「《停念堂閑記》16

「停念堂寄席」16

 

『自運』

 

いらっしゃいませ。ようこそのお運びで。

ご機嫌如何でございましょうか。

 

今日は、すこぶるご機嫌が良くていらっしゃいます ?

それは、それは、よう御座います。

多分、何か、良いことがあったので御座いましょうね。

 

エッ、久しぶりに寄席に寄ったところ、私の噺が聞ける、と言うことで、今日は付いてる、運が良かった、と思い、とても嬉しくなったのですって。

それは、それは、どうも有り難う御座います。

その様に言って頂けますと、噺家冥利に尽きると言うものでございます。

噺家にとって、この上ない一番の喜びで御座います。

今日も、張り切って、馬鹿馬鹿しくも、阿呆らしいく、専ら下らない噺をしようと、元気100倍になるのですよ。

エッ、そんな元気は、迷惑ですって。

そちら樣は、今日は、殊の外、御機嫌斜めでおられます ?

それは、どうも、ご愁傷さまで御座います。

何か、気に障ることでもお有りだったのでしょうね ?

ハッ、久しぶりに寄席に寄ったところ、私の噺を聞かなければならないハメに陥った。

アー、なんて付いてないんだ。オレは、また、運に見放された。

と、目下、落ち込んでいらっしゃるところなのですか ?

それは、どうも、ご愁傷樣な事で。なんて言ってられませんよ。こちらとしましては。

そのような事を聞かされては、こちらが、落ち込みますよ。

こう見えて、私、極めて、繊細なのですから。薄い、ガラス細工。

エッ、粘度の埴輪土偶だろうですって。

どうせ私の噺なんぞ、駄洒落に毛が生えた程度ですから。

たいして、面白くはないでしょうよ。

エッ、「駄洒落に毛が生えた」とは、どう言う事だ、ってですか。

ちょっと、見せてみろ、ってですか。

見せろ、とおっしゃるんですか ?

今、ここで。直ちに

仕方ありませんね。

それでは、ちょっとだけ、お見せしましょうか。

ちょとだけですよ。

よろしいですか。いきますよ。

ヤネからミケが、落っこちそうになり、植木の柿の枝に、カキットと掴まろうとしたが、失敗し、キャットと言って、ネッコで、あタマをうって、ネコんじゃった。まー、ヤーネ。

エッ、それがどうして、「駄洒落に毛が生えた」と言うことになるのだ、ですって。

どうしてって、ヤネから落っこちたから、ヤーネで締めくくるのは、至極当たり前の事でしょう。黄色い菊ちゃんが、よくやってますよ。

ミケは、三毛猫のミケで、ネコの代名詞でしょう。

ミケを出したからには、タマを出さない訳には行かないでしょう。

タマは、サザエさんちの飼い猫。超有名ですよ。

今や、タマと言えば、ネコのことですよ。

ちょっと苦しいけれど、「あタマ」で登場させてますよ。

ネコを出したからには、「キャット」といくのは、ごくごく自然の成り行きですよ。黄色い方だと、英語のシャレが出ました。と大はしゃぎするところですよ。

コネが、木のネッコに「あタマ」をぶつけて、ネコんじゃったと言うのは、ちょとストレートで、ヒネリに欠けますが、少し位はおお目に見て下さいよ。

ヒネリが無いと、歌さんには、すぐ座布団取り上げられてしまいますがね。

柿の枝に「カキット」掴まろうとしたと言うは、ささやかなサービスと言うものですよ。

と言うわけで、これは、誰が見ても、駄洒落ですよ。

「毛が生えた」は、どうしたって ?  ですか。

それはですね。それはですよ。

ミケが着地に失敗して、柿の木のネッコに「あタマ」をぶつけた時にですよ。そこに、笹が生えていたのですよ。その笹の葉に毛がくっついちゃって、「毛が生えた」ようになっちゃったのですよ。

何か、問題がありますか。

因に、神田小川町に、「笹巻けぬきすし」の老舗があるの知ってます。

江戸握り寿司の元祖と言われる「毛抜鮨」屋さんです。

毛の生えた笹の葉の毛を抜いて、それで寿司を包んだので、この名がついたのですよ。

てな訳ありませんよね。相すみません。

しかし、犬公方と言われる徳川五代将軍 綱吉の時代、すなわち、元禄時代の創業とのことですよ。

随分、古い寿司屋さんですねー。

あのー、古いと言っても、元禄時代に握った古ーい寿司を売っているのではありませんよ。いくらなんでも、そんな長い賞味期限はありませんから。

寿司は、ちゃんと美味しく食べられますから。

また、「毛」には関係ありませんが、柿の葉っぱで包んだ「柿の葉寿司」もいいですよ。奈良のが良く知られているようですが。

柿の木が出たものですから。蛇足ながら。

下らない事言ってんじゃない、って。

それはお客さん、無理な注文ですよ。

噺家は、下らないことを言って、お客さんに笑ってもらうのが、仕事ですから。

これを止めろと言われたら、寄席は、どうなります。

真面目な話ばっかり。

受験塾のようになってしまいますよ。

小難しいことを言って、さあ、覚えなくてはダメですよ。

何時、覚えるのかと言えば、「今でしょ」。なんて、言わなくてはなりませんよ。

笑いの無い寄席なんて、種の入ってない梅干しみたいなものですよ。

なんじゃ それ 意味不明ですって。

これは相済みません。確かに、意味不明で御座います。

でも、タマには、こんなのも良いでしょう。アサッテなやつ。

ここのタマは、サザエさんちと無関係ですから。気を回さないで結講ですよ。

てな、次第で、「駄洒落に毛が生えた」は、一件落着と言うことで、お願い申し上げます。

ところで、お客さん。

蒸し返す訳ではございませんが、私の噺が聞けて、「運」が良かったー、とおっしゃる方と、「運」が悪かった、付いてねーとおっしゃる方が、いらっしゃるわけですが。

この「運」とは何なのか。

よく考えて見たことが、御座いますか。

考えたことがお有りの方は、こう 頷いて、

「ウン ウン」とやって下さい。

 

つまらねー事を、やらせるなって。

ごもっとも。相済みません。

ところで、この「運」と言うのですが、日常的に、良く使われているのですが、良く考えてみると、ちょっと分かり難いところがありませんか。

分からない時には、そんなことに関わらないようにするのが一番、と言うことで、手を引いて、撤退、と言う方法もございますよ。

これも、一つの方法です。

しかし、簡単に、撤退出来ない場合もあるのですよ。

仮に、ここで、「運」から撤退するとしますよね。

そうしたら、訳の分からない「運」との関わりが無くなって、ヤレヤレと言う事になるのですが、これが、ヤレヤレで終わらないところがあるのですよ。

すなわち、ようやく探した話のネタの「運」に代わる、何か別のネタを探さなくてはならなくなるのですよ。

この別ネタを探すのが、なかなか大変なことで、骨折してしまう事があるのですよ。

失礼。言い間違いました。訂正します。

骨が折れるのですよ。

これがですね。「運」が悪いと、なかなか見つからないのですよ。

手頃なのが、どこかに無いか。高い所の方が、見つけやすいのでは、とですね、梯子を掛けて、ヤネに登って、落っこちて、骨折しては、マー ヤーネとなっちゃいますでしょ。

それでは、つまりませんので、そのような骨折、いや骨の折れる事はせずに、この際、やはり「運」で行く事にしますわ。

と言うことで、「運」に戻って来てしまうハメと相なりました。

ところで、「運」とはなにか、良く分からないところがあります。

その様な時には、まずは、国語辞典で、調べてみることになるわけですよ。

そこで、極めて、一般的ではありますが、『広辞苑』を引いてみましたら、次のように解説されているのですよ。

  1. めぐること。はこぶこと。移すこと。うごかすこと。はたらかせること。
  2. 天命。めぐってくる吉凶の現象。幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、  

 人知・人力の及ばない、なりゆき。まわりあわせ。

  1. 特に、よい巡り会わせ。幸運。

とあるのですよ。さすがは『広辞苑』格調高い解説であります。

お笑いを志向する者にとっては、例えば、

「運」とは、「運動会」の一番最初の字。てな解説があれば、しめしめ、これはイジレルと、大助かりなのですが、そんなふざけたのは見当たりませんよ。

「動」の上の字、「会」の上の上の字、なんてね。解説になっていませんからね。

そこでですね。別の辞典では、どうなっているか。と気になりましてね。

日本語大辞典』と言うのを見たのですよ。大辞典と言うだけあって、重さは『広辞苑』に負けていませんが、

  1. はこぶ。送る。うごく。うごかす。めぐる。めぐらす。
  2. まわりあわせ。めぐりあわせ。
  3. かぞえる。

とありましたね。解説は、「大辞典」と名乗っている割には、『広辞苑』。より、薄い様に感じますね。

解説は、重さとは、あまり関係がなさそうですよ。

それでは、と言うので、今度は、『スーパー大辞林』と言うのを見ましたら、

  1. 人知でははかり知られない身の上の成り行き。
  2. 幸せなめぐり合わせ。幸運。

とありました。こちらでは、

はこぶ。送る。うごく。うごかす。めぐる。めぐらす。

などの内容が、見えておりませんでしたね。

やはりスーパーでは、売れ行きの良くないものは、置かないみたいですね。

さて,話を本筋に戻しましてね。

「運」についてですが、その意味するところが、三種類もの辞典の解説を紹介致しましたので、良くご理解頂けてものと思います。

と言う訳でして、「運」についての講釈は、一件落着と相なりました。

と言うことで、終わってしまっては、話にならないのですよ。

ここでですよ。ここで何とか可笑しい話に展開して行かなくては、ならないのですよ。

どこかに、とっ掛かる糸口を探さなくては、ならないわけです。

こうなると、初めのように、「運」などと言うのには、ちょっかいを出さず、さっさと、手を引くべきだったかなー、と反省の念が湧いてくるわけですよ。

しかし、今更手をひくのもねー、とかなんとか、つまらないことを言いながら、時間稼ぎをして、糸口を探すのですよ。

このへんからではどうですかねー。

ご機嫌斜めのお客様、また、登場をお願いしますよ。

先ほど「久しぶりに寄席に寄ったところ、私の噺を聞かなければならないハメに陥った。アー、なんて付いてないんだ。オレは、また、運に見放された。」とおっしゃいましたよね。

よくぞ、おっしゃって下さいました。有り難う御座います。

糸口、糸口。ここから、とっかかる事に致しましょう。

この「運に見放された」の部分を、『広辞苑』の解説に置き換えますと、

オレは、また、「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない、なりゆき」に見放された。

となるのですよ。

どうです。具体的に良く分かるようになったでしょう。

分かり難いことがあれば、辞典で調べれば、とっても分かり良くなるものなのですよ。

エッ、ちょと待って、ですか。

なんだか、かえって、分かり難くなってしまった、ですって。

そうなんですよ。世の中、予想外、想定外のことが、よく起きるのですよ。

ただし、ここでは、予想外、想定外ではありませんよ。織り込み済み。

わざとヤヤッコシクしているのですから。

わざわざ、『広辞苑』の一番ヤヤッコしい、

「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない、なりゆき」

なんて言うのを引っ張ってきましてね。話の展開上、わざと、分かり難くしたのですよ。

手っ取り早く済ませるのであれば、『スーパー大辞林』の

「幸運」と言うのを引っ張ってきましてね、

「オレは、また、幸運に見放された。」

とでもやっちまえば、なんてことはないのですよ。

ここだってですね、『スーパー大辞林』から引っ張って来たなんて言わなくてもいいのですよ。

広辞苑』にだって、「幸運」という解説があるのですから。

しかし、お笑いの展開上、面白味がないでしょう。『広辞苑』では。

だから、この場合は、庶民的な、なじみの「スーパー」で手に入れたものを使った方が、分かりがいいのですよ。

ね、手取り早く済ませようと言う時は、何たって、スーパーが便利なのですからね。

近くのスーパーへ行って、パートのおばちゃんに、「うん」ありますか ? と聞けばいいのですよ。

そしたら,おばちゃんは、すかさず「うん」ですか ? 

と来ますから、その時は、こっちも、すかさず「ウン ウン」とやらなくてはいけませんよ。

そしたら、おばちゃん「うん」てどんなものです、と来るから、

その時は,すかさず「付いてたり、付いてなかったり、するやつ」 と言わなくてはいけませんよ。

この時が勝負ですらね。

おばちゃんが、ニャッとしたら、このおばちゃんただものではないですよ。センス抜群。モー、要らないものだって、買って上げなくてはいけませんよ。

おばちゃんの目つきが、キーっとなった時は、要注意ですよ。

この「クソ」忙しいのに。とどやされますよ。しかし、このおばちゃんのギャグのセンスには、一目おかなくてはなりませんね。

おばちゃんが、「ちょっと、分かりませんので、少々お待ち下さい。店長にきいてきますから。」と言う展開になるとヤバいですよ。

気をつけて下さいよ。店長が来ちゃうと、事が厄介になりますから。

店長が「うん」ですか。どのようなものです? と来ますから。

その時は、説明しなくてはならなくなりますよ。

とりあえず、「うーん」とですね。とかなんとか、と言い逃れを考えなくては、ならなくなりますから。ほどほどにして置いた方がいいですよ。

忙しそうなスーパーで、遊んではいけませんね。

シャレの分かる方ばかりとは、限りませんから。

以前に、歯医者さんに行った時、中年の女医さんが治療してくれたのですが、

「力抜いて下さい。怖いですか ?」と言われたので、

私は、歯医者さんが世の中で2番目に怖いのですよ、と言ったところ、

「2番目にですか? 1番は誰です?」と来ましたので、

決まっているでしょう。カミさんですよ。

と、答えたところ、この女医さん、「ハ」なんておっしゃいましてね。

旦那さんと、なにかあったのですかね。急に乱暴になりましてね。

危うく、悪くない歯を抜かれそうになったのですよ。

気をつけた方がいいですよ。

シャレの分からない方もいますから。

エーと、何の話でしたっけ。

そーだ。「運」についての話でした。

この間、テレビを見ていましたらね。

ちようど、「運」についてやっていたのですよ。

そーしましたらね。

「運」には、二種類あると言うのですよ。

一つは、「天運」、いま一つは「自運」と言うのだと言うのですよ。

お客さん、知ってました。

「天運」とか「自運」て言うの。

不肖、小生は知りませんでしたよ。

しかし、「天運」と言うのは、天体の運行のことであろう、と言うくらいのことは知ってましたよ。

それ、星のよく見える所で、北極星を中心に据えて、カメラを固定して、シャッターを開けっ放しにしておくと、北極星を中心に、星が動いていく写真が撮れるでしょう。よく見る写真ですよね。

しかし、天体の運行と、「運」が良かった、悪かったの「天運」と言うのは、あまりシックリ来ませんよ。

しいて言えば、ですよ。

昼飯奢ってやると言う人がいましてね、着いて行ったら、蕎麦屋さんに入ってですね、出て来たのが、なんとソバの上に、大好物の大きな車エビの天ぷらが、3本ものっかっていたとしますね。

これは、まさに「天運」が良かった。と言うことになりますよ。

これとは、ちょっと違うのでしょうなー。

「自運」の方は、これは、わかり良いですよ。

重そうな荷物がありましてね。これを家まで運ばなくてはならないのですよ。この時、知合いのA君がやって来たので、シメタ、A君に運んでもらおうと頼んだところ、なんて言ったと思います。

自分で運べ! だって。

この時、アー「自運」か。付いてねーなー。と思いましたよ。

これも、ちょと違うかなー。

 

どうしたもんだー。分からねーな。

と言う時には、仕方ありませんね。

また、辞典を引かなくては、ならないのですよ。 

そこで、また、『広辞苑』の出番ですよ。

「天運」「天運」と。アッ、出てますよ。

天体の運行」だって。

これはさっきやりましたよ。北極星の写真を例にあげてね。

ご安心下さい。次に、次のようにありましたから。

「自然のまわりあわせ」だって。

何です。「自然のまわりあわせ」って。ちょっと分かり難くありません ?

自然と言えば、例えば、四季のことですかね。春夏秋冬、春夏秋冬と回っていいますなー。

自然で回っているといえば、鳴門の渦も回ってますなー。

昔はよくラーメンに乗っかっていましたなー。ナルト

まてよ。こっちへ行くと、ややこしくなりそーだな。ラーメンは、深入り禁止。

しかし、「鳴門の渦」は、「天運」と言うより、潮の動きだから「潮運」の方がピッタリきますなー。

なんだか、あまりピントきませんなー。

「天運」とは、「自然のまわりあわせ」。

まって下さいよ。この自然とは、野山とか川とか海といったやつではないのかも知れませんよ。

とすると、例えば、人手を加えたと言う意味の人工に対して、人手を加えないのを自然と言いますな。こっちの方ですかね。

とすると、「まわりあわせ」の方も、風車のように、クルクル回す必要がないのかも知れませんな。

と言うことは、「自然のまわりあわせ」と言うのは、人が仕組んだことではない巡りあわせ、ちゅーようなことですかね。

これですな。きっと。

だとしたら、「天」となんの関係があるのです。

一見、テンで関係ありませんよ。

としたら、「天」との関係が、問題ですよ。天ぷらの「天」だと分かり良いのに。こっちの「天」は、テンで分かりませんよ。

分からなくなったら、辞典で調べる。これですね。最も基礎的なことですよ。

ノーベル賞受賞者の方々も、皆んなそろって、基礎的なことをしっかりしておくことが大事と言ってましたよね。

基礎は大事ですよ。基礎は。

木曽の中乗りさんも、そー言ってましたから。

それではと。

広辞苑』・『日本語大辞典』はと。これは、重たいので、ちょっと止めときますわ。これ2冊持つと、結構な重さですよ。ギックリと腰に来ては、たまりませんから。

ヤッパリここは、スーパーでいった方が良いですね。スーパーでネタを仕込むのは、基礎中の基礎ですからね。

ネットで調べるのも、手っ取り早いけれど、この種のネット情報は、沢山流れているけれども、中には、個人の思い入れが激しいのがありますから、気をつけなくてはなりませんよ。

さて、『スーパー大辞林』と。これは電子辞書だから、コンパクトで、使いいいですよ。

それでは、スイッチを入れてと。天と入力してと。検索。でましたよ。

「天」とは、「地に対して、頭のはるか上をおおって無限に広がる空間。」のことだって。「大空」ともありますね。

ただの空では無いようですなー。大空ですよ。

空にも、ランクがあるのですかね。大空、中空、小空とか。

特上とか並とか、松竹梅とか。

そーそー。街を歩いていたら、よく「P 空」と言うのを目にしますが、

「P 空」と言うの知ってますか。お客さん。

なんです。あれは、駐車場にまだ空きがあって、車を留めることができますよ。ちゅーことだよ、ですって。なるほどね。パーキングに空きあり、と言うことですか。

「P 満」と言う時もありますよ。あれは、八百屋ですかね。

ばーか。満車と言うことだよ。

どーも。チョットした小話でした。

ところで、「頭のはるか上」って、どの辺りですかね。

「はるか」って、どの程度なのですかね。100メートル位かね。

そんな程度は、どうでも良いって。

とにかく「はるか」ちゃんは、可愛いから。上も下も関係ないですって。

エー、そっちへ行っちゃうのですか。綾瀬はるか

訳の分からない、「天運」の話より、綾瀬はるかの話の方が、よっぽど良いですって。

ソラー、はるかちゃんの話の方が、はるかに、弾みますよ。

しかし、ここまで引っ張って来た「天運」の方は、どうなるのですよ。

「運」が悪かったと、諦めっちまえってですか。

そーは、いきませんよ。いまさら。

そーだ。はるかちゃんとの妥協点を探して、まーるく納めればいいのだ。

と言うことは、はるかちゃんの身長はと。

ネット、ネット。こんなことを調べるには、ネットが一番。国語辞典には、出ていませんよと。

ほーら、でていた。

身長 165センチ。

体重はと・・・。体重は、この際、関係ないか。

と言うことは、「頭のはるか上」の下限は、165センチと言うことになるな。

空と、そうでない境界は、地表から165センチに決定ですよ。

しかし、はるかちゃんが逆立ちしたら、どうなりますかね。

頭は、地べたにすごく近くなりますよ。165センチなんていったら、「天」は、地面にめりこんでしまいますよ。弱りましたなー。

そーだ。ひらめいた。これでいいのだ。

はるかちゃんは、逆立ちなんぞ、しないの。これで決まりですね。

何か、問題がありますか。

ありませんよね。これで、一件落着と。

と言うことで、「天」とは、「頭上、165センチ以上に広がる無限の空間」と言うことで、円満解決で御座います。

「天」は、よしとして、「天運」だから、「運」をくっつけなくては、なりませんね。

「運」は、先ほど調べましたよね。

広辞苑』によれば、

「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない、なりゆき」

と言うことだから、これを合体させると、「天運」とは、

「頭上、165センチ以上に広がる無限の空間で、幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない、なりゆき」

と言うことになりますよ。

なんだ、なんだ、なんだ。辞典で調べれば、だんだん具体的にわかるようになるはずなのに、どんどん訳分かんなくなってきましたよ。

基礎を踏まえてやっているのに。一気にノーベル賞から遠ざかってしまった気がしますよ。大丈夫かな、本当に。

ナニ、基礎を踏まえてやったからと言って、全員がノーベル賞と言うわけには、行かないって。

エッ、ダメなの。それを先に言ってよ。

ノーベル賞がダメなら、芥川賞があるか。

辞典をいじくり回してしるようでは、芥川賞もダメだな。

まいったねー、どうも。

そうだ、壁に突き当たった時にこそ,基礎に戻って出直すべし、とも言われているな。

よし、基礎から出直そう。基礎は、ヤッパリ手軽なスーパーと言うことだな。

再度 天 入力 検索と。

ほらほら、あるではないですか。

「天」とは、「天帝」のことだって。

天帝」とは、なんですかって。

「てんてい」だったら、私、よく知ってますよ。

お客さんも知っているでしょう。

天ぷら定食に、決まってますよね。

まてよ。こっちへもって行くと、また、時間をとるな。戻そう。

本当は、私だって「天帝」くらいは、知っているのですよ。

天帝」とは、万物を支配する神のことですよ。常識でしょう。

かつて、福沢諭吉先生は、

「天は、人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず」と言う名言を残されたでしょう。

この「天」と言うのが、すなわち、万物を支配する「天帝」のことなのですよ。

ン! まてよ。人の上と下には、人をつくらず、と言うことは、横はどうなります。

上と下が無いのだから、全員横と言うことですよね。

そうです。皆んな横並びの平等と言うことですね。

ならば,「天は、人の横に、人をつくれり」とか言えば良かったのにね。

後世に残る名言だな。

因に、お茶の世界では、上と下ではないですよ。

お茶の場合は、裏と表ですよ。横はありません。

それから、今度の東京オリンピックの場合は、全部ウラばかりですよ。

知ってました ? お客さん。

何故かと言いますと、

「オモテナシ」なのですよ。オモテが無いから、ウラばっかり。

オリンピックに、海外からお客さんが来日しましたら、ぜひぜひ、約束に違わないように、一本入った、ウラをご案内しましょうね。

ウラ通りは、いいですよ。

焼き鳥屋さん。おでん屋さん。タコヤキ屋さん。お好み焼き屋さん。コロッケやさん。唐揚げ屋さん。

それから、今川焼たい焼き屋さんを忘れてはいけませんよ。

外国の方は、以外とアンコ物が、大好きですから。

もー、外国からのお客さんは、きっと、大喜びですよ。

ちょっと、横道に逸れちゃったか。戻そう。

要するに、「天」とは「万物を支配するもの」と言うことですよ。

これですよ。これ。

「運」は、

「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない、なりゆき」

だから、これを合体させると。

万物を支配する、幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない、なりゆき」

と言うのが、「天運」ということですよ。

相変わらず、いまいちピントこねーな。よわりましたなー。

どうします。お客さん。

エッ、「天」と「運」を別々に調べず,「天運」で調べれば良いって。

そーだ。そーですよ。そーですよ。

お客さん、初めに言ってよ。

そーしたら、こんなまだるっこい、こんなに混乱することがなかったのに。

お客さん。天才ですね。ノーベル賞がやってくるかも知れませんよ。

あのー、ここだけの話ですが、実は、私、ノーベルショウ 貰ったのですよ。

孫から。

エッ、ノーベル飴だろうって。

さすがはお客さん。ドンピシャ。切れが宜しいですなー。

そのとおり。ノーベル飴の小さいヤツ。

だから、ノーベル小。 食べたら、すぐに無くなっちゃいました。

さて,「天運」についてです。

なんちゅったって、基礎はスーパですよ。

天運 と入力 検索 ほらほら出ていますよ。

天から与えられた運のこと だって。

「天」とは、万物を支配する「天帝」のことだから、「天運」とは、

天帝」から与えられた、「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない、なりゆき」と言うことになりますよ。

と言うことは、分かりやすく言ってしまえば、

「天運」とは、「天帝」から与えられた、人間の知識や力では、どうにもならない巡り合わせ

と言うことですなー。

そうだ。テレビで、「天運」とは、自分ではどうにもならない、巡り合わせのことだと言っていたなー。

エッ、それも最初に言え、ですって。

お客さん。それを言っちゃー 御終いですよ。

お笑い話にならないではないですか。どこぞの国営放送と一緒になってしまいますよ。

お笑い話は、あっちへひっかかり、こっちへひっかかりでなくてはなりませんよ。

あっちとこっちの共通点は、アホ・バカ・マヌケ・トンマ・ボケなどの要素ですよ。

これでですね。あっちのアホと、こっちのトンマを、ヒネリ出すのは、なかなか大変なのですよ。

ノーベル飴だって、簡単には貰えませんから。

とか、何とか、言いつつ、次の展開を考えなければならないのですよ。

とにかく、「天運」の方は、何とか片付きましたので、次は「自運」についてですね。

基本にかえって、『広辞苑』と。

相変わらず、重いなー。

「自運」。「自運」と。 ありました。ありましたよ。

「自運」とは、「書道で、書く人の自由に筆を運ぶこと」だそうですよ。

他の意味は、解説されていませんよ。

書道では、お手本通りに書くのを臨書と言いますが、お手本にとらわれず、書き手が自由に書くと言うのを「自運」と言うのですよ。

これは、弱りましたよ。天下の『広辞苑』には、これっきりしか出てきませんよ。運が悪かったのですかね。

それでは、重さで勝負ですよ。『日本語大辞典』では、どうかと言うと、

おっと、「自運」は見当たりませんよ。出てもいませんよ。

弱りましたね。弱った時には、庶民の見方、スーパー、スーパー『スーパー大辞林』ではどうか、と言うと、

おっと、ありました。ありました、が・・・。

こっちも、『広辞苑』と、同じ意味しか、解説されておりませんよ。

ちょっと、ちょっと。ここれは、ちょっと弱りましたよ。

「自運」とは、「幸運」「不運」の「運」と関係がないと言うのですか。

これでは、話がチンプン カンプンで、意味が通らなくなっちまいますよ。

困った時には、基本にかえるのが肝心。某国営放送の番組をチェックし直す,必要が出て来ましたよ。

こんな時には、国営放送オンデマンドオンデマンドと。

おっと、出てきましたよ。ネットは、便利ですね。

有料だって。単品で¥216。この際、致し方ないか。思わぬ出費ですな。

単品購入と。

では、再生と。

ほらほら、間違いなく,「自運」とやってますよ。

「天運」が自分ではどうにもなにない「運」なのに対して、自分の努力で変えられるのが「自運」ですと。

間違い御座いません。

実は、内情を申しますと,この「運」に関わる番組、ナマで見たのですよ。

その時に,「自運」と言うのに遭遇しまして、オヤ、と思ったのですよ。

あまり出会った事の無い言葉だなー。と感じたのですよ。

その時は、そのままで過ぎたのですが、後で気になり出しましてね。思い出そうとしたのですが、もうこの年ですよ。

「天運」と「自運」という区分・分類で間違い無かったかなー、と気になりましてね。

そこで、オンデマンドとなりまして、この区分・分類で間違いないと、確認したのですよ。調査費 ¥216。必要経費で落ちるかな。確定申告でがんばろー。

エッ、それでは,「天運」「自運」の意味を、最初から知っていたのだろう。それならそれと、最初に言えばいい、ですって。

だから、さっき言ったように、それでは、お笑い話にならないでしょう。と言うことですよ。ここは、頬冠りして置かなくては。

そこで、早速『広辞苑』に当たって見たのですよ。そうしたら、「自運」の項目には、案の定、国営放送での意味合いに関わる解説が見当たらなかったのですよ。

日本語大辞典』に至っては、見出し語にもなっていないのですよ。

こう言うのに遭遇しますと、シメタ、と思うわけですよ。

これは、お笑いのネタになるぞ、と言うことですね。

そこで、お笑いのテーマを決めてですね、あっちにツッカカリ、こっちへツッカカリ、はたまたアサッテへ行ったりしましてね。ようやく、今、ここに、至った次第なのですよ。

と言うことは、ともかくと致しましてね。

日常よく、「運」が良かった、とか、「運」が悪かったと言うでしょう。

その時に、「運」とはなんだ、なんて思ったりすること、ありませんでしたか。

私は、「運」について、詳しく調べたことは、ありませんが、どちらかと言うと、『広辞苑』の解説、

「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない、なりゆき」、砕いて言えば、どうジタバタあがいてみたところで、人がどうにかできるものでは無いものを「運」とか、「運命」などと言う言葉で表されている、とぐらいに思っていたわけですよ。

ところが、国営放送で、「運」には,「天運」と「自運」と言うのがある。と言うのですよ。

「天運」とは、人間がどう手出ししても、変えることが出来ないものだ、と言うのですよ。

これは、私も何となく思っていた「運」とか「運命」と言われているものと同じだなー。と思いましたよ。

ところが、「自運」と言うのが登場致しまして、簡単に言えば、自分の努力で変えられる「運」だと言うのですよ。

ここで、単純な小生の脳ミソは、混乱を起こすのですよ。

「運」・「運命」と言うのは、変えられないものなのではないのか。

だから、自分の努力で変えられるものは、「運」とか「運命」の中に含まれないのではないのか。とですね。

自分の努力で、と言うことになりますと、ある願望があれば、それが叶うように、自分で色々と計画したり、人に協力をお願いしたりなどして、すなわち、努力して事の成就に持って行くと言うことで、これは「運」と表現されるべきものと、全然違うのではないのでしょうか。

これは、これとしてですね。私の偏見と独断によりますとですよ。

どうして、あまり一般的ではないように思える「自運」と言う言葉が、いきなりお茶の間に、朝一で、飛び込んでくる様になったのかなー。と言う事ですよ。

たぶん、これにはこれの理由があっての事のようにも思われるわけですよ。

そこで、あれこれ考えましてですね。かなり疲れている脳ミソが出した結論が、

例えば、何をやっても、失敗ばかり。全然思うように行かない。オレは、付いてないのだ。オレの人生は、全て「運」に支配されていて、もう「悪 運」にとりつかれていて、何をやってもダメなのだ。と落ち込んで、腐っちゃってしまう人もいるでしょう。特に、これからと言う若者が、このようになって は、困るわけでしょう。

そこで、手出しの出来ない「天運」もあるが、自分の努力で変えられる「自運」と言うのがあるのだよ。だから諦めずに、努力しなくてはいけないよ、と言う方向を示さなければ、と考えた方がおられたのですよ。きっと。

このような、事情で、おそらく「天運」だけではない。「自運」があるからと、励まそうとしたのではないのですかね。

偏見と独断の結果ですから、あまり当てにはなりませんよ。

では、突然、甚だ恐縮で御座いますが、そろそろお時間のようで御座います。それでは、最後の〆に参ります。

「運」といえば、「運命」ですよ。

「運命」と言えば、ヴェートヴェンの第五をおいて、他は御座いません。

では、ご一緒に。行きますよ。ハイ。

ジャ ジャ ジャ ジャーン

ジャ ジャ ジャ ジャーン

ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャーン 

ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャーン 

ジャ ジャ ジャ ジャーン

ジャ ジャ ジャ ジャーン

ジャ ジャ ジャ ジャン ジャン ジャン

ジャ ジャ ジャ ジャーン

ちょっと、誰か、止めて下さいよ。

 

お粗末さまで御座いました。お後が宜しいようで。