《停念堂閑記》18

「停念堂寄席」18

 

「おバカ談義」

 

本日は、ご多用のところ、わざわざお運び頂きまして、まことに有り難う存じます。厚く御礼申し上げます。

今日は、お天気も宜しく、結講な日和で御座います。

とは言え、夏は暑いですなー。と言うか、暑苦しいー、と言った方が、ピッタリきますな。

皆さん、涼を求めて、海へ、山へと行かれる方も、多いようですなー。

にも関わらず、海へも、山へもお出掛けになられず、こうして寄席にお運び頂きまして、感謝、感謝で御座います。

こうして、ひゃっとする波とも、なんら関係なく、木々の緑とも、鳴き交う小鳥のさえずりとも、さわやかな涼風とも一切関係のない、どちらかと申しますと、ドンヨリとした空気に覆われている寄席に、お運び頂きまして、本当に有り難う存じます。

尤も、海へ、山へ、なんて向かう方々は、素人ですからね。トウシロウなのですよ。

ヤッパリ、夏は、寄席ですよ。人生のプロ、玄人、達人は、なんたって、寄席ですから。

この冷え冷えとした、何とも言えぬよどんだ空気、たまりませんでしょ。もう、夏は、寄席に限りますよ。

夏は、寄席が一番。金メダル

オリンピックじゃーあるまいしね。ホント。

でありますから、このような状況において、わざわざご来場頂いたお客様でございますので、そのご期待に応えるべく、私どもも、精々頑張りまし て、皆様に、大いに楽しんで頂ける話をと、心がける次第でございますが、この頑張りの方向は、譬えて申しますと、海ではなく、山。登山と似ているところが 御座いますな。チョットだけね。

好きでやっておられる事とは存じますが、初めは、頂上目指して、一歩一歩ひたすら登るわけです。実にご苦労様と言うより御座いませんな。何を好んでねー。重い荷物を背負って。アセダクで。

そこに山があるからと言って、何が何でも登らなければならないと言う法は、御座いませんよ。

まー、それぞれ好きずきですからね。どーぞ、存分に、お登り下さいませ。

とにかく、頂上までは、要するに、ずーっと登り続けなくてはならないのですよ。

もうお分かりですね。そうです。下らないのですよ。

落語も、下らないのですよ。ひたすら下らない話に専念しなければならないのですよ。

ねー。落語と登山似ているでしょー。もーそっくりですわ。ちょっと強引ですか・・・。

そして、頂上を極めた後にはですよ。登りっぱなしと言うわけには参りません。否が応でも、今度は、下山しなくてはならないのですよ。

登りっぱなしで、下山しないと、山頂は、とにかく登って来た人だらけで、大混雑の状態となり、後で登って来た方々は、人人人をかき分けかき分 け、頂上を探さなくてはならないハメとなってしまうのですよ。だから、登り詰めたら、後続の方々のために、下山しなければならないわけなのですよ。

この下山が兎に角、厄介ですな。頂上目指して、すなわち、目的を目指して黙々と頑張っている時は、たとえひ、辛くても、苦しくても、目的を極めると言う楽しみがあるのですよ。だから、頑張れるのですよ。

しかし、下山となると、こちらは目的の第一を果たしちゃったわけで、後は、なんだか義務的性格を帯びて参りましてね。

降りなきゃー、しゃーねーな。後で登って来た連中、頂上に達するのに、3時間待ち、4時間待ちとなったりするからな。まーほどほどで、降りてやらなきゃーな。

となるわけで、下山の義務が課されることになるのですよ。

人間、誰でも、義務的なことになりますと、とたんに気が進まなくなり、ほとんど楽しくない状態になってしまうのですよ。

それでも仕方なく下山するハメとなるのですが、下山となると、楽しんでいる方は、ほとんどおりませんよ。降りねーわけにはいかねーから、しゃーねーな。と言う状況です。

それなのに、アーそれなのに。笑い声だらけ。皆んな笑っているのですよ。

下山道は、笑い声でうるさくて、とてもじゃないですが、寝てられませんよ。

こんな所で、寝るヤツはおりませんがね。踏まれちゃいますからね。

兎に角、下山時は、笑い声で、うるさくて仕方無い状況であるコトを知ってますか。

もうお分かりですよね。そうなんです。大抵の方は、登りに全精力をつぎ込んだ結果、下りは、もー、ヘロヘロ。膝が笑っちゃって、ケタケタになっちゃうのですよ。

もー、故障したロボット化しちゃって、カックン、カックンしてますからね。

お陰で、下山道は笑いの渦、やかましいのなんのってね。たまったものではありませんよ。

ところで、登山に行くとか、山登りに行くとは、普通に言いますが、下山に行くとか、山下りに行くと言うのは、あまり聞きませんな。登り半分、下り半分ですからね。下山にも、当然50%の権利があるわけですよ。平等に扱わなくては、ならないですよね。

だから、これからは、「今度の休みに、下山にいくぞー。」とやって下さいよ。

エッ、下らないこと言ってんじゃねー、ってですか。

とんでもない。お客様。目下、下る話をしているのですよ。

下らねー話となると、便秘の話になってしまいますから。下らなくて、もー、大変難儀なのですから。

思いつきで恐縮ですが、無意味などうでも良い話の「下らない話」と言う表現は、よく耳にしますが、これに対して、有意義な話を「下る話」と表現するのは、あまり耳にしませんなー。

「下らない話」と言うのがあるのだから、当然「下る話」と言うのがあっても良いと思うのですが。

「下る話」となれば、寄席では、迷わず、下痢の話となりますなー。

満員電車で下痢っぽくなったら、そりゃーもー、一大事ですよ。冷や汗を通り越して、冷や油汗状態で、そりゃー、全神経を一カ所に集中して、懸命にこらえなくてはならないですよ。

お客さまにも、経験がおありの方、いらっしゃいますでしょー。

こんな時のために、人工弁があればいいですな。とにかくコックを閉めてしまえば、もう大丈夫と言うやつ。この装置を取り付けておけば、取り敢えず、大丈夫。最悪の事態は免れますから。トイレに辿りついたら、コックを開けば、セーフですからね。

途中で開いてはいけませんよ。えらい事になりますから。

どこぞの医療機器会社で、開発して貰えませんかね。大ヒット間違いありませんよ。

人工心臓などのように、特別ヤヤッコしいものでないですからね。さしあたって、当面を凌げれば、良いだけのものですからね。直接、命に関わることもないでしょうから。

それにですね。下痢ばかりではございませんよ。なんたって、これからは特にね。お年寄りばかりの世の中でありからね。皆んなこの手の問題には、苦労しているのですよ。

医療機器メーカーさん。宜しくたのみますよ。ホント。

介護の方々も、大助かりですよ。きっと。

えーと、何の話でしたかね。

そーだ。落語は登山と似たところがあると言う話でしたなー。

登山は、登りは、下らない。

頂上を極めたら、今度は、下山、下らなければならなくなります。

落語は、初めから終りまで、下らない。訳でもないですよ。

落語だって、最後は、下らなければならないのですよ。

実は、落語では、この下りが命なのですよ。

登り詰めておいて、次に、ストーンと落さなければならないのですよ。

落語と言うくらいですからね。

どのように落すか、私どもは、四苦八苦するのですよ。

もっとも、登山の場合は、ストーンと落ちては大変なことになりますから。お気をつけ下さい。

ここは、落語と登山は、幾分違いますな。登山では、くれぐれも着実に安全に下山して下さいよ。

まー、とりあえず、今日も、登山をしている気持ちで、精々馬鹿馬鹿しい話をさせて頂きたいと存じます。

落石には注意をお願いしますよ。時々、横道にそれて、落石を発生させたりする事が御座いますので、しっかり、防ぎながら、お楽しみ下さいませ。

ところで、今、私は「馬鹿馬鹿しい話を」と言いましたが、無意味で下らない話が、要するに「馬鹿馬鹿しい話」、と言うことで御座いますますな。

ところで、この「バカ」と言う言葉、日常よく使われますなー。

漢字では、「馬」と「鹿」を組み合わせて書くのが、一般的のようですが。

何で、「馬」と「鹿」なんですかね。「ば」と言う字だって、「か」と言う字だって、他に色々ありますよ。

沢山ある中から、何で「馬」と「鹿」が選ばれたのですかね。

ヤッパリ、地区予選を勝ち抜き、本戦の予選、準決勝と勝ち抜き、決勝に残ったのが,「馬」と「鹿」だったのと言うのですかね。

とすれば、「馬」と「鹿」による決勝戦が残されていることになりますなー。

さー、どっちが金メダルでしょうかねー。

お客様、どっちに懸けます。

バカな事言ってんじゃーねー。ってですか。

お客樣、ここでは、思いっきりバカなこと言わなくてはダメな場面なのですよ。

失礼致しやした。

「バカ」の語源については、諸説があるようですな。

日本で書かれた本で、「バカ」と言う言葉が使われている最も古いのは、『太平記』と言う本だと言われていますな。

太平記』は、作者は、はっきりとは分かっておりません。

内容は、鎌倉幕府の滅亡から室町幕府の成立期にいたる政情を描いた軍記物とされておりますが、何時成立したのかもハッキリとは分かっていないようです。1300年代の後期、すなわち14世紀の後期には出来ていたようですが。

この『太平記』の中に、「馬鹿者」と言う言葉が出てくると言うことですな。

誰だか分かりませんが、『太平記』の著者が、「馬鹿者」と言う言葉を考案したのか? と言うと、それはどうでしょうかね。よくは知りませんが、14世紀以前にバカと言う言葉は、既にあったように思われますな。

史記』と言う中国の有名な歴史書があります。

著者は、司馬遷と言う人で、紀元前91年の頃の成立と言われていますから、今からおよそ2100年以前に書かれた、中国の歴史書ですな。

この書物に、馬と鹿に関わる話が出ているそうです。

中国に秦と言う国がありましたが、初代の皇帝始皇帝といわれ、すごい権力者だった事は、ひろく知られていますな。

ところが、2代目の胡亥皇帝の時代になりますと、家臣の趙高と言う者がすごい権勢を振るいましてね。この趙高が皇帝に、馬だと言って、鹿を献上したのですと。

そうしたら、皇帝は、これは馬ではない、鹿であろう、と他の家臣に同意を求めたところ、他の家臣は、趙高の権力を恐れて、それは鹿ではない、馬ですと答えた、と言うのです。

ここに、馬と鹿に関わるエピソードが見られると言うのですが、この故事に基づいて、「馬鹿」と言う言葉が出来たのではないか、と言う説がある様ですよ。

しかしですよ。この故事では、鹿を馬だと称して、皇帝に献上した家臣の趙高が、馬と鹿の区別もつかない愚か者と言う事ではないですし、皇帝からこれは馬ではない、鹿であろうと、同意を求められ、それに馬だと応えた他の家臣は、趙高の権力に恐れて鹿を馬だ、と言ったと言うことで、馬と鹿の区別も出来ない愚か者であった、と言うことでもありませんよ。

鹿を馬だと言って、権力を誇示した者、権力を恐れて鹿を馬だと言った者がいる、と言うことで、この故事における馬鹿とは、現在言うところの、知識不足の愚か者と言う意味とは、かなり違うようですな。

尤も、日本で魚の鮎と言う字は、中国では、ナマズを意味するそうですな。所変われば、品変わることもあったのですかね。中国では、日本で言う鹿が馬だったのかも知れませんよ。

そんな馬鹿な。そうそう都合良くは参りませんよ。きっと。

と言うことで、『史記』に見られる故事から、「馬鹿」と言う言葉が発生して、それが日本に伝わってきたのである、と言う説があるとのことですな。

とすれば、これは「馬鹿」と言う漢字で日本に伝わった、と言うことなのでしょうな。

これも一つの説なのでしょうが、どうしたものですかねー。

とするとですよ。漢字の「馬鹿」は、中国では、おそらく「バロク」と発音したものと思われますな。

中国では、「馬」と言う字は、「ば」か「ま」と発音するようですよ。

だから「馬」を「ば」と発音するのは、特に問題は無いのですが、問題は「鹿」の方ですよ。

中国では、「鹿」は、「ろく」と発音し、「しか」とか「か」とは発音しないのです。

だから「馬鹿(うましか)」は、「ばろく」と発音し、「バカ」とは言わないのですよ。

ところが、「馬鹿(うましか)」が日本に漢字で伝わって来た。

ここでですよ。この「馬鹿(うましか)」に接した日本の愚か者が、これを「バカ」と発音してまったのですなー。

きっと。この瞬間に、「バロク」が、「バカ」にバケタのでしょーなー。

こんなんで、どうでしょーね。

頼んないなー。大丈夫かねー。まったく。

またですね。

バングラデシュと言う国がありますな。そこでは、ベンガル語を使うそうですわ。

ところが、ベンガル語に、「バカ」と発音する言葉があって、それは日本語と同じく愚か者を意味する言葉なんだそうですわ。

そこで、日本で使っている「バカ」と言う言葉のもとは、ベンガル語の「バカ」に由来しているのではないのか。と言う方がおられるようですよ。

「バカ」は、はるばると、バングラデシュからね。おいでになられたんですかね。

太平記』に、「馬鹿者」と言う言葉が見られるので、1300年の後半期には、日本には、「馬鹿」と言う言葉があったようですから、バングラデシュから伝わったとすれば、これ以前のことになりますわな。

1300年より以前に、日本とバングラデシュと往き来があったのでしょうかね。

ベンガル語は、漢字を使わないから、「バカ」は発音で伝わって来た、と言うことになるのですかね。

バングラデシュに、大声の持ち主がおりましてね。これが、馬鹿でかい声で、「バカー」と怒鳴ったのが、上手いこと、風に乗りましてね。はるばると、日本まで届いたのだ、と言っても、誰も信用しないでしょうな。これでは。

ねー。そしたら、逆に、日本で大声を出したヤツがおりましてね。「バカー」と怒鳴ったところ、これが上手いこと、風に乗って、バングラデシュに届いたのかも知れませんよ。

「バカ」と言う言葉は、日本から伝わって行ったのだ。なんてね。まさかね。

能天気的な考察であります。

ところが、ここは、ちょっと、ややっこしいようですよ。

ベンガル語と言うのは、サンスクリット語を基にしているとか。

このサンスクリット語に、「バカ」と言う言葉があって、「愚か」と言う意味を持っているとのことなのですよ。

このサンスクリット語と言うのは、インドで使われていたもので、文字は梵字と言われていますよ。

これがですね。インドで書かれた仏教教典が、すなわち、お経の本が、この梵字で書かれていたと言うことですよ。

それで、仏教教典が、日本に伝わって来た、と言うのですよ。

日本に、仏教が伝来したのは、538年と言われていますから、この頃に、ひょっとして、梵字で書かれたお経の本が日本に持ち込まれた可能性があると言うのですかね。

中国を経由して、漢字の教典も入って来たことでしょうね。きっと。

とすると、梵字教典に接した方が、まず最初に「バカ」と言う語に接したと言うことになりますわな。教典にバカと言う言葉が使われていればの話ですがね。

では、誰だ。と言うことになると、それは僧侶の可能性が高いですな。

と言うことになって、お坊さんが、まず、初めに「バカ」と言う語を使い始めたのではないのか。と言うことになるわけですよ。

ところで、梵字で書かれた教典は、初めは日本人に読める者がいなかったであろうし、当然意味も分からなかったのではなかろうか、と思うのですよ。

そこで、こんな訳の分からない梵字教典を、どうしたのですかね。

とりあえず、梵字を読める人がいたのですかね。と言うことになるのですわ。

読める人がいたかどうかを、証明する必要がありますよ。

この手の証明は、難しいことですよ。

しかし、ですよ。ここにとびっきり、この手のことに優れた人物がいたとしたらどうします。

忘れていませんか、ちゅーの。

そうです、そうです。ここ一番に頼りになるのは、このお方をおいて他にはおりませんよ。

誰でも知っている著名なお方です。そうです。

聖徳太子樣ですよ。聖徳太子樣。

このお方は、万能です。

梵語などは、チョチョイのチョイであったに違いありません。と言うことにしておくと、この際、万事都合が良いのですよ。

まー、このようであったのか、どうかは、分かりませんが、漢字の仏典も入って来たことでしょうし、中国から仏教の素養のある方も渡って来ていたことでしょうから、何とかなったと、思うよりないですなー。

と言うような事情で、サンスクリット語の「バカ」が、日本に上陸して来たのですよ。しかし、サンスクリット語の「バカ」に、誰が、馬と鹿の字を当てたのでしょうかね。

これについては、仏典渡来すると、日本ではそのコピーを作る必要がありましてね。

あちこちのお寺に、教典を配備する必要があったでしょうからね。

そこで、何処のお寺でも、写経が盛んに行われたようなのですよ。

その時にですよ。タマタマ、まだ駆け出しの若者の坊さんがおりまして、教典の「バカ」の部分が、分からず、弱っていたのですよ。

そこに、ベテランの坊さんが来ましてね、言いましたね。

「なんだ。そんな事も知らないのか。物の知らないヤツじゃ。そー言えば、おまえは、以前、馬と鹿を間違えたことがあったな。本当にバカなんだから。」

と、まー、こんな小言をくらった若者の坊さんがいたのですと。

これが、もとで、サンスクリット語の「バカ」に、馬と鹿の字が当てられることになったんですと。

こんな都合の良い話、聞いた事ございますか。

こんな都合の良い話があってたまりますかって。ホント。私だって、そう思いますよ。

所詮、単なるいい加減な思いつきですからね。寄席は、気楽でいいですなー。極楽蜻蛉の活躍の馬ですなー。

しかし、これがウソだと言うことになりますとですよ。

それならば、そんな事は無い。ウソだと言う証明をして下さいよ。と言うことになるのですよ。

この手の証明は難しいですよ。

歴史上、このような事があった、とする証明は、早い話が、そのような事があったと書いてある、信頼度の高い記録を探し出せば、証明になるのですよ。証拠となりますから。

しかし、ですね。そのようなことは無い、と書いた記録を見つけ出すことは、すこぶる困難なのですよ。

この事を、後世に伝えなければ、と思われるような重要な意味を持つ事件は、日記などに書き留める人はおりますが、ありもしない事を、空想して、わざわざこのような事は無かった、と書き残す人は、まず、いないのですよ。だから、証拠として存在しないのですよ。従って、証明しようにも、証拠が見つからないのですよ。

と言うことで、若者の坊さんが、写経の時に、先輩の偉いお坊さんに、お前は、馬と鹿を間違えるような、愚か者だと小言を食らって、このことから「馬鹿」と書かれるようになったとする説は、それはすこぶるウソくさい話だ。と思っても、ウソだと証明することできず、ひょっとしたら、こんなことがあったのかも知れない可能性を残している、と言うことになるのですよ。

そんな事は、ウソだとおっしゃるお方は、そんなことは無かったと書かれた記録を探し当てて見せて下さいよ。ホント。そしたら、信用しますから。

ところがですよ。

このように、馬と鹿の区別が出来ないような者がいたと言うところに、目を付けた方がいらしたのですよ。

人は、歳をとると、それなりの経験を重ねますから、まー、一般的に、何にでもよく通じている。と言うことになりますが、まだ、経験不足の「若者」は、物事をよく知らないものだと言うのですよ。

従って、「若者」は、知識の無い愚か者が多いと言うのですよ。

と言う訳で、「若者」は愚か者だ、と言うことになりましてね。

「わかもの」が、だんだん訛って、「ばかもの」となったのだ。とする見解があるのですよ。

こちらは、輸入品ではありませんよ。バリバリの国産品。どうです。説得力があるでしょう。

「わかもの」が訛って「ばかもの」となる。「わ」が「ば」に変化したと言うのですな。

本当かね。若者が気を悪くするよ。ホンマ。

どうして、「わ」が「ば」になるのですか。「わ」と「ば」の発音が似ているのですかね。

「わたくしわ」を「ばたくしわ」と、やったら、あまり通じませんよね。

「わ」に比較的似ているとすれば、「ま」とか「は」ですよね。

「ばたくしわ」より、「またくしわ」・「はたくしわ」の方が、まだ、マシのように感じますがね。

感性の違いですかね。

まー。どっちに転んだって、ねー。どーっことは御座いませんがね。国語学者ではないからね。

国語学者は、専門家ですから、そのようにも参らないか、とも思われますが。

ここで、もう一押し駄目押しをしますとね。

「わかもの」が「まかもの」に転化したとしますとね。「ま」には「馬」の字が当てられたのではないのか。片や「馬」が当てられたとすると、もう一方の「か」は、もうはや「鹿」を当てるよりありませんわなー。多少の無理はともかくとしたしましてね。

そこで「まか」には、「馬鹿(うましか)」の字が当てられましたから、この「馬鹿(うましか)」の表記が一人歩き、いや失礼、一匹歩きするようになりましてね。いやいや、二匹歩きと言うべきですかねー。まー、どっちでもいいですが。

とにかく「馬鹿(うましか)」の語は、「まか」とは読まれず、「バカ」と読まれるようになったのですよ。キット。

どうです。屁理屈が通っていて、納得しやすいでしょうー。国語学界ではこうは参らないでしょうが。この点、落語界は、いいですなー。思いっきり、いいかげんなことが言えますからなー。

またですね。「破」に「家」を書いて、「破家(はか)」。これが転じて、「ばか」となった。と主張されるお方もおられるとか。

どうして、いきなり濁音の点々がくっ付いちゃうのですかね。もともとの「はか」で、なんら問題ありませんよ。

とにかく、家を破壊してしまうような事、それが、すなわち、愚かなことで、これが「バカ」の元だ、と言う説とか、色々とあるようですが、どうしたものですかね。

要するに、「バカ」は、輸入品なのか、国産品なのか。と言う問題が一つあるようですな。

輸入品とすれば、文字で輸入したものか、発音で輸入したものか、と言う問題があるようですな。

国産品だとすると、何だか、語呂合わせの駄洒落に通じるところがありますな。

「若者」が転じて、「馬鹿者」になったと言うのですよ。

「破家(はか)」。これが転じて、「ばか」となった。と言うのですよ。

実は、私は、このような説、大好きなのですよ。駄洒落的学説。楽しいでしよー。

となると、「若者」と「馬鹿者」と言う言葉は、どちらが先に存在したのですかね。

逆に、「馬鹿者」の方が先にあった、とすると。「馬鹿者」が転じて「若者」になった、と言うのは、どうですかね。

かくなる上は、証明、証明、ですな。確かな証拠を捜さなくてはなりませんよ。

兎に角ですな、確かな事は、「バカ」なヤツがいたと言うことですよ。

これは間違いございませんよ。

そして、日本人は、なんと、この「バカ」が、大好きだ、と言う事実ですよ。

「お」まで付けて、「おバカ」と来るくらいですから。

さらに、「さん」まで付けるのですよ。

「おバカさん」なんてね。愛されていますね。

とにかく、日本人は「バカ」が大好きなのですよ。

その証拠に、「バカ」と同じ意味を持つ、同類語・同義語が、それはそれは、実に沢山あるのですよ。愚か者・役立たずの類の呼称をざっと拾ってみますか。

バカ・アホ・スカ・カス・

ドジ・ドベ・クズ・グズ、

ボケ・デク・ポンチ・ダラ、ポン・パー、

カタン・ヘッピリ・ヘッポコリン    

ポンコツ・ヘッポコ・ボンクラチョンボ      

頓馬・鈍太・鈍寓・間抜け・頓痴気、

アホタンケ・ウスラバカのオタンチン        

デクノボウ・ノーテンキのアホンダラ        

アッパラパー・ゴクラクトンボのヒダリマキ、

アンポンタン・イカレポンチのオタンコナス、

オッチョコチョイ・クルクルパーのコンコンチキ、          

トウヘンボク・ウスラトンカチのヒョーロクダマ、

スットンキョ・マンネンビリのスットコドッコイ、

目糞・鼻糞・耳糞・歯糞、

ウドの大木・夜明けのガス灯・昼行灯

やぶれ提灯・タカラモノ、

ドテカボチャ・ピーマン・コッパ・タクワンケ

ポン太・ポン助・ポン太郎

アホ助・パー助・グータラベー、

権太・権助・鈍太・鈍助・

与太郎・杢蔵・抜け作、

と来まっせ。

なんぼでもありまっせ。ホンマ。

とりあえず、当たりさわりの少ないもの70ほどを拾っておきましたよ。

早い話が、「バカ」一語あれば、だいたいは、用が足りるのに、実に沢山の類語・同義語があるのですよ。

ところで、「ポコペン」と言うの知ってますか。

これも、「バカ」に通ずる意味のある言葉だとか。

ポコペンポコペン、誰突っついたー。」と言う子供の遊びありましたよね。

これが、「ポコペン」が「バカ」と同類語だとすると、「ポコペン」を「バカ」に置き換えても、良い訳ですなー。ちょっとアレンジして、

「バカヤロー、バカッタレ、誰突っついたー。」となるのですよ。

これが、河内へ行ったら、迫力が違いますよ。

「ボケ・アホンダラ、誰どっついたー。」

子供の遊びと、笑ってられませんよ。ホント。

野菜がまたトバッチリを食っているのですよ。

ボケ茄子、イモ、ピーマン、土手カボチャ・糠漬けのタクワンケとくるのですよ。

八百屋は、バカ屋ではないっ、ちゅーの。ねー。

海産物だって、

タコイカナマコ、メザシ、ワカメにヒジキ、ヒトデ、ウミウシだって。

こんなに並べなくったって、「バーカ」の一語で、すぐに片着くのにねー。

どれをとっても、負けず、劣らず、えげつないものが多いですなー。

だいたいは、口喧嘩の時などに、多用されているようですよ。

「おまえのカーチャン、アッパラパー」なんてね。

言われた方だって、黙っちゃーいませんよ。

「おまえのトーチャン、スットコドッコイ」なんて、言い返すのですよ。

これが、兄弟喧嘩だったりしましてね。

トーチャン、カーチャンも一緒にいたりするのですよ。立場ありませんな。

思わず参加しちゃったりして。

「このやろめー、なに言ってやがるー。オタンコナスのオタンチン」

なんて、言っちゃったりしましてね。

一体、どんな家族だ、と言うことになりますよ。

実にね、「バカ」は、奥がフカーイのですよ。

訳が分からないでしょー。

オタンチンのアンポンタ

オタンコナスのスットコドッコイ

アッパラパーのコンコンチキ

てんですよ。よく使われてると思われますが、何の事はございませんよ。「バーカ」、一言で済んじゃうところを、いろいろ使い分けて楽しむのですよ。

このように見ますとね。とにかく、日本人は「バカ」が大好き。「バカ」を思いっきり楽しんでますなー。

そして、「バカ」は、無知な者の意味ではない使い方もあるのですよ。

「あの店の馬刺、バカウマ」なんて言うのですよ。

利口な馬の肉は。ダメなのですよ。

馬肉は、バカな馬の肉に限るのです。バカウマ。

牛肉食ったって、「バカウマ」と言うのですよ。

こうなっては、馬と鹿を間違えたとばかりは、言ってられませんよ。

牛だって、馬になってしまうのですから。豚だって。

こんなに、「バカ」の類語が多い言語は、世界中に無いのでは無いでしょうか。

こんなに沢山ある「バカ」の類語を、日本人は、巧みに使いこなしているのですよ。

外国人には、分かりづらいでしょーなー。

「スットコドッコイのアッパラパー」なんて、外国語でどのように翻訳するのですかねー。

もー、そのまま行くより仕方ないのではないでしょうか。「アッパラパー」は、国際語となりますよ。早いところ、商標登録とっておいた方がいいですよ。

これが、日本人の場合は、

この場面では、「オタンコナス」だな。

この場面は「イカレポンチ」よ。と使いこなすのですよ。

「おバカ」については、実に緻密な感覚の民族ですなー。日本人は。

場面、場面で使いこなすには、よーく知っておく必要があるのですよ。

もう一度、やってみますか。皆さんも、ご一緒に。

何事も、たゆまぬ努力・鍛錬が大事ですからね。

それでは、いきますよ。

ハイ

バカ・アホ・スカ・カス・

ドジ・ドベ・クズ・グズ、

ボケ・デク・ポンチ・ダラ、ポン・パー、

カタン・ヘッピリ・ヘッポコリン    

ポンコツ・ヘッポコ・ボンクラチョンボ      

頓馬・鈍太・鈍寓・間抜け・頓痴気、

アホタンケ・ウスラバカのオタンチン        

デクノボウ・ノーテンキのアホンダラ        

アッパラパー・ゴクラクトンボのヒダリマキ、

アンポンタン・イカレポンチのオタンコナス、

オッチョコチョイ・クルクルパーのコンコンチキ、          

トウヘンボク・ウスラトンカチのヒョーロクダマ、

スットンキョ・マンネンビリのスットコドッコイ、

目糞・鼻糞・耳糞・歯糞、

ウドの大木・夜明けのガス灯・昼行灯

やぶれ提灯・タカラモノ、

ドテカボチャ・ピーマン・コッパ・タクワンケ

ポン太・ポン助・ポン太郎

アホ助・パー助・グータラベー、

権太・権助・鈍太・鈍助・

与太郎・杢蔵・抜け作、

ソラでやれるように、練習しておきましょうね。「寿限無」より難儀ですよ。

問題はですね。どうして、「バカ」の類語・同義語が、こんなに多いのか、と言うことですよ。

これは、なかなか難解ですよ。もはや、一つの文化ですなー。

どうしてこのような事態になったのか、と言うと、正解かどうかは、分かりませんが。

一つ言えるかと思われる事は、日本人の「バカ」に関わる感性が、極めて繊細だ、と言うことでは無いでしょうか。

「バカ」の程度にあわせた、沢山の表現が用意されていて、どのような場面にも、お好きなのをどうぞ、と言う状態ですよ。

この繊細さは、どこから来たものか、と言うと、小生のようなウスラトンカチには、到底わかりっこありませんが、日本人は、他人に見下されるのが嫌いな、極めて自尊心の高いところがあるのかも知れませんなー。

だいたいは、皆んな、他人より偉くありたい、といったところに拘りがあるみたいですよ。

端的に言えば、他人より優位に立って、他人を見下したい、と言った習性があるのではなかろうかと、思われるのですがねー。

ですから、他人のスキを見つけたら、上から目線で、「バカ」に通じる、表現をしたがるのではないのでしょうかね。

そんなことで、結果、「バカ」の類語が多く開発たれたのではないのでしょうか。

しょせん、思いつきのいい加減な感想ですがね。

一方、日本人は、おもてなし、気配りに、ことさら神経を使うところがあるようですので、「バカ」とストレートには、表現せず、ちょっと、外した表現をとったりするところがあるような気がしないでもありませんなー。実は、そっちの方が、えげつなかったりするのですが。

たとえば、「バーカ」の変わりに、「この天然ウナギ」と言われたら、どのように感じますかね。

能天気の極楽蜻蛉系の方であれば、褒められちゃった、と思ったりしましてね。

ウナギは、いまや超高級ですよ。それが、天然ものときたら、とびっきり高級ですからね。

「この天然ウナギ」なんて言われようものなら、嬉しくて、踊りだしちゃいますよ。

言った方では、グニャグニャ、ヌルヌルした、掴みどころの無いやつだ。要するに「バーカ」と言うくらいに思ってたりするのですが。

まー、落語界としては、大変有難いことで、大いに恩恵に預かっているところが、多いですなー。

ところで、日本人は「バカ」が大好きだ、と先に言いましたが、笑ってられませんよ。

本当に、大好きですからね。

突然ですが、江戸時代大阪井原西鶴と言うお方がおられましたな。

大変著名な作家さんですなー。面白い話を幾つも残されましたよ。

その中に、「武家義理物語」と言う、面白い作品がありますな。

鎌倉時代のことですが、青砥左衛門と言うお武家がおりまして、この方が橋を渡っている時に、小銭10文程を川に落っことしてしまったと言うのですよ。

ところが、青砥左衛門さん、とびきり生真面目なお方でして、お金は、天下の大事なお宝、祖末にしてはならないと、落した小銭を捜さなくては、と言うことに相なったと言うのです。

それで、大勢の人夫を借り出して、落した小銭を捜すはめと相成った、と言うのです。

その費用に当てられたのが、何と銭3貫文と言うのですよ。

早い話が、10文捜すのに、3000文掛けようと言うのですよ。

夜中まで、松明をこうこうと焚いて、捜したにかかわらず、なかなか見つからなかったと言うのですよ。

それで、青砥左衛門さん、

「たとえ地を割き、龍宮までたずねても、是非に捜し出せ」と、ハッパをかけたのだそうですよ。

竜宮だったらね。大勢の人夫なんかより、浦島太郎に頼んだ方が、話がはやいのにね。浦島さんとは、相性が悪かったのかね。

尤も、浦島さんを竜宮へ遣ったら、長逗留して、乙姫様とイチャイチャしてたりして、なかなか戻って来そうにないですからな。

それはともかくとして、青砥さんにハッパをかけられた人夫達は、躍起になってさがしたところ、一人の人夫が、3文見つけ出したのですと。これをキッカケに、結局、青砥さんが落した10文全部が、見つけ出されたんですと。

実は、これが真っ赤なウソ、一人の人夫が、自分の銭をこっそり仕込んでおいて、それをさがし出した、見つけたー、と言うことにしたのですと。

内実を知らない、青砥さんは、すっかり快くして、探し出した人夫に、ご褒美まで与えたんですと。

そして、気の利いた事をのたまいましたとさ。

落したのはたかだか10文だ。しかし、これを放置してしまえば、大事な国のお宝が、朽ちてしまう事になる。だから、3貫文を費やしても、捜す価値があるのだ。この人夫賃の3貫文は、結局は、世の中で、巡り巡って役に立つのだから、決して無駄ではなのだ。と。

なんと、青砥さん、10文をけちったセコイやつかと思いきや、なかなかの政治家だったのですよ。

しかし、青砥さんの、そんな道理を聞きながら、

「一文おしみの百しらず」と笑った者がいたそうですわ。

この話には、まだ、続きがあるのですが、長くなるので、ここでひとまずの区切りといたします。

お客さん、この話をどのように思いますか。

10文探し出すのに、3000文も投じたのですよ。

一見、何と馬鹿げた話ではございませんか。

西鶴は、とかく武士とは、このような・・・、と皮肉ったのかも知れません。

ところで、この間、都知事が、辞めるハメに相なりましたな。

理由が、何と称して良いのか、御尤もと称すべきか、なんともアホ臭いと称すべきか、表現に窮するところでありますが、つまるところ「セコイ」と言う事だったらしいですな。

都知事は、公費で、『クレヨンしんちゃん』を購入したとのことですな。そこを記者会見で突かれたら、これは、今の子供を知るために必要なアイテムなのだ、都政を行う上で、必要なのだ、といった内容の弁解をしたのですよ。都知事の学習範囲のなんと広い事よ。さすがですね。セコイ。

そう言えば、漫画大好きのお偉い総理もおられたこと、ありましたな。

あのお方も、漫画で、政治情勢を勉強していたのですかね。

そう言えば、発言が、時に漫画チックな発想と思われるのも、あった様な気がしますなー。

漢字は苦手だったようですな。漫画だって、結講難しい漢字が使われてますよ。きっと、難しい漢字のある漫画は、見なかったんですな。あのお方。

ところで、しんちゃん読んで、今の子供を確と認識できますか、ちゅーの。

しんちゃんの感覚は、まーその、言ってしまえば、かなりハンカクサイ大人の感覚ですよ。大人の感覚なのですよ。

ハンカクサイと言うのは、北海道でよく使う、まー、「バカ」「オッチョコチョイ」「スケベ」などの意味が混入した方言です。使い方は、場面によって、どの意味かの強弱がありましてね。

クレヨンしんちゃん』読んで、子供が理解できますかってーの。そんなこと思っていたら、相当ハンカクサイですよ。ホンマ。

大人のハンカクサイところをしんちゃんが遣る所が、可笑しく、面白いのですよ。

とにかく、都知事の公費の使い方が、問題とされたわけで、結局は、まだ、どのように落ち着くのかは知りませんが、都知事を辞めるに至る段階においては、使い方に、違法と断定された部分は、殆ど無かったような印象でしたね。

結局は、人格的に、都民の信頼を失い、都議会与党にも見放され、政治的にも孤立してしまって、都知事職務を行うことが出来なくなってしまって、辞めざるを得ない、と言う状況に陥ったと言うことのようですな。

辞めるまでの過程で、公費として不適切な使い方だ、とされた部分については、元都知事は、結局は、返済する意向を示し、そればかりではなく、残された任期は、無給で任務を果たしたい、と言う意向をハッキリ公表されたように記憶しているのですが。

ここは、実に惜しいことをした気がしませんか。

結局のところ、都知事の不適切な使用とされた部分は、返却されれば、税金を無駄遣いされずに、済んだわけで、しかも、任期中は、無給でいいと言うことですから、収支は、黒字となったのではないですかね。

それをですよ。都知事選挙をやらなくてはならないハメとなり、どのような計算によるものか知りませんが、メディアで騒がれていたところによれば、選挙に何と50億円の税金が使われた、と言われているのですよ。

どえらい出費となったものですな。

あのセコイ代償に50億円ですよ。はっきりしていることは、都民はどえらい損失を被ったと言うことですよ。選挙し直して、都民は、何を得たことになるねのですかねー。

しっかりした監視体制を敷いて、無給でやってもらった方が、良かったようにも思われますよ。50億円回してもらえれば、待機保育園児の問題など、一気にクリヤー出来たのではないですか。返す返すも惜しい気がしますな。

都知事体制で、何時になったら50億円取り返せるのですかね。ホンマ。

ねー。この視点から見ると、アホ臭いったら、ありゃーしませんよ。ホント。オバかな話。

なんか、西鶴青砥左衛門の話に、似ておりませんか。

西鶴だったら、この事態を、何といいますかねー。

「おバカ加減が、一層、マスゾエー。」と言ったかな。

お疲れさまでございした。お後がよろしいようで。