」17

 

ご都合主義

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

なぜアホくさい、バカバカしい、クダラない話なのか、と問われますと、決まってるではないですか。そんなこと。

立派な、意義深い話は、難しくて出来ないからですよ。

私だってですね、たまには、気の利いた話をしたいもの、とは思わなくはないのですよ。少しは思うことも、たまにはあるのですよ。

しかしですね、これが中々上手く行かないのですよ。

言うまでもなく、この手のことは、能力が拘ることなのです。

持って生まれた能力は、俄に、どうこうできる代物では御座いませんよ。

持って生まれた能力の善し悪しは、持って産まれたものですから。

薬やお医者さんに頼っても、血圧を上げ下げするようには、参りませんよ。

嘆いても仕方御座いませんので、精々、得手・不得手と言うあたりで、何とかならないものか、と思ったりするのですよ。

気の利いた話は、不得手なのですよ。中々出来ないのですよ。カッコいい、セリフ、言ってみたいものですなー。世間様を、一気に納得させ、アッと感動させるようなことー。

思想家パスカルの言葉に、「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。」とあるとか。

人間は、自然の中では、か弱い1本の葦のようなものだ。しかし、それはものごとを考えることが出来る存在である。思考する存在としての人間の偉大さを言い表したものだそうですな。

カッコいいですな。「人間は、考える葦」だって。

誰彼が、めったに言えることではありませんよ。

天才は、人間は葦だ。と言うヒラメキを得たのでしょうな。

なんで、数多くある植物のなかで、葦だ、とヒラメイタのですかね。葦よりひ弱な植物など、外にも色々ありますよ。たまたま身近にあったのですかね。それとも、百科事典、植物図鑑などを調べまくった結果、葦だ、となったのですかね。

これが、仮にドクダミだ、とヒラメイタなら、「人間は、考えるドクダミである」になっちゃうのですよ。ドクダミは白い可憐な花をつけますよ。しかし、キツーイ独特の臭いがあるのですよ。この臭いが強烈です。

きっと、クサー、てなもんで、たちまち捨てられてしまいますよ。

カラオケで、渡哲也の大ヒット曲「くちなしの花」(口なしの鼻では御座いませんよ。念のために。)、「くちなしの白い花 おまえのような・・・」とやるべきところを、白つながりで良いだろうと、「ドクダミの白い花 おまえのような・・・」とやったところ、あなた、大顰蹙(ひんしゅく)をかっちゃって、女性陣から、袋だたきにあっちゃったのですよ。

やっぱり、葦でなくてはねー。葦は極めて複雑な要素を持ち合わせていますからね。

アシは、ヨシとも呼ばれるのですよ。すなわち、アシ 良くない側面と、ヨシ 良い側面の相反する要素双方を持っているのですよ。合体させるとヨシアシ、すなわち善し悪しとなるのですよ。対極に位置する相反する要素を一体の中に混在させている、実に、複雑な存在なのですよ。大関高安みたいですなー。高いんだか、安いんだか ? ? ?

と、まー、凡人の手にかかると、コッチ方向に向かっちゃうのですよ。

また、「人間は考えるアシである」と言ったら、おまえの足には、脳ミソがあるのか。頭と足の区別がつかなくなるぞ、って言われちゃいますよ。

凡人が考えると、どうしても、こちら方向に向かってしまうのですよ。

人間は、考える葦である。編んだら葦簀(よしず)になるかなー。ちょっと、不気味だなー。

てなことで、中々、意義深い、カツコ良いことは、生み出せないのですよ。

要するに、出来ないことは、結論的に、出来ないのですよ。

出来ない事は、出来ない。判り易い論理ですなー。凡人には、もってこいです。

一方、アホくさい、バカバカしい、クダラない話の方は、どちらかと申しますとね、得意と言う分けでは御座いませんが、嫌いではないようなのですよ。これとて、大したことは御座いませんが。

出来映えを問題にしてはいけませんよ。トライすることに意義があるのです。

近代オリンピックの父、クーベルタン男爵が言ってますね。

オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」と。

これこそ、オリンピックの精神ちゅーもんですよ。

それが、どうでしょう。勝敗に固執してしまってはいませんか。金メダルでなければ。こればっかりになった感がありませんか。加えて、金儲け、さらに、政治の道具に、なにか、世の中の基本がおかしくなって、しまってはいませんか。ちゅーの。

スポーツも、とにかく強くて勝てば良いんだ、と言うことに傾き、優勝したら自分で音頭をとって、万歳三唱する横綱、それに同調して一緒に万歳する観客、どっか基本がおかしくなってはいませんか、ちゅーの。

このごろ、世の中、基本から外れてはいませんか。ちゅーの。

基本は、あくまでも、アホくさい、バカバカしい、クダラない話によるヒマ潰しです。

要は、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れなければ、おおむね良し、と言うところなのですよ。

上手・下手、有意義・無意味に執拗に、拘ってはいけませんよ。

気軽に行きませんとね。

ところで、何時も申し上げておりますように、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。

まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けで御座います。

極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。

皆様も、ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。

おそらく、すぐに、飽きてしまいますから。

但し、腹の立つことの素を入れた場合には、注意して下さいよ。

頭に来ちゃって、ついつい力を入れ過ぎて、スリバチを壊してしまう恐れが御座いますから、ほどほどがよう御座いますよ。

スリコギを振り回して、手当たり次第に、周囲に当たりちらしては、いけませんよ。

当たり散らすのは、どうぞスリバチの中だけにして下さいませ。

 

トントン ゴリゴリ。

さて、本日のヒマの素は「ご都合主義」で参りたいと思います。

どうして、「ご都合主義」にしたのか、ってですか。

決まっているでしょ。そんなこと、こちらの都合ですよ。こちらにも、色々と都合と言うものがあるんです。

それでは、ヒマの素「ご都合主義」をスリバチに放り込みますよ。

さー、いきますよ。

今日は、先発大谷投手では御座いませんよ。

先には、いきなり160キロ、ビューン!で、スリバチが、木っ端みじんになっちまいましたからね。ここは、大谷投手は、不向きです。

とてもトントン ゴリゴリなんて言う状況では、なくなっちゃいましたからね。

壊れたスリバチの破片を拾い集めて、接着剤でくっつけるのに中々手間ひまかかりましたから。

御陰で、ヒマ潰しにはなりましたわ。

さすがに、大谷投手は、すごい。一球でヒマ潰しの完全試合達成でしたから。アメリカでも、注目されていますね。期待されておりますねー。ガンバレー。

トントン ゴリゴリ。

一方、ここでは、全然、注目も期待もされておりませんが、ヒマな私が投げさせて頂きます。なんたってですね。極小企業で御座いますからね。何から何まで、ぜーんぶ自分一人でやらなければならないのですよ。人生は、厳しいものです。自分で出来なくなった時が、お終いです。

ほんじゃー、行きまっせー。

ポイ、コロン。

時速3キロ。しかも、ゴロ。

年寄りの歩ける早さです。

迫力ねーなー。

歳をとると、せいぜいこんなものですって。

なさけねェー!

トントン ゴリゴリ。

ところで、皆さん。最近、何か、面白いことが御座いましたか。

エッ。面白いことではなく、危ういことになりそうになった、ですって。

それは、それは、お怪我は御座いませんでしたか。

怪我は無かったけれど、かなり危なかったって、ですか。

一体、どうなさったのです。

それがね。うっかり、「停念堂閑記」を覗くところだったって、ですか。寸前の所で、留まった。

お客さん。それはないでしょ。いくらなんでも。

「停念堂閑記」だけは、とにかく、毎日欠かさず、覗いて見ないといけませんよ。これさえ見てれば、世の中には、こんなヤツがいるんだ。と思う でしょ。途端に、気持ちがすーっと、楽になるでしょー。勝ったー、と。これで、とりあえず、一日、気分良く過ごすことが出来ると言うものですよ。

「停念堂閑記」は、ヒマ潰しだけではなく、このようなことでも、世の中に貢献しているのですよ。

エッ。都合の良いこと言うなって。いいじゃありませんか。たまには。

トントン ゴリゴリ。

そちらの方は、面白いことではなく、バカバカしいことならあったって、ですか。

いいじゃありませんか。バカバカしいこと。私は、大好きですよ。

差し障りがなければ、教えて下さい。こちらは、そのバカバカしいネタ探しに、日々悩まされているのですから。お願いしますよ。

エッ、うっかり「停念堂閑記」を覗いちゃったって。

エッ。危なく落命するところだったって、ですか。

お客さん。それはちょっと、オーバーでは御座いませんか。いくらなんでも、落命までは、させませんよ。

どちらかと言えば、「停念堂閑記」見て、元気を貰った、と言う方の方が多いのですよ。こんなん書いているヤツより、自分の方が、よっぽどマシ だ。と自信がついたり、こんなヤツがいるのかと思うと、ホットするわ、と言う方の方が多いのですよ。「停念堂閑記」は、どちらかと言いますと、癒し系ですから。

エッ。勝手な都合の良いこと言うなって、ですか。

実に、バカバカしかったって、ですか。

それは、まさしくそうなんですよ。「停念堂閑記」は、世のアホくさい、バカバカしい、クダラない話の貯蔵庫ですから。

しかし、ただただバカバカしー、で終わっちゃった、としたら、それは誠にお気の毒さまで御座います。それは災難でしたなー。

何か、有意義なことが書かれているのでは、と言うような期待を持って、ここを覗いちゃったら、それは一巻のお終いですわ。慰めの言葉も御座いません。ご愁傷様で御座います。

でも、ヒマ潰しにはなったでしょ。どっか、少しっくらいは良い所もあるのですよ。

トントン ゴリゴリ。

さて、世の中には、自分に都合の良いことばっかり言ってるなー、と思われる人がちょっと多すぎる、とお思いになられませんか。

エッ。おまえがそうだって、ですか。

そう言われますとねー。たしかにねー。思い当たる節は、数々御座いますよ。

と、言う方向へ進んではダメなのですよ。

ここは、何が何でも、そんなことは、私に限って、絶対に御座いません。と徹底的に否定しないと、具合が良くありませんよ。ご都合主義者としては。

色々と、屁理屈を付けてでも、とにかく、自分にとって、好都合の方向へ話をもっていかなくては、なりませんなー。そーでなくては、ご都合主義者の資格を失いますよ。

そんな資格が、あったのかって ?

あら、知りませんでした ?

新しく出来るのですよ。

今、問題となっている働き方改革に拘って、このご都合主義者の資格をとれば、仕事の内容によって、会社へ出勤しても、しなくても、自分の都合で選択出来ることになるかも知れなくなるかも知れないんだってさ。

どうでも良いけど、言い回しがくどいよ。スキットできねーかって、ですか。たまには、こんなの混ぜても良いのですよ。眠気覚ましにね。ちょっ と、脳の動きが変化したでしょ。これが大事なのですよ。惚け防止ですよ。いつも、いつも、単調なことを繰り返してばかりでは、ダメなのですよ。簡単なこと でも、時には、態(わざ)と、ちょっとやっかいな要素を取り込んで、ややこしくして、その上でやり遂げる、と言うことをしなくてはね。脳のやつが居眠りし ますからね。起きなくなったら、大変ですよ。訓練、訓練ですよ。

トントン ゴリゴリ。

ところで、何の話をしているのだって、ですか。

何回も、言わせないで下さいよ。

ここでの話は、アホくさい、バカバカしい、クダラない話ですよ。この路線からは、一歩たりとも逸れはしませんよ。どこをどう切っても、アホくさい、バカバカしい、クダラないの金太郎飴、てなもんですよ。

大体、ご都合主義者の資格なんて、あるわけないでしょ。いくら、政府与党が数を持っているからとは言え、こんな資格は、作らないでしょう。作らなくても、ちゃんと有資格者ばっかりなのだから。

ウソだと思ったら、国会のテレビ中継を見て御覧なさい。自分らの都合の良い事ばっかり、言ってますよ。代議士さんは、誰かの代わりに議論をする立場の方なのでしょうね。一体、誰の代表なのですかね。全く。

トントン ゴリゴリ。

人間、誰しも自分が大事ですから、自己本意になるのは、致し方無いところが御座いますよ。自分ファースト、と言うのですかね。

野球だって、ファーストはスゴイですよ。なんたって、王貞治選手がいましたよねー。「3番 ファースト 王」の場内アナウンスを聞いただけで、もー、痺れたものですよ。一本足打法で、レギュラーシーズン通算本塁打868本を記録したのですよ。スゴイですねー。

一本足で、ですよ。これが、2本足打法でやってたら、きっと2倍の1,736は打ったでしょうな。仮に3本足なら・・・。

クダラねー。調子に乗るなって、ですか。ご尤も。しかし、下らないコトを宗としております関係上、やっぱり、こっち方面にもって行きませんとね、話がまとまらないのですよ。

王さん、偉大ですなー。国民栄誉賞受賞者第一号ですよ。また、文化功労者として顕彰されてますよ。因に、文化功労者には、年金がついているとか。何処から出るのですかね。国民年金のように、よもやウヤムヤにされてはいないでしょうな。

話が、ちょっとズレちゃいましたな。ファーストへ持って行ったのが、いけなかったようですな。

トントン ゴリゴリ。

さて、本題に戻りまして、自己中心の人が、多くなった感が御座いますなー。とにかく、自分に都合が良いようにと、誰しもそれぞれが思う事は、致し方ない事でしょうが、これがあまりにも強くなると、人間関係が軋(きし)むことになるようですな。

特に、金銭関係のことが絡み合って利己剥き出しとなると、なかなか露骨な主張が戦わされることになる場合がありますな。

更に、好き嫌いの激しい個性の人だったりすると、加えて、人を憎む性癖の人だったりすると、これはただでは、済まなくなってしまいますよ。

メディアを賑ぎあわせる事件では、どうもこれらのヤヤコしい要素が絡み合っている場合が多いようですな。

トントン ゴリゴリ。

金銭関係の縺れの事件は、実に、多いですなー。

誰しも、損はしたくありませんよ。できれば、得をする方が良いに決まってますなー。しかし、程度と言うものがありますよね。

金の貸し借りが原因で、殺人まで犯してしまう事件が、後を断ちませんな。昔から、金の切れ目が、縁の切れ目と言われて来ましたが、これが、命の切れ目となっては、たまりませんよ。いくら、利己にはしったとしても、他人の命に手をかけてはいけません。

直接、命を狙う分けではありませんが、他人をダマクラカシて、金品を巻き上げるのが、このところズーッとはやっていますなー。サギですね。白くても白鳥ではありません。サギなのですよ。騙されてはいけませんよ。

ペテン師が後を断ちませんな。手を変え、品を変えて、様々なやり口でやってきますなー。ペテン師も、ペを隠せば、天使になるのですよ。ちょっとした工夫で、えらい違いですわ。ころっと、騙されたりして。

詐欺罪と言うのが、わりあい軽いのですかね。後を絶ちませんな。

トントン ゴリゴリ。

サギか、サギに当たらないのか、紛らわしいのもまかり通っていますなー。

誰とは申しませんが、時々、なんか名前を書いた看板を掲げて、大声で名前を連呼して、走っている車を見かけますよ。

人の多く集まる所では、車を止めて、ヤネによじ上って、所詮できそうも無い事を、偉そうな事を沢山並べ立てて、喚いたりしてますよね。

当選した後は、大声を張り上げて言っていた事など、けろっと忘れたかのごとく、自己のご都合でアッチへ走り、コッチへ走り、している方がおりますよね。

あれは、自分が掲げた公約などの実現化に行動しなくとも、サギにはならないのですかね。そもそも出来ないことを大声でどなっていただけで、聞く方も誰もそんな事出来ると思っていないので、騙し、騙された関係が、成立しないのですかね。

公約違反で、逮捕された先生は、聞いた事御座いませんからなー。

この手の先生は、ご都合主義の大家のようですなー。

トントン ゴリゴリ。

このご都合主義に、いつもご一緒しているのが、無責任と言う三文字のようですなー。

ご都合主義の 方は、責任をとるのが大嫌いのようですなー。その時、その時の思い付きや、感情で自己に都合の良いことを、よくおっしゃられる方をお見受けいたしますが、 小生の乏しい経験ではありますが、都合の良いことをおっしゃる方で、そのことについての責任問題が持ち上がった場合に、ちゃんと責任をとると言う方は、実 に僅かな気がしますね。統計をとった分けではありませんが。

責任問題が持ち上がると、途端に、持ち前のご都合主義で、さっさと責任逃れに専念する、と言う特徴があるようですな。

責任逃れの常套手段は、他人のせいにする、と言う方法のようですよ。

あの時に、私があのようにしたのは、誰々さんが、あのように言ったからですよ。あの人が、あのようにしたので、仕方なく、あのようにしたのだよ、なんて、みんな他人のせいにしちゃうのですわ。

とにかく、他人のせいにして、言い逃れるのですよ。

このような視点で、テレビの国会中継を見て見ましょう。答弁に当たる人は、自己の正当化を図るために、とにかく誰かのせいにしますから。なんだか、分けの判らない屁理屈を持ち出したりしてね。

質問されると、自分ではなく、代理の他の人に答弁させて、風向きが悪くなると、答弁した代理人のせいにしたりするのは、何時も見かける情景ですよ。うまい人は、誰のせいかも判らなくしてしまうのですよ。みえみえのウソもつくしね。

その場を、上手く切り抜ければ、それで良いのでしょうな。

こんなん選挙で大騒ぎして、選ぶのですからね。やんなっちゃいますなー。

トントン ゴリゴリ。

もー、目先のことしか考えないご都合主義は、御免被りたいものですなー。

今、旬の話題は、籠池問題の再燃ですなー。消えたのかなー、と思いきや、どっこい種火が残っていたようですなー。

総理のいつものやり方で、取り敢えず、目先の足下の炎をさえ見えなくしておけば、その内、みんな忘れるだろうと、予定していたのでしょうが、何だか、本丸近くで、種火が残っていて、くすぶり出したようですなー。

どのような事態が進んでいるのか、メディア報道以上のことは、庶民には全然判りませんが、きっと裏方の消防団員は、消化に大変なのでしょうなー。

国税庁長官の任についておられた佐川さんが、今になって、突然辞任して退職したというのですよ。退職の理由は、まとめれば、国会を混乱に陥れてしまった。申し訳ないことをした。と言うことのようですよ。

もしも、ご本人が言うとおり、国会を混乱させて、申し訳なかった、と言うのなら、辞任し、退職する以前に、解任、免職になっていておかしくない事案ですよ。

それが、麻生財務大臣は、しっかりと職務を果たしてくれた。問題は無かったと、記者会見で断言しているのですよ。その上で、辞職を受け入れたと、言うのですよ。訳分かりますか。

分かり易くいえば、落ち度のない者が、自分に落度があったので、悔いており、申し訳ない、と言って、辞職願いを提出して来た。当人に、落ち度は認められないが、辞職は受理した。と言うのですよ。なんのこってす。訳が分からない、ちゅーの。

もっとも、麻生財務大臣の発言は、自分たち(財務省内閣)にとっては、良くやってくれた。しかし、国民に対しては、国家公務員として、申し訳無いことをしたのだ。よって、辞職届けを受理したのだ。と言うのであれば、大臣の発言の意味は、理解されると思うのですが。このような意味合いなのですかね。

とすれば、まさに、ご都合主義典型ですな。嗚呼。

トントン ゴリゴリ。

また、今、最も旬なご都合主義は、北と南とですな。南の風は、なんなのでしょうね。北の風に吹かれたら、たちまち、北風になっちゃうのですかね。南風が北風に乗っかって、アメリカまで飛んで行ったようですなー。相変わらず、気まぐれな風ですな。

米は、どうするのですかねー。

トランプさん、大統領選挙では、ババ抜き勝利したのでしょうが、今度は、核抜きに勝利をおさめられのですかね。

もっとも、中国ロシアがどのような手に出てくるのか、目下のところ判りませんが、よもや北と南と米による核抜き談義を、だまって見ている訳はないのでしょうね。

こちら方面の安倍総理のご都合は、何とも、見通しが悪くなってきましたなー。ただただ、北への圧力を強化させれば良いのではないのか、と目の前、足下しか見て来なかった、浅はかさのツケが回ってきたのでは。

友達の手先になって、目先のご都合で、世界中せこせこと走り回った安倍さんは、とんだババを引いちゃったのかな ? ? ?

 

どうも、お疲れさまでした。今回も、最も、アホくさい、バカバカしい、クダラないテーマの話に陥ってしまいました。

取り敢えず、ヒマ潰しになったとすれば、好都合でした。

 

お後がよろしいようで。

またのお越しをお待ち致しております。

《停念堂閑記》81

「日比憐休独偏記」16

 

「どーなってるの」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

アホくさい、バカバカしい、クダラない話か、と言われますと、決まってるではないですか。そんなこと。

立派な、意義深い話は、難しくて出来ないからですよ。

私だってですね、たまには、気の利いた話をしたいもの、とは思わなくはないのですよ。少しは思うこともあるのですよ。

しかしですね、これが中々上手く行かないのですよ。

言うまでもなく、この手のことは、能力の問題です。

持って産まれた能力は、俄に、どうにかできる代物では御座いませんよ。

持って産まれた能力の善し悪しは。嘆いても仕方御座いませんので、精々、得手・不得手と言うあたりで、何とかならないものか、と思ったりするのですよ。

気の利いた話は、不得手なのですよ。中々出来ないのですよ。

出来ないことは、結論的に、出来ないのですよ。

出来ない事は、出来ない。判り易い論理ですなー。

一方、アホくさい、バカバカしい、クダラない話の方は、どちらかと申しますとね、得意と言う分けでは御座いませんが、嫌いではないようなのですよ。これとて、大したことは御座いませんが。

出来映えを問題にしてはいけませんよ。

要は、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れなければ、おおむね良し、と言うところなのですよ。

ところで、何時も申し上げておりますように、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。

まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けで御座います。

極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。

皆様も、ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。

おそらく、すぐに、飽きてしまいますから。

但し、腹の立つことの素を入れた場合には、注意して下さいよ。

頭に来ちゃって、ついつい力を入れ過ぎて、スリバチを壊してしまう恐れが御座いますから、ほどほどがよう御座いますよ。

スリコギを振り回して、手当たり次第に、周囲に当たりちらしては、いけませんよ。

当たり散らすのは、どうぞスリバチの中だけにして下さいませ。

トントン ゴリゴリ。

さて、本日のヒマの素は「どーなってるの」で参りたいと思います。

早い話が、本日は、コゴトとボヤキの日です。

それでは、ヒマの素「どーなってるの」をスリバチに放り込みますよ。

さー、いきますよ。

今日は、先発大谷投手では御座いませんよ。

先には、いきなり160キロ、ビューン!で、スリバチが、木っ端みじんになっちまいましたからね。ここは、大谷投手は、不向きです。

とてもトントン ゴリゴリなんて言う状況では、なくなっちゃいましたからね。

壊れたスリバチの破片を拾い集めて、接着剤でくっつけるのに中々手間ひまかかりましたから。

御陰で、ヒマ潰しにはなりましたわ。

さすがに、大谷投手は、すごい。一球でヒマ潰しの完全試合達成でしたから。アメリカでも、注目されていますね。期待されておりますねー。ガンバレー。

トントン ゴリゴリ。

一方、ここでは、全然、注目も期待もされておりませんが、ヒマな私が投げさせて頂きます。なんたってですね。極小企業で御座いますからね。何から何まで、ぜーんぶ自分一人でやらなければならないのですよ。人生は、厳しいものです。

ほんじゃー、行きまっせー。

ポイ、コロン。

時速3キロ。しかも、ゴロ。

年寄りの歩ける早さです。

迫力ねーなー。

歳をとると、せいぜいこんなものですって。

なさけねェー!

トントン ゴリゴリ。

ところで、皆さん。分けの判った日々をお送りで御座いましょうか。

エッ、いきなり分けの判らねーこと言うんじゃねー、ってですか。

しかし、皆さん、なるほど、なるほどと、納得のいく日々をお送りですか。

中々そうは、行かない日々が多いのでは御座いませんか。

たまには、いや時々は、いやいやしょっちゅう「どーなってるの」と思うことが、おありでは御座いませんか。

他所のお方のことは、よくは存じませんが、私なんざー、こんなもの書いて、後で読み返してみて、サッパリ面白くもないなー、誰だこんなもん書いているヤツは。なんて、一体「どーなってるんだ」と、毎日、毎日を過ごしているのですよ。

こんなん読まされる方が、「どーなってるんだ」でしょうなー。 

多分、他人様から見れば、向いてねーんではねーの、と思われているのでしょうなー。

しかし、こんなことでもしていないと、1日が退屈の一言でしょー。ですから、他人樣がどう思おうとも、一切お構いなく、せっせと、書き綴るちゅー訳なのですよ。

何時も何時も、アホくさい、バカバカしい、クダラない話ばかりで、あんたの頭の中は、「どーなってるんだ」、とお思いのお方もおありでしょうなー。

ご推察のとおり、頭の中は、アホくさい、バカバカしい、クダラない状況になっているのですよ。以前、脳のスキャンをした時、はっきりと症状が出てましたよ。おー、ノーでした。

こればかりは、「草津の湯でも」、治りませんよ。

草津の湯でも」は、もー、若い人には、通じなくなってますかねー。

それでは、久しぶりに、景気づけに、いっちょー、参りますか。

草津節」(歌詞が結講長いので、はしょります)

草津よいとこ 一度はおいで ア ドッコイショ お湯の中にも コーリャ 花が咲くヨ チョイナ チョイナ

お医者様でも 草津の湯でも ア ドッコイショ 惚れた病は コーリャ 治りゃせぬヨ チョイナ チョイナ

トントン ゴリゴリ。

草津の湯といえば、先日、いきなりドカーンときましたな。草津白根山。そんな山、シラネーですって。極めて初歩的ダジャレでありますが、ご挨拶がわりに、一応やっときませんとね。これはそー言う決まりごとですから。悪しからず。ア チョイナ チョイナ。

もー、突然のことで、「どーなってるんだ」状態でしたね。気象庁や火山予知に携わっておられる方々も、草津白根山はノーマークだったようで、まさに「どーなってるんだ」状態のようでしたなー。

トントン ゴリゴリ。

まったく予期せぬ「どーなってるの」もありますが、以前からずーっと継続している「どーなってるの」も数多ありますなー。

たとえば、東日本大震災後、あれだけ大騒ぎしていた津波対策は、順調に進んでいるのでしょうかね。えらく巨大な防波堤を建設しなければ、と騒がれていましたが、その後、「どーなってるの」。

津波襲来直後は、メディアでは、何をおいても、とにかく津波対策を、ということ一色に染められていた感がありましたね。対策は、津波に負けない高い頑丈な防波堤の建設が叫ばれていましたね。

しかし、時間が経って、段々落ち着きを取り戻すと、そうしょっちゅう津波が襲来するわけではないから、生活の場として、より便利な港に、あまりバカでかい防波堤を建設しては、日常の生活に不便を感ずるのではないのか、と言うことも考えられるようになって来たのではないのでしょうかね。

何百年に1回来るかどうか判らないものに、莫大な費用を投じることも、果たして適切なのか、現実的に無理はないのか、と言った考え方も、次第に大きくなって来たのではないのでしょうか。やっぱり、毎日毎日の今現在の生活に、より便利な方に重きを置き勝ちになりますよね。

居住地を海岸からはなれた安全な地域に移したところもあるようですが、津波から逃れられる安心感はあるでしょうが、日常生活は、やっぱり以前の生活の場であった港の方がはるかに便利であったことでしょうから、複雑でしょうね。

漁師さんは、港で仕事するより無いわけですから、選択の余地はありませんな。

港に津波に負けない高い頑丈な避難場所を設ける以外、手がないのですかね。

しかし、それには多額の費用が必要ですから、簡単に解決出来ない側面が横たわっていますね。

備えがあった方がより安心ということがありますから、不便と安全の兼ね合いの判断が難しいのですよね。

トントン ゴリゴリ。

巨大な防波堤の建設だけではなく、震災全体の復興の様子も、最近はメディアでは、ちょっと遠のいている感じがしますなー。避難した方々の郷里への復帰の状況も気になるところですねー。

震災後は、避難先で不便な日々を送らなければならない現実に追いやられた方々は、震災以前の日常が、何と良かったかことかと思うのは当然でしょうね。

しかし、避難先で、職に着き、それなりに安定した生活が可能になった方もあるでしょうから、複雑ですよ。

震災以前の日常が、何と良かったかと思うこともおありでしょうが、しかし、その時は、その時で、万事が好都合の状態であった分けではなく、色々と不便を感ずる現実もあったでしょうから、それらが、みんな解消した事態は中々実現が難しいですよね。

単に、以前の状態に復帰できれば、それで良いと言う分けではないでしょうから、郷里の復帰も、現実には、難しい問題が山積みなのでしょうね。

知恵を絞って、やれる限界までやる、と言う以外にないのでしょが、現実は、大変なことばかりなのでしょうね。

トントン ゴリゴリ。

さらに、福島原発の事故現場に関しては、メディアは、オータム ハズ カム(アキが来た)状態なのか、報道がメッキリ少なくなりましたなー。先日は、事故発生以来そのままにされていた核燃料を取り出すための基礎作業として、爆発ですっ飛んじゃった事故建築物の覆いをしなくては、と言うことで、その覆いを漸く設置した、と言うニュースが流れていましたが、覆いをして今後どうするのですかね。

あの覆いも放射能汚染物化するのでしょなー。将来、どのようにして保管するのですかねー。

それより、仮に核燃料を取り出せたとして、今度はその保管が必要ですが、どうなるのでしょうかね。他の原発へ持って行って、利用可能なのですかね。

保管場所を提供してくれる自治体は、まず、期待できないでしょうから、現場周辺で保管するよりないのでしょうな。

また、見た目のスゴイのが、放射能汚水の貯蔵タンクの数ですなー。ますます数を増しているのでしょうか。将来、海に流してしまうのですかね。

もー、福島原発の場所は、巨大な放射能廃棄物の保管場所となっちゃうのですかねー。持って行きどころがないのだから。もー、既になっちゃってるのでしょうか。

トントン ゴリゴリ。

更に、更に、日本の原発は、運用中(稼働・稼働停止)が40基、廃止・解体中が19基、建設中・計画中が2基と言う状況のようですね。場所的には、17箇所のようですなー。

これらが、何十年先になるのか存じませんが、いずれ廃炉になる時期が訪れるわけですから、これによる放射能汚染物は、多分、引き取り手がないのでしょうから、現在の場所で保管するよりないのですかね。

それとも、何処かに限定して、集中保管でもする大施設でも建設することになるのですかね。「どーなってるの」ですよね。

政府は、対策を将来に回すだけで、現在で処理する能力0の状況ですからね。威勢良く、電力会社と手を結んで、造るでけは造りましたけどね。

廃炉処理するには、莫大な経費が必要なことだけは、明々白々です。将来、その費用をどのようにして捻出するのでしょうね。

結局は、税金からガッポリ支出するよりないのでしょ。どこからか、ガッポリ税収が増加するとでも、お思いなのですかねー。

人口減少で、労働人口ガタ減りの将来が目の前に聳(そび)え建ってますよ。誰から、何処から税金を集めてくると言うのでしょうか。

「どーなってるの」ですか。嗚呼。

トントン ゴリゴリ。

はたまた、年金問題ですよ。

ずさんな年金管理が暴露されてから随分経ちますなー。

年金があやふやになってしまっている人については、最後の一人まで明らかにすると意気込んで、それを断言していた総理大臣樣ならびに代議士先生、その後、「どーなってるの」ですか。鼻っから、誰も信用してはおりませんでしたがね。

国政選挙を経たら、もー、過ぎ去ったことは、オータム ハズ カム アキが来ちゃったのですか。最初から出来る見込みのない、大ウソをついて。忘れていない国民もいるのですよ。

トントン ゴリゴリ。

それから、将来の年金対策。「どーなってるの」ですか。

若者は、みんなゼツボーしてますよ。

マジメに働いている人から、否応無しに税金は、給料から天引きですわ。買い物すれば、無条件で消費税ですわ。

税制がおかしい。検討して是正せよ。と言う要望を出しても、政府代議士先生等は、マジメに取り組む様子が一向に見られませんな。やっているポーズは見せますがね。ポーズだけ。

このような局面における納税者の唯一の抵抗は、要望を達するための手法として、税金を納めないと言う手しかないわけですよ。国民の大多数が納税を拒否する手にでれば、さすがに、代議士先生等も、まともな税制改革に着手せざるを得ないことになるねのでしょうが、その抵抗は、まったく出来なくされてしまっているのですよ。

主な税金は、原則的に、取りっぱぐれがない状況を作り出してしまっているから、政府代議士先生等は、本気で税制改革に取り組む姿勢が、全然ないのですよ。してるのは、ポーズだけですよ。下手に、税制改革に手を出そうものなら、次回の選挙が危ぶまれる。その心配ばかりしているのが、代議士先生らですよ。その継続で、現在の社会が形成されているのですよ。

「どーなってるの」一体。

トントン ゴリゴリ。

時々、おっかなびっくりでやっているのが、消費税ですよ。

なんで消費税となるのか、と言うと、取り方が簡単だからに外なりませんよ。

根本的に、やり口が、実に、汚いわけです。誰彼構わず、買い物すれば、課税できる。支払いの現場で、徴収できる。

就学前の子供であろうと、学童であろうと、未収入の年齢者だろうと、生活保護受給者であろうと、買い物すれば、税を取る。と言う手法です。年収何千万・何億の人であろうと、病気で働けず収入0の人も、お構いなし。同等に課税してくるのですよ。

トントン ゴリゴリ。

国際的に見れば、日本の消費税的な税を導入している国は、多々ありますよ。しかし、生活苦の人々や、日常の生活必需品には、色々と配慮されていますよ。

日本の場合は、一律、同等の手法で、ぜーんぶひっくるめて、平等、平等で押し切られてしまうのですよ。代議士先生らの政治センスがねー。

代議士先生の言い分は、我々は、何千、何万の人々の指示を受けている代表者だ、そうですよ。

とんだ誤解ですよね。選挙の時、これと言う候補者など、めったにおりませんよ。しかし、誰かの名前を書かなければ、と言う状況で、仕方なく、誰かの名前を書いて、投票箱に入れて来る、と言うのが大多数のようですよ。アア、勘違いですよって。

トントン ゴリゴリ。

とにかく、貧富の差があろうとも、無かろうとも、買い物せずに、生きて行けないのだから。

それが、国民皆へ、平等に課税している、なんて言う屁理屈を並べるのですから、たまったものでは御座いませんよ。

誰からも、彼からも、簡単な方法で税を取れる。取る方の全く一方的な都合ですよ。生活苦の人々や、日常の生活必需品には、色々と配慮したいが、それでは、取り方が複雑になって、現実的ではない、なんて言うのですから、話にならないのですよ。

何処を向いて、なにをしようと言うのです。「どーなってるの」。

トントン ゴリゴリ。

根本的に、真面目に、国民のための税制改革に取り組んで貰いたいものです。

基本は、お金を持っていない所からは、取れない。僅かしか持っていないところからは、僅かしか取れない。これが、課税の実情です。

税は、みんなから平等に徴収しなければならない、と平等精神を掲げてみたところで、無い所からは、取れないのですよ。

平等を掲げたって、収入の少ない所に課税すると、もう、生活が出来なくなってしまうのですよ。いくらなりたての新人代議士先生だって、これくれーの理屈は判るでしょー。

たとえば、年収300万円の 4人家族から、なんだかんだで、30万円の税を徴収するのと、年収3000万円の4人家族から、300万円を徴収するのは、同率で平等だ、30万納税して いる人と比べて、300万の納税をしている人は、10倍も多く納税している、なんと思っているのではないのですか。     

前者は、残り270万円で4人が生活しなくてはならないのですよ。後者は、2700万円も手元に残るのですよ。これを同率で、平等、平等ですまされますか、ちゅーの。

何処の平等を見ているのだ、ちゅーの。

トントン ゴリゴリ。

もう、引退した総理大臣は、累進課税を強化して、高額所得者により重い課税をしては、と言う意見が出た時に、彼らは、日本経済を牽引している人達だ、そのような人達に対する課税をより重くすると、その人達の労働意欲を減退させてしまうから、ダメだ、と言った内容の意見を発した方がいたような記憶が御座いますな。政府高官になると、どうも、お仲間有利な政策が多くなる傾向が、おありでは御座いませんか。事実そのように見えることが、まま御座いますよ。

平易に言えば、相当高額を納税しても、生活に困ることの無い層からは、できるだけ多額を納めてもらうより仕様が無いのですよ。これが現実的です。

そうしなければ、国家収入は、増加しませんて。財政の立て直しなどは、ほど遠い話ですよ。表現がよく無いかも知れませんが、低所得者から、いくら掻集めたって、国家財政は、立ち直れませんて。沢山持っている所から取らなくては。

確定申告の時期です。低所得者いじめ消費税率の引上げなんぞ、ごり押しする前に、根本的な大規模累進課税を検討しなさいよ。

ますます格差を大きくして、愉快なのですか。代議士と呼ばれている先生方の政治センスが窺われますよ。 

また、物価を引き上げてやるから、みなさんセッセと消費税を払いなさい、なんて言われても、消費が伸びるかってんですよ。一部の経済学者の論理に振り回されているのではないのですか。

「どーなってるの」。

トントン ゴリゴリ。

それから、目先のことしか見ようとしない、目先の難儀なことから、取り敢えず逃げたい、と言うことが、世間一般的な傾向として強いのだそうですなー。

たとえば、振込めサギですよ。

孫が大金を電車に置き忘れて、これでは会社を首になる、とか、警察沙汰になる、訴えられる、などと脅かされると、その現実からとにかく逃れた いと言う意志がはたらくのだ、と言う事らしいのですよ。それで、多額のお金を、知らない人に渡してしまう。それで、目先の難儀から逃れられる、と思うのだ そうですなー。

ネットで知り合った男性に、中学生の女の子が、割合簡単に、裸の写真を送ってしまう、と言うことが時々ニュースになり、問題となってます なー。なんで簡単に、送ってしまうのか、と不思議に思われるのですが、脅されたりすると、とにかく、その状況から一刻も早く逃れたい、と言う意志が強く働 くのではないのか、と言うことらしいですね。

だから、そんなの送っちゃったら、後々どうなるか、と言う考えに達する前に、今現在の嫌な状況から、取り敢えず、逃れたい、と言うことになり勝ちなのだ、と言うことなのですよ。

まー、一般的にそのような傾向が強い状況になっちゃっているようですね。

何で、そのようになっちゃったのですかねー。「どーなってるの」。

トントン ゴリゴリ。

目先のことしか見ないのは、今や代議士特許ですよ。

言いたかないけど、政府のやることは、目先の利益追求ばっかり。思い付きの政策を、ゴリ押ししてでも、数を頼みに始めるけれど、後始末については、何にも対策していない、と言うことが多くあり過ぎはしませんか、ちゅーの。

「どーなってるの」ちゅーの。

それから、国会における発言なども、ご祖末極まると、直に撤回する。それで、一件落着。責任と言うものは感じないのかね。目先のことだけ、ゴマかせれば、それで許されちゃうのだから。もー、「どーなってるの」。

制度をいくら整えても、それを運用する人がダメなら、全然機能しなくなるのですよね。

 

世の中、アッチもコッチも、「どーなってるの」。

コゴトをアクタイを言うのも、疲れちゃうわ。

エッ、こんなん読まされる方が、よっぽど疲れるって、ですかー。

ご尤もで御座います。重々お察し申し上げます。

それにつけても、アッチも、コッチも、ソッチも、ドッチも、まったく「どーなってるの」。

 

どうでしょう。実に、アホくさい、バカバカしい、クダラない話でしたでしょー。こんな話で、何かを感じてくれる方も、おられるかなー。まー、いーか。

取り敢えずは、ヒマ潰し、達成。

 

お付合い下さてまして、誠に有り難う御座いました。

またのお越しを、お待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》80

「日比憐休独偏記」15

 

「早くしないと」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

なんで、アホくさい、バカバカしい、クダラない話をするのか、と言われますと、そんなこと決まってるではないですか。

立派な、意義深い話は、難しくて出来ないからですよ。

私だってですね、たまには、気の利いた話をしたいもの、とは思わなくはないのですよ。

しかしですね、これが中々困難なのですよ。

人には、得手・不得手が御座いますからね。

気の利いた話は、不得手なのですよ。中々出来ないのですよ。

出来ないことは、結論的に、出来ないのですよ。

出来ない事は、出来ない。判り易い論理ですなー。

一方、アホくさい、バカバカしい、クダラない話の方は、どちらかと申しますとね、嫌いではないようなのですよ。これも大したことは無いのですが。

出来映えを問題にしてはいけませんよ。

あくまでも、どちらかと言えば、の話ですからね。

とにかく、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れないように、極力配慮して、参らなければならないのですよ。

ところで、何時も言っているように、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。

まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けで御座います。

極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。

皆様も、ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。

おそらく、すぐに、飽きてしまいますから。

但し、腹の立つことの素を入れた場合には、注意して下さいよ。

頭に来ちゃって、ついつい力を入れ過ぎて、スリバチを壊してしまう恐れが御座いますから、ほどほどがよう御座いますよ。

スリコギを振り回して、手当たり次第に、周囲に当たりちらしては、いけませんよ。

当たり散らすのは、どうぞスリバチの中だけにして下さいませ。

トントン ゴリゴリ。

さて、本日のヒマの素は「早くしないと」で参りたいと思います。

それでは、ヒマの素「早くしないと」をスリバチに放り込みますよ。

さー、いきますよ。

今日は、先発大谷投手では御座いませんよ。先日は、いきなり160キロ、ビューン!で、スリバチが、コナゴナになっちまいましたからね。

とてもトントン ゴリゴリなんて言う状況では、なくなっちゃいましたからね。

壊れたスリバチの破片を拾い集めて、接着剤でくっつけるのに中々手間ひまかかりましたから。

御陰で、ヒマ潰しにはなりましたわ。

さすがに、大谷投手は、すごい。一球でヒマ潰しの完全試合達成でしたから。

今回は、期待されてはおりませんが、ヒマな私が投げさせて頂きます。

ほんじゃー、行きまっせー。

ポイ、コロン。

時速3キロ。年寄りの歩ける早さです。

迫力ねーなー。

歳をとると、せいぜいこんなものですって。

なさけねェー!

トントン ゴリゴリ。

ところで、皆さん、日々如何お過ごしで御座いましょうか。

ヒマな私でさえ、一日中、何もする事が無い、と言う日は御座いませんよ。

ヒマ潰しに、結講忙しいのですよ。

楽しいこともあれば、不快なこともあり、その対応に追われると言うのが実情ですよ。

そしてですね。何かに着けて、その都度、「早くしないと」と思うわけですよ。

何をですって。

何でもですよ。大体は、下らねーことですがね。

ところが、「早くしないと」とは思うのですが、これがどうして、なかなか。

若い頃はですね。結講、セッカチの方でしてね。下らねーことは、比較的早く処理出来たのですよ。

これがですねー、定年になった後は、まー、まったくダメになりましたなー。

ちょっと、面倒なことは、すぐに後回し、後回し、となって仕舞い勝ちなのですよ。

これが、その挙げ句にはですね、何を後回しにしたかを、忘れちゃうのですよ。結局、遣らず仕舞と、相成る次第なのですよ。

それで、ヒマな時間が発生して、これを潰さなくてはならないハメと相なるわけなのですよ。毎日これの繰り返し。冬のまっただ中なのに、さすがにアキが来ますよ。

ホンマ。それでも、メゲズに、今日も、

トントン ゴリゴリ。

世の中、早くやった方が良いことが、色々御座いますよね。

私の方は、およそ下らねーことですから、まー、そう急いた事では御座いませんが、世の中、とにかく早くやった方が良い、いや、早くやらなければならないことが、沢山御座いますよ。

私の方のことは、所詮下らねーことですから、やってもやらなくても、世間様に影響を及ぼすようなことは、殆ど御座いませんよ。

しかしですね、日本の将来に関わることなどは、早くやっておかなくてはなりませんよ。後回しにして、その内に、忘れられたりしては、それこそ、大変ですよ。事態がすっかり一変してしまいますからね。

たとえば朝メシを後回しにして、11時を回ってから食べたりしたものなら、もはや、朝メシではなくなって仕舞うのですよ。昼メシと呼び方ま で、変わってしまうのですよ。実に、朝メシの存在が、根っこから消滅させられてしまうのですよ。こんなことが、許されますか、ちゅーの。

何に拘らず、「早くしないと」ね。

トントン ゴリゴリ。

下らねーことを、チンタラ、チンタラ言ってんじゃねーよ、ってですか。

いやいや、ここでの話は、再三申し上げているとおり、アホくさい、バカバカしい、クダラない話でなくてはならないのですよ。

それが、ヒマ潰しの極意なのですから。

要するに、これは小生の方の事情でして、世間様には、なんら影響を与えるものではございません。

が、しかしですなー、物事の中には、こんな能天気なことで、ヒマ潰しをしていては、ならないこともあるようなのですよ。

色々、沢山、山積みされているらしいですよ。

その一つを、これから、トントン ゴリゴリしようと思うのですよ。ヒマ潰しのためですがね。

トントン ゴリゴリ。

それはですね。それは、政治絡みのことですねん。

政治絡みのことは、何処を切っても、問題だらけの金太郎飴ですわ。

ちょっと、この辺を切ってみましょうか。

そら出た。

政治家と言われている人々の主たる政治活動は、実に、選挙活動なのですわ。

方向違いのことが、平然と行われているみたいですよ。

たとえば、国会議員と言われている方々、国、国民ファーストの政治活動をしているのかなー、と思いきや、違うようですよ。

殆どが、自分、所属する政党のための政治活動ファーストのようですよ。

彼らの考える第一のことは、国政選挙で当選すること。まずは、紛れもなく全員がこれでしょうなー。このための活動が、とにかくファーストのようですわ。

ですから、彼らの活動の発想の基盤は、如何に多くの票を獲得することができるか、と言うことで、これに繋がる事柄をあれこれ考えて、それを政策として打ち上げるのですよ。

その政策は、その時々の有権者の関心に繋がるものでなくてはならないようですな。早い話が、メディアで取り挙げられている、どちらかと言えば、取り組み易い問題ですわ。

たとえば、保育所が少ない。どこもここも全部断られた。日本死ねー、と言うことがメディアで専ら話題にされれば、議員さん達は、そろって、保育所を増加させねば、とお口を揃えるわけですよ。

判りよく言えば、有権者の喜びそうな足下の問題を拾っては、選挙活動を展開するのですよ。

有権者の関心は、まずは日常的なところにありますなー。

早い話が、今日の昼飯は、晩飯は、といったようなことが関心事で、この繰り返しで、毎日を過ごしていると言う側面があるのですよ。

まさか、3年先の2月14日の昼飯をどうしょう、と考えながら、今日を送っている人は、いないでしょー。特別の事情がなければ。

今日は、取り敢えず、チョコレート丼にするかなー、なんて。

バカバカしい極端な例ではありますが、判り易いでしょう。

人間生きて生活しているのは、今日の今現在ですからね。この今現在がどうあるか、と言うことが最も関心のあるところなのですよ。

できるだけ、自分に都合が良い状態であって欲しい、と思う分けですよ。

すなわち、足下のことが、最も気に掛かっているのですよ。

だから、国会議員でありたいと願う御仁の多くは、有権者が最も関心を寄せている足下の事柄について、美味しそうなことを並べて、票の獲得に走ることになるわけですな。

そのために、政策として出てくるのは、目先の政策ばかりが多くなる。

将来を見据えた政策が、どうしてもおろそかになり勝ちのようなのですよ。

将来ばかり語っていては、票に繋がらない、と判断されるのですよ。きっと。

多くの有権者の関心は、どうしても、現今ファーストと言うことになりますからね。

これに迎合しないと、票にならないのですな。

言わずもがなのことですが。

トントン ゴリゴリ。

それから、何時も問題視されていますが、遅々として進展しないのが、政治システムに関わることですよね。国会国政選挙制度に関わることです。

国会のテレビ中継を見ていても、なんやこれ、の続出ですよね。

とにかく、何時も何時も、大騒ぎの国政選挙で選出されてきた代議士先生が、この体たらくなんだから。

よくぞこんな人が立候補して、よくぞ有権者はこんな人を選出したものだ。

こういうような局面に接するとが、しょっちゅう御座いますよ。

もはや民主主義の限界か、とさえ感ずることが御座いますなー。

見え見えのウソを、平気でつくしね。

言いづらいことを、有り体に申し上げますれば、まさに、この有権者ありて、この代議士先生ありき、と言う側面の実状がありはしませんか。

ある種、バランスがとれていると言うことになるのでしょうか。

とにかく有権者が、もっともっと賢くならなければなりませんよね。

日本は、国民主権の国家ですから、国を動かす国民の代表者を選出する部分が、国民主権発動の唯一の場面ですよ。

国政選挙は大事なのですよ。とにかく。

ところが、この大事な国政選挙の制度が、現行のもので良いのか、と言う問題があるのではないでしょうかね。

国政選挙と国政のシステムは、切り離せない関係にありますので、この点について、ちょっと、

トントン ゴリゴリ。

現在、国会衆議院参議院の二部構成、衆議院議員は任期4年、参議院議員は任期6年になってますな。

議決権は、衆議院優先となっていますから、簡単に言ってしまえば、衆議院で可決されれば、案件は成立するのですよ。参議院の議決に拘らず、案件は成立するのですよ。現実的には、現行では、参議院はあまり存在意義を持たない位置づけになってはいませんか。

なんたって、衆議院優先ですから、内閣から提案された案件は、衆議院で可決されれば、参議院で否決されても、結局は、事実上は成立するのですよ。参議院は、殆ど保障がない保険のような存在ではありませんか。

この辺りのことを、もっと有機的にする必要を感じたりするのですよ。

「早くしないと」と思うのですよ。

トントン ゴリゴリ。

まず、衆議院に関わる問題点の一つは、任期が短いので、どうしても足下の課題の処理中心となり勝ちではないのか。中長期を見据えた対策が、どうも弱くなってしまう、と言う欠点かありそうな気がしませんか。

すなわち、衆議院議員は、任期が4年ですが、政府与党の都合で、これこそ選挙の都合で、有利と判断された時期に、解散されてしまいますから、実際の任期は、4年に満たないのですよ。

このような環境で、衆議院議員は、その政治活動を行うわけですから、常に2・3年先の選挙を念頭においた活動が中心になるわけですな。

このような国会の運営体制に、問題があるのでは? と思われるのですよ。

すなわち、何時も、何時も、2・3年先の選挙を念頭にする衆議院の制度でいいのだろうか。と言うことですわ。

この制度を抜本的に変えなければ、何時迄も、衆議院議員の政治活動は、選挙活動に終わって仕舞うのでは、と言うことですよ。

この改革は、「早くしないと」ダメなのですよ。

トントン ゴリゴリ。

要するに、今の制度では、目先の政策が中心となってしまい、幾分先を見通した将来の政策が劣ってしまう、と言うことです。

例えば、財政、福祉医療、教育、国防等々に関わるような重要政策は、かなり先の将来を見据えないと、取り返しのつかない、その時になっては手の施しようが無い状態に陥ってしまうのではないのか、と言う心配です。

財政状態などは、まさに、その典型ですね。

国民が望んでいることだとして、借金しながら、毎年どんどん予算を膨らませて来ましたね。

税制を始めとする国家の収入面の根本的対策をたてず、せいぜい消費税の引上げを行うのが、精一杯で、いまや、手の施しようがない大借金ができあがってしまっていますね。

もはやどうにも、こうにもならない実情でしょ。

しかし、何とかしなくては。「早くしないと」ダメだよ。

トントン ゴリゴリ。

ところが、国民は、殆ど意にしている様子が御座いませんよ。目下の所、実感がありませんからね。政府がいくら国債を発行しようとも、国民個人レベルでは、いきなり財布から現金がとられる分けではないし、預金から引出される分けでもないので、直接目には見えないですから。国税から、莫大な額が、国債の利息に当てられているかなど、国民の日常生活の中では、ほとんど意識されませんからね。ニュースに取り上げられた時だけ、えー、っと思うぐらいで、それも日常生活の中にすぐにとけ込んで、見えなくなる日々を過ごすわけで、より良い現在の生活のために、あれこれ足下の都合の良い要求を出し続けていますよ。これが日常生活の実情ですよ。仕方のないことと言えば、それっきりですが。

しかし、何処かで、誰かが、歯止めを掛けなくては、大変な事になっているのですよ。

国会議員の先生は、次回の選挙で落選しては大変なので、国民の足下の要求に迎合して、目先の政策に、どんどん国の借金を増加させている現実です。

まだ大丈夫、まだ大丈夫と続けて来た結果、首までどっぷり、泥沼にはまってしまってますが、なお、止めようとする気配は、御座いませんよ。

我が家の家計は、一発宝クジが当たれば、一挙解決ですよ。

多くは望みません。ジャンボでなくても良いのですよ。ミニの方で十分です。

それで多くを望んでないってか ??? ウソつけ。ってですか。

面目ねェー。

しかし、国家財政を立て直す、超弩級のジャンボ宝クジは、存在し得ませんよ。

もはや、どうしょうもない事態ですね。

トントン ゴリゴリ。

しかし、現職の国会議員先生は、その内、議員から身を引く時期が来ますから、そうなれば、自身の知ったことではなくなる分けです。要は、自身の任期中の活動が保持できれば、それで良い側面を有しているのですよ。

借金を背負っているのは、政府国会議員先生では、御座いませんよ。

政府国会議員先生は、気前良く借金をつくりますが、つくった政府が返済するつもりは、さらさら御座いませんよ。借金をつくるのは、「今でしょ!」、返済で、キュウキュウの目に遭うのは「後でしょ!」。なのですよ。

国会議員先生は、後々迄、実質的な責任を負う立場ではないのですよ。落選すれば、タダの人ですから。

責任は、全部国民が背負わされているのですよ。

植木等さんが、歌ってたでしょう。

国会議員先生は、気楽な家業と来たもんだ。♪♪・・・スイスイ。”とね。

今まで、目先の政策に邁進して来た結果です。

財政だけでは御座いませんよ。

働き手人口の減少化の問題なんぞ、短期間で解決できるものではないのに、教育費を少しばかり増やしただけで、先の見通しが立つとおっしゃるのですか。

これっきしの政策で、女性が沢山子供を産んでくれるようになとでも、思っているのですか。

いま産まれた赤ちゃんが、働き手になるには、20年はかかるのですよ。

こんなことは、ずーっと以前から判りきっていたことなのに。

福祉医療等々、ぜーんぶ、然り、然りで御座いますよ。

とにかく、足下の課題の入口しか対処しないのですから。

出口のことは、出る時になって対処すれば、ってな感じですから。

後は、後の人が対処すれば良い。後回し、後回し。

取り敢えずは、次回の選挙対策のブラスになるものを、と言うことの繰り返しですから。

こんな体質を早く変えなくては。ホンマ。

トントン ゴリゴリ

このような事態に、対処しなくてはならないのですよ。「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。

このためには、色々と策はあるでしょうが、その一つとして、衆議院議員の任期を現制度より長くしてはどうか、と言うことが考えられる分けです。

とっさの思い付きですが。

そうすれば、次回の選挙対策ばかり気にせず、幾分先の中長期的対策のことも、気に掛けることが出来るようになるのではないのかなーと、かすかな期待を持つわけです。

任期を伸ばせば、マイナスの側面も付いて回ることでしょう。

まずは、代議士先生の緊張感が弱くなってしまわないかが心配されますなー。今でさえ、緊張感のない能天気な人が多く、しょっちゅう失言をして、物議をかもしているのだから。任期を伸ばせば、大抵はかったるんでしまうのでは、と心配されますなー。

このマイナス面については、別途強力な対策を考えなければなりません。この対策は、ここでは、後で取り上げることにします。後回しにするのでは御座いませんよ。

トントン ゴリゴリ。

たとえば、衆議院議員の任期を8年としてはどうか。と思ったりするのですよ。

とっさの思い付きで恐縮ですが。

8年もあれば、代議士さんらも、少しは、目先の選挙政策から抜け出すことが、できるのではないのか。と思ったりするのですよ。

直に、8年は長過ぎはしないか、と言う意見が飛び出すことでしょうな。

8年に1度の選挙では、近時の有権者の声が拾えなくなりはしないか。なんてね。

これについては、衆議院の定数を2等分して、4年ごとに2分の1ずつ、選挙で入れ替えてはどうでしょう。そうすれば、現制度と同じ4年ごとに、その時々の有権者の声を聞くことができるのではないか。と思ったりするのですよ。

トントン ゴリゴリ。

それから、現制度からどのようにして、新しい制度に切り替えるか、と言う問題も発生しますなー。

これには、思い切った、対策が必要ですな。

たとえば、8年任期の初回の選挙の時は、衆議院議員の定数の2分の1ずつ、任期8年、任期4年として、初回の選挙によって、各4、8年任期の衆議院議員を誕生させるのですよ。

そして、その4年後の選挙で、任期4年の議員が退き、新たに任期8年の議員を選出する。

次回からは、4年後ごとに、8年任期の議員を選出すれば良いわけです。

現行の参議院議員選挙では、定員の半数が3年ごとに、選出し直す方式がとられています。これを衆議院議員の定数を2等分して、4年ごとに、2分の1ずつ選出し直すと言うことですなー。

トントン ゴリゴリ。

ところが、突然の衆議院解散が必要になった場合は、どうするのだ。また、最初からやり直しか。と言うことになるので、衆議院議員解散を改善しなければならない必要が存在しますよ。

現行の衆議院議員解散は、内閣総理大臣の専権とする慣例が行われているようですので、まず、これを改めなければなりませんな。

大体、衆議院議員解散は、実際的には、政権与党が定例の次回の国政選挙を視野に入れて、総理大臣とその選出母体の政党にとって有利に働くと判断した時期を見計らって行うもののようですな。

言ってしまえば、衆議院議員解散権は、総理大臣・それを選出している与党私物化したも同然の運営が行われているわけです。

与党が不利と判断した場合には、野党解散の必要を主張して、いくら騒いでみても、衆議院議員解散は絶対に行われないのですよ。

トントン ゴリゴリ。

だから、どちらかと言えば、衆議院議員解散は、国会とは離れた別の独立機関で検討すると言う制度を、別途考えた方が良いようにも思える分けです。そうすれば、選挙対策から離れて、本来の必要性から衆議院議員解散すべきかどうかを検討できることになるのではないのでしょうか。

性格としては、内閣国会官庁の目付的性格を有する国民選出の独立した機関を設けることが望ましい、と思われますな。

この機関に、内閣国会国会議員官庁等の活動を監視させ、定期的かつ必要時に、国民に監視の結果を明示する役割を持たせると良いと思いますなー。

この機関の性格、設置、運営等については、色々多角的視点から、良く検討する必要が欠かせませんが。

国政選挙だけを通して、有権者の判断を仰ぐ、と言うことのみでは、どうも不安定な側面が見受けられますから。

このような機能を有する機関を仮りに「国民審査院」と称するとして、このような機能の有する機関がないと、ただただその時の勢いで多数の議員数を獲得した政党が、好き放題を遣り兼ねませんからね。

古くは、律令制度の下では、中央行政の監察を行う弾正台(だんじょうだい)という機構が置かれていましたね。

江戸幕府は、大目付と目付と言う職を置いていましたよ。

大目付は、主に大名・高家朝廷の監視的役割、目付は、主に旗本御家人の監視的役割を担う職でしたね。大名など、大目付が出動してきたとなれば、震え上がったとか。

今の国会議員については、独立した常置の目付が出動することが無いであろうから、精々メディアに注意しているぐらいですかね。明確な犯罪を犯した場合は、司法が対処するでしょうが。

トントン ゴリゴリ。

そこで、一策を案ずるハメとなる訳ですよ。とっさの思い付きで恐縮ですが。

一層のこと、殆ど役に立っていない、参議院を廃止してはどうか、と思う分けです。ただただ衆議院議論を、場を移しただけで、野党は同じ質問をして、政府側は同じ答弁をする。しょせんこの繰り返しなのですから。廃止しても、たいして現状と変わりは御座いませんよ。参議院衆議院で可決された案件を否決してみたとて、衆議院に戻されて、以前の通りで成立するのですから。

そこでですね、参議院を廃止して、先に提案した、仮称「国民審査院」を新置するのですよ。

機能は、国会運営の審査、衆議院議員の活動の審査、衆議院議員解散の審査、官庁職務の審査、政治に関わる国民の意識調査等々。これらの公示、等など。

それは、官庁の組織の中でやれば、と言う意見があるかも知れませんが、官僚は国民の選挙で選出とれた存在ではないので、ダメなのですね。このような強力な権限を持たせる場合は、国民が直接選出することが肝心なことですよ。

トントン ゴリゴリ。

総理、知らぬ存ぜぬばかりで、恍けてらんなくなりますよ。審査院の目が光ってますから。

総理選挙対策のために、無駄な衆議院議員解散は、出来なくなりますよ。

大臣、自分の答弁が終わったと勘違いして、議場から逃げ出してしまうなんてなことはできませんよ。

大臣、答弁メモを読み違えて、後で、緊張感が足りなかった、なんて、間抜けメディア会見など、ゆるされませんよ。

議員さん、国会で居眠りしてらんなくなりますよ。

議員さん、フザケタ野次など、とばしてはいられませんよ。

議員さん、マジメに政策に取り組んでいるか、常に監視されてますよ。不倫なんぞは、してらんないよ。

議員さん、パーティーばかり開催して、金集めばかりしていられませんよ。

官僚さん、記録をちゃんととり、保管していないと、だめですよ。捨てちゃった、では済みませんよ。お役人さんの大嫌いな責任をとらせられますよ。

国民は、直接意見を公式に言える機会が与えられますよ。等など。

仲間内での自浄作用は、殆ど機能しない場合が多いですからね。

要するに、監視の機関は独立していなくては、ならないのですよ。

てなわけで、仮称「国民審査院」の存在は、何をしているのかわからない参議院よりは、遥かに機能すると思うのですが。

仮称「国民審査院」の職に当たる人は、当然、国民の選挙で選出することになりますね。

その性格、方法等については、十分な検討が必要です。

是非、前向きに検討をして貰えないものかと、思う次第なのですよ。

「早くしないと」手遅れになりますよ。

トントン ゴリゴリ。

ところで、衆議院議員解散による国政選挙は、どうなるのだ、と言うことについては、そもそも解散し、選挙を行う目的は、その時点における有権者の判断を問うと言うことですから、衆議院議員全員を改選しなくとも、良いのですよ。すなわち、次回の選挙で改選予定の2分の1相当の衆議院議員を対象に、選挙を行えば良いわけですよ。これで、その時点における民意が把握出来るわけですよ。

そして、現行では、衆議院議員解散した場合、その選挙以前に、重大な事態が起こった場合など、国会が開けないと言うお粗末ですが、どんな場合にも国会を開催できるのですよ。

それから、大体、衆議院議員解散などと言うことは、そうそう行なう必要がないのですよ。先に、申し上げましたように、総理大臣とその選出母体の与党党利党略議員さんの私利私欲に関わる路線で、衆議院議員解散が行われているのが、実情なのですから。多額の費用と手間ひまかけて、総選挙など行わなければならない必要など、そう度々あるものでは無いでしょー。

政府が行き詰まった時には、内閣解散・改組で対処すれば済むことが多いのではないのですか。

大体、先出の仮称「国民審査院」を設置し、機能させれば、衆議院議員解散など、そうそうする必要がなくなりますから。

現行のように、総理大臣とその選出母体の与党の都合で、何時解散されるか判らない状況では、衆議院議員は本来の国政など、じっくり考える余裕が無いのですよ。何時もかつも、時間さえ出来れば、地元に戻って、次回の選挙対策に奔走しているのでしょうから。

トントン ゴリゴリ。

次に、是非ともやらなくてはならない課題がございますよ。国会議員の性格に関わることです。

すなわち、国会議員は、国策を担当する存在です。当然、国民全体の代表者であるべき性格のものですよ。

国民全体、有権者全体から等しく選出されなければならないものですよ。

とすれば、特定の地域(選挙区)から選出されて来た者の寄せ集め集団では困るのではないか、と言うことです。

判り易く言えば、現行の選挙区選出の方式を廃止して、全国一区とする選出方法をとるべきではないか、と言うことですよ。

そうすれば、選挙区による一票の格差などという、厄介なことは発生しないのですよ。

特定の地域から選出された議員は、その地元優先の政策を主張しなければならない性格を有しています。これでは、日本国全体として必要な政策を行うことが出来にくいのですよ。

ですから、国会議員は全国一区として、選出する方が、望ましいのですよ。

改革は、「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。

トントン ゴリゴリ。

それでは、地方の課題はどうなる、と言うと、地方のことは、それに対応する別途の仕法を考えた方が良いと思われますよ。

地方行政に関しては、都道府県市町村が置かれ、その首長議員が置かれていて、その所轄の課題を処理する体制が出来ています。

現今、地方のことで最も関心が高まっているのは、一つは、過疎化の地域が多くなっている問題です。

ひどい現実ですね。過疎の地域では、その地域の首長のなり手がいない。議員のなり手がいない。このような事態が出来して、もはや政治が出来なくなる事態が発生している所があるのですよ。

あるいは、首長議員の立候補者が整わず、無投票状態でしか議会が維持できなくなって、首長議員が固定化してしまう地域が増えてきているのですよ。

もはや、民主主義なんていう状況ではなくなってしまった地域が増加しているのですよ。実態を知るとビックリしますよ。ホンマ。

地方人口の激減の結果ですね。

トントン ゴリゴリ。

もう一つの課題は、都会と田舎の著しい格差の発生ですな。

政府は、地方創成なんという分けの判らないことを言っていますが、都会と田舎は、そもそも存在の基盤が違うのですから、大括りの法制では、対処出来ない側面があるのですよ。それを一つの法制で、平均化しようとしても、殆ど効果的とは言えないのですよ。もっと地方の実情を的確に把握して、綿密に、丁寧にやらなくてはならないのですよ。

都会に田舎の要素を取り入れ、田舎に都会の要素を取り入れて、平均化して、一件落着とは行かないのですよ。

何でも数値化して、その比べっこで事態を処理しようとする方法が、根本的に可笑しいのですよ。

東京都内の大学の学生定員を削減して、地方の大学への入学者を増加させようなんて言う、姑息な目先の数値の平均化のような対策では、話にならないのですよ。学問・教育と都会・田舎の格差是正は、まったく次元の異なる問題でしょう。意味不明ですな。

九州四国中国近畿・中部・東海・関東・甲信越・東北・北海道を一括りにしようとしたって、所詮、意味が無いのですよ。

人間社会において、片や100、片や0の状況を、これを平均化して、50と50と言う状況にすれば、双方同じ同じ、平等だ、目出たし目出たしと落ち着くと思うのですか。双方に不満が発生するだけですよ。

トントン ゴリゴリ。

要するに、地方行政についても、現行のシステムでは、対処することが、難しい状態になっているのですよ。したがって、抜本的な改革が必要となっていますなー。

それには、まずは、行政区の変革が必要です。

かなり以前から検討はされて来ているのでしょうが、現在よりは所轄域を広げた広域所轄の行政区に直すことが、必要のようですね。

行政所轄の広域化は、そうすれば、そうするで新たな課題が横たわることは、当然ですが。それはそれで、対策を講ずる外ないのですよ。

要は、日本全体で、今より良くなるか、悪くなってしまうか、が問題なのですよ。

仮に「邦州制」と仮称するとして、現在の都道府県よりは、はるかに広い領域を単位とする行政区に改めることが望ましいのではなかろうか、と思われます。

すなわち、現在の地方・地域行政は、現実的に複雑で、重複的な無駄なシステムとなっておりますので、これをできるだけスッキリした構造に直すことが、大事ではないのか、と言うことです。

トントン ゴリゴリ。

地方・地域の行政は、狭くは、まず市町村レベルで行われる仕組みですな。

しかし、市町村の持つ課題を、市町村だけで処理できるか、と言うと、今の日本の状態は、そんな単純なことでは、処理出来ない状況となってますよ。

そこで、市町村の課題は、都道府県に持ち込まれるわけです。

ところが、都道府県でも処理出来なければ、国へ送らなければならなくなるのですよ。

一つの問題の処理が、実に、三階建ての構造になっているのですわ。

このシステムでは、とにかく緊急の課題の処理は、困難を極めることになりますな。

朝飯が、夕飯時になっても、食べられ無い事態なのですよ。早急に、何とかしなくてはなりませんね。

「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。

国の政策として行おうとする政策が、都道府県に送られ、さらに、都道府県から市町村へと送られ、実施となる。この間、国会で長時間もたつき、さらに、都道府県議会でもたつき、加えて市町村会議でもたつくのですから、大体、実際に実施される頃には、料理に譬えれば、もう、すっかり腐ってしまっていて、いまさら食べられる代物では無くなってしまう恐れが、十分にあるのですよ。

ですから、地方行政は、せめて二階建てで処理出来るシステムを導入した方が良いのですよ。

「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。

トントン ゴリゴリ。

そのためには、国をはずす分けには参らないでしょうから、都道府県市町村の機能を一体化した構造を考えるよりありませんな。

とっさの思い付きで恐縮でありますが、人口と地域的面積を塩梅して、この都道府県市町村の機能を合わせた地方行政体を新たに考えると言うことになりますな。

この新設地方自治体を、仮に「州」として全国を区分し、すなわち、例えば10州を置いて、地方の問題は、各州で議論し、処理する。

また、必要に応じて、その結果を、この連合州議会に持ち上げて、議論して決議し、現行の市町村をその実施機関と位置づけて、活用するとすればどうであろうか。

地方の課題は、連合州議会議論し、結論を導き、必要とあらば、これを国会に押し上げて、処理する方式がいいのではないか。

要は、現行の国会議員は、選出された地域の紐付きで、国政に臨まなくてはならない性格を有しているのですが、これから解き放なたれ、国会議員は、選出母体の地域事情を気にしないで、あくまでも国レベルの判断をし易い存在にする、と言うことですよ。

そして、地方のことは、地方を熟視している「州」に任せ、徹底してもらう方が、機能的であり、構造的にスッキリすると言うものです。

しかし、現職の議員さんは、こと選挙については、自己の選挙基盤の変更など、とんでもない。党利党略、私利私欲に徹していますからね。

聞く耳もつか。と言う、状況ですな。

しかし、そこを改め、「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。

トントン ゴリゴリ。

ところで、もしも、もしもですよ。ここ迄読み続けてくれたお方がおられるとすれば、さぞかしお疲れのことでしょうな。お察し申し上げます。

きっと、さっさと止めろよ。「早くしないと」ダメだ、ちゅーの。と言う心境でしょうな。

と言うことで、まだまだ、ネタは尽きないのですが、今日はこの辺りで、打ち止めと致します。

どうです。目一杯、アホくさい、バカバカしい、クダラない話でしたでしょう。

ただし、ヒマ潰しにはなったでしょう。目的達成。

 

またのお越しをお待ちしております。

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》79

「「日比憐休独偏記」14

 

今でしょ!

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

とにかく、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れないように、極力配慮して、参らなければならないのですよ。

ところで、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。

まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けで御座います。

極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。

ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。

おそらく、すぐに、飽きてしまいますから。

但し、腹の立つことの素を入れた場合には、注意して下さいよ。

頭に来たあまり、ついつい力が入りすぎて、スリバチを壊してしまう恐れが御座いますから、ほどほどがよう御座いますよ。

スリコギを振り回して、手当たり次第に、周囲に当たりちらしては、いけませんよ。

どうぞお気をつけ下さいませ。

さて、本日のヒマの素は「今でしょ!」で参りたいと思います。

サー、ヒマの素「今でしょ!」をスリバチに放り込みますよ。

今日は、ストレートで放り込みますよ。

さー、いきますよ。

今日も、大谷投手頼みますよ。160キロで、ビューン!

ウワーッ! スリバチが、コナゴナになっちまったー。

これでは、とてもトントン ゴリゴリは、出来まへんわ。

よって、本日のトントン ゴリゴリは取りやめです。

またのお越しを。

てなわけで、今日は、本題に入る以前に、終りになっちゃいました。

と言うわけには参りませんよ。

これでは、本来の目的であるヒマ潰しが出来ませんから。

しかし、ヒマ潰しが出来きないわけは御座いませんですよ。

壊れたスリバチの破片を拾い集めて、接着剤でくっつけるのですよ。

ジグソー、壊れスリバチ。

これは、手間ひま掛かりまっせー。

ヒマ潰しには、もってこい。

アホかー、ってですか。

そのとーり、アホですねん。

このような時は、実に、大阪弁はよーおますなー。

ホンマに、おさまりがいいんと、ちゃいまっかー。

ここでの話は、アホくさい、バカバカしい、クダラないが、最も重要な要素なのですから、この路線から逸れてはダメなのですよ。

思いっきり、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言うのでなければね。

どこを切っても、アホくさい、バカバカしい、クダラないの金太郎アメ。これでなくてはならないのですよ。

さー、半日掛けて、壊れたスリバチが直ったと致しましょー。

多少いびつになっていますが、細かいことは気にせず、行きますよ。

それでは、本日のヒマの素「今でしょ!」を放り込みますよ。

もー、大谷投手の160キロは、いけませんよ。また、スリバチが壊れてしまいますから。

と言うので、今回は、期待されていない私が投げさせて頂きます。

いくぜー。ポイ、コロン。

時速3キロ。年寄りの歩ける早さです。

迫力ねーなー。

老人になると、せいぜいこんなものですって。

なさけねェー!

トントン ゴリゴリ。

ところで、皆さん、日々如何お過ごしで御座いましょうか。

楽しくお過ごしでいらっしゃいますか。

と言われましても、楽しい日もあれば、不快な日もある、と言うのが実情でしょうなー。

その楽しさも、十人十色、100人いれば、それぞれ100の楽しみ方があるのでしょうな。

それでは、楽しみとは、何だ? 

なんて、仕様もなし話になりますと、今さら、下らねェー、と思われるでしょうが、ここでは、この下ならさが大事なのですよ。

先に申し上げましたように、ここでの話は、アホくさい、バカバカしい、クダラないと、言うのでなければならないのですよ。

なんでや。と言われますと、そんなこと決まってるではないですか。

立派な、意義深い話は、難しくて出来ないからですよ。

出来ないことは、結論的に、出来ないのですよ。

出来ない事は、出来ない。判り易い論理ですなー。

トントン ゴリゴリ。

ところが、クダラねェー話は、さほど難しくはないのですよ。

ヒマ潰しに、ちょちょっと、出来ちゃうのですよ。

そんなわけで、何の為にもならない、もっぱらアホくさい、バカバカしい、クダラない話を選んで行きますよ。

てなわけで、楽しみとは何だ? なんて、今さら青臭い話題を持ち出すはめに相成ると言うわけですわ。

これだって、しっかり絞れば、ひょっとすれば、青汁の一滴くらいは、出るかも知れませんよ。

トントン ゴリゴリ。

さて、一口に、楽しみと申しましても、色々でしょうな。

十人十色、百人九十九色。

なんだ、この中途半端な数は。一色は、どうした、ってですか。

大体、100人も寄れば、一人くらいは、どっかへ行っちゃうヤツがいるではありませんか。これが現実と言うものですよ。

とにかく色々あると言うことですよ。

それでは、どんな楽しみがあるのだ、と言って、一人一人の楽しみを拾っていこうとすると、さすがに、気が遠ーくなちゃいますな。

如何にヒマ潰しと申せ、そんなことやってらんないですよ。

まー、やりたいお方は、やってみたら良いでしょうが。

トントン ゴリゴリ。

そこで、大体のところで、多くの方々が、楽しいなーと感ずるのはどんなことかなー、などと逃げ道を捜すのですよ。

そうするとですね。多くの人々が、楽しいと思う共通のことは、これも人それぞれですから、幾つもあるとは思われますが、その有力な一つに、好きな事と言うのがあるようなのですよ。

大体、やってて楽しいな、と思う事は、その人が好きなことのようですよ。

たとえ、他の人がそんなこと、どこがオモシレーのだ、なんて思われることでも、やってる当人が、その事が大好きならば、それをやることが楽しくて仕様がないのですよ。

このことも、誰でも知ってることですよ。

今さら、わざわざ言う程のことではありませんな。

トントン ゴリゴリ。

ここで、矛先をちょっと、ずらしてみることにしますよ。

すなわち、好きなことをすれば楽しく過ごせる、ということに「時」の概念をブラスしてみたら、どうなるでしょうね。

好きな事をして楽しむのは、何時でしょう。

ようやく、ここで、本日のヒマの素「今でしょ!」と巡り合う事ができるのですよ。

楽しい事はとか、好きな事などと言うことに、はまってしまっては、この先どうなるのかと、一時は、ひやっとしていたのですよ。実は。

好きなことをして楽しく過ごすのは、何時ですか。

今でしょ!

こう来なくては、行く先を失ってしまうのですよ。

今でしょ!」「今でしょ!」と来なくてはね。

トントン ゴリゴリ。

言わんとするところは、「楽しむのは、“今でしょ!”」と言うのが、まさに、現在の日本社会の特質ではなかろうか、と思われるふしがあるのですよ。

人間、生きて行く上で、楽しいことが無くてはたまんないですよね。

では、何時、楽しむのだと言うと、「今でしょ!」と言うことになるのですよ。

と言うことで、現在を生きている大多数の方々は、「楽しむのは、“今でしょ!”」と言う生き方を望んでいるようですなー。

トントン ゴリゴリ。

ご存知のとおり、「今でしょ!」の元祖は、林先生ですよ。

今は、すっかりテレビタレントになってしまったようですが。

林先生のおっしゃる「今でしょ!」は、たとえば、楽しく生きて行くと言うことに関連させれば、元来は、「楽しむのは、“今でしょ!”」と言うことでは無かったようですなー。

将来、より良い生活をしたい。楽に過ごしたい。そのような事を実現するには、希望する一流大学を卒業しておいた方が良い。

いきなり卒業はできないから、その前に一流大学に入学しなければならない。そのためには、その大学の入試に合格しなければならない。そのためには、一所懸命勉強しなくてはいけませんよ。

何時勉強するのですか。

ここで、「今でしょ!」と来る訳ですよ。

だから、将来の楽しみを得る為には、苦しいかも知れないが、今現在頑張っておかなくてはなりませんよ、と言う事なのですよ。

と言うことは、将来を期しての「今でしょ!」ということになるのですよ。

これを、ここでは、「将来的“今でしょ!”」と言う事にしましょう。

これに対して、楽しい将来にありつけるか否かは、何ら保障はない。だから、今現在が楽しく無ければならないのだ、と言う「今でしょ!」と言うのがあるのですよ。これを、ここでは「現今的“今でしょ!”」と言う事にしましょう。

トントン ゴリゴリ。

すなわち、楽しく過ごすと言う事に関連する「今でしょ!」には、「現今的“今でしょ!”」と「将来的“今でしょ!”」と言うのがあるのですよ。

そこで、話を戻せば、現在社会の特質は、と言うと、まさに、「現今的“今でしょ!”」と言うのが、主流になっているのではなかろうか、と思われるのですよ。

要するに、楽しく過ごすのは、「今でしょ!」「今でしょ!」と言う傾向が、すこぶる強くなっているのではないのか、と言うことなのですよ。

早い話が、キリギリス的指向ということで、アリさんは「将来的“今でしょ!”」を行い、キリギリスさんは、「現今的“今でしょ!”」を行っている、と言うことなのですよ。

まさに、現今的には、キリギリスさんの方が、楽しく過ごしているのですよ。しかし、この傾向が社会的に強くなりすぎると、色々と問題が発生してくる、と言うわけでして。ここが厄介なところですなー。

社会的には、少子化が大きな問題となっています。

よく取り上げられていることは、年々出生率が低下している現実が取り上げられていますなー。随分以前から指摘され続けていますなー。

この出生率の低下の理由は、なかなか複雑のようですよ。

要するに、簡単化して言えば、夫婦があまり子供をつくらなくなった、と言うことなのでしょうな。

その理由は、色々でしょうが、子育てが難儀だ、と言う事情が考えられているようですな。

その理由は、まずは、子育てにはお金がかかる、と言う問題、すなわと、家庭の経済的要因が挙げられる、と言う事です。

子供をもうけ、一人前に育てるには、ずいぶんお金が掛かりますよ。言う迄もない事です。

そのためのお金が、不足している。ために、子供をつくれない、あるいは、少人数しかつくれない。と言う現実が、ありますな。

これは、経済的に子育てに困らない状況になれば、今よりは出生率が、向上するのではないか、と言うことが期待されますな。

しかし、出生率が低下している原因は、こうした家庭の経済的な理由ばかりでは無いようですな。

ここで、問題としてあるのは、楽しく過ごすのは「現今的“今でしょ!”」の考え方が関わっているのでは無いのでしょうか。

端的に言えば、結婚、出産、子育てより、楽しく過ごすための「現今的“今でしょ!”」の生き方があっても良いじゃありませんか。と言う方向への指向ですなー。

たしかに、結婚、出産、育児、教育と言う活動は、並大抵の事ではありませんよ。新たな生命を創出し、それを育てて、一人前にしなくてはならないのですから。

特に、生命の創出、その成長の世話については、母親の大きな役割が、最初から横たわっています。父親も、役割を分担するでしょうが、一般的に、それは、母親の比ではないでしょう。

子供を産み、オッパイを与えて子供を育てる仕事は、いくら優秀な男性だって、できっこないのです。たとえ東大京大を主席で卒業し、ノーベル賞を受賞したって、男には、子供を産み、オッパイを与えて育てる事は、出来ないのですよ。たとえ、あのIPS細胞の中山先生だって。

まてよ。ノーベル賞ならできるかな??? ン! まさかねー。

その点、女性はスゴイですよ。東大京大を出なくったって、ノーベル賞をとらなくたって、子供を産み、オッパイを与えて、創出した命を一人前にする能力を持っているのだから。

しかし、このような能力を有しているとはいえ、20~30代の若くて、元気な時期に、結婚、出産、子育てなんかしているよりも、もっと、自分のしたい事をしておきたい、と言う、「現今的“今でしょ”」に楽しみを求める人が、以前より多くなっている傾向が強いのではないのでしょうか。

これは、個人の生き方の問題ですから、良い、悪いと言う事ではありませんね。

もっとも、人間全部がこのようになったら、人類は滅亡しますが。

しかし、これは極端な例であって、現実がそうならないことは、誰でも知ってますよね。

すなわち、一方、結婚、出産、子育を楽しみにしている人は、比率の上からすると、圧倒的に多いでしょう。

もー、疲れきっている夜中に限って、ギャーギャー泣きわめかれると、我が子とは申せ、○○○○と、思うことも、しょっちゅうあるかも知れませんが、

それを乗り越えて、頑張って良い子に育った時には、まさに、頑張った自分を褒めてやりたい、と言う充実感をもって、満足し、幸せ感を味わうことは、この上ない楽しい事ではないか、と言うのが「将来的“今でしょ!”」の立場の方々が、多くいらっしゃるのでしょうね。

「現今的“今でしょ”」と「将来的“今でしょ!”」は、どちらがどうだ、となると、それは各個人の問題であって、他人がとやかく口出しすべき事では、ないのでしょうね。

ところが、政府与党、あるいは野党をも含めて、国会議員さん達は、違いますよ。

少子化国難だ」と言ってますからね。

手っ取り早く、判りよく言ってしまえば、女性が子供を生まないことは、国難、すなわち、国にとっては危機だ、災だ、と言っているのですよ。

極めて、大胆な事をおっしゃるものと、呆気にとられるばかりですな。

育児、教育費を増加させるから、子供を多く生みなさい、と言う政策のようですよ。

この発想が、何ともねェー。

もう一方の国難高齢化の対策として、若い働き手人口を増やす必要がある。もっと判り易く言えば、高齢者に対する年金政策は、既に、にっちもさっちも見通しが立たない状況に陥ってしまっている。

唯一、期待できることは、女性に沢山子供を生んでもらい、その子に、将来の年金負担者なってもらおうではないか、と言うことのようで、何とも姑息な対策ですよ。

こんな、政策に、育児・教育費をほんの僅かばかり増加させたぐらいで、女性がより多く子供を産んでくれる状況となると、思っているのですかね。

こんなことで、彼らの言う国難を凌げると、思っているのでしょうかね。

トントン ゴリゴリ。

育児・教育費の増加政策は、結婚をせず、結婚をしても子供をつくらず、今を楽しむ方を大事にしたい、と言う生き方を指向する「現今的“今でしょ”」の立場をとる人々には、何ら関係がありませんな。

あるとすれば、育児・教育費の増加に当てる費用がより多く必要となり、その確保の為に、より多くの税金を集めなくてはならなくなるのは、明白なことで、税金がさらに重くなるであろうと言う心配だけですよ。

微弱ながら関わりがあるかも知れないと想定されるのは、経済的要因で子供をつくれない状態にある夫婦ですよ。

しかし、この程度の施策で、子供をつくれますか、っちゅーの、と言う思いが先立ちますよ。

経済的要因で、子供をつくりたくとも、つくれないでいる夫婦に対しては、もっと、もっと、大胆な支援策を施さなくては、問題の打開は、難しいように、思いますね。

トントン ゴリゴリ。

たとえば、極めて判り易い例を言えば、出産して義務教育就学以前の期間には、子供一人当たり、月々20万円を支援します。さらに、義務教育修了までの期間には、10万円を支給します、となれば、あるいは、子供をつくっても大丈夫と言う経済的な状況になるかも知れませんがね。

要するに、少子高齢化は、“国難”だなんて言うのなら、子供を産み、育てる仕事は、国家的仕事である、と認識を改め、その仕事にあたる人には、国家が責任を持って、生活を保障すると言う施策をとらなくてはダメですよ。

出産・子育ては、国家の仕事、その仕事の従事者に、国家が手当を支払うのは、まったく当たり前のことぐらいの意識改革をしなければ、少子化に歯止めなんぞ掛けられませんよ。

わずかばかりの育児・教育費を増加させたぐらいで、彼らの言う少子高齢化の難題を解決できる分けがありませんよ。

大体において、高齢者に対する年金対策のために、働き手人口を増加させたい、なんて言う姑息な、狭小な根性では、高齢化の問題はおろか、社会そのものの維持が破綻してしまうではないですか。

働き手が不足して、にっちもさっちも行かなくなる現実に突入しているではないですか。

トントン ゴリゴリ。

本当に、今度の育児・教育費の増加で、将来の年金負担者が賄えるとお思いなのでしょうかね。代議士さん達は。

本当は、そんなことは、代議士先生達だって、誰もお思いでは無いでしょうね。

誰が見ても、まったく明らかなことだからね。

それが、なぜ抜本的な対策を施さないのか、と言えば、それは、現職代議士さんの基本姿勢が、「現今的“今でしょ!”」だからですよ。きっと。

長い先の、「将来的“今でしょ!”」の立場には、中々なれないからなのではないのでしょうか。

誰しもご承知のとおり、衆議院議員の任期は、4年です。しかし、大抵の場合は、総理与党の都合で、任期を待たずに解散してしまうから、実際の任期は、4年ないのが、通例です。

その先に待っているのは、国政選挙ですよ。

代議士先生が最も気をもむ選挙が控えていねのですよ。

ひょっとして、落選したら・・・・・。と言う不安が常に存在しているようですな。

従って、現職衆議院議員は、基本的には、4年未満の周期で政策を考える性癖がある訳です。

そして、現職代議士の活動は、次回の国政選挙で当選することが、第一の目的となっていますから、その政策は、次の選挙対策として出てくるものが、ほとんどなのですよ。

トントン ゴリゴリ。

すなわち、ここで出て来る政策は、まさに「現今的“今でしょ!”」の性格が強いものばかりで、長期的将来を見据えた政策は、まず、出てはきません。

実に、足下の政策しか出てこないのですよ。

入口良かれ、出口は後世で考えろ、と言う「現今的“今でしょ!”」の政策しか出てこないのですよ。

毎年の予算政策がそうですね。

有権者は、このような要求をしているぞ。

よし、やってやろう、やってやろう。

ところが、おっ、財源が足りない。

かまうものか、借金すれば良いではないか。

返済はどうするの。

そんなの後世の人が処理すれば、いいことだよ。

これで、次回の選挙は、まず、大丈夫だな。

なんてね。

有権者も、目先の楽しみが確保されて、目出たし、目出たし状態でんなー。

因に、借金は、現職代議士が背負っているのでは御座いませんよ。

代議士は、借金を返そうと言う立場にはいませんから。

全部、国民が背負っているのですよ。

トントン ゴリゴリ。

過去、最大の「現今的“今でしょ!”」政策は、言わずと知れた、原発の多設ですよ。

経済の足下が暗いぞ。

明るくするためには、電気が必要だ。

原発をどんどん造るぞ。

造った、造った。

どうだ、足下が明るくなったろう。

ところで、原発は故障したりしないのか。

原発は、故障しないの。絶対壊れたりしないの。

ところが、東北大地震発生。大津波到来。福島原発直撃。

原発、無惨に壊れたー。

想定外、想定外。

取り敢えず、原発稼働停止や。

足下、暗ーなってきたな。

そーだ。既存の原発が残っているではないか。

あるもん使わんのも損やなー。大金投じて造ったんやから。

とりあえず、整備、点検して、つこたらどうや。

そうしょう。そうしょう。

ほら、足下幾分明るくなったろー。

てなわけで、次々に、原発稼働開始。

核燃料の廃棄物は、どうするの。

後世で、処理すりゃ良いがな。

なんたって、今、現今が大事なんやから。

現今、ファースト。「現今的“今でしょ!”」!

となるわけですわ。

トントン ゴリゴリ。

北朝鮮が、弾道ミサイルを飛ばしてよこすかもしれないぞ。

イージス艦PAC3を増強しなくては。航空母艦の機能を持つ艦船もあった方がいいな。

よし、この方向で予算を増加しよう。

増加するのは、「今でしょ!」。

しかし、それくらいの装備で、本当にミサイルを防げると思っているの。

防げるわけないじゃん。そんなこと、鼻から判ってるよ。

しかし、アメリカから、そのような軍事機器を買ってやらないと、いざ、と言う時に、アメリカが助けてくれなくなる恐れがあるんだよ。

だから、買わなきゃならない分けよ。

ところで、本当に北朝鮮が日本に、弾道ミサイルを打ち込んでくるのかい。

そんなこと、判る訳ないよ。

もし、飛ばして来なかったら、莫大な経費を投じて設備した機器は、どうなるの。多大な維持費がかさむよ。必要なくなるのに。

そんなことは、後世になってから、処理すれば良いの。

大事なのは、「現今的“今でしょ!”」。

設備を整える方向さえ見せておけば、総理お得意の「日本国民の生命と財産を守ることに、万全を期している」と言う声明を出せるのだから。

「現今的“今でしょ!”」が、国会議員にとって。最も大事なの。

トントン ゴリゴリ。

要するに、例えば、将来を見据えた抜本的政策を展開するためには、まずはそのための財源を見出さなくてはならない、現実があるのですよ。

これには、根本的な税制改革が必要なわけですが、現職国会議員さんには、そのような能力がなく、取り敢えずは、次回の選挙に役立つ政策最優先で、将来の社会立て直しに必要な、根本的な税制改革などに、下手に手出ししようものなら、次回の選挙で落選してしまう、政権の座につけはしない、と言う心配が先立つ状況なのでしょうなー。

てなわけで、「現今的“今でしょ!”」が大手を振って、まかり通っているのが、現在の日本社会の特質ですわ。

とにかく、大衆の多くは、「現今的“今でしょ!”」の状態ですからね。

呼応して、国会議員さんらも、とにかく、選挙で当選しなければ、はじまりませんわ。

と言うことで、選挙に強い、「現今的“今でしょ!”」的政策を掲げて、足下の政策を展開し、「現今的“今でしょ!”」の大衆を満足させる、と言う実情のようですな。

肝心な事は、手を着けず、ぜーんぶ後回しですわ。

トントン ゴリゴリ。

このような国会議員ばかりでは、まったく将来が心配ですなー。

将来は、将来の人々が考えて、処理すれば良い事ではネーの、ってですか。

「現今的“今でしょ!”」に、徹底してますな。

しかし、国の負債原発の処理なんざー、100年、200年かかったって、既に、出来っこない事態ですよ。

とにかく、どんな難題であろうと、結果的には、どうにかはなるのですよ。ただし、良いか、悪いか、と言う事態の違いがあるだけですよ。

結局は、悪い事態になった場合、その時代人は、運悪くとんでもない時代に行き会わせたものだ、となるわけですよ。

決して、自分たちのせいだとは、思わないでしょうね。

こんな事にしたのは、紛れもなく、「現今的“今でしょ!”」で生きていた先人達なのだから。

トントン ゴリゴリ。

国の負債は、徳政(借金をチャラにすること)を断行すれば、数字的には、サッパリ奇麗になるでしょうね。

しかし、その結果は、知った事ではなくなりますなー。きっと。

少しでも、うまくやろうというのならば、その時と範囲をどう調整するか、ぐらいでしょうかね。

日銀が、相当国債を買いあさっているから、日銀の持つ国債を徳政するか。

何時の日にか、徳政をやらなくてはならない、将来が待ち構えて、いるのではないでしょうか。

原発だって、早晩、壊れて使い物にならない時が、必ずやって来ます。ものがものだけに、始末におえないことですよ。

始末するにも、その経費が莫大でしょうからね。既に、財政は破綻状況となっているのですから。

働き手人口は減退の一途ですから、生産が上がらない状況ですよ。きっと。

AIロボットを駆使しても、国民全体の生命と財産を守り、維持できる状況は、期待薄でしょうな。

さしずめ、原発・核のゴミは、現在ある所で、持ち続けなければなりませんな。とにかく、引き取り手がないのだから。

貴方の街に、核のゴミを持って来て、保管する根性が御座いますか。

行く宛が無い限り、現状維持するより方法は御座いませんよ。

トントン ゴリゴリ。

このような難題の対策は、直ちに取り組まなくては、それこそ近い将来に、大変な事態になる可能性がすこぶる大なのですよ。

しかし、現今の社会の態勢は、楽しみは「現今的“今でしょ!”」ですから、なんともねー。

どうしたものでしょうか。

大胆な意識の転換を図るよりないのでしょうなー。

どこから手を着ければ良いか、と言うことになりますが、まずは、有権者自身とそれに選ばれる国会議員さん、および官僚の皆さん、早い話が、国民全体の意識改革と言う事でしょうかね。

難しいことですよ。きっと。

「現今的“今でしょ”」から「将来的“今でしょ!”」への転換と言うことになりますなー。

人間、生きているのは今現在ですからね。今現在がとにかく最優先的に大事なのですよ。これは、良い、悪いの問題ではありません。

事実、現実なのですよ。

ですから、結局は、「現今的“今でしょ!”」を保持しつつ、「将来的“今でしょ!”」の要素も今よりは多く取り込んで行く、その方向を意識して、生きる外手はないようですな。

要は、「現今的“今でしょ!”」と「将来的“今でしょ!”」のバランスを考えようと言うことですわ。

現在は、かなり「現今的“今でしょ!”」に傾いているように思われますので、この点の改革があった方が、良いのではないかなー、と言うように感じているわけですよ。

トントン ゴリゴリ。

そのためには、まずは、ちゃんとした人格者を、国会に送り込むことが、早急に、必要とされるのではないでしょうか。

そのためには、どうしたら良いのか、と言うと、ちゃんとした人格者国会に送り込むことが可能な選挙制度を採用する必要があるのではないでしょうか。

現行の選挙制度では、「現今的“今でしょ!”」の坩堝から脱出するのは、無理のように思われます。

ちゃんとした、将来像を持った方にお出まし願いたいと思う次第なのですよ。

トントン ゴリゴリも、この手の話になってしまうと、疲れますなー。

すっかり、草臥れちゃったので、続きは、日を改めてしたいと思います。

お疲れ樣でございました。

でも、話の目的は、達せられた気がします。

最も、アホくさい、バカバカしい、クダラない話だったか?

だった、だった。

ヒマ潰しになったか?

なった、なった。

一応、目的達成。では、お手を拝借。シャン、シャン、シャン。と。

こんなアホくさい、バカバカしい、クダラない話でヒマ潰しを出来るのは、

今でしょ!

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》78

「日比憐休独偏記」13

 

「アア 長寿!」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

とにかく、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れないように、極力配慮して、参らなければならないのですよ。

ところで、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。

まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けで御座います。

極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。

ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。

おそらく、すぐに、飽きてしまいますから。

但し、腹の立つことの素を入れた場合には、注意して下さいよ。

頭に来たあまり、ついつい力が入りすぎて、スリバチを壊してしまう恐れが御座いますから、ほどほどがよう御座いますよ。

スリコギを振り回して、手当たり次第に、周囲に当たりちらしては、いけませんよ。

どうぞお気をつけ下さいませ。

さて、本日のヒマの素は「アア 長寿!」で参りたいと思います。

サー、ヒマの素「アア 長寿!」をスリバチに放り込みますよ。

今日は、ストレートで放り込みますよ。

さー、いきますよ。

大谷投手。160キロで、ビューン!

野球の場合は、160キロだすのは、そりゃー、テーへんですよ。

しかし、口で言う場合は、160キロだろうが、1,600キロだろうが、16,000キロだろうが、1億6千万キロだろうが、でまかせですから、なんぼでも、簡単にでますよ。

ただ、ウソっぽいだけの話ですから。

今日は、大サービスで、いっちょう、1兆6千億キロでいきますか。

どんな早さだ。

トントン ゴリゴリ。

アホ臭いこと言ってんじゃネー、ってですか。

勘違いなさらないで下さいよ。

ここでの話は、アホくさい、バカバカしい、クダラないが、最も重要な要素なのですから、この路線から逸れてはダメなのですよ。

思いっきり、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言うのでなければね。

どこを切っても、アホくさい、バカバカしい、クダラないの金太郎アメ。これでなくてはならないのですよ。

しかしですね。これはこれで、中々厄介なのですよ。

事と次第で、ついついマジメになっちゃったりしちゃう場合があるのですよ。

そっちへ行っちゃったら、どこで落すかが、もー、大変になるのですから。

毎晩、寝ながら眠らないで、考えなくてはならなくなるのですよ。

うまいこと、落とし所を思い付きましてね。これで、漸く眠りにつけるのですよ。

ところが、世の中、そうそう上手くは参りませんよ。

翌朝、目覚めたら、コロッと忘れちゃってるのですよ。

思い出すのに四苦八苦。

もー、その一日が、スッキリしなくてねー。

もー、脳神経のどこかに、崖崩れで、通行不能の箇所が発生したようで、まー、スッキリしないのですよ。

結局、その日は、もやもやして、夜を待たなくては、ならなくなっちゃうのですよ。

またまた、寝ながら眠らずに、考えなくては、ならなくなるのですよ。

これを何日か繰り返えして御覧なさい、ちゅーの。

もー、何日繰り返したかも、判らなくなっちゃいますから。

ヒマ潰しとは言え、中々どうして、大変なのですよ。

ヒマだなんて、言ってらんなくなっちゃいますから。

もー、ヒマ潰しに忙しくって、ヒマだなんて言ってらんなくなっちゃうのですよ。もー、大忙し。

なんたって、しょせんヒマなんですから、こんな事言ってられるのですよ。

トントン ゴリゴリ。

さーて、1兆6千億キロのスヒードで、ヒマの素を、スリバチめがけて、放り込みましたよ。

素が「アア 長寿!」だからいいものの、これが「長寿の人」を放り込もうものなら、スリバチがコッパ微塵ですよ。

エッ! スリバチではなく、「長寿の人」の方を心配しろってですか。

失礼致しました。御尤もで御座います。申し訳ございません。

1兆6千億キロのスヒードで、ヒマの素「アア 長寿!」を、スリバチめがけて、放り込みました。

さー、トントン ゴリゴリ。

ところで、皆さん。日々、長生きに励んでいらっしゃいますか?

長生きこそ、人生で最も大事な事ですよ。

どうして? などと言う疑問は、一切不要ですよ。

とにかく、四の五の言わず、途中で落命することなく、一秒でも長生きをすることが、人生において、最も大切なことなのですよ。

なんと言われようが、これより大切なものは、御座いませんよ。

一度、落命しようものなら、もー取り返しがつきませんから。それで一巻のお終いですからね。注意しなくてはいけませんよ。

人類が、いや生命を持っているもの全ての最大の仕事は、元気で長生き、と言うことのようですなー。

迂闊に、ウッカリ死んだりしてはいけませんよ。こればかりは、ぜってー取り返しがつきませんから。

トントン ゴリゴリ。

生きると言うことは? とか、どう生きるべきか? などと、やたら小難しいことを論じたがる方が、いらっしゃいますなー。

それは、それで良いのですよ。その方の信ずるところを主張することは、なんら悪い事ではございませんからねー。どんどん論じて頂きましょう。

中々薀蓄のある、はたまた、小難しいことを論じられる方もおられますなー。

結構な事で御座いますよ。やって下さい。やって下さいませ。

トントン ゴリゴリ。

ところがですよ。

さー、みなさん。私の論じたとおりに、生きるように、と主張されるとなれば、途端に、話は別になることが、御座いますよ。

おいおい、ちょっと待ってくれー。と言いたくなる場合がありますよ。

貴方のお持ちになられている能力と、貴方のお育ちになられた環境と、私の持つ能力とおかれている環境は、まったく違うのですよ。それを取っ払って、このように生きなさい。

きっと、有意義な人生となり、満足が得られますから。などと言われましてもね。

そりやー、貴方はノーベル賞をおとりになられた、頭脳明晰なスゴイお方かも知れませんが、こっちとらー、ノーベル飴をしゃぶりながら、終日ヒマ潰ししなければならない環境におかれているのですよ。しょせん、アキマヘンわ。

トントン ゴリゴリ。

どのように生きたら良いか、などと言う事は、例えば、お釈迦様がとっても、尊いことをお教え下さっているようですなー。

釈迦様は、そりゃーたいそう立派なことをお教え下さったと、聞いています。

たとえば、煩悩を捨て去りなさい。そうすれば悩まずに生きていけますよ、なんてね。

人間誰しも、色々な欲望・願望を持っているものらしいですな。

色々な願望を持っていて、それが叶うと、人は満足し、その時に幸福を感ずるのでしょうな。

しかし、中々叶わないと、不満がふくらみ、なんて不幸なのかと、嘆き悩んでしまうようですな。

中には、私は、欲望を持たないように心がけています、とおっしゃっておられるお方がお有りかも知れませんが、「欲望を持たないように心がける」と言うこと自体が、一つの欲望では御座いませんか、っちゅーの。

トントン ゴリゴリ。

 

折しも、受験・入試のシーズンですな。

受験生は、よりレベルの高い大学に、自分の希望することが出来る大学に、などと、そりゃー、もー、生まれて以来、その方向に向かって、脇目もふらず、受験戦争をまっしぐら、頑張りに頑張って来た人も多いことでしょうね。

自分の意志ではなく、気がついたら、つかなくても、そのような環境に置かれていた、なんてね。

遊びは一切我慢して、睡眠時間を削り、もー、不幸のドン底のような状況下におかれて、苦しい思いを続けて来た人が多いのでしょうね。

そのより良い大学合格の欲求が、かなった時には、やったぜー、ちゅうもんで、大満足かも知れませんね。

しかし、努力の甲斐むなしく、かなわなかった場合は、悲惨ですなー。

これ迄の努力・頑張りは何だったのだ。アー! と言う事になってしまう場合もあるでしょうなー。

釈迦様、曰く。

そのような一流大学に合格したい、と言うような欲望を持たなければ、受験戦争に苦しむこともなく、不合格となって、落胆しなくて済むものを、と。

実際に、お釈迦様が、そのような趣旨の事をおっしゃられたかどうかは、わたしゃー、直接聞いたことは御座いませんが、煩悩を捨てなさい、と言うような事をお説きになられたように、承っております。

トントン ゴリゴリ。

長寿に関しても、皆が長生きしたいと願うことは、これも一つの煩悩では無いのでしょうか。

長生きしたい。どのようにしたら、長生きできるかと、と言うことは、もー、古今東西、世界をあげて、毎日毎日、取り組んで来たことすよ。

もー、世の中、病気・怪我等にはこのように対処しましょう。

病院、薬品、治療法等など、はたまた、健康を維持するためには・・・。

衣・食・住、それはそれは種々様々、これが効くー、これが良いー、と言う情報が、メディアをはじめ、世の中総揚げで、元気で長生きできるようにと、頑張ってますよ。

政治、経済、文化等々にわたって、健康で長生きにつながる弛まない努力が、続けられているのですよ。

このような努力によって、とにかく寿命が伸びていますなー。

ひと昔まえには、人生50年と言われておりましたが、今や、80年ですよ。

先日の新聞には、『人間は死なない』と言う出版物の広告が出ていましたよ。怪我をしようが、病気になろうが、歳をとろうが、食料が無くなくなろうが、人間は死なないのですかねー。

人間、死ななかったら、それはそれは、どえらいことになりますよ。地球上、どこへ行っても、人だらけ。もー、地球から、あふれでて、宇宙に向かって、限りなく進出しちゃいますよ。

ロケット人工衛星なんて言う面倒なものは不必要ですよ。人間、単体でどんどん宇宙遊泳するハメになりますよ。

なんたって、とにかく死なないんだから。

読んでないので、その本に書かれている「死ない」の意味するところは知りませんが、もし、生命的に死なないと言うのであれば、えらい事になっちゃいますよ。

エッ、死ぬ心配が無いのなら、それはそれで良いんでねーの、ってですか?

トントン ゴリゴリ。

毎日毎日、如何にして長生きしようかと、色々と頑張っておられる方に、その欲望を捨てさせたならばどうなるでしょう。

途端に、空っぽになってしまいは、しませんかねー。

これから、どうすりゃー良いのだ。

途方に暮れてしまいは、しませんかねー。

人生最大の目的が、消滅しちゃっちゃってはねー。

奇麗な衣服を身に着けたい、旨いものをタラフク食べたい、立派な家に住みたい。そのためには、収入を得なくてはならない。

と言うことで、普通、人は皆、働いているのでしょうな。

このような欲求を持たなくなっちゃったら、皆んな働かなくなっちゃうのではないかなー。

皆んなが、悟りを開こうと、座禅を組んでいたら、生産がとまっちゃうなー。どうなります。

ぼやっと、してたら、死んじゃうよ。

トントン ゴリゴリ。

なんてね。

このあたりが、お釈迦様と、あさましい平々凡人の違いなのでしょうな。

所詮叶わぬ事を目標として、不満もんもんの日々を送るよりは、レベルを下げて、叶う目標を見つけて、それが曲がりなりにも成就した時に、まあまあ満足して、それなりの幸福をあじわうのが良いのでしょうかね。

さー、今日も、ラーメン餃子にありつければ、予は満足であるぞよ。

明日はカレー、明後日はハンバーガー、明々後日は・・・・。

満足、満足、大満足。シアワセー! 長生きして、良かったー!

と、能天気に行ければ良いのですが。

そうは、問屋が降ろさないようですよ。

トントン ゴリゴリ。

先に言いましたが、古今東西、世界的に、健康・長寿に向けて、人間は弛まぬ努力を続けて来ましたよ。まだ、続けてますよ。きっと、ずーっと続けますよ。

この甲斐あって、以前よりは、随分、長生きできるようになりました。

日本は、すごいですよ。世界の長寿トップに君臨しているようですよ。

特に、女性は、長寿ですよ。スゴイ! 金メダル

これは、まさに、命がけの努力の結果、と言って、良いようですな。

御陰さまで、年寄りの多いこと、多いこと。

完璧な高齢化社会が成立しましたよ。

トントン ゴリゴリ。

ここに至って、自民党政権によって、なんとなんと、高齢化は、“国難”、すなわち、国家存続の危機と言うスタンプを押されて終いましたよ。

先の国政選挙で、自民党は「北朝鮮問題と少子高齢化国難」と位置づけ、これをなんとかしなければならないとして、選挙に臨みましたなー。

はたまた、安倍総理の年頭のメッセージで、高齢化は、“国難”と駄目押しされましたよ。

北朝鮮核兵器、それを飛ばすミサイル開発の問題と、高齢化問題は、並列的に、“国難”として、同等に扱われる存在となっていますよ。

早い話が、“国難”は、避けて通るか、排除しなければ、安心出来ない存在のものですよ。

どうしたものでしょうか。高齢化は避けては通れませんよ。

人間、歳をとらないわけには参りません。

時間の経過と共に、否応無しに、どんどん歳を取ってしまうのですよ。

トントン ゴリゴリ。

北朝鮮からのミサイルは、日本に着弾する前に、迎撃して、撃ち落とす計画のようですなー。

北朝鮮ミサイル発射実験の度に、安倍総理は、「日本国民の生命と財産を守ることに、万全を期している」と言う、お決まりの声明を発していますな。

国民は、また、同じ事を、と半ば飽きれている方も多いようですが。

この具体策は、と言えば「警報が出たら、頑丈な建物や地下など、安全な所へ避難して下さい」とのことですよ。

これが、弾道ミサイルが飛んで来た時の、総理が具体的に明示している、ただ一つの方策のようですな。これが安倍総理の言う万全の唯一の中身ですわ。

東京だったら、避難できる地下といえば、地下鉄か大きなビルの地下室ぐらいではないのですかねー。

頑丈な建物と言われても、爆弾を搭載したミサイルに対抗できる建物は、めったに御座いませんよ。

しかし、大体、例えば東京都の場合、1千万を越す都民全部が、安倍総理のおっしゃる安全な場所に、避難できますか、ちゅーの。

北朝鮮から発射された、弾道ミサイルが日本に到達する所用時間は、ほんの数分間ですよ。弾道ミサイルのスピードより早く、地下鉄に潜らなくては、意味がありませんよ。

安倍総理は、どんな感覚で、「日本国民の生命と財産を守ることに、万全を期している」「警報が出たら、頑丈な建物や地下など、安全な所へ避難して下さい」と言う声明を繰り返し発しているのでしょうかね。

殆ど、意味の無い事である事は、国民は皆自覚しているでしょうね。

当然、総理当人も、百も承知のことでしょう。

多分、対策が立たないのでしょうね。やるとすれば、それはそれは、莫大な経費が必要となる、と言うことに尽きるのでしょうな。

それならそれで、もう少し、マシなことが、言えないものでしょうかね。

見え見えのウソをつかずにさ。

トントン ゴリゴリ。

北朝鮮からの弾道ミサイルが、本当に飛んで来るか、どうかは知りませんが、高齢化は、瞬時をまたず、刻々と進んでいますよ。

飛来弾道弾には、イージス艦PAC3配備して、対処しようとしているらしいですが、歳をとることには、イージス艦PAC3配備して、と言うわけにはまいりませんよ。

しかし、自民党、“高齢化は、国難”と言う位置づけを、表明したからには、対策が必要とされますよ。

高齢化に対処したイージス艦PAC3は、どんなですか。

高齢化を防ぐには、ぶっちゃけた話、長生きさせないと言う以外に手は無いのですよ。

病院・薬品・医師はどんどん減らしましょう。長生きに効くものを造ってはいけません。

栄養のある食物を流通させてはいけません。日々、過剰な塩分を取りましょう。

健康サプリなんて、とんでもない。

元気で長生きにつながる健康法は、直ちに禁止しましょう。

このようにして、平均寿命を短縮することに努めましょう。

万事、このような方向に向けた、政策を展開しなければ、“国難”から逃れることは、難しいですよ。

それはそれは、恐ろしい政策の展開が必要不可欠となるのですよ。

医療福祉に関わる費用の抑制、介護費用の負担引上げ、年金支給の年齢の引上げ、支給額の削減などは、既に始められていますが。

もっと、もっと、進めたいのでしょうが、そうすると、次回の選挙への影響がね・・・・・。

トントン ゴリゴリ。

人間の加齢を止める方策は、御座いません。

万が一、若返り薬の開発が開発されたとしても、時間の経過を止めない限り、人間は、歳を重ねていくのですよ。

とにかく、歳は取って行くものです。だから、高齢化が“国難”、国難は取り除かなくてはならない災と、位置づけた場合には、ほどよい年齢で、早死にしてもらうより無い訳です。

定年を迎えた者には、高い税を負担させ、年金を削減し、貧富を問わず、医療福祉の世話を施さない施策が必要となるのですよ。

この方向で政策を進めれば、間違いなく、高齢化に歯止めがかかる筈ですよ。

トントン ゴリゴリ。

一方においては、若者を増加させなくては、と言う意識が働くようですな。

しかし、若者を増加させたところで、人間は、加齢をし続けますよ。

要するに、老人の医療福祉介護等の経費を、若者に負担させなくてはならない。と言う命題を、政府が負っていると言うことなのですね。

これが、自民党のおっしゃる“国難”なのでは、ないのでしょうかね。

この国難は、政権にとっての災のタネだ、と言うことなのでしょうね。きっと。

国難だ、国難だと騒いでいるのは、政権にとっての災だ、と言っているようにしか、思えませんよ。

そうでなくては、国民に対して、「高齢化は“国難”だ」なんて言えませんよ。

長生きすることは、国家の災だ、とはなかなか言えることではございませんよ。まともな神経では。

トントン ゴリゴリ。

政府にとって処理が甚だ困難な問題を、“国難”だ、なんて言う政府の存在自体が、そもそも国民に取っては、これこそ“国難”そのものではないでしょうかね。

要するに、自分たちでは対処しかねる問題を、“国難”と認識する政治屋さんが、まったく情けない存在だと言うほか無いようですな。

最も重要なのは、このような政治屋さんを、選出して、国会に送り込んだ、あるいは、送り込まなくてはならない存在に置かれている有権者の意識・判断なのでは無いのでしょうか。

やっぱり、有権者がしっかりしていないとダメだ、と言うことでしょうね。

しかし、有権者が如何に自分の意見を代弁してくれる人を国会に送ろうとしても、立候補者にそのような人が、いないのですよ。

ここが、とにかく問題のようですね。

要するに、現行の選挙制度に問題があるのでは無いのでしょうか。

トントン ゴリゴリ。

現行の選挙制度に、メスを入れなくては、長生き出来そうに無いみたいですなー。

一刻も早く、まともな人が立候補しやすい、まともな人を選出できる選挙制度を作らなければ、長生きできませんなー。

「アア 長寿!」

愚痴ばかりになってしまいました。

毎度のバカバカしい、ヒマ潰しの話でした。

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》77

「日比憐休独偏記」12

 

「タダの人」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、心より、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しに、どうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

とにかく、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れないように、極力配慮して、参らなければならないのですよ。

ところで、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。

まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けで御座います。

極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。

ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。

おそらく、すぐに、飽きてしまいますから。

但し、腹の立つことの素を入れた場合には、注意して下さいよ。

頭に来たあまり、ついつい力が入りすぎて、スリバチを壊してしまう恐れが御座いますから、ほどほどがよう御座いますよ。

スリコギを振り回して、手当たり次第に、周囲に当たりちらしては、いけませんよ。

どうぞお気をつけ下さいませ。

 

さて、本日のヒマの素は「タダの人」で参りたいと思います。

サー、「タダの人」の素をスリバチに放り込みますよ。

ダダッ。

お分かりで御座いましょうが、「ダダッ」と言うのは、「タダの人」の素をスリバチに放り込んだ音ですよ。

「タダの人」だから、「ダダッ」と言う音になるのですよ。ちょっと似ているのでね。

これが、「有料の人」だと、「ユリョッ」となるのですよ。

知ってました ? 「ユリョッ」。これも少し似ているでしょう。

クダらないこと、言ってんじゃない、ってですか。

クダらないこと。と言うことは、まずは合格点に達したと言うことですなー。

先に、お断りしておきましたように、ここでの話は、「アホくさい、バカバカしい、クダラない」と言うことでなければならないのですよ。

だから、クダらないと感じて頂けますと、嬉しくなっちゃうので御座いますよ。

さー、ハズミのついたところで、トントン ゴリゴリと参りますよ。

「ダダッ」と放り込みましたので、量的には、幾分多めに入りましたよ。

さー。トントン ゴリゴリ。

ところで、はなはだ突然で恐縮でございますが、お宅様は、お幾らのお方でございましょうか。

エッ? サン キュ パ。

と言うことは、 398円 ?

もっと上? 

と言うことは、3,980円 ?

いや、もっと?

と言うことは、39,800円 ?

エッ、その辺り ?

その辺り、と言われても、これでは、あまりにも少額ではございませんか。

控えめにでも、3億9,800万くらいは、言って見ましょうよ。

どうせ言うだけですから。

ドンと、吹っかけた方がよう御座いますよ。

どうせ言ってみるだけのことですから。

エッ。そんなに持ち歩いているヤツはいない、ですと。

あのー、なんの話をなさって、おいでですか ?

所持金の話ですって。

マー、持ち歩くお金なら、サン キュ パ 39,800円くらいが、適当かも知れませんなー。

私などは、財布にサン キュ パ 39,800円も入っていれば、余裕余裕と言う感じですよ。

あまり高額を持ち歩いては、落っことしたり、盗られたり、はたまた無駄遣いしたりしますから、あまり持ち歩かない方がいいですな。

余計なお世話では御座いますが。

トントン ゴリゴリ。

あのですね。そーではなくて、ここでの話は、所持金の話では、御座いませんよ。

お宅様のお値段についての話ですよ。

お宅樣のお値段。

もっとも、個人の価値を金銭で表す事は出来ませんよ。

それは、重々判った上での話と言うことで御座いますよ。

前に申し上げましたように、ここでの話は、「アホくさい、バカバカしい、クダラない」話ですから、この観点から、金銭で表したら、幾らになりますか、と言うアホくさい話なのですよ。

トントン ゴリゴリ。

エッ、やっぱり サン キュ パ? 39,800円?

なんだか、通販の家電の定番価格みたいですなー。

もっと上? 398万円?

年収だと、この辺り?

なるほどね。

しかし、この際は、もっと上?

では、3千980万円?

かなり良い会社の退職金の話ですか。

もっと、上ですって?

それでは、3億9千800万円ですか?

そのあたり、ですって? 吹っかけて来ましたね。

これくれーは、吹っかけろったのは、あんたじゃねーか。ってですか。

そうでした。そうでした。失礼致しました。

最近は、失念のスピードがすごく早まってましてね。

何を言ったかなど、途端に忘れてますから。

早い話が、言っていることを、言っている時に、全然記憶していませんから。

覚えていないことは、失念のしようもないのですよ。

最初っから、覚えていないのですから。

失念防止対策は、最初っから覚えないことです。これがコツて言うものです。

どうです。アホくさい話でしょ。

このようにして、少しでも、ですね、ヒマ潰しをするのですよ。

これがヒマ潰しのコツなのですよ。

どうです。アホくさい話でしょ。

トントン ゴリゴリ

しかし、吹っかけるのであれば、1千億でも、1千兆でもいいのですよ。

1千兆では、思いっきりウソくさい。真実味微塵も無い。ですって。

たしかにね。だーれも、信用しませんなー。

ホラも度が過ぎるとね。なんの効果も御座いませんな。

3億9千800万円だって、誰も信用しない。ですって。

そーですか? あながち、そうでも御座いませんよ。

ひょっとして、ジャンボ宝クジ。

エッ、1枚だけ持っている、ですって。

ひょっとして、まだ、当否の確認をしていないのではないですか。

ひょっとして、ひょっとして、5億円、当たっているかも知れませんよ。

サン キュ パ 3億9千800万円の上行きますよ。

可能性を残していますよ。

たった1枚きりでも。当たればの話ですよ。当たればのね。

とは言え、きっと、スカですよ。間違い御座いませんよ。

外れ! スカーッと0円。

0円と言うことは、金銭的には、タダ。

そうです。そうなれば、サン キュ パ 398円はおろか、お宅様は、タダの人と言うことになるのですよ。

タダの人!

悲哀を感ずる響きですなー。

お宅様は、タダの人なのですよ。

トントン ゴリゴリ。

あのー、怒らないで下さいよ。

こんな事は、私が言ったのでは御座いませんからね。

誤解をしないで下さいよ。

私も、生まれ出てこの方、ずーっと、70余年間、タダの人をやり続けておりますから。

タダの人。

エッ、それでは誰が言ったのか、ですって。

それはですね。それは、先の国政選挙で、お宅様が投票所で、投票用紙に名前を書いて、投票箱に入れて来たあの人ですよ。

ジャンボ宝クジもスカなれば、こちらもスカ。

見事に落選。

この落選者の弁。

「この度の選挙では、残念ながら、落選致しました。これで、私も皆様と同様、タダの人となりました。」

だって。

前に議員さんだった方が、選挙で落選すると、我々と同じタダの人となるのだそうですよ。

また、このような発言をなさった議員さんもいましたよ。

とある事で責任を追求されるハメに陥りましてね。なかなか責任を取ろうとしないのですよ。その挙げ句に言ったセリフ。

「この責任については、次の選挙で明らかとなります。もし、落選したならば、私は皆様同様に、タダの人となるのです。その時に、私は責任を取ってタダの人となるのです。」と。

何だか分けの判らない話ですが、こちらの議員さんも、落選すると、我々同様のタダの人となるのだそうですよ。

因に、落選するのと、政治責任をとったと言うのとは、別問題ですよ。

落選したのは、支持者が少なく、得票を得られなかっただけで、責任を取った結果、落選したのでは、御座いませんから。勘違いをしてはいけませんな。

要するに、議員さんでないと、タダの人ということになるようですな。

と言う事は、議員さんは、タダの人ではない。と言うわけですなー。

トントン ゴリゴリ。

タダの人でない。と言う事は、おいくらの人か? と言うことになりますわな。

まー、代議士さんも色々おりますから、100%とは言いませんが、どなたも立派な豪邸をお持ちになられているように、お見受け致しますよ。

タダの人では、中々持てない豪邸ですよ。

タダならぬ豪邸をお持ちの方でなければ、代議士先生になりにくいのか、代議士先生になったので、タダならぬ豪邸をお持ちになられるようになったのか、その辺は、良くは存じませんが、どちらに転んでも、タダならぬ存在ですなー。

トントン ゴリゴリ。

ここで気に掛かるのが、タダならぬ人のタダの人に対する差別の意識ですなー。

タダならぬ人ご本人の、タダの人とは違うと言う特権的とも思える意識の存在ですよ。

その現れの典型が、気に食わない事態が出来した時に、タダならぬ人が、発する次の罵声ですよ。

「このハゲー!」

しかし、「このハゲー!」と、どなられたってねー。

わざわざハゲになりたくて、なっている人は、そうはいませんよ。

図らずしも、なってしまったのですから、それをどうのこうのと言われましてもね。余計なお世話と言うものですよ。

それをネタに笑いを誘う芸人さんは、まま見受けられますがね。

このような芸人さんだって、芸のためにわざわざハゲになった分けではないのでしょうがね。

因に、お坊さんは、ハゲではないのですよ。

あれは、わざわざ剃っているのですよ。

言うならば、ヘアースタイルの一タイプと称すべきものですよ。

中には、わざわざ剃らなくとも良い状態になられておられるお坊さんもおありかと推察したしますが。

それはそれで、世話なしで毛ッコウな事で御座います。

もっとも、この場合は、厳密には、ちょっと難解ですね。ハゲに分類すべきかどうかがですね。

そんなこと、余計お世話だっちゃーの。

ごめんなさい。悪気は御座いません。

トントン ゴリゴリ。

さて、本題に戻しまして、タダならぬ人、代議士先生の特権意識ですわ。

選挙運動中は票欲しさに、人を見かければ、飛んで行って、強要がましい握手攻勢をかけたりしておりますが、当選したしたならば、わたしゃー、タダの人とは、ちゃうんやでー。と言う態度に豹変しますなー。先生と呼ばれる存在となるのですよ。

まー、見事な変わりっぷりですわ。

当選が伝った選挙事務所では、決まってバンザーイ三唱ですな。この瞬間に、タダならぬ人へ、ヘンシーンと言う次第ですな。

トントン ゴリゴリ。

驚いたことに、大相撲で優勝すると、自らの音頭で、万歳三唱に及んだ横綱さんが出現しましたな。

優勝者ご本人が、自ら音頭をとって、万歳三唱なんと言うのは、まさに、前代未聞ですなー。

代議士の当選者だって、ご本人自ら万歳三唱を企てる方は、御見かけしませんよ。周りの世話人が、頃合いを見計らって、それでは皆様、万歳三唱をと持ちかけて、万歳が成立するのですよ。

ご本人自らと言うのには、驚かされましたなー。

しかし、会場に居合わせた、ほぼ全員が、それに乗ってましたからね。

なんともねー。嗚呼! 嘆かわしい!

相撲協会側も、本人を呼びつけて注意はしましたが、ほんの形式的なもののように見えましたね。

また、勝敗が決してしまってから、立ち会いの息が合ってなかったと、自らの判断で、物言いをつけた横綱さんも、初めて見ましたね。

相撲界も、タダならぬ御仁が出現すると、横綱の品位なんて言うものは、もう、問題ではないのですなー。

とにかく、より多く勝てばいいのさ。勝ったものが、まさに、勝者さ。と言うことらしいですな。

タダ的存在の協会は、コソコソと大事にならないように、鎮火に躍起となるだけなのでしょうな。

これを、相撲界の沈下現象と言うのかな???

世の中は、変わっていくものですなー。

トントン ゴリゴリ。

流れを本筋に戻します。

ところで、タダならぬ存在となった代議士さんのメイゲンは、数々御座いますなー。

とくに、大臣になりますと、タダならぬ人の中のタダならぬ存在でありますから、その意識もタダなりませんよ。

どこへ行っても、おダイジン、おダイジン、センセイ、センセイと持て成されますからね。

ますます、タダならぬ意識の持ち主と化するようですなー。

誰が聞いても、暴言、失言と判るものは、決着が早いですが、隠れ暴言・失言は、ウッカリしていると、見過ごしてしまう場合がございますから、注意を要しますよ。

トントン ゴリゴリ。

今年の国会は、籠池、加計問題に明け暮れした感がございますな。

野党は、同じ質問繰り返し、安倍総理は、同じ答弁を繰り返す。ただ、それに終始した感が御座いましたな。

総理は、この問題に、丁寧に対処すると、何度も明言致しましたな。

この発言に対して、野党側は、まったく丁寧に対処していない、と総理を批難し続けていますな。

しかし、問題は、何ら進展を見せませんな。

そもそもは、この総理の「丁寧に対処する」と言う、「丁寧」の解釈に、野党側の認識違いがあるようですな。

すなわち、「丁寧」とは、一般的には、国語辞典を見ると、次のような解説がなされていますよ。

① 注意深く念入りであること。細かい点にまで注意の行き届いて  

 いること。また,そのさま。

② 動作や言葉遣いが,礼儀正しく,心がこもっている・こと(さ

 ま)。

③ 何度も繰り返すこと。特に何度も忠告すること。

だから、総理は、野党から質問が出る度に、

「注意深く念入りに、細かい点にまで注意を行き届かせ、動作や言葉遣いを、礼儀正しくし、心をこめて、何度も繰りして、答弁を行う。」

と言う事に、努めていると言う事らしいですな。

要するに、「丁寧」とは、人の所作・振舞に関わる事であって、事の内容とか真相に関わる事では無いのです。

これを、野党の連中は、「丁寧に」とは、「事の真相を具体的に」と言うように、勘違いしているわけで、「丁寧に対処する」と明言したくせに、全然「丁寧」にやらないのは、不届きだと迫る分けですな。

しかし、総理の方は、「注意深く念入りに、細かい点にまで注意を行き届かせ、動作や言葉遣いを、礼儀正しくし、心をこめて、何度も繰りして、答弁を行う。」と言うことに、努めている、と言うことで、話がかみ合っていないのですわ。

すなわち、「丁寧に」なんと言う、耳触りの良い表現に、これにころりと騙される分けです。

野党が、「同じ答弁しかしないのは、どうしてか。」と迫っても、「同じ質問には、同じ答弁」をするのは、至極当然と言うことで、終わらせられてしまうのですな。

総理ともなると、タダならぬ存在ですなー。

これでは、野党代議士などは、タダの人と代わり映えしませんなー。

国会が、このような有様で終始している感がございますなー。嗚呼 !

トントン ゴリゴリ。

 

さらに、前回の国政選挙では、自公民の政党政府の掲げた目玉政策は、

北朝鮮少子高齢化は、まさに国難」であるとのことでしたなー。

まことに、北朝鮮問題は、国難と断言して良いのでしょうな。

実に、困った、問題です。

もしも、北朝鮮からの難民がどんどん押し寄せて来たら、どう対処するのでしょうかね。不信な舟の漂着件数が、段々増加してますなー。

北朝鮮が、弾道ミサイルの発射実験を行うたびに、総理は、「厳重な最大の抗議を行った。国民の安全には、万全を期している。」と言う談話を発表しておられますが、全然分けが判りませんな。

どのような抗議の文面かは、見た事がありませんし、どのような安全を施しているのか、まったく、明らかでは御座いませんよ。

私も日本国民の1人だと思っていますが、貴方の生命、財産等は、このように守りますから、と言う信頼できることは、いまだ、聞いたタメシがございませんが。どの辺りに万全が施されているのでしょうかね。

毎回、お決まりのお題目にしか、聞こえませんな。

僅かのイージス艦PAC3配備したのが、万全の安全対策なのでしょうかね。

耳触りの良いだけの、国民をだまくらかす、明らかなウソは、言わない方が、良いと思いますなー。

めったな事で、弾道ミサイルが飛び込んでくることは無いでしょうが、難民は既に来ておりますよ。

よしんば弾道ミサイルが飛来した場合には、迎撃ミサイルで、撃ち落とす試みは可能でしょうが、大して当てになる話ではなさそうですし。大体弾道ミサイル日本海上に落っこちちゃって、暫くしてから、どうも、あの辺りに落ちたらしい、なんて言っているのですから、実際に、頼りになるのでしょうかね。

イージス艦PAC3には、多大な国税が投入されていますよ。

そして、押し寄せる難民に対しては、迎撃ミサイルを持って対処することは、難しいですよ。きっと。

適切な対応策は、出来ているのでしょうかね。

丁寧に対応するなんて、言わないでしょうな。

トントン ゴリゴリ。

少子化の問題が叫ばれて、もう、久しいですな。

少子化国難だそうですよ。

ようやく今頃になって、教育の無償化などと騒ぎ始めましたが、具体的な案になると、どうしたものでしょかね。

大体、財源が無いのに、耳触りの良い烽火(のろし)ばかり上げている感がしますよ。所詮は、選挙対策でしかなかったのか、としか思えませんな。

トントン ゴリゴリ。

年収1千万円に届かない、800万円辺りに狙いを定めたらしいですが、年収800万円は、決して、高給取りの上限では御座いませんよ。 五千万、1億を越す、年収者は、珍しくございませんよ。

年収800万円なんて言うのは、年収の階層から言えば、せいぜい下(げ)の上(じょう)くらいのものですよ。

この下(げ)の上(じょう)くらいの階層に目をつけて、税金を集めようなどと、姑息なことを始めそうですなー。

こんな下(げ)の上(じょう)の階層に目をつけないで、年収5千万円以上、1億円以上と言う上層部から多額の税を徴収する対策を講じなさいチューの。

上層部の人は、相当な多額を納税したところで、日々の生活に支障を来す分けではないのだから。

消費税のように、その日その日の生活がヒーヒー状態の所に目をつけず、要するに、取り易い所ばかり、狙うな、っチューの。

トントン ゴリゴリ。

名ばかりの、教育費の無償化を図ったところで、焼け石に水なことは、明々白々なのだから。

大体において、義務教育公立学校へ通っている場合は、既に学費は、無償化されているのだから、今回騒いでいるのは、公立小・中学校ではなく、私立の学校へ通っている人の学費無償化をしようと言う話ですよ。

一般のタダの人達は、その点を良く認識しているのですかねー。

学費無償化なんていう、耳触りの良い言葉で踊らされてはいませんか。

たとえば、共稼ぎの夫婦が、1人子供をもうけたら、小学校に入学する迄は、月に20万円くらいの養育手当を支給することくらい考えませんか、っチューの。

そうすれば、即効性があるかも知れませんよ。

とにかく、1日も早く、人口増加対策を図らなければ、もう10年を待たず、お先真っ暗の事態に陥っているのですから。

トントン ゴリゴリ。

それから高齢化についてですよ。これも国難と断定されましたよ。

たしかに、高齢化社会の出現は、国にとって、大変な問題であることは、言う迄も御座いませんな。

しかし、ですよ。

因に、国難と言うのは、申す迄も御座いませんが、国家にとってのワザワイ、災難と言うことで御座いますよ。

高齢化とは、すなわち、国民が歳を重ねることですよ。

これを国難と断言されましてもね。

タダならぬ人、代議士さんは、キッパリと断言なされましたよ。

タダならぬ人、代議士さんのこうした意識には、もう、降参するしかないのでしょうか。

タダならない人の特別な意識には、おどろかされますなー。

人は、1人残らず、例外なく、確実に歳をとって行きますよ。

これが、国難と位置づけられましてもね。

どうしようもないのですよ。

ビックリしましたね。このような事態を、国難と断定した総理大臣政府政党は、かつて見られませんでしたよ。

タダならぬ人、代議士さんの意識には、お手上げです。

ところで、今度、安倍総理大臣、その政府自公民の政党は、高齢化国難と断言して、国政選挙に臨みましたね。

国民が歳を重ねた結果として、出来した事態を、国難とは、よくぞ言い切ったものと、今更ながらビックリ、仰天するわけですよ。

この国難に対して、国民に歳をとるな、と言われたって、どうしようも御座いませんよ。

対策としては、長生きしてはダメ。と言う外ないのですよ。

それで、明解な対策が、打ち出されましたね。

老人に対する医療福祉などに国税をつぎ込んでは、年寄に長生きされてしまう。

それは困る。国難だ。

そこで、老人に対する医療福祉などの予算を削減して、育児学費の無料化へ回し、これを増加すると言う、少子化対策に重きを置くと言う、極めて、明解な方向を打ち出したわけですな。

タダならぬ人、代議士の意識は、見上げたものですなー。

トントン ゴリゴリ。

そして、タダの人の有権者の多くは、これに賛同して、自公民の圧倒的勝利に導く判断を下しましたよねェー。

嗚呼! タダの人。

あなたも確実に歳をとりますよ。

長生きは、国難、国の災いだそうで御座いますよ。

お国のために、長生きは無用とされてしまいましたよ。

 

幾分のヒマ潰しになりましたでしょうか。

なんとも、「アホくさい、バカバカしい、クダラない」話でした。

 

お後が宜しいようで。

お疲れさまで御座いました。

《停念堂閑記》75

「日比憐休独偏記」11

 

「嘘・騙し」

 

本日も、ようこそお出で下さいました。

厚く御礼申し上げます。

本当に、よくいらっしゃいました。大歓迎で御座いますよ。

おヒマなお方、無条件に、大歓迎で御座いますから。

今日も、ヒマ潰しにどうぞお付合い下さいませ。

話は、毎度の代わり映えのないアホくさい、バカバカしい、クダラナイの三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラナイ話で御座います。

とにかく、ヒマ潰しが、そもそもの主たる目的で御座いますから、この路線から外れないように、極力配慮して、参らなければならないのですよ。

ところで、ヒマ潰しには、擂鉢(スリバチ)と擂粉木(スリコギ)が、無くてはならない、必需品なのですよ。

まず、スリバチに、ヒマの素を適量入れまして、ヒマに任せて、スリコギで、トントン、ゴリゴリと、砕き、擂り潰していく分けであります。

極めて、単純な作業でありますが、これがヒマ潰しには、持って来いなのでございますよ。

ヒマな時は、是非是非お試し下さいませ。

 

さて、本日のヒマの素は、“嘘・騙し”と言うことで行きたいと思うのですよ。

昨今、あっちを見ても、こっちを見ても、もー、騙した、騙されたと言うのが実に多いですなー。

世の中、騙し、騙されの洪水ですわ。

騙す方は、手を替え品を替えて、それはもう、ありとあらゆるズルッコイ手を使ってきますからね。

一方、人の良い、善良な人ほど、コロット騙されますから。

エッ。まだ一度も騙された事が無いですって。

それは、きっと、人が悪く、強(したた)かな人柄だからですよ。

いやー。ついつい本当の事を言っちゃって、失礼致しました。

××大臣のように、簡単に発言を撤回致します。

大臣は、よおやりませんが、小生の方は、ホローを怠りませんから。

早速、正しく言い換えさせて頂きます。

慎重な、思慮深いお方(かた)だからですよ。

これでどうでしょう。

ヒマ潰しのお笑いを続行させて頂けますでしょうか。

もっとも、小生の方は、お偉い方に任命されて、税金を貰ってやっている分けでは御座いませんから、任命責任を問われる方(かた)もおりませんし、その点は、気楽な家業と言うものですわ。

オレオレ詐欺」に始まった、いわゆる振込め詐欺は、ATMによる振込みが厳しくチェックされだすと、郵送や直接受取りの方法も行うようになり、いろいろと手の混んだことをやるようになってますな。

お年寄りに、地方から東京などに、わざわざ多額の現金を持って来させるような悪どい例も見られましたな。

金額も、同一人が数度にわたって、1千万円を越す大金を騙しとられた例も見られましたな。

テレビで、騙し、騙され注意報が、しょっちゅう出されていますが、にも拘らず、ころっと騙される人が後を絶ちませんな。

まー、振込め詐欺の場合は、加害者の騙しの事実が明白になれば、警察に捕らえられて、その後、裁判で相当の罰を加えられることになりますな。

これで、世間では、加害者が捕らえられると、やれやれで、一段落と言う感じになるようですが、被害者の方の騙しとられたお金は、必ずしも戻ってくる訳ではありませんな。被害者の方は、依然として被害者のままですなー。

結局は、騙され損の泣寝入りになるより他はなさそうですな。

と言うことは、騙された方の自己責任と言う結果なのでしょうかねー。

要するに、騙されないようにする以外の対処法は無いと言うことですな。きっと。

それから、絶対に騙しとられない、とっておきの方法が無い訳ではございませんよ。

今日は、特別にお教え致しますよ。誰にも、言わないで下さいよ。内緒ですよ。

絶対に取られない方法は、そもそもお金を持っていない事です。

この状態を維持していれば、騙しとられる事は絶対に御座いませんから。

小生は、この手法で、今迄、一度も、騙し取られたことは御座いません。

無い袖は振れないのですよ。

だから、お金は、持たないに限りますよ。

もし、お持ちの方は、全部、当方でお預かりいたしますから、どうぞ、お気軽にお申し付け下さいませ。

こんな手口では、ダメだね。きっと。

騙しの構造は、まずは嘘をついて、相手にその嘘を信じ込ませる。と言う、割合に単純なもののようですな。

問題は、嘘の作り方にあるようですよ。あたかも本当のような性格を持たせることがコツのようですな。

そのためには、下ごしらえが必要のようですよ。

力を込めて、スリバチ、ゴリゴリ。

例えば、甘い言葉を並べ立てるのですよ。

甘い言葉を欲している人には、最も効果的のようですなー。

甘い言葉は、それを欲している人の行動を誉め讃え、その人の存在を過大に評価することが、肝腎の様ですよ。

人間は、とかく自己の存在を他者から、より高く認められたいと言う欲求があますからな。

これには、近年の育児・教育方法が、大きく影響しているのかも知れませんな。

そうです。褒めて、伸ばすと言う方法ですな。

中々効果的のようですよ。

こどもの頃は、何かを上手にした時には、それを褒められると、また、今度やってやろうと、その才能を一気に伸ばし始めますからね。

その才能を、のびのびと伸ばすと、今、盛んに取り沙汰されている将棋の藤井少年のように、成長していくのでしょうね。もう、止まりませんな。

しかし、褒めて育てると言うのを、とっちがえると、逆効果の時もあるようですよ。

褒める事を見極めないと、とんだ結果になり兼ねないこともあるようですよ。

幼児期から何かに着けて、何でも彼でも、ことさらに褒めて育てられると、子供は、何をやっても褒められるものと、勘違いしてしまうことがあるようですなー。

要するに、単なる我が侭な才能が、褒められたために、ことさら伸びてしまうことがあるようですよ。

つまらない事でも、褒められることが当たり前、と言う感覚になるようですな。

だから褒められないと、やる気が起こんなくなってしまうのでしょうな。

要するに、ただただ何でも褒めればいいのだと、勘違いした親は、何でも褒めるでしょうが、他人様は、そうは来ませんから。

些細な事は、得意げにやっても、誰も褒めてはくれませんよ。

その代わり、良くない事は、見逃さず、厳しくやってきますから。

褒められず、ガツンとやられると、もう完璧にダメ。クションとなってしまうようですよ。

褒めどころ見極めなくては、ダメみたいですなー。

しかし、とかく、人は、褒められると、嬉しくなりがちでございますな。

騙す方は、ここが付け目なのでしょうな。とにかく褒めてきますよ。

だから、褒めちぎられると、すっかり、言い気持ちになっちゃって、乗せられることになりがちのようてすなー。

なんだか、分からないうちに、褒めてくれた人が、とても良い人に見えて、信用して良い人のように思えるようになるようですよ。

奥様。心当たり御座いませんか。

奥様のような、気だての良い、お優しい、スタイル抜群のベッピンさんは、他にはいませんよ。

えっ、もう乗っかっちゃったの。早いね。どうも。

ベッピンさんには、弱い方が多いですからね。

平常はあまり人の言うことを簡単に信用せず、そんなこと嘘でしょ、なんて言っている人でも、名指しで、ベッビンさんと褒められたら、このことには何ら躊躇せずに、条件反射的に受け入れちゃいますからね。そく納得ですから。

こんな本当の事を、卒直に言ってくれる人に、悪い人はいない、なんて思っちゃいますからね。

この点については、既に、先に結論ありきのようですな。

見え透いた歯の浮くような事を、ことさらに褒めて来る人は、要注意ということのようですな。

とはいえ、乗っかっちゃうのが、女心と言うものですから。

ここをつけ込まれて、痛い目にあったりするのですよ。

さらに、スリバチ、ゴリゴリ。

また、不安、心配の情況に落とされると、とかく人は、冷静な判断ができなくなりがちのようですよ。、

すなわち、息子さんが、お孫さんが、とんでもない事件・事故に巻き込まれ、今すぐ対処しないと、大変な事になってしまうなどと、真っ赤な嘘をでっち上げ、極度の不安、心配の情況にたたき落とす手法がとられる場合がありますね。

緊急、厄介な情況に接すると、人は冷静にしてはおれなくなりますから。

そこにつけ込んで、今なら、まだ打つ手はあるなどと、うまいこと乗せて来る場合が多いようですな。

ゴリゴリ。

と言うように、褒めちぎって良い気分にしておくとか、不安・心配のどん底に引き摺り下ろして、冷静な判断を出来なくしておくとか、下ごしらえをして、その上でウマイ話を持ちかけ、金品を騙し取ると言う手口が多いようですなー。

もう一押し、ゴリゴリ。

それから、うまい儲け話を持ちかける手口が多いようですなー。

投資話など、引っ掛かる人が多いようですよ。

人、誰しも儲かることは、嫌いではありませんよ。大好きですから。

下世話に言えば、欲の皮を突っ張らせていますからね。

とぼけた儲け話にでも、ついつい乗っかって、騙される場合が多く見られますなー。

大体において、見ず知らずの他人が、ひょっこりやって来て、貴方に大儲けさせて上げる、なんて言う突拍子もないことは、世知辛いこの世には、まず、起こり得ませんから。

儲かることがあれば、他人へ持って行ったりしませんちゅーの。

まずは、絶対に我れ先ですから。

見知らぬ他人に儲けさせよう、などと誰が思うと言うのですか。

初対面の知らない人に、いきなり大金を儲けさせてあげたい、なんて思う人は、絶対に、おりませんから。

駄目押し的に。そんな酔狂な人は、おりません。きっぱり、断言。

しかし、大儲けを切り出されると、欲の皮がふくらんで、ころっと、騙されてしまう分けですよ。

ゴリゴリ。

そんなうまい話があれば、総理はじめ財務大臣が、我れ先にと乗っかり、国の財政赤字をとっとと解消させていますからね。

もっとも、政治家は、乗っかるというよりは、専ら乗っける立場でしょうがね。

そうでしょー。医療福祉、教育等の政策を充実させ、すばらしい住み良い未来の日本を作ります。なんて言う、甘い言葉で乗せておいて、どんどん国の借金を増加させているのが、政治家と言うものですから。

良い道路ができた。良い学校ができた。良い老人施設ができた。なんて、喜んでばかりは、いられませんよ。

政治家さんのお金で出来たのでは御座いませんからね。

日本は、国民国家ですから、ツケは全部国家、即ち国民、具体的には、我々、あなた方に回されているのですから。

それをあたかも私が作ってやった、と言う顔をしているのが政治家先生達ですから。

嗚呼。あーあ。

騙す方がわるいのか。騙される方が馬鹿なのか。

怒りを込めて、ゴリゴリ。

嘘は、泥棒の始まり。と聞かされ、嘘をつくことは、もっとも悪い事と、幼い頃から聞かされて来たものです。

これが昨今、嘘はこようにつく。このようにして人を騙すのですよ。と言わんばかりのサンプルを、国営放送を通して、ライブで流し続けているのが、国会中継ですからね。

ボヤキの素も混ぜて、ゴリゴリゴリゴリ。

まー、とにかくシャーシャーと嘘をついているようにしか見えませんなー。

特に、証拠が明確になり難い性格の事柄については、自信たっぷりに、嘘をつき続け、騙しに騙し続けているように見えますなー。

失言ではないか、と言う声があがれば、前言撤回と言えば、それでお終いですから。

国語辞典には、恥とか外聞とかと言う言葉が、未だ、ちゃんと載っかっていますが、政治家さんの辞典には、完璧に消え去ってしまっているようですなー。

恥も外聞もなく、嘘をつき通したが勝ちと言うもののようでございますなー。

それもレベルがこれでもか、と言うほど低いものですなー。

△△学園の関係では、国有地をどうしてあのような破格の安値で、売却されたのか、と言うことが問題の核心であるのに、これが総理から寄付を貰った、とか、そんな寄付をした事は無い、とか。初めは遅遅として進まなかった学校設置の認可が、ある時から神風が吹いた如く、一気に進み始めた。さる筋からの便宜が図られた気がする、と言う様な△△学園側の見解に関わる、国の役人に忖度があったか、無ったかと言いうような、テレビのワイドショウが喜ぶようなテーマばかりが、国会の場で議論されて、核心から離れた議論に終止し、まさに嘘のつきあい、騙しあいですわ。

テレビのワイドショウが、時間の経過とともに、同じテーマに飽きて来ると、国会の方も何となく盛り上がらなくなって、うやむやの内に幕が引かれたような状態になってしまう。

また、総理との私的な関係の深い××学園の獣医学部新設に関わる話題が取り沙汰され始めると、テレビの話題はすっかり、こっちに移ってしまった。

ポイントは、総理からの特別な指示の有無に集中されてしまいましたな。

総理と親交深い関係者の大学に便宜を図ったが如くの文書マスコミにより公にされると、政府はそんな怪文書は信用されないと断言し、形ばかりの調査で、そもそもその存在を否定するような見解を明らかにしたかと思うと、担当の省庁の関係者から、当該書類は省内に存在したことが明らかにされると、今度は、再調査の結果、存在が確認されたと言い、まったく呆(あき)れてしまう情況ですな。国民をナメきってますな。

あっちもこっちも騙しあい、嘘つき放題ですわ。

そもそもは、新たに学部を新設すると言うことは、まずは、その必要性が検討・議論されなければならないのですよね。

すなわち、社会にその要求があるか、と言うことが問題となるはずなのですよ。

現在、獣医が不足していて困っている情況であるとか、高校生の中に、獣医学部へ進学したいと言う希望者が多数いるのに、大学側にそれを受け入れる学部が不足しているとか。そのような必要がなければ、新たに獣医学部を新設したところで、意味がないわけです。

社会調査を実施して、獣医学部の新設が是非必要であると言う情況が存在しないと、新設の必要が無いのですよ。

この点については、国会では、殆ど議論がなされなかったのではないかなー。

ただ、内閣官房側から、この60年獣医学部の新設が無かったと言う主張があったようですが。

しかし、問題は、獣医学部の新設が必要かどうかでありまして、長い間、新設が無かったので、この辺でやってみてはどうか、と言う問題ではない筈ですよ。

既存の獣医学部の存在に関わる現状の議論は、殆どなされなかったのではないのですか。

既存の獣医学部だけでは、獣医の供給に支障があると言う実情がなければ、新設すべき必要が無いのですよ。

現獣医側からは、その必要が無いと言う意見が出されていたようですがね。

もっとも、既存の獣医側としては、既得権が脅かされはしないか、と言う心配をしているのでしょうが。

獣医学部の新設に関わる問題点は、まずは、新設する社会的要求の有無が、最も重要点なのですよ。

まー、私学が作りたい、と言うのだから、基本的には、設置の基準をクリアーしさえすれば、設置させれば良い事だと思いますがね。国費の出費がないかぎりね。

また、人口的には、受験生数の大きな減退の情況にあり、地方の私学は、既存の学生定員を満たすことが、すこぶる困難で、どこの大学も学生集めに、四苦八苦の状態ですからね。

160名を新たに増員して、入学生を確保できるのでしょうかね。

そして、入学させた後は、今度は出口の課題がある分けです。

すなわち、160名の卒業生を、数年後に、ちゃんと就職させる当てがあるのですかね。

もう一押し。ゴリゴリゴリ。

因に、獣医学部を持つ大学は、ざっと、極めて大まかに見た限りでは、国公立大学では、全国で11校、入学定員は合計370人で、一学部入学定員は30名から40名ですな。

他に、私学がありまして、酪農学園大学北里大学麻布大学各120名の入学定員をもっており、日本獣医生命科学大学入学定員80名で、国公立私立大学を合計すると、1年単位の入学定員は930名となり、現体制では、建前としては、毎年この人数が所定の課程を終えて、卒業し、社会へ出て行く、と言う事になっている分けです。

獣医学部だけでなく、類似の関連学部を拾えば、もっともっと多数の人が毎年社会へ出されて行く、と言う現状の様です。

ここに、××学園の獣医学部入学定員160名が加わると言う分けですな。大学1校当りの学部定員としては、最大の構想ですわ。

数年後に、この人数を就職させなければならない情況があるのですよ。そんな市場があるのですかね。

地方の私学は、既存の学生定員を満たすことが、すこぶる困難で、どこの大学も定員割れで、学生集めに、四苦八苦の現状ですからね。

また、卒業生を就職させるのに、五苦十苦の情況ですからね。

四国地域に、獣医学部がないから、と言うだけの問題ではございませんよ。

設置したからには、入学定員を満たし、所定の課程を終えた段階で、就職をさせなければならない現実が待っているのですよ。

いくらペットブームとは言え、無限に町中にペット病院を開業する分けには参らないでしょう。既に、共倒れ状態なのでは?

もっとも、獣医学部を出たからと言って、全員が獣医さんになる事は御座いませんが。ラーメン屋さんになろうが、車のセールスマンになろうが、全く自由ではありますが。

獣医学部の現状に関する情報は、文科省が最も豊富に握っている分けです。

ですから、現状に基づく最も的確な判断は、文科省しか出来ない現状ですな。

これが、国会議員さんレベルでは、このような点の議論が、殆どみられず、総理が、親しい友人に便宜を図ったのではないのか、と言う点ばかりが、議論されていたように見えますなー。

これも、政治的には、重大な問題点ではありましょうが、この点だけに終始して、本来必要な最も基本的な問題点を何ら議論もなしに、設置の認可を決めてしまった、と言うのは、見逃せないことですよ。

更に、ゴリゴリ。

××学園の獣医学部新設が、国会で認可決議されたからと言って、来年4月に新入学生を迎い入れるまでには、なかなか難しいハードルがあるようですよ。

まず、新たに獣医学部を設置するに当たっては、増加する160名を加えた学生を対象とする、大学側の施設が十分か、と言うハードルを越さなくてはなりませんよ。

大学の敷地面積は、学生数に応じた面積が用意されなければならない規定がありますよ。

加えて、教室、体育館等の建物にも規定があって、それをクリアーしなくてはなりませんな。

加えて、学生の教育・研究に必要とされる図書館、所蔵図書、実験施設、実験用具等に関する規定もクリアーされなければなりませんな。

更に、学部の構成をどうするのか、と言う課題が御座いますよ。

1学部のスタイルで行くには、定員数が160名では、多過ぎるように思われますなー。

前に述べたように、国公立獣医学部の学生定員は、30~40名ですな。

私立大学では、これが120名となっていますが、××学園では、160名とダントツに多いですな。

これで、きちんとした教育が行われ得るのでしょうかね。

更に、本命はカリキュラムの問題ですよ。

わかりよく言えば、どのような学問を展開するか。その為には、どのような

教科目を開設しなければならないかと言うことですよ。

とにかく学部の性格に適合する教科目を設定しなくてはなりません。

いわば、学部の生命にあたる部分ですよ。

獣医学部カリキュラムが、どうあるべきかは、存じませんが、例えば、医学部のような特殊な学部を除く、一般の4年制の大学の法学部経済学部商学部文学部理学部工学部などのカリュラムの仕組みは、およそ次の様ですよ。

科目は、一般教養科目と専門科目に分けられています。

一般教養科目は、外国語と体育・保険科目と政治学法学経済学地理学数学物理学化学生物学文学等々の教養科目が開講されています。

多くは、1・2年生の内に、一般教養科目を履修するようにされている様です。

そして、その学部・学科の性格に適した専門科目が開講されています。

講義を主体とする科目は、通常、90分授業を年間35回実施して、テスト・リポートなどによる最終審査に合格すれば、4単位が与えられます。

演習や実験の科目は、通常、90分授業を年間35回実施して、テスト・リポート・実技などによる最終審査に合格すれば、2単位が与えられます。

その他、卒業論文が設定されれば、普通は4単位が与えられます。

そして、一般的には、4年間で、一般教養科目と専門科目を合わせて、およそ120~140単位程を修得すると、卒業できるようにされている場合が多く見られる様です。

ですから、講義科目、演習・実験・実技科目をいくつ開講しなければならないか、と言う事が最重要な課題なのですよ。

そして、これを担当する教員が整備されていなくてはなりません。

このような授業科目が、学部・学科の教育・研究に合致したものかどうかが、審査されます。

そして、更に、設置された教科目の担当者が適切であるかの審査があります。すなわち、教科担当の教員を整えなくてはなりません。

新設の場合は、文科省の中に、その学部に関わる設置審議会が置かれて、そこで、新設学部に関わる、施設、設備、学部・学科等の構造、カリキュラム、教科の内容・担当者等の適正が審査されて、これらが、全てクリアーされなければ、学部を開くことが出来ないシステムとなっていますよ。

文科省に置かれる大学設置審議会は、大学や研究所等の教員、研究者等から、審査が出来る有資格者の専門家が選ばれて、審査に当たります。メンバーは、公開されず、秘密裏に行われているとか。

特に、教員の資格審査は、なかなかの様です。

当該科目を担当するにふさわしい研究業績があるかが審査されますな。

これらの原案は、申請大学側で作られ、膨大な量の資料が文科省に提出されます。大学設置審議会では、これらの資料に基づき、審査が展開されるのですよ。

資料に偽りなどがあれば、それはそれは、きついきついお叱りがあり、審査不合格になり兼ねない事情もないわけではなさそうですよ。

時に、現場実地踏査が行われる場合もある様です。

たとえば、必要図書など、規定どおりに整備しなければならず、踏査に間に合わせるために、他校から極秘に拝借して、図書館配列して、当場を凌いだ例などの風聞が、かつてはあったりしたこともちらほらとね。本当か、どうか知りませんが。経費を節約するには、色々とですな・・・。単なる噂です。

教員人事では、教授相当とされるか。准教授相当とされるか。助教相当とされるかと言う審査も御座います。はたまた、不適格とされるか、かなり厳しい研究業績、教育経験、人品等の審査がなされるようです。

用意した候補者が、不適格となった場合などは、すぐさま、別の候補者を用意して、審査を受け直さなくてはならないので、この差し替えなどが必要になると、もう、申請側は教員探しに、テンテコ舞ですね。

有資格の専門家を探すのは、なかなか簡単な事ではありませんから。有資格の専門家は、大抵は、どこかの大学や研究所に専任で勤務している場合が多いですから、そこから引き抜こうなどと言うようなことを考えると、ものすごく手間・ヒマ・金のかかることの様ですな。

とにかく、大学設置審議会による所定の審査がクリアーさなければ、新学部国会で認可されだけでは、開設とならない様ですよ。

この件については、政府怪文書云々、文科省からの出向役人の不正だ云々等々、相当文科省を痛めつけた経緯がありますな。

江戸の敵を長崎で。

怪文書云々でいじめられた敵は、設置審で・・・???

厳しい審査になるのかな???

 

更に、更にゴリゴリ。

それから、開学部に向けて行わなければならないのは、受験者の募集に関する事です。

文科省の大学設置審議会で審査が全て終了して、初めて学生を募集することができるわけです。

翌年の4月から、新入生を受け入れるためには、遅くとも前年の10月には、開学部を公表し、受験生へ知らせなくてはなりませんな。

すなわち、新設学部の学生応募要領を公表しなくてはならない建前の様です。

開設が本決まりになる以前に、学生募集をするわけには行かないようですよ。

入試に関わる具体的な決めごと、即ち、募集定員、入試の期日・場所、入試の科目、受験資格など、受験に関する具体的な事を、公表しなければならないのですよ。

そして、実際に入試を実施しなくてはなりません。言うのは易しですが、入試ほど手数の掛かる、神経をすり減らす作業はございませんよ。

入試にトラブルが発生した場合は、関係方面謝罪したり、対処を考え、実施したりしなければからず、メディアから一斉攻撃されますから。

おまけに、入学定員に満たなかった場合などは、目も当てられない情況ですからね。

施設、設備、カリキュラム、教員、事務員等、全部取り揃えて、入学生が定員に全然満たない情況になったら、どうします。雇った人材には、手当を支払わなくてはならないし、大変な事態に陥るのですよ。

ですから、申請の準備段階で、受験者数などの調査、把握が出来ていなければならないのですよ。

××学園獣医学部の場合は、どうなるのですかね。

見通しがあったから、新学部申請に踏み切ったのでしょうがね。

実績のない新学部への受験者は、ただでさえ中々集めるのが大変なのですから。

設置認可の審議に関わり、メディアでこんなに大きく話題にされましたからね。

これが吉と出るか、凶と出るか、いずれにせよ、関係者は神経をすり減らしていることでしょうな。

私学は、必要経費が基本的には、私学側が用意すれば良いわけで、税金が直接投入されるわけでは御座いませんが、しかし、私学へは国庫から私学助成金が与えられていますから、全く税金とは関係が無い事では御座いませんなー。

各大学への個別の助成の決定の際に、お偉い方の懇意な私学には、忖度がどうのこうのと言う噂が流れたりすることもありますなー。

先に話題となった△△学園の方は、これは、もうドエライ情況となってますな。

こんな筈では無かったのでしょうが。

嗚呼! ため息の素を放り込んで、ゴリゴリ。

とにもかくにも、国政に関わる国会議員の資質の低下には、つくづく嫌気をささざるを得ませんな。

とくに内閣を形成している大臣と称される御仁は、情けないの一語ですな。

口を開けば、失言批判が出れば。即、発言撤回。朝令暮改

それを何度も繰り返して、しゃーしゃーとしていますからね。

任命した人も、その責任を問われれば、任命責任は私にあります、と宣言しただけで、それで終わりですから。

任命者の苦労も分からないでは御座いませんが。

とにかく、人材が皆無なのでしょうな。

政策通の有能な方はいますよね。但し、そのようなお方は、別方面でも有能、御活躍のようでして。

いわゆる身体検査に通らないようですな。スネが傷だらけ。

結果、棒にも箸にもかからない御仁が大臣サマに相納まり、アホな発言を繰り返し、国民から呆れ返られているいますなー。

そもそも国会議員の資質とは、どう言うものなのですかね。

国政を担うに適した人物か否かは、個体により、能力の差がありますので、まー、千差万別、当たり外れがありますなー。

最近の大臣さん・議員さんは、なんだか、スカー、ってな、外れ感が強いですな。

有権者による選挙で選出されると、国会議員となるわけですが。

議員さんの政治活動の仕方には、二つのタイプがありそうですな

一つは、選ばれたのだから、あくまでも、選んでくれた人々の意見を最優先した政治活動をしなくてはならないと考える議員のタイプですな。

いま一つは、選ばれたら、もーこっちのもの。自分の好きな政治活動をして良いのだと言うタイプですな。

後者のタイプは、選挙運動の時に、大声で叫んでいた公約などは、あれはあれ、当選しちゃえば、やりたい放題。まさに、詐欺の手口そのものの感がありますな。

 

とは言え、国民も大きな顔をしてはいられない情況のようですよ。

そもそもは、こんな代議士を選出したのは、何処のどなたですか。

とこられますと、面目ねー、と言う次第のようですよ。

有権者の多くは、いつの選挙の時も、ぼやいていますよ。

投票用紙に記入したい立候補者がいないとね。

しかし、そう言いながら、投票の時には、誰かの名前を、ちゃんと書いてくるのだから。

論理からすれば、代表者にふさわしい立候補者がいなければ、投票用紙に名前を書けないはずなのですが。これが、ちゃんと書いて、投票してくるのですよ。意味不明ですな。

 

こんな環境のもとで、今度は、憲法をいじろうとしているのですよ。

実に、情けねー。涙が絶えない事態ですな。

国会審議の入り口で、取り上げられた最初の課題の議論に明け暮れ、結局は、それ以外の基本的な課題についての議論を一切しないまま、もう、100時間もの議論をした。十分議論をしつくした、と多数を武器に、強行採決に及ぶ様が、目に浮かびますな。

嘘をついても、騙しても、罪にならないのは、議員先生ばかりってか。

嗚呼。アーア。

 

どうでしょう。適度なヒマ潰しになりましたでしょうか。

スリバチとスリコギの調子は、如何でしょか。

 

ゴリゴリ。今日の擂り納めです。

 

どうも、お疲れさまで御座いました。

お後が宜しいようで。