《停念堂閑記》37

「日比憐休雑記」7

 

 《“笑い”の構造》7

 

 〔笑わせ方の基本〕2

 

【“笑い”の提供者の個性】

 次に、“笑い”の提供者側の個性について簡略に見ておくことにしよう。

 “笑い”の提供者側の個性については、性別、年令、外見と内面、概ね下記の諸点に関わる。

〈性別〉  男子 女子 

〈年令〉  低年令 中年令 高年令

〈外見〉

 体形  低背 中背 高背 痩身 中肉 肥満

     頭 頭髪 額 顔〔眉毛 睫毛 瞼 目〈目付き 輝き 平凡形 上目 下目 睨み 奥目 出目 細目 ぱっちり目など〉 鼻〈団子  鷲 垂れ 上向き 胡座など〉 唇〈細型 太型 富士型 一文字型など〉 口〈小口 中口 大口 オチョボなど〉 歯〈出っ歯 鼠歯など〉 顎〈丸形  角形 尖形など〉

     耳〈福〉〕 首〈短 長 細 太 猪 ろくろ等〉 肩〈撫で 怒りなど〉 腕 肘 手首 手 指 爪 甲 掌 脇 胸 背中 胴〈長 短 細 太など〉 腹〈出 太〉 腰〈柳〉 臀〈出〉 股 脚 膝 脹脛 アキレス腱 踝 踵 甲 足裏 土踏まず 爪先 指 爪

 顔付  形状  丸形 長形 角型 

     印象  温和 平凡 恐面形 

     髪型 髭 その他 部分の形 配置

 衣装  洋服 和服 形、色合い、柄、生地、素材、大小、長短、派手、地味

 小道具 扇子 手拭 眼鏡 傘 鞄 袋 杖   

〈内面〉

     陽気 陰気 強気 弱気 内向的 外交的 勤勉 怠け者     

〈その他諸々〉

 〈性別〉は、言うまでもなく、男か女かである。男には男固有の、女には女固有の特徴があるので、その特徴を生かすことが大事である。もっとも、中間的な存在の方も、テレビなどで大活躍しておられるので、いうならば、男、男的存在、女的存在、女と言うようなことになるかとも思われるが、それぞれの個性を生かすことが肝要であろう。中間的存在の方は、男、男的存在、女的存在、あるいは、男的存在、女的存在、女の個性を持ち得るので、切り替えがきく。ときどき元に戻ることができる。あのギャプがいいようである。

 〈年令〉は、大雑把に低年令・中年令・高年令としたが、この区別の境界は、法律で はないので、こと細かにしておかなくてはならない事情にはないであろう。テレビで漫才をやる小学生を見たことがあるが、同じ「ナンヤネン」をやるにして も、子供の持ち味があるので、それなりに面白いものである。兄弟の漫才も、もういい年になってしまったが、お兄さんが「トオルちゃん」などとやっていた り、親子の漫才も僅かにおられる様である。その関係をネタに取り込んで、“笑い”をとっているようである。

 〈外見〉には、とりあえず、体形、顔付、衣装、道具を上げておいた。これらには、適当に部分を上げておいたが、ネタには随分使われている。整っているのも良いが、並から幾分外れている方が“お笑い”には向いているようである。名前はジャイアントであったが小柄な吉田さんは「金も、名誉、名も入らぬ。ワタシャもそっと背が欲しい。」と言うフレーズで笑いをとっていた。どこでやってくれるか、楽しみに見ていたものである。背丈については、例えば、漫才の阪神巨人さんのように、凸凹コンビでよく見られます。そうそう、白木みのるさんを忘れてはいけませんね。背丈は小さけれど、とる“笑い”は大きい。

 また、一世を風靡した、“やすきよコンビ”がいましたよ。ドングリ目玉のきよしさんと、開けているか閉じているのか、ハッキリせーへん細目のヤスさん。レンズの入っていない眼鏡を掛けて出て、それを落として、細い目をわざわざ客にアピールしながら手探りをして探していました。可笑しかった。

 また、以前、「へんしい へんしい ぼくのへんじん しんこさま・・・」→〔「変しい 変しい 僕の変人 しん子様・・・」→「恋しい 恋しい 僕の恋人 しん子様・・・」〕であったと記憶しているが、林家三平さんと並んで「爆笑王」と言われた、出し物「ラブレター」で知られている、4代目柳亭痴楽さんは、「柳亭痴楽はいい男 鶴田浩二錦之助 それよりずーといい男」と言いつつも、一方では「破壊し尽くされた顔の持ち主」と名乗って、顔ネタを売り物にしていた。

 また、こだましたり響いたりするようなお名前の漫才師さんは、親指の腹に小さく「チ」とマジックで書いておいて、頃合いを見計らって、親指を立てて前へ突き出し、「チッチキチー」とやる。意味不明のギャクであるが、けっこう受けていた。親指の使い方もいろいろあるようである。お亡くなりになられたが、ポール牧さんも、「指パッチン」で笑わせてくれましたね。体の一部を“笑い”のネタに使っていた一例である。

 〈衣装〉については、洋服・和服、形、色合い、柄、生地、素材、大小、長短、派手、地味を上げておきました。視点をかえれば、まだまだある事でしょう。

 “笑い”を提供する側にとって、配慮すべき一つの大事な点になる。落語家さんのように、和服で全てをやってのける場合もあります。また、チャプリンの ように、山高帽に燕尾服、ステッキを持つスタイルのように、常に一定のスタイルで臨む場合と、ネタ・出し物によって、いろいろ変化させる方が効果的な場合 もあるでしょう。前述の“笑い”の要素との結びつきを考慮することではないでしょうか。「金ぴか衣装」の大金持ちのおぼっちゃま横山たかしさん。いつ見ても目立ちますね。おまけに赤いハンカチをくわえたりして。 

 〈小道具〉は限りがありませんので、とりあえず最もポピュラーな扇子・手拭・眼鏡・傘・鞄・袋・杖を上げておきました。

 落語家さんは、器用に扇子と手拭で何でもこなします。マジシャンの方の中にも、シャベクリを中心に演じられる場合も見受けられ、いきなり耳を大きくしたり、小道具を利用して、“笑い”をとったりしてます。笑える道具も、どんどん工夫して開発すると面白いと思われます。

 〈内面〉には、とりあえず、陽気 陰気 強気 弱気 内向的 外交的 勤勉 怠け者を上げておきました。(ここでは、性格の分類について検討するつもりはありません。この点について関心をお持ちの方は、クレッチマーユング、シュプランガー、ルドルフ・シュタイナーディルタイエニアグラム等の見解をどうぞ。) 

 要するに、固体にはそれぞれの性格があります。これはほんの一例で、いくらでもあると思われます。この個性が“笑い”を呼ぶ武器となってい ることが多いようです。大げさに言ってしまえば、芸人さんの面白さは、なかばこれで決まると言って良いようです。問題は、“お笑い”が本当に好きかどう か、と言うことではないでしょうか。月並みなことで、恐縮です。

 陽気・強気を売りにしている芸人さんはすこぶる多い。たまに陰気、弱気を売りにしている芸人さんも見られます。つぶやきさんですか、ボソボ ソぼやいて、“笑い”をとっていましたよね。ひろしさんさんもそうです。ボソボソぼやくネタは、常に笑える性格のものと、時機を捉えたものと両方あるよう ですが、ありがたい佛の顔も三度見れば飽きが来るとか言われますので、最初はいいのですが、同じネタを何度もやられると、どうもと言う性格がありますか ら、ネタ探しはなかなか大変です。

 多くの個性をつかって、大いに笑わせてもらいたいものです。

   

【客種とシチュエーション】

 “笑い”の提供者側に関わり、考えておかなくてならないことは、相手側の笑う主体についてである。これは、個体差があって、厳密には中々言及することが困難な面がある。すなわち、すこぶる笑い易いタイプと簡単には笑わないタイプが存在する。前者は、軽度のネタで笑いのスイッチが直ぐに入るが、後者はそうは行かない。持って生まれたDNAのなせる技かも知れないし、育った環境により後天的に形成されたものかも知れない。

 したがって、“笑い”が発生するかしないかは、笑う側の個体の性格に関わっているところがある。固体差に関わる点は論及が難しい。世の中、難しいことは、後回しにすることが肝要のようである。善は急げ、悪は遅らせのたとえに従い、個体差については、その存在を指摘するだけで、ここでは深く触れないことにする。

 今一つは、その時々のシチュエーションによることをあげなければならない。やはり笑える状況とそうではない状況がある。だから言うまでもなく、同じネタでも、大受けする場合と、そうでない場合がある。上に指摘した“笑い”に対する個体差の問題は、“笑い”を採ろうとする側からすれば、要するに客種の如何に関わることであり、もう一つは、その場の雰囲気と言うことのようである。この条件が整っている場合は、盛大な“笑い”が発生する筈である。

 したがって、“笑い”を起こそうとする場合、“笑い”の提供者側からすれば、客種とシチュエーションが問題となる。

 “お笑い”に大いに関係するものとして、寄席と 言うのがある。ここは、言うまでもなく、笑いたい人が、手間暇かけて金かけてわざわざ“笑い”にやって来る場所のようである。ここには、プロの笑わせ屋さ んが居て、笑わせてやろうと日々精進を重ねて、手ぐすね引いて待っているわけである。したがって、笑いたい人がわざわざ集まっているのであるから、“笑 い”のスイッチは半ば入った状態にあると言っても過言ではあるまい。そこに、笑わせるプロがいるのである。ここに“笑い”が起こらない訳がないのである。 したがって、寄席はいつも爆笑が渦巻いている。とは限らないから、世の中はままならないのである。

 手間暇かけて金かけてわざわざ笑いにやって来たくせに、一向に笑わない御仁があらせられる。貴方、一体何しに来たの、と聞きたくなる。とこ ろがである。来た方にも色々と事情があると言うものである。こんなへぼの話で笑えるか。金返せ。こんなことなら、家でテレビ中継している某大臣の国会答弁の方が、よっぽど笑えると言うものだ。あの大臣を呼んできてしゃべらせろ。きっと調子にのって、色んなことしゃべるぞ、なんてね。 これが客種の問題である。だから“笑い”に関わる個体差については難しいのである。

 どうしても笑わないお客とか、何でおかしいのか理解出来ずに笑えないでいるお客を、何とか無理にも笑わせようと、噺家の方は頑張ることになる。この点に目をつけたのが、初代林屋三平さんである。彼は理解出来ずに笑えないでいる人を見つけると、「今のは、何処が可笑しいのかと言うと」と“笑い”のネタの解説を試みようとするのを演ずる。世の中、何が悲しいと言っても、噺家がオチのネタの解説をしなければならない程の悲劇はなかろう。噺家の断末魔の仕草である。ここに目をつけたのが、三平さ んの天才的といわれるところなのであろう。おまけに、ここは笑うさころだ、と言うところでは、指を軽く握って、耳の辺りに持っていくサインを出してくれる と言うのであるから、徹底したものである。ここで笑わないと、今日はもう笑うところはないよ、と言って“笑い”をとっている漫才師もおりますが、笑わせようとする側もあの手この手を使うわけである。

 「笑点」では、黄色い着物で有名になっている通称「菊ちゃん」は、時々分かりきっている駄洒落のネタを用意して、先にお客に答を言わせて、「もう先に答を言っちゃぁ駄目だよ。やーね。」なんて“笑い”をとっている。また、時には、もう知っている人は僅かになっている大河内伝次郎片岡千恵蔵のもの真似をやっている。伝次郎や千恵蔵を知らない人も結構笑っているのではなかろうか。かと思えばカッパや宇宙人をやって、これでもかと“笑い”をとりにやってくる。とぼけ顔の多彩なお方である。もっとも、ラーメンの宣伝は頂けないが・・・。また一方では、自動販売機の下を探っている小遊三さんが、花火を打ち上げているたい平さんがいる。かと思えば、ご自分ではまだ気がついておられぬらしいが、顔の形が先代と同形の部類にはいる円楽さんは、顔も黒くして、腹黒を“笑い”のネタにしている。このような“笑い”のプロにあの手この手で来られると、大抵の人は笑ってしまう。笑った勢いで、日曜日の夕飯をぱくつくことと相なる次第である。

 夕飯はどうでもよいことであるが、本来“笑い”のためのシチュエーションが整えられている場においても、どうかすると、“笑い”が起きない 場合もあり、笑わせようとする側はあの手この手で大変なようである。これが特に“笑い”のために準備された場でない場合は、まずは、“お笑い”をすべきか どうかの判断が最初にあるべきであろう。以前にとあるイベントに出演依頼されて、何時ものバカをやったら全然受けないどころか、顰蹙(ひんしゅく)を買っ てしまい、サンマな、いやサンザンな目にあったと、関西系のデッパで超知られている芸人さんが自ら話しているのを聞いたことがある。こっちはバカをやって なんぼの商売やから、あんな場にオレを呼んだ側がアホなんやと嘯(うそぶ)くのをお忘れではいらっしゃらなかったが。年を経ても、一向に芸風が変わらない 希有な芸人さんであるが、当然のことであるが、彼でさえ場違いのことをやれば、失敗するわけである。場の空気をいち早く見極めることが肝要であり、ここで“お笑い”をやっても大丈夫という判断がまずは大事であろう。

 次に、やはり場に合ったネタで無くては、“笑い”は大きくならない。この判断が肝要であるようだが、これが中々難しいようである。

 場を形成している主な要素は、その場所、すなわち、地理的な位置、規模、造り(設備など)、そして、時期、時刻に加えて対象、すなわち 個人・集団・性別・年令・職業など、そして、その場所を存在させている目的などである。

 このような事柄から場の空気を判断し、最も相応しいネタを選択する必要がある。その為には、多彩なネタを用意しておくことが必要である。やはり日頃の精進ということになるようである。〈つづく〉