《停念堂閑記》33

「日比憐休雑記」3

 

 《“笑い”の構造》3

 

 〔うれしさ〕

 

 “笑い”の内容として不可欠な要素の第一に〔おかしさ〕が上げられるが、次いで〔うれしさ〕も笑いを誘う要素とされている。しかし、先に触れた〔おかしさ〕と今回触れる〔うれしさ〕は、“笑い”を誘う要素として、幾分のニュアンスの違いが感じられる。

 すなわち、〔おかしさ〕から生ずる“笑い”と〔うれしさ〕から生ずる“笑い”と表現としては同じ“笑い”であるが、質的に違いが感じられる ということである。〔かおしさ〕の内容は、「馬鹿馬鹿しさ・阿呆くささ・間抜けさ・ドシさ・トンマさそして恍(とぼ)けなど表現されることがら」とは異な ると言うことである。

 では、〔うれしさ〕は、どのような時に感じられるかと言うと、具体的には、これはケースバイケースの固有のもので、特定することは難しいように思える。しかし、大雑把に〔うれしさ〕の要素に関わり合いがあると思われるこを思いつきのままに拾ってみると、

 恋人が出来た時

 恋人と首尾よく結婚出来た時

 妻が旨い夕飯を拵えて、優しく帰りを待っていてくれた時

 夫が元気で浮気もせず、キチンキチンと給料を入れてくれる時

 元気な可愛い赤ちゃんが生まれた時

 念願のマイホームを持てた時

 子供が希望していた幼稚園・保育所に入れた時

 子供が元気で活躍した時

 漸く役付に出世した時

 子供が希望していた小学校に入学できた時 

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 旨いものにありつけた時

 宝くじに当るなど、思わぬ大金が転がり込んできた時

 勝負ごとに勝利をおさめた時

 D氏より大きな“まつかわ鰈”を釣り上げた時(個人的なことで、恐縮です。ご寛容のほどをお願いします。)。 etc。

幾らでもありそうです。大きく括れば、どうもいずれも自分に好都合なことが、〔うれしさ〕の素と言えそうです。

 さて、〔おかしさ〕を素とする“笑い”は、[おかしさ]の素に接すると、瞬間的に大笑いが出て、時間をおかず“笑い”はおさまる、と言う特 徴があるように感じられる。これに対して、〔うれしさ〕による“笑い”は、瞬間的に大笑いが出ることもあろうが、じわりと持続する傾向を有しているように 感じられる。そして、〔うれしさ〕の方は、その要素自体で笑えるのであるが、加えて“笑い”のスイッチが入った状態になり、他の“笑い”の要素に出会えば 何時でも笑える状況になっている特徴があるように思われる。

 〔うれしさ〕に接した時、人はとにかく浮き浮きして“笑い”が伴うことになるようである。〈つづく〉