《停念堂閑記》22

「停念堂寄席」22

 

「自慢+ダボラ」 (2017-03-05)

 

いらっしゃいませ。

わざわざお越し頂きまして、まことに、有り難う御座います。

今日もまた、ご多忙であらせられないお方は、年中連休の日比憐休(ひび れんきゃう)のヒマ潰しにお付合い下さいませ。

たいして出費も伴わず、煎餅でも齧りながら、お茶をすすって、気楽にお過ごし頂けますならば、幸甚この上御座いません。

たとえ内容的に、ムカツクことが御座いましても、ヒマ潰しにはなると思いますので、その辺りで相殺して、頂きたいものと存じます。

話のテーマは、何時もの通り、阿呆臭い、馬鹿馬鹿しい、下らない、の三拍子で御座いますので、その点、ご了解下さいますようお願い申し上げます。

本日は、ご機嫌如何でしょうか ?

幾分、春めいて参りました。

気象予報士さんに、雪が降るぞ、と脅されることも無くなって参りました。

が、今度は、杉花粉の飛来が、と毎日脅されている最中ですな。

戦後の復興の時に、山々の多くの木々が、伐採されたのでしょうね。

この跡に、成長の早い、製材として使い良い木として、杉が彼方の山、此方の山と、植樹されて、それが程良く成長して、盛んに花粉を飛散するようになったのでしょうね。

時宜しく、経済復興して参りまして、工場の煙突からは大量の煙が排出され、また、自動車の台数がとてつもなく増加致しまして、これまた、排気ガスを大量に排出する事になりましてね。ここに、大気汚染と言う現象が出現したのですね。

この大気汚染と、杉花粉が共謀して、凶暴化し、動物の目鼻喉などに、炎症を引き起こすことになった様ですね。

かく言う小生も、40年あまり、花粉症と戦っております。

喜ぶべきか、悲しむべきか、加齢の進行に伴い、症状が軽くなって来た感じが致します。おそらく、反応する能力が、低下しているのでしょうね。クシャミ、ハナミズが、若い頃ほど、ひどくはならなくなりましたよ。

最高の対策は、外に出ない事であります。春は、一切外には出ず、室内に閉じ籠って、ひたすらバソコンのキーを叩くことです。

そうしますと、杉花粉にはあまり悩まされずに済み、加えて、ヒマ潰しが出来まして、さらに加えれば、多少のボケ予防となるのでは、と期待できるのであります。

それでは、よろしくお付合いの程を、お願い申し上げます。

 

今日は、「自慢+ダボラ(駄法螺)」を、ネタに致しまして、阿呆臭い、馬鹿馬鹿しい、下らない話を、何時ものように、行き当たりバッタリで、やらせて頂きます。

世の中、色々な個性をお持ちの方が、いらっしゃいますな。

かなり似通った個性の人でも、良く見ていると、何処か違うもので、十人十色と昔から言われていますが、実に、その通りと思われますな。

今日は、色々な個性の内、自慢癖と言いますか、とにかく、度が過ぎて自慢する事が大好き、というか、むしろ病気では無いのか、と思われる、いわば過度自慢症候群と言った方が良いかも知れない事柄に関わる馬鹿馬鹿しい話に持ち込みたいと思います。

そして、いわゆる過度自慢症候群に見られる最も特徴的な症状と思われる「ダボラ 駄法螺」に焦点を当てた話にしたいと思います。

自慢については、誰しもお馴染みで、とやかく言う必要を感じませんので、とやかくは、申し上げない事に致しますよ。

「ダボラ 駄法螺」の方は、幾分面白味が感じられますので、行き当たり、バッタリで、ちょっと、ツッツイて見ることにします。

「ダボラ」、どちらかと申しますと、耳ざわりの良くない感じが致しますな。

インターネットによる言葉の解説には、ダボラ 駄法螺とは、「下らないホラ」と解説しているものがありましたよ。

と言う事は、下らなくないホラと言うのも、あるのですかね。ホラは、大体は下らないもののように、思っていたのですが。

ともあれ、ダボラ 駄法螺は、日比憐休の「停念堂閑記」のテーマに、まさに、50パーセント、ピッタリ合致しているので御座いますよ。

「下らないホラ」ですから、「下らない」の部分が合致するのですよ。

「停念堂閑記」では、ホラを、テーマとしていませんので、50パーセント止りと言うことなのですよ。

こうみえましても、日比憐休は、そんなにホラは得意ではございません。時に、何かの弾みで、思わず、吹いてしまう事があるやも知れませんが、 本質は、極めて小心者で御座いますので、行き当たりバッタリ程度は、やりますが、ホラはどちらかと申しますと、苦手なジャンルで御座います。

本当ですよ。生来この方、ホラなどと言うものは、一切吹いた事はございません。正直一筋、七十余年、真実一路を、まっしぐらに歩んで参りました。

エッ! それが、そもそもホラだろうですって。

そんなことは、御座いませんよ。

よく見かける政治家さんとは、一線を画していますから。

ホントですよ。

本当の所は、時々、見え透いた、セコイ法螺を吹くことが無い事も無いのですが、直に、言わなきゃ良かったと、反省しきりの、情けない、ひ弱な小心者でございます。

ホントですよ。

ホントを連発すると、何故か、ウソくさくなってしまうのですよね。ホント。

法螺とは、誰でも知っているとおり、法螺貝のことですね。

加工して、吹くと大きな音が出るようになるのですよ。

山伏の吹くやつですなー。

山伏さんの吹くのとは、大いにちがいますが、吹けば大きな音がでることから、大言を吐くことを、法螺を吹くと表現されるようになったのすね。転じて、大袈裟に、デタラメ・ウソを言う時にも、法螺を吹くと表現されていますな。

ボラ 駄法螺は、ホラの上に ダ 駄がついておりますね。

法螺の兄貴分的存在が、ダボラ 駄法螺なのでしょうね。

大体、このダ 駄がくっ付きますと、どうも、上等・上品なんと表されるレベルから、下方へ遠ざかる傾向があるようですな。

私は、駄洒落が好きなのですよ。洒落の上に駄の字がついたやつ。

知合いに、駄洒落の、いや自称洒落の好きな方が、いらっしゃいましてね。しょっちゅう駄洒落、いや自称洒落をとばすのですよ。

駄洒落が上手いね。と褒めると、途端に、俺のは、駄洒落じゃーねー。とえらく怒るのですよ。

洒落と駄洒落は、天地ほどの違いがあるのでしょうかね。

洒落は、垢抜けしていることが、特徴のようですな。

だからですかね。上に「お」の字を付けても可笑しくないのでしょうね。

お洒落、ですからね。

方や、駄洒落は、お駄洒落とは、よう言わんでっしゃろー。

駄洒落は、ダサイと言う点が、特徴なのですよ。きっと。

ダサイのダと共通しているのですかね。

ダサイに漢字を当てると、どうなるのですかねー。

こう言う、どうでも良い事をツッツクのが、ヒマ潰しのコツなのですよ。

ダサイは、「いなか」の「田舎」から来たと言う説があるとか。多分、「だしゃ」から、転じてダサイに落ち着いたと言うのでしょうね。

本当ですかね。

大体、ダサイは中学生・高校生くらいの年齢層が、好んで使っていたのでしょー。地方のイナカの子もよく使ってましたよね。

田舎者が、田舎者を蔑んで、どうしょうというのですかね。

その発生にメディアが絡んでいたのかどうかは、知りませんが、どなた様かが、「田舎」を「だしゃ」と読んだとすると、これ自体、実にダサイ話ですなー。

だったら、「駄采」だって、負けてませんよ。「采」は「いろどり」で、美しい色合いの意味の語ですから、これに、「駄」を載っけて、「駄采」にすれば、垢抜けしないと言う意味合いとなりますから、これも、良いですよ。

ちょっと、ヒマ潰しになったでしょー。

他に、駄菓子、駄馬、駄目、駄目元、駄弁るなど、よく使われますが、上等な表現をする時には、あまり用いられないようですなー。

話をダボラ 駄法螺に戻します。

ボラ 駄法螺のダ 駄の字は、打消しの意味で使われたものではないようですな。さらに、下方修正を強くする使用法なのでしょうな。

法螺は、大袈裟に言うことですから、本来、嘘めいた意味合いを持っていますが、それに、さらに、ダ 駄をつけると、大嘘めいた意味合いになるわけですな。

よって、ダボラ 駄法螺とは、大袈裟な極めて嘘っぽい話、と言う意味合いと言うことで、話を進める事にします。

 

人間は、一般的に、他人(ひと)には負けたくない、と言う気持ちがあるようですな。命あるものは、みんな他の命には、負けたくないものらしいですよ。

動物、植物にかかわりなくね。

以前に、ある女学生が、女は、なんだかだ言っても、自分が奇麗だと思っているの。他人(ひと)には、負けていない、ところがある、と思っているの。と言ってたのを聞いた事があります。本音だろうと、思いましたね。

この心理・真理からすると、人間は、とにかく、他人に負けたくない、と言う気持ちを持っているもののようです。

ただ、この気持ちの表現は、個体差があって、控えめな人と、やたら誇張する人がいるようですね。

ボラ 駄法螺は、どうも、この過度な誇張癖の持ち主と、かなり密接な間柄にあるようですね。

どうも、自分を実態よりも、大きく見せたい、と言う、欲求を強く持った方が、ダボラ 駄法螺を吹くようですな。

大体は、自分の成果を、自慢する時に、過度の表現をしたり、嘘を交えることになるのでしょうなー。

他人に、負けたくない、と言う心理がはたらくと、実に、面白い現象が生ずることが御座いますなー。

とにかく、何に付けも、自慢したがるのですよ。

なんでも、1位になって、金メダリストになりたがるのですよ。

玉石混交も何のそのになりますよ。

良い事でも、悪い事でも、とにかく、1番でなくては、気が済まない方がいらっしゃるのですよ。

年寄りがあつまると、まず、健康の話になりがちですな。

マラソン大会に参加して、いい成績をおさめた。多いですね。マラソンやる方。

水泳をやっている。テニスをやっている。ゴルフをやっている。登山をしている。スキーをしている。

実に、スポーツをやってるので、この歳で、こんなに元気、と自己の健康を自慢したがる方が多いですよ。

これは、これで、理解し易いのですが、それとは正反対の側面を自慢したがる方が、いらっしゃるのですよ。

ここが痛い、あっちが痛い、ここが悪い、あっちが悪いと、もう、逢った途端に、具合いの悪いところの比べっこをする方、いますよね。

足腰が痛くて、立ったり座ったりするのが、ものすごく骨折するのよ。いえ、訂正します。骨が折れるのよ。などは、しょっちゅう聞くことです が、その言葉を待っていましたとばかりに、私は他人(ひと)の手を借りなくては、立ったり、座ったりできないんだから、と力説する人がいますよ。嘆いてい るというよりは、自慢に聞こえたりするのですよ。

どうだ。足腰の悪さにかけては、私の右に出る人はいないよ。とばかりにね。

なにも、自力で出来ない事を自慢しなくてもねー。 人それぞれですが。

と思えば、これと、これと、この薬を飲んでるのよ。と自慢げに言う人がいると、私は、5種類飲んでいるの。と、わざわざ容器から薬を出して並べる方は、珍しくないですよ。沢山飲んでる人は、偉い、と言うことなのですかねー。

なに言ってんの。他人より多ければ、自慢のタネになるの。常識でしょー。

どうも、失礼いたしやした。非常識で。

そしたら、錠剤を包装してある銀紙から取り出さず、銀紙付きのまま飲んじゃった人の話が出て、そのために、胃の手術をした人がいると言う話を自慢げに披露するのですよ。他人の話をネタにして迄、自慢につなげるのですよ。

温泉に行けば、湯船につかる前に、お腹の手術の跡の大きさ比べがはじまりますよ。俺だって、胃の手術をした。俺は肝臓よ。俺は、肺を片方全摘出よ。

どうだ、俺の方が大きく切っただろう、と鼻高々なのですよ。

そんなこと、自慢してどうなるの、と言いたいのですが、何でも構わない、他人より、大きかったり、多かったり、反対に、小さかったり、少なかったり、とにかく、極に向かって、金メタル目指して、自慢したがるのですよ。

これらのことは、事実に基づいた話ですから、まだ、良いのですが、ダボラ 駄法螺になりますと、根拠の有る無しが、関係なくなって来るのですよ。

話題は、何でも良いのですよ。

とにかく、なんでも、超誇大化した表現をする人がいますよね。

突然で、恐縮で御座いますが、ここでは、このような性癖の方を、「ダボラー」と称することにします。その程度に応じて、

ボラ

スーパー ダボラ

ウルトラ ダボラ

グレイト ダボラ

などの賞賛の呼称も御座います。

ボラーの活躍は、実に、多岐にわたっております。

特徴は、特定の分野に限定されていない、と言うことです。

とにかく、どんな局面でも、お構いございませんよ。

手法は、割合、単純のようです。

他人が、3と言えば、とにかく、3以上を吹けば良い、と言う手法の様です。

よー、よー。実は、なー。俺、ようやく当たったんだよ。宝くじ。30万よ。

と来たら、そうか。それは良かったなー。俺は、50万当てたことあるぞ。

そしたら、横から、口を出して来たヤツがいて、俺は、そんなシミッタレてねーぞ。300万よ。どーだ。

と来たら、いやー、実は、30万の人に悪いと思ってよー。言いそびれてたんだけど、50万の前によ。800万当てたのよー。

スーパー ダボラーになると、800万なんて言う、ケチはしませんよ。5千万は行かなくては。

みみっちくてどうも済みません。どうせなら、億で行けーってですか。

済みません。なにせ、小心者で御座います。なれない事は、どーもね。おおめに見て下さいませ。

と言う具合に、だんだんつり上げて行けばいいのですよ。

最後の止(とど)めは、年末ジャンボよー。10億。

たった1字違いでよー。

本当におしかったよなー。

末尾の一字違いだったらよー。

前後賞が当たったのによー。

末尾から3桁目だけが違っていたのよ。

いやー、もうおしいのなんのってよー。

とやれば、スカネタでも、ホラは吹けるものなのです。

一字違いでも、全部違いでも、スカは、スカ。自慢になるか。スカだよーん。 

大儲けを自慢していたかと思う間もなく、大損したことを誇大化して、自慢する人もいるのですよ。

年末ジャンボ。100枚買ったんだよ。100枚も。3万円だよ。

これがよー。スカ スカ スカー。

当たったのは、300円10枚で3千円。

その3千円で、初夢ジャンボ10枚買ったのよ。

そしたら、当りは300円1枚だったのよー。参ったなー。

だって。

そんなの自慢しなくても、よさそうなのにねー。

だまってれば、誰も知らないのに。バカにされなくて済むのに。

これが、悲しくも、ダボラーの性と言うものですなー。

中には、大儲けと、大損を1人で両方掛け持ちするのがいるのですよ。器用なものですなー。万能選手だね。

自慢のネタは、自分の出世・成功に関したことが多いようですなー。

成功までの苦労話を超誇大表現する人がいますよね。

よく、まー、命を落さず、今に生き長らえたものだなー、と感心するような話。

ピストルの玉だって、避(よ)けちゃいますからね。

出世ダボラーの自慢話は、大体は、次のような事柄が、セットになっているみたいですよ。

出発点は、極貧状態。

周囲からいじめられた。

苦学した。

大病を煩ったこともある。

働きに働いた。

他人の手を借ず、全部自分一人で頑張った。

ようやくツキが回って来た。

努力に努力を重ねた結果、遂に、大金持ちになった。

豪邸で生活している。

ベンツを乗り回している。

海外旅行へよく行っている。

大物と知合いだ。

大口の寄付をしている。

社会から感謝される存在になっている。

この辺りのことを、それは、それは、超誇大化して、吹き捲くると、感動してもらえそうですなー。

以上、羅列すると、よくあるドラマの筋書きに似てしまいましたなー。

『ダボラーの一生』てな、ところですかね。

いや、『スーパー ダボラ殺人事件』にした方が、インパクトありますかねー。

お待たせ致しました。

それでは、『ダボラーの一生』を、スタートさせることに致しましょう。

冗談ですよ。冗談。

こんなの、行き当たりバッタリで、だらだらやり始めたら、終りが見えませんよ。もの凄い、長編大作になって、芥川賞とっちゃったら、どうします。

もー、「停念堂閑記」なんか、やってらんなくなってしまいますよ。

どれだけの方々が、悲しみにくれることか。

もー、ヒマ潰しが出来な無い。ドウショウ。ドウショウ。って。

エッ。そんな心配さらさら無い、ですって。

いちいち、言われなくとも、そんなこと、分かってますって。 ほんの強がり。

それでは、ほんのさわりの部分を、ちょっとだけ、ちょっとだけ、試してみる事にしましょうかね。

どの辺りにしましょうかね。

やはり、性格上、ようやくツキが回って来た。努力に努力を重ねた結果、遂に、大金持ちになった。

と言う辺りになりますかね。

それでは、参ります。

10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 点火!

ロケットの発射ではありませんね。秒読みは不要。

与太郎は、枯れ葉の舞う、路上。段ボールの中で、ふとした胸騒ぎに襲われ、夢から覚めた。

ちょっと、解説しておきます。与太郎は、主人公のダボラーの名前です。

エッ。与太郎では、ちょっと、イメージが湧かないって、ですか。

そーですか。ほら吹き → 与太郎 微妙なところですかね。

与太郎さんは、どっちかと言うと、ユッタリ・ノンビリ系のキャラが、お似合いですかね。

主人公の名前は、ドラマでは、最も重要なポイントだからなー。

なんていう名前が、ふさわしいでしょうかね。

法螺太郎なんて、もー、見え見えで、面白味がないしね。

法螺次郎、法螺三郎、法螺四郎も、おんなじだな。

吹太郎、吹次郎、吹三郎も、似たようなものか。代わり映えしないな。

寅次郎は、とっくに、使われちゃってるしなー。

三十郎は、やたら強そうだしな。

シンタローは、窮地に立たされそうだし。

シンゾーも、尻に火が着きそうだし。

しょっぱなから、まいたったねー。

そーだなー。やっぱり、スカットしたものの方がいいかな。その方が、今の時代の人には、とっつきやすいか。

そうだ。ひらめいた。

雄太は、どうだ。

雄は、凛々しく男らしく、なんとなく、スケールも大きそうな感じがして、良いな。

太も、でっかさにおいて、文句ないな。

決定。主人公の名前は、与太郎改め雄太。

ちょっと、もったいない気もするけれど、かっこいい方が、良いか。

それでは、雄太でスタート。

10 9 8 7 6 、秒読みはさっきやっちゃったな。二番煎じは駄目だな。

雄太は、プラタナスの枯れ葉舞う、路上。段ボールの中で、ふとした胸騒ぎに襲われ、夢から覚めた。

まてよ。この最初の入りが、大事だな。作品の善し悪しは、冒頭の文章で決まるからなー。

木曽路は、すべて山の中である。は、既に使われちゃったしなー。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた。も、先を越されちゃったしな。

いいところは、みんな先人が、持って行っちゃってるんだよ。

しょうがないので、まー、平凡にいくか。

 

プラタナスの枯れ葉舞う路上であった。

段ボールの中で、雄太は、ふとした胸騒ぎに襲われ、目が覚めた。

薄ぼんやりした中、大通り公園に面したビルの壁面に、ぼやけた「-3°C」の表示が、見えた。シバレが厳しい。

とっさに、まだ生きている。今日もまた、命をつなぐことに、あくせくしなくてはならないのか、と言う思いが、脳裏をかすめた。毎朝のことだ。

その時であった。時計台の方から、ピユーッと、一陣の風が段ボールの隙間を抜けて行った。

風が、枯れ葉を運んで、段ボールの中に残していったようだ。

取り除こうと、手をやった時、枯れ葉とは違う感触がした。

何だと思い、取り出して見た。

エッ! 雄太の寝ぼけ眼(まなこ)が、一瞬にて、鷹の目に変わった。

雄太は、段ボールをそのままにして、脱兎のごとく、西に向かって、一目散に駆け出した。

一気に、7分余りで、六花亭茶屋店の脇を抜けて、目的地に着いた。

とっさに、願いを聞いてくれるのは、ここしかない、と雄太は思ったのである。

北海道神宮である。

雄太は、結願の日まで、クリスマスなんぞには目もくれず、毎日、1回二拝二拍手一拝のところを、1000回繰り返した。祈りに祈った。合計二千拝二千拍手一千拝に登った。

遂に、その日が来た。

ジャジャーン!

雄太は、大通公園の噴水脇の雪の中で、元旦の日の出を迎えた。

気絶していたのである。寒い。夢ではない。

と、また、雄太は、脱兎のごとく、西に向かって、全力で駆け出した。

一気に、6分余りで、六花亭茶屋店の脇を抜けて、目的地に着いた。

北海道神宮である。

雄太は、ここしか無い、と、堅く決意を新たにしたのであった。

これからが、本当の勝負であった。3ケ月後のその日まで、雄太は、来る日も、来る日も、ひたすら祈るに祈った。毎日の力のこもった柏手で、手は、グローブのように、腫れ上がっていた。

遂に、その日がやって来た。

雄太は、覚悟を決め、決意を堅くして、札幌中央警察所に出頭した。

一陣の風がもたらした紙切れ3枚は、ちゃんと保管されていた。

ヤッタゼー。落とし主は、現れていなかった。

受取りの手続きを済ませて、雄太は、転がるように、警察署の階段を下った。

いや、本当は、転がり落ちたのである。

しかし、痛みは、一切感ずる事は無かった。

そして、一目散に、銀行に駆け込んだのである。

ヤッタゼー。ヤッタゼー。ヤッタゼー。

年末ジャンボ

前後賞合わせて10億円。

10億だよ。

桁が違うよ。桁が。

百の奥。千じゃーないよ。千のまだ、もっと奥。万のまだまだ奥。

億だよ。その上、10が付いているのだよ。所得税なし。無税。

どうだ。税務署。悔しいだろう。

この日からの雄太の金遣いがコロット、一変した。

まず、何はともあれ、北海道神宮樣へのお礼参りを忘れては、バチがあたる。もー、北海道神宮樣樣である。いくら礼をしても、尽くせない思いである。

雄太は、この日、思い切って、何時もの500倍を賽銭箱に投げ入れた。

チャリーン。500円。

何時もは、何と、1円だったのに。

とまー、こんなんで、どーでっしゃろー。

 

まー、年末ジャンボ、10億が当たった、と言うのは、ダボラ 駄法螺の題材としては、悪くはねーよ。

しかし、ホラを吹いている場面が、ほとんどないではねーか。

ボラ 駄法螺は、とにかく嘘を交えて、大ボラを吹かせなくては、駄目だよ。

こんなタッチでは、芥川賞は、鼻にも引っ掛けてくれねーよ。

そんな事はネーよ。時期的に、杉花粉の飛来がすごいよ。

ミズッパナくれーは、引っ掛けてくれるんじゃーねーの。

どうでもいいけど、きたねーな。灰汁(あく)だ側賞だな。

だから、トーシロー相手は、嫌なのよ。純文学の奥の深さが、全然、理解できてねーんだから。

あのなー。芥川賞をものしようと言う、文学作品は、只々、並んでるも文字面を、追っかけているだけでは、駄目なのよ。ワカルー

問題は、行間に、かかってるんだよ。

例えば、「大通り公園に面したビルの壁面に、ぼやけた「-3°C」の表示が、見えた。シバレが厳しい。」と言う件(くだり)だよ。

これは、本当は「-3°C」では無かったの。本当は、ただの「3°C」。マイナスは、付いてなかったの。

行間には、このような肝心の真実が、隠れているのだよ。

ここでは、なんと6度ものごまかしのホラを吹いているのだよ。6度も。

カルー。ちゃんと、行間を読まなくては。

アホー、そんなこと知るかー。

そんなら、「-3°C」なんて、ケチな事言ってないで、「-30°C」ぐらいを言っておけばいーじゃーねーか。こっちの方が、よっぽど、ホラらしいホラでねーか。

まったく困ったもんだよ。

「-30°C」と書いて、芥川賞がとれるか。トンカチ。

間違いなく、シバレて死んじゃってるよ。

「-3°C」と言う、微妙なところが、良いのだよ。

また、例えば、「・・・脱兎のごとく、西に向かって、全力で駆け出した。

一気に、7分余りで、六花亭茶屋店の脇を抜けて、目的地に着いた。」と言う部分だって、「7分余り」でなんか、行けっこないのだよ。途中、信号だって、多いんだから。

後の件(くだり)では、6分だよ。

時計台から、北海道神宮までは、およそ1里。約4キロあるんだよ。マラソンの選手だって、1キロ3分前後かかるのだよ。4キロ、12分を切るのは、なかなか大変なことなのだよ。そこを7分余りと言うのだよ。いい加減、吹っかけているのだよ。

ちゃんと、事実を知った上で文句を言ってくれ、ちゅーの。

札幌の人は、あるいは、7分は無理だろー、と思うかも知れないけれど、そーでない人は、そんなこと、分かるよ。

分かり易く、4キロを3分で行った、と書けばいいんだよ。すぐ、ホラだと分かるように。アホー。

だから、4キロを3分と書いては、芥川賞がだなー、4キロどころか、4万キロのまだ向こうへ行っちゃうのだよ。地球一回りして、戻って来ちまうぞ。どっちがアホだっちゅーの

「毎日、1回二拝二拍手一拝のところを、1000回繰り返した。合計二千拝二千拍手一千拝に登った。」こんな事ができるか、ちゅーの。

「雄太は、大通公園の噴水脇の雪の中で、元旦の日の出を迎えた。」の件(くだり)だって、一晩、雪の中で気絶していたら、間違いなく、冷凍になっちゃうよ。雄太の冷凍物など、シャレにならないよ。凍死しているちゆーの。ちゃんと、読めよ。

てやんで。ダボラ 駄法螺なら、ダボラ 駄法螺らしく、でっかーく吹けちゅーの。ドケチ!

 

ン! なんか ユータ か ?

 

お疲れ樣でした。この辺りが潮時かと思われます。

少しは、ヒマ潰しになったでしょうか。

ホラ 法螺と言うのも、構えて、さー、吹けと言われると、なかなか難しいものですなー。

もっと、もっと、精進をかさねなくては、ダメのようですなー。

 

お後がよろしいようで。